ついに解明された火星の謎2017年11月16日 07時57分27秒

エクスの謝肉祭の件もそうですが、何事も「継続は力なり」で、こんなブログでも続けていれば、以前は見えなかったものが徐々に見えてくるものです。今日も今日とて、謎が1つ解けました。

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下は以前登場した絵葉書。


女A 「あら、金星が見えるわ」
女B 「あたしの方は木星が見えるわ」
男 「おいらにゃ火星が見えるよ」

――という掛け合いの、結局何がオチになっているのか、なんで男が火星を持ち出したのかよく分からんなあ…というのが、これまで一種の「謎」でした。何だか下らない話題ですが、気になる時は気になるもので、私は過去2回までも記事にして、その「謎」を追ってきました。

■ある火星観測

■金星、木星、火星のイメージを追う

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しかし、その強固な謎も、別の絵葉書によって、ついに解明されました。

(1920年前後、ロンドンの Art & Humour Publishing 社から出たコミック絵葉書)

女 「あれは金星じゃないかしら?」
男 「ボクには火星のように見えるがね。」

そう、火星の運河論争がほぼ終結した1920年前後、当時の男性は、なぜか女性の赤い下着を見ると火星を連想し、それがまた笑いを誘うネタとして、世間に流通していたらしいのです。したがって、例の男も、女性のスカートの奥に赤い下着を発見して「火星が見える」とうそぶいたに相違なく、そうと分かってみれば、実に単純なオチです。

まあ、こんなことを100年後の現代に力説してもしょうがないのですが、いかにツマラナイなことでも、謎が解けるのはちょっと気分がいいものです。

宇宙の謝肉祭(その2)2017年11月12日 10時51分17秒



昨日登場した、「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」と題されたカーニヴァルの山車。別テイクの絵葉書も購入したので、そちらも貼っておきます。

(一部拡大)

まあるい地球に覆いかぶさるように、巨大な星が接近しています。
この星が火星なのでしょう。作り物の星の中央やギザギザの先っぽには穴が開いていて、子供たちが顔をのぞかせています。そして、とんがり帽子の可愛い天文学者が、望遠鏡でそれを眺めているという趣向。

昨日も書いたように、この火星の山車が町を練り歩いたのは1912年のことです。日本でいえば、ちょうど大正元年。それにしても、この年になぜ火星の演目が登場したのでしょう?

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火星の公転周期は2年弱。いっぽう地球の公転周期は1年ですから、火星がゆっくり公転している脇を、地球が2年2か月にいっぺんの割合で、シュッと追い抜く格好になります。この追い抜く瞬間が、地球が火星に最も接近する時で、天文学用語でいうところの「衝(しょう)」です。

地球や火星の軌道がまん丸なら、地球と火星が最接近する距離はいつも同一のはずですが、実際には楕円ですから、衝の際の距離も、そのタイミングによってずいぶん伸び縮みします。両者が目立って接近するのが、いわゆる「火星の大接近」で、近年の大接近の例は、あすとろけいさんの以下のページに載っています。


リンク先の表によれば、1909年にかなり目立つ大接近があったことが分かります。ただ、それにしても「歴史に残る超大接近」というほどではありませんでした。

それでも、この時期に、火星がお祭りに登場するぐらい世間の注目を集めたのは、この1909年に行われた観測が、くすぶり続ける火星の運河論争に改めて火をつけて、いよいよ1870年代末から続く「火星の運河をめぐる三十年戦争」の最終決戦が幕を開け、学界における論争が、新聞報道を通じて市民に伝わったからだ…と想像します。

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そもそも火星の運河論争は、1877年に勃発しました。
この年も火星大接近のときで、火付け役はイタリアのジョヴァンニ・スキャパレリ(1835-1910)です。このときスキャパレリは、口径20cmの望遠鏡で火星を観測し、翌1878年に、彼がそこで見たとする「運河」について、大部な報告を行ないました。

続く1880年代、このスキャパレリと、その説に惚れ込んだフランスのカミーユ・フラマリオン(1842-1925)が、運河説を大いに唱道しました。さらに下って1890年代には、視力の衰えたスキャパレリに代わって、アメリカのパーシヴァル・ローエル(1855-1916)が参戦し、運河派は大いに気勢を挙げたのです。

