クロウフォード・ライブラリーを覗き込む2022年12月02日 20時38分13秒

今年イギリス国王になったチャールズは、皇太子時代に「プリンス・オブ・ウェールズ」を名乗っていました。個人の名前と称号は当然別物で、皇太子が替われば、自動的にプリンス・オブ・ウェールズが次の皇太子に引き継がれる仕組みのようです。

同様に「クロウフォード伯爵」というのも、これ全体がひとつの称号で、第26代クロウフォード伯爵も、爵位を継ぐ前は(そして継いだ後も)ジェームズ・ルードヴィック・リンゼイ(James Ludovic Lindsay、1847-1913)という個人名を持っていました。彼の家名はあくまでもリンゼイで、クロウフォードに改姓したわけではありません。(日本だと「前田侯爵」とか「三井男爵」とか、“家名+爵位”を名乗るので、ちょっと勝手が違います。「クロウフォード伯爵」というのは、むしろ「加賀藩主 前田利家」の「加賀藩主」に近いのかも。)

この人が築いた天文書の一大コレクションが、現在エディンバラ王立天文台に収蔵されている「クロウフォード・ライブラリー」だ…というのを、先日も話題にしました(LINK)。

ただ、上のような理由から、リンゼイ自身は自分の蔵書を「リンゼイ家文庫(ビブリオテカ・リンデジアーナ、Bibliotheca Lindesiana)」と称していました。

(クロウフォード・ライブラリーの貴重書群。

ただし、リンゼイ家文庫は、ジェームズ以前の家蔵書を含み、その内容も天文書以外に小説とか歴史書とか雑多なので、クロウフォード・ライブラリーよりも一層広い指示対象を持ちます。

そしてクロウフォード・ライブラリーに収まった以外のリンゼイ家蔵書は、巷間に流出して、今も古書店の店頭に折々並びます。そこにはリンゼイ家の紋章入りの蔵書票が麗々しく貼られ、おそらくクロウフォード・ライブラリーに並ぶ本も、それは同じでしょう。


クロウフォード・ライブラリーにはなかなか行けそうもないので、とりあえず蔵書票だけ買ってみた…というのが今日の話題です(このあいだの記事を書いたあとで思いつきました)。

世間には蔵書票マニアというのがいて、名のある蔵書票は単品で取引されています。私が買ったのもそれです。いじましいといえばいじましいし、直接クロウフォード・ライブラリーと関係があるような、ないような微妙な感じもするんですが、少なくとも天文書のコレクションが、まだリンゼイ家にあった頃は、手元の蔵書票が貼られていた本(それが何かは神のみぞ知る、です)も、同じ館に――ひょっとしたら同じ部屋に――置かれていたはずです。


それに、自慢じゃありませんが、我が家にはクロウフォード・ライブラリーの蔵書目録(1890、復刊2001)もあるのです。それを開けば、万巻の書籍の背表紙だけは、ありありと目に浮かぶし、そこにこの蔵書票が加われば、もはやエディンバラは遠からず、クロウフォード・ライブラリーの棚の間に身を置いたも同然です。(全然同然ではありませんが、ここではそういうことにしましょう。)

(蔵書目録は著者アルファベット順になっています。上はコペルニクスの項)

(でも、著者名順だけだとピンとこない領域があるので、主題別分類も一部併用されています。「C」のところに「Comet」関連の文献がまとめられているのがその一例)

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例によって形から入って、形だけで終わってしまうのですが、こういう楽しみ方があっても悪くはないでしょう。山の楽しみは登山に限りません。山は遠くから眺めるだけでも楽しいものです。

「あなたより天文古書に恵まれた人知りませんか」2022年11月14日 18時36分55秒

今朝は晩秋を越えて、初冬の趣がありました。
今日は仕事を昼で切り上げ、帰りがけに自然緑地を生かした公園を歩いたのですが、林の中は国木田独歩の『武蔵野』さながらで、心に凛としたものを覚えました。

〔十一月〕十九日――「天晴れ、風清く、露冷やかなり。満目の黄葉の中(うち)緑樹を雑(まじ)ゆ。小鳥梢に囀(てん)ず。一路人影なし。独り歩み黙思口吟し、足にまかせて近郊をめぐる。」


