旅と病2017年05月07日 09時20分50秒

旅に関連して、最近思いついたことがあるので、書き付けておきます。

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自分が高校を卒業し、浪人生となった頃のエピソードです。

あの頃の自分は、何となく落ち着かない気分でした。
「何かこの世界に大変なことが起きるんじゃないか」という不安と焦燥感に駆られ、「こうしてはいられない」と、気持ちが常にソワソワしていたのです。
友人から「世界の真実を語る○○という人」の噂を聞かされると、ぜひその人に会いたいと思うぐらい、心が浮動的でした。

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この記述を読むと、統合失調症について学んだ方ならば、それは一種の「世界没落体験」であり、統合失調症の初期に見られる典型的な症状だと思われることでしょう。
確かにその通りで、もしあのタイミングで受診していれば、ほぼ確実に統合失調症の診断が下され、すみやかに投薬が開始されたはずです。

幸か不幸か、私の場合、特に治療を受けることもなく、そのまま症状は消失し、今に至っていますが、このことから想像するに、統合失調症の生涯有病率は、現在考えられているよりもはるかに多くの暗数を含んでいて、実際には相当数の自然寛解例があるのではないか…という気がします(通常の疫学調査にはかからないので、あまり目立ちませんが)。

大学の新入生がカルトにはまって、その後発病…というのも、よく耳にしますが、自分のことを振り返ると、彼/彼女らの心の動きは、実感として分かる気がします。

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例によって湯船につかりながら考えていて、ふと、統合失調症とは実は「自立の病」なのではないか…と思いました。さらにまた、<今ここ>から<どこか遠く>をひたすら目指す「旅の病」ではないのか…とも。

自分が若い頃に味わった、あの気分。

「こうしてはいられない」、「今の世界は『本当の世界』ではない」、「どこかにある『真実』を求めて、自分はただちに歩み出さねばならない」という焦慮感――。

これはひょっとしたら、ヒトが成長の過程で自然に発現させる、生物学的にプログラムされた心の働きであり、大昔、例えばヒトが定住生活を送る以前は、種の拡散にきわめて有利に働いた資質なのかもしれません。即ち、巣立ちと旅立ちを促す動因というわけです。

遠い昔のヒトは、常に社会的であることを求められず、むしろ、ライフコースのどこかで非社会的になり、「群れ」を離脱することがスタンダードであり、そして放浪の末に、他の群れに再統合された。…これは、群れで生活する他の哺乳類でも、見られるパターンですから、あながち根拠のない空想でもありません。

そして、それこそが、統合失調症が思春期の直後に好発年齢を迎えることの意味ではないかと、湯につかりながら思ったのです。(ただし、他の生物の場合、そういう行動を取るのは主にオスですが、統合失調症の発症に性差はないとされているので、両者をパラレルに捉えることには、一定の限界があります。)

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もちろん、過ぎたるはなお及ばざるが如し。
やはり統合失調症には、「病」と称するほかない状態像もあります。
幻覚、妄想、そして自我の解体…。

あるいは、彼らはあまりにも急速に自立を求め過ぎたのかもしれません。
彼らは自らの王国を築くとともに、他人から干渉され、侵食されることを断固拒絶し、その王国を守ることに全精力を傾け、結果的に社会から受け入れられない存在となりがちです。でも、それこそ「自立」の陰画でもあるのではないでしょうか。

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「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず〔…〕そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず」云々という、芭蕉の『奥の細道』の有名な序文。

当時の芭蕉は45歳ですが、彼が漂泊の思いにとらわれ、風狂に目覚めたのは「いづれの年よりか」はっきりしない、かなり若年の頃からのようでもあります。芭蕉が現代の診察室に現れたら、おそらくは…と思わなくもありません。

「旅」には、常に狂的な要素と、癒しの要素が並存しています。
正確にいえば、「旅」は狂的な要素によって始まり、癒されることで終わるのでしょう。

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しっかり概念規定をしないまま、連想で話を進めているので、いささか取り留めのない文章になっていますが、人生の終盤に差し掛かった今も、果たしてこれが自分のいるべき場所なのかな…と、ふと疑問を感じることがあります。

