火星探検双六(5)2021年02月25日 08時50分04秒

(昨日のつづき)

「10 見張」

「11 火星軍総動員」「12 物すごい海中城」

火星の恐るべき科学力は、ロボット兵士を作り出すに至っています。そのロボット部隊に動員が下り、海中にそびえる軍事要塞から次々に飛来。


「13 海蛇艇の包囲」
さらに人型ロボットは、巨大な龍型ロボットを操作して、鼻息荒く主人公に襲い掛かってきます。メガホンで投降を呼びかける人型ロボットに対し、ハッチから日の丸を振って、攻撃の意思がないことを示す少年たち。

「14 なかなほり」「15 火星国の大歓迎」
至誠天に通ず。少年たちの純な心が相手を動かし、一転して和解です。
あとはひたすら歓迎の嵐。

「16 王様に謁見」

これが以前言及した場面です。ふたりは豪華な馬車で王宮に向かい、王様に拝謁し、うやうやしく黄金造りの太刀を献上します。(火星人はタコ型ではなく、完全に人の姿です。)

「17 火星の市街」

空中回廊で結ばれた超高層ビル群。この辺は地球の未来都市のイメージと同じです。

「18 魚のお舟」

「19 人造音楽師」

「20 お別れの大宴会」

火星の娯楽、珍味佳肴を堪能して、二人はいよいよ地球に帰還します。

「21 上り 日本へ!日本へ!」

嗚呼、威風堂々たる我らが日本男児。
何となく鬼が島から意気揚々と引き上げる桃太郎的なものを感じます。

それにしてもこの麒麟型の乗り物は何なんですかね?日少号は?
日少号は置き土産として、代わりに火星人に麒麟号をもらったということでしょうか。

   ★

今からちょうど90年前に出た1枚の双六。
ここでパーサビアランスのことを考えると、90年という時の重みに、頭が一瞬くらっとします。1世紀も経たないうちに、世の中はこうも変わるのですね。

しかも、一層驚くべきことは、この双六が出た30年後には、アメリカがアポロ計画をスタートさせ、それから10年もしないうちに、人間が月まで行ってしまったことです。

アポロの頃、この双六で遊んだ子供たちは、まだ40代、50代で社会の現役でした。当時のお父さんたちは、いったいどんな思いでアポロを見上げ、また自分の子供時代を振り返ったのでしょう?…まあ、実際は双六どころの話ではなく、その後の硝煙と機械油と空腹の記憶で、子供時代の思い出などかき消されてしまったかもですが、戦後の宇宙開発ブームを、当時の大人たちもこぞって歓呼したのは、おそらくこういう双六(に象徴される経験)の下地があったからでしょう。

(この項おわり)

火星探検双六(4)2021年02月24日 18時57分54秒

さっそく訂正です。
昨日の記事で、少年たちが麒麟に乗って地球に帰る直前、火星の王様と謁見し云々…と書きましたが、よく順番を目で追ったら、王様に謁見したあとも、いろいろなエピソードが続くので、この点をお詫びして訂正します。

   ★

それでは改めて「火星探検大双六」のストーリーを、コマごとに見ていきます。


「1 ふりだし 富士山上を出発」
日の丸の小旗を振って見送る群衆。敬礼して振り返る凛々しい少年冒険家。
少年たちが乗り込むのは真っ赤な機体の「日少号」、推力はロケット式です。樺島双六に登場したのは、プロペラで飛ぶ飛行船式のものでしたから、これはかなりの技術的進化です。

「2 雷雲にあふ」
高度を上げる機体の前に、真っ黒な雷雲が立ちふさがります。もちろん、ここに太鼓を持った雷様の姿はありません。

「3 雷雲突破」「4 星雲に大衝突」

無事雷雲を突破し、大気圏外に出たものの、月に到達する前に星雲に衝突…というのも変な話ですが、作り手も「星雲」の何たるかを、明瞭に認識していなかったんじゃないでしょうか。おそらく「宇宙空間に漂う怪しいガス」ぐらいに思っていたのかもしれません。背景のやたら土星っぽい星が浮かぶ宇宙イメージにも注目です。

