「ハリー・ポッターと魔法の歴史」展によせて(5)…薬草学(下)2021年09月24日 17時53分17秒

書いていてちょっと疲れてきました。
思うに、ハリー・ポッター展にかこつけて手元の品を紹介しても、それで何か新しい事実が明らかになるわけでもないし、ポッター展の見方が深まるわけでもないので、そろそろ羊頭狗肉的な記事は終わりにしなければなりません。

ただ、ポッター展に触発されて、身辺に堆積したモノを眺めるとき、「はるけくも来たものかな…」と、個人的には感慨深いものがあります。(そして本の虫干しもできたわけです。)

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感慨といえば、「薬草学」の章の冒頭に登場した、ニコラス・カルペパー『英語で書かれた療法と薬草大全(English Physician and Complete Herbal)』、あれも個人的には思い出深い本です。手元の一冊は、7年前の冬にペンシルバニアの古書店から購入したものですが、その店主氏の困苦を思いやって以下の記事を書いたのでした。

何とてかかる憂き目をば見るべき

彼は今どうしているのだろう…と思って、(余計なお世話かもしれませんが)検索したら、お店は無事に存続しているようで、大いにホッとしました。良かったです。

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虫干しついでに、本の中身も見ておきます。
手元にある本は第1巻の標題ページが欠けており、正確な刊年は不明ですが、1794年ごろの版のようです。

(第1巻といっしょに綴じられた第2巻の標題ページ)


内容は上のような解説編と、さらに図版編からなり、解説編の方はイギリス国内向けに、植物名がラテン語ではなく、すべて平易な英語名になっているのが特徴です。その名称も「犬の舌」とか「聖ヨハネの麦芽汁」とか、いかにも民俗的な面白さがあります。和名を当てれば、それぞれ「オオルリソウ」と「セイヨウオトギリソウ」で、特に後者は非常にポピュラーな薬草です。



図版編の方は、上のような小さな植物図を収めたプレートが全部で29枚含まれていて、なかなか見ごたえがあります。


さらにその後ろに、朱刷りで解剖学の知識を伝える図が全11枚つづきます。


この本は、いわば当時の『家庭の医学』であり、18世紀の一般人の医学知識がどんなものだったかを知る意味でも、興味深いものがあります。


そして最後の1枚は、12星座と身体各部の対応関係を示す、古風な「獣帯人間」の図。19世紀を前にしても、まだまだミスティックな疾病観は健在で、本書がハリー・ポッター展に登場する資格は十分にあります。

そういえば、著者のカルペパーは薬剤師免許を持たなかったので、ロンドンの医師会と衝突し、1642年に魔術を使った廉で裁判にかけられた…というエピソードが、展覧会の図録に書かれていました。(結局無罪になったそうです。)

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以下、補足のメモ。昨日の文章に、「ヨハン・シェーンスペルガー(Johann Schönsperger the Elder、1455頃-1521) が手がけた、『健康の庭(Gart der Gesundheit)』」という本が出てきました。記事を書いてから気づきましたが、ハリー・ポッター展では、この本は「魔法薬学」のコーナーに登場しています。

(チラシより)

ただし、チラシにはヤコブ・マイデンバッハという名前が挙がっており、また図録には『Hortus Sanitatis』というタイトル――同じく「健康の庭」という意味のラテン語です――が記されています。

書誌がややこしいですが、シェーンスペルガー(別名 ハンス・シェーンスバーガー)は、1485年に出たアウグスブルク版(ドイツ語版)の版元であり、マイデンバッハは、1491年に出たマインツ版(ラテン語版)の版元です。

そして、この二つの『健康の庭』は内容がちょっと違っていて、ラテン語版はドイツ語版をタネ本にしつつも、そこに動物や鉱物由来の薬物を大幅に増補したものです(ドイツ語版は薬草専門)。まあ著作権のない時代ですから、そういう図太いパクリ本も横行したのでしょう。

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まだまだ関連して触れたい本はありますが、冒頭で書いたように、強いてハリー・ポッター展と絡める必然性は薄いので、それらは折を見て、また単品で扱いたいと思います。(錬金術や、魔法生物の話題もちょっと手が回りかねるので、今回は割愛します。例によって例のごとく竜頭蛇尾也。)

(この項おわり)

