「あなたより天文古書に恵まれた人知りませんか」2022年11月14日 18時36分55秒

今朝は晩秋を越えて、初冬の趣がありました。
今日は仕事を昼で切り上げ、帰りがけに自然緑地を生かした公園を歩いたのですが、林の中は国木田独歩の『武蔵野』さながらで、心に凛としたものを覚えました。

〔十一月〕十九日――「天晴れ、風清く、露冷やかなり。満目の黄葉の中(うち)緑樹を雑(まじ)ゆ。小鳥梢に囀(てん)ず。一路人影なし。独り歩み黙思口吟し、足にまかせて近郊をめぐる。」


すべての枝が葉をふるい落とし、無言の木々の群れを時雨が濡らし、さらに白いものが舞い下りてくるのも、もうじきでしょう。

   ★

一昨日、私がととまじりしている英国天文史学会の会報が届きました。
パラパラ眺めていたら、王立天文学会(RAS)図書館の司書であるシアン・プロッサー氏(Dr Sian Prosser)へのインタビュー記事が目に留まり、「ほう」と思いました。


インタビュアーは、「天文学に関する最初の思い出は何ですか?」とか、「もし天文学の本を1冊だけ書架に置けるとしたら、何を選びますか?」とか、彼女にいろいろ質問を浴びせているのですが、その中に「もし、どこか天文学的に興味深い場所で1日過ごしていいと言われたら、どこに行きますか?」という質問がありました。

プロッサー氏の答はこうです。
「エディンバラ王立天文台のクロウフォード・ライブラリーです。ここはRASの図書館よりも、天文分野における一層見事な貴重書コレクションを持っています。」

言うまでもなくRASの図書館は天文史料の宝庫であり、世界有数のアーカイブを誇ります。

(RAS Library の紹介ページより https://ras.ac.uk/library

しかし、その司書であるプロッサー氏が、「いや、クロウフォード・ライブラリーの方が上だ」と即座に断言するのですから、これは事実そうなのでしょう。私は「ほう」に続き、「うーむ」と思いました。何事もそうですが、やはり上には上があるのです。

クロウフォード・ライブラリーのことは去年も取り上げて、そこでも散々ほめそやしましたが、今回改めて自分の書いた文章を噛み締めました。

(クロウフォード・ライブラリーの書架。以下より再掲)

■天文古書の森、クロウフォード・ライブラリー

続いて当然気になるのは、クロウフォード・ライブラリーに出かけて、そこの司書さんにも同じ質問(同じというか、今日のタイトルのような質問)をぶつけたら何と言うかです。たぶんこれを繰り返していくと、アレキサンドリアの図書館とか、バベルの図書館とかにまで行きつくのかもしれませんね。

   ★

でも、自分の興味に―それだけに―合わせた自分の書棚こそ、他ならぬ私にとっては無上の価値があるのだ…と、ちょっと強弁したい気もします。何せRASもクロウフォードも、その棚には賢治も足穂もたむらしげるさんも並んでない時点で、多少割り引いて考えなければなりませんから。

コメント

_ S.U ― 2022年11月16日 16時47分21秒

>どこか天文学的に興味深い場所で1日過ごしていいと言われたら、どこに行きますか?

 仮にこれを図書館で今までもっとも感銘を受けた場所と限定しますと、私の場合は、筑波大学図書館の漢籍資料の部屋です。そこには、台湾で発行された「四庫全書珍本」という清国の叢書がずらっとあって、間重富が苦労して入手したと言われる『暦象考成後編』などの西洋暦法の書の影印本がさりげなく並んでいました。開けてみますと、最近再刊されたものらしく、ページがくっついていて、まだ誰も読んでいないようでした。私は、中国語ができるわけでもないのですが、この本だけは図を頼りに計算をたどることができそうで、たいへん親しみを覚えました。
 興味とインパクトというのは違うかもしれませんが、中国の古典が並んでいると、文系であれ理系であれインパクトは大きいです。

_ 玉青 ― 2022年11月17日 19時32分23秒

ああ、いいですねえ。学問の香りが馥郁と漂い、まさに「文庫(ふみぐら)」という感じです。私自身が体験したものだと、ずばり上記RASの図書館で、あれは本当に衝撃的な体験でした。あれに似た経験を探すと、敷居の高い神田の老舗古書店に、背伸びして足を踏み入れた予備校生の頃の思い出が、それにちょっと近いです。積み上がった古典籍に気圧されつつも、何となく誇らしいような、何だか自分が偉くなったような気分になったのを覚えています。有無を言わさぬ学問の「偉さ」があの空間にはありました。

_ S.U ― 2022年11月18日 10時03分05秒

コロナ禍や諸経費節約を考えると、「電子図書館化」や「資料の電子化」は、非常にけっこうなことで非の打ち所はないと考えますが、このような学問の蓄積のインパクトやそれへの畏敬の念の経験という意味では分野の専門書や古典籍叢書が書棚の数台をずらーっと占領している場所の体験はぜひ必要だと思います。図書館で、電子図書や電子リファレンス化が進むと、そのような体験が失われてしまいそうで、これはまずいことではないかと思います。

 ここは、RASほか研究機関の図書館を参考に、国立博物館や国立科学博物館にそのような開架書棚の「展示」をしてもらう(もちろん、展示といっても読もうと思えば読めるホンモノの本でないといけませんが)というのが一つの手かもしません。

_ 玉青 ― 2022年11月19日 16時17分27秒

>開架書棚の「展示」

これは素敵な、そして今後本気で考えないといけない提案ですね。
貴重な書籍の総体である「○○ライブラリー」や「○○文庫」は既にあちこちにありますが、今後はさらに書籍が並んだ空間そのものも、特定の時代における知的営為の証しとして、保存展示していく必要がありそうです。(作家の旧居を記念館として、その書斎や書棚を丸ごと公開しているところもありますしね。)今は主にそれは図書館の役割になっていると思いますが、今後は博物館の役割も大きくなっていくことでしょう。

地元の話で恐縮ですが、名古屋には旧尾張徳川家の蔵書を一括保管している「蓬左文庫」という施設があります。現在は徳川家から名古屋市に移管された市の施設なんですが、最初は市立図書館の分館という位置づけだったのが、途中から市立博物館の分館ということになったのも、そうした流れを示すものかもしれません。

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