すべての枝が葉をふるい落とし、無言の木々の群れを時雨が濡らし、さらに白いものが舞い下りてくるのも、もうじきでしょう。

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一昨日、私がととまじりしている英国天文史学会の会報が届きました。
パラパラ眺めていたら、王立天文学会(RAS)図書館の司書であるシアン・プロッサー氏(Dr Sian Prosser)へのインタビュー記事が目に留まり、「ほう」と思いました。


インタビュアーは、「天文学に関する最初の思い出は何ですか?」とか、「もし天文学の本を1冊だけ書架に置けるとしたら、何を選びますか?」とか、彼女にいろいろ質問を浴びせているのですが、その中に「もし、どこか天文学的に興味深い場所で1日過ごしていいと言われたら、どこに行きますか?」という質問がありました。

プロッサー氏の答はこうです。
「エディンバラ王立天文台のクロウフォード・ライブラリーです。ここはRASの図書館よりも、天文分野における一層見事な貴重書コレクションを持っています。」

言うまでもなくRASの図書館は天文史料の宝庫であり、世界有数のアーカイブを誇ります。

(RAS Library の紹介ページより https://ras.ac.uk/library

しかし、その司書であるプロッサー氏が、「いや、クロウフォード・ライブラリーの方が上だ」と即座に断言するのですから、これは事実そうなのでしょう。私は「ほう」に続き、「うーむ」と思いました。何事もそうですが、やはり上には上があるのです。

クロウフォード・ライブラリーのことは去年も取り上げて、そこでも散々ほめそやしましたが、今回改めて自分の書いた文章を噛み締めました。

(クロウフォード・ライブラリーの書架。以下より再掲)

■天文古書の森、クロウフォード・ライブラリー

続いて当然気になるのは、クロウフォード・ライブラリーに出かけて、そこの司書さんにも同じ質問(同じというか、今日のタイトルのような質問)をぶつけたら何と言うかです。たぶんこれを繰り返していくと、アレキサンドリアの図書館とか、バベルの図書館とかにまで行きつくのかもしれませんね。

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でも、自分の興味に―それだけに―合わせた自分の書棚こそ、他ならぬ私にとっては無上の価値があるのだ…と、ちょっと強弁したい気もします。何せRASもクロウフォードも、その棚には賢治も足穂もたむらしげるさんも並んでない時点で、多少割り引いて考えなければなりませんから。

世界内存在する書斎2022年11月07日 06時39分46秒



本を積み上げて、狭い部屋をますます狭くし、
その片隅で、灯りに舞い飛ぶ埃をぼんやり眺める。

まことに小市民的な逸楽です。
まあ「逸楽」と言った時点で、若干ネガティブなニュアンスがまじりますが、これは確かに平和な日常であり、私にとってはかけがえのないものです。

ただ問題は、この部屋をあとにして、世界の中に歩み出した時、そこにも平和な日常が広がっているかどうか?

自分の小市民的な愉しみが否定されるべきだとは思いません(賢治さん的には否定されるかもしれません)。その上で思うんですが、ここに積み上がった本は、本来世界を拓(ひら)くものとして生まれたはずなのに、今はもっぱら外界に対する防壁として使われているのが矛盾であり、我ながら不仁なものをそこに感じます。

フラマリオンの部屋を訪ねる(後編)2021年10月16日 17時24分57秒

フラマリオンの観測所にして居館でもあったジュヴィシー天文台は、これまで何度か古絵葉書を頼りに訪ねたことがあります。まあ、そんな回りくどいことをしなくても、グーグルマップに「カミーユ・フラマリオン天文台」と入力しさえすれば、その様子をただちに眺めることもできるんですが、そこにはフラマリオンの体温と時代の空気感が欠けています。絵葉書の良さはそこですね。


館に灯が入る頃、ジュヴィシーは最もジュヴィシーらしい表情を見せます。
フラマリオンはここで毎日「星の夜会」を繰り広げました。


少女がたたずむ昼間のジュヴィシー。人も建物も静かに眠っているように見えます。

(同上)

そして屋上にそびえるドームで星を見つめる‘城主’フラマリオン。
フラマリオンが、1730年に建ったこの屋敷を譲られて入居したのは1883年、41歳のときです。彼はそれを天文台に改装して、1925年に83歳で亡くなるまで、ここで執筆と研究を続けました。上の写真はまだ黒髪の壮年期の姿です。