(スキャパレリの火星図。http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/10/21/

それに対して、イギリスのナサニエル・E.グリーン(1823-1899)エドワード・モーンダー(1851-1928)といった天文学者は、「それは目の錯覚に過ぎない」という論陣を張りました。(といっても、これは国別対抗で争ったわけではなく、各国で運河派と錯覚派が入り乱れていたのです。)

この論争は、結局のところ「見える」「見えない」の水掛け論になりがちです。

錯覚派の「もし運河があるなら、運河派の観測者が互いに独立にスケッチをした時、そこに共通した図が描かれるはずなのに、あまりにも結果が食い違うじゃないか」という主張は、大いに筋が通っていましたが、「火星の知的生命」に対する憧れは、あまりにも強く、また運河派領袖の世間的名声は大したものでしたから、錯覚派が運河派を圧倒することは、なかなか困難だったのです。

しかしその間にも、火星の分光学的観測に基づいて、火星に水が存在することを否定する論が強まるなど、学界における運河派包囲網は、ひそかにせばまりつつありました。そんな中で迎えたのが1909年の大接近です。

以下、マイケル・J.クロウの『地球外生命論争』(邦訳2001、工作舎)から引用します(引用に当り、漢数字を算用数字に置き換え、文中の傍点部は太字で表記しました)。

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1909年のすばらしい火星の衝は、1909年にほぼ90の、そして1910年にも同数の出版物の洪水をもたらした。アントニアディは24あるいはそれ以上の論文を著した。〔…〕32.7インチのムドン屈折望遠鏡で火星を観測し、〔…〕1909年12月23日付けの論文の中で、次のように主張している。巨大望遠鏡の高解像度の下で運河が消滅したことから、次の結論が正当化される。

[火星の]真の外観は、…地球や月の外観と似ている。
②良い視界の下では、幾何学的なネットワークのいかなる痕跡も存在しない。
そして、
③惑星の「大陸部分」は、非常に不規則な外観や明暗度を持った無数の薄暗い点によって斑になっている。その散発的な集まりは、小さな望遠鏡の場合、スキアパレッリの「運河」組織に見える。


そして彼は「われわれは疑いもなく、いまだかつて一つの真正の運河をも火星に見たことはない…」という。 (上掲書、pp885-6)

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運河派に強力な一撃を加えたのが、誰あろう、かつての運河派の一人で、フラマリオンの腹心でもあったウジェーヌ・アントニアディ(1870-1944)であり、彼が拠って立ったのが、パリ近郊のムードン天文台であった…ということが、フランスの人々に一種独特の感慨をもたらしたんではないかなあ…と、これまた想像ですが、そんな気がします。そして、そういう一種独特のムードの中で、エクスの町の人は、あの火星の山車を作り、そして歓呼の中、練り歩いたわけです。

運河があればあったで、そして無ければ無いで、火星はこの間常に地球に影響を及ぼしてきました。まさに、それこそが「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」です。


(エクスの絵葉書の話題はまだ続きます)

宇宙の謝肉祭(その1)2017年11月11日 16時33分19秒

最近、立て続けに妙な絵葉書を目にしました。

「妙な」といっても、同じ被写体を映した絵葉書は、以前も登場済みです。
それは、南仏・エクス(エクス=アン=プロヴァンス)の町のカーニヴァルで引き回された、星の形をかたどった不思議な山車を写したものです。

(画像再掲。元記事は以下)

天の星、地の星


エクスはマルセイユのすぐ北にあり、これぐらいの縮尺だと、その名も表示されないぐらいの小都市です。でも、その歴史はローマ時代に遡り、往時の執政官の名にちなみ、古くは「アクアエ・セクスティアエ(セクスティウスの水)」と呼ばれたのが転訛して「エクス」になった…というのを、さっきウィキペディアで知りました。

その名の通り、水の豊富な土地で、今も町のあちこちに噴水が湧き出ているそうです。そして、多くの高等教育機関を擁する学園都市にして、画家・セザンヌの出身地としても名高い、なかなか魅力的な町らしいです。

