夫は太陽を射落とし、妻は月へと逃げる2023年10月01日 08時03分55秒

(昨日のつづき)

羿(げい)はたしかに英雄ですが、女人に対しては至らぬところがあったらしく、妻に逃げられています。

羿は、西王母から不老不死の仙薬を譲り受け、秘蔵していたのですが、ある日、妻である嫦娥(じょうが)がそれを盗み出して、月まで逃げて行った…というのが、「嫦娥奔月(じょうがほんげつ/じょうがつきにはしる)」の伝説で、まあ夫婦仲がしっくりいってなかったから、そんなことにもなったのでしょう。

ただ、このエピソードは単なる夫婦の諍いなどではなくて、その背後には無文字時代から続く長大な伝統があるらしく、その意味合いはなかなか複雑です。いずれにしても、満ちては欠け、欠けては満ちる月は、古来死と復活のシンボルであり、不老不死と結びつけて考えられた…という汎世界的な観念が、その中核にあることは間違いありません。

嫦娥はその咎(とが)により、ヒキガエルに姿を変えられたとも言いますが、やっぱり臈たけた月の女神としてイメージされることも多いし、嫦娥自身は仙薬の作り方を知らなかったのに(だから盗んだ)、月の兎は嫦娥の命を受けて、せっせと杵で仙薬を搗いてこしらえているとも言われます。

この辺は、月面にあって無限に再生する巨大な桂の樹のエピソード等も含め、月の不死性に関わる(おそらくオリジンを異にするであろう)伝承群が、長年月のうちに入り混じってしまったのでしょう。そんなわけで、物語としては何となくまとまりを欠く面もありますが、中国では月の女神といえば即ち嫦娥であり、中国の月探査機が「嫦娥1~5号」と命名されたのは、記憶に新しいところです。

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嫦娥にちなんで、こんな品を見つけました。


この古めかしい箱の中身は、大型の墨です。



側面にある「大清光緒年製」という言葉を信じれば、これは清朝の末期(1875~1908)、日本でいうと明治時代に作られた品です(「信じれば」としたのは、墨というのは墨型さえあれば、後から同じものが作れるからです。)


裳裾をひるがえし、月へと急ぐ嫦娥。


提灯をかざして、気づかわしそうに後方を振り返っているのは、追手を心配しているのでしょうか。


その胸には1羽の兎がしっかりと抱かれています。
月の兎は嫦娥とともに地上から移り住んだことに、ここではなっているみたいですね。

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夫は太陽を射落とし、妻は月へと逃げていく―。
夫婦別れしたとはいえ、宇宙を舞台に、なかなかスケールの大きい夫婦です。「嫦娥X号」の向こうを張って、将来、中国が太陽探査機を打ち上げたら、きっと「羿X号」とネーミングされることでしょう(※)

なお、この品は「和」骨董ではありませんが、他に適当なカテゴリーもないので、和骨董に含めておきます。


(※)これまた中国神話に由来する「夸父(こほ)X号」が、すでに運用を開始しており(現在は1号機)、報道等でこれを「太陽探査機」と呼ぶことがありますが、正確には地球近傍で活動する「太陽観測衛星」であり、夸父自ら太陽まで飛んでいくわけではありません。

嫦娥の詩2023年10月02日 17時46分36秒

昨日のおまけ。

嫦娥の故事は、日本の民間習俗にはあまり…というか、ほとんど影響しなかった気がしますが、知識層はもちろん文字を通じてよく知っていたでしょう。中でも晩唐の詩人、李商隠(りしょういん、812-858)には、ずばり「常娥」〔=嫦娥に同じ〕と題する詩があり、彼はその耽美な詩風で日本にもファンが多かったらしいので、影響は大きかったと思います。

「常娥」は五言絶句の短詩で、その点も日本人好み。今、岩波の中国詩人選集に収められた高橋和巳注『李商隠』を参考に、当該詩を読んでみます。


 雲母屏風燭影深 (うんものへいふう しょくえいふかし)
 長河漸落暁星沈 (ちょうが ようやくおち ぎょうせいしずむ)
 常娥応悔偸霊薬 (じょうがまさにくゆべし れいやくをぬすみしを)
 碧海青天夜夜心 (へきかい せいてん よよのこころ)

