かわいい天文学者とパリのカフェ ― 2024年09月01日 13時36分41秒
かわいい紙ものを見つけました。青いドレスの女の子が熱心に望遠鏡をのぞき込んでいるそばで、昔の天文学者風の男の子が「紙の星」を揺らして、女の子の興味を引きつけています。いかにもほほえましい絵柄。
この品の正体は、昔のメニューカードです。
パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の脇に1862年開業した、老舗の「グラン・ホテル」(※)。現在はインターコンチネンタルの傘下に入り、「インターコンチネンタル・パリ・ル・グラン」となっていますが、その一角、ちょうどオペラ広場に面して今も営業しているのが、多くの文化人に愛された「カフェ・ド・ラ・ペ(Café de la Paix)」で、1878年のある日のランチメニューのカードがこれです。
(Google ストリートビューより。正面がオペラ座、左のグリーンの日除けの店がカフェ・ド・ラ・ペ)
メニューカードというのは、当日記念に持ち帰る人も多く、それが時を経て紙ものコレクターの収集対象となり、eBayでも古いもの、新しいもの、いろいろなカードが売られているのを見かけます。
カードの周囲に目をこらせば、ディナーは6フラン(ワイン代込み)、ランチは4フラン(ワイン、コーヒー、コニャック代込み)とあって、気になる献立はというと、その内容は裏面に記載されています。
1878年11月16日(土曜日)の午餐に供されたのは、以下の品々。
…といって、私にはまったく分からないんですが、ネットの力を借りて適当に書くと(違っていたらごめんなさい)、まずブルターニュの牡蠣に始まって、白身魚のフリット、オマールエビのマヨネーズ添え、ステーキとポテトのバターソース添え、鶏レバーの串焼き、キドニーソテーのキノコ添え、もも肉ローストのクレソン添え、ほうれん草入りハム、インゲンのバター風味、冷製肉、半熟卵、スクランブルオムレツと来て、最後にデザート。19世紀のフランス人は(今も?)だいぶ健啖なようですね。
ワインもお好みでいろいろ。料金4フラン(たぶん今の邦貨で1万円ぐらい)にはワイン代も含まれていたはずですが、こちらはグラスワインとは別に、ボトルを頼んだ時の別料金でしょう。
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さて、飲み食いの話ばかりでなく、肝心の望遠鏡について。
そもそもランチメニューの絵柄が、なぜ望遠鏡なのか?
そこに深い意味があるのかどうか、とりあえずメニューの内容とは関係なさそうですね。この日、何か天体ショーがあって、それにちなむものなら面白いのですが、にわかには分かりません。この年の7月にアメリカで壮麗な皆既日食があり、天文画の名手、トルーヴェロ(Etienne Leopold Trouvelot、1827-1895)が見事な作品↓を残していますが、季節も国も違うので、これまた関係なさそうです。
(出典:ニューヨーク公共図書館
あるいは全然そういうこととは関係なく、単に見た目のかわいらしさだけでこの絵柄となった可能性もあるかなあ…と思ったりもします。というのは、これと全く同じ絵柄を別のところでも目にしたことがあるからです。
右側に写っている一回り小さいカードは以前も登場しました。
■紙の星
こちらはパリの洗濯屋の宣伝カードで、洗濯屋と望遠鏡ではそれこそ縁が薄いので、これは完全に見た目重視で選んだのだと思います。
こういう例を見ると、この種のクロモカードの製作過程も何となく想像がつきます。つまり、この種のカードはカスタムメイドのオリジナルではなく、出来合いの印刷屋の見本帳を見て、「今回はこれで…」とオーダーする仕組みだったんじゃないでしょうか。
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同じ絵柄のカードを2枚買うのは無駄かとは思いましたが、洗濯屋よりはカフェの方がはるかに風情があるし、常連だったというゾラ、チャイコフスキー、モーパッサンらが、この日カフェ・ド・ラ・ペを訪れていた可能性も十分あるので、ベルエポックのパリで彼らと同席する気分をいっとき味わうのも、混迷を深める現世をのがれる工夫として、悪くないと思いました。