門をくぐり、庭の方から眺めたジュヴィシー。
外向きのいかつい表情とは対照的な、穏やかな面持ちです。木々が葉を落とす季節でも、庭の温室では花が咲き、果実が実ったことでしょう。フラマリオンは天文学と並行して農業も研究していたので、庭はそのための場でもありました。

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今日はさらに館の奥深く、フラマリオンの書斎に入ってみます。


この絵葉書は、いかにも1910年前後の石版絵葉書に見えますが、後に作られた復刻絵葉書です(そのためルーペで拡大すると網点が見えます)。


おそらく1956年にフラマリオンの記念切手が発行された際、そのマキシムカード【参考リンク】として制作されたのでしょう。


葉書の裏面。ここにもフラマリオンの横顔をかたどった記念の消印が押されています。パリ南郊、ジュヴィシーの町は「ジュヴィシー=シュロルジュ」が正式名称で、消印の局名もそのようになっています。
(さっきからジュヴィシー、ジュヴィシーと連呼していますが、天文台の正式名称は「カミーユ・フラマリオン天文台」で、ジュヴィシーはそれが立つ町の名です。)


書斎で過ごすフラマリオン夫妻。
夫であるフラマリオンはすっかり白髪となった晩年の姿です。フラマリオンは生涯に2度結婚しており、最初の妻シルヴィー(Sylvie Petiaux-Hugo Flammarion、1836-1919)と死別した後、天文学者としてジュヴィシーで働いていた才女、ガブリエル(Gabrielle Renaudot Flammarion、1877-1962)と再婚しました。上の写真に写っているのはガブリエルです。前妻シルヴィーは6歳年上の姉さん女房でしたが、新妻は一転して35歳年下です。男女の機微は傍からは窺い知れませんけれど、おそらく両者の間には男女の愛にとどまらない、人間的思慕の情と学問的友愛があったと想像します。


あのフラマリオンの書斎ですから、もっと天文天文しているかと思いきや、こうして眺めると、意外に普通の書斎ですね。できれば書棚に並ぶ本の背表紙を、1冊1冊眺めたいところですが、この写真では無理のようです。フラマリオンは関心の幅が広い人でしたから、きっと天文学書以外にも、いろいろな本が並んでいたことでしょう。


暖炉の上に置かれた鏡に映った景色。この部屋は四方を本で囲まれているようです。


雑然と積まれた紙束は、新聞、雑誌、論文抜き刷りの類でしょうか。

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こういう環境で営まれた天文家の生活が、かつて確かに存在しました。
生活と趣味が混然となったライフタイル、そしてそれを思いのままに展開できる物理的・経済的環境はうらやましい限りです。フラマリオンは天文学の普及と組織のオーガナイズに才を発揮しましたが、客観的に見て天文学の進展に何か重要な貢献をしたかといえば疑問です。それでも彼の人生は並外れて幸福なものだったと思います。

なお、このフラマリオンの夢の城は、夫人のガブリエルが1962年に亡くなった際、彼女の遺志によってフランス天文学協会に遺贈され、現在は同協会の所有となっています。

ゴシックの館2021年08月28日 10時27分16秒

自分が強く心を惹かれる対象があって、自分の中でははっきりしたイメージがあるんだけれども、果たしてそれを何と呼んでいいか分からない。それを名状する言葉がない。
…時として、そういうもどかしい状態があると思います。

ブログ開設当初の自分も、そういう思いを強く抱いて、試みに「理科趣味」という言葉を作り出し、それが指し示すものをせっせと掘り下げてきました。その甲斐あって、この言葉にはある程度内実が備わり、今や分かる人には分かる言葉になったと思います。

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似たような言葉に、自分の身を置く空間を指す言葉として「理科室風書斎」というのがありました。まあ単純に、昔の理科室みたいな趣を備えた書斎ということなんですが、これはあまり一般化もしなかったし、理科室という言葉で自分の理想のすべてが言い尽くされているわけでもないので、言葉としてちょっと弱かったですね。

書斎の写真集(紙の本でもネットでも)を見ると、あきれるほど素晴らしい空間がたくさん紹介されています。中でも自分が強く惹かれる一連の部屋があって、でもそのスタイルを一体何と呼べばいいのかが謎でした。

ところが、です。
今日たまたま画像を探していて、その有力な候補を見つけました。
その検索語は「gothic home library」
言われてみれば「なーんだ」ですが、ゴシックスタイルと書斎を結び付けて考えたことはこれまでありませんでした。でも両者が結び付いたとき、「自分が惹かれるのは、要はこういう空間なんだな」ということが、何となくスッと分かりました。

