鈴木敬信(著)『天文台』 ― 2026年05月02日 18時29分00秒
「春の大曲線」のおまけ。
その後、思い立って国会図書館のデジタルコレクションで「春の大曲線」を探してみました。それによると、戦前~戦中の用例はなくて、雑誌「科学朝日」1946年4月号に、「〔…〕に列なる。いはゆる「春の大曲線」である」という形で登場するのが、いちばん早い例です。この雑誌は国会図書館に行かないと見られない、館内限定資料なので、前後の文章は不明ですが、ただ、「いはゆる「春の大曲線」」とある以上、1946年の時点で、「春の大曲線」の名称は、一部では一般化していたことがうかがえます。
一般図書だと、ほぼ同時期に野尻抱影が自著でこの語をさかんに使っています。でも、「二星へ曳くカーヴを「春の大曲線」と呼ぶ學者もあります。」といった書き方をしているので(『新星座めぐり』、1947)、これは抱影の造語ではなく、他の「学者」によるものと分かります。ひょっとして、それが鈴木敬信氏なのかなあ…と想像はするものの、今のところ確証はありません。
いずれにしても、「春の大曲線」は1946年をさかのぼること、あまり遠くない時代、おそらく昭和になってから使われ出した言葉でしょう。
【2026.5.3付記】
「春の大曲線」の初出に関して、manami sh.さまから非常に重要なご指摘をコメント欄で頂戴しました。詳細は本記事のコメント欄をご覧ください。
★
ところで、鈴木敬信氏の一般向けの本として、こんな本を見つけました。
■鈴木敬信(著) 『天文台』
新教育事業協会(発行)、昭和24(1949)
新教育事業協会(発行)、昭和24(1949)
(奥付)
先回りして言うと、この本に「春の大曲線」は出てきません(それを期待したのですが)。内容は「はしがき」にあるとおり、
「天文学の研究に使う器械やそれに関連したこと、および天文学の歴史と私たちの日常生活との関係などであります。書名は天文台とはつけてありますが、これは天文台見学にかこつけて話を進める形式からつけた名前で、天文台のことだけを説明したわけではありません。」
…という次第で。本書の前半は、由紀子さんと輝夫くんの姉弟が、お父さんと一緒に三鷹の東京天文台を見学し、お父さんの知り合いである天文台職員から光学器械の説明を聞く話、後半は由紀子さんが、学校の科学研究会で天文学の歴史を発表することになり、他の生徒や先生と問答する話で、いずれも対話形式の親しみやすい文体で書かれています。とはいえ、内容はかなり歯ごたえがあって、対象読者は小学生ではなく、新制の中高生であることが、末尾に書かれています。
★
読んでいると、思わず「!」と感じる“敬信節”がちらちら顔を出していますが、それはさておき、本書で注目すべきは、この表紙絵を岡本太郎(1911-1996)が描いていることです。
あまり天文台とは関係なさそうですが、知的好奇心にあふれた姉と弟を、明るく描いたのかもしれません。
岡本太郎美術館で開催された「岡本太郎のグラフィック・デザイン」展(2003~2004)のパンフレットを参照すると【LINK】、岡本は活動初期の1940年代から本の装丁を手掛けており、『天文台』もその一冊ということになります。ただ、上記展示リストに『天文台』は載っておらず、岡本の周辺でもあまり知られていない作品かもしれません。
まだ戦争の記憶も生々しい1949年、鈴木敬信と岡本太郎という二人の個性的な人物が、一冊の本を仲立ちに出会った事実に、ここでは注目したいと思います。
【付記】
とはいえ岡本の起用は、別に敬信氏の意向ではなく、単に版元の都合だったように思います。というのは、巻末の書籍広告を見ると、天文とは無関係の他の本(『おかねのはなし』)も岡本が装丁を担当しているからで、そちらは上記リストに載っています。
コメント
_ manami sh. ― 2026年05月02日 21時52分32秒
玉青さま、久々にコメントさせていただきます。「北斗七星をその鉢の方から順次に柄の方になどつてご覧なさい。さうして端に来ても止めずにそのま々惰性で続けてゆきますと淡黄色の明るい星に出会ひませう。これが牛飼座の主星アークチュルスです。更にこの運動を続けますと、乙女座の主星スピカにとどきます。春の夜を飾るなだらかな大曲線です。」(「星と宇宙とプラネタリウム解説」東日天文館 昭和13 p.43)執筆は鈴木敬信氏で、「春の夜を飾るなだらかな大曲線」と記しています。野尻抱影氏は「春夏秋冬 星座案内」(「天文読本」東日天文館 昭和14 p.23)に次のように記しています。「北斗七星の柄の~中略~スピカに達いて、鈴木敬信氏がこれを「春の夜を飾るなだらかな大曲線」と讃へられたのを頷かせます。」なお、「科学朝日」の該当記事は野尻抱影氏執筆の「天文カレンダー」です。「春の夜のなだらかな大曲線」が「春の大曲線」に置き換わったのでしょうが、誰が「春の大曲線」と言い出したのか。鈴木敬信氏か野尻抱影氏か、それとも?
