神戸の夢(2)2017年03月04日 14時20分13秒

(昨日のつづき)

西 秋生(本名・妹尾俊之、1956-2015)著、ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残』(2016)は、大正~昭和戦前に、まばゆい光を放った神戸ハイカラモダニズムを、現在の神戸に重ねて幻視する内容の本です。元となったのは、2009~10年に神戸新聞紙上に連載されたコラム、「ハイカラ神戸幻視行―紀行篇」。

当時の神戸は、他の時代や、他の土地では決して見られない、文字通りユニークな文化的オーラをまとった街だった…というのが、西氏の言わんとするところだと思います。そして、それは土地っ子の身びいきではなく――もちろん身びいきの要素もあるでしょうが、それを差し引いてもなお――真実その通りであると、この本を読むと頷かれます。

多くの異人さんが住み、舶来品が毎日荷揚げされた町は、旧来の日本人にとって、まさに異国の町。他方、船に乗ってやって来た当の異人さんにしても、神戸はもちろん異国の町です。神戸は誰にとっても異邦であり、誰もがエトランジェであり、だからこそ自由であり、夢があったのでしょう。そういう無国籍な街は、往々「魔都」になりがちですが、神戸の場合、その明るい風光のゆえか、始終伸びやかな空気が支配的だったのは、まことに幸いでした。

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明治の香りが匂い立つ旧居留地、北野町の異人館、トアロードの賑わい、緑したたる六甲、阪神間のそこここに展開したお屋敷町、往来する市民を明るく照らした元町通りの鈴蘭灯…。

西氏の文章は、どちらかといえば抑制の利いた、客観描写を主とするものですが、その筆致は、かつてそこにあった建物、かつてそこを行き来した人々を活写して、読者を昔の神戸へと誘いこみます。そして西氏自身、ときに「向うの世界」へと迷い込みそうになる自分を抑えかねる風情が見られます。

たとえば、神戸の中でもとりわけ古い地区――かつて福原の都が置かれ、濃い緑の中に寺社が点在し、幕末に勝海舟が寓居した奥平野地区を歩きながら、氏はつぶやきます。

 「私の幻視行は2010年の今日を出発点として、約八十年前、神戸に無類のハイカラ文化が開花した時代を訪ねるものであるが、奥平野を歩いていると、自分がまさに大正半ばから昭和初期のその頃にいて、そこから明治や幕末の昔を偲んでいる、そんな錯覚に見舞われることがある。

だから、あるいは深夜、漆黒の闇が街をすっかり塗り潰してしまうまで当地に留まっていて、それから暗闇伝いに山麓線をたどって行くと、赤いおとぎ話のような錐塔に彩られたトアホテルに行き着くことができるかも知れない。」  (上掲書 p.237)
〔※改行は引用者。引用に際し、年代の漢数字をアラビア数字に変換。以下同じ〕

こうした<跳躍の予感>こそ、西氏が持つ幻視者としての資質を示すものでしょう。

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さらに、本書の中にちょっと妙な記述が出てきます。
それは、明治の末に、西本願寺門主の大谷光瑞が、西洋趣味とオリエント趣味を混ぜ込んで建てた、奇怪な建築「二楽荘」について触れた箇所です。

(二楽荘本館。ウィキペディアより)

 「私は子どものころ、それと知らずに二楽荘を訪れたことがある。記憶にはこの異形の建造物に向き合った鮮烈な時間のみが刻み込まれていて、前後はまったく定かでない。

 真夏であった。いまから振り返ると天王山の急勾配を登り詰めた果てのことだったのだろう、唐突に広がった視界の真ん中に、思いがけず二階建てのがっしりした洋館が聳え立っていて、私は息を飲んだ。異様な外観であった。濃くくすんだ灰色の壁には細長い窓があり、部屋や庇が複雑な形に張り出している。屋根は赤い。右端はドームになっており、尖塔は玉ねぎを半分に切った形に見える。その先には何もなく、ずっと遠くに見える市街と大阪湾のほうからしきりと風が吹き寄せてくる。それで初めて、全身汗みずくになっていたことに気づいた。昼下がり、蝉の声も途切れて、静寂の中に叢のざわめく音が僅かに漂ってくる。…

 時に甦ってくるたび、何か不思議なおもいに包まれる記憶であった。小学校の低学年か、もっと前かも知れない。二楽荘は阪急岡本の北、山の中腹にあり、そこは幼時の私の生活圏のぎりぎり外縁に当たる。夏休みのささやかな冒険だったのだろう〔…〕」
 (同 p.179-80)