「ハリー・ポッターと魔法の歴史」展によせて(4)…薬草学(中)2021年09月23日 12時13分34秒



昔の本草書の破片たち。破片だけでは、ものの役に立ちませんが、当時の雰囲気を味わうにはこれで十分です。ちょっとしたホグワーツ気分ですね。そしてまた時代を追って見ていくと、学問や印刷技術の進歩が見て取れて、なかなか興味深いです。


これが昨日いった「インキュナブラ」の例で、1485年にヨハン・ペトリ(Johan Petri、1441-1511)が出版した『Herbarius Pataviae』(「パドヴァ本草」と訳すのか)の残欠。

いかにも古拙な絵です。この挿絵で対象を同定するのは困難でしょう。
キャプションには、ラテン名は Fraxinus、ドイツ名は Espenbaum とあります。でも前者なら「トネリコ」(モクセイ科)だし、後者の espen は aspen の異綴で、「ヤマナラシ、ポプラ」(ヤナギ科)の由。確かに葉っぱはポプラっぽいですが、トネリコにしろポプラにしろ、背丈のある樹木ですから、こんなひょろっとした草の姿に描かれるのは変です。下の説明文を読めば、その正体が明らかになるかもしれませんが、この亀甲文字で書かれたラテン語を相手に格闘するのは大変なので、これは宿題とします。

ちなみに、この1485年版の完本(ただし図版1枚欠)が、2014年のオークションに出た際の評価額は、19,200~24,000ユーロ、現在のレートだと約250~300万円です(結局落札されませんでした)。もちろん安くはないですが、同時代のグーテンベルク聖書が何億円だという話に比べれば、やっぱり安いは安いです。そして150枚の図版を含んだ本書が、1枚単位で切り売りされたら、リーズナブルな価格帯に落ち着くのも道理です。


こちらも1486年に出たインキュナブラ。ヨハン・シェーンスペルガー(Johann Schönsperger the Elder、1455頃-1521) が出版した、『健康の庭(Gart der Gesundheit)』の一部で、描かれているのはベリー類のようですが、内容未確認。

この風情はなかなかいいですね。中世とまでは言えないにしろ、中世趣味に訴えかけるものがあります。「いい歳をして中二病か」と言われそうですが、ここはあえて笑って受け止めたいです。

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これが100年経って、16世紀も終わり近くになると、植物の表現もより細かく正確になってきます。


アダム・ロニチェル(Adam Lonicer、1528-1586)が著した『草本誌(Kräuterbuch)』の1582年版より。これなら種の同定もできそうです。

(同書の別のページ。本書は6葉セットで買いました)

また図版の配置も整い、本の表情がいかにも「植物図鑑」ぽいです。植物図譜にも近代がやってきた感じです。


上はフォリオサイズの大判図譜の一部。イタリアのマッチョーリ(Pietro Andrea Mattioli、1501-1577頃)による、『Medici Senensis Commentarii』(これまたよく分かりませんが、「シエナ医学注解」とでも訳すんでしょうか)の1572年版(仏語版)より。

ここには植物(※)を慕う虫たちの姿が描かれていて、生態学的視点も入ってきているようです。後の植物図譜にも、虫たちを描き添える例があるので、その先蹤かもしれません。

(※)左側は「Le Cabaret」、右側は「Asarina」とあります。
キャバレーは、今のフランス語だとパブやナイトクラブの意らしいですが、植物名としては不明。見た目はナスタチウム(金蓮花)に似ています。アサリナは金魚草に似た水色の花をつける蔓植物とのことですが、これもあまりそれっぽく見えません。あるいはカンアオイ(Asarum)の仲間かもしれません。

(珍奇な植物がどんどん入ってきた時代を象徴するサボテン)

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ハリー・ポッター展から離れてしまいましたが、会場に並んでいるのも、要は“こういう雰囲気”のものです。会場に行けない憂さを、こうして部屋の中で晴らすのは、慎ましくもあり、人畜無害でもあり、休日の過ごし方としてそう悪くはないと信じます。

(さらに「下」につづく)

「ハリー・ポッターと魔法の歴史」展によせて(3)…薬草学(上)2021年09月22日 21時39分24秒


(チラシより)