「5 月世界到着」「6 月の探検」

20世紀ともなれば、月は荒涼たる世界で、月世界人はいないことが既に前提になっています(それでも火星人はいることを、大勢の人が信じていました)。船外活動する二人が、立派な宇宙服を着ているのも、すぐれて科学的描写です。

「7 ヤッ彗星だ」

彗星との邂逅は、樺島双六でもありました。どうも宇宙探検で、彗星は外せないイメージみたいですね。

「8 火星軍現る」「9 電波で墜落」

さあ、いよいよ火星に到着です。
しかし二人は歓迎されざる存在のようで、すぐに火星軍が恐るべき兵器で襲いかかってきます。

(手に汗握りつつ、この項さらにつづく)

火星探検双六(3)2021年02月23日 09時52分10秒

大日本雄弁会(現・講談社)が出した「少年倶楽部」(1914-1962)と並んで、一時は最もメジャーな少年誌だったのが、実業之日本社の「日本少年」(1906-1938)です。

もう1枚の火星探検双六とは、この「日本少年」の正月号付録です。
前回登場した樺島双六の4年後、昭和6年(1931)に出ました。その名も「火星探検双六」。(書き洩らしましたが、前回の樺島双六のサイズは約53.5×78.5cm、大双六の方は約54.5×79cmと、その名の通りちょっぴり大きいです。)

(こちらもタタミゼして、背景は畳です)

原案は野口青村、絵筆をとったのは鈴木御水。
野口青村は、当時「日本少年」の編集主筆を務めた人のようです。一方、鈴木御水(1898-1982)は、「秋田県出身。日本画の塚原霊山や伊東深水に師事。雑誌「キング」や「少年倶楽部」に口絵や挿絵を描き、とくに飛行機の挿絵にすぐれていた。」という経歴の人。

   ★

この大双六と樺島双六を比べると、いろいろ気づかされることがあります。
まず両者には、もちろん似たところもあります。


いきなり核心部分を突いてしまいますが、画面で最も目に付くであろう、この「上り」の絵。冒険を終えた二人の少年が、ペガサス風の聖獣麒麟に乗って、「日本へ!日本へ!」と凱旋の手を振っているところです。


そして、その直前の火星の王様に謁見する場面。二人は旭日旗を掲げ、恭しく太刀を王様に献上しています。はっきり言って、どちらも変な絵柄なんですが、こうしたお伽の国的描写において、大双六は樺島双六と共通しています(大双六の方が、いささか軍国調ではありますが)。

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その一方で、両者が著しく異なるのは、SF的要素の取り扱いです。

大双六には、樺島双六に欠けていた「最新空想科学」の成分がふんだんに盛り込まれており、火星探検ストーリーはお伽話ではなく、科学の領分であることをアピールしているようです。子供たちが科学に夢を抱き、火星にその夢を投影したというのは、戦後にも通底する流れですが、1931年当時、既にそれが少年たちのメインカルチャーとして存在したことを、この大双六は教えてくれます。(この点は、樺島双六でははっきり読み取れないので、何事も比較することは大事です。)

(科学冒険譚の細部に注目しつつ、この項つづく)

火星探検双六(2)2021年02月22日 21時38分47秒

(昨日のつづき)

おさらいとして、昨日の全体図を載せておきます。


双六なので、当然途中で行きつ戻りつがあるのですが、とりあえずマス目に沿って進みます。


地球を出発した飛行艇が訪れるのは、まず順当に月です。
ただ、その月は西洋風の「顔のある三日月」で、この旅がリアルな「科学的冒険譚」というよりも、「天界ファンタジー」であることを示唆しています。この辺は描き手の意識の問題であり(樺島画伯は明治21年の生まれです)、「少年倶楽部」という雑誌の性格もあるのでしょう。(これが「子供の科学」の付録だったら、もうちょっと違ったのかなあ…と思います。)


