西郷星(おまけ)2026年05月09日 18時35分53秒

以下、前回のおまけ。

前回の記事を書いてから思い直したんですが、当時、火星を大きな望遠鏡で覗くと模様が見えることは、書物を通して日本でも知られていましたから、西郷星の騒動に乗じて、誰かが何かもっともらしいことを述べて、それにまた尾ひれがついて…なんてことも十分にあり得ると思います。


たとえばですが、幕末から明治の初めにかけて版を重ね、一般への影響も大きかった科学解説書に『博物新編』というのがあります。そこにも火星の図と火星の模様に関する説明が載っています。以下は明治4年(1871)に鹿児島県で出版されたエディションに掲載の挿絵と説明文です。



説明文の方は「火星論」という章に出てきます。傍線部は、「天文学者によれば、大きな望遠鏡で覗き見るとこの惑星の表面には黒い箇所があって、大地の縁や半島の形状を思わせるとのことである」…といった意味だと思いますが、この書きぶりは、前回引用した錦絵の文句、「識者是を見聞せんと千里鏡を以て写せしかバ其形人々にして」云々に通じるものを感じます。

また以下は、明治4年頃に出た『星学図彙』掲載の火星図。


これまた「大千里鏡」で見た火星だと注されています。
この本はアメリカで出た『Smith’s Illustrated Astronomy(スミスの図解天文学)』(1849)を翻刻したものなので、原書の図版もついでに挙げておきます。


較べてみると、上段右から2番目および下段右端の図は陰陽が反転しており、版を起こすときに間違えたんだと思いますが、前者の図は確かに人が座った形に見えなくもありません。類似の図を載せた書物は、当時他にもあったでしょうし、この辺が「大礼服を着た西郷さん」の発想源だったかもしれませんね。

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まあ、遠眼鏡で火星を覗いた明治の日本人が、独力でその模様を(再)発見したと考えるよりも、たしかに夢はないですが、こちらの方がおそらく可能性は高いんじゃないでしょうか。

西郷星(後編)2026年05月07日 05時35分06秒

(昨日のつづき)

ウィキペディアの「西郷星」の項には、次の絵が引用されています。

(ウィキペディア「西郷星」の項より)

画中には遠眼鏡を空に向けた男性が描かれ、説明文には、「大阪日報に此節毎夜一時頃より巽(たつみ)之方に現ハれる赫色の星を望遠鏡で能(よく)見ると西郷隆盛が陸軍大将の官服を着て居る体に見ゆるとて…」云々とあります。

また、昨日紹介した国利画「流行星の珍説」にも、「〔…〕識者是を見聞せんと千里鏡を以て写せしかバ其形人々(しんしん)にして大礼服を着し右手(めて)には新政厚徳の旗を携へ…」云々とあって、西郷星の風説に望遠鏡が一役買っていたように読めます。ただ、これらは風説に信憑性を持たせるために加えた、新時代ならでは文飾だろうと、これまでは思っていました。

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しかし、次の一枚を見て「おや?」と思いました。

(平塚市博物館 平成15年秋季特別展「火星大接近 2003」図録に、「西郷星の珍説 永島辰五郎(歌川芳虎)画 千葉私立郷土博物館蔵」というキャプションとともに掲載。平塚博物館のサイトより)

(一部拡大)

どうでしょう、この火星、妙にリアルに感じられませんか?
これを見ると、実際に望遠鏡で火星を覗いた経験が、西郷星の風説流行にやっぱり一役買っていたのではないか…という疑問が湧いてきます。

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1877年の火星接近は「超」の付くぐらいの大接近で、世界各地でスケッチが描かれ、写真撮影も試みられました。以下はその一例です。


火星の模様も時々刻々変わるとはいえ、これら大型望遠鏡による一連の火星イメージの中に、人の形らしきものを見出せるかといえば、正直厳しい気はします。

しかし不穏な国内情勢と、頭上で不気味に赤く輝く星を結びつけた上で、そこに何か模様らしきものが見えたとしたらどうか…? たとえそれが正確に人の形をしていなくても、人間は無意味なパターンに積極的に意味を読み取る存在ですから(パレイドリア現象)、ある種の期待や予断があれば、曖昧な模様は容易に人の形(大礼服を着た西郷さん)に見えてしまうことでしょう。

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問題は、当時の日本の望遠鏡(多くは手持ち式遠眼鏡の類)で、火星の模様を視認できたかどうかです。

