マッチをくわえた「月の男」(その2)2017年11月06日 07時16分32秒

昨日のつづき。


今日の「月の男」は白銀の月です。
ただし金満家ではないので、純銀ではなくて銀メッキ。



頭がパカッと開いて、中にマッチ棒が入るようになっているのは、昨日の「赤銅の月」と同じです。(大きさは昨日のより微妙に大きくて、高さは5.5cmあります。)


それにしても、この月は悲し気です。
涙さえぽろぽろ流して、見ている方が辛くなるほどです。
いったい何がそれほど悲しいのか?


でも、同情したのもつかの間、裏を返せばこんな表情。
こちらは憎々しいまでの笑みを、顔一面に浮かべています。

   ★

月は見る人の心を映す鏡なので、時に応じて楽しくも、悲しくも、優しくも、不気味にも眺められます。実際、これまで記事で取り上げたムーンマンたちの表情は、実にさまざまでした。

このヴェスタの場合、三日月(左向きの顔)は、これから満月に向う上り坂なので満面の笑顔、有明月(右向きの顔)は、徐々に身が細り、消えてなくなる寸前なので泣き顔…ということかな、と思います。

   ★

このヴェスタを正面から見たら?と気になる方もいるでしょう。


正面に回ると、こんなふうに泣き顔と笑い顔が、半々に接合されているのが分かります。まるでアシュラ男爵のようですが、確かにこの「月の男」、性格に裏表がありすぎて、いかにも曲者くさいです。

マッチをくわえた「月の男」2017年11月05日 10時21分55秒

今でもマッチはありますが、いつの間にか身辺からずいぶん遠い存在になりました。
今やコンロでもストーブでも、自動点火装置が標準装備ですから、マッチはおろか、チャッカマンや100円ライターの出番すら減っていることでしょう。

でも、こんなことで、「今の子供はマッチひとつ満足に擦れんのか!」…と、老人面して威張ってはいけないので、私のマッチ体験だって、昔の人に言わせれば、ずいぶん貧弱なものです。

というのも、私の知っているマッチは、「安全マッチ」だけだからです。
安全マッチというのは、マッチ箱の側面の紙やすりみたいな焦げ茶色の面にシュッ!とこすりつけて、初めて発火するというもので、面倒臭いかわりに安全なので、その名があります。使われる火薬の種類から、これを「赤燐(せきりん)マッチ」とも呼びます。

それ以前のマッチは黄燐(おうりん)を使った「黄燐マッチ」でした。
これはちょっとした摩擦ですぐ発火するので、専用の“紙やすり”を使う必要はなくて、壁でも靴底でも、シュッとやればパッと火が点くという、便利な代わりに、非常に危なっかしいものでした(黄燐自体、毒性があったので、その意味でも危険でした)。

マッチの発明は1820年代のことで、それから100年ばかり黄燐マッチの時代が続き、それが赤燐マッチに置き替わったのは、1920年代のことだそうです。

   ★

黄燐マッチの時代、特に1890年代から1920年代にかけて、この危険な火種を携行するために、小型の金属容器が愛用されました。英語だと「ヴェスタ・ケース(vesta case)」と呼ばれるものです。

日本の印籠や根付もそうですが、日常持ち歩く品が装身具化するのは、洋の東西を問わないことで、ヴェスタ・ケース(以下「ヴェスタ」と呼ぶことにします)も、時と共に装飾化が著しく進みました。その後、安全マッチの普及によって、ヴェスタは実用性を失いましたが、そのデザインの多様性によって、ヴェスタのコレクターは今でもずいぶん多いようです。

   ★

さて、前置きが長くなりましたが、以下本題。
ヴェスタには非常に多くのデザインがあるので、当然、月をモチーフにしたものもあります。で、これがなかなか洒落ているんですね。


