ジョバンニが見た世界…美しい銀河の写真(1)2012年12月12日 22時26分35秒


そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、
それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちで
カムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。
それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、
すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、
ぎんがというところをひろげ、
まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真
二人でいつまでも見たのでした。     
(「一、午后の授業」より)

   ★

この話題についても、既に3年前に一通りのことを書きました。
(以下の記事の前後を参照)

■ジョバンニが見た世界…銀河の雑誌と大きな本(3)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/12/03/4737414

そこでは、天体写真をふんだんに収めた、一般向けのヴィジュアルな天文学書が1920年代に立て続けに出版された事実に触れ、その具体例を見ながら、カンパネルラのお父さんの書斎にあった本を想像してみました。

一応、話題としてはそれで完結したのですが、その一方で、「銀河鉄道の夜」の作品世界を、現実の世界に当てはめると、1912年頃ではないかという話題がありました。
過去記事の引用ばかりで恐縮ですが、以下がそれです。

■ジョバンニが見た世界「時計屋」編(2)…ネオン灯
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/11/05/6189331

今回は、そのずれを埋め、1912年当時の「美しい」銀河の写真とはどんなものか?という点に、こだわってみたいと思います。
果たして、それはどれぐらい「美しい」ものであったのか?

   ★

残念ながら1912年ちょっきりではありませんが、1913年に出た1冊の銀河の写真集があります。この写真集を見ると、ジョバンニが目にした美しい銀河の光景も、想像がつくように思うので、そのことを書きます。

(この項つづく)

ジョバンニが見た世界…ついに見つけた星座の掛図2012年12月08日 18時06分01秒

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、
乳の流れたあとだと云われたりしていた
このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、
上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、
みんなに問をかけました。  (「一、午后の授業」より)

   ★

「ジョバンニが見た世界」でまず取り上げたいのは、物語のいちばん最初に登場する星座の掛図です。

思えばこの話題、これまでにもずいぶん取り上げました。
例えば、賢治が子ども時代に目にした掛図はわりと小ぶりだったはずで、ここでいう「大きな」というのは、ある程度留保が必要だろう…とか(LINK)、あるいは、賢治がイメージしたのは、当時、日本天文学会が出した星座掛図らしい…とか(LINK)、はたまた、作品世界にふさわしい品として、19世紀にパリで出た天文掛図ではどうか…とか(LINK)、その他もろもろ。

しかし、肝心の円形星図の掛図(※)というのが、いかにもありそうで無くて、そこで話題は先細りになったのでした。

(※)ジョバンニは、時計屋の店先で星座早見盤を見て、授業で使った掛図を連想しました。裏返せば、授業で使ったのは、早見盤を大きくしたような図であったはずです。

   ★

しかし、思う念力岩をも通す。多年の探索の末に、やっと出会ったのが下の品。


残念ながら、黒くはないです。それに銀河の流れの向きも、上下ではなく左右です。
しかし、作品世界の具象化として、100点満点とは言えないまでも、80点ぐらいは与えてもいいかな…と個人的に思っています。

   ★

この品は、19世紀創業のドイツの老舗教育出版社 Westermann が出した、
H.Hagge(著) 『我が国から見える星空(Sternenhimmel unserer Heimat)』
と題する掛図。

ドイツの学校では長期にわたって使われたらしく、検索してみると1920年代から60年代あたりまで流通していた形跡があります。手元の品に関して、売り手は1930年代頃のものとしていましたが、印刷の加減や、木製ロッド(軸)の感じから、確かにその頃のものと見てよいのかもしれません。

(古びた軸とラベル)


こうして見上げると、確かに大きいです。高さは約120センチ、幅は約95センチ。
これなら教室の後ろからでも、白くけぶった銀河帯がハッキリ見えたことでしょう。


星図のアップ。理科趣味が漂うクールな星座表現。朱を点じたのは変光星です。


この掛図、上では80点を付けましたが、実写版モノクロ映画の小道具としてならば、95点を付けてもいいかもしれませんね。

(なんとなくつづく)

