ミクロの新緑2012年04月22日 15時50分41秒

桜も終わり、新緑の美しい季節です。
今日は若葉を濡らす雨が一日中ふりつづき、部屋の窓からは葉末にキラキラ光るものが見えます。

ここしばらく、地味な画像が続いたので、ここらで鮮やかな緑を楽しむことにしましょう。


緑の水玉と白のコントラストがさわやかです。


この不思議な形の物体は「葉の構造模型」です。


棚状組織と葉緑粒。


おなじみの唇の形をした気孔断面。


この品は、かつて岩手県の某学校の理科室に置かれていました。
桜前線はまだ岩手に達していないそうなので、イーハトーヴの国が鮮やかな緑につつまれるのは、もう少し先のことでしょう。

恐竜クラシック2012年04月07日 19時01分28秒

昔の恐竜、今の恐竜。
その変化から類推して、さらに「未来の恐竜」というのを思い浮かべました。
で、「将来、恐竜はこうなる!」という予言記事を書いてみたらどうかとか、あるいは「2013、これが恐竜のニュートレンドだ!!」と煽りを効かせてみたらどうかと夢想してみました。

…書いていて、我ながら素敵にバカバカしいですが、でも、恐竜たちが、今も人々の想念の中で進化を続けていると考えるのは、ちょっと悪くない気がします。

   ★


さて、昨日のおじいさんが憧れた恐竜は、きっと↑こんな姿をしているに違いありません。

ノッシ、ノッシ。
(斜めから写したので、ちょっと歪んでいます)

とぼけた表情に味わいがあるような…。

遠くの方でもノッシ、ノッシ。

   ★

上の品は、「白亜紀の動物」と題された、ドイツの教育掛図で、1960年代頃のもの。
ドイツ中央教具研究所(Deutschen zentralinstitut fur Lehrmittel)監修、ベルリンのVolk und Wissen Verlag 社発行。Heinz Dost という画工の名前が欄外に見えますが、どうもこの絵は素人目にも下手ですねえ。

東西冷戦下の東ドイツ(略称DDR)では、教育用の掛図が大量に作られたらしく、それらは今や古物市場で二束三文の捨て値で売られています。私は勝手に「DDRもの」と呼んでいますが、全体に粗製乱造の気味があるので、買う時にはいささか用心が必要です。

ねじれた時間感覚…恐竜懐古談2012年04月06日 20時05分46秒


(↑朝日新聞=2012年4月5日=の紙面より)

「大型恐竜にも羽毛」 「全長9メートル、中国で新種化石発見」

「…国立科学博物館の真鍋真研究主幹は『大型恐竜にも羽毛があったという証拠がついに出た。羽は雌雄を見分けたり、求愛のディスプレーに使ったりした可能性がある』と話した。」

   ★

縁側で爪を切りながら新聞を見ていたおじいさんが、誰に言うともなくつぶやきました。

なんだぁ、中国で羽毛をまとった大型恐竜だって?
…いってえ世の中、どうなっちまったんだ。

昔は恐竜といやあ、みんなどっしり腰を落としてなあ、ノッシノッシと歩いたもんさ。肌だってザラザラのうろこ肌でよ。まあ、見るからに堂々としてたな。子供心にも、そりゃあ、ほれぼれとしたもんだ。

それに比べて、何だあ、近ごろの恐竜どもは。どいつもこいつも尻尾を持ち上げてスタスタ歩きやがって。尻が軽いったらありゃしねえ。しかもボサボサ毛なんぞ生やしやがって。まったくなっちゃいねえ。

ああ、昔はよかったなあ…

少年採集家(4)2012年03月12日 21時40分33秒

一通りこの本に目を通しましたが、やはり文中に戦争の影はまったく登場しません。それがむしろ不思議なほどです。序文の日付は昭和18年7月になっているので、開戦前に準備した原稿を、この時期に上梓したわけでもなく、きな臭い中での執筆だったはずですが、著者は一切そのことに触れようとしません。

著者の松室重行という方については何も存じ上げませんが、ネット情報によれば、戦中から戦後にかけて『ヘッセ小品集』や『ハウフ童話集』を訳したり、『医学ドイツ語小辞典』を編んだりした方です。昭和11年当時は、作家・牧野吉晴とともに、美術雑誌「東陽」編集部に在籍していました(http://10tyuutai.blog58.fc2.com/blog-entry-95.html)。

動植物に関する著作は、この『少年採集家』だけですから、要するに採集・標本については素人の趣味の範囲を出ない人だと思いますが、それだけに一層純な思いが本書にはこめられているのでしょう。