起句 「雲母屏風燭影深 (うんものへいふう しょくえいふかし)」

「雲母の屏風」とは、注者によれば「半透明の雲母を一面に貼りつめた屏風」とのことですが、一寸分かりにくいですね。おそらく下のページで紹介されている「窓」と似た、白雲母を枠にはめて屏風としたものと思います。あるいは家具調度としての屏風ではなく、卓上に置かれた小型の硯屏(けんびょう)を指すかもしれません。いずれにしても、そこに蝋燭が深い影を落としているというのです。

The Earth Story: Mica Windowより。画像はロシアで作られた白雲母製の窓)

承句 「長河漸落暁星沈 (ちょうが ようやくおち ぎょうせいしずむ)」

「長河」は銀河のこと。「漸く落ち」は、文字通り地平線近くに傾く意にも取れますが、次の「曉星沈む」と対になって、ともに薄明の中にぼんやり消えていく様をいうのかもしれません。一晩中蝋燭を灯し、星を眺め続けた男(作者)の夜想も、ようやくこれで一区切りです。

転句 「常娥応悔偸霊薬 (じょうがまさにくゆべし れいやくをぬすみしを)」

これぞ嫦娥奔月の故事。ここでは自分を裏切った恋人と嫦娥の姿を重ねて、「彼女もきっと今頃、自分の振る舞いを後悔しているにちがいない…」と、いくぶん未練がましい想像をふくらませています。

結句 「碧海青天夜夜心 (へきかい せいてん よよのこころ)」

注者の訳は、「青々と広がる天空、その極みなる、うすみどりの空の海原、それを眺めつつ、夜ごと、常娥は傷心してるに違いない。私を裏切った私の懐かしき恋人よ。君もまた〔…〕寒々とした夜を過ごしているのではなかろうか。」

月から見下ろせば、地上は空という名の海の底に他ならず、その海はときに青く、ときに薄緑を帯びて見えるという、いわば宇宙的想像力の発露ですね。まことに凄美な句です。もちろん、その「夜夜の心」は、空を見上げる男の心の投影でもあります。

(Pinterestで見かけた出所不明のコラージュ画像)

天空の美と人の心の陰影を巧みに重ねた名詩として、私も今後大いに愛唱したいと思います。


【おまけのおまけ】

このブログは個人のブログですから、つまらない自分語りをしても許されるでしょう。
「玉青」というのは私の本名ですが、その由来ははっきりしません。「昔、ある国に3人の王子がいて…」で始まる物語を、幼い日に聞かされたような気もします。そして、末の王子が手に入れた青い玉がどうとかこうとか…というのですが、すでに両親も亡くなり、今では詳細を確かめようがありません。

今回、李商隠の詩集を開き、注を担当した高橋和巳――あの作家の高橋和巳です――による解説を読んで、少なからず衝撃を受けたことがあります。李商隠の詩には、雅俗とりまぜた文学的引用が甚だ多く、その典拠を知らぬ者にはチンプンカンプンで、後世の注釈者泣かせであることについて解説した箇所です。

 「…李商隠がなぜかくも夥しい故事をつらねて詩を構成したのかと質問されるなら、李商隠の方法にならって、次のように答えたく思う。フランスのある寓話に、ある貧しい少年が、魔法使いから一つの青い玉を授かった話がある。その玉は、耐え難い不幸に襲われた時に覗くと、世界の何処かで、いま自分が経験するのと同じ不幸を耐えている見知らぬ人の姿が浮んでくる。その少年は、その玉を唯一の富とし、その映像にのみ励まされて逆境に耐えてゆく。李商隠が夥しい故事を羅列するとき、それは概ね、彼の意識に浮んだ青い玉の像だと解してよい。」
(pp.21-22)

うーむ…と、しばし瞑目しました。まあ齢を重ねたから、この話にひどく感動したのかもしれません。いずれにしても、今後「玉青」の由来を聞かれたら、私はこの話を披露しようと思います。亡き両親もあえてそれを否定することはないでしょう。私は今、私自身の創造者になろうとしているのです。