(gothic home library の画像検索結果)

上の画像は少なからず金満的な匂いがしますが、私の場合、金満という以上に「暗く静謐」というのが大事な要素なのでしょう。
そして以下の解説記事を目にして、その思いを一層強くしました(以下はMike & Margarita のYarmish夫妻によるインテリアサイト「DigsDigs」のコンテンツです)。



紹介されている写真を順々にご覧いただくと分かりますが、中には理科趣味のきわめて濃い部屋もあります。そして、言葉本来のゴシック趣味を反映したアーチウィンドウとか、教会風の内装であったりとか、(無論お金はかかっているのでしょうが)金満というよりも、むしろ精神性に強く訴える部屋もあったりで、そういう風情を好ましく思う自分がいます。

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おそらくこのブログの周辺の方には、同じような嗜好の方もいらっしゃると思うので、今後の方向性を考えるための参考に供します。

天文古書の森、クロウフォード・ライブラリー2021年01月10日 11時10分41秒

自分が今いる部屋は本に囲まれているので、落ち着くと言えば落ち着きます。
でも、狭いといえばこの上なく狭いし、現状がベストなわけでは全然ありません。

よく骨董の目利きになるには、“とにかくホンモノを見ろ、本当に良いものを見ろ”と言いますね。この小さな部屋を、より味わい深いものにしようと思ったら、世界の優れたライブラリーを眺めて目を肥やすに限る…というわけで、ちょっと覗き見をしてみます。

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エジンバラ王立天文台に付属する「クロウフォード・ライブラリー」
この世界有数の天文貴重書コレクションの概要は、以下のページに書かれています。

■The Crawford collection at the Royal Observatory Edinburgh
かいつまんで言うと、その名称はスコットランド貴族で「第26代クロウフォード伯爵」を名乗ったジェイムズ・ルドヴィック・リンゼイ(James Ludovic Lindsay、1847-1913)に由来し、アマチュア天文家であり、愛書家でもあったリンゼイが、自分の個人コレクション(総数11,000冊)を生前に寄贈して成立したものです。

上のページからは、さらにグーグルのストリートビューにリンクが張られていて、内部の様子を360度見渡すことができます。

https://tinyurl.com/y498qvh5 リンク先に飛び、左上の本の画像をクリック。撮影はLeonardo Gandini 氏)

このライブラリーには、天文学史の古典――コペルニクスの『天球の回転について』とか、ケプラーやガリレオの諸著作――が、大抵初版で収まっていて、さらにリンゼイの興味はコペルニクス以前の世界にまで広がり、中世の彩色写本などもコレクションに含まれています。

(上の画像に続いて Leonardo Gandini氏の写真を寸借。以下も同じ)


ここに写っているのは、彼の11,000冊のコレクションの中でも、さらに貴重書を選りすぐった一室ではないかと想像しますが、まことに壮観です。


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まあ、財力のしからしむるところで、クロウフォード・ライブラリーを直接お手本にすることもできませんし、リンゼイの目指したものが私のそれと同じという保証もありません。

でも、北極点踏破を目指さなくても、北極星を目指して歩けば、北の町にあやまたず到達できるし、真北を目指さない人にとっても、北極星はナビゲーションツールとして依然有効です。

それに先達はあらまほしいもの…というのは、クロウフォード・ライブラリー自身が、身を以て教えてくれています。リンゼイの場合は、ロシアのプルコヴォ天文台付属図書館という当時最高のお手本があり、台長のオットー・ストルーヴェから直接指南を受けられたことが、その成立にあずかって大きな力があったと、上のリンク先には書かれています。

ちなみに、その「大先達」であるプルコヴォの蔵書。こちらはドイツ軍の猛攻が続いた第2次大戦中も疎開して無事だったのに、1997年の放火火災で大半が焼失・損耗してしまった…と、英語版Wikipedia「Pulkovo Observatoy」の項に書かれていました。やんぬるかな。まあ、こんなふうにコレクションの諸行無常ぶりを教えてくれるのも、大先達の「徳」なのでしょう。

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現在のクロウフォード・ライブラリーに、強いてケチをつけるとしたら、部屋がいかにも「普通の部屋」であることです。空調も効くでしょうし、その方が本の管理もしやすいのでしょうが、もうちょっと重厚感があると、なお良かったかな…と、これは個人的感想です。

