おだやかな日曜日に ― 2023年02月19日 11時38分11秒
立春が過ぎ、バレンタインが過ぎ、今日は二十四節気の「雨水(うすい)」。
こうなると雛祭りももうじきですね。
およそ想像もつくでしょうが、私の家は非常に乱雑で、書斎の隣の和室にも本が堆積しています。ただ、それだけだといかにも見苦しいので、部屋の隅に小机と座椅子を置いて、「ここは物置部屋じゃありませんよ、和風書斎なんですよ」と、アリバイ的にしつらえがしてあります。そもそもがアリバイ的なスペースなので、ここで読み書きすることはほとんどありません。それでも貴重な和の空間として、こんな風に季節行事に活用したりもします。
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今日はブセボロードさんから、このブログにコメントをいただき、それとは別に長いメッセージもいただきました。それは人類と戦争の古くて長い関わりに省察を迫るもので、ひるがえって日本の平和主義をどう評価するか、その平和主義が機能する前提は何かを考えさせる内容でした。
これは誰にとっても難しい問いでしょう。もちろん、私にも明快な答があるわけではありません。ただ、この問題を考える際、最大のポイントは憲法前文にいうところの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の一句であることは、大方の異論がないでしょう。
「そんなもん、信頼できますかいな」という人も多いと思います。
ヒトは進化の過程で巨大な「心の世界」を手に入れましたが、その一方で他者の心の世界に触れる手段は、極端に未発達のままです。相手が何を感じ、何を考えているかは、言語や表情、声色、そんなものを手がかりに、辛うじて想像できるだけです。その非対称性が「人間、腹の底では何を考えているか分からない」という諦念を生み、警戒と不信の念を掻き立て、結果として不幸な出来事がいろいろと起きたし、今も起きています。
既存の学問体系で、こうした「信頼」の問題にいちばん肉薄しているのは、おそらく哲学でも宗教学でもなく「ゲーム理論」でしょう。「信頼」というと反射的に「お花畑」と切り返す人がいますけれど、「信頼」だけ取り出すと単なる美辞に見えても、それに伴う「利得」まで考慮すれば、それはすぐれてリアルな概念です。
ゲーム理論は演算と親和的なので、そう遠くない将来、最も合理的な意思決定をするプログラムに国家の命運を委ねるというSF的な世界が実現するのかもしれません。(人類にとってそれ以上に幸福だと主張しうる選択肢を提示できないと、必然的にそうなる気がします。)
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…というようなことを考えながら、眼前の平和の有り難さをしみじみ噛み締めています。ゲーム理論もいいんですが、こういうささやかな平穏が大事であることを、すべての議論の出発点にしないと道を誤るでしょう。
ルネサンス期の天文学者の部屋を覗く ― 2023年01月14日 10時55分40秒
前回、空想の天文学者の書斎を眺めました。
じゃあ、現実のルネサンス期の天文学者の部屋はどうだったのか?
それを窺わせるのが、かつて(2012年)オックスフォードの科学史博物館で開かれた「天文学のルネサンス」展です。
そのトップページに、以下の画像が貼られています。
(上のサイトから入ってもらうと、もっと大きな画像を開くことができます)
窓辺に置かれたアーミラリー、天球儀、日時計、アストロラーベ…。
演出写真とはいえ、当時の天文学者の身辺日常を彷彿とさせます。いずれの品も、現在の評価額は唸るような価格でしょうが、ただこれが絵面として豪華かといわれると、やっぱり地味は地味です。ひとつの島を領有し、立派な城に住んだティコ・ブラーエのような例外を除き、当時の(今も?)天文学者はおしなべて富貴とは縁遠かったと思います。
余談ながら、このインスタレーションを行った人は、たぶんフェルメールの有名な『天文学者』(1668年頃)を意識したんじゃないでしょうか。
17世紀後半、オランダ黄金時代の天文学者でも「きらびやか」とは程遠い、地味なイメージで描かれているわけですから、その100年前の天文学者が地味でも、ちっとも不思議ではありません。
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ついでなので、上の画像に写っているモノたちの素性を確認しておきます(それぞれ個別の説明ページにリンクを張りました)。
④~⑤ ※不明
⑥ カミーロ・グアリーノ・グアリーニ(著)『天界数学論・第一部』
(Camillo Guarino Guarini、Caelestis mathematicae pars prima、1683)
※出品リストになし
⑨ 『ユークリッドの光学(Euclidis Optica)』 ※出品リストになし
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地味かもしれませんが、こういうのはいいなあと思います。
眺めるだけでなく、雰囲気だけでも真似してみるか…と思ったりもします。
ある天文学者の書斎 ― 2023年01月12日 21時40分32秒
YouTubeで、「An Astronomer's Great Library」という動画をおすすめされました。1か月前に公開され、すでに49万回再生されているので、相当見られているようです。(下は例によって単なる画像に過ぎないので、その下のリンクをクリックしてください。)
こういうのを何て言うんでしょう?アンビエント動画?