_ 玉青 ― 2026年05月03日 10時24分33秒
いつものごとく、詳細なお調べをありがとうございます!
なるほど、元はやはり鈴木敬信氏でしたか。そして氏が東日天文館の発行物に乗せた文章がオリジンだとすると、私が憶測交じりに述べたことも、あながち的外れでもなかったですね。改めて整理すると、昭和13年の初出段階では「春の夜を飾るなだらかな大曲線」だったものが、このフレーズを気に入った抱影の中で、いつしか「春の大曲線」に縮まったのだとすると(これまた憶測まじりですが)、結局「春の大曲線」という言い回しは、敬信氏と抱影の<合作>と見なすのが適当かもしれませんね。
なるほど、元はやはり鈴木敬信氏でしたか。そして氏が東日天文館の発行物に乗せた文章がオリジンだとすると、私が憶測交じりに述べたことも、あながち的外れでもなかったですね。改めて整理すると、昭和13年の初出段階では「春の夜を飾るなだらかな大曲線」だったものが、このフレーズを気に入った抱影の中で、いつしか「春の大曲線」に縮まったのだとすると(これまた憶測まじりですが)、結局「春の大曲線」という言い回しは、敬信氏と抱影の<合作>と見なすのが適当かもしれませんね。
_ S.U ― 2026年05月04日 08時17分39秒
manami sh.様、玉青様、よい情報をありがとうございます。
抱影について検索していましたら、以下のような文献を見つけました。
渡辺真由子氏著
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2023_05/3paper-03watanabe.pdf
manami sh.様のおっしゃる趣旨の流れのあと、鈴木敬信氏が短縮形の「春の大曲線」を逆輸入?されたようです。
それで、私が野尻抱影を調べていたのは、ドイツの女性への手紙形式の星座解説本が、『新星座めぐり』の「――さん、」の呼びかけを連想させたからです。『新星座めぐり』には原恵氏の解説がついていて、このスタイルの由来となる動機について多少の考察がされていてそれも興味深いですが、経緯はよくわかりません。それはここでは割愛しまして、とにかくこのスタイルが、旧版の『星座めぐり』(1927)と『星座巡禮』(1930)でどうなっているか見たかったのですが、内容はわかりませんでした。原氏の書き方によると戦前著は内容が別物らしく、「――さん、」は戦争後の事情で『新星座めぐり』特有と見られているようです。
抱影について検索していましたら、以下のような文献を見つけました。
渡辺真由子氏著
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2023_05/3paper-03watanabe.pdf
manami sh.様のおっしゃる趣旨の流れのあと、鈴木敬信氏が短縮形の「春の大曲線」を逆輸入?されたようです。
それで、私が野尻抱影を調べていたのは、ドイツの女性への手紙形式の星座解説本が、『新星座めぐり』の「――さん、」の呼びかけを連想させたからです。『新星座めぐり』には原恵氏の解説がついていて、このスタイルの由来となる動機について多少の考察がされていてそれも興味深いですが、経緯はよくわかりません。それはここでは割愛しまして、とにかくこのスタイルが、旧版の『星座めぐり』(1927)と『星座巡禮』(1930)でどうなっているか見たかったのですが、内容はわかりませんでした。原氏の書き方によると戦前著は内容が別物らしく、「――さん、」は戦争後の事情で『新星座めぐり』特有と見られているようです。
_ (未記入) ― 2026年05月04日 17時44分53秒
S.Uさま、お久しぶりです。紹介の渡辺真由子氏の一連のアステリズムはNDLコレクションを積極的に活用したもので、とても好感を持っていました。野尻抱影氏の著作は、現在、国会図書館に行かなければ見れない状況に変更されました。地方に居るものにとっては残念です。「星座めぐり」は「肉眼・双眼鏡・小望遠鏡観測 星座めぐり 別篇 星座・星名辞彙」(研究社,昭和2年)と表題は長いものです。内容は月・惑星、望遠鏡等に及んでいます。語りかけ形式は取っていません。野尻抱影氏の序文にはK.Mckready, A Beginners Star Book ,初版は1912年で重版を重ねた本を参考に執筆を計画した旨が述べられています。旧版「星座巡礼」は、未見です。ところで、竹内時男氏ですが、戦前はラジオにも出られ、1935年には東京AK第二で「最近の物理学」と題して5回にわたり講演しています。あれ以来、時々出会うのですが、気になる方です。
_ manami sh. ― 2026年05月04日 17時51分14秒
失礼しました、先の投稿ですが、名前の記載、漏れでました。
_ 玉青 ― 2026年05月05日 17時22分59秒
○S.Uさま
ありがとうございます。
「春の大曲線」誕生の歴史がいよいよ鮮明になってきましたね。やはり先学の力は大きいです。