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今回まず見つけたのは、上と同じ山車を写した、別の絵葉書でした。


まだ芽吹きの時期には早いですが、いかにも陽の明るい早春の街をゆく山車行列。
道化姿の男たちと、馬に乗ったとんがり帽子の天文学者に先導されて、大きな星形の山車がしずしずと進んでいく様は、上の絵葉書と変わりません。こちらも「流れ星の天文学(L'astronomie sur l'étoile filante)」と題されていますから、これがこの山車の正式な呼び名なのでしょう。

(一部拡大)

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で、何が「妙」かといえば、この絵葉書に続けて、偶然こんな絵葉書も見つけたのでした。


こちらは、「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」と題された、これまた星形の山車です。そして、この絵葉書には「1912年」という年号が、欄外に明記されています。

(一部拡大)

これまで、他の町でも行われた同様の催しを手がかりに、冒頭に登場した山車は、1910年のハレー彗星接近をテーマにした、一種の時事ネタ的演目だろうと推測して、これまで疑うことがありませんでした。でも、この火星の絵葉書を見つけたことで、上の推測は再考を迫られることになったのです。

要するに、エクスの町のカーニヴァルには、天文モチーフの山車が複数登場しており、その登場時期もハレー彗星騒動があった1910年に限らない…ということが、この葉書から判明したわけです。

そういう視点で探してみたら、確かにエクスのカーニヴァルには、他にも天体を素材にした山車がたびたび登場していました。他の町はいざ知らず、少なくとも20世紀初頭のエクスの町では、天文モチーフの山車が毎年のように作られ、人気を博したようです。何だか不思議な町です。

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関連する他の絵葉書のこと、そして、この1912年に登場した火星の山車の時代背景について、次回以降考えてみます。

(この項つづく)

飛べ、スペース・パトロール2017年10月13日 06時52分33秒

くるくる回るのは星座早見のみにあらず。


1950年代のルーレット式スピン玩具。アメリカから里帰りした日本製です。


紙製の筒箱の脇から突き出た黒いボタンをプッシュすると、


スペースパトロールの乗った宇宙船が、クルクルクル…と高速回転し、やがてピタッと目的の星を指し示します。

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初の人工衛星、ソ連のスプートニク1号が飛んだのが1957年。
それに対抗して、アメリカがエクスプローラー1号を打ち上げたのが1958年。

ここに米ソの熾烈な宇宙開発競争が始まり、わずか12年後(1969年)には、有人月面探査という格段の難仕事を成し遂げるまでになりました。

こうした現実の技術開発を背景として、更にその先に予見された「宇宙旅行」「宇宙探検」に胸を躍らせ、SFチックな「宇宙ヒーロー」に喝采を送ったのが、1950~60年代、いわゆるスペース・エイジの子どもたちでした。

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上の玩具を作ったのは、もちろん子どもではなく大人ですが、そこはかとなく当時の子どもたちの気分を代弁しているかなあ…と思えるのが、「惑星の偉さの序列」です。

まずいちばん偉いのは何と言っても火星で、火星は100点満点。
今でも火星は人々の興味を引く天体でしょうが、この火星の突出した偉さというか、崇めたてまつる感じが、まさに時代の気分だと思います。

火星に次いで偉いのは、太陽系最大の惑星・木星80点、そして土星50点。
金星はややロマンに欠けるのか40点どまり。
さらに、ごく身近なは30点で、地球はなんと0点です。

スペース・エイジの子どもたちの憧れが、どこに向いていたかを窺うに足る数字です。と同時に、当時の「宇宙」イメージが、いかにコンパクトだったかも分かります。

火星来たる(3)2016年07月03日 07時18分00秒

故郷の火星を飛び出して、宇宙空間を放浪し、地球に捕捉されて落ちてくるまで。
隕石が語り出せば、長い思い出話をしてくれることでしょう。

それにくらべれば、ずっとささやかですが、隕石が商品として流通する過程にも、いろいろ有為転変のエピソードがあるものです。


この品は、フランスの隕石ディーラーから買いました。
これは1997年に、12,000個作られたうちの1つで、通販専門チャンネルのQVCで売られたものだそうです(発売当時は、「Mars Owner’s Manual(火星オーナーの手引き)」というパンフが付属していましたが、手元の品にはありません)。