かつて清新な天文エッセイ『星のふるさと』(誠文堂新光社、1975)を著した鈴木壽壽子氏が取り組んだ火星スケッチは、60ミリ屈折望遠鏡を使って行われたものでした。火星観測用機材として、60ミリでは一般に力不足とされることが多いと思いますが、訓練を経た目にはそれが可能でした。

(『星のふるさと』より)

明治の初めの遠眼鏡は、鈴木氏の望遠鏡と比べても、はるかにロースペックなものですが、代わりに昔の人は、今より目が良かった可能性も考慮すべきかと思います。アフリカの自然で暮らす人の中には、視力10.0を超える人がいるそうですが、とんでもなく視力の良い(すなわち分解能の高い)人の目に映る火星像がどんなものかは気になります。

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芳虎の絵は、彼が実見したイメージなのか、それとも他に元絵があったのかは分かりませんが、ひょっとしてこれは「日本で最初の火星スケッチ」かもしれません。まあ半分与太話ですが、与太話にしても夢のある与太話だと思います。

西郷星(前編)2026年05月06日 17時42分18秒

「維新の功労者・西郷隆盛は、後に新政府とたもとを分かち、鹿児島で兵を起こした。世にいう西南戦争である。薩軍は九州各地で官軍と乱戦を繰り広げたものの、衆寡敵せず、勇将西郷もついに城山の地で自刃して果て、ここに明治最大の内戦は終わった。ときに明治10年(1877)9月24日のことであった。」

…というのは歴史で習うことです。
西郷という人は江戸開城の立役者ですから、江戸っ子からすれば敵役と見られても不思議ではありませんが、当時の庶民層には存外人気がありました。素朴な英雄崇拝というか、いっそ世直し大明神的立ち位置だったかもしれません。庶民層ばかりでなく、維新で生活に窮した旧幕臣の中にも、自分たちの代弁者として、心の内で支持する人は少なくなかったと思います。

そんなことから「西郷星」の風説が生まれ、錦絵が何枚も刷られたのでしょう。
「西郷星」とは、折しも1877年9月に大接近した火星のことです。人々はその異様に明るい赤い星を見て、「これは西郷大将が星となって顕現したものに違いない」と考えました。

今、手元に2種類の西郷星の錦絵があります。

(歌川国利画「流行星の珍説」(二枚続き)、版元・羽田冨治郎、明治十年八月十日御届)

(山崎利信画「西郷星桐野星」、明治十年九月御届)

それぞれ西郷隆盛と、薩軍の参謀・桐野利秋に見立てた星を人々が盛んに拝み祈っています。ここで「桐野星」というのは、このときたまたま火星の近くに位置した土星のことで、西郷星と対をとってこう呼んだのだそうです。

それぞれ拡大すると、



こんな具合に、二人の武人が威儀を正して星の光に包まれています。

西郷星の故事は有名なので、屋上屋を架すことになりますが、これに関連してちょっと気になることがあるので、書いておきます。

(この項つづく)

火星の運河を眺める2024年11月30日 18時20分38秒

上海天文館について、ああだこうだ言いましたが、もちろん我が家にあれだけの質・量のコレクションがあるわけではありません。でも、上海天文館は建物も予算も、我が家とは4桁ぐらい違うはずなので、あの1万分の1に達していれば、「上海天文館と同規模のコレクション」と称しても良い理屈です(そんなこともないか…。でも、単位面積で比較すれば同等のはずです)。

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そんなわけで、上海ほど由緒正しい品ではないにしろ、我が家にもささやかな火星儀があります。


立派な架台もないし、直径90mmの小さな球体に過ぎませんが、あの「なつかしい火星」の表情をよく捉えています。


素材は樹脂で、アメリカの3Dプリンターメーカーが設立した子会社(だと思うんですが)「LittlePlanetFactory」が生み出した、商品名「Lowellian Mars」


その名は、火星の幻の運河を追い続けた天文家、パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell、 1855-1916)に由来します。

(よく見ると3Dプリンターによる積層の跡が同心円状に認められます)

制作にあたっては、近年の観測データを火星のテクスチャーのベースとして採用し、そこにローウェルの『Mars』(1895)掲載の運河図を重ねてプリントするという凝った作りで、なかなか真(?)に迫った火星儀ではないでしょうか。

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この品は数年前に購入したものと記憶しますが、今回記事を書くために検索したら、親会社であるShapeways 社は今年の7月に破産【参考LINK】、そしてLittlePlanetFactory もHP【LINK】は辛うじて残っているものの、全製品が「SOLD OUT」になっているのを発見しました。