途中からはBGMも極端に控えめになって、あとはかすかに炎がパチパチはぜる音や、コツコツ歩き回る音が聞こえる中、空想の天文学者の書斎のCGが延々と続きます。単調といえば単調ですが、単調さこそがこうした環境映像に求めれられるものなのでしょう。
もちろん、見ている人はこれがすべてファンタジーだと納得づくで見ているはずですが、「天文学者の書斎」というテーマに対して、現代の人々がどんなファンタジーを重ねているか、それを示している点で興味深いと思いました。
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この動画は、映画版「ハリー・ポッター」に出てくるダンブルドア校長の部屋↓と、発想源は同じだと思います。
(画像は拾い物)
そこでイメージされている天文学者は、半ば魔法世界の住人であり、占星術師でもあり、要は下のような姿の人なんだと思います。
この画像は、今から12年前に書いた以下の記事に貼ったものです。
■カリカチュアライズされた天文学者のルーツを探る(前編)
■同(後編)
記事では、ファンタジックな天文学者像のルーツを求めて、啓蒙主義思想の行き渡った18世紀にその答を求めました。それはすなわち、16世紀に隆盛を誇った占星術が公式科学の世界から退場し、占星術師がことさら「愚昧な存在」と人々にイメージされるようになった時代です。
当時の占星術師は、現実にはかぶったことのないとんがり帽子をかぶせられ(それは本来、17世紀半ばの医者や薬種屋のコスチュームでした)、16世紀には存在しなかった望遠鏡を持った姿で描かれました。それがさらに天文学者にまで応用された結果が、上のファンタジックな天文学者像というわけです。
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冒頭の動画は、そうしたイメージが延々と21世紀になっても生きていることを示すものですが、ただ18世紀と違って、そこには嘲りの調子がありません。あるのはむしろ憧れと畏敬の念です。
そのことをどう評価するかは、またいろいろな論点があって、話は容易に尽きそうにないので、この件はいったん寝かせておきます。
クロウフォード・ライブラリーを覗き込む ― 2022年12月02日 20時38分13秒
今年イギリス国王になったチャールズは、皇太子時代に「プリンス・オブ・ウェールズ」を名乗っていました。個人の名前と称号は当然別物で、皇太子が替われば、自動的にプリンス・オブ・ウェールズが次の皇太子に引き継がれる仕組みのようです。
同様に「クロウフォード伯爵」というのも、これ全体がひとつの称号で、第26代クロウフォード伯爵も、爵位を継ぐ前は(そして継いだ後も)ジェームズ・ルードヴィック・リンゼイ(James Ludovic Lindsay、1847-1913)という個人名を持っていました。彼の家名はあくまでもリンゼイで、クロウフォードに改姓したわけではありません。(日本だと「前田侯爵」とか「三井男爵」とか、“家名+爵位”を名乗るので、ちょっと勝手が違います。「クロウフォード伯爵」というのは、むしろ「加賀藩主 前田利家」の「加賀藩主」に近いのかも。)
この人が築いた天文書の一大コレクションが、現在エディンバラ王立天文台に収蔵されている「クロウフォード・ライブラリー」だ…というのを、先日も話題にしました(LINK)。
ただ、上のような理由から、リンゼイ自身は自分の蔵書を「リンゼイ家文庫(ビブリオテカ・リンデジアーナ、Bibliotheca Lindesiana)」と称していました。
(クロウフォード・ライブラリーの貴重書群。
ただし、リンゼイ家文庫は、ジェームズ以前の家蔵書を含み、その内容も天文書以外に小説とか歴史書とか雑多なので、クロウフォード・ライブラリーよりも一層広い指示対象を持ちます。
そしてクロウフォード・ライブラリーに収まった以外のリンゼイ家蔵書は、巷間に流出して、今も古書店の店頭に折々並びます。そこにはリンゼイ家の紋章入りの蔵書票が麗々しく貼られ、おそらくクロウフォード・ライブラリーに並ぶ本も、それは同じでしょう。
クロウフォード・ライブラリーにはなかなか行けそうもないので、とりあえず蔵書票だけ買ってみた…というのが今日の話題です(このあいだの記事を書いたあとで思いつきました)。
世間には蔵書票マニアというのがいて、名のある蔵書票は単品で取引されています。私が買ったのもそれです。いじましいといえばいじましいし、直接クロウフォード・ライブラリーと関係があるような、ないような微妙な感じもするんですが、少なくとも天文書のコレクションが、まだリンゼイ家にあった頃は、手元の蔵書票が貼られていた本(それが何かは神のみぞ知る、です)も、同じ館に――ひょっとしたら同じ部屋に――置かれていたはずです。