そして、月の次に訪れるのがなぜか土星で、さらに金星を経て、火星へ向かうというのは、順序としてメチャクチャなのですが、そこは天界ファンタジーです。そして途中で彗星に行き会い、いよいよ「火星国」に入ります。


火星国は、石積みの西洋風の塔が並ぶ場所とイメージされており、完全にファンタジックな夢の国です。


そして王国の首都らしき場所に入城し、「大運河巡遊船」に迎え入れられる場面が「上り」です。確かにそこは威容を誇る都ではありますが、いかにもサイエンスの匂いが希薄で、単なる「お伽の国」として描かれているようです。

もちろん、火星を科学文明の栄える場所として描くのも、まったくのファンタジーですから、そこは五十歩百歩と言えますけれど、後の「タコ足の火星人が、透明なヘルメットをかぶって『$#?@%#;+?~&@??』と喋っている」イメージとの懸隔は大きく、少なからず奇異な感じがします。

これが時代相なのか、それともやっぱり画家の資質の問題なのか、その辺を考えるために、もう1枚の火星探検双六を見てみます。

(この項つづく)

火星探検双六(1)2021年02月21日 15時00分39秒

NASAの火星探査機「パーサビアランス」が、無事火星に着陸しました。
火星では、これによって複数の探査車(ローバー)が同時にミッションに励むことになり、いよいよ火星有人飛行も視野に入ってきた感じです。

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イギリスのH・G・ウェルズが『宇宙戦争』を発表したのは1898年で、その邦訳は1915年(光用穆 みつもちきよし)、1929年(木村信児)、1941年(土屋光司)と、戦前に限っても3回出ています(LINK)。

アメリカのオーソン・ウェルズが、1938年に『宇宙戦争』をネタに、ドキュメンタリー風ラジオ番組を制作して、多くの人がパニックになった…と、面白おかしく語り伝えられていますけれど、少なくとも1900年代初頭まで、火星の運河が真顔で語られ、天文学者の一部は、火星人の存在にお墨付きを与えていましたから、それを笑うことはできません。(ちなみにイギリス人作家はWells、アメリカ人監督はWellesと綴るそうで、両者に血縁関係はありません。)

虚実の間をついて、人々の意識に大きな影響を及ぼした火星物語は、当然子ども文化にも波及し、日本では海野十三(うんのじゅうざ)が、『火星兵団』を1939~40年に新聞連載し、火星人と地球人の手に汗握る頭脳戦を描いて、好評を博しました。

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ちょっと前置きが長くなりましたが、そうした時代のムードを背景に作られた珍品を見てみます。1927年(昭和2)の「少年倶楽部」の付録、「火星国探検競争双六」です。

(双六だから畳でもいいか…と思って、背景は畳です)

原案は同誌編集局、絵筆をとったのは斯界の権威・樺島勝一画伯(かばしまかついち、1888-1965)。


正月号の付録ですから、当然前年中に発行準備が進んでいたのですが、何せ1926年という年は、大正天皇が12月25日に没するまでが「大正15年」で、「昭和元年」はほとんど無いに等しく、すぐ「昭和2年」となりましたから、修正が効かなかったのでしょう。欄外の文字を見ると、これは幻の「大正16年」新年号付録となっています。


振り出しは地球、それも東京のようです。
上部が見切れていますが、地球の上にもやもやと黒雲がかかり、2本の足が見えます。


その正体は何と太鼓をもった雷様。
火星探検と雷様が併存しているところが、大正末年の子ども文化の在りようでした。


ついでに言うと、この火星双六の裏面は「宮尾しげを先生画」の「弥二さん喜多さん東海道中滑稽双六」になっていて、これも時代を感じさせます。


さあ、雷様の妨害にも負けず、この雄大な飛行艇で火星に向けて出発です。

(この項つづく)

