豆カメラ ― 2023年06月19日 06時29分43秒
クラフト・エヴィング商會のおふたりが営々と続けてこられた「架空の商品づくり」。
関連する本は多いですが、その中で『星を賣る店』(平凡社、2014)には、架空のモノと実在のモノが混在していて、両者が一体となってクラフト・エヴィング商會の世界を表現しています(この本は同年開催された、クラフト・エヴィング商會の展覧会図録を兼ねています)。
架空のモノというのは、「星屑膏薬」とか「雲砂糖」とか「バッカスのタロット」とかです。そして実在するモノというのは、「夜光絵具の広告」とか「煙草のピース缶」とか「『星を賣る店』の初版本」とかです。いずれも美しさと幻想性をそなえた「不思議なモノたち」というくくりなのでしょう。
で、架空の商品はどうしようもないんですが、ここに登場する実在の物には、少なからず食指が動きました。それが「星を賣る店」に至る通路のような気がしたからです。中でも大いに心を揺さぶられたのが「豆カメラ」です。
これぞ「オブジェの中のオブジェ」といえるもので、愛らしさとメカメカしさを同時に備えたその表情に惚れ惚れとします。
その流れで見つけたのが、この豆カメラです。
革ケースは幅6cm、カメラ本体だけだと幅5cmちょっとしかありません。
革ケースに捺された「MADE IN OCCUPIED JAPAN(占領下日本製)」の刻印が、その時代と素性を物語っています。
敗戦から1952年(昭和27)の独立にいたるまで、当時の日本はがむしゃらに物を造りましたが、中でも光学製品は当時、有力な輸出品でした(輸出先は主にアメリカです)。豆カメラももちろんその一部で、こちらはさらに進駐軍の兵士相手の土産物としても、大いに売れたらしいです。
豆カメラは数が作られたので、そんなに珍しいものではないと思いますが、これはアメリカからの里帰り品で、革ケースに加えて、外箱と「GRADE C」のラベルも付属しており、一層時代の証人めいて感じられました。
豆カメラは、当時いろいろな中小メーカーが手掛けており、手元のはTOKO(東洋光機)の「Tone(トーン)」という品です。このカメラについては、以下のページに詳しいですが、それによれば作られたのは1949~50年(昭和24~25)だそうです。
■見よう見まねのブログ:東洋光機Toneの調査
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繰り返しますが、このカメラ、とにかく小さいんですよね。
いかにも「ちょこなん」とした感じで、本当におもちゃみたいですが、それでもちゃんとカメラの機能と表情を備えているのが、健気で愛しいです。
この実用と非実用の、そして現実と非現実の間(あわい)を行く感じが、いかにもクラフト・エヴィング商會っぽいです。
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