快著 『中国古星図』2024年11月24日 17時18分57秒

風邪から回復しました。

で、おもむろに記事を書こうとしたんですが、書きたいことはいっぱいあるのに、どれもうまく書けない気がして、筆が進まない…。こういうことが時々あります。でも、暇つぶしのブログを埋めるのに、別にうまく書く必要もないし、とりあえず何でもいいので書き始めた方がいいことは経験的に分かっているので、ぼんやりした気分のまま書き出します。

   ★

このところ、興味をそそられる本に立て続けに出会いました。
中でも驚いたのが以下の本です。


■李亮(著)、望月暢子(訳)
 『中国古星図』
 科学出版社東京株式会社、2024.(B5判、211p)

帯には「中国天文学と古星図を包括的に紹介/悠久の歴史を持ち、独自の発展をとげた中国天文学と古星図。最新の考古学資料を含む350余点のカラー図版を駆使した稀有な一冊!」とビックリマークが付いていますが、これは大げさではなく、相当ビックリな本です。

科学出版社は、北京に本拠を置く中国最大の学術書の出版社で、本書の版元はその東京の子会社です。原著は親会社から2021年に出た『灿烂〔燦爛の簡体字〕星河 —中国古代星图(華麗な銀河 ―中国古代の星図)』です。

著者の李亮氏は、中国科学院自然史研究所のスタッフ紹介【LINK】によると、天文学史および中国と諸外国の科学技術交流史が専門で、2008年に博士号を取得後、ドイツのマックス・プランク科学史研究所やフランス国立科学研究センター、パリ第7大学で研鑽を積んだ、少壮気鋭の研究者のようです。

その意味で、本書は相当本格的な解説書で、私のようにコーヒーテーブルブック代りにしてはいけないのですが、帯にあるように、美しいカラー図版を満載した紙面は見るだけで楽しいものです。

   ★

しかも意外なことに、中国の古星図についてまとめた書籍は、中国本土でもこれまでほとんど例がないそうです。著者が序文で挙げている例外は、陳美東氏が編纂した『中国古星図』(1996)と、潘鼐(ハンダイ)氏による『中国恒星観測史』、『中国古天文図録』(いずれも2009)ですが、前者は明代の星図に特化した論文集であり、後2者はその力点と記述密度からして、古星図論としては不十分なもので、図版もモノクロが大半だそうですから、本書のように通史として十分な内容を備え、最新の資料も漏らさず、しかもカラーでそれらを紹介した一般書はまことに稀有、本邦初どころか世界初ということになるのです。

(おなじみの「淳祐天文図」ですが、星図の下に刻まれた跋文の全訳が載っているのは有益)

しかも(‘しかも’が多いですね)、本書が取り上げるのは中国国内のみならず、その影響を受けた朝鮮半島や日本の古星図についても特に章を設けており、東アジア世界の古星図を俯瞰する上で、まことに遺漏がありません。

   ★

以下に、各章の章題のみ挙げておきます。

 第1章 中国星図の歴史
 第2章 中国古天文学に関する基礎知識
 第3章 墳墓と建築の星図
 第4章 石刻星図
 第5章 紙本星図
 第6章 洋学と星図
 第7章 実用星図
  〔※航海星図や占星用星図など〕
 第8章 地理関連文献の星図
 第9章 識星の文献と星表
  〔※識星の文献とは中国星座の基本を教える『歩天歌』など〕
 第10章 器物星図
  〔※日常器物に描かれた星図や天球儀など〕
 補章A 朝鮮の古星図
 補章B 日本の古星図
(その他、巻末には参考文献と図版リストが掲載されています。)

(第10章 器物星図より)

まさに全方位死角なし。
西洋星図の歴史については、これまで多種多様な本が編まれてきましたが、東アジア世界の星図についても、ようやくそれらに匹敵する歴史書が出たわけです。まさに近来稀に見るクリーンヒットな出版物だと思います。

(補章B 日本の古星図より。この福井県・瀧谷寺所蔵の「天之図」は初見でした)

(同上。司馬江漢の「天球十二宮象配賦二十八宿図」のようなマニアックな図もしっかり解説されており、著者の目配りの確かさが窺えます)

…と、書いているうちに気分が上向いてきました。
やっぱりこういうときは「書くのが薬」です。

   ★

今日は晴れ晴れとした好天気でした。
ブログを書いたり、庭仕事をしたり、地元の選挙に行ったりする合間に散歩をしていたら、街なかの木々もすっかり色づいているのに気づきました。考えてみれば、あとひと月でクリスマスですね。


兵庫ではまた妙な騒動が持ち上がっているようですが、地元の名古屋はさてどうなるか。師走を前にいろいろ気ぜわしいです。

コメント

_ S.U ― 2024年11月25日 08時17分42秒

ご罹患お見舞い申し上げます(へんな日本語)。
 西洋系の中国星図もあるそうで、立派な本のようですね。よく訳書を刊行されましたと思います。

 こちらも、例の梅園・景保・信順の星等記号の由来を探るため、蘭学系の調査を進めています。篤志の方々のご協力もあればと思いますので途中経過を書いておきます。
 中村・荻原論文によると、享保2年(1802)の『星座の図』で至時が景保に星図の作成を指示しているので、これを天文方の星図の★型のルーツと仮定したいと思います。至時の知識で蘭学ルートなら、ラランデ暦書以前は間重富によると思われるので、『星学手簡』に出てくる洋書の百科事典的なものを中心に図版(挿絵)をあさっています。今までの成果として、司馬江漢が見た蘭書「ウーヘンスコール」("Algemeene oefenschoole van konsten en weetenschappen" by Pieter Meijer)に☆型のイラストがあること、1779年発行のボーデの簡易星図が載っている天文手引書の蘭語版("Handleiding tot de kennis van den sterren-hemel" by J.E, Bode) があることを見つけました。ただし、前者は重富が見た可能性はあるものの星等図は見当たらず、また、後者は江戸日本に入ってきている証拠がありません。調査続行中です。どんな洋書でも、似た★型があればよろしくお願いします。