月の流れ星2020年12月27日 09時59分00秒

差し渡し2.5cmほどの小さな月のピンバッジ。


不思議なデザインです。月が尾を曳いて翔ぶなんて。
まあ、デザインした人はあまり深く考えず、漠然と夜空をイメージして、月と流星を合体させただけかもしれません。

でも、次のような絵を見ると、またちょっと見方が変わります。

(ジャン=ピエール・ヴェルデ(著)『天文不思議集』(創元社、1992)より)

邦訳の巻末注によると、「天空現象の眺め。ヘナン・コレクション。パリ国立図書館」とあって、たぶん16世紀頃の本の挿絵だと思います。

キャプションには、「月が火星の前を通過することがあるが、この現象を昔の人が見て解釈すると上の絵のようになる。火星は赤い星で戦争の神である。月は炎を吹き出し、炎の先にはするどい槍が出ている。」とあります。


月の横顔と炎の位置関係は逆ですが、このピンバッジにも立派な「槍」が生えていますし、何だか剣呑ですね。

【12月28日付記】
この「炎に包まれた槍」を、火星のシンボライズと見たのは、本の著者の勘違いらしく、その正体は、流れ星の親玉である火球であり、それを目撃したのはあのノストラダムスだ…という事実を、コメント欄で「パリの暇人」さんにお教えいただきました。ここに訂正をしておきます。詳細はコメント欄をご覧ください。

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月による火星の掩蔽(火星食)は、割と頻繁に起こっていて、国立天文台の惑星食のページ【LINK】から最近の火星食を抜き出すと、以下の通りです。

2019年07月04日 火星食 白昼の現象 関東以西で見える
2021年12月03日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2022年07月22日 火星食 日の入り後 本州の一部で見える
2024年05月05日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2025年02月10日 火星食 日の出の頃 北海道、日本海側の一部で見える
2030年06月01日 火星食 白昼の現象 南西諸島の一部を除く全国で見える

“頻繁”とはいえ、昼間だとそもそも火星は目に見えませんから、月がその前をよぎったことも分かりません。好条件で観測できるのはやっぱり相当稀な現象で、古人の目を引いたのでしょう。


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【閑語】

幕末の日本ではコレラが大流行して、大勢の人が亡くなりました。
庶人これを「コロリ」と称し、時代が明治となってからも、コロリはたびたび猛威を振るい、それらを「一コロリ」とか「三コロリ」と唱えたものだそうです。
今の世も一コロナ、二コロナ、三コロナと、新型コロナは三度の流行を繰り返し、人々の心に暗い影を落としています。

大地震があり、流行り病があり、攘夷を叫ぶ輩が横行し、士道退廃が極まり…本当に今は幕末の世を見る心地がします。これでスカイツリーのてっぺんから伊勢の御札が降ってきたら、ええじゃないかの狂騒が始まるのでは…と思ったりしますが、昔と今とで違うのは、暗い時代になっても宗教的なものが流行らないことです。その代わりに陰謀論が大流行りで、多分それが宗教の代替物になっているのでしょう。

古典に親しむ秋2020年10月07日 06時56分59秒

仕事帰りに空を見ると、異様に大きく、異様に赤く光っている星があります。
言わずと知れた火星です。赤といっても、ネーブルの香りが漂うような朱橙色ですから、それだけにいっそう鮮やかで、新鮮な感じがします。

西の方に目を転ずれば木星と土星が並び、天頂付近には夏の名残の大三角が鮮やかで、秋の空もなかなか豪華ですね。昨日は久しぶりに双眼鏡を持ち出して、空の散歩をしていました。

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ところで、最近、このブログのあり方をいろいろ省みることが多いです。
もちろん、これはただの「お楽しみブログ」ですから、そんなに真剣に考えなくてもいいのですが、それにしたって、天文の話題――特に天文学史の話題をメインに綴っているのに、天文学の歴史を何も知らないのも、みっともない話だと思います。