それに、自慢じゃありませんが、我が家にはクロウフォード・ライブラリーの蔵書目録(1890、復刊2001)もあるのです。それを開けば、万巻の書籍の背表紙だけは、ありありと目に浮かぶし、そこにこの蔵書票が加われば、もはやエディンバラは遠からず、クロウフォード・ライブラリーの棚の間に身を置いたも同然です。(全然同然ではありませんが、ここではそういうことにしましょう。)
(蔵書目録は著者アルファベット順になっています。上はコペルニクスの項)
(でも、著者名順だけだとピンとこない領域があるので、主題別分類も一部併用されています。「C」のところに「Comet」関連の文献がまとめられているのがその一例)
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例によって形から入って、形だけで終わってしまうのですが、こういう楽しみ方があっても悪くはないでしょう。山の楽しみは登山に限りません。山は遠くから眺めるだけでも楽しいものです。
「あなたより天文古書に恵まれた人知りませんか」 ― 2022年11月14日 18時36分55秒
今朝は晩秋を越えて、初冬の趣がありました。
今日は仕事を昼で切り上げ、帰りがけに自然緑地を生かした公園を歩いたのですが、林の中は国木田独歩の『武蔵野』さながらで、心に凛としたものを覚えました。
〔十一月〕十九日――「天晴れ、風清く、露冷やかなり。満目の黄葉の中(うち)緑樹を雑(まじ)ゆ。小鳥梢に囀(てん)ず。一路人影なし。独り歩み黙思口吟し、足にまかせて近郊をめぐる。」
すべての枝が葉をふるい落とし、無言の木々の群れを時雨が濡らし、さらに白いものが舞い下りてくるのも、もうじきでしょう。
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一昨日、私がととまじりしている英国天文史学会の会報が届きました。
パラパラ眺めていたら、王立天文学会(RAS)図書館の司書であるシアン・プロッサー氏(Dr Sian Prosser)へのインタビュー記事が目に留まり、「ほう」と思いました。
インタビュアーは、「天文学に関する最初の思い出は何ですか?」とか、「もし天文学の本を1冊だけ書架に置けるとしたら、何を選びますか?」とか、彼女にいろいろ質問を浴びせているのですが、その中に「もし、どこか天文学的に興味深い場所で1日過ごしていいと言われたら、どこに行きますか?」という質問がありました。
プロッサー氏の答はこうです。
「エディンバラ王立天文台のクロウフォード・ライブラリーです。ここはRASの図書館よりも、天文分野における一層見事な貴重書コレクションを持っています。」
言うまでもなくRASの図書館は天文史料の宝庫であり、世界有数のアーカイブを誇ります。
(RAS Library の紹介ページより https://ras.ac.uk/library)
しかし、その司書であるプロッサー氏が、「いや、クロウフォード・ライブラリーの方が上だ」と即座に断言するのですから、これは事実そうなのでしょう。私は「ほう」に続き、「うーむ」と思いました。何事もそうですが、やはり上には上があるのです。
クロウフォード・ライブラリーのことは去年も取り上げて、そこでも散々ほめそやしましたが、今回改めて自分の書いた文章を噛み締めました。
(クロウフォード・ライブラリーの書架。以下より再掲)
■天文古書の森、クロウフォード・ライブラリー
続いて当然気になるのは、クロウフォード・ライブラリーに出かけて、そこの司書さんにも同じ質問(同じというか、今日のタイトルのような質問)をぶつけたら何と言うかです。たぶんこれを繰り返していくと、アレキサンドリアの図書館とか、バベルの図書館とかにまで行きつくのかもしれませんね。
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でも、自分の興味に―それだけに―合わせた自分の書棚こそ、他ならぬ私にとっては無上の価値があるのだ…と、ちょっと強弁したい気もします。何せRASもクロウフォードも、その棚には賢治も足穂もたむらしげるさんも並んでない時点で、多少割り引いて考えなければなりませんから。
世界内存在する書斎 ― 2022年11月07日 06時39分46秒
本を積み上げて、狭い部屋をますます狭くし、
その片隅で、灯りに舞い飛ぶ埃をぼんやり眺める。
まことに小市民的な逸楽です。
まあ「逸楽」と言った時点で、若干ネガティブなニュアンスがまじりますが、これは確かに平和な日常であり、私にとってはかけがえのないものです。
ただ問題は、この部屋をあとにして、世界の中に歩み出した時、そこにも平和な日常が広がっているかどうか?