(例えばこんな雰囲気。オックスフォードのボドリアン図書館。出典:De Laubier他、『The Most Beautiful in the World』、Abrams、2003)

澁澤邸のアストロラーベ(1)2019年04月27日 13時50分08秒

稀代の文人、澁澤龍彦(1928-1987)

その生没年を年号でいえば、すなわち昭和3年と昭和62年です。いわば、彼はまるまる昭和を生きた人。まあ、いちいち年号にとらわれる必要もないですが、平成が終わろうとする今、澁澤なき時代も早30年を超えたんだなあ…と思うにつけ、当時のことがしみじみ思い出されます。

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彼の書斎については以前も書いたことがあります。
あのたたずまいに憧れた人、そして深い影響を受けた人は少なくないでしょう。私もその一人で、今でもふと、自分が「澁澤ごっこ」をしてるだけなんじゃないかと、後ろめたく感じるときがあります。

しかし澁澤の場合、「オブジェ好き」を自認してはいても、コレクター的偏執は薄かったので、わけもなく物量に走ることなく、あの洒落た部屋に見苦しいまでにモノが堆積することがなくて済んだのは、彼自身にとっても、彼のファンにとっても甚だ幸いなことでした。

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ところで、澁澤が手元に置いた品の性格に関していうと、彼は自然万般への関心は強かったでしょうが、特に天文に傾倒した形跡はないので、その収集物にも天文関係の品はごく少ないように見えます。そうした中で異彩を放つのが、彼が自らイランの古道具屋で求めた、大小のアストロラーベです。

(澁澤の書斎の一角。篠山紀信撮影「季刊みづゑ」1987年冬号より)

(同拡大)

「昭和の日」を前に、澁澤のアストロラーベに一寸こだわってみます。

(この項つづく)

ステンドグラスのある風景2018年04月30日 11時45分48秒

前回のおまけで、もう1回ステンドグラスについて書きます。

ステンドグラスへの憧れは、教会音楽への関心なんかといっしょに芽生えたのかなあと思いますが、今となってはよく思い出せません。
ただ、それを書斎の窓際に置きたいと思ったのには、はっきりとした理由があります。
それはユングの書斎の光景が、心にずっと残っていたからです。

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875-1961)は、フロイトともに人間の無意識を探求した人。オカルティズムに近い色眼鏡で見られることもあるし、各界には自称ユンギアンが大勢いて、好き勝手にいろんなことを放言するので、ユング自身も胡散臭い目で見られることが多いですが、彼が人間理解の幅を広げた、知の巨人であることは確かでしょう。

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多くの人と同様、私も河合隼雄氏の著作でユングを知った口です。
昔、そのうちの一冊の口絵で見た写真が、上に書いたところの「心に残るユングの書斎風景」で、その本はいまも手元にあります。

(C.G.ユング他著、河合隼雄監訳『人間と象徴(上)』、河出書房新社、1975より。なお、手元の本は1980年の第12版です)

十代の私にとって、それは理想の家であり、理想の書斎に見えました。
そして、書斎の窓を彩るステンドグラスも、静謐で瞑想的な雰囲気を醸し出すものとして、書斎になくてはならぬものだ…という刷り込みがそこで行われたのです。まあ、幼稚な発想かもしれませんが、若いころに受けた影響は、侮りがたいものです。

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今改めて思うと、日本の若者の目に、ユングの家がかくまで理想的に映ったのは、ユングの家には、若き日のユング自身の理想が存分に投影されていたからだ…という事情もあった気がします。

ユングは、1908年にチューリッヒ湖のほとり、キュスナハトの町に家を建て、終生そこで暮らし、治療と研究に専念しました。晩年には、「家が広いと手入れも大変だ…」と、月並みな愚痴をこぼしていたそうですが、この家を建てるにあたって、彼は設計段階から、建築家と尋常ならざる熱意をもって綿密な打ち合わせを行いました。

(キュスナハトのユングの家の外観。左・1909年、右・2009年撮影。
Stiftung C.G.Jung Küsnachtが2009年に刊行した、『The House of C.G.Jung: The History and Restoration of the Residence of Emma and Carl Gustav Jung-Rauschenbach』裏表紙より)