上は、19世紀後半のイギリス製。
金満家は、金や銀のヴェスタを愛用しましたが、これは銅、ないし銅の比率が高い真鍮で出来ています。赤銅色をした、「あかがねの月」ですね。


リーゼントみたいな頭部をパカッと開けて、中にマッチを収納します。


後頭部というか、背中のギザギザは、マッチを擦るための工夫。


タルホ好みの有明月の向きにしたところ。
高さ5センチの小芸術。

   ★

この「月の男」のヴェスタ、他にもいろいろ変わったデザインがあるので、それらも眺めてみます。

(この項つづく)


【付記】
 ヴェスタについては、当然のことながらWikipediaに一通りの記述があって、上に書いたことは、もっぱらその受け売りです。


月の少女2017年11月04日 12時43分07秒

今日は満月。

下のカードは、1870年代~1910年代に、ニューヨークのジェームズ・パイル社が大々的に販売していた「パーライン洗濯石鹸」のおまけカード。


星が「PEARLINE」の文字を描く空に、まん丸の月が浮かび、「月の少女(The Maid in the Moon)」を見つけようと誘いかけています。

「月の少女」とは何か?カードの裏面にその解説があります。


月の男(The Man in the Moon)は、皆さんもご存知でしょう。でも、パーラインの「月の少女」についてお聞きになったことはありますか?さあ、彼女を見つけてみましょう。

…というわけで、表面の説明図に戻ると、そこに問題の少女の横顔が描かれています。


これで皆さんも、月の少女が見つけられるようになりましたね。そして、いったん彼女が見つかったら、もう再び月の男を見ることはないでしょう。少女の姿は男の姿よりも、いっそう明瞭で完璧なのですから。

   ★

ときに「月の男」の方なのですが、「皆さんご存知でしょう」と言われても、あんまりご存知じゃなかったので、改めて英語版Wikipediaを見てみました。それによれば、月面に男の姿を重ねて見る方法には種々あるのだそうですが、「北半球から見たごく一般的な解釈」は、下のような見立てだそうです。


なるほど、たしかにこれなら少女の方が、まだ明瞭かもしれませんね。


さあ、今宵は「月の少女」に逢えますかどうか?

二廃人、趣味の階梯を論ず2017年11月03日 09時40分10秒

▽ よお、風邪はもういいのかい?
● やあ、キミか。ありがとう、おかげさまでこの通りさ。
▽ それは何よりだ。ところでどうしたい、沈思黙考を気取って。
● 相変わらず口が悪いね。なに、ちょっと趣味のあれこれについて考えていたのさ。
▽ 小人閑居してなんとやらだな。
● まあ、キミも暇な身のようだし、ちょっと話に付き合ってもらおうか。
▽ しょうがない、寝言の相手をしてやろう。

   ★

● こないだツイッターを見てたら、自宅の鉱物コレクションを見せ合うという話題があったじゃない?
▽ あった、あった。鉱物棚がどうこうってやつだろ?
● そう。キミ、あれを見てどう思った?
▽ いや、別に何とも思わんさ。きれいな鉱物を手元に並べて愛でようなんて、至極結構な趣味じゃないか。
● うん、そうなんだけどさ、あの先がどこに通じているのか、ふと気になった。
▽ あの先…というと?
● いや、集めてどうするのかなと。
▽ どうもせんさ。集めるのが趣味なんだから、それでいいじゃないか。

(二廃人…ではなくて、『ギリシャ語通訳』に描かれた、ホームズとワトソン博士)

● ボクも別にモノが言えるような立場じゃないけど、例えばサムネイル標本がきれいにディスプレイされているのを見ると、何だかトミカの棚を連想するんだよね。
▽ トミカねえ。
● もちろん、トミカ的に鉱物を愛でる人がいてもいいよ。鉱物の世界はトミカより間違いなく変化に富んでいるから、蒐集の喜びもいっそう大きいかもしれない。でも、「それだけ」っていうのは、どうなんだろうね。
▽ いきなり上から来る奴だな。お前さんだって、標本の醍醐味は「ズラッと感」だとか何とか言ってたじゃないか。
● うん、だからボクもそれを否定する気はないさ。ただ、ズラッと並べて、その先どうするかは、よくよく考えておかないと、後で困るような気がして。
▽ ははーん、お前さん、自分が困ってる口だな。
● 慧眼だね。