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(※) フランス語の発音だと「グラン・オテル」だと思いますが、ここでは「ホテル」とします。オペラ座やグラン・ホテルを含むこのエリアは、19世紀のパリ改造によって建物がすっかり建て替わった地域で、時系列でいうと、グラン・ホテルのほうがオペラ座(1874年竣工)よりも先に完成しています。ちなみに、カードにはグラン・ホテルに隣接する、これまた老舗の「ホテル・スクリーブ」の名も併記されていて、今では全然別経営だと思うんですが、当時は「グラン・ホテル別館」の扱いだったようです。
夏を送る ― 2024年09月05日 19時20分14秒
今日は明るいうちに家路につき、1つ手前の駅で下りて、散歩しながら帰ってきました。こんなふうに寄り道をするのは久しぶりです。半月前だったら熱死は必至だったでしょう。
雄大な入道雲と、刷毛目の立った筋雲が並んで浮かぶ空。
今頃になって盛んに鳴き出したツクツクボウシの蝉しぐれ。
そんな晩夏の色と音を感じながら、あの猛暑を我ながらよく生き延びたなあ…としみじみしました。
(これは今日ではなく、先週見た空)
まあ、しみじみする一方で、いつの間にか今年も残り少なくなってきたことに焦りも感じますけれど、何はともあれ今は秋の訪れを素直に喜びたいと思います。
明後日は二十四節気の「白露」。朝晩めっきり涼しくなってくる時分ですね。
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記事の方はいろいろ文字にしたい事柄も多いですが、気力・体力と相談しつつ、のんびりいくことにします。
蟹と月 ― 2024年09月06日 18時14分29秒
以前、こんな星座絵を載せたことがあります。
■星座絵のトランプ
この絵を見て、「かに座と月がペアで描かれているのはなぜだろう?」と疑問に思いましたが、西洋占星術の世界では、月はかに座の「支配星(Ruling Planet)」と考えられているからだ…と、そのときは自分なりに答を出しました。
この蟹と月の関係を、別の角度から考えてみます。
★
蟹の産卵行動と月の関係はよく知られています。
陸棲や半陸棲のカニ類(アカテガニ、ベンケイガニ、オカガニ等)が、満月の晩に群れをなして海岸に押し寄せ、波打ち際で産卵する光景は、夏の風物詩としてニュースになったりもします。
これほど顕著でもなく、また事実かどうかはっきりしませんが、蟹と月の関係については、昔からいろいろなことが言われています。
「ガザミは、月夜に群れをなして泳ぐことから月夜カニとも呼ばれます。ところで、“月夜の蟹”ということわざをご存じでしょうか?このことわざは、月夜の蟹が月光を恐れて餌をとらないために痩せて身がないことから、中身がないことを意味します。」(「みやぎ水産の日だより 2018年6月号」より)
(ガザミ(ワタリガニ)。ウィキペディアより)
上の一文は、宮城県の発行物から引用させていただきました。
さらに、お隣の山形県が発行している水産情報紙にも、面白いことが書かれていました。「蟹は満月の夜に脱皮する」という説を耳にした水産試験場の研究員さんが、職場で飼育しているガザミとヒラツメガ二で、実際に調べてみた結果です。
「満月」、「新月」、「その他」の3区分で、脱皮個体数を調べてみると、いずれも「その他」に脱皮する個体がいちばん多くて、蟹は満月(あるいは新月)の日にだけ脱皮するということはないのですが、しかし1日あたりで比較すると、ガザミは新月の日に、ヒラツメガニは満月の日に脱皮する個体が確かに多く(前者は2倍以上、後者は6倍以上)、やはり月相と脱皮には何か関係がありそうだ…という結果が得られました。
(出典:「すいさん山形 平成23年3月号」)
(出典:同上)
幼生期も含め、浅海で暮らす蟹の仲間は、干満の影響を強く受けるので、その生態が間接的に月相と関連していることは大いにあり得ることです。蟹と月をめぐる古俗や伝承も、あるいはそんなところに端を発しているのかもしれません。
★
さて、ここまでは話の前振り。
蟹と月にプラスして、さらにもう一つの「あるもの」の関係について考えてみよう…というのが、今回の話の中心です。