思春期ならぬ思秋期のそれも、やっぱり群れからの離脱を促しますが、若い時のそれとは違って、今度の旅のゴールは至極明瞭です。そして再統合されることは二度とありません。要は死に場所を求めての旅です。寂しいような気もしますが、でも、それは永遠の癒しでもあります。


(何だか深刻ぶって書いていますが、この文章は深刻に読まれるべきものではありません。すべては湯船の中で考えたことです。)

空の旅(18)…新しい旅のはじまり2017年05月06日 09時22分28秒

時代が19世紀を迎えるころ、市民社会が訪れた…と、先日書きました。
そして20世紀を迎えるころ、今度は「大衆社会」がやってきたのです。

天文趣味にかこつけて言えば、それは天文趣味の面的広がりと、マスマーケットの成立を意味していました。

18世紀の末に、お手製の望遠鏡で熱心に星を眺めていたイギリスの或るアマチュア天文家は、道行く人々に不審と好奇の念を引き起こしました(後の大天文学者、ウィリアム・ハーシェルのことです)。でも、100年後の世界では、もはやそんなことはありません。望遠鏡で星を見上げることは、すでにありふれた行為となっていました。


19世紀末~20世紀はじめに発行された、望遠鏡モチーフの絵葉書類を一瞥しただけで、望遠鏡と天体観測が「大衆化」した様相を、はっきりと見て取ることができます。
それは大人も子供も、男性も女性も、富める者も貧しい者も楽しめるものとなっていましたし、ときに「おちょくり」の対象となるぐらい、日常に溶け込んでいたのです。

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この頃、並行してアカデミックな天文学の世界では、革命的な進展が続いていました。銀河系の正体をめぐる論争は、最終的に「無数の銀河の存在」を結論付けるに至り、宇宙の大きさは、人々の脳内で急速に拡大しました。また、この宇宙を形作っている時間と空間の不思議な性質が、物理学者によって説かれ、人々を大いに眩惑しました。そして、高名な学者たちが厳かに認めた「火星人」の存在。

まあ、最後のは後に否定されてしまいましたが、そうしたイメージは、見上げる夜空を、昔の星座神話とは異なる新たなロマンで彩ったのです。

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宇宙への憧れの高まり、新たな科学の時代に人々が抱いた万能感、そして実際にそれを裏付ける技術的進歩―。その先にあったのは、宇宙を眺めるだけではなく、自ら宇宙に乗り出そうという大望です。


銀色に光るロケットと、「ロケット工学の父」ツィオルコフスキーの像。
(この像は既出です。http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/08/27/)。

(像の台座部分拡大)

ツィオルコフスキー自身は、自ら「宇宙時代」を目にすることはありませんでしたが、新しい時代の象徴として、これをぜひ会場に並べたいと思いました。

(ふと気づきましたが、今年はツィオルコフスキー生誕160周年であり、スプートニク打ち上げ60周年なんですね。「宇宙時代」もようやく還暦を迎えたわけです。)

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こうして旅人は、現在、我々が立っているところまでたどり着きました。
長い長い空の旅。

ここで、この連載の第1回で書いたことを、再度そのまま引用します。

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1920~30年代に、ギリシャの学校で使われた天文掛図。
その傍らには、私の思い入れが、こんなキャプションになって添えられていました。

 「古代ギリシャで発達した天文学が、様々な時代、多くの国を経て、ふたたびギリシャに帰ってきたことを象徴する品です。天文学の長い歴史の中で、惑星の名前はラテン語化されて、木星は「ジュピター」、土星は「サターン」と呼ばれるようになりましたが、この掛図ではジュピター(木星)は「ゼウス」、サターン(土星)は「クロノス」と、ギリシャ神話の神様が健在です。」

この掛図を眺めているうちに、ふと上の事実に気づいたとき、私の心の中でどれほどの長い時が一瞬にして流れ去ったか。「やっぱり、これは旅だ。長い長い旅なんだ…」と、これは私の個人的感懐に過ぎませんが、その思いの丈を、しばしご想像願えればと思います。

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こうして連載の最後に読み返すと、我ながら感慨深いものがあります。

(画像再掲)

会場のあの展示の前に、10秒以上とどまった方は、ほとんどいらっしゃらないでしょうが、私の単なる自己満足にとどまらず、あのモノたちの向うに広がる旅の光景は、やはりそれなりに大したものだと思います。


ともあれ、ご来場いただいた方々と、冗長な連載にお付き合いいただいた方々に、改めてお礼を申し上げます。

(この項おわり)

空の旅(17)…『スミスの図解天文学』異聞2017年05月05日 10時10分50秒

(今日は2連投です。以下、前の記事のつづき)

『スミスの図解天文学』についての新知識、それはこの本で最も有名で、最も人気のある最初の図版↓には、元絵があるということです。


このことは、会場でメルキュール骨董店さんに教えていただいたのですが、その元絵とは、Duncan Bradford という人が著した、『宇宙の驚異(The Wonders of the Heavens)』(1837年、ボストン)という本に収められたもの。

(ダンカン・ブラッドフォード著、『宇宙の驚異』 タイトルページ)

スミスの本の正確な初版年は不明ですが(※)、ダンカンの本は、スミスの本におよそ10年先行しているので、こちらが元絵であることは揺るぎません。

その絵がこちらです。


(上図部分拡大)

印刷のかすれが激しいですが、確かにほとんど同じ絵です。
しかし、その舞台背景はエジプトの神殿風ですし、先生役は黒い女神、そして生徒たちは黒いキューピットと、何だかすごい絵です。思わずため息が出る、奔放な想像力。

ブラッドフォードの本を手にしたのは、ずいぶん前のことですが、この挿絵の存在は、メルキュールさんの慧眼によって指摘されるまで気づかずにいました。メルキュールさんには、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。

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ところで、ブラッドフォードとスミスの絵には、舞台設定の違い以外にも、天文学史上の時代差が出ています。それは、前者には1846年に発見された海王星が描かれていないことです。

(ブラッドフォードの挿絵・部分。最外周を回るのは1781年に発見された天王星)

片やスミスの方には、当時最大の発見・海王星が、発見者の名をとって「ルヴェリエ」として記載されています(天王星の方は同じく「ハーシェル」)。

(スミスの挿絵・部分)

ちなみに日本の『星学図彙』ではどうかと思ったら、こちらは「海王」「天王」となっていました。

(『星学図彙』・部分)

「Neptune/海王星」、「Uranus/天王星」という新惑星の表記は、欧米でも日本でも、いろいろ揺れながら定着しましたが、日本に限って言うと、この直後(明治9年、1876)に出た『百科全書 天文学』(文部省印行)という本では、すでに「海王星」「天王星」となっているので、神田によるこの過渡的な表記は、ちょっと面白いと思いました。

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さて、いろいろな時代、いろいろな国をたどってきた「空の旅」も終わりが近づいてきました。次回は20世紀に足を踏み入れます。



(※) 連邦議会図書館には、1850年刊のものしか所蔵されていません。手元にあるのは1849年刊で、それでも「第4版(Fourth Edition)」となっています。年1回以上版を重ねることもあるので、おそらく初版は1848年~47年頃と推測します(さっき古書検索サイトを覗いたら、1848年に出たものが売られていました)。

空の旅(16)…海を渡った天文書2017年05月05日 10時00分19秒

さて、時代は19世紀の半ばから後半へと向かいます。
そして、場所はヨーロッパから船に乗り、大西洋を越えたアメリカ。


ニューヨークの公立学校の校長先生である、エイサ・スミスが著した『スミスの図解天文学』(第4版、1849)


改めて述べるまでもなく、そのクールな図版で、今や天文古書の中でも一、二を争う人気者ですから、天文アンティークファンならば先刻ご承知でしょう。

スミス先生の頃のアメリカは、まだジャイアント天文台の建造ラッシュ前で、天文学の面ではヨーロッパに大きく遅れをとっていました。でも、教育に関してはひどく熱心でしたから、こうした天文書の傑作が生まれたものと思います。

思えば、この「天文古玩」との関わりもずいぶん古く、今から11年前、このブログが誕生して、まだ生後10日目ぐらいのときに早々と取り上げているので、相当な古なじみです。

しかし、今日のテーマはスミス先生の本ではなく、これがさらに太平洋を越えて、極東で芽を吹いた…という話題です。


明治4年(1871)、神田孟恪(本名・孝平、1830-1898)が訳した『星学図説』
邦訳は本文2冊、図版1冊の3分冊で刊行され、図版編には特に『星学図彙』という別タイトルが付されました。


これによって、長い長い「空の旅」は、ぐるっと地球を一周したことになります。
 The East meets the West.
 The West meets the East.
宇宙についての学問は、こうしてまさに「ユニバーサル」なものとなったのです。


とはいえ、両者に漂う「情緒」の違いといったら―



両者は確かに同じだけれども、やっぱり違う…と感じます。



これはたぶん天文学という学問の受容の仕方もそうでしょう。
そこで説かれる事実・法則・理論は、もちろん世界共通ですし、当然同じものでなければなりません。でも、そこに漂う情緒や「湿り気」は、必ずしもそうではありません。

その違いは、学問的著作には現れないかもしれませんが、一般向けの本や、児童向けの本になると徐々に染み出してきて、各国の「天文趣味」にローカルな色彩を与えているように感じます。

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ところで、スミスの本について、今回の「博物蒐集家の応接間」で新たに知ったことがあるので、オマケに書き添えておきます。

(ちょっと記事が長くなったので、ここで記事を割ります)

空の旅(15)…日食地図2017年05月04日 10時23分20秒

今回の「空の旅」はレプリカも多くて、ちょっと展示に弱さがありました。
それを補う、何かアクセントになるものを入れたいと思って、19世紀初めに出た美しい「日食地図」をラインナップに加えました。

(販売時の商品写真を流用)

■Cassian  Hallaschka(著)
 『Elementa eclipsium, quas patitur tellus, luna eam inter et solem versante
  ab anno 1816 usque ad annum 1860』
 (地球と月、そしてそれらが巡る太陽との間で生じる1816年から1860年までの
 日食概説)


「1816年にプラハで出版された日食地図。1818年から1860年にかけて予測される日食の、食分(欠け具合)と観測可能地点を図示したもの。日食の予報は、天文学の歴史の中でも、最も古く、最も重要なテーマのひとつでした。」


オリジナルは107ページから成る書籍ですが、手元にあるのは、その図版のみ(全22枚ののうちの11枚)を、後からこしらえたポートフォリオ(帙)に収めたものです。
その表に貼られているのは、オリジナルから取ったタイトルページで、図版はすべて美しい手彩色が施されています(各図版のサイズは、約25.5cm×19.5cm)。

(タイトルページに描かれた天文機器)

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ここでネット情報を切り貼りして、補足しておきます。

著者のフランツ・イグナーツ・カシアン・ハラシュカ(Franz Ignatz Cassian Hallaschka、1780-1847)は、チェコ(モラヴィア)の物理学者。
ウィーンで学位を取り、母国のプラハ大学で、物理学教授を長く勤めました。今回登場した『日食概説』も、同大学在職中の仕事になります。

上記のように、日食の予報は洋の東西を問わず、天文学者に古くから求められてきたもので、その精度向上に、歴代の学者たちは大層苦心してきました。

そうした中、ハラシュカが生きた時代は、ドイツのヴィルヘルム・ベッセル(1784-1846)や、カール・ガウス(1777-1855)のような天才が光を放ち、天文計算に大きな画期が訪れた時代です。ハラシュカの代表作『日食概説』も、日食計算の新時代を告げるもので、そうした意味でも、「空の旅」に展示する意味は大いにあったのです。


さらに、この地図の売り手が強調していたのは、当時まだ未踏の北極地方の表現が、地図史の上からも興味深いということで、確かにそう言われてみれば、この極地方のブランクは、科学の進歩における領域間の非対称性を、まざまざと感じさせます。(北極以外も、このハラシュカの地図には、16世紀の地図のような古拙さがあります。)


遠くの天体の位置計算がいかに進歩しようと、足元の大地はやはり生身の人間が目と足で確認するほかないのだ…などと、無理やり教訓チックな方向に話を持って行く必要もないですが、当時はまだ広かった世界のことを思い起こし、そこから逆に今の世界を振り返ると、いろいろな感慨が湧いてきます。


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▼閑語(ブログ内ブログ)

ハラシュカの地図じゃありませんが、生活者たる身として、遠い世界と同時に身近な世界のことも当然気になります。

安倍氏とその周辺は、公然と改憲を叫び、共謀罪の成立を目指しています。
その言い分はすこぶるウロンですが、それを語る目元・口元がまたウロンです。

何せ、スモモの下では進んで冠を正し、瓜の畑を見ればずかずかと足を踏み入れ、そして袂や懐を見れば、何やらこんもり重そうに膨れている…そんな手合いですから、その言うことを信じろと言う方が無理です。

彼らは冠よりもまずもって身を正すべきです。
議論は全てそれからだと私は思います。

空の旅(14)…オペラグラス2017年05月03日 11時41分52秒

世はゴールデンウィーク。

『博物蒐集家の応接間 ~旅の絵日記~』が神保町で行われてから、すでにひと月以上経ちました。でも、ブログ内の時空は、依然としてあの場に固着しています。「旅」の軽やかさとは程遠い鈍重さですが、地球全体を巡る2千年以上に及ぶ旅の日記であってみれば、歩みが遅いのも止むを得ません。(どうか、そういうことにしておいてください。)

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さて、今日のテーマは「オペラグラス」。
例によって、展示当日のプレートの文面を引いておきます。

「19世紀のオペラグラス」
「イギリスのドロンド社製の双眼鏡(19世紀前半)。観劇用に用いられたので、「オペラグラス」の名がありますが、手軽な星見の道具としても重宝されました。時代は下りますが、天文趣味を広めたギャレット・サーヴィスには、『オペラグラスによる天文学(Astronomy with an Opera-Glass)』(1910)という愛らしい本があります。」


当日は、サーヴィスの本も会場に並べて、オペラグラスと天文趣味の結びつきを視覚化しました。


オペラグラスについては贅言無用と思います。
天界散歩の友としては、スパイグラスよりも一層スマートで、観劇帰り、手にしたバッグからひょいと取り出して、今度は星たちのドラマを眺める…なんていう洒落た紳士や淑女もいたことでしょう。

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ところで、サーヴィスの本の中身ですが、こちらは現代の観測ガイドとほとんど変わりません。

(サーヴィスの本の目次)

章立ては季節ごとになっていて、そのときどきの空の見所を図入りで紹介しています。


春は北斗の季節。
今だと、ちょうど夜の9時ごろに高々と空にのぼった姿が眺められます。

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同時にこの前後、大空から天の川の姿がいっとき消えます(条件の良いところならば、地平線に沿って天の川がぐるりと一周しているのが見えるはずですが、それは望みがたいでしょう)。このとき、日本の地平面は、ちょうど銀河面と同一になり、我々はまさに銀河の只中に身を置いて、天頂高く銀河北極を眺める格好になります。そして、そこからは何十億光年も彼方の光が、微かに、しかし確実に我々の元まで降り注いでいるのです。

…ありふれた日常の中でも、そんな壮大なイメージで、世界そのものを感じ取れるのが、天文趣味の妙味。

空の旅(13)…スパイグラス2017年05月02日 09時15分54秒

天文趣味というのは、抽象的に宇宙に憧れるばかりでなしに、多くの場合、自分自身の目で、宇宙の深淵を覗き込みたいという方向に、(たぶん)自ずと向かうものです。

…というか、私がイメージする天文趣味は「天体観測趣味」とニアイコールで、そうした「趣味の天体観測」という行為が成立したのが、たぶん1800年前後だろうと踏んでいます。(最初期の天体観測ガイドブックの登場が、19世紀の第1四半期であることが、その主たる根拠です。)

19世紀の100年間、時を追うごとに、天文趣味はポピュラーなものとなっていきました。そして、当時、本格的な天体望遠鏡に手の届かない人たちが頼ったのが、多段伸縮式のスパイグラス(遠眼鏡)や、手近なオペラグラスでした。(19世紀前半には、天体望遠鏡の量産体制自体なかったので、財力の多寡を問わず、そうせざるを得ない面もありました。)

それらは、天体観測用途のスペックこそ満たしていませんでしたが、月のクレーターや、木星の4大衛星の存在なんかは教えてくれたでしょうし、何よりも肉眼では見えない微かな星を見せてくれることで、人々の「星ごころ」を強く刺激したことでしょう。

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その辺のことを表現したくて、今回の展示では、スパイグラスとオペラグラスを並べました。


木製鏡筒の古い遠眼鏡。

「1800年頃にイギリスで作られた小型望遠鏡。「昼夜兼用(Day or Night)」をうたっていますが、あまり天体観測の役には立たなかったろうと思います。それでも、こうした小さな望遠鏡を空に向けて、熱心に「宇宙の秘密」を覗き込もうとした人も大勢いたことでしょう。」


真鍮の筒をぐっと伸ばして、空をふり仰げば


この小さなレンズを通して、広大な宇宙の神秘が、かすかにその尻尾をひらめかせた…かもしれません。少なくとも、この筒を手にした人は、そう信じたことでしょう。

(この項つづく。次回はオペラグラス)

空の旅(12)…18世紀の天文ゲーム2017年05月01日 22時34分25秒

昨日につづき、今日もアーミラリー・スフィアの姿が見えます。


これが何かというのは、その脇のカードに書かれている通りです。

「1796年、ロンドンで出たカードゲーム、『The Elements of Astronomy & Geography』 。ゲーム形式で天文学と地理学の基礎を学べる品です。時代が19世紀を迎える頃、市民社会の訪れとともに、天文学への関心が急速に高まりを見せました。」

『パリス神父作、精刻美彩の40枚の手札を用いた天文学・地理学入門』

フランス革命後の新しい世界。
それは教育による立身が可能な世界であり、「教育は財産」という観念が普及した時代です。ただし、国民皆教育制度が成立するのは、欧米でも19世紀後半ですから、それまでは家庭教育のウェイトが大きく、そのため教育玩具の需要が高まった時代でもあります。

天文学や地理学は、その恰好のテーマであり、この品もその1つです。


各カードは、表面が図版、その裏が解説になっています。
内容はご覧の通り、かなりお堅い感じで、主に球面幾何学に関する解説が延々と続きます。

果たして、これでどんなゲームを楽しんだのか、ルール解説がないので、ちょっと想像しにくいのですが、お父さんが食後のテーブルで、こういうものを使って親しく語りかけてくれるだけでも、子どもたちにとっては、嬉しく楽しい経験だったかもしれません。




この手の品は、イギリスのみならず、国を越えていろいろ出ています。
上の左側のカードは、昨年夏に池袋のナチュラルヒストリエで開催された「博物蒐集家の応接間――避暑地の休暇 旅の始まり」で展示した、1803年にフランスで出た天文カードゲーム。

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現代に通じる、「ホビーとしての天文趣味」が成立したのは、ちょうど世紀をまたぐ1800年前後のこと…という仮説を私は持っています。

それを生み出した最大の要因は、上に述べたように、フランス革命後の市民社会の到来ですが、フランス革命が天文趣味を生んだ…とまで言うと、ちょっと言い過ぎで、革命前の啓蒙主義の時代から、「アマチュアの科学愛好家」はいましたし、天文趣味もその延長線上にあるのでしょう。

より正確を期して言えば、つまりこういうことです。
啓蒙主義の延長線上に、市民革命があり、教育制度の普及があり、そして天文趣味の誕生もあった―と。

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19世紀以降の天文アイテムは、ことごとく天文趣味の歴史と不即不離の関係にありますが、中でもこの種のゲーム類こそ、その普及の様相を明瞭に物語るものですし、その存在は、通常の「天文学史」の埒外にあって、まさに「天文趣味史」としてしか記述しえないものですから、このブログで取り上げる価値は十分にあります。

天文モチーフのゲーム類については、遠からず、ぜひ独立した話題として取り上げたいと思います。


空の旅(11)…コペルニカン・アーミラリー2017年04月30日 11時43分12秒

下は以前の記事に使った写真の使い回しです。


似たような写真は、これまで何回も登場していて、たいていは人体模型が話題の主でしたが、今日の主役は、その脇にチラッと写っているもの。


1786年に、フランスのデラマルシュ(Charles François Delamarche、1740-1811)が製作したアーミラリー・スフィアのレプリカ。

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「アーミラリー・スフィア」と称する品は、今でも売られていて、きっとアメリカのホームセンターに行くと、たくさん並んでいることでしょう。

(eBayで売られているアーミラリーの例)

それらは、単なるインテリアやエクステリアの飾り物と化して、もはや実用性を失っていますが、本来のアーミラリー・スフィアは、天体の位置変化を視覚化する一種の小型プラネタリムであり、星の位置を知るアナログ計算機として、また人が中から覗けるぐらい大型のものは、天球上での星の位置を見定める観測器具として、古代から使われてきました。


伝統的なアーミラリー・スフィアは、地球を中心に天球の回転を表現していますが、この品では太陽を中心に置き、その周辺を惑星が回転する様を表現しています。

この種のものを、地動説を唱えたコペルニクスにちなみ、「コペルニカン・アーミラリー」と呼びます。(同様に、伝統的なアーミラリーは、プトレマイオスにちなんで、「プトレミック・アーミラリー」と呼んでもいいのですが、あまりそういう言い方はしないようです。)

(太陽の周囲を回る水星、金星、地球、さらに地球の周りを月が回転している様を表現しています)

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「空の旅」も徐々に時代が下って、今日は18世紀のパリ。


バロック科学の精華と風格を感じさせるこの品、レプリカとしてはなかなかよく出来ていて、オリジナルの雰囲気を十分醸し出しています。

フランス南部の町にある工房で作られたもので、工房の主は「これは有名な映画の小道具にも使われたんだぞ」と自慢していました。

その映画とは、2007年に公開された『パフューム』で、私は観てないんですが、18世紀のパリを舞台に、異常な嗅覚を持った調香師を主人公とする、猟奇と耽美の世界を描いた暗いムードの映画だそうです。

で、その主人公が勤める店内の、薬品や香料がずらりと並ぶ一角に、何となく妖しのムードを漂わせるアーミラリーが置かれていて、それと同じものが我が家にもあるというわけです。


昔のパリの調香師の店に、本当にアーミラリーが置かれていたかどうかは分かりません。映画の世界だけのことかもしれませんし、実際に置かれていたとしても、単にムード作りの小道具なのかもしれません。

そうなると、この宇宙の真理を教えてくれる、優れて学理的な品も、アメリカの郊外住宅の庭先に置かれたデコレーションと、その性格において、あまり違いがないことになります。でも、それを言い出したら、私の部屋に置かれているそれだって、ムード作りの小道具の域を出るものではありません。

まあ、所有者の理解の程度はさておき、人間が昔から宇宙に憧れ、宇宙的なイメージを漂わせるものを手元に置いて、常に愛でたいと思ってきたことは、間違いのない真実でしょう。

空の旅(10)…四分儀2017年04月29日 13時57分04秒

世間を見回し、何となく末法世界が到来したような気分です。
詮ずる所、人間とは愚かな存在なのかもしれません。
でも、愚かなばかりでなしに、なかなか大したところもあるのが不思議なところで、つまりは、いろいろ矛盾を抱えた存在なのでしょう。

そんな人間の不思議さを思いつつ、「空の旅」を続けます。

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星を見上げる行為が、精密科学へと飛躍する過程には、数々の観測機器の発明がありました。その最初は、太陽による影の長さと位置を測るための、地面に立てた1本の棒で、おそらくそれに次いで古いのが四分儀


四分儀にもいろいろなタイプがありますが、上は時刻を知るための「測時四分儀(Horary Quadrant)」の一種である、「ガンター式四分儀(Gunter’s Quadrant)」のレプリカ。元はイギリスの数学者・天文学者、Edmund Gunter(1581-1626)が考案したものです。

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そもそも四分儀とは何か。
分度器と糸とおもりがあれば、対象の高度を測ることは簡単です(さらにストローがあればなお便利)。


天体の場合は0度から90度まで測れれば十分なので、ハーフサイズの分度器、すなわち全円の四分の一の扇形を使えばいいことになり、これが「四分儀」の名の由来です。


手元の四分儀も、上の図のストローに相当する、2つの覗き穴が扇の一辺の両端に備わっています。さらに、扇の頂点には覗き穴のすぐ下に、もう1個の小穴が穿たれていて、ここに糸を通して、その先におもりをぶら下げたことが分かります。

太陽暦では、特定の日時の太陽の高度(地平線からの角度)は、一意的に決まります。裏を返せば、日にちと太陽の高度が分かれば、その瞬間の時刻が分かる理屈です。

ガンター式四分儀を使えば、さらに時刻以外にも、いろいろなことが分かるのですが、その前に、四分儀を使って時刻を知る方法について、もうちょっと見ておきます。

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下は一般的な測時日時計の図。


最外周から順に、角度目盛り、カレンダー目盛り、時刻目盛りになっています。
時刻目盛りは、さらに複数のパートから成り、外側の弧には正午~午後8時、内側の弧には午前6時~正午の時刻が刻まれ、2つの弧を結ぶようにたくさん並ぶ曲線は、同一時刻における太陽高度の周年変化(夏至~冬至)を示す時刻線です。

また、おもりをぶら下げた糸の途中に、小さなビーズ玉が見えます。
四分儀を使うときは、事前にカレンダー目盛りの位置に糸を持ってきて、糸が時刻線と交わる位置にビーズ玉をセットしておきます。

あとは太陽の高度を調べ、その時のビーズ玉の位置から時刻を読みとればOK。

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ガンター式四分儀にも、当然、上の図と同様の目盛りが刻まれていますが、それ以外にも付加的な目盛りがいろいろあって、中には黄道十二宮の記号も見えます。

下にリンクしたのは、ガンター式四分儀をシミュレートするアプリを作った人の解説ページです。使い方が今ひとつ分からないのですが、結論だけ言うと、これら複雑な目盛り群は、太陽の詳細な位置データ、すなわち高度、方位、赤経、黄経、日の出・日の入の時刻などを知るためのもので、ガンター式四分儀とは、いわば太陽に特化した一種の簡易アストロラーベというわけです。

Gunter's Quadrant Applet

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さらに裏面を見ると…


中央に何やら回転盤が見えます。


目を凝らすと、円盤には星図が彫り込まれていて、回転の中心はこぐまの尻尾の先になっています。


円盤の外周に刻まれたカレンダー目盛りと、その外側に固定された時刻目盛りを使えば、星座の位置関係から、夜間でも時刻が分かる仕組みで、これは日時計に対して「星時計」と呼ばれるものです。

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手元のは単なるレプリカですし、造りもちょっと雑ですが、こういうのは実際にあれこれ操作して初めて分かることも多いので、これはこれで良しとせねばなりません。

ともあれ、この小さな器具一つからも、天文学の歩みを如実に感じ取ることができます。