自分の小市民的な愉しみが否定されるべきだとは思いません(賢治さん的には否定されるかもしれません)。その上で思うんですが、ここに積み上がった本は、本来世界を拓(ひら)くものとして生まれたはずなのに、今はもっぱら外界に対する防壁として使われているのが矛盾であり、我ながら不仁なものをそこに感じます。
フラマリオンの部屋を訪ねる(後編) ― 2021年10月16日 17時24分57秒
フラマリオンの観測所にして居館でもあったジュヴィシー天文台は、これまで何度か古絵葉書を頼りに訪ねたことがあります。まあ、そんな回りくどいことをしなくても、グーグルマップに「カミーユ・フラマリオン天文台」と入力しさえすれば、その様子をただちに眺めることもできるんですが、そこにはフラマリオンの体温と時代の空気感が欠けています。絵葉書の良さはそこですね。
館に灯が入る頃、ジュヴィシーは最もジュヴィシーらしい表情を見せます。
フラマリオンはここで毎日「星の夜会」を繰り広げました。
(同上)
そして屋上にそびえるドームで星を見つめる‘城主’フラマリオン。
フラマリオンが、1730年に建ったこの屋敷を譲られて入居したのは1883年、41歳のときです。彼はそれを天文台に改装して、1925年に83歳で亡くなるまで、ここで執筆と研究を続けました。上の写真はまだ黒髪の壮年期の姿です。
門をくぐり、庭の方から眺めたジュヴィシー。
外向きのいかつい表情とは対照的な、穏やかな面持ちです。木々が葉を落とす季節でも、庭の温室では花が咲き、果実が実ったことでしょう。フラマリオンは天文学と並行して農業も研究していたので、庭はそのための場でもありました。
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今日はさらに館の奥深く、フラマリオンの書斎に入ってみます。
この絵葉書は、いかにも1910年前後の石版絵葉書に見えますが、後に作られた復刻絵葉書です(そのためルーペで拡大すると網点が見えます)。
葉書の裏面。ここにもフラマリオンの横顔をかたどった記念の消印が押されています。パリ南郊、ジュヴィシーの町は「ジュヴィシー=シュロルジュ」が正式名称で、消印の局名もそのようになっています。
(さっきからジュヴィシー、ジュヴィシーと連呼していますが、天文台の正式名称は「カミーユ・フラマリオン天文台」で、ジュヴィシーはそれが立つ町の名です。)
書斎で過ごすフラマリオン夫妻。
夫であるフラマリオンはすっかり白髪となった晩年の姿です。フラマリオンは生涯に2度結婚しており、最初の妻シルヴィー(Sylvie Petiaux-Hugo Flammarion、1836-1919)と死別した後、天文学者としてジュヴィシーで働いていた才女、ガブリエル(Gabrielle Renaudot Flammarion、1877-1962)と再婚しました。上の写真に写っているのはガブリエルです。前妻シルヴィーは6歳年上の姉さん女房でしたが、新妻は一転して35歳年下です。男女の機微は傍からは窺い知れませんけれど、おそらく両者の間には男女の愛にとどまらない、人間的思慕の情と学問的友愛があったと想像します。
あのフラマリオンの書斎ですから、もっと天文天文しているかと思いきや、こうして眺めると、意外に普通の書斎ですね。できれば書棚に並ぶ本の背表紙を、1冊1冊眺めたいところですが、この写真では無理のようです。フラマリオンは関心の幅が広い人でしたから、きっと天文学書以外にも、いろいろな本が並んでいたことでしょう。
暖炉の上に置かれた鏡に映った景色。この部屋は四方を本で囲まれているようです。
雑然と積まれた紙束は、新聞、雑誌、論文抜き刷りの類でしょうか。
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こういう環境で営まれた天文家の生活が、かつて確かに存在しました。
生活と趣味が混然となったライフタイル、そしてそれを思いのままに展開できる物理的・経済的環境はうらやましい限りです。フラマリオンは天文学の普及と組織のオーガナイズに才を発揮しましたが、客観的に見て天文学の進展に何か重要な貢献をしたかといえば疑問です。それでも彼の人生は並外れて幸福なものだったと思います。
なお、このフラマリオンの夢の城は、夫人のガブリエルが1962年に亡くなった際、彼女の遺志によってフランス天文学協会に遺贈され、現在は同協会の所有となっています。