まあ、「何も知らない」と言うのも極端ですが、「ほぼ何も知らない」のは事実です。
たとえば、私は天文学上の古典をほとんど読んだことがありません。かろうじてガリレオ『星界の報告』は岩波文庫で読みました。でも、そんな頼りない知識で、もったいらしく何か言うのは、恥ずかしい気がするので、少し努力をしてみます。


まずは、コペルニクス『天体の回転について』です。
何せその出版は、歴史上の事件であり、革命と呼ばれましたから、これは当然知っておかなければなりません。幸い…というべきか、岩波文庫版は、コペルニクスの長大な作品の第一巻だけ(全体は6巻構成)を訳出した、ごく薄い本ですから、手始めにはちょうどよいのです。

これが済んだら、次はガリレオ『天文対話』で、その次は…と、心に期する本は尽きません。まあ、どれも斜め読みでしょうけれど、どんな内容のことが、どんなスタイルで書かれているのか、それを知るだけでも、今の場合十分です。

たとえて言うならば、これは見聞を広めるための旅です。
旅行客として見知らぬ町に一泊しても、それだけで町の事情通になることはできないでしょうが、それでも土地のイメージはぼんやりとつかめます。さらに一週間も滞在すれば、おぼろげな土地勘もできるでしょう。書物(学問の世界)も同じで、何も知らないのと、何となく雰囲気だけでも知っているのとでは、大きな違いがあります。

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古典を知れば、ものの見方も変わります。

たとえば、火星と木星と土星。この3つが、この順番で地球に近いことは、天動説の時代から理解されていました。星座の間を縫って動くスピードの違いの原因として、動きの速いものは地球に近く、遅いものは遠いと考えるのが、いちばん理に適うからです。そしてこの常識的判断は、結果的に正しかったわけです。(同じ理由から、あらゆる天体の中で、いちばん地球に近いのは月だ…ということもわかっていました。)

自分が古代人だったら、そのことに果たして気づいたろうか?
そんなことを考えながら、空を眺めていると、宇宙の大きさや、過去から現在に至るまでの時の長さを、リアルに感じ取れる気がします。

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晴観雨読―。この秋は、星空散歩をしつつ、書物の世界を徘徊します。

信じる者は…2018年01月20日 14時59分43秒

どうしても1回だけクダラナイことを書かせてください。
(まあ、毎回かもしれませんが、いつにも増してクダラナイことです。)

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火星の人面岩というのが、以前、話題になりました。
手っ取り早くウィキペディアから、「火星の人面岩」の記載をそのまま書き写します。

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1976年7月25日、NASAのバイキング1号が撮影した火星表面の写真の中に奇妙なものが発見された。

それは、火星のサイドニア(シドニア)地域を撮影したものの中に長さ3km、幅1.5kmに及ぶ巨大な人の顔のような岩が写っているというものだった。NASAは「光と影の具合で、岩山が偶然人の顔のように見えるだけ」と発表したが、NASAの見解に納得しない者たちは独自に画像の分析をして「人面岩には眼球や歯のような物がある」「涙を流した跡がある」「人面岩の付近にはピラミッドのような建造物がある」「口が動き、何らかの言葉を発している」等といった見解を発表し、その度に世界中で話題になった。

〔…〕その結果、「人面岩は古代火星人の遺跡だ」「地球人が火星に建造した人工物だ」等の憶測を呼び、SF映画『ミッション・トゥ・マーズ』、ビデオゲームなどフィクションの題材となり、テレビ番組や音楽の分野でも取り上げられた。

(バイキング1号が撮影した人面岩の写真。出典同)

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ここにキリストは登場しませんが、あれをキリストの顔に見立てて、無性に有り難がる人まで現れて、一時はかなり喧(かまびす)しい状況でした。

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(庶民のたくましい生活力を感じる光景)

このことをふと思い出したのは、今朝洗面台の前に立とうとして、ふと洗濯機の上を見たら、そこにキリストがいたからです。


どうでしょう、その御姿が見えますか?
救い主が、民家の洗濯機上のビニール袋に顕現されるとは、まったく予想していなかったので、大いにうろたえ、かつ畏れ多く思いました。