(この項つづく)
蟹と月と琴(前編) ― 2024年09月07日 08時14分22秒
昨日書いた「あるもの」とは琴です。
最初それに出会ったのは、「日輪と月輪―太陽と月をめぐる美術」展(サントリー美術館、1998)の図録上でしたが、そちらの図版はモノクロなので、所蔵者である東京国立博物館のサイトから画像を一部トリミングして転載します。
以下、同ページの作品解説より。
「蟹琴蒔絵硯箱(かにことまきえすずりばこ)
黒漆塗の地に金の高(たか)蒔絵で蟹と琴を描いた硯箱。蟹の目には金鋲(びょう)をうち、雲に金銀の切金(きりかね)を置き、月は銀の板を切り抜いた平文(ひょうもん)で表わすなど、大胆な図柄でありながら、様々な技巧が凝らされている。桃山文化期にも、伝統様式の蒔絵が存続していたことを示す一例である。」
黒漆塗の地に金の高(たか)蒔絵で蟹と琴を描いた硯箱。蟹の目には金鋲(びょう)をうち、雲に金銀の切金(きりかね)を置き、月は銀の板を切り抜いた平文(ひょうもん)で表わすなど、大胆な図柄でありながら、様々な技巧が凝らされている。桃山文化期にも、伝統様式の蒔絵が存続していたことを示す一例である。」
時代は「江戸時代・17世紀」となっていますが、解説には「桃山文化期」ともあるので、まあ江戸の最初期の作品なのでしょう。
何だかシュールな、いかにもいわくありげな図柄ですが、これは一体何を表現しているのか? まあ「何を」といえば、もちろん蟹と月と琴なんですが、この取り合わせの背後にあるストーリーなり、典拠なりを知りたいと思いました。
当たり前の話ですが、昔の人は筆で文字を書いたので、硯箱は必需品でした。当然、膨大な数が作られたと思いますが、大半の実用品は古くなれば廃棄され、今も残る品は調度品を兼ねた、いわば「高級品」です。
そういう品の常として、そこに施される蒔絵は、もっぱら「吉祥」や「風雅」の意をこめたものであり、古典に取材した画題を採用していますから、この「蟹・月・琴」の場合も、そこには何か典拠があるはずだと思いました。
しかし、国立博物館の解説は、技法について言及しているだけだし、『日輪と月輪』展の図録に至っては、サイズ・時代・所蔵者がそっけなく書かれているだけで、解説めいたものは皆無です。
★
この件については、ネットもあまり役に立たなくて、何となくポカーンとしていましたが、別の展覧会の図録に、そのヒントが書かれていました。それは2004年に仙台市博物館で開かれた「特別展 日・月・星(ひ・つき・ほし)―天文への祈りと武将のよそおい」の図録です。
この展覧会でも、同じ「蟹琴蒔絵硯箱」(ただし図録では「琴蟹蒔絵硯箱」になっています)が出品されたのですが、その解説にはこうあります。
「満月のもと、琴と蟹を蒔絵で表す。主題の意味ははっきりしないが、万葉集に、葦蟹(あしがに)を大君が召すのは琴弾きとしてか、と詠んだ歌がある。あるいはまた琴弾浜を表すとも考えられる。」(図録p.122)
なるほど、これは脈ありかも…ということで、さらに謎を追ってみます。
(この項つづく)
蟹と月と琴(中編) ― 2024年09月08日 13時29分00秒
蟹と月と琴の三題噺の続き。
★
「月と琴」だけなら、昔から風雅な取り合わせとして、その典拠には事欠きません。
たとえば、唐の詩人・王維の古来有名な五言絶句「竹里館」。
獨坐幽篁裏 独り坐す 幽篁の裏(うち)
彈琴復長嘯 琴を弾じて復た長嘯す
深林人不知 深林 人知らず
明月來相照 明月 来りて相照らす
彈琴復長嘯 琴を弾じて復た長嘯す
深林人不知 深林 人知らず
明月來相照 明月 来りて相照らす
日本の古典だと、『源氏物語』「横笛」巻で、源氏の嫡男・夕霧が「月さし出でて曇りなき空」の下、女二宮(落葉の宮)の邸を訪問し、琵琶と琴で「想夫恋(そうぶれん)」の曲を合奏するシーンだとか、『平家物語』巻六で、嵯峨に隠れ住む高倉帝の寵姫・小督局(こごうのつぼね)を、源仲国が「明月に鞭をあげ」て訪ね、これまた「想夫恋」を琴と笛で合奏するシーン。後者は能「小督」の題材ともなり、広く人口に膾炙しました。
(作者不明の小督仲国図。以前、オークションで売られていた商品写真を寸借)
★
問題は「琴と蟹」で、蟹が出てくると途端にわけが分からなくなります。
なぜここで蟹なのか?