汗をかきかき丘を登り、古いお屋敷の中へ…。
いかにも昭和の少年らしい冒険譚です。しかし、問題はこの次です。

 「〔…〕と納得していたが、長じて二楽荘の詳細を知った私は愕然とした。建物の写真は記憶そのままで懐かしかったけれども、しかし、それは昭和7年(1932)、放火と疑われもした不審火によって全焼してしまっていたのである。〔…〕建築家の伊東忠太が≪本邦無二の珍建築≫と評したこの内部へ、たとえ幻であったにしろ、あの時どうして踏み入れなかったのか、悔やまれてならない。」 (同 p.180)

この前後に、納得のいく説明は一切ありません。ただ、幼時の思い出として、こういうことがあった…と述べられているだけです。

一読ヒヤッとする話ですが、西氏亡き今、真相はすべて闇の中ですし、西氏ご自身にしたところで、真相不明であることは読者と同じでしょう。これを記憶の錯誤や、記憶の再構成で説明するのは簡単ですが、こういうことは軽々に分かった気にならず、心の中でしばし味わうことが大切だと思います。

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私が西氏の文章に強く共感するのは、次のような文章を目にしたことも一因です。
足穂の「星を売る店」の舞台となった、中山手通付近の景観を叙す中で、氏はこう述べています。

 「中山手通の南、市電が走っていたこの箇所は、兵庫県公館として活用されている元の兵庫県庁舎と神戸栄光教会のあるあたりである。往時はこれらの北側、いま「県民オアシス」という公園になっている地に、ドームを乗せた石造りの「兵庫県会議事堂」と煉瓦造りの「兵庫県試験場」が隣り合って建っていた(ともに昭和46年解体)。
 
 その竣工年を調べて、面白いことを発見した。
 兵庫県庁舎は明治35年(1902)で古いが、栄光教会、兵庫県会議事堂、兵庫県試験場はいずれも同年で、大正11年(1922)なのである。そして、「星を売る店」 の発表は、翌大正12年ではないか。
 
 すなわち、この作品の≪ちよっと口では云はれないファンタジー≫、≪ちよっと表現派の舞台を歩いてゐるやうな感じ≫は、実に出現したばかりの最先端の都市景観が醸し出すものであったのだ。まことに、ウルトラモダニスト・タルホの面目躍如と言わねばならない。」
 (同 p.158)

この文章を読んで、私はかつて自分が書いた記事を思い出しました。
何となれば、私もこれらの建物の建築年代と、それが「星を売る店」の成立に及ぼした影響に思いをはせていたからです。

(画像再掲。元記事は以下)

■「星を売る店」の神戸(10)…星店へのナビゲーション(後編の下)

西氏の文章は、拙文より数年前に発表されたものです。
私はそれを全く知らずにいましたが、同じ景観を前に、類似した結論に至ったという、その思路の共通性に、今回一方的に近しいものを感じて、大いに嬉しく思いました。

上の記事を書いた時は、西氏とお目にかかる機会も、かすかに残されていました。
その糸も断たれた今、私自身、夢の名残を反芻するばかりですが、しかし、そのこと自体が西氏の追体験でもある…と思えば、単に寂しいばかりではありません。

(この項つづく)

神戸の夢2017年03月03日 18時35分05秒

ところで、先週と先々週の「ブラタモリ」は神戸でした(明日は奄美大島)。
時間の制約から、やや食い足りないところも見受けられましたが、それでも神戸の街のあれこれを思い浮かべて、しばし画面に見入りました。

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このブログで神戸といえば、何と言っても稲垣足穂が過ごした町。
そして、長野まゆみさんの『天体議会』の舞台となったのも、きっと神戸だろう…ということを、以前長々と書きました。

神戸に関する本は、ずいぶんたくさん出ていることでしょう。
私はそれらを広く読んだわけではありませんが(というか殆ど読んでいませんが)、ただ、通り一遍の観光案内なんぞでなく、神戸の「深層」を語る本として、私が一読深い感銘を受けたのは、西秋生氏の『ハイカラ神戸幻視行』です。

西氏は生粋の神戸人であり、紙資料を博捜するばかりでなく、ご自分の足で神戸中を歩き回り、町の現況を確認し、多くのオリジナルな観察や発見をされています。
この本のことは、すでに4年前にも取り上げました。

■夢の神戸…カテゴリー縦覧:新本編

そのときは、初編にあたる『ハイカラ神戸幻視行―コスモポリタンと美少女の都へ』について言及したのですが、昨年、その続編である『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残り』が刊行されました。

(左・初編(2009)、右・続編(2016)。いずれも神戸新聞総合出版センター)