…と、軽口を叩くと、それこそイエス・キリストに対して畏れ多いことになりますが、でも火星の表面の凸凹に妙な解釈を施したり、ビニール袋のしわを伏して拝んだりするのは、キリストその人だって、「そんなクダラナイことはやめておけ」と言うに違いありません。

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いずれにしても、人面岩騒動は人の愚かさのみならず、ヒトの外界認識の基本特性について、多くのことを教えてくれるエピソードでした。

ついに解明された火星の謎2017年11月16日 07時57分27秒

エクスの謝肉祭の件もそうですが、何事も「継続は力なり」で、こんなブログでも続けていれば、以前は見えなかったものが徐々に見えてくるものです。今日も今日とて、謎が1つ解けました。

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下は以前登場した絵葉書。


女A 「あら、金星が見えるわ」
女B 「あたしの方は木星が見えるわ」
男 「おいらにゃ火星が見えるよ」

――という掛け合いの、結局何がオチになっているのか、なんで男が火星を持ち出したのかよく分からんなあ…というのが、これまで一種の「謎」でした。何だか下らない話題ですが、気になる時は気になるもので、私は過去2回までも記事にして、その「謎」を追ってきました。

■ある火星観測

■金星、木星、火星のイメージを追う

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しかし、その強固な謎も、別の絵葉書によって、ついに解明されました。

(1920年前後、ロンドンの Art & Humour Publishing 社から出たコミック絵葉書)

女 「あれは金星じゃないかしら?」
男 「ボクには火星のように見えるがね。」

そう、火星の運河論争がほぼ終結した1920年前後、当時の男性は、なぜか女性の赤い下着を見ると火星を連想し、それがまた笑いを誘うネタとして、世間に流通していたらしいのです。したがって、例の男も、女性のスカートの奥に赤い下着を発見して「火星が見える」とうそぶいたに相違なく、そうと分かってみれば、実に単純なオチです。

まあ、こんなことを100年後の現代に力説してもしょうがないのですが、いかにツマラナイなことでも、謎が解けるのはちょっと気分がいいものです。

宇宙の謝肉祭(その2)2017年11月12日 10時51分17秒



昨日登場した、「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」と題されたカーニヴァルの山車。別テイクの絵葉書も購入したので、そちらも貼っておきます。

(一部拡大)

まあるい地球に覆いかぶさるように、巨大な星が接近しています。
この星が火星なのでしょう。作り物の星の中央やギザギザの先っぽには穴が開いていて、子供たちが顔をのぞかせています。そして、とんがり帽子の可愛い天文学者が、望遠鏡でそれを眺めているという趣向。

昨日も書いたように、この火星の山車が町を練り歩いたのは1912年のことです。日本でいえば、ちょうど大正元年。それにしても、この年になぜ火星の演目が登場したのでしょう?

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火星の公転周期は2年弱。いっぽう地球の公転周期は1年ですから、火星がゆっくり公転している脇を、地球が2年2か月にいっぺんの割合で、シュッと追い抜く格好になります。この追い抜く瞬間が、地球が火星に最も接近する時で、天文学用語でいうところの「衝(しょう)」です。

地球や火星の軌道がまん丸なら、地球と火星が最接近する距離はいつも同一のはずですが、実際には楕円ですから、衝の際の距離も、そのタイミングによってずいぶん伸び縮みします。両者が目立って接近するのが、いわゆる「火星の大接近」で、近年の大接近の例は、あすとろけいさんの以下のページに載っています。


リンク先の表によれば、1909年にかなり目立つ大接近があったことが分かります。ただ、それにしても「歴史に残る超大接近」というほどではありませんでした。

それでも、この時期に、火星がお祭りに登場するぐらい世間の注目を集めたのは、この1909年に行われた観測が、くすぶり続ける火星の運河論争に改めて火をつけて、いよいよ1870年代末から続く「火星の運河をめぐる三十年戦争」の最終決戦が幕を開け、学界における論争が、新聞報道を通じて市民に伝わったからだ…と想像します。