前回の記事の末尾に掲げた、「特別展 日・月・星(ひ・つき・ほし)―天文への祈りと武将のよそおい」の図録に書かれた解説文を再掲します。
「満月のもと、琴と蟹を蒔絵で表す。主題の意味ははっきりしないが、万葉集に、葦蟹(あしがに)を大君が召すのは琴弾きとしてか、と詠んだ歌がある。あるいはまた琴弾浜を表すとも考えられる。」
★
話の順序として、まず「琴弾浜」由来説から先に検討しておきます。
琴弾浜(琴引浜)は京都府の日本海側、現在の京丹後市にある観光名所で、摩擦係数の大きな石英砂を主体とする浜であるため、ここを歩くとキュッキュッと音がすることから、その名を得たそうです(いわゆる「鳴き砂」)。
(ウィキペディアより)
で、ここが古来歌枕として名高く、万葉歌人がここで蟹と月を詠み込んだ歌を作っていたりすれば、すぐに問題は解決するのですが、もちろんそんな都合のいい話はありません。
そもそも、琴引浜の名が文献に登場するのは、江戸時代もだいぶ経ってからのことで、そうなると例の硯箱の方が地名より古いことになり、話の辻褄が合いません。どうもこの説は成り立ちがたいようです。
(長くなるので、ここでいったん記事を割ります。この項つづく)
蟹と月と琴(後編) ― 2024年09月08日 13時35分09秒
(今日は2連投です)
もう一つの万葉集云々ですが、これは『万葉集』巻十六に収められた「乞食者(ほかひひと)が詠(うた)ふ歌二首」のうちの一首を指します。
新潮日本古典集成(青木生子他校注)の注釈によれば、「乞食者(ほかひひと)」とは、いわゆる路傍で物乞いする人ではなく、「家々の門口を廻って寿歌(ほぎうた)などを歌って祝い、施しを受けた門付け芸人」とあります。
万葉集は、その寿歌を2首採録していて、1首目は鹿の歌、2首目が蟹の歌です。
いずれも捕らえられた鹿と蟹が、やがて我が身が大君のお役に立つであろうと、彼ら自身が述べる体裁になっています。まあ、鹿や蟹にとっては災難ですが、人間側から見れば、豊猟や豊漁を予祝する歌といったところでしょうか。
煩をいとわず、蟹の歌を全文掲げれば以下の通りです(新潮日本古典集成による。太字・改行は引用者)。
おしてるや 難波の小江(をえ)に
廬(いほ)作り 隠(なま)りて居る
葦蟹(あしがに)を 大君召すと
何せむに 我を召すらめや
明(あきら)けく 我が知ることを
歌人(うたびと)と 我を召すらめや
笛吹きと 我を召すらめや
琴弾きと 我を召すらめや
かもかくも 命(みこと)受けむと
今日今日(けふけふ)と 飛鳥に至り
置くとも 置勿(おくな)に至り
つかねども 都久野(つくの)に至り
東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ
参入(まゐ)り来て 命(みこと)受くれば
馬にこそ ふもだしかくもの
牛にこそ 鼻縄(はななは)はくれ
あしひきの この片山(かたやま)の もむ楡を
五百枝(いほえ)剥き垂れ
天照るや 日の異(け)に干し
さひづるや 韓臼(からうす)に搗き
庭に立つ 手臼(てうす)に搗き
おしてるや 難波の小江の 初垂(はつたり)を からく垂れ来て
陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を
今日行きて 明日取り持ち来(き)
我が目らに 塩塗りたまひ
腊(きた)ひはやすも 腊(きた)ひはやすも
廬(いほ)作り 隠(なま)りて居る
葦蟹(あしがに)を 大君召すと
何せむに 我を召すらめや
明(あきら)けく 我が知ることを
歌人(うたびと)と 我を召すらめや
笛吹きと 我を召すらめや
琴弾きと 我を召すらめや
かもかくも 命(みこと)受けむと
今日今日(けふけふ)と 飛鳥に至り
置くとも 置勿(おくな)に至り
つかねども 都久野(つくの)に至り
東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ
参入(まゐ)り来て 命(みこと)受くれば
馬にこそ ふもだしかくもの
牛にこそ 鼻縄(はななは)はくれ
あしひきの この片山(かたやま)の もむ楡を
五百枝(いほえ)剥き垂れ
天照るや 日の異(け)に干し
さひづるや 韓臼(からうす)に搗き
庭に立つ 手臼(てうす)に搗き