ところで『新星座めぐり』は未見ですが、全体が呼びかけ形式というか、一種の書簡形式になっているのでしょうか。19世紀中葉までは大人の女性宛てだったものが、その後、子ども宛ての形式に変わったという変化はありますが、英米の児童書では20世紀に入っても多用された形式ですから、抱影もその辺から学んだ可能性はありますね。あるいは子供向け科学雑誌でも、そうした解説方式はよくあった気がするので、その応用でしょうか。
ちなみに手元の『星座巡礼』(1931年・第7版)は、ですます調の平易な文体ですが、誰かに呼びかける形式は見られませんでした。
○manami sh.さま
国会図書館デジタルコレクションの今回の公開範囲の変更、SNSでも話題になっていましたが、デジタル時代に逆行した措置と見るべきか、著作権をより重視するのは時代の要請と見るべきか、まあ何にせよ調べ物をするには不便になりました。正直残念です。
ありがとうございます。
「春の大曲線」誕生の歴史がいよいよ鮮明になってきましたね。やはり先学の力は大きいです。
ところで『新星座めぐり』は未見ですが、全体が呼びかけ形式というか、一種の書簡形式になっているのでしょうか。19世紀中葉までは大人の女性宛てだったものが、その後、子ども宛ての形式に変わったという変化はありますが、英米の児童書では20世紀に入っても多用された形式ですから、抱影もその辺から学んだ可能性はありますね。あるいは子供向け科学雑誌でも、そうした解説方式はよくあった気がするので、その応用でしょうか。
ちなみに手元の『星座巡礼』(1931年・第7版)は、ですます調の平易な文体ですが、誰かに呼びかける形式は見られませんでした。
○manami sh.さま
国会図書館デジタルコレクションの今回の公開範囲の変更、SNSでも話題になっていましたが、デジタル時代に逆行した措置と見るべきか、著作権をより重視するのは時代の要請と見るべきか、まあ何にせよ調べ物をするには不便になりました。正直残念です。
_ S.U ― 2026年05月06日 12時13分29秒
玉青様、
『新星座めぐり』は、はしがきとコラムを除けば、全編、
――さん、・・・を見ましょう。・・・です。
という感じで、「――さん、」が、数ページに1回くらい、くりかえし出てきます。手紙ではなくても個人教授かもしれませんが、「みなさん」ではないので子どもへの授業とは違う感じに思います。
戦前に同様の例があったら、西洋書の影響がおもとも考えられると思いましたが、戦後のこの書だけなら、著者や原恵氏が言っているように、戦争のあとの人々へのコンパッションからのいたわりがおもなのかもしれないと思います。
manami sh.様、
竹内時男氏の情報をありがとうございます。竹内氏は日本では早い段階で、素粒子物理学を観測天文学と結びつけた貴重な人だと思います。ラジオの内容はわかりませんが、著作から想像はできるかもしれません。今後ともよろしくお願いいたします。
『新星座めぐり』は、はしがきとコラムを除けば、全編、
――さん、・・・を見ましょう。・・・です。
という感じで、「――さん、」が、数ページに1回くらい、くりかえし出てきます。手紙ではなくても個人教授かもしれませんが、「みなさん」ではないので子どもへの授業とは違う感じに思います。
戦前に同様の例があったら、西洋書の影響がおもとも考えられると思いましたが、戦後のこの書だけなら、著者や原恵氏が言っているように、戦争のあとの人々へのコンパッションからのいたわりがおもなのかもしれないと思います。
manami sh.様、
竹内時男氏の情報をありがとうございます。竹内氏は日本では早い段階で、素粒子物理学を観測天文学と結びつけた貴重な人だと思います。ラジオの内容はわかりませんが、著作から想像はできるかもしれません。今後ともよろしくお願いいたします。
_ 玉青 ― 2026年05月06日 17時42分10秒
ご教示ありがとうございます。
『新星座めぐり』(昭和22年)前後の抱影の動きを俯瞰すると、昭和20年には断筆しかねないほど落ち込んでいた抱影が徐々に創作意欲を取り戻し、前年(昭和21年)には、あの『星恋』が出版され、翌年(昭和23年)以降は、戦後の本格的な多作期に入っていきます。『星恋』もそうですが、当時の抱影は、旧来の作物とは異なる実験的な試みをいろいろしてみたかった時期に当たるのかもしれませんね。
『新星座めぐり』(昭和22年)前後の抱影の動きを俯瞰すると、昭和20年には断筆しかねないほど落ち込んでいた抱影が徐々に創作意欲を取り戻し、前年(昭和21年)には、あの『星恋』が出版され、翌年(昭和23年)以降は、戦後の本格的な多作期に入っていきます。『星恋』もそうですが、当時の抱影は、旧来の作物とは異なる実験的な試みをいろいろしてみたかった時期に当たるのかもしれませんね。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。



最近のコメント