ここでも図録の内容をまず列記しておきます。

ニコラス・カルペパー『英語で書かれた療法と薬草大全』(1789)
※初版は1652年。薬草の薬効と用法を網羅し、100以上の版が出た大ベストセラー。J.K.ローリングも、執筆の際に参考としたそうです。)
動物の角と骨で作られた播種・収穫用具
(※毎年生え変わる角を使うところに、呪術的意味合いがありました。)
12世紀の写本に描かれたベニバナセンブリ(※蛇に噛まれたときの薬です)
15世紀の写本に描かれたニワトコ(※これも対蛇薬)
ジョン・ジェラード『薬草書あるいは一般植物誌』(1579)所載、ヨモギニガヨモギ
レオンハルト・フックス『植物誌』(1542)所載、クリスマスローズの仲間
エリザベス・ブラックウェル『新奇な薬草』(1737~39)所載、ニワトコ
14世紀のアラビア語写本に描かれた雌雄のマンドレイク
ジョバンニ・カダモスト『図説薬草書』(15世紀)に描かれたマンドレイク
マンドレイクの根(16~17世紀)
○和書『花彙』(1750)所載、コンニャク(※シーボルト旧蔵書)
○華書『毒草』(19世紀)所載、タケニグサ


点数が多いですが、大半は昔の薬草書(本草書)です。
登場する薬草も様々ですが、ハリー・ポッターでも人気のマンドレイクは、とりわけ力を入れて紹介されています。

(図録の一部を寸借します)

これらの本草書を彩る古拙な挿絵は、いかにも魔法学校の授業に出てきそうな雰囲気があります。

ただ冷静に考えると、写本の時代はともかく、印刷本の段階に入ると、こうした薬草書は、人々の切実な需要にこたえるものとして、出版点数も多ければ、その刷り部数も非常に多かった気配があります。したがって、同時代人にとっては「秘密の書」というよりも、むしろ「ありふれた実用書」だったんじゃないでしょうか。

門外漢ながらそう思ったのは、その残存数であり、その価格です。
15~6世紀の本草書の「零葉」、つまり1ページずつバラで売っている紙片は、今も市場に大量に出回っており、気の利いた彩色ページでも、たぶん数千円ぐらいでしょう。

上で「15世紀」と書きましたが、1400年代に出た書物は、古書の世界では特に「インキュナブラ」(揺籃期出版物の意)と呼んで珍重しますが、本草書はそのインキュナブラであっても、零葉ならばやっぱりリーズナブルな価格帯に落ち着きます。これは出版部数の多さの反映であり、活版印刷が始まって、出版工房が最初にフル回転したジャンルのひとつが本草書だったんじゃないかなあ…と、資料に当たって調べたわけではありませんが、そんなふうに想像しています。

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薬草学(本草学)は薬学の一分科であり、大雑把にいうと医学分野です。
同時に、本草学のその後の発展を考えると、これは植物学の母体だともいえます。
以前、この二つの興味に導かれて、古い本草書に手を伸ばした時期があって、ちょうど良い折なので、ハリー・ポッター展に便乗して、それらを眺めてみます。

(この項つづく)

柳に月2021年03月29日 06時26分37秒

箸にも棒にもかからぬ…とはこのことでしょう。
戦時中のフレーズじゃありませんが、3月は文字通り「月月火水木金金」で、もはやパトラッシュをかき抱いて眠りたい気分です。しかし、それもようやく先が見えてきました。
まあ4月は4月で、いろいろ暗雲も漂っているのですが、先のことを気にしてもしょうがないので、まずは身体を休めるのが先です。

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今年は早々と桜が咲きました。
花びら越しに見上げる月も美しいし、雨に濡れる桜の風情も捨てがたいです。

そして爛漫たる桜と並んで、この時期見逃せないのが若葉の美しさで、今や様々な樹種が順々に芽吹いて、その緑のグラデーションは、桜に負けぬ華やぎに満ちています。

中でも昔の人が嘆賞したのが柳の緑で、その柔らかな浅緑と桜桃の薄紅の対比を、唐土の人は「柳緑花紅」と詠み、我が日の本も「柳桜をこきまぜて」こそ春の景色と言えるわけです。

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「花に月」も美しいですが、「柳に月」も文芸色の濃い取り合わせ。

(日本絵葉書会発行)