   ★

以下、「はしがき」から抜粋。

「近頃、少年少女の皆さんが、熱心に植物の採集や動物の採集を行ふことは、まことに結構なことだと思ひます。
 たゞ、残念なことには、せっかくの採集が永つゞきしないことです。
 すべての皆さんが、大きくなってから、植物学者や動物学者になるといふのではありませんから、いつまでもつゞけて欲しいとは申しません。
 しかし、国民学校の四五年生ではじめたら、中学校の二年生や三年生ぐらゐまではつゞけて、一通り完成した採集標本をつくり上げていたゞきたいと思ふのです。」

この辺は実にリアリスティックですね。「さあ、みんな大学者たらんことを目指せ!」と尻を叩くようなことはせず、途中でやめてもいいから、意味のある採集を目指しなさいと、現実的な助言をしているわけです。

「少年少女の皆さんがする採集だからといって、それがたゞの、いくらかためになる遊びではないのです。さういふ考へ方は悪いと思います。」「採集することが決して目的ではなく、これはたゞ、動植物の知識を得る手段です。これをよく心得てゐて、そして一定の方針を持って採集をすゝめ、標本の保存と鑑賞とを忘れない人が、よく採集をつゞけられるのだと私は思ひます。」「科学する心といふのは、要するに正しい道をふんで、忍耐づよく、どこまでも、ものごとの奥底まできはめて行くといふ不撓不屈の精神のことなのです。どうか皆さんも、この精神を忘れずに、一つりっぱな採集標本をつくり上げるやうに努力して下さい。」

自分に言い聞かせるような強い調子があります。
この時期(ミッドウェーの敗戦からガダルカナル撤退、そしてアッツ島玉砕が続いた時期です)、お上の統制はいよいよ厳しく、知識人も時局におもねる発言が多かったと思いますが、松室氏はそうした言辞を弄することなく、少年少女に専一に正しい科学する心を説いたのは、立派だと思います。そしてまた少年少女を慈しむ目を感じます。

(すくい網採集法を試みる戦時中の少年)

   ★

イントロダクションにあたる第1章「博物採集とは」には、次のような一節があります。

「採集から我家に帰って来て、包を開いて、眺めたり、調べたり、較べたりするたのしさ。特別に美しい標本、珍しい標本、りっぱに仕上げた標本、かういふものを標本箱に入れるときのたのしさ。
 静かな冬の夜ながに、ひとり静かに標本箱をとり出して来て、眺めたり、調べたりして、何度となく新しい発見をして喜ぶたのしさ。」

現実の日本には、すでにこういう喜びが失われていたはずだと思うと、なんだか切ないです。

   ★

さて、その内容ですが、表紙から受ける印象とは違って、著者がいちばん力点を置いているのは植物採集で、過半のページがそれに当てられています。しかも、通常の押し葉だけでなく、種子の標本や樹皮の標本、あるいはキノコやコケや地衣類や藻類の標本作りにまで記述が及んでいて、松室氏の本領が植物趣味にあったことがうかがえます。

その次に昆虫採集の話題ですが、そこでメインとなるのは蝶と蛾で、それ以外の昆虫はごく簡単にしか触れられていません(そして最後に貝のことがチラッと出てきます)。糖密採集法や叩き網採集法など、おなじみの方法も、主に蝶や蛾を採集する方法として紹介されているのが、ちょっと珍しく感じられました。

(中身は文字ばかりのページが多くて地味めです。)

(これは比較的図が多いページの例)

結局、著者は植物と蝶や蛾の熱心な採集家だったと想像されますが、そういう人には生きにくい時勢であったろうなあ…と、ここでもやっぱり思います。

書かれている内容自体は、私が子どもの頃読んだ採集と標本づくりの本とほとんど変わりません。もちろん、時代の流れを感じる叙述もあって、たとえば蝶の幼虫の乾燥標本を作るのに、私自身は「電熱器と茶筒」を使えと習いましたが、昭和18年当時は「アルコールランプと石油ランプのほや」を使うよう書かれています。あるいは、プリザーブドフラワーを作るのに、今だと強力な乾燥剤や機械の力を借りますが、当時は「熱してよく乾燥させた砂」の中に花を埋める方法が紹介されていて、その辺に時代を感じるのですが、でもやっていることは一緒です。採集と標本作りの基本的テクニックは、たぶんこの1世紀ぐらいほとんど変わってないんじゃないでしょうか。

(『少年採集家』より。ランプのほやが登場するのはさすがに古風。)