景気のいい話2023年10月07日 18時11分46秒

この円安で、多くの人が苦しんでいます。
とりわけ、海外から直接モノを買い入れてナンボという人は、それが商売であれ、趣味の領域であれ、大変な苦境に陥っていることでしょう。そこに輸送費の高騰が追い打ちをかけて、私も最近は「君たちはどう生きるか」と自問を続ける毎日です。

先日届いた本が、カタログの記載よりも、収録図版数が大幅に少なくて、今、先方とややこしいことになってるんですが、そんなことでゴタゴタするのも、結局は懐が貧しいからで、昔から「金持ち喧嘩せず」とはよく言ったものです。

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あまり貧乏じみた話ばかりでも何ですから、ちょっと景気のいい話をします。
今から7年前に、17世紀に出た星座トランプについての記事を書きました。


天文トランプ初期の佳品: ハルスデルファーの星座トランプ(1)

記事は同(2)(3)と続いて、最後に「補遺」を書いて、都合4回で完結しました。
このうち「補遺」というのは、この珍しいトランプがサザビーズのオークションに登場したことを話題にしたもので、自分は「この星座トランプ。販売当時は安かったかもしれませんが、今では相当なことになっていて、サザビーズによる評価額は1万~1万5千ポンド。ポンド安の今でも126万~190万円に相当します。実際の落札額は不明ですが、価格だけ見れば、今や本家・バイエルの星図帖に迫る勢いです。」と書いています。しかも今のレートだと、その評価額は183万~274万円に跳ね上がるのですから、ため息しか出ません。

で、今回、同じトランプがeBayに出品されているのを見て、おっ!と思いました。


「同じ」といっても、サザビーズで落札されたのが巡り巡ってeBayに出たわけではありません。サザビーズに出品されたのは、星座を構成する恒星の脇に、元の持ち主がバイエル符号をペン書きしていましたが、今回の品にはそういう書き込みがありません。しかも、当時のオリジナルの革ケースに収まっているという大珍品です。

スタート価格は16,000ユーロ、日本円にして253万円。
ちょうどサザビーズの以前の評価額と同じ価格帯ですね。ただしサザビーズだと、落札者がサザビーズ側に多額の手数料(バイヤーズ・プレミアム)を払わないといけないので、それを考えると今回のほうが大分お得です。

しかも、この品は先日期限までに入札がなかったため、今回再出品になったもので、今回もスタート価格で落札できる可能性は高く、しかも「価格応談」となっているので、実際はもっと安い価格で入手できるかもしれません。

…と、まことに景気のいいことを言っていますが、もちろん私にそんなお金があるわけはありません。でも、ほんの10年ちょっと前だったら、1ユーロが100円を割り込んでいたので(本当に嘘みたいな話です)、当時のレートなら、今より100万円も安く買えたのになあ…とは思います。


でも考えようによっては、1ユーロが200円を付けていた時期もあるし、今後もそうならない保証はないので、それを考えれば、今のこの価格でもまだまだ十分お買い得かもしれんぞ…と脳天気に考えてみると、何となく景気のいい感じが漂ってこなくもないです。(あくまでも感じだけですが。)


【補足】 この品に誰も入札しなかったのは、普通ならちゃんとしたオークションハウスに登場すべき品が、eBayにポンと出てきたのが、そもそも不審だし、出品者であるドイツの人が自己紹介欄に何も記載せず、これまでにわずか4つのフィードバックを獲得しただけという、完全に謎の人だから…というのが大きいと想像します。

プラネタリウム100年2023年10月08日 23時03分18秒

プラネタリウム100年を追体験するため、遅ればせながら地元の名古屋市科学館に足を運びました。


■企画展「プラネタリウム100周年」
○期間 : 2023/9/26(火)~ 2023/10/22(日) 9:30~17:00(入館16:30まで)
     休館日 10/9(月・祝)を除く月曜日、10/10(火)、10/20(金)
○場所:名古屋市科学館 天文館5階「宇宙のすがた」
○公式サイト:LINK

同館にはいわば「常設展」として、昔の投影機の展示も以前からあるのですが、こういう機会に眺めると感慨もひとしおで、改めてすごい迫力だと感じ入りました。

(名古屋市科学館プラネタリウムの先代機、ツァイスⅣ型)