この2冊は、ともに神戸を縦横に掘り下げた本ですが、その構成がいくぶん違います。
すなわち、初編は「人物」を軸としているのに対し、続編は「土地」を軸としています。この2冊を合わせて読めば、神戸の街に漂う「記憶」や「匂い」が、鮮やかに甦る仕掛けです。

試みに、それぞれの章題のみ、目次から抜粋してみます。

■『ハイカラ神戸幻視行―コスモポリタンと美少女の都へ』
 序章 神戸、その都市魅力
 第1章 宇宙論的挑発(イナガキ・タルホ)
 第2章 美女と美食と藝術と(谷崎潤一郎)
 第3章 詩人さん(竹中郁)
 第4章 妖しい漆黒の光芒(探偵作家たち)
 第5章 カンバスとレンズの向う(小松益喜と中山岩太)
 第6章 港都の誘惑(やって来た人たち)
 第7章 失楽の軌跡(去って行った人たち)
 終章 <ハイカラ神戸>へのコンセプトワーク

■『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残り』
 序章 夢の街へ、街の夢を訪ねて
 第1章 世界一美しい“異国” 元居留地
 第2章 異人館の街 山手雑居地(北野町・山本通)
 第3章 ボヘミアンの闊歩 トアロード
 第4章 繁華街の古層 三宮界隈
 第5章 鈴蘭燈の輝く下で 元町界隈
 第6章 船長文化の開花 中山手界隈
 第7章 夢のミクロコスモス 阪神間
 第8章 山の麓 六甲・王子公園
 第9章 静謐な歴史の街 兵庫
 第10章 明るい海と山と石と 須磨・明石
 終章 時の彼方から

この章題からも、神戸の魅力が尽くされていることが――西氏は「いや、決して尽くされていない」と仰るかもしれませんが――お分かりいただけるのではないでしょうか。

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この美しい2冊の本の「衣装」を手がけたのが、画家の戸田勝久氏で、氏もまた生粋の神戸人と伺いました。その思いは、初編の北野町小路の夜景に、そして続編の昔日のトアロードの光景へと結実し、この2冊を並べることで、神戸の昼と夜が一望できる趣向となっています。

(カバー絵は表と裏で連続し、1枚の絵となっています。戸田勝久画 『神戸幻景 トアロード1928』)

そして見返しには、


 彗星と並んで疾走するボギー車。
 スパークする火花。
 「地上とは思い出ならずや 稲垣足穂」の文字。

   ★

嗚呼、地上とは思い出ならずや…

著者の西氏は、2015年、本書が上梓されるのを見ずに病没されました。
この『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残り』は、西氏の遺著であり、思い出であり、夢の名残りであるのです。そこに深い寂寥を感じつつ、本書の内容についても見てみます。


(この項つづく)

さわやかな星座早見盤2017年03月01日 06時21分30秒

駄菓子的な天文アイテムといえば、この星座早見盤は、さしずめ薄荷味のお菓子。

(右側は早見盤が入っていた外袋)

シュトゥットガルトの老舗教育出版社、フランク出版(Franckh’sche Verlagshandlung、現・フランク・コスモス出版)が売り出した星座早見盤。

時代はさして古いものではありません。付属の説明書によれば、初版は1965年、手元のものは1974年に出た第8版です。


地平線を示す楕円の周囲に、地上の景色を描きこむのは、他にも例がありますが、窓自体が凹凸の不整形になっているのは、ちょっと面白い工夫です。
それに何といっても、この色合い。上品なペールブルーと純白のコントラストが、とても爽やかな印象を生んでいます。


洒落たコートを羽織った男が、じっと見入るのもむべなるかな。


裏面はこんな様子。


星座早見というのは、星を描いた「星図盤」と、その時見える空の範囲を示す「地平盤」の組み合わせから出来ており、北極星を中心に盤をクルクル回すことで、星空をシミュレートするわけですが、この製品は、地平盤から南北に伸びた「突起」の隙間を星図盤が回るようになっており、星座早見としてはわりと珍しい構造です。

(ヘルムート・シュミットさんというのは、たぶん元の持ち主)

さらに、星図盤をよく見ると、通常の「日付目盛り」の外側に「赤経目盛り」があり、最外周に「黄道十二宮」が表示されているのも、細かい工夫です。

黄道十二宮については、占星術に関心のある人以外、あまり使いでがないかもしれませんが、現在の黄道十二星座とのずれ具合から、地球の歳差運動に関心を持ったり、天文学の長い歴史に思いをはせる役には立つでしょう。

洒落たデザインばかりでなく、教育的配慮も行き届いた、これはなかなかの佳品です。

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…というようなことを書いて、事足れりとしてはいけないのでした。
実は、この爽やかな星座早見盤は、単に爽やかなだけの品ではありません。