(これはこれで懐かしい小学館の『採集と標本の図鑑』。昭和45年・改訂第20版より。しかし口でぷーぷー吹くのは、むしろ昭和18年よりも技術的後退か。)

   ★

変わったなあ…と感じるのは、「中身」よりもむしろ「外皮」、すなわち表現形式の方です。

この『少年採集家』には、ごく少数の挿絵しかなくて、ノウハウはもっぱら文字で説明されています。昭和30年代以降、学習図鑑全盛時代になると、こういうのは全編カラーで図解されるのが普通になるので、そこは大きな違いです。父親世代と自分の世代の差はそこでしょう。

ただ、読んでみると分かりますが、文字だけでも意外によく伝わるものです。
戦後の教育者は、カラフルな図解こそが子どもの興味をひきつけるものと頑なに思い込んでいた節がありますが、下手な図解よりも、子どもの心に沁みる文章のほうが遥かに良くはないでしょうか?…まあ、これは私が年をとったせいでそう思うのかもしれませんが。

アート派 vs. 科学派…剥製を熱く語る人々(その3)2012年02月26日 12時16分08秒

仕事の方はもう一息です。
ブログの記事の書き方を忘れかけていますが、思い出しながら書いてみます。
記事が間延びしてきたので、手短にいきましょう。

   ★

一口に剥製といっても、そこにはアートとしての剝製と、科学標本としての剝製の区別がある―。 元記事の筆者、リサ・ヒックスは、そうはっきり書いているわけではありませんが、彼女が描く最近の剥製ブームからは、そのことが読み取れます。

アート派の方は、再三登場する「ミネソタはぐれ剥製師連盟(MART;Minessota Association of Rogue Taxdermists)」の面々がそうであり、インテリアとして剥製を飾るホーヴィー姉妹もその仲間と見てよいでしょう。

まあ、アートといってもいろいろな趣味嗜好があるので、ホーヴィー姉妹のようなビューティフル路線もあれば、気色の悪い猟奇路線もあって、後者はたとえば19世紀の見世物興行師、P.T.バーナム(1810-1891)が呼び物にした、怪しげな人魚のミイラだとか、ヴィクトリア時代の剥製師、ウォルター・ポッター(1835-1918)が得意とした擬人化された剥製(ウサギの授業風景など)といった、どちらかといえばバッド・テイストと思えるものを好む人たちです。MARTのメンバーが作る、キメラ剥製(異種の剝製を組み合わせて作った空想上の生物)などは、その直系の子孫かもしれません。

(ポッターのウサギの学校。
出典:http://en.wikipedia.org/wiki/File:Potter%27sRabbitSchool.jpg

   ★

他方、剥製に科学の香りを求める人もいます。

たとえば、近代剥製術の父と呼ばれるカール・エークリー(1864-1924
彼の作る剥製は、わらなどを詰め物にするのではなく、解剖学的に正確な彫像を制作して、そこに皮をかぶせるという凝った方法で作られました。
彼は自ら野生動物を次々に仕留め、それを剥製にしてアメリカ自然史博物館に壮大なジオラマ風景を作った人ですが、晩年の1920年代に一頭のゴリラと出会ったことから「回心」して、以後は野生生物の保護運動に尽力しました。とはいえ、彼は最後まで科学の名に基づく、剥製愛好癖を捨てようとはしませんでした。

「科学」の看板が、罪の意識を覆い隠すのに使われた…かどうかは分かりませんし、リサもそう書いているわけではありませんが、何となくそういう気配があります。

また、ロサンゼルスにあるヴンダー系ショップ、「Empiric Studio」では、1960年代の「スペース・エイジ」テイストをまぶした理系グッズとともに、剥製を販売しており、同店の広報担当、アニー・クラウニンシールドによれば、同店における剥製は、「研究室や学術的環境でお目にかかるモノ」というカテゴリーに入るのだと説明しています。

これは考えてみると「剥製は科学的存在であるが故に、研究室に置かれている。そして研究室に置かれているが故に、科学的だ」というトートロジーを構成しているような気がしなくもない。

   ★

アートとしての剥製と、科学としての剝製の関係はなかなか微妙です。
科学的相貌を持った剥製が「知の向上をもたらす善」であり、アートとしての剥製が「罰あたりな悪」である…と単純に言い切れないのは、その「科学性」に付きまとう上記のような曖昧さからも窺い知れます。