(かつて愛知県東栄町の御園天文科学センターに設置されていた金子式プラネタリウム)

天体望遠鏡と並んで、プラネタリウムは星空への憧れが凝縮された装置です。
ただし、天体望遠鏡が「野生の星たち」の生態を観察する道具であるのに対して、プラネタリウムは「飼育環境下の星たち」を学習/鑑賞するためのものという違いに加え、有り体に言えば、それは星ですらなく、単なるその似姿にすぎないんですが、人々の星ごころの発露という点では両者甲乙つけがたく、その進化の歴史は多くの人間ドラマに満ちています。



かつて幾人のプラネタリアンが、この操作盤に手を触れたことでしょう。
その解説の声に耳を傾けた人々のことを想像すると、何だか無性に愛しさが募ります。



会場には、名古屋市科学館に納入された「ツァイスⅣ型263番機」の、貴重な設計図面も展示されていました。古風な青焼きから、往時の技術者の肉声が聞こえてくるようです。



プラネタリウムの歴史を説く壁面投影のスライドショーも充実しています。


「医薬品、光学機器の興和(Kowa)が2台だけ作った伝説・幻の早すぎたプラネタリウム」、「その後、あっさり製造打ち切り」――この辺の口吻は、何となく公立科学館のお行儀の良い解説を逸脱した、純粋なプラネタリウムファンのコメントのような趣があって、好感度大。


こちらは小型ホームプラネタリウムの展示です。同じ条件で実際の投影像を比較できるのは貴重な機会で、購入を考えている人には大いに参考になるでしょう。

(個別に撮った写真を並べたもので、実際の並び順とは違うかもしれません。)


これも常設展示ですが、ツァイスの光学式プラネタリウムに先立つこと約140年、18世紀後半に作られた、世界最大・最古の機械式プラネタリウム「アイジンガー・プラネタリウム」のレプリカです。


その脇には、オランダの時計メーカー、クリスティアン・ヴァン・デル・クラーウ【LINK】 が制作した「ロイヤル・アイゼ・アイジンガー リミテッドエディション」が展示されていて、「おお、これが」と思いました。といってもムーブメントのない外身だけですが、実物は世界に6つしかない、1000万円超えの逸品だそうですから、そう滅多矢鱈に展示できるものではありません(でも、明石の天文科学では今年6月に、その紛れもない実物が展示された由↓)。


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こうして展示をゆっくり見てから、現役のプラネタリウムを鑑賞し、豊かな気分で家路につきました。一口にプラネタリウム100年といいますが、アイジンガーのことまで勘定に入れると、その歴史は250年にも及ぶわけで、これはウィリアム・ハーシェルに始まる現代天文学の歴史とちょうど重なります。1年前にハーシェル没後200年展が同じ会場であったことなども、道々ゆくりなく思い出しました。

仙境に遊ぶ2023年10月09日 13時09分15秒

昨日のおまけ。
名古屋市科学館を出た私は、実はそのまま帰宅せず、お隣の名古屋市美術館を訪ねました。そこでの経験も書いておきたいと思います。

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同美術館では11月9日(日)まで、「福田美蘭『美術ってなに?』」展が開催されています【LINK】。

福田美蘭氏(1963- )は、童画家の林義雄(1905-2010)を祖父に、グラフィックデザイナーの福田繁雄(1932-2009)を父に持つ現代美術家。具象に徹しながら、単なる「画家」の枠組みを超えた、父・繁雄氏ゆずりの機智と奇想にあふれた作品を次々と発表されている方のようです。今回の展覧会も、そのタイトルから分かるように、美術というものをメタの視点から捉え返した、いい意味でのケレンに富んだ作品ばかりで、とても見ごたえがありました。

中でも、私がピタッと足を止めた作品があります。


それは見上げるように大きな山水画でした(作品名は確認しそびれました)。


峨々たる岩山がそびえ、それを取り巻くように楼閣や亭舎が立ち、急峻な道を往く人々が点景として描かれているという、典型的な山水画なのですが、実はその世界が一個の石から生み出された…というのが、この場合の機智です。