まことに諸行無常の世の中です。
でも、こうなってみると、それでこそ果敢なく消えた火星の運河の思い出にふさわしい品であるような気もしてきます。

戦火の星2023年01月08日 12時48分53秒

先月最接近した火星は、まだまだ明るいです。
下は「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌、1909年11月27日号表紙より、「火星」と題されたイラスト(額装用に表紙だけバラして売っていました)。


作者は、画家・版画家のPierre Marie Joseph Lissac(1878-1955)で、こういうカリカチュアを描くときは「Pierlis」を名乗ったので、サインもそのようになっています。


火星を闊歩するのは、古代ローマ風の男性兵士と、それを指揮・督励している女性士官たち。


キャプションには「婦人参政権論者が雲上から地上に降臨させることを夢見るマーシャル文明」とあって、この「マーシャル」は、「戦闘的」と「火星の」のダブルミーニングでしょう。明らかに当時の「新しい女性」を揶揄した絵柄です。「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌は、1863年から1970年まで刊行された老舗総合誌で、誌名から想像されるような、いわゆる「女性誌」ではなかったので、こんなアイロニカルな挿絵も載ったのでしょう。

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火星は軍神マルスの星で、古来戦争と関連付けられてきました。火星の惑星記号♂も、盾と槍を図案化したものと聞けば、なるほどと思います。

野尻抱影は火星について、こんなふうに書いています。

 「何となく不気味で、特に梅雨の降りみ振らずみの夜などに赤い隻眼を据えてゐるのを見ると、不吉な感さへも誘ふ。西洋でこれを血に渇く軍神の星としたのも、支那で熒惑〔けいこく〕と呼び凶星として恐れてゐたのも、この色と、光と、及び軌道が楕円上であるため動きが不規則に見えるのとに由来してゐた。」(野尻抱影『星の美と神秘』、1946)

火星に不穏なものを感じるのは、洋の東西を問いません。
こうして「マーシャル」という形容詞が生まれ、上のようなイラストも描かれたわけです。

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【閑語】

ロシアがウクライナにふっかけた戦争を見ていると、そして過去の戦争を思い起こすと、戦争というのはつくづく損切りが難しいものだと思います。戦争というのは、そもそも構造的にそれができにくい仕組みになっているのでしょう。

なぜなら、自国の兵士が亡くなれば亡くなるほど、「彼らの流した血を無駄にするな!」という声が強まり、「徹底抗戦」へと世論が誘導されていくからです。本当は「これ以上犠牲を増やさないために、戦争を早く終わらせるべきだ」という判断のほうが、はるかに合理的な局面は多いと思うんですが、いつだって白旗を掲げるのは、損益分岐点を<損側>に大きく越えてからです。

この辺はギャンブラーの心理を説明した「プロスペクト理論」とか、現象としては「コンコルド効果」として知られるものと同じですが、戦場における人間の狂気と並んで、為政者(と国民)が下す判断の不合理性も、戦時における特徴として、ぜひ考えておきたいところです。その備えがないと、あまりにも大きなものを失うことになると思います。

夜の散歩2022年12月15日 17時53分01秒

先週の話です。空には明るい月のそばに、赤い星が2つ並んでいました。
ひとつは火星、もうひとつはおうし座のアルデバランです。月の光に負けないアルデバランも1等星の見事な輝星ですが、最接近を遂げたばかりの火星は、さらにそれを圧倒する明るさで、ぎらりと赤く光っているのが、ただならぬ感じでした。

そんな空を見上げながら、足穂散歩を気取ろうと思いました。
いつものようにイメージの世界だけではなく、今回は実際に足を運ぼうというのです。

私が住むNという街。
お城で有名な、概して散文的な印象を与えるこの街で、あたかも戦前の神戸を歩いているような風情を味わうことはできないか?―そう思いながら、実は数日前から想を練っていたのです。

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私はまず地下鉄の駅を降りて、大通りからちょっと折れ込んだところにある小さなビルを訪ねることにしました。階段を上がると、2階の廊下のつきあたりに、ぼうっと灯りのついたドアが見えます。


ドアには「星屑珈琲」という表札のような看板がかかっています。
その店名は以前から気になっていたのですが、入るのははじめてです。

「いらっしゃいませ」の声に迎えられて、数席しかない店内に入ると、すでに何人か先客がいました。しかし店内はひどく静かです。

星屑珈琲は店名が素敵なばかりでなく、大きな特徴があります。
それは「ひとり客専用喫茶」ということ。そのルールは複数名で入店して、離れた席に座ることもダメという、かなり厳格なものです。したがって、この店は茶菓を供するだけでなく、「静かな時間を売る店」でもあるのです。店内は、時折

