太陽王の観測塔2022年10月03日 06時12分00秒

ずるずる続けているわりに、あまり話も深まらないので、パリ天文台の話題は今日でひとまず終了にします。

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歴史を再びさかのぼって、その草創期へ。
パリ天文台が創設されたのは1667年。日本では寛文7年、4代将軍家綱の時代です。

フランスでは太陽王ルイ14世が王位についてすでに30年目ですが、この王様は1715年まで実に72年間も君臨したので、この1667年はまだその半ば。フランスの国力も、王の権威も上り坂にあった時期です。

ルイ14世は、フランスの海洋進出による国力伸長を望み、パリ天文台創設はその基盤整備の一環でした。天体観測と位置推算にもとづく信頼できるデータが、当時の航海には必要だったからです。


ルイ14世の横顔を鋳込んだ同時代の銅メダル。


そして裏面には完成したばかりのパリ天文台の雄姿。
二重基壇の上に建っていることや、屋上の超巨大な望遠鏡はもちろんデフォルメで、その権威と機能を視覚化したら、こういうデザインになったということでしょう。

周囲にはラテン語で「TURRIS SIDERUM SPECULATORIA(星々を観測する塔)」の文字と、ローマ数字で「1667」の年号が鋳込まれています。

メダルの作者は、ジャン・モージェ(Jean Mauger、1648-1712)という人で、1677年にパリに出て、1685年から亡くなるまでフランス造幣局に勤務し、多くのメダル製作に関わりました。…というと、「あれ?」と思われるかもしれません。私も「あれ?何だか年代が合わないぞ」と思いました。 

でも、よくよく話を聞いてみると(LINK)、このメダルはたしかにルイ14世の治下に鋳造されたものには違いないのですが、発行年は1702年で、1667年に本当のリアルタイムで作られたものではありませんでした。
何でも1702年、ルイ14世の偉業をたたえるために、全部で286枚から成るシリーズ物のメダルが作られ、これはそのうちの1枚なのだそうです(モージェはそのうちの250枚を手がけました)。

私は最初、1667年に鋳造されたものと素朴に思っていたので、ちょっぴり残念ですが、それにしたって、若き日のパリ天文台の面影を伝える貴重な品には違いないので、先日のアダム・ペレルの版画と共に、昔をしのぶよすがとしたいと思います。

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パリ天文台の歩んだ355年間。
話が深まらなかったとはいえ、とにもかくにもその歴史の厚みを、今回一瞥しました。