「ジョバンニが見た世界」 アゲイン2012年12月07日 19時45分08秒


(シャルトル大聖堂のステンドグラスに描かれた射手座。1220年頃。
出典:http://www.fotopedia.com/items/flickr-2950383981

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には、読者の憧れを誘う、魅力的な天文アイテムの数々が登場します。

例えば、冒頭の「午后の授業」の章。
そこには、巨大な黒い星座掛図や、壮麗な銀河の写真を載せた重厚な本光る砂粒の入った凸レンズ型の銀河模型などが、静かなトーンで描かれています。

あるいは、第4章「ケンタウル祭の夜」に登場する時計屋の店先。
そこには、アスパラガスの葉で飾られた黒い星座早見盤黄金色に輝く望遠鏡色とりどりの宝石を星のように乗せて回る青いガラス盤神話世界そのままの華麗な星座絵が、鮮やかにディスプレイされ、ジョバンニの心をすっかり奪ってしまいます。

そうした涼やかな、あるいは華やかな品々を、この現実世界に探し求めるという天文古玩オリジナルの企画が、「ジョバンニが見た世界」という連載記事でした。

過去の一連の記事は、左のカテゴリ欄から「宮澤賢治」というタブを見ていただければ、そのあちこちに散らばっているはずです(あるいは、「ジョバンニが見た世界」をキーフレーズに、ブログ内検索をかけていただいた方が手っ取り早いかもしれません)。

これまで何度も書きかけては中断を繰り返してきた、この企画。
頓挫の原因は、やはりぴったりのイメージのものを見つけるのが大変だ、ということに尽きると思います。無理やりこじつけてはみたものの、後が続かない、そこで筆が止まってしまう…ということの繰り返しでした。

しかし、今年に入ってから、いくつか「これは!」というものを見つけたので、おずおずと連載を再開します。もちろん、また中断するかもしれませんが、ここまで来たら焦らずに、続けられるところまで続けます。

(以下なんとなくスタート)

賢治の謎 … 別役実著 『イーハトーボゆき軽便鉄道』2012年11月14日 21時35分35秒

(この本は、もともと1990年にリブロポートから出て、2003年に「白水uブックス」の1冊に加わりました。上は白水社版の表紙です。)

ねこぱんちさんに以前コメント欄で教えていただいた出色の賢治本です(どうもありがとうございました)。

   ★

賢治作品を読んで、何かモヤモヤっとするものを感じることはないでしょうか。

たとえば「オツベルと象」で、強欲なオツベルから救い出された小象は、なぜ「嬉しそう」に笑わずに、「さびしく」笑ったのでしょう?
あるいは谷川の底を舞台にしたファンタジックな「やまなし」。あそこに登場する、謎のキャラクター「クラムボン」とはいったい何なのか?

…そういう風に考えながら賢治作品を読んでいくと、あちこちに謎めいた記述が目に付きます。それがまた彼の作品の魅力ともなっているようです。

別役氏は、そうした謎をこの本で軽やかに解いていきます。
その推理の手並みは鮮やかで、驚くほど冴えわたっています。

あっと思ったのは、「グスコーブドリの伝記」に関する解釈です。
あの教訓めいた物語は、結局何を伝えたかったのか? 主人公のブドリは、森から草原に、そして都市へと生活の場を移していきますが、ここには人類進化の歴史が重ね合わされているのだと、別役氏は喝破します。そして、ブドリの死は人類が自然に対して負った罪に対する罰であり、彼は自分の死を必然として、はるか以前からそれを予見していた…。こういう風に書くと、ちょっと強引に聞こえるかもしれませんが、それは私の書き方がまずいからで、別役氏の文を読むと、なるほどそうだなと納得させられます。

こんな調子で、別役氏は賢治の主要作品を、ごく短い文章で次々と撫で斬りにしていくのですが、実はそこには2つの例外があります。
1つは「風の又三郎」で、これについては「その1」から「その3」まで3編のエッセイを宛てています。そしてもう1つは「銀河鉄道の夜」で、こちらは実に10編の連作形式で、延々と謎解きを続けています。