こう聞いただけでも、実に商魂たくましい、人間臭い背景がうかがえると思います。

1997年にこれを売り出したのは、Darryl Pittという人で、私はピット氏のことは何も知りませんでしたが、ネット上を徘徊しているうちに、次のような興味深い記事を見つけました。1997年11月18日付けの、ニューヨークタイムズの記事です(意味の取れない箇所が複数あったので、以下、かなり適当訳)。

Where Prices Are Out of This World (途方もない値段がつくところ)
  http://www.nytimes.com/1997/11/18/us/where-prices-are-out-of-this-world.html

 アリゾナ州ペイソン。マーヴィン・キルゴアは、探鉱者たち――金の粒を求めてアメリカ南西部中をくまなく探し回った武骨な男たちの流れを汲む者だ。
 
 「俺は言葉を覚えるよりも早く、金を探していたよ。」あたりにメスキートやチョヤサボテンが繁る、フェニックス近郊の、ここシエラ・アンチェス沙漠を歩きながら、キルゴア氏は言った。彼は片手につるはし、もう片方の手には金属探知機を持ち、汚れたテンガロンハットが、その顔に影を落としている。「俺の脳味噌はいつも石のことでいっぱいさ。」

 このところ、キルゴア氏(42歳)の心は浮き立っている。金のせいではない。隕石のせいだ。彼は金鉱探しをやめて、地球大気を通って焼けつくような旅を経験した、この貴重な天体に鞍替えしたのだ。

 その美しさと希少な成分を賞される標本の中には、1グラム――1オンスのわずか28分の1――当たり500ドル以上の値を付けるものもある。さらに火星からやって来た隕石(回収された隕石のうち、それはわずか12個に過ぎない)ともなれば、その値段は1グラム当たり1,000ドル以上に跳ね上がる。キルゴア氏は最近チリの沙漠まで旅したが、そこで隕石から得た収入は、1日あたり2,000ドルだった。

 「こいつは薄汚れた黒い石ころに見えるかもしれない。でも、どんな金ぴかの奴よりも、こいつの方がいいのさ。」と彼は言う。

 去年の夏、マーズ・パスファインダーが火星に着陸したことや、火星の隕石から原始的生命の痕跡が発見されたこと、さらに宇宙の塵(cosmic detritus)の価格が天文学的上昇を見せていることにより、アメリカ人は、今や熱い隕石ブームに巻き込まれつつある。1836年にナミビアで発見された鉄隕石――高さ16インチで並外れた曲線美を持っている――は、3年前に2,000ドルで売却されたが、去年オークションに出た際は4万ドルの値を付けた。

 惑星間を漂う物質の商いは、今や天井知らずである。ロレン・ヴェガは、通販専門チャンネル「QVC」で売られた火星隕石を、1個90ドル支払って買った4,000人の視聴者のうちの1人だ。彼が買ったのは、ナイジェリアで見つかったザガミ隕石の細粒入りの赤いキャップの小壜が、アクリルキューブ中に浮かんでいる品である。


 ニュージャージー州フランクリン・パークのレントゲン技師、ヴェガ氏(39歳)は語る。「テレビ番組で火星の写真を見ながら、『もしあの惑星の小石1個でも手にできたら、どんなに嬉しいだろう』と、私はひそかにつぶやいたんです。」

 まだキューブが届く前から、ヴェガ氏は書斎の棚にそれを置くための専用スペースを用意した。アラスカで手に入れた、毛の生えたマンモスの牙の化石と、ニューヨーク訪問中に買い入れた古代シュメールの石板のかけらの中間だ。

 マンハッタンのアッパーウエストサイドにある博物系ショップ「マキシラ&マンディブル(Maxilla & Mandible)」では、隕石のかけらを、ペンダントに加工した並品59ドルから、ウエハース大の火星隕石の切片2,000ドルまで販売している。

 「別の世界からやってきた品を所有するという考えに、人々は憑り付かれつつあるんです。」と、ショップオーナーのヘンリー・ガリアノは言う。「隕石は干し首の隣に置きたくなるような品なのでしょう。」