MARTのメンバー、ロバート・マーベリーは、リスの剝製づくりと同時に、その肉を料理して食べるという、一種のパフォーマンスというか、イベントを開催しています。情緒的にはちょっと受け入れがたいし、リスにとっては災難だと思いますが、それは普段人々が意識から遠ざけている動物と人間との関係(虐待や搾取)を問いかけるものだと、マーベリーは言います。(付言すると、リス料理自体はヨーロッパで伝統的に行われてきたらしいです。)

「リスは本質的に価値中立的存在です。〔…〕リスだって動物なんです。鹿の角を壁に飾って構わないなら、これだって同じことでしょう。リスは『可愛い』と見なされている点がちょっと違うだけです。」

「はぐれ剥製師たちは、自然を心から愛しています。たとえ彼らの作る作品が少々ダークなものだとしても。いや、むしろ自然そのものが、得てしてダークなものなのです。」

「動物の死体をもてあそぶ」かの如く見えるアート派の人々にも、いろいろ言い分があるわけです。たとえそれに全面的に賛成できなくても、耳を傾けるべき点は多々あります。

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そしてまた、博物館の空気自体をアートとして享受する人もいるので、話はどんどんややこしくなります。以下は、前回も登場したテレビ番組「Oddities」の司会者、ライアン・マシュー・コーンの思い出ばなし。

「子どものころ、コーンはよく犬を連れて、ニューヨーク州の北部まで宝探し(scavenging)に出かけ、森で見つけた動物の頭骨やその他の骨を家に持ち帰った。彼は「世界最大の豚」やら、「世界一のカボチャ」やら、安っぽいイカサマ物が登場する怪しげな見世物小屋でインスピレーションを得た。また、両親は彼をよくアメリカ自然史博物館に連れて行ってくれたが、そんなとき彼はアイデアでいっぱいになって帰宅したものだった。

〔…〕

『僕が愛してやまなかったのは、自然史博物館の中では、全ての物がいかに完璧に配置されているかということなんだ。そこで僕は頭骨を棚の上に飾るのをやめて、代わりに、それぞれに小さな架台を作って、自分は今博物館の中で暮らしているんだと夢想したものさ。僕は小さなカーテンを使って幕開けごっこもした。家族を前に見世物興行を演じて、セレモニーの司会者よろしく“サアサアご覧じろ”と口上を述べたりしてね。』

子ども時分は小遣いに恵まれなかったので、自分の部屋をこうした森で見つけた珍物でいっぱいにしたのだと、コーンは語る。その後、大人になって多少の金が自由に使えるようになると、彼は剥製やその他のアンティークを探しに出かけるようになった。」

(コーンのキャビネット。
出典:http://www.collectorsweekly.com/articles/taxidermy-comes-alive/

   ★

世間には、読書家とは別に、愛書家という人種がいます。本を読むよりも、モノとしての本を愛好し、読みもしない高価な本をせっせと買い込むような人です。

「理科よりも理科室が好き」、「博物学よりも博物館が好き」というのも、この愛書趣味に通じるものかもしれません。私の中にも多分にそういう傾向があるので、架台に凝って、自室を博物館風にしたかったという、コーン少年の夢には深い共感を覚えます。
私自身、金とモノ乏しい中、いかにして自分の部屋(ただし兄と共用)を理科室的テイストで満たすか、尋常でない努力をした覚えがあるので、この一節にはいっそ涙ぐましい思いがします。そしてまた、ここでも稲垣足穂の博物趣味への耽溺を連想するのです。

   ★

とはいえ。最後の最後で明言しておきますが、私は剥製はそれほど好きではありません。

私の部屋に置かれた少数の剥製は、Empiric Studioのアニー・クラウニンシールドが言うところの「研究室や学術的環境でお目にかかるモノ」であり、理科室のムードを感じさせるいわば「小道具」として置かれているので、剥製そのものを愛好する癖はまったくありません。

MARTの面々がいかに熱弁を振るったところで、ポッター流の擬人化剝製や、その日本版である徳利をさげた狸なんかは、やっぱり罰あたりなんじゃないかと思います。

(某オークションサイトより)

じゃあ、「理科室風小道具」として剥製を購入するというのはどうなんだね?
それも五十歩百歩ではないのかね? 
いや、その剥製を愛してすらいないと言うなら、いっそう罪深いんじゃないかね?