この明治時代の木版絵葉書は、銀地に柳と月を刷り込んで、実に洒落ています。

しかも機知を利かせて、「 の 額(ひたい)の櫛や 三日の 」と途中の文字を飛ばしているのは、絵柄と併せて読んでくれという注文で、読み下せば「青柳の 額の櫛や 三日の月」という句になります。作者は芭蕉門の俳人、宝井其角(たからいきかく、1661-1707)。

青柳の細い葉は、古来、佳人の美しい眉の形容です。
室町末期の連歌師、荒木田守武(あらきだもりたけ、1473-1549)は、「青柳の 眉かく岸の 額かな」と詠み、柳の揺れる岸辺に女性の白いひたいを連想しました。其角はさらに三日月の櫛をそこに挿したわけです。


春の夕暮れの色、細い三日月、風に揺れる柳の若葉。
その取り合わせを、妙齢の女性に譬えるかどうかはともかくとして、いかにもスッキリとした気分が、そこには感じられます。

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惜しむらくは、この絵葉書は月の向きが左右逆です。
これだと夕暮れ時の三日月ではなしに、夜明け前の有明月になってしまいます。でも、春の曙に揺れる柳の枝と繊細な有明月の取り合わせも、また美しい気がします。

(絵葉書の裏面。柳尽くしの絵柄の下に蛙。何だかんだ洒落ています。)

螺旋塔2021年03月17日 06時20分08秒

前回の杉の苗が入っていた壜は、サイズがちょうど好かったので、今ではこうして巻貝を入れて、棚に並べています。(ひっくり返した管壜が、細長い円筒ドームの役を果たしてくれます。)

(タケノコガイの仲間/ベニタケ?)

今さらながら、貝殻というのは不思議な形をしています。かつまた精妙です。
こんな形の尖塔を思い浮かべ、さらにその真下に立って、遥かなてっぺんを見上げている自分を想像すると、なんだかゾクゾクしてきます。

何でこんなものが天然自然にできるのか?


人の手によって生み出されたものと比べても、その完成度は頭抜けています。「人工」に対し「天工」という言葉がありますが、まさにそれです。

貝類の視覚は貧弱なので、自らの形を目で見て認識することはできないし、それを「美しい」とも思わないでしょう。その意味で、貝殻の美しさは、人間の頭の中だけにあるものです。

しかし、人間に美しさを感じさせる、その「形象の秩序」は、貝の成長様式の反映ですから、やっぱり貝の側に属しているはずで、命の営みが目に見える形を成していることが、人間の心を動かすのだと思います。

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貝つながりで言うと、「潮干狩り」は晩春の季語。これからがシーズン本番。
タケノコ狩りも同じ時期ですが、こちらは初夏の季語だそうで、俳句の季節感はなかなか細やかです。

天にウシを掘る2021年01月02日 11時05分43秒

ウシと天文といえば、おうし座のことがすぐ連想されますが、ここではちょっと視点を変えて、『銀河鉄道の夜』の世界に目を向けてみます。

(小林敏也(画)、パロル舎版 『銀河鉄道の夜』より)

 「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡をきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
 「くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿でやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔はたくさん居たさ。」 
(『銀河鉄道の夜』、「七、北十字とプリオシン海岸」より)

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鮮新世(Pliocene)を意味する「プリオシン海岸」のモデルは、賢治がたわむれに「イギリス海岸」と呼んだ、花巻郊外を流れる北上川の河岸というのが定説です。賢治はここでウシの足跡の化石を発見したことがあり、その足跡の主を、作中の大学士に「ボス」と呼ばせているわけです。

ボス(Bos)は「ウシ科ウシ属」のラテン名で、ここには複数の種が含まれます。現在、飼育されている家畜牛も当然そこに含まれます。ウシ属の中で特に「牛の先祖」と呼ばれているのは、ボス・プリミゲニウス(Bos primigenius)のことで、これはあらゆる家畜牛の祖先種に当たり、「原牛」とも呼ばれます。

ただし、賢治が発見した足跡の主は、ウシはウシでも、ボスとは別系統の「ハナイズミモリウシ」だと判明しています。では、岩手にボス・プリミゲニウスがいなかったかといえば、やっぱりいたらしい…というのがややこしいところで、ここで少し話を整理しておきます。

