羊飼いの見た星2024年12月18日 11時14分06秒

前回の話題から横滑りして羊飼いの話。


今や一種の都市伝説といっていいのかもしれませんが、野尻抱影由来の「カルデアの羊飼い」をめぐる言説があります。今、われわれが使っている星座の起源は、古代カルデアの羊飼いが生み出したものだ…というのがそれです。

抱影の事実上の処女作である『星座巡礼』(1925)に、すでにそれは見られます。

(野尻抱影『星座巡礼』(第7版、1931)より)

 「星座(Constellations) 〔…〕空を斯く初めて星座に区画したのは、天文学者では無くて、紀元前三千年にも遡る古代カルデアの羊飼です。彼等は長い夜々寂しい丘に羊の群を戍(まも)りながら、大空に移る星の位置で時刻を判断する習慣になってゐる中に、目ぼしい星を連ねて、其処に地上の動物や物の像(かたち)を空想し〔…〕」

これは欧米ではとうの昔に顧みられなくなった古風な考えらしいのですが、日本では抱影が自著で繰り返し書いたために、いまだに「準定説」として生き残っています。

この問題をめぐっては、竹迫忍氏の「古天文の部屋」【LINK】の一コンテンツとして、その詳細がまとめられており、私も大いに蒙を開かれました。以下が関連ページです。

■迷信「星座の起源・カルデア人羊飼い説」の成立と伝承

あらましを述べれば、抱影は「黄道12星座をはじめとする西洋星座の起源は、紀元前3000年頃、バビロニア(※)に住んだカルデア人の羊飼いたちが天に思い描いたもの」と説きましたが、ここには現代の通説と異なる点が多々あります(その一方で正しい点もあって、正誤がキメラ状になっています)。

まず正しい方を述べれば、星座の起源が紀元前3000年頃のバビロニアに遡るということ、また黄道12星座や高度な天文知識を有し、それをギリシャに伝えたのは、「新バビロニア王国(カルデア王国)」を興したカルデア人だったこと、そして彼らは本来遊牧の民だったという事実が挙げられます。

一方、事実と大いに異なるのは、そもそもカルデア王国ができたのはBC7世紀のことで、紀元前3000年のバビロニアとはまったく時代が異なるし、古代バビロニアの文明を興したのは「シュメール人」であって、カルデア人ではありません。それにシュメール人は灌漑農耕民であって、「羊飼い」ではありません。そしてまた古代バビロニアの段階では、まだ黄道12星座のシステムは存在しませんでした。

こうした事実と事実誤認のごたまぜ状態が抱影説だ…ということになりますが、これは抱影の創案というよりも、抱影の目に触れ、手にした資料が、新しいメソポタミア学によるアップデート前のものだったからのようです。

   ★

それにしても、抱影の誤りが明瞭に指摘されても、依然として世間に「カルデアの羊飼い」が流布しているのはなぜでしょう? たぶん根本的な問題は、平均的日本人にとって、オリエンタル世界はヨーロッパ以上に遠い世界だからでしょう。つまり、「カルデアもシュメールもおんなじようなもんでしょ?そう目くじらを立てなくてもいいじゃない」…というふうになりがちだからだと思います。

たとえて言うならば、平安時代のドラマに裃を着た人が出てきたら、我々は直ちにおかしいと思うでしょうが、欧米の人には、そのおかしさが伝わらない…みたいなものかもしれません。

その点では、私も抱影を責める資格は全くないのですが、それでも過ちは過ちとして認め、より正しいことを語るにしくはありません。


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(※注)バビロニアといい、メソポタミアといい、何が違うんだろう?というぐらい私自身知識が乏しいのですが、ウィキペディア曰く、地方名でいうと下のような区分になるんだそうです。さらにここに「民族名」や「王朝名」が覆いかぶさってくるので一層ややこしいですが、少なくとも地理的にはこうなるらしい。


コメント

_ S.U ― 2024年12月18日 18時30分31秒

>野尻抱影由来の「カルデアの羊飼い」
幼き日より、野尻抱影の名前を知らぬ頃よりこの説に親しんでいた者とすれば、刷り込みや期待はなかなか抜け難いものがあります。ただ、「カルデア」というのは、あまりなじみのない他ではほとんど聞かない地名なので、それが「バビロン」であってもいいと思います。バビロンは、旧約聖書やマザーグースで「バビロンまでは何センチ」(TV人形劇ではマイルではなくセンチだった)で子どもも名前くらいは知っていました。ただ、都市文明発祥前のバビロンであってほしいので、ネブカドネザルよりもずっと前の時代でないといけないです。
 それから、羊飼いは、ぜひ絵として外せないと思います。農耕民族では、中東の景色として面白くありません。したがいまして、期待する図としては、バビロンの都市建設以前にそのへんに羊飼いがいて、毎夜夜空を見ていてほしかったということになりますが、結局、羊飼い自体がいなかったのでしょうか。

_ 玉青 ― 2024年12月19日 05時56分07秒

依然として世間に「カルデアの羊飼い」が流布しているのはなぜか?と自問しましたが、S.Uさんのコメントを拝見し、上で書いたこととは別に、やっぱりそこには濃厚なロマンがあるからだ…というのも、見逃せない要因だと思いました。その愛惜の念が、カルデアの羊飼いを延命させているのではないでしょうか。カルデアの羊飼いも、アーサー王と円卓の騎士や真田十勇士のような「ロマン僞史」のキャラクターかもしれませんね。

それに、牧畜の歴史は農耕の歴史と同じぐらい古いそうですから、古代バビロニアが成立するよりも、さらに昔から羊飼いはいたはずで、彼らが害獣から家畜を守るべく、眠い目をこすって星空を見上げ、いろいろ空想の翼を広げたのもまた確かだと思います。たとえそれが現在の星座の起源ではないにしろ…。

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