月の霊廟 ― 2026年08月11日 15時52分02秒
8月6日、9日、15日。
日めくりを見ながら、さまざまな思いが胸に去来する時期です。
季節柄、天文古玩的にこんな絵葉書を手にしました。
月と星に照らされた大鳥居。
「(大東京夜の美観)星輝〔せいき〕澄む夜の靖国神社と大鳥居」と題された1枚です。戦前、まだ世の中が戦争一色になる前に出たものと思います。
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国家として戦死者を追悼する施設は、世界中にあるでしょう。
また聖戦に斃れた者は天国に召されるとする観念も、古今東西あったと思います。
しかし「戦死者イコール神」であり、他ならぬ戦死者が祭神だという極端な教義の施設は、至極珍しいんじゃないでしょうか。まあ、仏教も日本化すると「人は死ねば皆ホトケだ」という簡便なことになるし、戦死者はみな神様だ…というのも、やっぱり同じ伝なのかもしれません。
人間と神様・仏様の境界がごく薄いというのは、考えようによっては、ひどく民主的ですが、ただ、靖国神社の場合は、「国を靖んじる神社」という名が示すように、「国家あっての神様」であり、神様すらも国家に奉仕する存在だ…という点において、やはり民主とは相いれない存在と言わざるを得ません。
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月明かりの参道をゆく参拝者。母子連れでしょうか。
これは絵葉書ですが、現実にもあり得た光景と思います。
亡夫・亡父に手を合わせるとき、果たして彼らは何を思ったか。
当時のポリティカル・コレクトネスに照らして、口にできなかった思いも含めて、一言では尽くせない、複雑な思いが渦巻いたのは確かでしょう。
靖国は日本が軍事強国を目指す過程で生み出された、兵士を死地に駆り立てるための精神装置だったと私は思いますが、国家はそもそも国民のためにあるのであって、決してその逆ではない、ということは何度でも繰り返し述べたいと思います。
コメント
_ S.U ― 2026年08月13日 09時03分55秒
_ 玉青 ― 2026年08月15日 10時55分44秒
靖国は、旧来の観念に照らせば「御霊信仰」的な神社(強烈な祟りのベクトルを反転させることで御利益を期待する)であるべきですが、そうはなりませんでしたね。あるいは、本来死者を供養するための施設ですから、もっと仏臭い場所になってもよかったのですが、維新当時に吹き荒れた「原理主義的神道イズム」の高揚によって、それも吹き飛ばされてしまった観があります。ああいうファナティックなイデオロギーは、国学やら水戸学やらを突きまぜて。江戸後期に成立したものと思いますが、そんな薄っぺらな伝統に依拠しているところが、いかにも寒々しいです(同じことを現代の「保守」論客にも感じます)。まあ、靖国は近代のミリタリズムと背中合わせの奇態な宗教施設というほかはない…というのが私の率直な感想です。
_ S.U ― 2026年08月16日 06時40分13秒
神道に、原理や聖典はなく儀式なども伝統でやっている(それこそが伝統)というのは神道関係者が認めていることで、多くの人も祭りなどの経験からわかりそうなことですから、原理主義を前面に出すこと自体、伝統から外れた一時的な私利的起源の行為と言えると思うのですが、日本にはいろんな宗教があるので、わけがわからなくなって気づきにくいことになっているのかもしれません。




以下は私の私見です。が、私の歴史学、民俗学をかじったことと矛盾はしていないと思います。
日本の神道や仏教宗派の聖典や有名な歴史的著作に、戦死者は特別の神仏である(一般的な亡くなった人とは別の次元でという意味) というような断定とか、祭祀するときに、味方の軍人だけとか、敵味方双方とか、民間人も含むかとか、決まった書かれた規則は存在しないと思います。また、それが特徴ではないかと思います。江戸時代以前は、行われた結果だけが記録に残され、のちの世のひとは、それに前例として従ったものではないでしょうか。もちろん、前例を100%踏襲する動機はありませんし、規則は変えてはいけないという規則もないので、そこに絶対性はありません。従う場合、従わない場合、両方あります。
明治以降になって、日本が西洋近代国家の真似をする必要ができて、初めて、国家神道の「教義」(規範)というものができたのではないかと思います。でも、それも、原理がこうこうという聖典はつくられていないので、その時々の都合でやっていく腹のものと思います。
思うに、これは極めて時代に柔軟で合理的な手法だと思います。ただ、弱い立場の人や頭の硬いひとが、これを不変の原理だと勘違いすると、自分自身や関連の社会がありもしない原理に縛られて、多大な負債を負ってしまったり、不要の分断を招きかねないことではないか(だから要注意、原理としては、その都度、話し合うべきこと)と思います。