別役氏は、「銀河鉄道の夜」全体を通底するテーマとして、「父なるもの」と「母なるもの」、そして人間関係の基礎としての「三角関係」、さらに少年の「自立」といったものに注目します。その解釈自体はおそらく正しいのでしょう。しかし、こうしたいわば「真っ当な解釈」を下すのに、別役氏が長々と紙数を費やしているのは、他の作品評にくらべて、明らかにペースが鈍重です。私には、名探偵・別役氏が、「銀河鉄道の夜」に関しては、はっきりと戸惑っているように感じられます。

「銀河鉄道の夜」は、もちろん「自己犠牲のススメ」のような単純な教訓物語ではないし、さらに別役氏がそうしたように、精神分析的解釈を援用したからといって、それだけで解決が付くわけでもなく、依然多くの謎を含んでいるように思います。

私にも、その「謎」に対する答は当然ありませんが、しかし、別役氏の解釈から漏れている要素は予想が付きます。それは「銀河鉄道は、なぜ銀河鉄道なのか」ということです。

「銀河鉄道の夜」が、単にジョバンニの成長小説ならば、別役氏の解釈で充分なのでしょうが、この作品の主人公は、実は「銀河鉄道」そのものだとも言えます。このもう一人の主人公は、なぜ汽車の姿をとり、そして銀河のほとりを疾駆するのか?そこにはおそらく時空の謎、万象の生成と消滅をめぐる宇宙論的なテーマがあるはずで、それが別役氏の視野からは抜け落ちていると思います。

夏の夜、銀河を振り仰いで、そのほとりを走る汽車を思い浮かべれば、この疑問は解けるのかもしれません。あるいは解けないまでも、賢治さんのこころの片鱗はうかがい知ることができるような気がするのですが、さてどんなものでしょうか。

   ★

ともあれ、賢治ファンにはお勧めの一冊です。
別役説に脱帽するか、はたまた別の解釈に到達するか、いずれにしても賢治作品を見る目が豊かになることは請け合います。

実験の時間(2)2012年08月23日 21時17分02秒

昨日につづき化学実験室の光景です。

↓は鳥取高等農林学校の農芸化学科生徒実験室。同校は現在の鳥取大学農学部の前身です。ただし、同校は名称の変更がひんぱんにあって、「鳥取高等農林学校」を名乗ったのは昭和17年(1942)から19年(1944)までのごく短期間ですから、この絵葉書もその頃のものと知れます。


昭和10年代における、高等教育機関での化学実験の実習風景がよく分かる絵葉書。
設備自体は、昨日の大正時代のものと大差ないように見えますが、そこには20年の時代差がありますから、さすがに写真に撮られるというだけで緊張するようなこともなく、学生たちはみな自然体で、いそいそと器具を操作しています。
(…しかし、当時の絶望的な世情を考えると、はたしてここに写っている若者のうち、はたして何人が無事戦時下を生き伸びることができたのか、胸が詰まります。)

   ★

ところで、「高等農林学校」つながりで言うと、宮沢賢治が学んだ盛岡高等農林の実験室もこんな有様だったのかなあ…と、なんとなく画面に賢治の面影を探してしまいます。

賢治が盛岡高等農林に入学したのは大正4年(1915)。
彼は「農学科第2部」に籍を置き、土壌学の権威・関豊太郎教授に師事して、『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』という論文を提出して、大正7年(1918)に卒業しました。彼はつづけて研究生の身分となり、さらに2年間研究生活を続けましたが、この大正7年に、農学科第2部は「農芸化学科」に改称したので、四半世紀の隔たりがあるとはいえ、上の絵葉書はますます「賢治の学校」っぽく見えるのです。

それに調べてみると、当時(1936-1944)鳥取高等農林の第2代校長をつとめた岡村精次氏は、その直後に、盛岡高等農林の第6代校長に転じており、両校はまんざら縁がないわけではありません。

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そんなこんなで、賢治本をパラパラめくっていたら、本物の賢治の化学実験室の写真を見つけました。