…と言われると、まったく反論ができません。マーベリーの言葉を真似て、「いや、科学そのものが、得てしてダークなものなのです」と言っても、屁理屈にしか聞こえないでしょう。ここは一途に動物たちに手を合わせるばかりです。

(この項おわり)

何が剥製ブームをもたらしたか?…剥製を熱く語る人々(その2)2012年02月19日 19時58分27秒

S.Uさま、たつきさま、愉しいコメントならびに温かい励ましをありがとうございました。なかなかお返事ができずに申し訳ありません。しばらくは、記事の継続を優先し、話を先に進めたいと思いますので、失礼の段なにとぞお許しください。

   ★

さて、前回の続きです。(以下、元記事の分量が多いので、いつも以上に大幅な適当訳ですが、趣旨はそう外れていないはず…)

2000年代に入ってからの剥製ブームの原因は何か?
もちろん真の原因は分かりませんが、そこにはいろいろな意見があって、たとえば、「ミネソタはぐれ剥製師連盟」のロバート・マーベリーは、その背景にインターネットの急速な普及を想定します。

「今やインターネットそのものが、ヴンダーカンマー化してるんだよ。気の向くままに検索をかければ、どんな驚くべきものだって見つけられるし、パソコンを画像ファイルでいっぱいにすることもできる。多くの点で、これは伝統的な驚異の部屋とパラレルだ。ある意味、今じゃみんなが携帯端末で驚異の部屋を持ち歩いているようなものさ。おかげで、僕らはちょっと刺激に対して、鈍感になっているんじゃないかな。」

2000年代の初頭以来、ディスプレイの前でヴァーチャルな時間を過ごすことが多くなった反動として、人々はリアルな世界を感じさせてくれるもの、触覚的なものを強く求めるようになり、それが今の剥製ブームの原因ではないか? コーンはそう推測します。


剥製が自然のままに朽ちていく様や、あるいは剥製を自作する人であれば、動物の身体を切り裂き、生命を支えてきた内臓器官を直接目にする経験も、リアルな世界とのつながりを回復する手段となりえます。

「みんながヴァーチャルなコレクションをするようになった。だから今度は何かリアルな経験をしたくなった。今起こっているのはそういうことじゃないかな。手仕事や、地元の食材を食べること、そういう何かその土地と結びついたものや、個性的なものが、今じゃどんどん価値を高めているよね。養蜂とか、クロスステッチとか。剥製づくりもそうだね。」

これは要するに、人々の自然回復志向に、剥製ブームを位置づける見方です。

   ★

そうした志向は、当然、IKEAの家具とか、ミッドセンチュリー・スタイルのマスプロ製品を拒否する姿勢とも結びつき、2000年代以降の若い骨董マニアや、スチームパンカーによるヴィクトリア時代への回帰と同根だという見方もできます。

サイエンス番組「Oddities〔無理に訳せば『ふしぎ大百科』?〕」の共同司会者である、ライアン・マシュー・コーンの場合は、「自然回帰」よりもむしろ、この「反モダニズム」という部分にウェイトがあります。

「僕の家にはIKEAの家具なんて影も形もないよ。なんでみんなが1950年代の模倣をしたがるのか、僕にはさっぱり分からない。その美意識は紋切り型だし、誰もが抑圧されていた時代さ。その頃だったら、僕は自分のやりたいことの半分もやれなかったろうね。ヴィクトリア時代には多くのことが未知だった。だからこそ、いっそうワイルドな時代だったのさ。…鹿の頭を欲しいと思ったことはないな。僕はアメリカにないものが欲しいんだ。だから、田舎のフリーマーケットに行ったらこう聞くね。『やあ、猿はないかい?』って。」

コーンは、単なる珍奇さよりも、古びた博物館の空気にどうしようもなく惹かれていて、その点で、いわゆるスチームパンク趣味ともちょっと違います。彼は子どもの頃からアメリカ自然史博物館のとりこになっており、今でも自宅を博物館風にすることに執着している…というのは、また後で述べます。

   ★

コーンの剥製趣味は、基本的に「反モダニズム」的な美意識に基づくものですが、彼はそのいっぽうで、最近の剥製ブームをもたらした、もう一つの現実的な要因も指摘しています。それはリーマンショック以降の景気低迷です。

「景気後退の時期には、みんなソーホーで新品を買う余裕なんてなかったよね。キズもののアンティークを買うとなれば、自分でちょっと手を入れなきゃならないけど、そうすることで、そこに流れる美意識と触れ合うこともできるわけさ。」

アンティークについての人気ブロガー、ブルックリン在住のホーヴィ姉妹も、経済苦境によって、アンティークに新しい市場が生まれたことを認めています。

「びっくりするのは、こういうアンティークが、どれもとても安く買えることよ。eBayさまさまね。そしてあちこちのフリーマーケットを何時間もぐるぐる回るの。私たちが持っている物で高価なものはほとんどないけれど、どれもこれもみんな大好き!」