▽ で、沈思して何かひらめいたのか?
● うん。結局、トミカ的な蒐集の世界を貫いているのは、「コンプリート欲求」「レアもの至上主義」の二大原理だと思うんだ。でも、鉱物相手にコンプリート欲求を掻き立てられるのは、財布にとって危険極まりないし、鉱物の美を味わう上で、レアもの至上主義は、むしろ阻害的に働くんじゃないかな。
▽ というと?
● 一口に「鉱物の美」っていうけど、そこにはいろんな美があるよね。まず、すぐれて感覚的な美がある。つまり単純な色形の美しさだね。それを愛でる近道が「ズラッと感」さ。圧倒されるような色形の変異、鉱物たちが織り成すカレイドスコープ、そうしたものを味わうには、モノをズラッと並べて見せるのがいちばんだからね。
▽なるほど。“目も綾な”ってやつだな。

● で、その次に顔を出してくるテーマが、「どう並べるか」さ。
▽ ふむ。
● この辺は鉱物学の発展史をなぞることになるけど、昔の人も最初は多様な鉱物の、その多様性に眩惑されていたけど、だんだんその背後にある秩序や法則性を追い求めるようになったよね。いわば感覚を超えた「理」の世界さ。で、そうした秩序や法則性自体にも、燦然とした「鉱物の美」はあると思うんだ。
▽ トミカのディスプレイにだって秩序はあるだろ?
● たぶんね。でも、得てして人は単純に色・形の類似で並べたくなるけど、ここでいう秩序や法則性は、さらにその先にあるものさ。…何て言えばいいかな、ここで言う「鉱物の美」は、いわば、「図鑑美」に通じるものだよ。図鑑で隣り合う種類は、必ずしも色や形が共通するわけじゃない。でも、そこにはある法則に基く秩序があるよね。
▽ なるほど。でも、それとさっきの「レアもの至上主義が美を阻害する」っていうのは、どう関係してくるんだい?
● レアものでも、それが秩序ある配列を埋めるピースとして不可欠なら、追い求める価値は大いにあるさ。でも、中にはそういうことと関係なしに、「単にレア」というのもあるよね。たとえば昆虫標本でも、雌雄同体のアノマリーな個体とかが、往々高値を呼ぶけど、それは昆虫本来の秩序ある配列を埋めるピースじゃない。むしろ夾雑物さ。…もっとも、昆虫の発生学を研究している人にとっちゃ、そうした標本が貴重なピースになる可能性もあるし、「単にレア」かどうかは、相対的なものだけどね。
▽ 山高きが故に貴からず、だな。レアものも又レアなるがゆえに貴からず…ってわけか。

● さらにだよ、鉱物の世界の背後にある「理」が十分感得されてくると、実はズラッと並べる必要すらなくなって、ただ1個の標本を前にしただけで、そこにピンと張りつめた、研ぎ澄まされた美を感じるようになると思うんだ。
▽ 何だか神がかってきたな。
● いや、ボクもそんな境地に達したわけじゃないから、これは単なる想像だよ。でも、そこまで行くと、鉱物の美というのは、ごくありふれた鉱物にだって―いや、普遍的で、ありふれているからこそ、一層強く感じられるんじゃないかなあ。
▽ まあ、言わんとする意味は分かる。

