たけのこの里はかく生まれた ― 2025年02月09日 11時37分10秒
(昨日のつづき)
富士竹類植物園が発行した『富士竹類植物園案内』(1964)という冊子があります。
内容は単なる施設案内ではなく、主眼は主にタケ類の分類基準と、同園で栽培されている主要種の解説なので、それ自体がコンサイスな竹類図譜といえるものです。
ちなみに、タイトルの下に「邦文篇」とあるのは、それに先立って『Guide Book of the Fuji Bamboo Garden』という英文篇(上の写真右)が1963年に出ているからです(日本語と英語の違いだけで内容は同じです)。
(邦文篇より「肩毛の種々」説明図)
(英文ガイドブックより。右はゴテンバザサの図)
邦文篇より先に英文篇が出ているところに、この植物園の本気具合というか、世界のタケ類学を我らがリードせんという気概を感じます。
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さて、この冊子の冒頭に「1 富士竹類植物園の概略」という章が設けられているので、以下に抜粋します(太字は引用者)。
「日本は世界第一の竹の国である。〔…〕竹笹は著しく変化性に富んでいるので、鑑別が困難で多くの学者を悩ましている。〔…〕生物、ことに竹類の応用面の研究は、まず、すでに名づけられた名称を知り、多くの学者によって研究された特性を十分に理解し、それぞれの特徴を生かして日常生活に利用するのでなければ進歩がない。上のようなことを実現するためには生品を一か所に集めて比較研究する必要が痛感される。
この現状に着目された当園園主、前島麗祈先生夫妻は、日本の変動期にある今日、タケ科のあらゆる種類や古い園芸的品種が絶滅しないうちに、一か所に集めて子孫に引き継ぐ責任のあることに注目され、その一環として、竹笹の専門植物園の施設のない現状を嘆かれて富士竹類植物園の誕生になった。
〔…〕
日本の過去及び現在において、このような収益を度外視した学術的資料の蒐集に莫大な私財を投げ出した例は残念ながら余りみられないが、続々と日本の特産の動、植物の専門蒐集と研究に、財閥のご援助を願う先鞭となることと信じ、文字通り楽しい文化国家の建設される日を期待している。」(pp.1-3)
この現状に着目された当園園主、前島麗祈先生夫妻は、日本の変動期にある今日、タケ科のあらゆる種類や古い園芸的品種が絶滅しないうちに、一か所に集めて子孫に引き継ぐ責任のあることに注目され、その一環として、竹笹の専門植物園の施設のない現状を嘆かれて富士竹類植物園の誕生になった。
〔…〕
日本の過去及び現在において、このような収益を度外視した学術的資料の蒐集に莫大な私財を投げ出した例は残念ながら余りみられないが、続々と日本の特産の動、植物の専門蒐集と研究に、財閥のご援助を願う先鞭となることと信じ、文字通り楽しい文化国家の建設される日を期待している。」(pp.1-3)
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創設者、前島麗祈(まえしまれいき、1893-1971)は、神道系新宗教「自然真道(しぜんしんとう、本部は御殿場)」の教祖です。『新宗教辞典』(松野純孝・編、東京堂出版)を参照すると。前島は元々天理教の信者でしたが、後に天理教と袂を分かち、終戦直後の1946年、「宇宙根本実在の神霊」を奉斎する独自の自然真道を組織し、1954年に宗教法人認可を得た、とあります。
国会図書館には彼の著書として、『麗しき祈り』(1956)と『禍を仕合せに』(1957第2版)の2冊が収蔵されており、その内容は利用者登録をすれば、個人送信サービスですぐに読めますが、その説くところ、信者の方には失礼ながら、どうも通俗道徳と因果応報思想を適当に突きまぜたもの…と私には見えます。(例えば、『禍を仕合せに』の章題を挙げると、「鶏の玉子 白痴など」「不具の子は親の罪?」「小人の徳さん」「子守の芳チヤン」「愛嬢の発狂」「六本指のG」「丈夫な片輪者」「鬼より怖い」「四人馬鹿」…と続き、その内容は差別用語のオンパレードで、ちょっと引用に堪えないです。)
