ギンガリッチ氏の書斎へ2025年01月31日 12時36分46秒

(前回のつづき)

去年の暮れに書いた記事の末尾で、自分は「古典籍でなくてもいいので、ギンガリッチ氏の蔵書票が貼られた旧蔵書が1冊手に入れば、私は氏の書斎に足を踏み入れたも同然ではなかろうか…」と書き、そのための算段をしているとも書きました。

有言実行、その後、ギンガリッチ氏の地元・マサチューセッツの古書店で1冊の本を見つけ、さっそく送ってもらいました。


■Paul Kunitzsch,
 『Arabische Sternnamen in Europa(ヨーロッパにおけるアラビア語星名)』. 
 Otto Harrassowitz (Wiesebaden, Germany), 1959. 240p.

パウル・クーニチュ氏(1930-2020)は、オーウェン・ギンガリッチ氏(1930-2023)に劣らぬ碩学で、生れた年も同じなら、長命を保ったことも同じです。…といっても、私は無知なので、恥ずかしながらクーニチュ博士のことを知らずにいたのですが、ウィキペディアの該当項目を走り読みしただけでも、氏は相当すごい人であることが伝わってきます。

氏はアラビア学というか、アラビアの知識・学問が中世を通じてヨーロッパにどう流入したかが専門で、その初期の代表作が、氏がまだ20代のとき世に問うた『ヨーロッパにおけるアラビア語星名』です。これは氏の博士論文を元に、それを発展させたものだそうで、氏の本領はアラビア科学の中でも、特に天文学だったことが分かります。

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手元の一冊には、著者の献辞があります。


「オーウェン・ギンガリッチに敬意を表して。ディブナー会議でのわれわれ二人の出会いの折に。1998年11月8日 パウル・クーニチュ」

ディブナー会議というのは、MITにかつてあった「ディブナー科学技術史研究所」(1992年開設、2006年閉鎖)が主催した会議のひとつだと思いますが、このときクーニチュ氏も来米し、両雄は(ひょっとしたら初めて)顔を合わせたのでしょう。

ただ、いくら代表作とはいえ、クーニチュ氏が40年近く前の自著を献呈するのは変ですから、おそらくクーニチュ氏の来訪を知ったギンガリッチ氏が、自分の書棚からこの本を持参し、記念のメッセージを頼んだ…ということではないでしょうか。クーニチュ氏はメッセージの中で、ギンガリッチ氏を敬称抜きの「呼び捨て」にしていますから、仮に初対面だったにしても、両者は旧知の親しい間柄だったと想像します。
その場面を想像すると、まさに「英雄は英雄を知る」を地で行く感があります。

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そして問題の蔵書票が以下です。


クリスティーズのオークションで見た、繊細な青緑の蔵書票(↓)でなかったのは残念ですが、これはギンガリッチ氏がもっと若い頃に使っていた蔵書票かもしれません。


ギンガリッチ氏の書斎の空気をまとった存在として、また両大家の友情と学識をしのぶよすがとして、これは又とない宝である…と自分としては思っています。このドイツ語の本を読みこなすのは相当大変でしょうが、スマホの自動翻訳の精度も上がっているし、文明の力を借りれば、あながち宝の持ち腐れにはならないもしれません。

(本書の内容イメージ。「アルデバラン」の項より)