 ガリアノ氏は、総額3万ドルの隕石を昨年販売したが、買い手の中には、株よりも有利な投資先を探している者もいるという。「そういう人に、私は隕石を勧めるんです。絶対に大損はしませんからと。」

 しかし、最後には重力がものをいって、その価格も地に落ちるのではないかと懸念する業者もいる。「正直言って、そのうちバブルがはじけるんじゃないかと心配です。」と語るのは、コロラドの隕石蒐集家で、販売も行っているブレーン・リードである。「マーケットはいささか制御不能に陥っているように思います。」

 このブームは誰からも歓迎されているわけではない。青天井の価格上昇によって、趣味をあきらめざるを得ないコレクターもいるし、多くの科学者は標本マーケットに価格破壊をもたらした業者を呪っている。

 「こうした貴重な素材がスライスされ、イヤリングやアクセサリーに加工されるなんて、まったく恥ずべきことですよ。」と、テネシー大学地質学教授で、1,000人の会員を擁する隕石学会前会長のハリー・マクスウィーンは言う。「我々が隕石から学ぶべきことは、まだまだ多いのです。しかし、今のような状況では、博物館や科学者が真に重要なものを買うことはできません。我々はこの手の競争に不慣れなのです。」

 ニューヨークで音楽会社を経営するダリル・ピット(42歳)は、個人としては世界最大の隕石コレクションの1つを所有しており、彼こそ隕石マーケットをその頂点にまで持って行った人物かもしれない。

 2年前、ピット氏とそのパートナーは、1962年にナイジェリアで発見されたザガミ火星隕石(元の重さは40ポンド)から取った、握りこぶし大(400グラム)の石板を入手した。ピット氏は数か月かけて、その大きな塊を、販売に適した粒状にする方法を発見した。マンハッタンに製剤用具を備えた診療室を構え、最初は隕石の一部を粉状にしてしまったせいで、何千ドルも損をしたが、最後にはそのプロセスをマスターし、彼は2.5インチ角のアクリルキューブに入った微粒子を売り出した。


 このコレクター向けキューブの中身が、“車道の砂利”のように見えることはピット氏も認めるが、彼はこの“宇宙のパン粉”の販売こそ、消費者平等主義を促進する行いだと雄弁に語る。「金持ちだけが自分専用の火星のかけらを所有できるなんて、そんなことがあっていいのでしょうか?」と彼は言う。

 恐竜の化石とは異なり、多くの隕石は科学的価値や金銭的価値を減ずることなく分割できると、ピット氏は主張する。しかし、彼は多くの科学者の非難を浴びている。

 「隕石は複合的な物体であり、全体として研究されるのがいちばんです。」と、ヘイデン・プラネタリウムの学芸員であるマーティン・プリンツは言う。「端っこならちょっと削ってもいい、とはいかないんですよ。」

 とはいえ、隕石採集の経済的誘因が強まることは、もしそうでなかったら見過ごされたであろう隕石が見つかる可能性を高めると考える研究者もいる。「私はこの手の隕石屋が大っ嫌いなんですが、でも石を求めて何か月もサハラ砂漠をふるいにかけて歩こうなんていう人間は、結局あの連中ぐらいのもんでしょう。」と、匿名を条件に語ってくれた有名な某地質学者は言う。「せいぜい望みうるのは、彼らが見つけたものの一部と、あなたが余分に持っているものとを、彼らが交換してくれることでしょうね。」

 ニューヨーク在住の、フィリップス・インターナショナル・オークショナー社のオークション担当者で、評価鑑定人でもあるクローディア・フロリアンは、蒐集対象として隕石に対する関心が高まっていることに気づいた最初の一人である。2年前、彼女はフィリップス社として最初の隕石オークションを手がけ、30万ドルの売り上げを記録し、さらに2回目のオークションでは、売り上げは70万ドルに達した。

 「すべての標本が驚くようなストーリーを秘めています。」と彼女は言う。

 実際、魅力的なストーリーを秘めていればいるほど、その石の価値も高まる。5年前、ニューヨーク州ピークスキルで1台のシボレー・マリブを直撃したソフトボール大の隕石は、その組成に特に変わった点はなかったにもかかわらず、後に3万9,000ドルで売れた。