ユングは、人形やおもちゃの建物などを砂箱に並べて、個人の内的世界を表現させる「箱庭療法」を創始しましたが、この愛すべき塔のある家を築くことは、ユング自身にとって、一種の箱庭療法の実践だったように思います。それぐらい、家とユングは一体化していました。

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ユングの家は、夫妻の没後も子孫に受け継がれ、今は保存のための財団によって管理されています。2階にある彼の書斎は生前のまま残され、例のステンドグラスもそのままです。


キリストの受難を描いたこの3連パネルは、中世のステンドグラスの複製だそうです。私は何か由緒のある品と思っていたので、その点はちょっと意外でしたが、ユングは「古美術品」を収集していたわけではなく、古人が抱いた「観念」に興味があったので、別に本物にこだわる必要はなかったのでしょう。

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ユングには、若い頃ずいぶん心を惹かれました。
たぶん、死が身近に迫るころ、もう一度その著を紐解くのではないかと思います。

中世がやってきた(2)2018年04月29日 15時46分50秒

わが家にやってきた、ささやかな「中世」。
それは、窓際に置かれたステンドグラスの残欠です。


その姿はブラインドの角度を変えると現れるのですが、ご覧のように書斎の窓は隣家の窓と差し向かいなので、気後れして、腰を落ち着けて眺めることができないのは残念です。




でも、思い切ってブラインドを上げると、こんなふうにアクリルフレーム越しに「中世の光と色」が部屋に差し込みます(隣家の壁と窓は、ゴシックの森か何かに、脳内で置き換えて味わってください)。


目にパッと飛び込む星模様に…


華麗な甲冑姿の騎士。



何百年も色褪せない、鮮やかな赤、青、緑、黄のガラス絵。

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その技法から、おそらく1500年代にドイツ語圏(スイスかもしれません)で作られたものらしく、ちょっと「中世」と呼ぶには苦しいですが、近代以前の作であることは間違いありません。それに、ステンドグラスの制作は、16世紀後半~18世紀にひどく衰退し、19世紀になって俄然復活したので、その断絶以前の「中世ステンドグラスの掉尾を彩る作例」と呼ぶことは、許されるんじゃないでしょうか。

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ところで、上の写真で明らかなように、このステンドグラスは絵柄がバラバラです。
これは古いガラス片を寄せ集めて、再度ステンドグラスのパネルを拵えたためです。

誰が何のためにそんなことを…というのを考えるために、ここで記事を割って書き継ぎます。


中世がやってきた(1)2018年04月28日 07時46分15秒

理系アンティークショップ、すなわち天文や博物趣味にかかわる古物を扱うお店は、往々にしてその手の品とともに、宗教アンティーク(ここでは主にキリスト教の)も扱っていることが多いようです。

科学と宗教はしばしば対立するものとされるので、これは一見不思議な光景です。
でも、両者は等しく「目に見える世界の背後を説くもの」であり、いわば「異世界を覗き見る窓」ですから、この二つの世界に共に惹かれる人がいても、不思議ではありません。かく言う私も、理科趣味を標榜する一方で、妙に抹香臭いものを好む面があります。

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「中世趣味」もその延長線上にあります。

中世というのは、日本でも西洋でも、戦乱と疫病に苦しんだ暗く冷たい時代で、そこにお伽チックなメルヘンとか、深い精神性とか、侘び寂びの幽玄世界を重ねて、むやみに有り難がるのは、現代人の勝手な思い込みに過ぎないというのも事実でしょう。

(日本の中世文学史家である、田中貴子氏『中世幻妖』(幻戯書房、2010)は、「近代人が憧れた時代」の副題を持ち、帯には「小林秀雄、白洲正子、吉本隆明らがつくった<中世>幻想はわたしたちのイメージを無言の拘束力をもって縛りつづける」とあって、その辺の事情をよくうがっています。西洋でも事情は似たようなものでしょう。)

…と、予防線を張ったところで、やっぱり中世って、どこか心惹かれるところがあるんですよね。これは子供時代からの刷り込みもあるので、ちょっとどうしようもないです。

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そんな中世趣味の発露が、見慣れた光景の向こうに潜んでいます。
わりと最近わが家にやってきたもので、理科趣味とも天文趣味とも縁遠い品ですが、一種のヴンダー趣味ではあるし、これまた前から欲しいと思っていたモノなので、この辺で登場させることにします。

(この項つづく)