壺の中にも天地あり2017年03月08日 07時20分18秒

つくづく思うのですが、このブログの画像は、毎度毎度背景が同じですね。
たぶん見る人もそう感じるでしょうし、私自身苦にしているのですが、これはもうどうしようもないです。


自然光が入って自由になる空間は、とにかくこれだけしかないので、いつもこの赤茶けた机の上、わずか30cm四方のスペースにモノをのっけて、縦にしたり、横にしたり、苦労して写真を撮っているのです。まさに「方寸の地」。

しかし、「goo辞書」によれば、この「方寸」という言葉には、

 胸の中。心。「万事―の中にある」
 《「蜀志」諸葛亮伝から。昔、心臓の大きさは1寸四方と考えられていたことによる》

という意味もあるのだそうです。
となれば、まさに人の心は自由自在な一大天地ですから、この極端な制約の中でも、思いだけは気宇広大、精神を縦横無尽に羽ばたかせて、大地と海と空へ、さらに遠い宇宙へと向かうことにします。

まあ、四字熟語を使って無理に力む必要もないですが、これからも背景は変らねど、懲りずにお付き合いいただければと存じます。

往くが如し2017年01月17日 06時51分43秒

毎度のことながら、生きていくためには雑務の突沸にも耐えねばならず、なかなか記事をノンビリ書くことができません。ブログの方はしばし開店休業です。
まことに人の一生は、重き荷を負うて遠き道を…

歳末風景2016年12月27日 07時01分05秒

「師走は忙しい」という経験則の正しさは今年も証明されて、年末はやっぱり忙しいです。
記事の方は、年賀状を書き上げてから、おもむろに再開の予定。

秋爽好日2016年10月29日 10時10分00秒

青い空。涼しい風。
静かな土曜の朝を満たす黄金の光。

日曜になると、早くも明日のことを考えて、何となく気ぜわしいですが、土曜日はいちだんとノンビリした時間が流れて、光の色もこまやかな感じがします。


…と、ちょっと余裕を見せて書いていますが、写真の片隅の人体模型に、少なからず違和感を覚える方もいらっしゃるでしょう。

しかし、彼とも結構長い付き合いで、今では彼のいない部屋は考えにくいです。
ときどき、このブログで私の思いを、2人の人物に託して語らせることがありますが、実際の掛け合いの場面を想像すると、相手はこの彼をおいて他にいません。

眠り男2016年10月03日 20時37分00秒



今回はよほど疲れていたのでしょう。
トイレに起きたり、飲食したりの時間を除いて、こんこんと眠り続けていました。途中熱が出てきて、汗をどっとかいて、それが収まったら、ちょっと楽になりました。でも、まだぼーっとしています。

記事のほうは、もうしばらく休んでから再開します。

Living Dead2016年09月12日 06時36分49秒

依然蒸し暑いですね。でも、街路のけやき並木に目をやれば、濃い緑が少し黄ばんできました。暑くても、やっぱり秋は秋です。

さて、私ぐらいの年恰好の者が、突然ウンともスンとも言わなくなると、「ひょっとして、アイツは頓死したのではないか」とか、頓死はせぬまでも、「何か良からぬことをしでかして、遁走したのではないか」と思われがちです。

まあ、こうして無事生きているのですが、しかし遁走ならぬ遁世の志が胸にきざすぐらい、このところ身辺がバタバタして、盆もなければ正月もなく、さらには土曜も日曜もなしに昼夜兼行で走り続けるような仕儀におちいっていました(多少大げさに言っています)。

そんなわけで、いろいろ不義理を重ねていますが、もうちょっとしたら、またノンビリ記事を再開できると思います。というか、早くそうなって欲しいです。

秋、懐かしい級友(とも)の顔2016年09月03日 21時42分49秒

9月となり、季節は秋に。
夏の疲れがどっと出て、今日はこんこんと眠り続けました。

   ★

三省堂池袋本店のナチュラルヒストリエで7月から始まった、「博物蒐集家の応接間 避暑地の休暇」も、8月いっぱいで第1章「旅のはじまり」が終り、新たに第2章「petit musée ~ 天文と好奇心の博物館」がスタートです(第2章は10月28日まで続きます)。

博物蒐集家の応接間 避暑地の休暇
 第2章『 petit musée ~ 天文と好奇心の博物館 』

 http://ameblo.jp/salon-histoire-naturelle/entry-12196055330.html

第1章では、会場の賑やかしに私も少しご協力したのですが、会期終了とともにその物品が返却されてきて、それを見ていると今年の夏もつつがなく終ったなあ…と、しみじみ感じます。

第2章はテーマが天文なので、一見、天文古玩の出番がありそうですが、私の提供する品はすべて非売品なので、むしろこの種のイベントには不適だったりする事情もあるわけです。

それはともかく、明日はしばらくぶりで再会した品を棚に戻すので、そのついでに、今回池袋に出かけた品を一瞥しておきます。


(この項つづく)

夏の果て2016年08月31日 06時16分28秒

8月の終わりは、八月尽(はちがつじん)」という季語になっています。
俳句の約束事では秋の季語ですが、実感としては「夏の終わり」そのものでしょう。

  八月尽の 赤い夕日と 白い月    中村草田男

…という句は、朱夏と白秋の交代を念頭に置いた、いささか理に勝ち過ぎた句ですけれど、まさに夏と秋が交錯する瞬間を切り取ったものと思います。

   ★

夏の終わりの独特の気分は、おそらく子供時代の夏休みの終わりの気分を引きずっているのだと思いますが、何だか無性に寂しいものです。

誰もいない浜辺で、黙って海の音を聞いている自分を想像して、過度に感傷的になったりするのも、この時期特有の心の動きです。

   ★

このところ身辺がバタバタして、なかなかノンビリした気分になれませんが、今日一日は、ゆく夏を惜しんで、心の浜辺をさまようことにします。

夏休み2016年08月14日 07時01分36秒

お盆ということで、ブログの方もちょっと夏休みに入ります。
ゆっくりと沈思する夏です。

(スウェーデン製マッチラベル)

暑中お見舞い申し上げます。2016年08月05日 06時50分40秒


(昭和35年(1960)発行、 『しょうがくせいのりか(1ねん上)』、二葉㈱ より)

私は夏という季節は好きですが、暑さには弱いので、この頃はまったくダメです。
ずっと眠いし、だるいし、ぐったりしています。
冷たいものばかり飲み食いしているので、お腹の調子も悪いです。

そんなわけで、いったんは南極に向ったものの、何だか頭がボンヤリして、言葉がうまく綴れません。
でも、筆が鈍るのは暑さのせいばかりではありません。
ここ数日、ずっとモヤモヤしている原因が、やっと分かりました。

この「郷愁」をテーマにしているらしい、天文古玩というブログ。
でも、郷愁とは果たしてそんなに有難いものかね…という疑念が、心に影を落としているからです。そして、それは「郷愁の戯画」を、最近イヤというほど見せつけられたせいです。

もちろん、罪は郷愁にはなく、郷愁の向け方にあることは承知しているのですが、まあ、こんなふうに弱気になるのも、結句体力が落ちているせいでしょう。
ちょっとその辺から改善を図る必要があります。

皆様におかれましても、どうぞご自愛のほどを。

(同上)