もちろん、今なら手頃な価格の古物たちも、元をたどればコロニアル・スタイルや貴族趣味の、いわば金満的な品々であったのは皮肉ですが、当時幅を利かせていたのが、狩猟熱と剥製愛好癖でした。

「『異国と自然を征服する金持ちの白人』の美学が、政治的に100%正しいとは思わないわ。でも、これらのオブジェはやっぱり美しいと思わない?過去の時代がパーフェクトでなかったことは認めるにしても。」

(ホーヴィ姉妹のアパートメント。出典:同上)

   ★

元記事を私なりに咀嚼すると、剥製ブームの背後にあるのは、「リアル世界への回帰」、「ネイチャー志向」、「反モダニズム」、「ヴィクトリアン・アンティークの値頃感」といった要因だということになります。もちろん、これはひとつの仮説で、ほかにもいろいろな要因はありうるでしょう。

個人的に考えると、80年代の博物学リバイバル―これは荒俣宏さんに限らず、世界中で同時並行的に起きた現象のようです―が、その下地にあり、さらに2000年以降、オンライン売買の普及によって、景気後退の件とは別に、古物の取引のあり様が根本的に変わったことを上げないと片手落ちのような気がします。

   ★

ともあれ、こうして巻き起こった剥製ブームですが、そこにはまた2つの対立する流れがあり、一口に剥製ブームと言っても、なかなか一筋縄ではいきません。

(この項つづく)

ミネソタはぐれ剥製師連盟とは? …剥製を熱く語る人々(その1)2012年02月12日 17時34分58秒

【急いで訂正】
よく見たら、rogue(ごろつき、はみ出し者)とrouge(ルージュ)を見間違えていました。表題を上記のとおり訂正します。“紅色剥製師”…何とも素敵な名称なんですけれどね(私がそう名乗ろうかしら)。

    ★

(↑ サイエンス・チャンネル「Oddities」の共同司会者、Ryan Matthew Cohn の自宅風景。下記ページより寸借)

大変興味深い記事を読みました。そして大いに考えさせられました。

Taxidermy Comes Alive! On the Web, the Silver Screen,
  and in Your Living Room
 (Collectors Weekly 2011年9月27日号)
 http://www.collectorsweekly.com/articles/taxidermy-comes-alive/

筆者のリサ・ヒックスは、フリーのライター。 彼女は、剥製の作り手、コレクター、研究者、ディーラーなど、あちこちに取材して、「剥製界の今」をさまざまな角度から描いています。

それにしても皆さんはご存知でしたか? 今、剥製が熱いブームだということを。

記事によれば、剥製ブームは2000年代初期、都会の尖端的な人々(urban hipsters)や自作派アーティスト(do-it-yourself artists)の間から始まり、今や米国ではすっかりポピュラーなものになっているそうです。

これは第2次大戦後に生じた剥製ブームから、半世紀を隔てた再流行で、家庭でも店舗でも、最近はあちこちに鹿やらカモシカやらの首や角が飾られ、その需要を満たすために、紙やプラスチックでできたイミテーションまで売られているというのです。

そうしたブームの中で、あのデロールも、ファッショナブルな存在として銀幕に登場し、ウッディ・アレンが監督したロマンティック・コメディ、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)では、デロールが不思議なパーティー会場として出てくるという具合。(注:今確認したら、予告編にもチラリと写っています。http://www.youtube.com/watch?v=qPev0UA0lmw ← 1分15秒のあたりを見てください。)

最近では、モデルのケイト・モスや、歌手のコートニー・ラブ、コメディアンのエイミー・セダリス、カリスマ主婦のマーサ・スチュアートといったセレブたちも、こぞって剥製を手元に置いて愛玩しているし、剥製関連本も続々と出版され、いずれも売れ行き好調だとか。

そんな中、2004年に、3人のアーティスト(=ロバート・マーベリー、スコット・ビーバス、サリーナ・ブリュワー)が立ち上げたのが、現代アートとしての剥製に取り組む 「ミネソタはぐれ剥製師連盟 (Minnesota Association of Rogue Taxidermists)」です。彼らは、伝統的な剥製師からは異端視されているものの、今や世界中で50人以上のアーティストを擁する、剥製界の新勢力。

さて、そうした剥製界の表面的な活況の奥で、いったい何が起きているのか、何がこのブームをもたらしたのか、リサの記事は「業界人」の間でも様々に意見の分かれるこのブームの背景に、鋭く切り込んでいくのですが、それはまた次回。(面倒でない方は、どうぞ元記事をご覧ください。)