先日、部屋の灯りを消して、ふと机の上を振り返ったら、この星座早見が微かにボーっと光っていて、一瞬ぎょっとしました。

(私のカメラは暗所では無力なので、画像をいじってコントラストをMAXにしました)

「え?!」と思って、読めないドイツ語を辞書で引いたら、この早見盤のタイトル、「Nachtleuchtende Sternkarte für Jedermann」というのは、「一般用夜光星図」の意味なのでした。


他にも夜光塗料を使った星座早見盤の例はあるでしょうが、それと意識せずに見せられると、やっぱりちょっとびっくりします。そして、「うむ、よくできている」と、ここで再び膝を打ったことは、言うまでもありません。確かにこれは佳品と呼ぶに足る品です。

(さらなる暗闇の中、鬼火のように燃える星たち)


水色とオレンジの星図2017年02月26日 23時17分49秒

天文古玩の「本領」というか、このブログの肝は、やっぱり天文関係の古物です。
最近はそこから派生して、ちょっと天文趣味とは遠いものを取り上げることも多いですが、リアルな星に関わる品は、依然「天文古玩の生命線」。

まあ、あまり王道路線にこだわると、価格的にきびしいので、手にするのは駄菓子的な品ばかりですが、そういう他愛ない品には、他愛ない品なりの魅力というのが確かにあります。言うなれば、豪華な飾り皿にはない、日用雑器の魅力といいますか、「天文界の民芸品」的魅力といいますか。

普通の天文趣味人が、普通に使った品にこそ、その当時の天文界の空気がいちばんよく表れるものです。

下の星図も、そんな品の1つ。


Carte de Ciel:visible de l’Europe Centraire de l’Abbé Th. MOREUX.
   Girard et Barrère (Paris), c.1930.

モルー神父による、中部ヨーロッパ版星図。
ジラール&バレール社という、地図の出版社から出たもので、刊年記載はありませんが、1930年代のもののようです。



この星図は折りたたみ式になっていて、中身を広げていくと…




大きすぎて、私の机の上では十分広げることができませんが、73×64cmほどある大版の星図です。購入時の商品写真を使わせてもらうと、全体はこんな感じ。


載っているのは5等級までの星で、まあ、どうということのない星図ですが、明るい水色とオレンジの取り合わせがきれいで、こういうところはフランスっぽいなと思います。

(中央部拡大)

この星図に魅かれたのは、星図としての魅力もありますが、いちばんの理由は、何と言ってもモルー神父の名前があったからです。

テオフィル・モルー(Théophile Moreux, 1867-1954)という、この興味深い人物については、奇怪なイスラム風天文台の主として、また美しい星図を編み、科学奇書を著した人として、そしてフラマリオンの下に参じて師の衣鉢を継いだ者として、過去に三度言及しました。

■ある神父さんの夢の天文台
■モルー神父の青い星図
■フランス天文学会の門をくぐる

そして、この愛らしい星図も、やっぱり彼の不思議な天文台で作られたものなのでした。

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この星図の版元である、「ジラール&バレール社」について調べていたら、その所在地である「アンシエンヌ・コメディ通り17番地」のすぐ隣、同18番地は、ピエール・ジェラール・ヴァッサール(Pierre Gérard Vassal、1769-1840)という医師の旧居であり、彼はパリのフリーメーソン団体、「フランス大東方会(Grand-Orient de France)」の大立者であった…というようなことが、フランス語版のwikipediaに書かれていました。

まあ、そのことはモルー神父とは全然関係ありませんし、こういうのはパリや京都のように古い街なら、頻繁に起こる偶然なのでしょうが、でも、何となくモルー神父のことを思い浮かべると、パリの一角に漂う奇妙な「気」が、時を超えて引き合ったのかなあ…と思ったりします。


旅人、しばし本の町に憩う2017年02月25日 14時26分41秒

休みの日しか記事を書けないような生活は、いやだなあと思いますが、これも憂き世の定めで仕方ありません。

そんな中ですが、季節の移行は、確実に行なわれつつあります。
暗い地下では、根冠が目覚め、水をゆっくりと吸い上げ、
生体内の物質循環が再開し、枝先では若芽や花芽が膨らみ始めています。

人間界でも、春のイベントに向けて、孜々(しし)と準備が進んでいます。

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来たる3月、これまで多くの博物趣味の徒を惹きつけて来たイベント、「博物蒐集家の応接間」が、神田神保町の三省堂本店で開催されます。題して「旅の絵日記」。

(DMイラストはヒグチユウコさん)