おしてるや 難波の小江の 初垂(はつたり)を からく垂れ来て
陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を
今日行きて 明日取り持ち来(き)
我が目らに 塩塗りたまひ
腊(きた)ひはやすも 腊(きた)ひはやすも
以下、同じく現代語訳。
難波入江の葦原に廬りを作って、潜んでいるこの葦蟹めなのに、大君がお召しとのこと、どうして私などお召しなのか、私にははっきりわかっていることなんだけど、歌人にとお召しになるものか、笛吹にとお召しになるものか、琴弾きにとお召しになるものか、でもまあ、お召しは受けましょうと、今日か明日かの飛鳥に着き、置いても置勿(おくな)に辿り着き、杖も突かぬに都久野(つくの)に着き。さて東の中の御門から参上して仰せを承ると、馬にならほだしを懸けて当りまえ、牛になら鼻緒をつけて当りまえ、なのに蟹の私を紐で縛りつけてから、傍(そば)の端山(はやま)の楡の皮を五百枚も剥いで吊し、お天道様でこってり干し上げ、韓臼で荒搗きし、手臼で搗き上げ、故郷(ふるさと)難波江の塩の初垂り、その辛い辛いやつを溜めて来て、陶(すえ)の人が焼いた瓶を今日一走りして明日には持ち帰り、そいつに入れた塩を私の目にまで塗りつけて、乾物にし上げて舌鼓なさるよ、乾物にし上げて舌鼓なさるよ。
この歌に関連して、国文学者の吉田修作氏は、
「三八八六番歌には「琴弾き」の前に「歌人」「笛吹き」とあり、それらの歌舞音曲の担い手として「吾を召すらめや」という文脈の中に位置付けられている。これらに対し、代匠記〔※引用者注:江戸時代の国学者・契沖による『万葉集』の注釈書、『万葉代匠記』のこと〕は蟹が白い沫を吹く動作や「手ノ数モ多ク爪アリテ琴ヲモ引ツベク見ユル故ナリ」との解答を与えている。蟹の動作を擬人化、戯画化したということだが〔…〕」
と述べられています(吉田修作『古代文学表現論―古事記・日本書紀を中心にして』(おうふう、 2013)、25頁)。
★
結局、万葉集の蟹は琴を弾くこともなく、干物にして食べられて終わりで、あんまり風流な結末ではないんですが、蟹と琴の関係を古典に求めると、確かにこういう細い糸があります。
しかし、この糸はいかにも細く、頼りなげです。
そしてあまり風雅・富貴な歌ともいえません。
それにこれだけだと、蟹と琴はいいとしても、月の存在が宙に浮いてしまいます。
ここまで追ってきても、依然この硯箱の謎は深いです。
★
うーむ…と腕組みしながら、しばし考えました。
ひょっとしたら、この硯箱は万人向けの、いわば普遍的な風雅や吉祥をテーマにしたものではなく、注文主(最初の持ち主)の属人的な記念品として制作されたのではあるまいか?
なんだか最後の最後で、ちゃぶ台返しのような結論になりますが、そうでも考えないと、この硯箱が存在する意味が分かりません。
(画像再掲)
たとえば、これは可児氏ゆかりの女性が、亡夫追善のため「想夫恋」を下敷きに作らせた硯箱であり、蟹は仏を象徴する「真如の月」を拝んでいるのだ…といったようなストーリーです。まあ出まかせでよければ、ほかにいくらでもストーリーは作れますけれど、そうなると、この絵柄の意味は注文主だけに分かる「暗号」であり、その謎は永遠に解けないことになります。
(関ケ原合戦図屏風に描かれた戦国武将・可児吉長(才蔵))
ここまで頑張ってきて残念ですが、今のところはこれが限界のようです。
(不全感を残しつつ、この項いったん終わり)
蟹と月と琴(補遺) ― 2024年09月08日 19時11分18秒
記事を書き上げた後で、脳内の歯車がカチッと回った気がします。
強力な鋏と固い甲羅を持つ蟹は、尚武のシンボルとして武家で好まれたデザインであり、武具や調度にも取り入れられた…というのが、ここでは重要なヒントかもしれません。
私はこれまで、この画題を「風雅」「吉祥」に引き付けて解釈しようと努めたことから、蟹の位置づけに苦しめられましたが、それ以外の要素もここにはあると考えると、また別の解釈が可能かもしません(それが何かはまだはっきりしませんが…)。
(『平安紋鑑』より蟹紋各種)
ちなみに蟹を紋所にする家もいくつかあって、可児氏も確かにその一つとのこと。
本の標本、本のオブジェ ― 2024年09月11日 18時18分13秒