【付記】
それにしても、マイブームとしての「驚異の部屋」熱は、この海外の剝製ブームとは独立に生じたものだと思っていましたが、よく考えたらそうではないかもしれません。

東大総合研究博物館でミクロコスモグラフィア マーク・ダイオンの[驚異の部屋]展(2002-2003)が開催されたことや、1990年代末からデロールがメディアに露出度を高め、時代の寵児となっていく過程は、この「アートとしての剥製」ブームと必ずや結びついているはずであり、そして、私は両者から強い影響を受けているので、剥製ブームの影響を間接的に蒙っている気がします。

人間の自由意志とはいったい何なのか? 私は時代の趨勢とは無関係に、自分の興味のままに振る舞ってきたつもりでしたが、実は時代の手の上で踊っていただけなのか? 考えてみると、ちょっと不気味な話です。

博物学者の部屋… Liberal Arts Lab:DARWIN ROOM(3)2011年11月17日 20時46分41秒

ダーウィンルームのお土産編です。


一つは前から欲しかった「テンシノツバサ(天使の翼)」。


この和名は、英名Angel wingの直訳で、その由来は一目瞭然。

学名はCyrtopleura lanceolata(キュルトプレウラ・ランケオラータ)。
ネットのチラ見情報によれば、Cyrtopleura 属には現在3種が含まれており、中でも最初にリンネが命名したC. costataというのが、最も有名かつポピュラーな存在で、英語のAngael wing は、厳密にはこの種を指すという人もいますが、3種とも姿形はよく似ているので、一般名としては全部まとめて「天使の翼」と呼んでも良いのでしょう。

自然の造形も驚きですが、これを天使の翼と呼んだ人の発想もすばらしい。

   ★

もう一つは丸皿サンゴの一種。


ダーウィンルームのスタッフの方は、「シイタケみたいですねえ」と言われましたが、それ以来シイタケにしか見えなくなりました(笑)。でもこの類は、科名で言うと「クサビライシ科」で、「くさびら」とはキノコの古名だそうですから、やっぱり誰もがキノコを連想するのでしょう。これまた「名は体を表す」というか、自然の造形の妙と、秀逸なネーミングの取り合わせの例ですね。

(裏側)

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今回は出張の合間で、しかも神保町でも買物をしたので、ストイックに振る舞わざるを得なかったのは、かえすがえすも残念でした。本当は各種昆虫標本にも強く心を奪われたのですが、やむを得ず断念。
しかし、せっかくダーウィンルームに来たのですから、何か強烈なインパクトのあるものはないか?と思って選んだのがこれです。


熱帯~亜熱帯の樹林に育つ、つる性のマメ科植物「モダマ」の莢(種子入り)です。
これはアフリカ産のEntada phaseoloides(エンターダ・パセオロイデス)。

(余談ですが、ラベルに「採集地:ブルキナファソ」とあって、私はブルキナファソが西アフリカにある独立国の名前で、この地域には11世紀以来王国が栄えていた、という事実を今回初めて知りました。)

さて、これがどれぐらい大きいかというと…



これぐらい大きいのです。全長は約90センチ。どうです、大きいでしょう。
でも、もっと大きいのもざらにあるようです。

モダマの仲間は日本の南西諸島にも分布していて、その種子は黒潮に乗って本土にまで流れ着き、ビーチコーマー(漂着物採集家)にとっては、恰好の収集対象なのだとか。南方憧憬を誘う品ですね。

   ★

本日、ダーウィンルームさんから正式に画像を提供していただいたので、次回、改めて店舗の様子を大きな画像でご紹介したいと思います。(ひょっとしたら、ネットでは本邦初!かもしれないので、刮目してお待ちください。)

京都ヴンダーみやげ2011年10月29日 21時25分22秒

取り置きを頼んでおいた古書をオーダーしたら、
「先に別口から正式発注を受けたので、もうありません」
という返事。そんな馬鹿な!それでは取り置きの意味がない。唖然。。。

   ★

…という愚痴はさておき、旅の楽しみはお土産です。
まあ、これは普段ほとんど外出しない、私のような人間だからこその楽しみで、旅行好きの人がその都度お土産を買っていたら、あっという間に部屋がいっぱいになってしまうのではないでしょうか。

さて、今回の京都みやげは以下の品々です。


益富地学会館では、ささやかな値段の鉱物標本を、京大博物館ではシーボルトの『日本植物誌』をもとにしたオリジナル絵葉書を買い求めました。

奈良県柳生産の水晶。

ニュートリノとスーパーカミオカンデに敬意を表して、岐阜県神岡鉱山の異極鉱。

シーボルトといえばアジサイ…と思っていましたが、今wikipedia↓を見たら、それについては喧しい議論もあるようです。「シーボルトとあじさいと牧野富太郎」の項参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4