■第5回 博物蒐集家の応接間 「避暑地の休暇 ~旅の絵日記~」
○会期  2017年3月25日(土)~3月29日(水)  10時~20時
○会場  三省堂書店 神保町本店(8階催事場)
       東京都千代田区神田神保町1-1
       MAP・アクセス→ https://www.books-sanseido.co.jp/shop/kanda/
○主催  神保町いちのいち、antique Salon
○参加ショップ
    Landschapboek、メルキュール骨董店、ORLAND、JOGLAR、piika、
    Ô BEL INVENTAIRE、antique room 702、sommeil、antique Salon
    (特別展示:天文古玩『空の旅』、協力:ヒグチユウコ) 
○DMより
    「避暑地への旅 滞在先での楽しい記憶 蒐集した品々 
    そんな思い出を絵日記にして」
    「2016年7月より池袋ナチュラルヒストリエにて展開してきました
    『避暑地の休暇』もいよいよ完結。
    神保町を舞台に旅の思い出をカタチにして、皆様をお待ちしています」

   ★

今回の参加ショップは9店舗。
その品目も、標本、剥製、天文、博物図版、オブジェ、人形、道具、宗教関連…と多岐にわたります。この並びを見ると、「お、ヴンダーカンマーだね」と思われるかもしれません。しかし、日ごろ「ヴンダーカンマーには美意識がない」と公言されている、antique Salon さんが主催者となれば、そこにひねりが加わらないはずはなく、その絵日記に、はたしてどんなストーリーが綴られるのか、大いに注目されます。

そして、臆面もなく…という感じで、天文古玩もお味噌参加していますが、私の方は「空の旅」と称して、人と星との遥かなかかわりを旅になぞらえ、古今東西を放浪することにします。

長い夏休みの終わりが、そのまま春につながる不思議さ。
博物蒐集の旅は、軽やかに季節の歩みをも跳び越えるのです。
次のシーズンも、きっと良い出会いがありますように。




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閑語(ブログ内ブログ)

それにしても、一週間というのは、いろいろなことが起きるのに十分な長さです。
例の森友学園の件も、ここに来てバケツの底が抜けたように、隠されていた事実が出るわ出るわ、本当に驚いています。さしもの安倍夫妻も、ここは逃げの一手。それがまた事件全体の薄汚さを強調しているようです。

ここは、トカゲのしっぽ切りで終わらせず、不正はしっかり糺してほしいものです。

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ときに、今回の一連の報道を見ていて、現代を生きる極右の人の頭の中身が分かったようで、その点興味深く思いました。

森友学園が開校を予定している小学校――当初、「安倍晋三記念小学校」として構想された学校――の教育の要なる案内資料を見ました。

同校は「神道小学校」と喧伝され、また創立者自身もそういう意識でいたと思いますが、改めて眺めると、その内容は、「教育勅語」を暗唱したり、「大学」を素読したりで、あまり神道教義とは関係がなく、この辺は「水戸学」を意識しているのかもしれません。

ちょっと目新しいのは、「般若心経朗唱」によって宗教的情操を育成しようというスローガンで、こうなると神・儒・仏同舟の、いわば虎渓三笑的光景で、それ自体は結構なことですが、まあ江戸時代の国学者が聞いたら、かなりしょっぱい顔をすることは間違いありません。(それに、狂信的な水戸学徒が現代に復活したら、親米を唱える輩は、みな誅戮の対象となるのではありますまいか。)

結局、籠池という人物の脳裏にあるのは、特定の思想なんぞではなく、何となく復古調のものなら何でも良かった…んじゃないでしょうか。そして、その行状を見るに、先人の言葉や思想はまったく血肉化していないとおぼしく、彼は己の支配欲を正当化するために、先人の言葉を切り張りしたに過ぎない…と、私には感じられます。

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とはいえ――。
中途半端な理解による過去への郷愁…というと、まさにこの「天文古玩」もそうですから、これは大いに他山の石とせねばなりません。


パドヴァ天文台2017年02月19日 11時46分25秒

長靴型のイタリア半島の付け根、東のアドリア海に面する町がベネチアで、ベネチアの西隣に位置するのがパドヴァの町です。

ガリレオは1592年にパドヴァ大学に赴任し、1610年にフィレンツェに移るまで、この町で研究に励みました。彼の最大の功績である望遠鏡による星の観測や、『星界の報告』の公刊も、パドヴァ時代のことです。


上は、そのパドヴァの町にそびえる天文台。
1910年前後の石版刷りの絵葉書。緑のインキで刷られているところがちょっと珍しい。
左側にミシン目が入っていて、使うときは切り取って使ったものらしいです。

(一部拡大)

この塔こそ、ガリレオが星の観測に励んだ場所だ…というのは、ずいぶん昔からある伝承で、「そりゃ嘘だ。第一、時代が合わない」という声を尻目に、そう信じている地元の人も少なくないそうです。