名古屋・伏見のantique Salonさんが店内を改装されて、お店の一角にライブラリコーナーができました。
お店を訪問されたことがない方には、なかなか構造が把握しづらいと思いますが、antique Salon さんは、奥行きのある、細長いお店です。全体は鉄アレイ状といいますか、両端(道路に面した側と奥側)に広いコーナーがあり、その間を通路状のスペースがつなぎ、その通路部分も含め、店内のあらゆる場所が、奇妙で美しい品で満ちています。
正面、ドアの向こうが道路に面したコーナーで、左側、壁の向こうが通路状の店舗部分。ドアの手前に続くフローリング部分は、店舗外にある本来の通路です。
昨日は道路側のコーナーで、店主の市さんと冷たいものを手に話しこんでいましたが、新たにできたライブラリコーナーは、
それとは反対側、道路からは遠いコーナーの、
そのまたいちばん奥に設けられてます。
★
その完成を記念して、「本の標本、本のオブジェ」展が始まっています。
■特別展示室 第1回企画展 『本の標本、本のオブジェ』
○期間: 2024.9.7(土)~9.23(月) 12時 ~ 19時(水曜・木曜定休)
○場所: antique Salon 特別展示室・図書室
名古屋市中区錦2丁目-5-29 えびすビルパート1_2F
○参加者(順不同・敬称略):
美術家・造形作家/ 川島 朗、UAMO/ 高木綾子、小説家/伽十心、
メルキュール骨董店/矢野 文、夕顔楼/店主、コレクター/久保
カルトナージュ作家/竹内朋子、BiblioMani/店主、
VOUSHO Coffee Factory/店主、antique Salon/市ゆうじ(+天文古玩)
今回並ぶのは全部で22冊の本。
“本好き”という共通項以外、年齢も職業も背景もバラバラな11名が、「自分の根幹にある本」と、「装丁の美しい本」を、それぞれ1冊ずつ紹介するという、それ自体不思議な企画です。(もうひとつの共通項は、市さんの知己ということですが、私もそこにまぜていただいたものの、他の方のことは、個人的には殆ど存じ上げません。)
会場にはその22冊の本が、標本ないしオブジェとして展示されています。
(左:メルキュール骨董店・矢野文氏セレクト/アンリ・ボスコ(著)『シルヴィウス』、右:antique Salon・市ゆうじ氏/宮本輝(著)『流転の海』)
(左:小説家・伽十心氏/ジョイス・マンスール(著)『充ち足りた死者たち』、右:BiblioMania・店主氏/奥崎謙三(著)『宇宙人の聖書!?』)
(左:コレクター・久保氏/『バタック族の呪術暑(19世紀)』、右:VOUSHOU Coffee Factory・店主氏/小田実(著)『何でも見てやろう』)
★
市さんの企画意図とは一寸ずれるかもしれませんが、「これは本の展示である以上に、人間の展示だなあ」と思いながら、会場を拝見していました。自分の人生観や美意識を本に託すことは、一種の表現行為にほかなりませんし、実際、どの本の背後にも読み手の濃厚な気配を感じたからです。
文字通り十人十色の皆さんと、機会があれば膝詰めで語り明かしたいとも思いましたが、でもこれはそういう単純な話でもなくて、本の向こうにその読み手の姿をよみがえらせることは、我々観覧者に許された別種の表現行為であると同時に、そのよみがえった読み手と言葉をかわすことこそ、ここでは一層濃密な体験ではないか…とも思いました。
もちろん読み手の方々は、私の狭い了見で計ることのできない存在ですから、リアルな交流が生じれば得難い経験になるでしょうが、そこで得られる楽しみは、たぶん上で述べた仮想交流とは別の位相に属する気がします。(…と、ここまで考えてくると、結局私は市さんの企てに、半ば乗せられたことになるのかもしれません。)
樹に挑む ― 2024年09月15日 09時55分40秒
庭にモクレン(白木蓮)の木が植わっています。
庭が広ければそのまま放っておけばいいのですが、狭い庭ではそんなわけにもいかず、ときどき剪定をするのですが、モクレンはなかなか剪りどころが難しくて、年月が経つうちに、いかにも不自然な樹形になってきました(素人にありがちなことです)。
この先、齢をとると剪定作業はいよいよ大変になるので、ここらで思い切って仕立て直しをしようと思いました。電柱のような幹を途中で胴切りにして、そこから新たに枝を分岐させようというのです。