   ★

そもそも火星の運河論争は、1877年に勃発しました。
この年も火星大接近のときで、火付け役はイタリアのジョヴァンニ・スキャパレリ(1835-1910)です。このときスキャパレリは、口径20cmの望遠鏡で火星を観測し、翌1878年に、彼がそこで見たとする「運河」について、大部な報告を行ないました。

続く1880年代、このスキャパレリと、その説に惚れ込んだフランスのカミーユ・フラマリオン(1842-1925)が、運河説を大いに唱道しました。さらに下って1890年代には、視力の衰えたスキャパレリに代わって、アメリカのパーシヴァル・ローエル(1855-1916)が参戦し、運河派は大いに気勢を挙げたのです。

(スキャパレリの火星図。http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/10/21/

それに対して、イギリスのナサニエル・E.グリーン(1823-1899)エドワード・モーンダー(1851-1928)といった天文学者は、「それは目の錯覚に過ぎない」という論陣を張りました。(といっても、これは国別対抗で争ったわけではなく、各国で運河派と錯覚派が入り乱れていたのです。)

この論争は、結局のところ「見える」「見えない」の水掛け論になりがちです。

錯覚派の「もし運河があるなら、運河派の観測者が互いに独立にスケッチをした時、そこに共通した図が描かれるはずなのに、あまりにも結果が食い違うじゃないか」という主張は、大いに筋が通っていましたが、「火星の知的生命」に対する憧れは、あまりにも強く、また運河派領袖の世間的名声は大したものでしたから、錯覚派が運河派を圧倒することは、なかなか困難だったのです。

しかしその間にも、火星の分光学的観測に基づいて、火星に水が存在することを否定する論が強まるなど、学界における運河派包囲網は、ひそかにせばまりつつありました。そんな中で迎えたのが1909年の大接近です。

以下、マイケル・J.クロウの『地球外生命論争』(邦訳2001、工作舎)から引用します(引用に当り、漢数字を算用数字に置き換え、文中の傍点部は太字で表記しました)。

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1909年のすばらしい火星の衝は、1909年にほぼ90の、そして1910年にも同数の出版物の洪水をもたらした。アントニアディは24あるいはそれ以上の論文を著した。〔…〕32.7インチのムドン屈折望遠鏡で火星を観測し、〔…〕1909年12月23日付けの論文の中で、次のように主張している。巨大望遠鏡の高解像度の下で運河が消滅したことから、次の結論が正当化される。

[火星の]真の外観は、…地球や月の外観と似ている。
②良い視界の下では、幾何学的なネットワークのいかなる痕跡も存在しない。
そして、
③惑星の「大陸部分」は、非常に不規則な外観や明暗度を持った無数の薄暗い点によって斑になっている。その散発的な集まりは、小さな望遠鏡の場合、スキアパレッリの「運河」組織に見える。


そして彼は「われわれは疑いもなく、いまだかつて一つの真正の運河をも火星に見たことはない…」という。 (上掲書、pp885-6)

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運河派に強力な一撃を加えたのが、誰あろう、かつての運河派の一人で、フラマリオンの腹心でもあったウジェーヌ・アントニアディ(1870-1944)であり、彼が拠って立ったのが、パリ近郊のムードン天文台であった…ということが、フランスの人々に一種独特の感慨をもたらしたんではないかなあ…と、これまた想像ですが、そんな気がします。そして、そういう一種独特のムードの中で、エクスの町の人は、あの火星の山車を作り、そして歓呼の中、練り歩いたわけです。

運河があればあったで、そして無ければ無いで、火星はこの間常に地球に影響を及ぼしてきました。まさに、それこそが「Mars communiquant avec la Terre(火星と地球の交感)」です。


(エクスの絵葉書の話題はまだ続きます)