● それにさ、キミは神がかってるとか何とか言うけど、人間と鉱物をめぐる精神史だって、ずいぶん大きなテーマだよ。まあ、こんなふうに考えてくると、アカデミックな鉱物学から文学や美術の世界まで、鉱物趣味の世界は途方もなく広いし、「集めて、並べて、終わり」ってことはないと思うんだ。もし、そこで止まっちゃったら、いかにも勿体ない気がする。
▽ コレクションは集めること自体が目的化しやすいっていうのは、その通りだろうな。

  ★

● ここで話をぐっと捻じ曲げると、天文アンティークもまさに同じだと思う。
▽ おっと、そっちに来たか。
● 天文アンティークも、ここ4~5年、すっかりイメージとして消費され尽くした感があるけど、色形の美だけで終わっちゃうパターンがけっこうあったよね。
▽ 「お星さまきらきら、金銀砂子」の世界だな。
● 本当は、古ぼけた1枚の星図だって、その時代背景や、現代天文学への道程における位置づけ、あるいは文化史的意味合いとか、いろんな切り口から語ることができると思うんだ。でも、「なんかカッコいい」「なんかきれい」で終わってる例が多いよね。

   ★

▽ ふーん…何だかんだ言って、他人の趣味に口をはさむとは、お前さんもずいぶん焼きが回ったな。
● そうかもね。星に比べて人の生はいかにも短いし、しょうがないよ。


風邪を2017年10月30日 21時19分34秒

…ひきました。

ピエロも消え、若者も消えた2017年10月28日 09時43分03秒

本来の天文趣味からずいぶん遠いところまで来てしまいましたが、ついでなので、『月の光に』に関して、もう1つだけ古絵葉書を載せます。

   ★


これも「Au Clair de la lune」と題されていますが、ここにピエロの姿はなく、登場するのは少年と少女のみ。内容も、例の歌とはあまり関係なさそうなので、この「Au Clair de la lune」は、特定の歌のタイトルというより、ごく一般的なフレーズとして使われているのでしょう。

(典型的なセピアの絵葉書。周辺の銀化が進んでいます。)

さて、その内容なのですが、これまたよく分かりません。
手元にあるのは5枚ですが、これでコンプリートなのかどうかも不明です。
セリフが一切ない無言劇なので、例によって、適当に個人的解釈を施しつつ、その情景を一瞥してみます。

   ★

月夜の出会い。目が合ってはにかむ女の子。


「さあ、おいでよ」と、頼もしく手を引く男の子。


睦言とキス。


斜に構えて煙草をふかす男の子。酒瓶を抱えて見上げる女の子。


男の子はいつの間にか姿を消し、酒瓶を抱えて独り煙草をくゆらす女の子。
その足下に「Fin de siècle(世紀末)」の文字。

   ★

女の子が途中から眼鏡をかけていますが、これは女性が齢を重ねた記号的表現でしょう。全体として、男にたぶらかされて、すさんでしまった女性の半生を描き、「これぞ頽廃の世紀末なり!」と揶揄する内容なのかな…と想像しました。

まあ、あまりにも演者の二人があどけないので、ちょっとどうなのと思わなくもありませんが、こういう趣向が当時は受けたのかも。

(下界のドラマを見下ろす冷笑的な月)

   ★

なお、この絵葉書はアドレス欄と通信欄を仕切る境界線があるので、絵葉書の時代判定のメルクマールからすると、1904年以降のものということになるのですが、内容的には19世紀末のものとおぼしく、ちょっと時代は曖昧です(裏面だけ後から刷り替えたかもしれません)。いずれにしても、20世紀初頭を下るものではないでしょう。

(絵葉書の裏面)

ピエロが消え、男の子も消えました。
そればかりではなく、女の子も、当時この絵葉書を売った人も買った人も、今ではみんな消えてしまいました。私だって遠からず消えるでしょう。