それは子供の手のひらほどの小さな飾り石。


しかし、じーっと見ているうちに、石はぐんぐんと大きく、そして自分は小さくなっていき、いつの間にか自分が画中に入り込んでいるような錯覚を覚えます。

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こういう東洋的な弄石趣味は、理科趣味的な鉱物愛とは、同じ愛石といってもベクトルの向きが真逆のような気もします。稲垣足穂は名作「水晶物語」の中で、前者を「どこかの隠居さんが、ただその形とか色合いとかによって、出鱈目な名をつけて置物にしているような青石」と激しく嫌悪しました。

ただ、この場合は、スベっこい美石を床の間に飾って悦に入るような感性とは、また一寸違ったものがあるような気もします。石の世界は基本的にフラクタルな世界なので、小さな岩石片から巨大な岩山を連想したり、あるいは逆に鉱物の劈開面からミクロの結晶世界を想像したり…という楽しみがあります。かつての自分は、小さな水晶の群晶を見て、水晶山を越えていく人を想像したりしましたが、それはやっぱり理科趣味に発するものだし、そこには時計荘・島津さゆりさんの作品世界にも通じるものがある気がします。


そして東洋趣味といえば、私も最近妙に東洋づいているので、ここは福田氏をまねて、自分だけの仙境を机上に現出せしめるべく、今いろいろ算段をしています。その結果については、後刻記事にします。

続・仙境に遊ぶ2023年10月13日 18時32分56秒

海の向こうの本屋と揉めている…と、以前チラッと書きました。
あの件は実はまだ揉めていて、結局、PayPalの買い手保護制度を利用することにしました。ここまで話がこじれることは稀なので、同制度の利用は今回で2度目です。

相手だって、大抵は常識を備えた人間ですから、どんなトラブルでも話し合いが付くのが普通です。でも、今回は先方が謎のロジックを延々と展開するので、それ自体興味深くはありましたが、途中でこれはダメだと匙を投げました。

それにしても交渉事は消耗します。
しかも慣れない英語ですから、翻訳プログラムを援用しても、やっぱり骨が折れます。そんなわけで、記事の間隔が空きましたが、もうあとはPayPal頼みなので、記事の方を続けます。

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福田美蘭氏の作品に触発されて見つけた私だけの仙境、それがこの1個の石です。


石を飾るときは、木の台座をカスタムメイドするのが通例らしいですが、ここでは浅い青磁の香炉を水盤に見立てて、盆石風に据えてみました。


まあ、伝統的な水石趣味の人に言わせると、これは単なる駄石でしょう。
岩の質が緻密でないし、色つやも冴えないからです。

でもこれを見たとき、かつて見た昇仙峡の景色を思い浮かべ、これこそリアルな岩山だと思いました。モデラーに言わせれば、この冴えない岩肌こそ「ウェザリングが効いている」んじゃないでしょうか。それに山容がいかにも山水画に出てきそうだし、いっそ海中にそびえる霊峰、「蓬莱山」のようだとも思いました。


あの辺りを鶴の群れが飛び、その脇で仙人が碁でも打ってるにちがいない。
あそこには庵があって、戦乱を逃れた隠者が住んでいるんじゃないだろうか。
夕暮れ時には、杣人があの麓の道を越えてゆくのだろう…。
――これこそ、私にとっての仙境だと思いました。

それにこの石は、どこから見ても、それぞれに山らしい表情をしています。


…とまあ、只同然で手に入れた石をえらく褒めちぎっていますが、こういうのは見る人次第ですから、私自身が仙境と思えば、それはすなわち仙境なのです。

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「自分だけの世界」ということで、唐突に思い出した作品があります。

三浦哲郎作 「楕円形の故郷」(1972)。

中学卒業とともに青森から上京し、職を転々としている青年が主人公です。
彼は工場勤務のとき、機械で指を切断してしまい、今は荷物運びの助手をしながら、辛うじて生活しているのですが、その彼の唯一の慰めは、同郷の女友達と会って話をすることでした。でも、いつまでも田舎じみた彼を、彼女は疎ましく思い、次第に遠ざけられてしまいます。そんな孤独の中、ひょんなところで出会った以前の同僚から、寄植えの盆栽を見せられて、彼はハッとします。