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黒澤弥悦氏(奥州市牛の博物館)の「モノが語る牛と人間の文化(2)岩手の牛たち」を拝読すると、大要以下のことが書かれています。

○1927年5月、岩手県南部の花泉村(現・一関市)でおびただしい数の獣骨が出土し、そこには2種類のウシの化石骨が含まれていた。
○1つは、現在ヨーロッパやアメリカにいる野牛(バイソン)に近い種類のハナイズミモリウシ(Leptobison hanaizumiensis)で、今から2万年程前の第四紀更新世後期の氷河期を生きた野牛である。
○もう一つは原牛(Bos primigenius)である。原牛は家畜牛の祖先種で、英名オーロックスの名で呼ばれることも多い。花泉で見つかった原牛も「岩手のオーロックス」と呼ばれたことがある。
○岩手のオーロックスとハナイズミモリウシは共に旧石器人の狩猟の対象とされ、また生息地の環境の変化などによって絶滅したと考えられる。

賢治がイギリス海岸で足跡の化石を見つけた1922年には、まだハナイズミモリウシが種として認知されていなかったので、賢治が自分の業績をハナイズミモリウシと結び付けて考えることは不可能でした。だからこそ、賢治はそれを「牛の先祖、すなわちボス」と書いたわけです。それ自体は誤認ですが、でも太古の岩手にはボスも暮らしていたので、トータルすれば、そう間違っているわけではありません。

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さて、ここまで書いて、ようやく毎年恒例の「骨」の写真を掲げることができます。


ネズミからウシへのバトンタッチ。
ウシの方はドイツのベンスハイムで発掘された、ボス・プリミゲニウスの後肢化石骨。年代は後期更新世・ヴュルム氷期(約10万〜7万年前)という説明を受けました。

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それにしても、誰かも書いていましたが、空の上の銀河のほとりで化石を掘るというのは、途方もなく不思議な発想ですね。空の地面はどこにあって、大学士たちは一体どっちの方向に向かって掘り進めているのか?

でも、つねに変わらぬ恒星世界にも、太古の存在があり、天界の住人たちも進化を続けている…というのは、たぶん当時ホットな、と同時に謎めいた話題であった「恒星進化論」を連想させます。ひょっとしたら、賢治の頭の隅にも、そのことがあったかもしれません。そして、その先には銀河系の進化や、宇宙そのものの進化の話題が続き、我々は今も天の化石探しを続けているのだ…とも言えます。

死と再生…年の瀬雑感2020年12月28日 21時17分46秒

今日は仕事納め。少し仕事を早上がりして、年末の用事を済ませてから、久しぶりに名古屋・伏見の antique Salon さんのドアをくぐりました。

午後のひと時、店主の市さんにコーヒーをご馳走になり、あれこれ四方山話をしながらも、いろいろ物想うことが多かったです。市さんが語る、業界の世態人情に関わるもろもろの話も興味深かったですし、このお店ばかりは、師走の風も、コロナの風も無縁に見えて、やっぱりその影響は及んでいるらしく、特に海外への買い付けが全くできないのが困ると、市さんは渋い顔でした。

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「玉青さん、最近手に入れて嬉しかった物はありますか?」
「今これが欲しいなあとか、これはぜひ手に入れたいと思う物は?」

突然そう聞かれて、いずれも即答できなかった自分に少しく驚きました。
市さんは特に深い意図なく、世間話の延長で聞かれたのだと思いますが、私にとってはかなりドキッとする問いで、帰り道もその言葉をずっと反芻していました。

私の蒐集行為が、最近どうもピリッとしないのは、結局この点に尽きるのでしょう。
もちろん、ちょっといいなと思う品や、こんど小金を手に入れたら、きっとこれを買おうと思っている品は、いくつかあるのですが、身を焦がすほどに憧れる対象が、最近どうも無いなあ…と、改めて自覚されたのでした。

これは私が「得るべき程のものは得つ」という境地に達したからなのか、あるいは寄る年波で物欲が衰えたせいなのか、はたまた世間の沈滞ムードが知らず知らずのうちに私にも伝染したからなのか…?

答はにわかに出ませんが、ひそかに煩悶を抱きつつ、antique Salon さんで買わせていただいた物がひとつあります。


薄青の小さな擬卵。
卵は言うまでもなく復活のシンボルであり、この私自身の似姿(=玉青)に、自分自身の再生の祈りをこめた…というのは、つまらない自己満足に過ぎませんが、明くる年への期待を込めて、今年の買い納めにはふさわしい品だ…と、自分では思っています。

墓参り2020年08月10日 11時13分30秒

今年の夏はこんな有様ですから、帰省もお墓参りもできません。
しょうがないので、よその家のお墓参りをすることにします。

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『気球に乗って。ユングフラウを越えてイタリアへ』の紹介記事を書くにあたって、著者ゲプハルト・グイヤーのことを調べていたら、ひょっこり彼のお墓の前に出ました。もちろんネット世界でのことです。


場所はチューリッヒ東郊、バウマの町の一角。
グイヤー家は鉄道事業で成功した、地元の名望家でしたから、そのお墓も立派で、ゲプハルトのお父さんにあたるアドルフ・ハインリヒの肖像を中心に、一族の名前がずらりと刻まれています。ヨーロッパにも、「○○家先祖代々の墓」みたいなのが、やっぱりあるんですね。

20代でユングフラウ鉄道の支配人を務めた、我らがゲプハルト・グイヤーは同家の三男坊。墓石を見ていくと、一族の名前の中に、ゲプハルトと妻マリーの名が、「GEBHARD GUYER 1880 – 1960」、「MARIE GUYER-LÖBENBERG 1878 – 1959」として読み取ることができます。

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ゲプハルト・グイヤーは気球に乗って広大な視野を獲得しました。
現代の我々は、たとえ懐が素寒貧でも、ネットによってさらに広大な視野を得ることに成功しています。それが良いか悪いか、まあせいぜい良いと思って、より良いものとなるよう努めるしかないんでしょうね。

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縁あってお墓に詣でたので、夫妻に花を一輪手向けておきます。


グイヤーも日ごろ目にしたであろうエーデルワイス。
花言葉は「大切な思い出」。

それ自体が花のように美しい『Atlas der Alpenflora(アルプス植物図鑑)』(Anton Hartinger & Dalla Torre(著)、Eigenthum und Verlag des Deutschen und Oester(Wien)刊、1884)の表紙から採りました。



桜図譜のはなし(3)… 佐野藤右衛門『桜』(後編)2020年04月08日 19時11分16秒

「畢生の大作」という言い回しがあります。
「生涯を通じて最高の大作」という意味です。

著者・佐野藤右衛門(以下、物故者は敬称略)にとって、本書がまさにそれだと思います。本書は著者の還暦記念出版であり、当時のことですから、60歳ともなれば、死をごく身近に感じて、その出版を急いだと想像します。

だからこそ、本書の完成は著者にとって格別喜びに満ちたものであり、政治家で旧子爵の岡部長景、ノーベル賞学者の湯川秀樹、京都市長の高山義三、造園界の大立者である丹羽鼎三や井下清…といった紳士貴顕の寄せた序文が、巻頭をずらっと飾るのも、その晴れやかさの表れでしょう。

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図鑑というのは、たいてい多くの人の協力によって出来上がるものですから、ふつうの本とは違って「誰それが著者だ」と、スパッと言い難いことがあります。この『桜』の場合も、桜の原図を描いたのは、日本画家の堀井香坡と小松春夫であり、本文の学術解説を書いたのは、当時国立科学博物館にいた大井次三郎(植物学)です。

では、著者とされる佐野藤右衛門はいったい何をしたのか、何もしてないじゃないか…と思ったら大間違いで、この本は、すべて彼の企画・発案になるものであり、掲載の桜は、ことごとく彼と、その父親である先代藤右衛門が、全国を桜行脚して収集し、手ずから育てた、我が子にも等しい木々なのです。本書は、多くの苦労を伴って成し遂げられた、その偉業の集大成であり、まさに記念碑的著作。

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「佐野藤右衛門」の名は、「現代の桜守」としてマスコミに登場することが多いようです。佐野家は「植藤(うえとう)」の屋号で、江戸時代から造園業を営む家で、マスコミで拝見することの多い当代の藤右衛門氏(1928-)はその16代目。御年90歳を越えて、なお壮健と聞き及びます。

そして、『桜』の著者である藤右衛門は、そのお父さんに当たる15代藤右衛門(1900-1981)です。

(左・15代、右・16代藤右衛門氏。父子だけあって面差しが似ていますね。左は『桜』掲載写真、右は講談社刊・『桜守のはなし』表紙より)

造園業者であれば、桜の木を扱うことも多いでしょうし、「桜守」の名も別に突飛な感じはしないのですが、佐野家が深く桜に関わるようになったのは、さらに一代遡って、14代藤右衛門(1874-1934)の代からで、その時期は大正15年ですから、「植藤」の家業の中では、わりと後発の仕事に属します。

(昭和5年(1930)、藤右衛門が育てた実生の山桜の中から見出された八重咲き品種。親交のあった牧野富太郎によって「佐野桜」と命名されました。)

そのきっかけは、大正6,7年ごろ、大典記念京都植物園(現・京都府立植物園)に、植藤から植木を納入した際、そこの主任技師であった寺崎良策と知己になったことです。寺崎はその後東京に転じて、荒川堤の桜育成に関わり、さらに日本の桜品を一か所に集めた名所作りに奔走していたのですが、人世無常なり。

 「ところが、大正十五年はからずも寺崎氏の訃報に接し、父は急遽東上して良策氏の令兄新策氏に会った。新策氏は「弟は自分の遺志をつぐ者は京都の佐野しかいない」という遺言を父に伝えた。父は感激して必ず微力をつくすことを誓い京都に帰ると、私を呼んで「おれはこれから桜の蒐集をやる。お前はわしに代って家業のかたわら桜の栽培をやってくれ」と言った。
 以来父は桜を尋ねて全国を歩き廻り、私は家業と共に桜の栽培に力をそそぐことになった。」 
(本書巻末掲載の「さくら随想」より「桜を知る」の章より)

…という次第で、昭和9年(1934)に14代が亡くなると、こんどは当時34歳の次代が15代となり、内地はもちろん樺太、朝鮮、満州までも足を延ばし、蒐集行を続けました。

桜の蒐集というのは、既に知られた各地の名木を分けてもらうとか、そんな生易しいものばかりではなく、走る汽車やバスの中から、民家の軒先でもどこでも「これは!」という桜を見つけると、翌年二月ごろ、記憶をたどって再度尋ねていき、接ぎ木用の穂(枝先)を譲ってもらうという、大変手間のかかるものでした。1回の旅で5~6種の収穫があったそうですが、その接ぎ木にも家伝のコツがあって、

 「接木は夫婦協力するのが、イキが合うといのかきわめて活着率がいい。あたかも子供を育てるようなものである。私は桜の接木には格別苦労しているが、接木を終ったあとで雨でも降ると、夜中であろうと一家中が飛び起きて、雨覆いをするやらいろいろと手配をする。第三者から見ると気狂い沙汰と思われるかも知れないが、それほどにしなければ最良の結果は挙がらぬものである。」 (同)

その後、まもなく戦争の時代がきて、当初こそ軍部の御用で、中国大陸への桜植樹に従事したりしたものの、戦況の悪化とともに「植木職人も続々と徴用され、桜などにうき身をやつす者は国賊呼ばわりされる世情」となり、言うに言われぬ苦労を重ねられた末、「敗戦後二年ばかりはそういう私すら桜に関心を失ったくらいである」と、15代は述懐しています(同・「戦争を中心として」より。余談ながら、この辺の心情は、敗戦とともに一時星への関心を失った野尻抱影のことを思い起こさせます。)

戦後、世の中に落ち着きが戻るとともに、再び桜蒐集に取り組んだ結果が、6千坪の土地に植わった250種、3万本の桜たち。その中から代表的なものを100種余り精選して編んだのが、この大著『桜』です。ここで冒頭に戻って、本書をあえて15代藤右衛門「畢生の大作」と呼ぶ理由もお分かりいただけるでしょう。

(大島桜)

   ★

花あれば人あり。人あれば書物あり。
そして、そこにはまた歴史とドラマがあるわけです。

(この項つづく。閑語も弁ずべきこと多々。)

桜図譜のはなし(2)… 佐野藤右衛門『桜』(前編)2020年04月07日 17時20分48秒

桜と言えば花を賞するもの。
葉桜というのは、あまり芳しからぬものですが、葉桜の時期ともなれば、他の木々も若葉の装いをこらすのが自然の摂理で、これからは緑の美しい季節になります。

