三丁目の星空2023年05月23日 07時50分30秒

先日、抱影の『少年天文学』(昭和24年、1949)という本を紹介しました。
あの本は単体で買ったのではなく、興にまかせて何冊か買ったうちの一冊です。


『少年天文学』と一緒に写っているのは以下の本。

■佐伯恒夫(著) 『天体と宇宙』(保育社の小学生全集57)
 保育社、昭和30年(1955)
■島村福太郎(編) 『月世界旅行』(日本児童文庫20)
 アルス、昭和29年(1954)

「日本児童文庫」というと、何だかお伽話っぽいですが、内容は月と宇宙旅行に関する科学読み物で、ただ冒頭にシラノ・ド・ベルジュラックの月世界冒険譚が、子供向けに再話されています。

いずれも児童・生徒向けの読本ですから、内容的にどうこういうほどのことはなくて、端的にいって「ジャケ買い」なんですが、いずれも素朴ながら、往時の少年少女の夢を感じさせる好い装丁だと思います。

外見だけだと何ですので、中身の方もチラッと見ておくと、こんな感じです。

(佐伯恒夫 『天体と宇宙』 より)

(同)

(島村福太郎 『月世界旅行』 より)

(同)

   ★

でも、「なるほど、単なるジャケ買いなんだね?」と念を押されると、やっぱりそれだけではないような気もしてきて、何となく自分の個人史に触れる感じというか、彼らが赤の他人ではない気がするのです。

これらの本は、年号でいうと昭和20~30年代に出たもので、私の子供時代(昭和40年代)よりも一昔前になります。ですから、ふつうに考えるとそれを懐かしむのは変な気もするんですが、でも考えてみると、昭和20~30年代の子供文化は、私の子供時代に完全に途絶えたわけではなくて、その一部はなお存続していました。そして、子供時代の私は、それらを「昔懐かしいもの」と認識していたはずです。

つまり、昭和20~30年代の子供文化は、「自身の懐かしい子供時代に、懐かしく感じられたもの」という意味で、「懐かしいうえにも懐かしい」「ノスタルジーの二乗」の存在なのです。

自分の経験を敷衍すると、「人は自分が生まれる10年ぐらい前の時代・文物に最も懐かしさを感じる」という仮説を提示できるのですが、皆さんの体験に照らしていかがでしょうか?

   ★

ちょっと話が横滑りしました。
そんなわけで、私はこれらの本に、いわば「魂のふるさと」を感じ、夕暮れの物干し台に寝そべって、瓦屋根の向こうに一番星を見つけ、これから始まる星のドラマをわくわくしながら待っていた自分――そんな実体験はありませんが――を思い浮かべるのです。

(3冊の裏の表情)