その辺の事情を、INAF(Istituto Nazionale di Astrofisica、イタリア国立天体物理学研究所)のサイトでは、こう説明しています(以下、適当訳)。

パドヴァ天文台博物館 「ラ・スぺコラ」
 パドヴァ天文台1000年の歴史と250年の観測史

 多くのパドヴァ市民(や市外の人)に伝わる誤った伝承によれば、この天文台の塔こそガリレオの塔であり、高名な科学者は、この場所から素晴らしい天文学の発見の数々を成し遂げ、人類史上初めて、天空の裡に隠された星々の特異な性質を解き明かしたとされる。これらの発見によって、彼は天文学のみならず、科学全体に革命を起こしたのだ。

 このように広く信じられてはいるものの、パドヴァ天文台を、あの有名な科学者が訪れたことはない。なぜなら、この研究機関が設置されたのは(したがって、以前から存在したパドヴァの古城の主塔上に天文台が建設されたのは)ようやく1767年のことで、ガリレオがパドヴァを離れ、メディチ家の宮廷があったフィレンツェに移ってから、約150年も経ってからのことだからである。

 ガリレオ云々は「神話」に過ぎないとはいえ、スぺコラを訪ねる人は、決して失望することはないだろう。この場所は、多くの魅力に富み、歴史・芸術・科学にまつわる濃厚な雰囲気に満たされた場所だからだ。実際、パドヴァ天文台では1776年〔原文のまま〕以来、高い水準の研究が行われてきたし、1994年からは、その最古の部分を市民に公開し、塔屋部分は天文博物館に改装されている。現在では、過去何世紀にも及ぶパドヴァの天文学者たちの仕事部屋を縫うようにして、塔屋全体が博物館となり、昔の天文機器が展示されている。

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その「スぺコラ博物館」の内部の様子は、同じINAFの以下のページで少し覗き見ることができます。

■SPECOLA, THE ASTRONOMICAL OBSERVATORY OF PADUA

展示の主力は18世紀後半~19世紀の天文機材で、ガリレオ時代のものは仮にあったとしても、他所から持ってきたものでしょう。それでも、13世紀にさかのぼる中世の塔に、古い天文機材が鈍く光っているのは、なかなか心を揺さぶられる光景です。

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以下、おまけ。ちょっと角度を変えて撮った絵葉書も載せておきます。


こちらはリアルフォトタイプなので、1920年代ぐらいの光景だと思います。




天文台とは関係ないですが、添景として写っている少年たちの姿がいいですね。
こんな塔のある古い町で子供時代を送ってみたかったな…と、ちょっと思います。



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閑語(ブログ内ブログ)

沖縄のこと、福島のこと。
そしてまた南スーダン、共謀罪、森友学園の土地取得疑惑…と、政権周辺波高し。
にもかかわらず、またぞろ強行採決をもくろむとすれば、やっぱり現政権は●っているとしか思えません。でも、今日はちょっと違うことを書きます。

今朝、ふと菅元総理の「最小不幸社会」というスローガンを思い出しました。
あれは2010年のことで、その言葉がニュースで報じられるや、「なんで『最大幸福社会』と言わないんだ」と大ブーイングでした。

当時の言説をネットで読み返すと、「考えが後ろ向きだ」、「希望がない」、「覇気がない」、「敗北主義だ」とか、あまりにも感情的な言葉が並んでいるのに、ちょっと驚かされます。菅さんへの個人的好悪をさておき、私自身は、当時も今も「最小不幸社会」の実現は、政治家として至極真っ当な主張だと思っています。

金持ちがいっそう金持ちになるべく、欲望をぎらつかせることは勝手ですが、何も政府がその後押しをする必要はありません。お上は、もっと弱い立場の人に目配りしてほしい。幸福の総量が増すことと、その分配が真っ当に行われるかは別の問題ですし、仮に一部の者の幸福が、他の者の不幸の上に築かれるとしたら、それは不道徳というものです。

ガリレオの瞳2017年02月18日 14時46分01秒

先日、ガリレオ(Galileo Galilei、1564-1642)の誕生日が2月15日だというので、いくつか関連の記事を目にしました。

ただし、ガリレオはユリウス暦とグレゴリオ暦の端境期を生きた人で、誕生日の2月15日というのも、昔のユリウス暦のそれだそうです。今の暦に直すと、1564年2月25日が誕生日。いずれにしても、彼は今月で満453歳を迎えます。

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ガリレオの名を聞いて思い出したのが、下のカメラ。
1950年代前半に出た、イタリアのフェラーニア社製「エリオフレックス」。