   ★

桜図譜の話を続けます。
最初に登場するのは、以下の本です。

(前回、でかでかと写っていたのは化粧箱で、中身はこんな表情です。左上は前の所有者が貼ったラベル。机の上では開くこともできないので、畳の部屋に持ち出して撮影しました。)

『桜 SAKURA; Flowering Cherries of Japan』
 〔15代〕佐野藤右衛門(著)、堀井香坡・小松春夫(画)、大井次三郎(解説文)
 光村推古書院、1961

(同書奥付。当時、1000部限定で出ました。)

(同目次・部分。総計101の種を収録しています。)

中身は下のような感じで、見開きの左側に解説、右側にアート紙に別刷りした図版を貼り込んであります。昔の美術書にまま見られる体裁です。

(品種名「胡蝶」)

(品種名「八重紅虎の尾」)

(同解説)

この印刷について、著者はこう述べています(字下げのない改行は引用者)。

 「本書の眼目はまず桜品〔おうひん〕の原色図版で、如何にして実物に忠実なものとして、最良の効果を挙ぐべきか、私の考慮はこの問題に集中されたのであります。

そこで考えられるのはカラー写真で、私は実際にあたってつぶさに調査し研究したのでありますが、遺憾ながら原色写真では桜の花をはじめ葉も枝も、すべて実物そのものの色彩光沢を表わすことが出来ないことを知ったのであります。

これより先私は実物の写生画の作成を思いたち、在洛の画家で元帝展審査員、現日展依嘱の堀井香坡氏及びその門下小松春夫氏を煩わし、父と私が蒐集した二百五十余種から代表的なものを選択し、前後二十数年かかって百六十余種の写生画を完成したのであります。

 この写生画を原色印刷に付して、その成果を確かめるために、私は色彩の異なるもの数種を試作せしめ、これを比較研究したのでありますが、十目の見るところ光村原色版印刷の技術が最もよく原画を表現し、他の追随をゆるさぬことを認識したのであります。それは原画の正確な再現に加えて、さらに生きた桜そのものの生彩光沢を発揮しているのであります。私の喜び、むしろそれは驚嘆といってよいものであります。そこで私は原色図版その他一切を光村原色版印刷所にゆだね、その発行を京都の光村推古書院に決定しました。」
 (著者序文「刊行に際して」より)

(「八重紅虎の尾」拡大)

(さらに拡大)

インクの退色もあるでしょうけれど、カラー印刷としては、今ならむしろ粗の部類で、そんなに大絶賛するほどでもないように思うのですが、60年前にはこれが最高水準の印刷でした。この間の技術の進歩をまざまざと感じます。

   ★

まあ、本書の場合は、純粋に図版を愛でるというよりは、著者の熱意にひたすら打たれるところに妙味があるのかもしれません。何といっても、本書は「この著者にしてこの著あり」としか言いようのないところがあって、その歴史性を珍重するに足りるからです。

(この項つづく)


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【閑語】

私の与太な予想はあっさりはずれて、安倍氏も緊急事態宣言を出しました。
当分、検束されることはなさそうですね。

ただ、検束はされないにしても、やってることは相変わらずデタラメだなあ…と思います。安倍氏は、コロナ対策に108兆円かけるのだと威張っています。国民1人当たりにすれば――お年寄りも赤ちゃんも含めて――ざっと100万円にあたります。このお金が流れ流れて、果たしてどこにいくのか?

例えば、我が家は現在5人暮らしなので、500万円相当の予算が割り振られているはずですが、直接的な恩恵は、今のところ例の布マスク2枚だけです。これはいったいどういうことか?

まあ、我が家のことは脇においても、今この瞬間、生活が立ち行かない人々の休業補償や生活保障に、108兆円のうち、いったいどれだけ割かれるのか?あるいは、医療崩壊が叫ばれる中、医療資源の拡充にどれだけ予算が充てられるのか? 

何だかんだ言って、最後は火事場泥棒みたいな連中の懐にみんな入ってしまうんじゃないかと、そのことが気がかりでなりません。というか、今の政権のやり方を見ていると、それ以外の可能性が思い浮かびません。(さらに言えば、政権そのものが火事場泥棒の集団のように私には見えています。)

理性のあるメディアは、その辺を特にしっかり報道してほしいと思います。