 フロリアン氏は、芸術的オブジェとして星間物質を熱狂的に愛しているものの、投資の対象としては推奨しない。「あなたも、たぶん地道に株をやったほうがいいと思われるでしょうね。」

 マーヴィン・キルゴアは隕石で金持ちになるつもりはないと言う。「俺は隕石を探し出して、そいつを眺めるのが大好きなのさ。もっとも、世界中旅を続けようと思ったら、見つけた物のいくつかは売りはらう必要があるがね。」と彼は言う。

 ペイソンにある隕石でいっぱいのリビングルームで、繁盛しているメールオーダービジネスを切り盛りしていないとき、彼と妻のキティは、二人して地球の果てまで新たな物質を求めて歩き回る。

 「何日たっても、何一つ見つからないこともあるよ。」と彼は言う。「だけど、言ってみりゃ金鉱にぶち当たるような時もあるのさ。」

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これを読んで、例のキューブ誕生の詳細や、隕石ブームに沸いた当時の世相を、まざまざと知ることができました。このキューブは、火星の素顔ばかりでなく、当時の熱気を伝える「文化史的資料」でもあったのです。さらに、1990年代はヴンダーカンマー・ブームのはしりでしたが、隕石はその文脈で語られていた節もあることが分かりました。

気になるのは、20年経った現在、隕石マーケットがどうなっているかですが、その辺は事情にうといので、よく知りません。

それにしても、人が隕石に注ぐ視線の何と人間的なことか。
金銭的欲望は言うまでもありません。
そして宇宙への憧れも、それに劣らず人間的な感情だと思います。
おそらく或る高みから望めば、両者にあまり隔たりはないでしょう。



火星来たる(2)2016年07月02日 08時58分24秒

今週はバタバタして、記事が書けませんでした。
そしてバタバタしているうちに、今年も既に半分終わり、何だか気ばかり焦ります。

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さて、火星にちなむものとは何か?
それはタイトルのとおり、火星そのものです。
火星にちなむものとして、これ以上のものはないでしょう。

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窓辺に置かれた、62ミリ角のアクリルキューブ。
その中に小さなガラス壜が封じ込められています。


この壜の中に、0.1カラット(20ミリグラム)の火星の断片が入っている…というのですが、はたしてどんなものでしょうか。

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よく「月の石」というのを、理系グッズの店で見かけます。
近年、南極での発見例が多いですが、地球に落ちてくる隕石のうちのいくつかは、成分分析の結果、月起源と推定されており、それをディーラーが入手して、砕片にしたものが、商品として流通しているわけです。(素性の確かな品も多いでしょうが、中にはかなりアヤシゲなのもあって、一種のジョークグッズとして扱われている気配もあります。)

あれの火星版があって、上の品もその1つです。
火星は何といっても月より遠いですし、その一部が――他の隕石が衝突した衝撃などによって――引力圏外に飛び出すための初速も、月よりずっと大きいので(月の脱出速度は秒速2.4km、火星は5.0km)、いきおい火星隕石は月隕石よりも数が少ないです。

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火星隕石について、NASAのジェット推進研究所のページから引用(青字部分)してみます。

■Mars Meteorites (by Ron Baalke)
 http://www2.jpl.nasa.gov/snc/index.html

これまで地球上で発見された約6万個の隕石のうち、火星起源のものと同定されたのは124個に過ぎない。1996年8月、NASAがこうした火星隕石のうちの1つに、微小化石の痕跡が存在するらしいと発表した際、この希少な隕石群は世界中に波紋を呼んだ。
下表は、同類の隕石をまとめて、ほぼ発見順に並べたものである。

…とあって、表は省略しますが、1815年にフランスで見つかった「シャッシニー隕石」から、2004年にアルジェリアで見つかった「NWA(North West Africa)2626隕石」までが、リストアップされています。

件の小壜の隕石は、1962年にナイジェリアで発見された「ザガミ(Zagami)隕石」というのに該当し、その解説(http://www2.jpl.nasa.gov/snc/zagami.html)をさらに読んでみると、