(農学科の化学実験室風景。 出典:『写真集 宮澤賢治の世界』、筑摩書房、1983)

赤い矢印を付けたのが賢治、中央白衣の人物が恩師の関教授でしょう。

ちなみに農芸化学とは、ウィキペディアの記述を引っ張ってくると、土壌や肥料に関する研究、農薬に関する研究、それに発酵や醸造に関する研究を包摂する学問のようです。まさに賢治の真骨頂を示す分野。

「アルビレオ」 という雑誌があった2012年08月07日 21時34分01秒

『夏帽子』 が出た1994年。宮沢賢治だけをテーマにした「アルビレオ」という、ちょっと変わった雑誌が創刊されました。副題は「賢治といっしょに森羅万象を楽しむ」。

(雑誌保護用のカバーがかけてあります。)

賢治の地元の岩手放送がお金を出して始めた雑誌です。
当時はまだ山一証券が破たんする前で、バブルの残照が世の中をほのかに照らしており、企業にも、まだこういう趣味的な雑誌を出すだけの余裕があったのでしょう。

(創刊特集は「メモ・フローラ 賢治の夢見た花々」)

(1993年にCD「宮澤賢治―メンタル・サウンド・スケッチ―星めぐりの歌」を出した細野晴臣氏へのインタビュー。)

(細野氏も、中沢新一氏も、今見るとずいぶん若いですね。否応なく時の流れを感じます。)

しかし、そうした余裕も長くは続かず、この雑誌はわずか3号で姿を消しました。文字通りの「3号雑誌」です。残念といえば残念。

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賢治受容史のあだ花ともいうべき、この雑誌の主要記事を、後のために表紙から書き抜いておきます。

創刊号…<創刊特集 メモ・フローラ 賢治の夢みた花々>、<ロングインタビュー 細野晴臣「星めぐりの歌」>、<ますむらひろし・小岩井農場でアルビレオを観測する「みかん色の宝石が回る夜」>

第2号…<新連載 イーハトーブ幻想図鑑 細川剛=撮影>、<特集 シルクロード幻想 金子民雄他>、<インタビュー 中沢新一「はじまりの宮沢賢治」>、<ますむらひろし「胡桃化石の中は賢治の向う岸」>

第3号…<ロングインタビュー 武田鉄也(賢治を語る)>、<特集 賢治TOKIOを行く 宮沢賢治「東京歌集」 賢治の上京 ルポ・鶯谷から菊坂へ 福島泰樹他>、<アルビレオ探検隊 ますむらひろし>、<イーハトーブ幻語図鑑 細川剛=写真>

   ★

さて、この雑誌のことを突然思い出したのは他でもありません。その最終号には「幻の第4号」として、次のような予告が載っているからです。


当時の長野まゆみさんが、賢治のことをどう評価し、何を語ろうとしていたのか。
とても気になりますが、その内容は幻とともに消え去り、今や知る由もありません。
…でもやっぱり気になります。

ジョバンニがみた世界(番外編)…賢治の星座早見異聞(2)2012年04月18日 20時42分36秒

最近目にしてちょっと驚いたのは以下のページです(青森県弘前市にある「ロマントピアそうま天文台」さんのサイトです)。

弘前こども天文クラブ:北斗七星と北の星座
 http://blogs.yahoo.co.jp/astronomicalobservatorysoma/1921325.html

そこにやはり同じ三省堂版の古い星座早見が紹介されているのですが、なんとこれが「赤版」なのです。つまり、デザインは昨日のものと共通で、装丁用クロスの色だけが赤を使っているという、何とも目に鮮やかな品です。大正12年(1923)発行のものだとか。

こういう異版が存在することを知って、改めて昨日のページを見直すと、藤井旭さんが紹介されていた品、あれは青色が退色してああなったのではなく(私は最初そう思っていました)、元から灰色のクロスを使っていたのではないかと思えてきます。

