苦集滅道諦 ― 2024年12月07日 10時23分35秒
「うーむ悔しい。実に悔しい。まさか自分以外にあれを買う人がいるとは!」
「逃がした魚は大きい」というのは一大真理です。
物を買う場合も同様で、狙いをつけた品を目の前でさらわれるのは、実に悔しいものです。呆然自失感が強烈で、たぶん今の私は死んだような眼をしていることでしょう。
先日、ある品を見つけました。
即断即決で買わねば!というほどではなかったんですが(値段も張ったので、その勇気が出ませんでした)、見るたびに「ああ、いいなあ」と思いながら横目で見ていました。ボーナスが出たら…とひそかに思ってたんですが、その日を目前にしてダメでした(ひょっとしたら、私に先んじて買った人も、ボーナスを当て込んだのかもしれません)。わりと渋めの品だったので、他に興味を持つ人もなかろうと甘く見ていたのが敗因でした。
他にもそれを欲した人がいるということは、やっぱりそれだけの価値があったのだろう…と思いつつ、そんなことを考えても何の慰めにもならないし、悔しさは募るばかりです。
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お釈迦様は人生の本質を「苦」だと喝破し、基本的な苦のあり様を「四苦八苦」に分けて説きました。「生・老・病・死」の四苦、そこに愛する者と別れる苦しみ(愛別離苦)や、憎らしい対象と出会う苦しみ(怨憎会苦)等を加えた八苦の教えは、誰にとっても切実でしょうし、素直に頷かれるところだと思います。
その八苦の一つに「求不得苦(ぐふとっく)」というのがあります。
欲しいものが手に入らない苦しみもまた、人間にとって根源的な苦しみだとお釈迦様は言うのです。
そうした煩悩を払うために、我々は修行に努めねばならず、モノの一つや二つでオタオタしてはいけないのですが、迷い多き衆生にとってはこれが実に難しく、その苦しさを遁れるのは容易なことではありません。
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こうして苦しむのは、私が人間的な心を備えている証拠でもあるのでしょう。
人間的な、あまりに人間的な…
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