 「それは皿のように平たい楕円形の鉢に、片側を高く、片側を低く、全体として小高い台地のように土を盛りつけ、一面の苔を下草に見せている二十本ほどの寄植で、それが郷里の村にある櫟(くぬぎ)林の、南はずれの様子にそっくりなのだ。彼はそれを一と目見て、ぎくりとして動けなくなった。」

(Pinterestで見かけた寄植。https://www.pinterest.jp/pin/985231160218811/

その盆栽を気前よく託された主人公は、毎晩それを眺めながら、夢想の世界に入り込むようになります。

 「まず、苔の斜面を草地だと思うことにして、そこに寝そべっているちいさな自分を空想する。〔…〕それをじっと見詰めているうちに、ソロの林がだんだん膨れ上ってきて、やがて自分を呑み込んでしまう。林の梢を渡る風の音がきこえてくる。川の瀬の音がきこえてくる。小鳥の声がきこえてくる。遠くから脱穀機の唸りもきこえてくる。寺の鐘も鳴っている…。それから、おもむろに目を開ければ、そこはすでに見上げるような林の中だ。青く晴れ渡った空に、葉を落としたソロの梢が網の目のように交錯している。」

この「楕円形の故郷」という作品を、私は創元の『日本怪奇小説傑作集3』で読みました。これが怪奇小説と呼ばれるわけは、その哀切で奇妙な結末のせいですが、こういう「箱庭幻想」は私の中にも強烈にあって、福田美蘭氏の作品の前で釘付けになったのも、たぶん同じ理由だと思います。

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無意味な諍いや、血みどろの戦のない世界を、せめて心の中に持ち続けたい…。
たとえ後ろ向きの考えと言われようと、それぐらいの自由は、人間誰しも享受して然るべきだと思います。

金緑の古星図2023年10月14日 18時29分09秒

これまた東洋趣味の発露なんですが、韓国郵政(Korea Post)が2022年に、こんな美しい切手シートを出しているのを知りました。

(左側の円形星図の直径は約14cm)

切手といっても、ミシン目のある昔ながらの切手ではなく、最近はやりの「切手シール」による記念シートです。

テーマとなっているのは、朝鮮で作られた古星図、「天象列次分野之図」
同図には、李氏朝鮮の初代国王・太祖の治世である1396年に制作(石刻)された「初刻」と、それを第19代国王・肅宗の代(1674-1720)に別の石に写した「再刻」があり、いずれも現存します。この切手のモデルになっているのは、後者の再刻のほうです。

(奈良文化財研究所 飛鳥資料館発行『キトラ古墳と天の科学』より)


世上に流布しているのは、「原本」にあたる碑石から写し取った拓本ですが、その墨一色の表現を金彩に変え、輪郭線のみだった銀河を金緑で満たしたのは鮮やかな手並みで、なかなか美しい仕上がりです。



印刷精度も良好で、すぐ上の画像は、左右幅の実寸が約65mmしかありません。


私は面倒くさがりなのでやりませんが、これは額装して飾ってもいいかもしれませんね。


【参考】 天象列次分野之図については、以下に詳しい説明がありました。

■宮島一彦「朝鮮・天象列次分野之図の諸問題」
 『大阪市立科学館研究報告』第24号(2014)、 pp.57- 64. 

碧い彗星を見上げて2023年10月15日 10時42分13秒

イスラエルの人から何か物を買ったことがあるかな?…と思って調べたら、買ったのはイギリスの人でしたが、イスラエル製の彗星ブローチを見つけました。


孔雀石をメインに、繊細な銀線細工を施した美しいブローチです。


売り手の人は、ミッドセンチュリーの品ではないかと言ってたので、第2次大戦後にイスラエルが建国されたしばらく後に、彼の地で作られたものと想像します。

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今回のイスラエルとハマス件で、改めてイスラエル問題の輪郭を知ったという方も多いでしょう。私にしても、それほど明瞭なイメージを描けていたわけではありません。