で、こうして「青版」、「赤版」、「グレー版」が存在するのであれば(最後のはちょっと自信がありませんが)、「黒版」が存在してもおかしくはありません。賢治が書き、ジョバンニが見た「円い黒い星座早見」というのは、実は星図部分が黒いだけではなく、それを覆うカバーも黒い、本当にまっ黒くろの早見盤だったのではないか…というのが、最近ふと思ったことです。そして、銀河鉄道の旅の途中で(=すなわちジョバンニの夢の中で)登場する「黒曜石でできた銀河の地図」のイメージ源が、時計屋の店先で見た星座早見盤であるならば、黒ずくめの品のほうが、いっそうふさわしいように思います。

   ★

実は「黒版」の存在は、まったく根も葉もない話ではありません。
いや、現実にそれは存在します。しかし、そこにはある保留がつきます。

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先日、草場修氏の件でお世話になった「いるか書房」の上門卓弘氏のブログで、次のような記事を拝見しました。

いるか書房別館:星座早見 上製 平山信監修 昭和14年
 http://irukaboshi.exblog.jp/14084551/

ここで紹介されている星座早見も三省堂の「青版」ですが、記事の中でさらに注目すべきは、「子供の科学」誌に載った広告への言及です。
そこには、これまで取り上げた各バージョンのいずれとも異なるデザインの品が載っており、氏は「上製と並製の違いか…?」と推測されています。

私もさっそく古雑誌をひっくり返して、問題の広告を見つけ出しました。

(↑科学知識普及会発行の科学雑誌、「科学知識」=昭和12年9月号=より)

早見盤の絵を拡大すると、たしかに「普及版」と書かれています。上門氏の推測通り、上製(クロス装)と並製(紙装)とで、デザインを変えていたのでしょう。戦前の三省堂版の星座早見は、なかなかバリエーションに富んでいたことが、いよいよはっきりしました。


そして、肝心の「黒版」についてですが、実はこの普及版には黒版が存在するのです。
というよりも、私が唯一見つけた普及版が黒版で、それ以外のカラーバリエーションはまだ見たことがないのですが、しかし上の広告の絵柄が真を表しているならば、上製同様、並製についても、薄い地色のカバーが標準で、黒版はあくまでも異版なのでしょう。

(↑昭和14年発行、普及版第63版)

この黒い普及版を最初見たときは、本当にドキンとしました。
そして、「賢治が見たのはこれだよ!これに違いない!!」と一途に思いましたが、よくよく見たら、この普及版は昭和4年(1929)が初版なので(↓)、賢治が少年~青年時代に見たものではあり得ませんし、『銀河鉄道の夜』の執筆が始まった大正13年(1924)にも、まだこの世になかったので、モデルとしての適格性には疑問符が付きます。上で述べた「ある保留」とはこのことです。


しかし、ここで以下の2つの可能性を考えれば、賢治が『銀河鉄道の夜』を書いた際、念頭に置いたのは「黒版」であったこともなくはない。

(ケース1) 上製の早見盤にも、実は早くから「黒版」が存在した。
(ケース2) 賢治が若いころ見たのは「黒版」ではなかったが、その後、『銀河鉄道の夜』を執筆する過程で、改めて「黒版」の存在を知った。

『銀河鉄道の夜』は、大正13年に執筆が始まり、最晩年の昭和8年(1933)まで改稿が続けられ、問題の「円い黒い星座早見」が登場するのは、比較的遅くに成立した第3次稿からです。第3次稿成立の絶対年代は今のところ不明ですが、賢治がその頃までに「黒版」を目にしたことも、物理的には有り得ます。

最後の方は、ちょっと自信がないので、もって回った言い方になりましたが、現時点では、とりあえずその可能性だけ指摘しておきたいと思います。

ジョバンニがみた世界(番外編)…賢治の星座早見異聞(1)2012年04月17日 21時25分23秒

『銀河鉄道の夜』の話題が久しぶりに出たので、最近気づいたことを、ちょっとメモ書きしておきます。

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これまで何度か引用した、『銀河鉄道の夜』の冒頭近くのシーン。
ジョバンニが時計屋のショーウィンドウを覗きこんで、星の世界に憧れる場面に、星座早見が登場します。

 「時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って星のようにゆっくり循(めぐ)ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。

 ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。

 それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになって居りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげているように見えるのでした。」

そして、この星座早見の描写は、賢治自身が所有していた星座早見盤に基づくものであり、当時国内で市販されていた星座早見といえば、日本天文学会編/三省堂発行のものしかないので、賢治が持っていたのも、きっとそれであろう…ということは、これまでも識者によって、たびたび指摘されてきました(例えば、天体写真家の藤井旭さんなど)。

   ★

私も全くその通りだと思うのですが、この三省堂の星座早見にも、実はいくつかバージョンがあり、ジョバンニが目にした星座早見も、ひょっとしてこれまでの定説とちょっと違う可能性もあるぞ…というのが今日の記事のテーマです。

   ★

そのことを書く前に、まず、賢治が実際に星座早見盤を手にしていたことを示す資料を、改めて整理しておきます。

その1つ目は、明治末~大正初年(1911年前後)のエピソードで、賢治の実弟・宮澤清六氏が書かれた「虫と星と」という一文(草下英明・著『宮澤賢治と星』(学芸書林)所収)に、以下の記述があります。

「兄が星座に夢中になったのも其頃〔=盛岡中学時代〕のことと思いますが、夕方から屋根に登ったきりでいつまで経っても下りて来ないようなことが多くなって来ました。丸いボール紙で作られた星座図を兄はこの頃見ていたものですが、それはまっ黒い天空にいっぱいの白い星座が印刷されていて、ぐるぐる廻せばその晩の星の位置がわかるようになっているものでした。」

2つ目は、賢治の友人・佐藤隆房氏の『宮澤賢治』(冨山房、昭和17)に出てくる、大正10年(1921)7月末のエピソードです(草下氏上掲書から再引用)。

「星を眺めることの好きな花城小学校の樺木という先生は、当直のつれづれに校庭に出て天を仰いでおりました。
 そこへ思いがけなく東京から帰って間もない賢治さんが帽子も被らずひょっこり訪ねてきました。〔…〕
 次の日です。賢治さんは朝っぱらからわざわざその樺木先生を訪ねて、グルグル廻すとその月の天体が分る仕組みになっている星座図を差上げました。」

前者は、賢治が14~5歳頃、後者は24歳のエピソードです。

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さて、そのとき賢治が手にしていた星座早見として、以前このブログで取り上げたのは、以下の品です(画像再掲)。
 

関連記事は以下。

■賢治の星座早見
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/08/28/
■ジョバンニが見た世界「時計屋編」(11)…黒い星座早見盤(第1夜)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/12/20/6252026

で、当然のことながら、これは藤井旭さんが『賢治の見た星空』(作品社)で紹介されているもの↓と同じデザインです。


ここまでは、何の目新しい情報もありません。
しかし…と書きかけたところで、メモというには長文になってしまったので、ここで記事を割ります。

(この項つづく)

ジョバンニが見た世界「時計屋編」(13)…黒い星座早見盤(第3夜)2011年12月23日 19時48分38秒

寒気が強まってきました。いよいよ明日は雪かもしれません。

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今日も変わりばえのしない写真で恐縮です。

フィリップス社の早見盤は、その後デザインを改め、よりスッキリした外観となりました。その変更の時期は不明ですが、造形感覚の移ろいからすると、第1次~第2次両大戦の合間、20世紀第2四半期のごく早い時期ではないか…と、個人的に想像しています。



そして、こちらも初代の早見盤と同様、新時代の天文ファンの心をしっかり捉え、少なくとも1950年代までは、くり返し版を重ねました。



フリル状の飾りを廃したプレーンなフォルム、そして配色も、黒と紺のスキッとしたものとなり、私自身は初代よりも、むしろこの2代目の方を気に入っています。そして、「銀河鉄道の夜」の世界には、こういうキリッとした味わいの方が一層ふさわしいとも思います。

ですから、正面から考証を進めると、ジョバンニが目にした品の候補としては、昨日紹介した初代に軍配が上がるものの、将来時計屋の店先を再現するとしたら、この2代目を採用するのも悪くないんじゃないかなあ…と考えています。