バチカン天文台簡史2023年03月28日 06時34分48秒

こだわるようですが、再びバチカンの話題。
その名をしばしば出しているので、バチカン天文台といえばカステル・ガンドルフォ…というイメージですが、1935年に同地に移転するまで、バチカン天文台は文字通りバチカン市国(ローマ教皇庁)の敷地内にありました。

まずバチカンとカステル・ガンドルフォの位置関係をGoogleマップで確認しておくと、こんな感じです。

(青いルートの道のりは29.1km、自動車で52分と表示されています)

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ウィキペディアの「バチカン天文台」の項【LINK】には、その歴史が書かれていますが、ちょっと記述がゴチャゴチャして分かりにくいので、他のソースも交えて、自分なりに整理しておきます。

まず、バチカン天文台の前史として、16世紀の暦法改革(=グレゴリオ暦の導入)のために、太陽の南中高度を観測する作業が、「トッレ・グレゴリアーナ」、通称「風の塔」で行われた…ということがウィキには書かれています。

「風の塔」とはまた素敵な名前ですが、この「トッレ・グレゴリアーナ」、英語でいえば「グレゴリアン・タワー」【LINK】の位置は下のような感じで、サン・ピエトロの北側になります。

(バチカン全景。中央がサン・ピエトロ。北が上)

(北が右になるよう回転。サン・ピエトロ(左)と風の塔(矢印)。四角く飛び出ているのが風の塔)

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このあと、18世紀後半になると、バチカンの天文研究が俄然熱を帯び、イエズス会立の教育機関である「コッレージョ・ロマーノ」に「ローマ教皇庁天文台」が設けられ(1774)、ここで本格的な望遠鏡観測が行われることになりました。場所は、教皇庁から見るとテベレ川を越えた川向うになります(上のバチカン全景図だと、写真の右側に大きくはみ出します)。恒星の分光観測で有名なセッキ神父(1818-1878)が研究を行ったのもここです。

ではこの時期、「風の塔」は完全に打ち捨てられていたかというと、そうでもなくて、1780年頃、フランチェスコ・サヴェリオ・ゼラーダ枢機卿(1717-1801)の意向で、「風の塔」は再び天文台として使用されることになり、ここを「スペコラ・バティカーナ(バチカン天文台)」とネーミングしました(以下、「旧バチカン天文台」と呼ぶことにしましょう)。ここで指揮を執ったのは、植物学や気象学も修めたジリーイ司祭(Filippo Luigi Gilii 、1756–1821)LINK】という人で、1821年に司祭が亡くなるまで同天文台は存続しました。

ですから、1800年前後の約40年間について見ると、バチカンの天文活動はバチカン市外にあった「ローマ教皇庁天文台」と、バチカン内部の「風の塔」にあった「旧バチカン天文台」の2つが並行していたことになります。名称はともかく、そのいずれもがバチカン天文台の前身と見ることができます。

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しかし、天文観測にふさわしい平穏な時期も長くは続かず、19世紀の到来とともに、長く小国分立状態にあったイタリアを統一する「イタリア統一運動」が起こり、新たに成立したイタリア王国がローマ教皇領を併合すると、コッレージョ・ロマーノも接収され、1878年にセッキ神父が亡くなると同時に、かつての「ローマ教皇庁天文台」は「ローマ大学王立天文台」に改称され、バチカンの天文研究は一時中絶の憂き目を見たのでした。

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このあと、バチカン天文台再興を献策する人がいて、1891年に教皇レオ13世が勅令を発し、荒廃していた「風の塔」を再整備するとともに、「写真天図計画(Carte du Ciel/全天をくまなく撮影して写真星図を作る国際的プロジェクト)」に参加するため、新たに大型機材を現在の「聖ヨハネ塔」LINK】の最上部に設置しました。

(サン・ピエトロ(右)と聖ヨハネ塔(矢印)。北が上。)

その前後の事情は、バチカン天文台の副台長を務めたジュゼッペ・ライス神父(Giuseppe Lais、1845-1921)の評伝に書かれています。ちなみにライス神父はセッキ神父の愛弟子です。

■Father Giuseppe Lais  (1845-1921) : On the Centenary of his Death 
 from the Roman College Observatory to the Vatican Observatory.
 Vatican Observatory Annual Report 2021, pp. 44-47.

16年前の記事に登場した以下の絵葉書が、その聖ヨハネ塔のドーム内部の様子で、写っているのがライス神父です(以前の記事には不正確な記述がまじっていますが、参考にリンクしておきます。LINK①LINK②)。


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この後、ローマ市内の観測環境の悪化(主に光害)に伴い、1935年にバチカン天文台はカステル・ガンドルフォに移転し、さらに1980年代に入ってから、さらなる観測適地を求めて米アリゾナ州に観測拠点を移し、現在に至っている…というのは、これまでも書いたとおりです。なお、カステル・ガンドルフォには今も事務部門が残っており、バチカン天文台本部として機能しているとのことです。

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以上、若干くだくだしい記述になりましたが、あるモノを紹介するのに前置きが必要と思って、その前置きとして書きました。肝心のモノについては次回登場させます。

(この項つづく)