(もう1つの品は次回詳細に)

千年の古都で、博物ヴンダー散歩…島津創業記念館(3)2011年10月23日 17時58分57秒

■S.Uさん、たつきさんからのコメントへのお答に代えて■

昨日、島津製作所と科学ロマンについて、お二人からコメント欄で言及がありました。
「島津製作所には科学に対するロマンの香りがある!」
実に素晴らしいことです。ただ、この「香り」が、馥郁と香っているのか、はたまた単なる残り香なのか、ふと気になりました。
科学に対する人々の思いが、不安と不信に塗りつぶされようとしている今、科学へのロマンはどんな形をとりうるのか?あるいは、どんな形で再生するのか?

昨日何気なく手に取った本に、その「答」が書かれていました。
その本は冒頭で、「今日、科学と社会の間の界面(インターフェース)を活性化させるために、われわれに足りないもの、それは「もうひとりの○○○○」である」と力強く宣言していました。○○○○に入るのは、初代・島津源蔵(1839-1894)の11年前に生まれ、11年後に死んだ、あるフランス人の名前です。

その名は「ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)」。
文化と研究を、無知な文科系と教養なき科学者を和解させ、縫合し、知識と同時に魅惑と驚異をもたらす人、それが今こそ必要なのだ!と、この一文の筆者ミシェル・セールは言います(私市保彦監訳、『ジュール・ヴェルヌの世紀―科学・冒険・《驚異の旅》』、東洋書林、2009、序文)。

島津源蔵の生涯は、そっくり「ヴェルヌの時代」と重なっていた…というのが、私なりの発見で、源蔵の夢とヴェルヌのそれは、必ずどこかでつながっている気がします。ひとつの時代精神とでもいいますか。

源蔵の衣鉢を継ぐ者はいますが、果たしてヴェルヌの方はどうか?
上の本の尻馬に乗って恐縮ですが、現代のヴェルヌの登場が待ち遠しいです。

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さて、創業記念館の見学をつづけます。


現在の京都科学(株)の前身は、明治28年(1895)に設立された島津製作所標本部です。当時の島津製作所は、物理・化学系の実験器具に加えて、生物標本や模型も手掛ける総合理科教材メーカーでした。そうした歴史を物語るのがこの展示です。


日本的な面ざしの人体模型。一種の殿様顔ですね。
(これには時代表記がありませんが、人体模型愛好家として言わせてもらうと、これは島津の製品でも後期に属するもの、たぶん昭和に入ってからの品ではないでしょうか。)


各種キノコの模型(蝋製か)。


哺乳類前脚比較標本(アシカ、ネコ、サル、モグラ、コウモリ)。


生物標本の展示ケースの前には、誘導機電機(ウィムシャースト感応起電機)が置かれています。ふつう教室で使うものよりもはるかに大型サイズで、バリバリ放電しそうです。


2階部分は小屋組がむき出しです。
島津の歴史をつぶさに見てきた、黒々とした木材。


創業資料館は、各地に残る自社製品の積極的な収集活動や、寄贈受け入れによって、コレクションを充実させてきました。そして館内には、寄贈品だけからなる展示コーナーができています。


たとえば上は、大谷高校が寄贈した「ワインホールド氏 水の底圧力試験器」。
このコーナーの傍らには次のような解説板がありました。

「歴史遺産として 保存に向けた取り組み

 当館は、製品保存や寄贈の受け入れ、収集活動により約1100点の理化学器械を収蔵しており、国内最多の展示数を誇っています。
 これらは、島津の歴史を語る品々として意義深いというだけのものではありません。近代日本を牽引してきた科学・技術と工業がどのように誕生し成長してきたかを、雄弁に物語ってくれる貴重な資料なのです。
 他にも国内には、京都大学所蔵の三高コレクションをはじめとして、各地の旧制高校由来の実験器具群が点在しており、それぞれについて関係者による調査、研究が行われてきました。理化学器械を貴重な歴史遺産として見直し、大切に保存する気運が高まっています。」

まさに然り。そして、このことは旧制高校レベルばかりでなく、戦前・戦後の小・中学校でも同じことだと思います。各地でポイポイ古い理科教材が捨てられていますが、ぜひ一考をお願いしたいところです。

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さてさて、博物ヴンダー散歩は、このあとジリジリ東へと向かいます。
次なる目的地は「京都大学総合博物館」。