残るのは月ばかりです。

月に照らされ、ピエロと少女は2017年10月27日 21時01分57秒

これまた『月の光に』を主題にした可愛いカード。


1900年頃のクロモ。フランスのアルラット(Arlatte)社が販売していた、「チコレ・ブルゥ・アルジャン」の宣伝用カードです。


チコレとは、あの野菜の「チコリー」のこと。ここでは、その根を加工したハーブ、ないしお茶の代用品を意味します。(カードに書かれたレシピを見ると、牛乳で煮出して飲むと美味だとか。)


で、この6枚セットのカード、最初は例の歌詞をそのまま載せていると思ったのですが、よく見ると歌詞どおりなのは、歌の一番だけで、二番以降はぜんぜん違う文句になっていました。

しかもカードの正しい配列は、今もって謎です。
あまり自信はありませんが、以下腕組みして推理した順番で載せます。

   ★

(以下、カードは左→右の時系列で配列)

J'écris un poème ou l'on trouvera un plaisir extrême 
quand on le lira.
僕は詩を書くぞ。
読んだらみんなが大喜びするような詩を。


Au clair de la lune mon ami pierrot, 
Prête-moi ta plume pour écrire un mot.
「月明かりのピエロくん、
どうか君のペンを貸しておくれ。
言葉を書き留めるために。」

〔※…と、我が身を詠っている場面だと解釈しました。〕



Ma chandelle est morte, Je n'ai plus de feu. 
Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu.
ああ、ろうそくが消えてしまった。
点(とも)す火が何もない。
後生です、どうかこの戸を開けてください。


Je n'ouvre pas ma porte à un vieux savetier
qui porte la lune dans son tablier.
靴直しのお爺さんなんかに、この戸は開けないわ。
前掛けにお月様しか入ってない靴直しにはね。

〔※「齢とった靴屋un vieux savetier」には、何かフランス語の含意があると思うのですが詳細不明。後段は「月明かりに照らされた」の意で、要するに「空っぽの」前掛けということかな…と思います。〕



Mais j'ouvre la porte au bon pâtissier
qui a des brioches dans son tablier.
でも、おいしいパティシエさんなら、この戸を開けてあげましょう。
前掛けに甘いブリオッシュを入れたパティシエさんならね。


Au clair de la lune mon ami pierrot, 
Mangeons ces brioches sans en souffler mot.
月明かりのピエロさん、
さあ、ブリオッシュを食べましょう。
言葉は御無用。

   ★

ピエロはいわば「月光派」の巨頭で、人間の品等でいうと至極上等の部だと思うのですが、それでもこんなふうに詩人たることを辞め、お菓子を頬張ってヤニ下がっているのを見ると、人間はやっぱり月にはなりきれんなあ…と思います。

   ★

ときに、このカードにはもう1つ不思議な点があります。

それはパリの有名百貨店「ボン・マルシェ」が、これと寸分たがわぬデザインのカードを配っていることです(そちらにはお月様の顔に「Au Bon Marché」の文字が刷り込まれています)。あるいは両者のコラボなのかもしれませんが、チコリーと百貨店では、いかにも対がとれていません。


いったい背後にいかなる事情があるのか?
いささか謎めいた感じが漂いますが、思えばこれまた人間臭い話ではあり、孤高の月のあずかり知らぬところでしょう。

月に消えた若者2017年10月25日 22時14分43秒

昨日のリンク先のアニメーションでも明らかなように、『月の光に』の歌に登場するのは、若者、その友人であるピエロ、そして若者が恋する女性の3人のはずです。

でも、紙物の世界では、なぜか若者が消えて、直接ピエロが女性と接している絵柄が目につきます。


上の絵葉書も、『月の光に』に取材したものらしいですが、ピエロと少女が妙に睦まじげな様子です。いったい若者はどこに消えたのでしょう?


その秘密を知っているのは、この一見無邪気なピエロとお月様だけです。
(あるいは少女も知っているとか?)

