世界内存在する書斎2022年11月07日 06時39分46秒



本を積み上げて、狭い部屋をますます狭くし、
その片隅で、灯りに舞い飛ぶ埃をぼんやり眺める。

まことに小市民的な逸楽です。
まあ「逸楽」と言った時点で、若干ネガティブなニュアンスがまじりますが、これは確かに平和な日常であり、私にとってはかけがえのないものです。

ただ問題は、この部屋をあとにして、世界の中に歩み出した時、そこにも平和な日常が広がっているかどうか?

自分の小市民的な愉しみが否定されるべきだとは思いません(賢治さん的には否定されるかもしれません)。その上で思うんですが、ここに積み上がった本は、本来世界を拓(ひら)くものとして生まれたはずなのに、今はもっぱら外界に対する防壁として使われているのが矛盾であり、我ながら不仁なものをそこに感じます。

コメント

_ S.U ― 2022年11月07日 08時16分10秒

賢治さんのよく知られたセリフ「「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 と、賢治さん自身が田舎から送金をさせて都会で芸術などの趣味にふけり、それを農村にまで広めようとしたということから、何が感じとれるか、とくに当時の一般のはたから見ると道楽の口実しか受け取れなかったと思います。
 これは、今私が考えてみても、矛盾なのか防壁だったのか、それとも文化への遵奉だったのかわかりません。でも、賢治さんがやっていたことだから、小市民的ということでなくてもよいように思います。

_ toshi ― 2022年11月08日 22時53分38秒

記事と関係がないのですが,初めて天王星を見ました。

_ 玉青 ― 2022年11月09日 22時06分35秒

○S.Uさま
この件については、容易に答が出ないので、もう少し考えてみます。
考えても答は出ないような気もしますが、これは考えることに意味があるのかもしれず、あるいは問うことが即ち答であるのかもしれません。

○toshiさま
ああ、toshiさんも!
所を隔てつつも、我々は同時に同じ月、同じ星を見上げていたわけですね。
「山川異域 風月同天」と詠んだ古人の心が偲ばれます。

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