隕石名: ザガミ
発見地: ナイジェリア、Katsina地方、ザガミ
落下日時: 1962年10月3日
隕石タイプ: シャーゴッタイト(SNC)

1962年10月のある午後、トウモロコシ畑でカラスを追っていた1人の農夫のすぐそば、わずか10フィートのところに、この隕石は落下した。農夫は恐ろしい爆発音を聞き、圧力波に打ちのめされた。ドーンと煙が上がり、隕石は深さ約2フィートの穴にめり込んでいた。ザガミ隕石の重さは約18kg(40ポンド)あり、これまでに発見された単独の火星隕石としては最大のものである。

隕石はKaduna地質調査所に送られ、その後ある博物館に収蔵された。何年か後、隕石ディーラーのRobert Haagが、ザガミ隕石の大部分を入手した。個人コレクターにも手が届くSNC隕石として、ザガミ隕石は最も入手が容易なものである。

…というわけで、このザガミ隕石が人の手から手へと渡り歩くうちに、あたかも土地が徐々に細分化される如く、果てはこんな細かい砂粒となって、私のところに届いたわけです。

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ときに、上の引用中「シャーゴッタイト(SNC)」という言葉が出てきました。
隕石にも「隕鉄」とか「石質隕石」とかいろいろありますが、シャーゴッタイトは、石質隕石のうち「エイコンドライト」と呼ばれるグループに属するもので、主成分は輝石と長石です。

そして、エイコンドライトのうち、共通する特徴を持った、シャーゴッタイト、ナクライト、シャンナイトの3種の隕石を、まとめてSNC(スニック)と呼びます。

SNCが注目されたのは、形成年代の顕著な若さ(2000~3000万年前)と、母天体の火山活動に由来するらしいその成分です。この点から、SNCは最近までマグマ活動をしていた惑星に由来するものと推測され、さらに火星探査の成果として、その希ガスの含有量や同位体比を、火星の岩石と直接比較できるようになったおかげで、これは間違いなく火星由来のものだろう…と、言えるようになったのだそうです。

(上の記述は、F.ハイデ/F.ブロツカ(著)『隕石―宇宙からのタイムカプセル』を参考にしましたが、1996年に出た古い本なので、ひょっとしたら、現在の理解とは違うかもしれません。)

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火星隕石についてざっと事前学習したところで、手元の品の「人間的側面」も含めて、さらに話を続けます。

(この項つづく)

火星来たる(1)2016年06月28日 07時10分36秒

赤く光る星を見上げて、

「何か火星にちなむものが欲しいと思いました。
それが届く頃――きっと世間の関心が、火星から地上の闘争に移った頃に、またこの隣人の話題をすることにします。」

…と書いたのが、今月4日(http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/06/04/)。


やっと昨日、「それ」が届きました。
発送をめぐっていろいろトラブルがあったので遅くなりましたが、まさに地上の闘争が苛烈になってきた頃合いであり、軍神・マルスの話をするにはちょうど良い折です。

その火星にちなむものとは何か?
それはまた次回に… (と、例によって思わせぶりに書きますが、こういう「もったいぶり」は、本当にもったいぶっているわけではなく、大抵文章を書くのが追い付かないだけの場合が多いです)。

(追いつかないまま、この項つづく)

赤い星2016年06月04日 08時03分20秒

仕事帰りに家路をたどっていたら、坂道のてっぺんに大きく赤く光る星が見えて、「ああ、火星だ…」としみじみ思いました。目が衰えたせいで、もう眼鏡をかけても星像は定かに見えないのですが、あの朱のように濃く鮮やかなオレンジは、はっきり目に残りました。

火星接近のニュースに接しても、実際に空を見上げる余裕を失っている自分を哀れに思いますが、それだけに、ちょっとした出会いがとても嬉しく懐かしく思われます。

…というわけで、何か火星にちなむものが欲しいと思いました。
それが届く頃――きっと世間の関心が、火星から地上の闘争に移った頃に、またこの隣人の話題をすることにします。



赤い惑星に命を灯して…カテゴリー縦覧:火星編2015年03月11日 00時02分06秒

午後からの雪で、庭木が季節はずれの雪帽子をかぶっています。
3.11の涙雪、というわけでしょうか。
ぐんと底冷えのする晩です。

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下に掲げたのは、戦前、東亜天文協会(現・東亜天文学会)が、「天界八景」と銘打って発行した絵葉書のうちの1枚。