しかし、わが家にある道具は錆びついたノコギリのみ。
モクレンとノコギリを見比べて、ややもするとひるむ心を叱咤して、勇猛心を奮い起こし、さながら「青の洞門」のごとく心のうちに経文を誦しながらギコギコやること1時間半。さしもの巨木もメリメリと音を立てて、ついに途中から倒伏したのでした。
その勢いで脚立が倒れ、私は叫び声を挙げながら虚空に投げ出されたのですが、これぞ経文の威徳、観世音菩薩の御名を聞けば、いかなる悪鬼魔神もまた害を加えんや、傷ひとつ負うことなく、地面にすっくと立ち上がりました。
★
…というのは、もちろん大袈裟に書いているわけですが、話の骨格はそのとおりです。伐木後の処理がまた大変で、昨日は本当に疲れました。
切断部の径は15cm。電ノコがあれば楽勝で、そんなに大騒ぎするほどの太さでもありませんが、脚立に乗って手でギコギコやるのは、やっぱり大変です。年輪は30本まで数えましたが、今の家に越して来た年数を考えると、30プラス数年の樹齢だと思います。
★
かつて原生林の巨木を切り倒し、大きな根株を掘り起こし、石ころだらけの土を耕耘した――しかもそれを全部人力で行った――北海道開拓民の苦労がどれほどのものであったか、こんな些細な経験からそれを想像するのはおこがましいですけれど、ちょっぴりそんなことも考えました。
(手元の地図帳に捺された北海道開拓使の蔵書印)
節々も痛いので、今日は一日休むことにします。
松橘月図硯箱 ― 2024年09月17日 20時19分27秒
今宵は旧暦の八月十五夜、中秋の明月です。
今さらですが、満月は太陽と正反対の位置にあるので、太陽が西に沈むのと、満月が東から顔を出すのは、ほぼ同時になります。今宵もちょうどそれで、今日の夕日は美しい茜色でしたが、お月様も負けじと薄桃色にお化粧をして、しかも建物の隙間に浮かぶ姿があまりにも巨大だったので、びっくりしました。まずは見事な名月といってよいでしょう。
★
今日はお月見にふさわしく、風流な品を載せます。
古い蒔絵の硯箱。
先日も蟹と琴の硯箱を話題にしましたが、こちらは家蔵の品なので、モノの良し悪しはともかく、私にとっては一層愛着が深いです。
こんな風にコントラストをつけると、いかにも趣があるように見えますが、図柄を検討するには不向きなので、以下、購入時の商品写真を流用させていただきます(漆器は反射がきつくて、うまく写真に撮れませんでした)。
こちらが蓋の表で、
こちらが蓋の裏のデザインです。
ご覧のようにモチーフは表裏とも共通で、「松に橘」図です。
問題は、そこに描き加えられた天体で、裏はもちろん月ですが、
表は太陽なのか、月なのか判然としません。
太陽ならば「日輪と月輪」が、月ならば「満月と半月」が対で描かれた絵柄ということになりますが、これはどちらもあり得るので、にわかに判断が難しいです。でも、ここでは後者を推しておきます。なぜか?といえば、この絵柄全体の意味を考えると、その方が理解しやすいからです。
★
「松竹梅」の松はいうまでもなく嘉樹の筆頭として長寿のシンボルであり、橘もまた常世の国に生える「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」として、古来、不老不死のイメージで語られてきました。
そこに月です。月は永遠に満ち欠けを繰り返すがゆえに、これまた再生と不死のシンボルであり、不老不死の仙薬を持って月に逃れた嫦娥(じょうが)伝説や、切られてもすぐに再生する月桂のエピソードもそこに重ねて観念されてきました。
要するに、松・橘・月は不老不死のイメージでつながっており、これは全体として長寿を願う吉祥図になっています。そのイメージを貫徹するために、蒔絵師は月の満ち欠けを満月と半月で描き分けたのではないか…というのが、私の推測です。(これが日輪と月輪だと、その点でちょっと不完全な描写になる気がします。)
★
先日の「蟹と琴と月」はひどく難解でしたが、この「松と橘と月」のシンボリズムはごくシンプルで、心安く眺めることができます。いささか親馬鹿めきますが、月を眺める気分は、すべからくこうあってほしいものです。
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