_ 歐陽亮 ― 2024年11月27日 17時25分41秒

この本の中国語版も持っています!参考になる写真もたくさんあり、とても良い参考書です。投稿したスクリーンショットを比較すると、中国版と同じです。ただ、この本の一部の写真は小さすぎて、細部がわかりにくいです。
この本の紹介文も書きましたので、ぜひご覧ください。

_ 玉青 ― 2024年11月28日 19時15分47秒

○S.Uさま

我々の★をめぐる旅もだいぶ長くなりましたね。
そこに重要な意味合いがあるような、些末主義の精髄(笑)のような、微妙な感はありますが、前者の線で意味づければ、★をメルクマールにした星図文化交流史とか、日本における星のイコノロジーと天体形象認識論とか、大きく出ればいくらでも大きくなるでしょうから、これはどんどん進めることにしましょう。
手近なところでは、記事で採り上げた『中国古星図』にも★はいっぱい登場しますが、いかんせん図が小さくて、景保前後の日本生まれの星図との比較など、細部の検討は難しそうです。

○欧陽亮さま

おお、欧陽さまも!
台湾と大陸との関係は、私が軽々にものを言うこともできませんが、でも政治向きのことは脇に置いて、東アジア文化圏の天文学史的話題は、この場で大いに情報交換できればと願っています。

_ 歐陽亮 ― 2024年11月29日 09時41分26秒

私も政治的な話題については話したくありませんし、私の書いた内容から皆さんがどう感じられるかわかりません。それは私のブログの投稿ですか?少し誤解されているかもしれません。
実際、私はあなたが紹介した本がとても気に入っています。なぜなら、より多くの人に知ってもらうために日本語に翻訳する価値があるからです。
星の絵については、最近台北プラネタリウムに関するコラムを書きました。URL にハイパーリンクがあります。ご参考までに。

_ 玉青 ― 2024年11月29日 18時25分57秒

私の一つ前のコメントに特に深い意味はなく、ましてや欧陽さんの書かれた文章に、何か政治的なニュアンスを感じた…というわけでは全くありません。このブログは(たぶんですが)台湾の方も、大陸の方も、香港の方も読まれていると思います。そうした方々には、それぞれ個人としてのお考えと立場があると思いますが、少なくともこの場では、星を愛し、宇宙に対して尽きせぬ興味を抱くという一点において、誰もが自由に語り合える場であってほしい…というのが、私の切なる願いです。私の前のコメントは、それをストレートに文字にしたもので、その意味で、あの文章は欧陽さんお一人に宛てて書いたというよりも、それを目にする他の人もイメージして書いたものとご理解ください。以上をお心に留めた上で、今後も変わらぬ御交誼を願えれば幸甚に存じます。

   +

ときに星図における等級表現の歴史に関する欧陽さんの論考をお示しいただき、ありがとうございました。早速拝読しました。そもそもなぜ中国の伝統星図(あるいはその影響を受けた朝鮮・日本の星図)に、星の明るさに応じた区別がないのか?改めて考えると、これはとても不思議なことです。

日本の古語だと、輝星を意味する「あかほし(明星/赤星)」と、微光星を意味する「ぬかぼし(糠星)」の区別があるので、昔の人も星には明るいものと暗いものがあることを意識していたのは確実です。しかし、それが図像的に区別されなかったのは、なぜか?

裏返すと、なぜ西洋星図では等級差が表現されているのか?…という問題につながりますが、単純に考えると、これは星図の元になった星表に等級が記載されていたからでしょう。つまり、西洋ではヒッパルコスやプトレマイオス以来、星の明るさは天体を記述する際の重要な変数と認識されていたわけです。

もっとも、『アルマゲスト』を見ても、恒星の明るさの違いの原因について、プトレマイオスは何も語っていないので、具体的に彼が等級差をどのように理解していたかは不明ですが、少なくともそれは「個々の星に固有の性質」であり、記述する価値がある…と考えていたことは確かだと思います。

ひるがえって、中国では星の等級差は(たしかにそれは目に見える形で存在していても)「非本質的な違い」であり、「記述するに値しない」と考えられていたのだと推測します。

この辺はもっとしっかり論じたいところですが、今のところこれ以上論じる用意がないので、後考を期したいと思います。

_ 歐陽亮 ― 2024年11月30日 18時48分37秒

あなたの言いたいことは理解しました。特別な指示をありがとうございました。

星の明るさについての詳しい研究を楽しみにしています。西洋にも東洋と同様に星を区別しない星図があるのか​​どうか、またそのような星図が描かれている理由を知りたいです。あなたの豊富なコレクションは多くの手がかりを提供します。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック