掛図師のこと2015年06月02日 20時13分32秒

(昨日のつづき)

フィリップス社の掛図で気になるのは、あれは本当に掛図なのか?ということです。いや、もちろん掛図なんですが、当初から掛図として販売されていたのかどうか?
…というのは、あの星図と同じものが、もう1つ手元にあるんですが、見た目がまったく違うんですね。


そちらは、紙表紙を付けた折り図式のものです。


1940年の版権表示も含め、ご覧の通り中身は全く同じ。サイズも同一です。
掛図の方は、星図部分の地色がいくぶん緑がかって見えますが、それは表面にニスが引いてあるせいでしょう。

で、結論から言うと、これは折り図が本来の出版形態で、掛図はそれを購入した人が二次的に加工したものではないか…と推測しています。

(下部をめくり上げたところ)

この掛図は、紙の図をキャンバス地で裏打ちし、木製の軸を打ち付けてあるのですが、イギリス(や他国)には、ちょうど日本の表具師のような、専門の裏打ち職人がいるんじゃないでしょうか。その辺の事情にうといのですが、古い大判の地図にも、布地で裏打ちを施したものが折々あって、あれもそういう職人に個別に頼んだものだと思います。(絵画修復師とか、装幀師とかが、裏打ち商売を兼ねているのかもしれません。)

涼しい星空…カテゴリー縦覧:掛図編2015年06月01日 20時45分21秒

早くも六月、水無月。
時の流れの速さはもう慣れっこですが、それにしても…と呆れます。

   ★

さて、今日は来たるべき夏を乗り切るために、涼味満点の星図を載せます。


どうですか、この浅葱色の夜空の風情は。
星図を吊るす棒の長さは125cm。正味のチャート部分だけでも、幅 118cm ありますから、掛図としては大判の部類です。


中央を真一文字に横切る天の赤道をはさんで、南北両天、赤緯にして±60度の範囲の空を描いています。中央をゆるやかに蛇行している曲線は黄道。
古風な星座絵と決別した、そのグラフィカルな星座表現も、またスキッとした涼味を感じさせます(天体は5等星までを表示)。



版元はアンティーク星座早見でおなじみの、イギリスのフィリップス社で、1940年のコピーライト表示が見えます。


この星図の見所は、とにもかくにも「涼し気」という点にありますが、掛図として見た場合、ちょっと気になる点があるので、そのことを次回書きます。

(この項つづく)

螺旋蒐集(7)…存在の始原へ2014年01月05日 08時01分42秒

夢枕獏氏の『上弦の月を喰べる獅子』は、「SFマガジン」誌に連載され、後に日本SF大賞を受賞しました。ですから、一般にはSF小説に分類されるのでしょう。ただ、いわゆるサイエンス・フィクションとは遠いテーマであるのも確かです。以下、作品の終盤。

   ★

賢治と「螺旋蒐集家」が融合することによって異界に突如出現した男、アシュヴィンは、数々の経験を経て、ついに蘇迷楼(スメール、世界の中心にそびえる須弥山のこと)の頂にある獅子宮の中に足を踏み入れます。

 螺旋蒐集家は、螺旋階段を登り、最後の一段を踏み出したのであった。
 岩手の詩人は、オウムガイの対数螺旋の極に、たどりついたのであった。

そこでアシュヴィンを待ち受けるのは二つの問。もし彼がそれらに正しく答えられたら、世界は消滅すると言い伝えられていました。しかし、アシュヴィンは己の運命に従い、問と正面から向き合います。その二つの問とは、汝は何者であるか?、そして朝には四本足、昼には二本足、夕には三本足の生き物がいる。それは、何であるか?」というものです。

もちろん、二番目の問は有名なスフィンクスの謎ですが、答は単純に「人間」なのではありません。ここで仏典を連想させるやりとりがいろいろあって、アシュヴィンは見事二つの問に答を与えます。と同時に、問う者と問われる者の合一が生じ、ここに最後の問が自ずと発せられます。

 「野に咲く花は幸福せであろうか?」
 問うた時、そこに、答はあった。
 問うたその瞬間に答が生じ、問がそのまま答となった。
 野に咲く花は、すでに答であるが故に問わない。
 もはや、そこには、問も答も存在しなかった。


これが作品のクライマックスで、この後、現世における螺旋蒐集家と賢治の死、それに釈迦の誕生シーンがエピローグ的に描かれて、作品は終っています。(それによって、2人の物語は釈迦の“過去世”を説く本生譚だったことが明らかとなり、時空を超えた不思議な螺旋構造が読者に示されるわけです。)

   ★


昨年のクリスマス・イヴに、インドの古都から届いた古い巻物。
ここには生命の根源的秘密が図示されている…
と、無理やり話を盛り上げる必要もありませんが、でもまんざら嘘でもありません。


届いたのはインドの学校で使われていたDNAの掛図です。表面のニスの加減でずいぶん時代がついて見えますが、1985年のコピーライト表示が見えるので、比較的新しいものです。

まあ、DNAの掛図を、わざわざインドから取り寄せる必然性は全くないんですが、当時は獏氏の本を読んだばかりだったので、インドと生命の螺旋というタームが心にいたく響き、ぜひ買わないといけない気がしました。


私たちの体が2個の蝸牛のみならず、何千兆もの螺旋体で満ちあふれ、それが生命そのものを律しているのは紛れもない事実ですから、インド云々はさておき、螺旋蒐集上やっぱりこれは見逃せない品だと思うのです。


まあ、監修者のデシュ・バンドゥ・シャルマ博士にしてみれば、およそ妙なこだわりと感じられるに違いありません。平均的日本人にとって、インドは依然何かしら神秘と結びつく国だと思いますが、あるいは先方からすれば、日本こそ怪しい国なのかも。

   ★

いつも同様、さっぱり要領を得ないまま、ひとまず螺旋の話題はこれで終わります。

月まろし2013年09月20日 21時21分05秒

昨日は十五夜。
今日もまだまだ丸い月が皓々と冴え返っています。
これだけ月が明るくては、あに月の話題なかるべけんや。

なにか満月にちなんだものはないかな…と、部屋の中を見回したら、月の掛図を見つけました。


詳細は忘れましたが、たしか「これさえあれば雨の日でもお月見ができるぞ」という単純な思い付きで買ったのでした。
こうして掛けてみれば、直径50センチの月が明るく書斎を照らし、たしかにお月見気分を満喫できます。(もちろん、今日は掛図を眺めるよりも、本物の月を眺める方が、気が利いているでしょうけれど。)

上の画像を見ると、非常に精細かつリアルな月に見えますが、ちょっと近寄ってみると、リキテンスタインばりの網点がくっきりと浮かんで、なんとなくモダンアートっぽい感じもします。しかも、この月は白ではなく、銀のインクで刷られているので、なおさらです。


右下にはくねくねしたサインが書かれていますが判読不能。


モノとしてはごく新しく、最近もeBayで新品が売られているのを見た記憶があります。

オー・ソレ・ミオ!2013年04月17日 20時40分49秒

イタリアといえば、以前、こんなものを手に入れました。
これもジョバンニの教室をイメージしてそうしたのですが、結局出番がないまま、徒花で終わった品です。

(軸を除いたサイズは約96×64㎝。傷みが激しく、紙が真ん中で折れてしまっています。)

ご覧のとおり、画題は地球の公転と季節変化。
イタリア製の天文掛図はわりと珍しく、私が持っているのはこれだけです。
版元のAntonio Vallardi 社はミラノの出版社で、聞くところによると、今や260年以上の歴史を有する、とんでもない老舗だとか(1750年創業)。


印刷は砂目石版で、発行年は書かれていませんが、おそらく1910年代ころのものでしょう。


それにしても、この太陽はすごい。
別に各国の掛図を全部調べたわけではありませんが、でも、よその国だったら、太陽は単なる円盤か、あるいはそこに光を添えるにしても、こんなふうに太陽本体が見えないくらい光を描き込むことはしないような気がします。

(地球軌道を越えて伸びる太陽光の描写)

さんさんと降り注ぐ陽光に、どうしようもなくイタリアを感じます。


【おまけ】

下は明治時代の日本の掛図。「日出ずる国」でも、陽光はやや控えめです。


明治の Kawaii 博物掛図2012年12月23日 10時08分52秒

(一昨日の記事のつづき)

いとおしい明治の博物掛図。その現物を手元において、その妙を味わう。
常識的には難しい課題ですが、そこは蛇の道はヘビ。
こんな可愛い抜け道がありました。
 

 
松川半山(註解)『博物図教授法(全)』
 岡島宝玉堂、明治16(1883)再版(初版=明治10年)
 18.1×12.3cm

新書版よりちょっと大きいぐらいの、和紙・和本仕立ての本です。
この本は、いわば当時の「先生用虎の巻」で、掛図に描かれた対象を挿絵入りで説明した解説書。そして、ご覧のようにオリジナルの掛図を縮小した、木版多色摺りのミニアチュ-ルが収められています。

昨日のカボチャの掛図も以下の通りばっちり。
 


 もちろんオリジナルほどの細密さはありません。
しかし、この雛道具のような掛図は、愛らしさにおいて、オリジナルよりもむしろまさっているかもしれません。

愛しさのあまり、たくさん写真を撮ったので、いっぱい貼っておきます。
 
(「第四博物図」)

左にちらっと見えているのは、上掲書の続編で、同じ著者による『博物図教授法(動物第四・動物第五・植物第五 全)』(明治16年再版;初版は明治12年)です。

そもそも、明治の博物掛図は「第一博物図」~「第五博物図」の植物篇5図と、「動物第一」~「動物第五」の動物篇5図計10図からなります。
上に書誌を挙げた、『博物図教授法(全)』の初版が出た時点では、後から刊行された「第五博物図」「動物第四」「動物第五」の収録が間に合わなかったので、この3図のために続編が作られました。(したがって両方揃わないと、本当の意味での「全」にはなりません。)
 
(上図の拡大。かわいいキノコたち。)
 
(「動物第一/獣類一覧」。明治の子供が初めて触れたであろう元祖・動物図鑑。)
 
(獣類一覧解説ページより。江戸時代の本草書からあまり隔たっていない雰囲気。)
 
(「動物第四/多節類一覧」。まだ標準和名が定まっていない時期の虫名が興味深い。)
 
(これまた極め付きに可愛い「動物第五/柔軟類多肢類一覧」。)
 

タコノマクラにサルノマクラ。後者は今でいうスカシカシパンのことだそうですが、海の生物には、昔から優しい、ユーモラスな名前が多いような気がします。

   ★

なにもなにも ちひさきものはみなうつくし。(枕草紙)

かぼちゃ、明治博物風。2012年12月21日 20時39分50秒

今日は冬至。
季節の風物詩、カボチャからの連想で記事を書きます。

天文古玩的にカボチャというと、1枚の古い掛図が思い出されます。

(明治6年刊、「第二博物図」。 出典: 国立公文書館デジタルアーカイブ
 http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000933

(上記部分図)

   ★

明治の始め、初等教育の場に初めて自然科学が登場したとき、何をどう教えればいいのか、極端に言えば、誰も知りませんでした。西洋の科学啓蒙書の翻訳・翻案は、続々と行われていましたが、まったく素養のない子供たちに、新時代の学問をどう教えるべきか?

そこに登場したのが掛図です。
掛図は当時、西洋の学校でも盛んに使われていたので、お手本には事欠きませんでした(直接的には、アメリカの掛図が参照されたようです)。また日本の場合、昔から絵解きの伝統があったので、それを受け入れやすい素地があったのかもしれません。
掛図は子供たちの視覚と好奇心に訴えようという、いわば明治版AV教材。


(↑玉川大学教育博物館で平成15年に開催された、『明治前期教育用絵図展』の図録。同じく平成18年開催の『掛図にみる教育の歴史』図録と併せて、明治期の掛図について知るには便利な1冊。)

   ★

博物掛図で興味深いのは、大根やスイカやカボチャなど、誰でも知っている卑近なものを、改めて「学問」の対象として、その俎上に載せていることです。
青物屋の店先にゴロゴロしているものが、多様な植物の姿を学ぶ生きた教材として提示されたとき、そこに新たな価値と意味が生まれた…とすら言えるでしょう。

博物掛図には、遠い異国の見慣れない獣類なども登場するのですが、しかし野菜に限らず、「雑草」や「虫けら」など、子供たちの身の回りの生物が、新たに「観察と学習」の対象として取り上げられたことは、「自然科学的態度」の涵養に、いっそう大きな意味があったはずです。

いわば博物掛図は、新たな科学的認識の先兵でもあったのではないでしょうか。

   ★

例によって大上段に振りかぶって論じていますが、本当は文明開化の日本で、サイエンスと木版摺りの伝統が融合し(さらに細かく見ると、図自体も銅版墨刷と木版色刷の和洋折衷です)、興味深い一連の作品が生まれたことを指摘し、その鑑賞に徹したほうが滋味豊かかもしれません。博物掛図には、それだけの「味」がありますから。

ただ、その「味」を知るには、やはり現物を手にしたいところ。
しかし、明治初期の掛図は、今や立派なミュージアムピースですから、それを入手することはきわめて困難です。私もハナから諦めていましたが、その後、意外な形でその壁が崩れたので、そのことを以下に書きます。

(この話題つづく)

ジョバンニが見た世界…ついに見つけた星座の掛図2012年12月08日 18時06分01秒

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、
乳の流れたあとだと云われたりしていた
このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、
上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、
みんなに問をかけました。  (「一、午后の授業」より)

   ★

「ジョバンニが見た世界」でまず取り上げたいのは、物語のいちばん最初に登場する星座の掛図です。

思えばこの話題、これまでにもずいぶん取り上げました。
例えば、賢治が子ども時代に目にした掛図はわりと小ぶりだったはずで、ここでいう「大きな」というのは、ある程度留保が必要だろう…とか(LINK)、あるいは、賢治がイメージしたのは、当時、日本天文学会が出した星座掛図らしい…とか(LINK)、はたまた、作品世界にふさわしい品として、19世紀にパリで出た天文掛図ではどうか…とか(LINK)、その他もろもろ。

しかし、肝心の円形星図の掛図(※)というのが、いかにもありそうで無くて、そこで話題は先細りになったのでした。

(※)ジョバンニは、時計屋の店先で星座早見盤を見て、授業で使った掛図を連想しました。裏返せば、授業で使ったのは、早見盤を大きくしたような図であったはずです。

   ★

しかし、思う念力岩をも通す。多年の探索の末に、やっと出会ったのが下の品。


残念ながら、黒くはないです。それに銀河の流れの向きも、上下ではなく左右です。
しかし、作品世界の具象化として、100点満点とは言えないまでも、80点ぐらいは与えてもいいかな…と個人的に思っています。

   ★

この品は、19世紀創業のドイツの老舗教育出版社 Westermann が出した、
H.Hagge(著) 『我が国から見える星空(Sternenhimmel unserer Heimat)』
と題する掛図。

ドイツの学校では長期にわたって使われたらしく、検索してみると1920年代から60年代あたりまで流通していた形跡があります。手元の品に関して、売り手は1930年代頃のものとしていましたが、印刷の加減や、木製ロッド(軸)の感じから、確かにその頃のものと見てよいのかもしれません。

(古びた軸とラベル)


こうして見上げると、確かに大きいです。高さは約120センチ、幅は約95センチ。
これなら教室の後ろからでも、白くけぶった銀河帯がハッキリ見えたことでしょう。


星図のアップ。理科趣味が漂うクールな星座表現。朱を点じたのは変光星です。


この掛図、上では80点を付けましたが、実写版モノクロ映画の小道具としてならば、95点を付けてもいいかもしれませんね。

(なんとなくつづく)

恐竜クラシック2012年04月07日 19時01分28秒

昔の恐竜、今の恐竜。
その変化から類推して、さらに「未来の恐竜」というのを思い浮かべました。
で、「将来、恐竜はこうなる!」という予言記事を書いてみたらどうかとか、あるいは「2013、これが恐竜のニュートレンドだ!!」と煽りを効かせてみたらどうかと夢想してみました。

…書いていて、我ながら素敵にバカバカしいですが、でも、恐竜たちが、今も人々の想念の中で進化を続けていると考えるのは、ちょっと悪くない気がします。

   ★


さて、昨日のおじいさんが憧れた恐竜は、きっと↑こんな姿をしているに違いありません。

ノッシ、ノッシ。
(斜めから写したので、ちょっと歪んでいます)