ゴシックの館 ― 2021年08月28日 10時27分16秒
自分が強く心を惹かれる対象があって、自分の中でははっきりしたイメージがあるんだけれども、果たしてそれを何と呼んでいいか分からない。それを名状する言葉がない。
…時として、そういうもどかしい状態があると思います。
ブログ開設当初の自分も、そういう思いを強く抱いて、試みに「理科趣味」という言葉を作り出し、それが指し示すものをせっせと掘り下げてきました。その甲斐あって、この言葉にはある程度内実が備わり、今や分かる人には分かる言葉になったと思います。
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似たような言葉に、自分の身を置く空間を指す言葉として「理科室風書斎」というのがありました。まあ単純に、昔の理科室みたいな趣を備えた書斎ということなんですが、これはあまり一般化もしなかったし、理科室という言葉で自分の理想のすべてが言い尽くされているわけでもないので、言葉としてちょっと弱かったですね。
書斎の写真集(紙の本でもネットでも)を見ると、あきれるほど素晴らしい空間がたくさん紹介されています。中でも自分が強く惹かれる一連の部屋があって、でもそのスタイルを一体何と呼べばいいのかが謎でした。
ところが、です。
今日たまたま画像を探していて、その有力な候補を見つけました。
その検索語は「gothic home library」。
言われてみれば「なーんだ」ですが、ゴシックスタイルと書斎を結び付けて考えたことはこれまでありませんでした。でも両者が結び付いたとき、「自分が惹かれるのは、要はこういう空間なんだな」ということが、何となくスッと分かりました。
(gothic home library の画像検索結果)
上の画像は少なからず金満的な匂いがしますが、私の場合、金満という以上に「暗く静謐」というのが大事な要素なのでしょう。
そして以下の解説記事を目にして、その思いを一層強くしました(以下はMike & Margarita のYarmish夫妻によるインテリアサイト「DigsDigs」のコンテンツです)。
紹介されている写真を順々にご覧いただくと分かりますが、中には理科趣味のきわめて濃い部屋もあります。そして、言葉本来のゴシック趣味を反映したアーチウィンドウとか、教会風の内装であったりとか、(無論お金はかかっているのでしょうが)金満というよりも、むしろ精神性に強く訴える部屋もあったりで、そういう風情を好ましく思う自分がいます。
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おそらくこのブログの周辺の方には、同じような嗜好の方もいらっしゃると思うので、今後の方向性を考えるための参考に供します。
天文古書の森、クロウフォード・ライブラリー ― 2021年01月10日 11時10分41秒
自分が今いる部屋は本に囲まれているので、落ち着くと言えば落ち着きます。
でも、狭いといえばこの上なく狭いし、現状がベストなわけでは全然ありません。
よく骨董の目利きになるには、“とにかくホンモノを見ろ、本当に良いものを見ろ”と言いますね。この小さな部屋を、より味わい深いものにしようと思ったら、世界の優れたライブラリーを眺めて目を肥やすに限る…というわけで、ちょっと覗き見をしてみます。
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エジンバラ王立天文台に付属する「クロウフォード・ライブラリー」。
この世界有数の天文貴重書コレクションの概要は、以下のページに書かれています。
■The Crawford collection at the Royal Observatory Edinburgh
かいつまんで言うと、その名称はスコットランド貴族で「第26代クロウフォード伯爵」を名乗ったジェイムズ・ルドヴィック・リンゼイ(James Ludovic Lindsay、1847-1913)に由来し、アマチュア天文家であり、愛書家でもあったリンゼイが、自分の個人コレクション(総数11,000冊)を生前に寄贈して成立したものです。
上のページからは、さらにグーグルのストリートビューにリンクが張られていて、内部の様子を360度見渡すことができます。
(https://tinyurl.com/y498qvh5 リンク先に飛び、左上の本の画像をクリック。撮影はLeonardo Gandini 氏)