スケッチを残した中村要(なかむらかなめ 1904-1932)は、東亜天文協会を主宰した山本一清の愛弟子で、火星観測に関しては、日本におけるパイオニアです。

彼は1922年、同志社中学卒業と同時に、山本が教授を務めていた京大宇宙物理学教室の門を叩き、18歳の若さで「志願助手」という身分で、スタッフに採用されました。

彼は生来の「星の虫」で、アカデミックなキャリアこそ乏しかったですが、まさに好きこそものの上手なれ、京大では手練れの観測家として、また反射望遠鏡の鏡面研磨の名人として鳴らし、多くの名鏡を世に送り出しました。


彼が最も火星の観測に力を注いだのは、1924年と26年の接近時で、雑誌「天界」に頻々と報文を発表し、そのスケッチは、アメリカの「ポピュラー・アストロノミー」誌でも紹介されたそうです。

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溌剌たる20代を、愛する星に捧げ得た中村は、幸せな人だったと思います。

しかし、その幸せの絶頂の中で、彼は相次いで身内の死を経験し、さらに乱視により視力が低下して、思うように観測ができない状態に陥ってしまいます。自ら鋭眼を誇り、観測こそ生きがいであった人にとって、それがどれほど辛いことかは、察するに余りあります。

苦悶の末に、彼は郷里(滋賀県)の自宅で自ら死を選びました。
時に1932年(昭和7年)9月24日、享年28歳。

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この東亜天文協会の絵葉書セットは、昭和14,5年頃の発行とおぼしく、すでに中村の死から7~8年が経過していますが、故人のスケッチを、あえて絵葉書に含めたことには、深い鎮魂の意が込められていたのではないでしょうか。
深夜の雪を眺めていると、どうもそんな風に思えます。



【参考】
日本アマチュア天文史編纂会(編)、『改訂版 日本アマチュア天文史』、恒星社厚生閣、1995

金星、木星、火星のイメージを追う2013年12月23日 09時06分55秒

過去記事フォローシリーズ。
以前、下のような絵葉書を載せました。


そのときは、女A 「あら、金星が見えるわ」、女B「 あたしの方は木星が見えるわ」、男 「おいらにゃ火星が見えるよ」 …という掛け合いの、結局何がオチになっているのか、なんで男が火星を持ち出したのかよく分からんなあ…というところで話が終わっていました。

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一昨日、その謎を解くヒントとなりそうな、こんな絵葉書を購入しました。(まだ現物は輸送中なので、手元に届き次第、より鮮明な画像に差し替えます。議論の展開には影響ないので、商品写真をそのまま貼っておきます。)


1920年代のこれまたコミカルな絵葉書。
金星、木星、火星を擬人化して、海水浴客に見立てています。

これを見ると、当時は「金星=美女」、「火星=太った猛女タイプ」という見立てが一般的で、前の絵葉書もそれを踏まえたものか…と推測がつきます。また、そこに貧相な男(=木星)を配して、三者をセットにして何か言うというパターンも、一部で流行っていた気配があります。

このうち「金星=美女」は、Venus が美の女神であることを考えれば、ごく自然です。また、火星が猛々しいのも、Mars が軍神であり、古来凶星とされたので分かる気がします。しかし、それが「太った女性」であるのはなぜか(本来のマルスは、りりしい男神)、また天空を支配するJupiter が、なぜかくも貧相な男となってしまったのか? 実際の火星は、直径でいうと木星の約20分の1、並べばハムスターと相撲取りほど違うはずなので、両者の立場の逆転も気になります。

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謎を解くべく、こうしたマンガ的表現の類例をさらに求めて、「venus jupiter mars comic」で検索したら、こんな画像↓が出てきて、虚を突かれました。
http://www.flickr.com/photos/dtjaaaam/11098118194/

うむ、結局どの惑星も、大なり小なり火星的であるということか…」と、つまらないところで話を落としてしまいますが、上の謎は謎として真面目に(そんなに真面目でもないですが)考えてみたいと思います。