これも「クラシック・カメラ」と言って言えないことはないのでしょうが、戦後の量産品ですから、わりとどこにでも転がっています。それでも、これを購入したのは、その出自がやっぱり天文古玩的な色彩を帯びているからです。


それは、このカメラが、ガリレオの名を負っていること。
レンズの脇には「オフィチーネ・ガリレオ(ガリレオ製作所)」の名が見えます。


オフィチーネ・ガリレオは、1862年にさかのぼるイタリアの老舗光学メーカー。
今では光学機器にとどまらず、光電子機器の製造も行なっています。

光学機器メーカーとしてはちょっと異色ですが、オフィチーネ・ガリレオの創設者は、二人の天文学者、アミーチ(Giovanni Battista Amici、1786-1863)と、ドナティ(Giovanni Battista Donati、1826-1873)で、さらに遡れば、1831年にアミーチが職人たちをモデナから呼び寄せ、フィレンツェ天文台の隣に光学機器製造の工房を設けたのが、その淵源だそうです。当然、その社名は尊敬する大先輩のガリレオにちなむものでしょう。

(19世紀の広告カードに描かれた、往時のオフィチーネ・ガリレオの建物。中央上部にガリレオの肖像。「オフィチーネ・ガリレオ創立150周年記念展」の案内ページより。

同社の光学製品は、明治の日本海軍にも納入されたそうですから、日本との縁も浅からぬものがあります。そして、その後も長く軍用品の製造に携わったのは、同社の技術力の高さを物語るもので、同社はイタリア国内のメラーテ天文台や、アジアーゴ天文台のような、プロユースの大型望遠鏡も手がけました。

(eBayで見かけた、オフィチーネ・ガリレオを舞台にした戦前の労働争議の図。ジブリの「紅の豚」的光景。歴史が長ければ、それだけいろいろなドラマがあるものです。)

   ★

そんなわけで、この安手のカメラは(今では埃にまみれているとはいえ)「ガリレオの瞳」を持ち、その向うにイタリアの光学機器製造の歴史が仄見えるのです。


なお、冒頭、このカメラをフェラーニア社製と書きましたが、同社の本業はフィルムメーカーで、オフィチーネ・ガリレオ製のカメラに、自社の名前を入れて販売していた由。つまるところ、このカメラは、ボディも含めて全てオフィチーネ・ガリレオの工場で生まれたもののようです。


【参考リンク】

1)オフィチーネ・ガリレオについて
Museo Galileo「Scientific Itineraries in Tuscany(トスカーナ地方科学の旅)」より
 「オフィチーネ・ガリレオ」の項

2)フェラーニア社とガリレオ社について
クラシックカメラの物語「デザインのイタリアカメラ」

黴の如く2017年02月17日 07時26分45秒

以前、仏文学者の鹿島茂さんが、エッセイで以下のように書かれていました。

 〔「本を書かない」か「本を買わない」かの〕 どちらかを選ぶとなったら、私は躊躇することなく「本を書かない」ほうを選ぶだろう。なぜなら、本を書くのは楽しくないが、本を買うことは楽しいからだ。 (『子供より古書が大事と思いたい』 文春文庫)

私と鹿島氏とでは、身の置き所が異なりますが、それでも「本を書く」より「本を買う」方が、だんぜん楽チンだ…というのは、よく分かります。

確かに、お金さえあれば、モノを買うのは、わりと簡単なことです。
――いや、そんなことはない。モノを買うということが、いかに大変なことか…というのも真実ですけれど、そう思われる方は、たぶんモノとの付き合い方が、抜き差しならないところまで行ってしまった方でしょう。まあ、一般論として、単純にモノを買う方が、モノから何かを生み出すよりも楽チンなのは確かです。

いずれにしても、前提となるのは、「お金さえあれば」という点。
鹿島氏は同じ本で、こうも書かれています。

 だが、いずれ、この病も、裁判所の執達吏が癒してくれることだろう。どうやら、全快の日はそれほど遠くはなさそうである。

この子供より古書が大事と思いたいという、かなりえげつないタイトルの本は、1996年に単行本が出て(版元は青土社)、文春文庫に入ったのは1999年です。しかし、鹿島氏の期待も空しく、氏はその後、2003年にはそれでも古書を買いました(白水社)という、病勢がさらにつのった趣の本を出され、その中で「子供と本は黴のように貧乏の上で増えていく」と述懐されています。


あれから14年が経ちましたが、鹿島氏が本復されたという話はついぞ聞きません。

   ★

「あの鹿島氏だって…」と、氏を引き合いに出すことで、自分の振る舞いが正当化されるわけではありませんし、今の世の中がそんな太平楽を許さない状況にあるのも痛感していますが、そこが宿痾(しゅくあ)の恐ろしさ。我ながら業の深いことだと、歎息するほかありません。