このライブラリーには、天文学史の古典――コペルニクスの『天球の回転について』とか、ケプラーやガリレオの諸著作――が、大抵初版で収まっていて、さらにリンゼイの興味はコペルニクス以前の世界にまで広がり、中世の彩色写本などもコレクションに含まれています。
(上の画像に続いて Leonardo Gandini氏の写真を寸借。以下も同じ)
ここに写っているのは、彼の11,000冊のコレクションの中でも、さらに貴重書を選りすぐった一室ではないかと想像しますが、まことに壮観です。
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まあ、財力のしからしむるところで、クロウフォード・ライブラリーを直接お手本にすることもできませんし、リンゼイの目指したものが私のそれと同じという保証もありません。
でも、北極点踏破を目指さなくても、北極星を目指して歩けば、北の町にあやまたず到達できるし、真北を目指さない人にとっても、北極星はナビゲーションツールとして依然有効です。
それに先達はあらまほしいもの…というのは、クロウフォード・ライブラリー自身が、身を以て教えてくれています。リンゼイの場合は、ロシアのプルコヴォ天文台付属図書館という当時最高のお手本があり、台長のオットー・ストルーヴェから直接指南を受けられたことが、その成立にあずかって大きな力があったと、上のリンク先には書かれています。
ちなみに、その「大先達」であるプルコヴォの蔵書。こちらはドイツ軍の猛攻が続いた第2次大戦中も疎開して無事だったのに、1997年の放火火災で大半が焼失・損耗してしまった…と、英語版Wikipedia「Pulkovo Observatoy」の項に書かれていました。やんぬるかな。まあ、こんなふうにコレクションの諸行無常ぶりを教えてくれるのも、大先達の「徳」なのでしょう。
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現在のクロウフォード・ライブラリーに、強いてケチをつけるとしたら、部屋がいかにも「普通の部屋」であることです。空調も効くでしょうし、その方が本の管理もしやすいのでしょうが、もうちょっと重厚感があると、なお良かったかな…と、これは個人的感想です。
(例えばこんな雰囲気。オックスフォードのボドリアン図書館。出典:De Laubier他、『The Most Beautiful in the World』、Abrams、2003)
澁澤邸のアストロラーベ(1) ― 2019年04月27日 13時50分08秒
稀代の文人、澁澤龍彦(1928-1987)。
その生没年を年号でいえば、すなわち昭和3年と昭和62年です。いわば、彼はまるまる昭和を生きた人。まあ、いちいち年号にとらわれる必要もないですが、平成が終わろうとする今、澁澤なき時代も早30年を超えたんだなあ…と思うにつけ、当時のことがしみじみ思い出されます。
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彼の書斎については以前も書いたことがあります。
あのたたずまいに憧れた人、そして深い影響を受けた人は少なくないでしょう。私もその一人で、今でもふと、自分が「澁澤ごっこ」をしてるだけなんじゃないかと、後ろめたく感じるときがあります。
しかし澁澤の場合、「オブジェ好き」を自認してはいても、コレクター的偏執は薄かったので、わけもなく物量に走ることなく、あの洒落た部屋に見苦しいまでにモノが堆積することがなくて済んだのは、彼自身にとっても、彼のファンにとっても甚だ幸いなことでした。
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ところで、澁澤が手元に置いた品の性格に関していうと、彼は自然万般への関心は強かったでしょうが、特に天文に傾倒した形跡はないので、その収集物にも天文関係の品はごく少ないように見えます。そうした中で異彩を放つのが、彼が自らイランの古道具屋で求めた、大小のアストロラーベです。
(澁澤の書斎の一角。篠山紀信撮影「季刊みづゑ」1987年冬号より)
(同拡大)
「昭和の日」を前に、澁澤のアストロラーベに一寸こだわってみます。
(この項つづく)
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