とぼけた表情に味わいがあるような…。

遠くの方でもノッシ、ノッシ。

   ★

上の品は、「白亜紀の動物」と題された、ドイツの教育掛図で、1960年代頃のもの。
ドイツ中央教具研究所(Deutschen zentralinstitut fur Lehrmittel)監修、ベルリンのVolk und Wissen Verlag 社発行。Heinz Dost という画工の名前が欄外に見えますが、どうもこの絵は素人目にも下手ですねえ。

東西冷戦下の東ドイツ(略称DDR)では、教育用の掛図が大量に作られたらしく、それらは今や古物市場で二束三文の捨て値で売られています。私は勝手に「DDRもの」と呼んでいますが、全体に粗製乱造の気味があるので、買う時にはいささか用心が必要です。

ひっそりと眠る驚異の博物標本室2011年12月27日 20時45分03秒

この頃は5時ともなれば、辺りはとっぷりと暮れ、しかも空気が乾燥しているせいで、おぼろな感じがなくて、黒々とした夜空が頭上に広がっています。
今日、仕事帰りに西の空を見上げたら、駅舎の上にかっちりした三日月と金星が、並んで光っていました。何だかその脇に「足穂」と落款を押したいような、実に絵になる光景でした。

   ★

さて、1つ前の高校生の理科の話題、ヴンダーカンマーの話題から、三題噺的に話を続けます。

真に驚くべきものは、人知れずひっそりと、そして意外に身近な場所にあるのかもしれません。驚異の部屋に憧れる人、博物趣味に思い焦がれる人が、呆然となるような場所が、都内豊島区にあるのを発見しました。私もつい先日知ったのですが、見た瞬間、我が目を疑いました。

それは学習院高等科の標本保管室です。

公式サイトはこちら。
学習院高等科 標本保管室
 http://www.gakushuin.ac.jp/bsh/museum/hyouhon/


リンク先には、掛図の紹介ページと、生物・骨格標本の紹介ページとがあります。詳細なデータはありませんが、いずれも驚くほど良質の資料と見受けられます。しかも、同室にはとびきりの鉱物標本も所蔵されていることを、下のページで知りました。きっと他にも知られざる逸品が収蔵されているのでしょう。まさに博物学の一大聖地。

■ホネホネの年の瀬:もきログ(by トモキチさん)
 http://mokizo.blog81.fc2.com/blog-entry-247.html

   ★

こうした品が、なぜ大学ではなく、高校という中等教育機関に所蔵されているのか、そのこと自体不思議ですが、その辺の経緯は下のページに略術されていました。

■旧制学習院歴史地理標本室コレクション:学習院大学東洋文化研究所
 http://www.gakushuin.ac.jp/univ/rioc/vm/c01_zenkindai/c0104_hyouhon.html

それによれば、学習院所蔵の博物資料群は、そもそも旧制の学習院で、博物学教育に供するために設けられた「標本室」がルーツでした。これらの貴重な標本は、残念ながら関東大震災でいったん全て失われてしまうのですが、その後、新たに建てられた理科特別教場に再び「博物学標本室」が設けられ、昭和初年以来、熱心に標本の収集活動が続き、それが戦後になって同校高等科に移管され、現在に至るという流れです。

要するに、これらの標本は本来、旧制高校ないし大学に相当する高等教育機関が収集したものであり、コレクションの質と量の豊かさは、そのことの直接的反映です。

しかも、学習院は今でこそ一私立学校ですが、戦前にあっては(文部省ではなくて)宮内省が管轄する、皇族・華族のための特殊な官立学校で、国家の強力な後ろ盾がありましたし、何と言っても、博物学は「殿様の学問」として大いに奨励されましたから、そのコレクションの充実ぶりは当然といえるかもしれません。
とにもかくにも瞠目すべき空間であり、標本群です。

もちろん私は、即座に学校に電話をして、見学が可能かどうか問い合わせました。しかし残念ながら、学習院側の回答は「一般には公開していないので、見学は不可」というものでした。

まあ、今後何らかのルートで許可が得られる可能性もなくはないでしょうが、今のところそういうルートが思い浮かばないので、当面は想像の世界で、ひそかに探訪するしかありません。しかし、だからこそ謎めいた妖しい魅力がいっそう増す気がします。

ともあれ、学習院の生徒さんは、精一杯そのメリットを享受し、すべからく博物趣味の涵養に努めていただければと念願しております(←余計なお世話でしょうが)。