ナチスの暴虐によるホロコーストの悲劇と、新たな希望の地としてのイスラエル建国。アラブとイスラエルの対立による数次の中東戦争。あるいは一挙に時代を遡って、旧約時代のエピソードの数々…。そんなものがぼんやり重なって、私の中のイスラエルイメージはできていました。でも、そこには旧約の時代と第2次大戦後の時代に挟まれて、膨大な空白の期間があります。

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イギリスで1871年に発行された地図帳を開いてみます。


この地図の中で色が付いているのは、「Turkey in Asiaアジアにおけるトルコ」、すなわちオスマン帝国の版図です。「アジアにおける…」というのは、この地図帳にはもう1枚、「ヨーロッパとギリシャにおけるトルコ」という地図があるからで、当時のオスマン帝国はアジアとヨーロッパにまたがる広大な領土を誇っていました。


少し寄ってみます。今のイスラエルも当時はオスマン領内で、その「シリア地方」の一角を占めていました。


もちろん、エルサレムもガザもその一部です。

こうして近世以降、トルコ一強で固められた中近東でしたが、この大帝国もクリミア戦争(1853-1856)後の経済的疲弊と、相次ぐ国内の政治的混乱によって、半植民地化の進行がとまらず、特に第1次世界大戦(1914-1918)の最中、イギリスの後押しで蜂起したアラブ民族独立闘争を受けて――アラビアのロレンスのエピソードはこのときのことです――結果的にパレスチナがイギリスの委任統治領になった…というのが、その後の歴史を大きく左右したらしいのですが、この辺の叙述は、たぶん大部な書物を必要とすることでしょう。

まあ、イギリスばかり悪者にするのはアンフェアかもしれませんが、当時のイギリスが関係各国と後ろ暗い密約を重ねていたのは事実だし、はた目に「火事場泥棒」や「焼け太り」と見えるのも確かです。

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今、彼の地の上空を一個の見えない彗星が飛んでいます。


ガザの人々にとって、この彗星は紛れもなく凶星でしょうし、多くのイスラエルの人にとってもそうかもしれません。

でも、孔雀石の石言葉は「魔除け」、そして「癒し」と「再会」だそうです。
どうか人間の心が、獣性によって蹂躙されることのありませんように。
そして、子どもたちの屈託のない笑顔が再び見られますように。

今はひたすら祈るような気持ちです。

赤い巨人との対話2023年10月29日 12時28分38秒

閑中自ずから忙あり―。
いろいろゴタゴタして、ブログも放置状態でした。でも、昨日とても嬉しいお便りをいただいたので、これはぜひ文字にせねばなりません。内容は本格的な天文学に関するもので、お便りの主は変光星観測家の大金要次郎氏です。

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今、冬の巨人オリオンは、午後10時頃に東の大地からゆっくりと姿を現します。そして高々と南中するのは午前3時頃。これから寒さが募るにつれ、オリオンは徐々に「早起き」になり、見頃を迎えます。

オリオン座の特徴的なフォルムの左上――星座絵だとオリオンはこちら向きの姿に描かれるので、その右肩に赤く輝くのが超巨星ベテルギウスです。これは宇宙全体を見渡しても堂々たる巨人で、仮にベテルギウスを太陽の位置にもってくると、木星軌道まですっぽり飲み込まれてしまうと聞きます。

星の一生の終末期にある、この老いた巨人は、明るさが変化する変光星としても知られます。ウィキペディアの「ベテルギウスの項」に掲載された写真↓を見ると、なるほど確かにずいぶん変るものです。

(左は0.5等級で輝く通常運転のベテルギウス(2012年2月22日撮影)。右は2019~2020年にかけて1.6等級まで大きく減光した際の姿(2020年2月21日撮影)。H.Raab氏による同一撮影条件の比較像)

ベテルギウスがバイエル符号では「オリオン座α星」と呼ばれ、その対角で輝くリゲル(0.1等級)が「オリオン座β星」に甘んじているのも、バイエルが生きた17世紀初頭には、実際ベテルギウスの方がリゲルよりも明るかったせいではないか…とも推測されています。(リゲル自身も小幅ながら光度が変動する変光星です。)

大金氏からのお便りには、氏が20年以上にわたって、ベテルギウスの光度測定を継続され、それを論文にまとめられたことを称えて、「2022年度日本天文学会天文功労賞」が授与されたことが記されていました。