月明かりの道化師2017年10月24日 20時54分54秒

ゆうべの仕事帰り、くっきりした三日月が、紫紺の空に浮かんでいるのが見えました。そして西の地平線上に、黒々とした雲が、まるで山並みのようにそびえ、なんだか自分が、見知らぬ山国の町を歩いているような、不思議な気分になりました。

月を眺めて、思いを癒やし、そして思いを凝らす――。
本当に月は良き隣人です。

   ★

月を描いた紙物を物色していると、ときどき「月にピエロ」の画題に出会います。

(月にピエロのトランプ。eBayの商品写真を寸借)

あれは歴史的にいろいろな意味合いがあると思うのですが、その一つのイメージ源が、フランス古謡の「月の光に(Au clair de la lune)」であるらしいことに気づきました。その愛らしい歌は、例えば下のリンク先で聞くことができます。


そして、

  Au clair de la lune,
  Mon ami Pierrot,
  Prête-moi ta plume
  Pour écrire un mot.

   月の光に、
   わが友ピエロ、
   君のペンを貸しておくれ、
   一言書きとめるために。

…で始まる歌詞とその訳は、すべてウィキペディア『月の光に』に掲載されています。

歌全体の流れでいうと、ピエロは単なるダシで、その後に続く恋の成就こそ眼目なのですが、心優しきピエロがさりげなく恋人を導くところに、ピエロという存在の真価(と孤独)はあるのでしょう。

   ★


その『月の光に』の、ちっちゃな手回し式オルゴール。
この月の絵の箱は、売り手がインクジェットプリンタで作った間に合わせのもので、肝心なのはこちらの本体です。


心がささくれ立っているときなど、暗い部屋でこのオルゴールを静かに回すと、ちょっと気持ちが優しくなれる気がします。

満ちては欠ける月を眺めて2017年10月23日 08時30分23秒

プラハのオルロイのような壮麗な天文時計が手に入ればいいのですが、なかなかそんな訳にもいきません。でも、せめて「空気」だけでもと思い、プラハの業者からこんなものを送ってもらいました。


時計のオプショナルな機能として、その日の月の欠け具合を表示する「ムーンフェイズ機能」というのがありますね。たいていは、文字盤の隅っこに扇形の窓が開いていて、そこから月がどれぐらい顔を覗かせるかで、満ち欠けを表示するというものです。


ムーンフェイズ機能を備えた時計は、世の中にたくさんあるでしょうが、それをこんな風に文字盤のど真ん中に据えたものは、わりと少ないんじゃないでしょうか。この「お月様中心主義」は素敵だと思いました。

これは旧東ドイツの時計メーカー、ルーラ(ruhla)社の製品です。
ルーラ社は、東ドイツの崩壊とともに閉鎖されましたが、この懐中時計は、その終末期に近い1980年代のものと聞きました。


裏面の幾何学的なデザイン感覚にも、何となく旧共産圏の匂いがします。


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▼閑語(ブログ内ブログ)

選挙が終わって、「うーむ…」と考えています。
もちろん、自民党政治を批判してきた私としては、少なからず面白からぬ気分であり、台風一過の爽やかな空さえ恨めしいですが、私のつまらない個人的感慨は脇に置いて、この間(かん)に1つ気づいたことがあります。

たぶん、自民党に票を投じた多くの善良な人々は、「この『今』が続いてほしい」、「この平穏な日常を守ってほしい」という気持ちで自民党を支持したと思います(これは身近な人と言葉を交わす中で、感じ取ったことです)。まあ、「保守」政党の看板を掲げてるんですから、当り前といえば当たり前です。

でも、私は「この『今』を壊されないように」、「この平穏な日常を守るために」、安倍氏への批判を強めていました。そこにどうも深い行き違いと、根本的に噛みあわないものがあったように思います。

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この先、保守政党による革新的な動きが次々起こることを憂えます。
そして『今』とは、およそ懸け離れた国の姿が現出することを恐れます。
(既に「ちょっと前」とは、ずいぶん違う国になっています。)