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そういう宗教家の発願で始まった富士竹類植物園ですが、園の活動自体は別に宗教色を帯びているわけでも何でもなく、純粋に植物学的なそれでしたから、その辺のことに触れると変なノイズが生じかねないという配慮から、前島の事績は今ではあまり表に出てこないのではないか…というのが私の推測です。
(昭和50年代頃の発行とおぼしい同園の絵葉書。5枚セット)
実際、富士竹類植物園の運営は、開設直後から前島の手を離れ、専門の植物学者の手にゆだねられていました。「富士竹類植物園報告」第16号(1971)には、京大名誉教授(当時は京都産業大学教授)で、タケ類を専門とした上田弘一郎氏による「前島麗祈先生の功績と富士竹類植物園」という一文が載っており(pp.43-44)、開設当時の事情が以下のように書かれています。
「竹類園をおつくりになるに当って、先生ご夫妻が拙宅へおこしになって、「自分は妻と一心同体、竹が好きだ。竹は日本を代表する貴重な存在である。これを自分のところに集め、育てて、海外にも日本という国を理解させる資料にしたい。ついては、なんとかできるだけ多くの種類の竹苗を分けてほしい」と、熱心に頼まれたのです。私はこの情熱に感銘して、すぐ京都府立植物園長の麓さんに相談し、同植物園にある分と、京都大学上賀茂試験地に植えてあるのを加えて、お送りしたのであります。
なお、このとき先生は、「自分の竹類園の管理に適当なかたを推薦してほしい」と言われたので、現在の園長、室井さんを推薦申し上げた次第であります。あとで前島先生が私に「あなたは富士竹類植物園の産みの親です。今後ともよろしく頼みます」と申されたに対し、私は「前島先生こそ竹類園のたいせつな産みの親です。どうかご自愛をお願いします」と申し上げました。その後は室井さんに任せきりで、まことに申しわけないのですが、設立当初のことを思い出すたびに感無量であります。」(p.43)
なお、このとき先生は、「自分の竹類園の管理に適当なかたを推薦してほしい」と言われたので、現在の園長、室井さんを推薦申し上げた次第であります。あとで前島先生が私に「あなたは富士竹類植物園の産みの親です。今後ともよろしく頼みます」と申されたに対し、私は「前島先生こそ竹類園のたいせつな産みの親です。どうかご自愛をお願いします」と申し上げました。その後は室井さんに任せきりで、まことに申しわけないのですが、設立当初のことを思い出すたびに感無量であります。」(p.43)
文中に出てくる「室井さん」とは、同植物園の初代園長をつとめた室井 綽(むろい ひろし、1914-2012)氏のことで、やはりタケ類を専門とした植物学者です(ちなみに、氏は盛岡高等農林を1938年に卒業した方で、賢治の20年後輩になります)。
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以上のことだけだと、「へえ、そうなんだね」で終わってしまいますが、私が前島と富士竹類植物園の関係を知ったとき、ただちに連想したのは、三五教(以下、アナナイ教)と山本一清のことです。
アナナイ教は大本教の分派で、やはり戦後の1949年に創始された神道系新宗教です。「天文 即 宗教」を説くこの教団は、各地に天文台を建設し、天文学者の山本一清がそこに深くコミットしていたという話や、岩手県北上市に建設された天文台は、幼き日の鴨沢祐仁氏に深い印象を残し、後年、作中に「アナナイ天文台」が登場するに至った(「流れ星整備工場」)…といった話題は、以前どこかに書きました。
新宗教系の団体は、往々にして出版社を起こしたり、美術館を開設したり、ハイカルチャー志向の動きを見せましたが、そうした中に科学との接点を求める動きもあったような気がします。自然真道やアナナイ教に限らず、探せば類例はもっとあるでしょう。
一体それはどういう心意によるものか?
話をそこまで広げると私の手には余りますが、でもそういう論考があれば、いつか読んでみたいです(「新新宗教」に関しては、沼田健哉氏の『宗教と科学のネオパラダイム: 新新宗教を中心として』(創元社、1995)という本がパッと出てきました)。
(この項おわり)
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