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星の光度測定と聞くと、門外漢は測定器を星に向けて「ピッ」とやれば、それで終わりと思うかもしれませんが、これはなかなか容易な作業ではありません。

星の明るさは、もちろん星自身の変化で生じる場合もありますが、同時に空の状態によっても大きく変化します。後者の影響を除くには、明るさが恒常である基準星を同時に観測して、それをもとに結果を補正しなければなりません。大気減光の影響を除くため、高度に応じた補正も必要です。

また一口に「星の明るさ」といっても、それはどの波長のことを言っているのか、厳密な定義が必要です。赤い星と青い星では輝いている波長が異なり、また色味によって人間の目の感度も違ってきます。この問題は人間の目を機械の目に置き換えても同じことで、装置によって各波長に対する感度は違うので、測定値から「真の光度」を得るには、複数のフィルターを使って、光を波長域別に分けて観測するという手間が必要です(大金氏は紫外域から赤外域に至る範囲を5つの波長域に分けて観測されています)。

その上で初めて光度変化を論じることができるわけで、そうした骨の折れる作業を長年継続することは、文句なしに大変な作業です。そして、大金氏の観測結果で最も価値が認められたのは、現在観測機器の主流になっているCCDやC-MOSと云われる検出装置では観測がしにくい紫外域の観測が長期にわたって行われた点にあるとされています。

大金氏自身によるこれまでの経過報告は、以下で読むことができます。

■大金要次郎 「ベテルギウスの5色測光を続けて」
 『天文月報』 2023年11号, pp.591-597.
 
https://www.asj.or.jp/jp/activities/geppou/item/116-11_591.pdf


【10月29日付記】 本稿掲載後、大金氏ご自身から頂戴したコメントに基づき、上記の文面を一部修正しました。

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大金氏は『天文月報』への寄稿文中、「ベテルギウスの測光観測をしようとした当初の目的は、変光周期が諸説あって不確定であったことについてこれを確定してみたいということにありました」と述べておられます。

しかし、ウィキペディアの「ベテルギウス」の項を見ると、以下の記述が目に飛び込んできます。「ベテルギウスの明るさの変化は、1836年にジョン・ハーシェルによって発見され、1849年に彼が出版した著書『天文学概要』(Outlines of Astronomy)で発表された。」

さっそく問題の『Outlines of Astronomy』(1849年初版)を開くと、果たしてp.559にそのことが出ています。

(p.558から続く表の後半部。最上段に「α Orionis」、すなわちベテルギウスが見えます)

そう、ベテルギウスの光度変化の発見こそ、天文一家ハーシェル家の二代目、ジョン・ハーシェル(1792-1871)の偉業の一つに数えられているものなのです。そして、大金氏も私も日本ハーシェル協会の会員であることから、今回お便りを頂戴したわけで、全てはハーシェルの導きにほかならず、私が今回の吉報をいっそう嬉しく思ったのもその点でした。

なお、ここでハーシェル協会員としてこだわると、ベテルギウスの変光が発表されたのは、ウィキペディアが言うように1849年ではなく、1840年のことです。以下はギュンター・ブットマン著 『星を負い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』(産業図書)より。

 「1840年春、彼〔ジョン・ハーシェル〕はある発見で世界中の天文学者を驚かした。それは空で最も目立つ天体に関する発見だったが、不思議なことに今まで全ての天文学者が見逃していた。すなわち彼はオリオン座α星・ベテルギウスが、周期的に光度を変える長周期変光星であることを発見したのである。」(pp.146-7)

その出典として挙がっている、ジョン・ハーシェルのオリジナル論文は以下です。

■J.F.W. Herschel, “On the variability and periodical nature of the star Alpha Orionis,” Memoirs of the Royal Astronomical Society, 11, 269-278 (1840) ; Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 5, 11-16 (1839-43).

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今年の冬は、オリオンの右肩の見え方も、個人的に少なからず変わるでしょう。
宇宙のスケールでいえば、間もなく訪れるベテルギウスの「死」。
人間のスケールでいえば、私がこの世界から消滅するのも、そう遠くないでしょうが、それまでの間、しばし赤い巨人と向き合って、四方山の話をしたいと思います。