そんなわけで、記事を書くのをさぼっていても、モノを買うのは続いています。
こうしてモノは徐々に増えていきます。まさに黴の如くに。

…というような、愚にも付かぬことを書きながら、記事再開のタイミングを計っています。


乳酪の道2017年02月15日 07時12分27秒

ポスタースタンプといえば、こんな品もあります。
年代ははっきりしませんが、雰囲気としてはこれも1920~30年代のものでしょう。


天の川は、空に乳が流れた跡だ…というのは、いにしえよりの見方で、そこから英語の「ミルキーウェイ」の称も生まれたわけですが、上のカードは、これを乳ならぬバターの道と見立てている――あるいは、天上から滴り落ちた乳が、地上にバターの道を描いている様を描いています。

(夜空にかかる「CUE BRAND」の文字。バターの商標でしょうが、詳細不明)

ここでバターを持ち出したのは、もちろんバターメーカーの商業主義のなせる業でしょうし、乳に比べていささか雅に欠けるきらいはありますけれど、夜空を虎たちがぐるぐる回る姿や、天上からパンケーキの焼ける匂いが漂ってくるところを思い浮かべると、少し心が温かくなります。

小さな大天文台 (附・ポスタースタンプの話)2017年02月12日 12時24分57秒

切手のようで切手でない「切手風シール」。
その実例として、以前、ドイツの地方都市の市章を刷り込んだシールを眺めました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/09/30/8205443)。

あの手のものを、そもそも何と呼べばいいのか迷ったのですが、何でも英語だと「ポスタースタンプ」と呼ぶそうで、英語版Wikipediaに、その解説がありました。


冒頭の概要と「定義」の項を、適当訳してみます。

【概要】
 ポスタースタンプとは、普通の郵便切手よりもいくぶん小型の宣伝用ラベルで、19世紀半ばに登場すると、ただちに一大収集ブームを巻き起こし、第1次世界大戦まで大いに人気を博したが、第2次世界大戦がはじまる頃には、その人気も衰え、今や「シンデレラスタンプ」(※)のコレクターを除けば、ほぼ忘れ去られた存在となっている。

【定義】

 ポスタースタンプは公的存在ではないため、正確に何がポスタースタンプであり、何がそうでないかという点について議論がなされてきた。1つの定義は、「切手としての額面表示を欠き、郵便に使用できないラベル。宣伝用ラベルまたはチャリティラベルのこと」というものである。

〔※引用者注: シンデレラスタンプというのは、主に郵趣家サイドからの呼び方で、歴史的存在としてのポスタースタンプに加えて、現在も発行されているクリスマスシールなども全てひっくるめて呼ぶ言い方のようです〕

   ★

アメリカで発行された、そのカッコイイ実例。


1888年に運用を開始した、カリフォルニア州ハミルトン山頂に立つ、リック天文台のポスタースタンプです。

アソシエイテッド石油(Associated Oil Company、本社・サンフランシスコ)が、1938年~39年に発行したもので、主に西海岸の風物に取材した総計100枚以上に及ぶシリーズ中、このリック天文台の絵柄は、通番46に当ります。


星月夜の天文台。
月の観測をする場合を除き、天文台にとって明月はあまり歓迎されない存在でしょうが、こうして眺める分には、実に美しいイメージです。
まさに絵のような、詩のような…。

小さな画面の向うに、無限の宇宙が広がっているという、その不思議なコントラストにも惹かれるものがあります。

(なお、下のスタンプはミシン目の位置がずれていて、普通の切手だと「エラー切手」として珍重されますが、ポスタースタンプの場合は単なるエラーです。)


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閑語(ブログ内ブログ)

サディスティックな「支配欲」はあっても、統治能力を欠いた為政者の下、人々の知的・道義的な退廃は急速に進み、外敵の侵攻を待つまでもなく、かつての大国は自ら衰亡の道をたどり、内部から崩壊した…

あのローマ帝国だって、そんな風にして滅んだのですから、我がニッポンが同じように滅んだって、全く驚くには当たりません。真顔で中国脅威論を振り回す人に対して、衷心から申し上げますが、日本は中国が(あるいはアメリカが)原因で滅ぶのではなく、我々自身の手で滅びの道を築きつつあるのです。

それを思うと、何だかひどく空虚な気持ちになりますが、しかし、国が滅んだって――まあ、為政者はしばり首になるかもしれませんが――別に民が滅ぶわけではありませんし、民は民の流儀で、しぶとく生き延びる算段をするまでです。