 「いらっしゃいませ」
 「ご注文は?」
 「ありがとう、ごちそうさまでした」

というやりとりが小声で交わされるだけで、あとは静かな音楽がかすかに聞こえるのみです。でも、人々はその空気に大層心地よいものを感じていることが私にも分かりました。

星屑珈琲は、あえてカテゴライズすれば「ブックカフェ」なのでしょう。
目の前のカウンター席にも、ずらっと本が並らび、手に取られるのを待っています。
私はこの店で読むために持参した本をかばんから出して、先客の仲間に加わりました。

(店内で写真を撮るのが憚られたので、これはいつもの机の上です)

1冊は新潮文庫の『一千一秒物語』です。もはや注釈不要ですね。

(Marion Dolan(著) 『Astronomical Knowledge Transmission through Illustrated Aratea Manuscripts』、Springer、2017)

そしてもう1冊は、ギリシャ・ローマの天文古詩集『アラテア』写本に関する研究書で…というと、我ながら偉そうですが、背伸びして買ったもののずっと読めずにいたのを、こういう機会なら読めるかと思って持参したのです。実際、星屑珈琲の空気と一椀のコーヒーの力を借りることで、見開き2ページ分を読めたので上出来です。

   ★

知らぬ間に時間は過ぎ、私はずいぶん長居していました。
星屑珈琲は23時まで開いているので、閉店時間を気にする必要はないのですが、ここにずっと居坐っては散歩にならないので、そろそろお暇しなければなりません。私は勘定を済ませ、そっと店を出ました。

明るいショーウィンドウを眺めながら繁華な通りを歩き、じきに靴音のひびく靜かな一画に来ると、そこからさらに陰々としたお屋敷街へと折れ込んでいきます。これから木立に囲まれた家々の先にある、とある屋敷を訪ねようというのです。

訪ねるといっても、その家の主を訪問するわけではありません(そもそも私は主が誰だか知りません)。その屋敷の夜の表情を見たかったのです。それは素晴らしく大きな邸宅で、本当に個人の家なのか怪しまれるほどでしたが、以前その前を通ったとき、塔を備えたロマネスクの聖堂建築のような佇まいにひどく驚いたので、「あの家は果たして、こんな晩にはどんな表情で立っているのだろう?」と、好奇心が湧いたのです。そして、そんな酔狂な真似をする自分自身が、何だか足穂の作中の人物のように思えました。

細い道を進み、角を曲がれば目当ての屋敷です。
人気のない森閑とした小路で、屋敷は灯火にぼんやりと巨躯を浮かび上がらせ、建物の内からは暖かな光が漏れて、いかにも居心地が良さそうでした。しかし、不用意に立ち止まったりすれば、見る人に(誰も見てはいませんでしたが)不審の念を呼び覚ますでしょう。私はこの屋敷の夜の表情を一瞥できたことで満足し、その前をさらぬ体で通り過ぎようとしました。

でも、そのときです。屋敷の門がおもむろに開き、一人の少年が出てきたのです。
少年は私に軽く会釈をすると、「お待ちしていました。塔の上では父が先ほどから望遠鏡を覗きながら、あなたのことをお待ちかねですよ」と私を中に招じ入れ、すたすたと先に立って歩きだしました。

…というようなことがあればいいなあとは思いましたが、少年の姿はなく、やっぱり私は屋敷の前を足早に通り過ぎるよりほかありませんでした。でも名残惜し気に振り返ったとき、塔の上に月と火星とアルデバランが輝いているのを見て、私は心の内で快哉を叫びました。その鋭角的な情景ひとつで、当夜の散歩の目的は十分達せられたわけです。

(フリー素材で見つけたイメージ画像)

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これが足穂と連れ立っての散歩だったら、彼はどんな感想をもらしたか?
「くだらんな」とそっけなく言うかもしれませんし、ひどくはしゃいだかもしれませんが、まあ一杯のアルコールも出てこなかったことについては、間違いなく不満をもらしたことでしょう。

火星探検双六(5)2021年02月25日 08時50分04秒

(昨日のつづき)

「10 見張」

「11 火星軍総動員」「12 物すごい海中城」

火星の恐るべき科学力は、ロボット兵士を作り出すに至っています。そのロボット部隊に動員が下り、海中にそびえる軍事要塞から次々に飛来。


「13 海蛇艇の包囲」
さらに人型ロボットは、巨大な龍型ロボットを操作して、鼻息荒く主人公に襲い掛かってきます。メガホンで投降を呼びかける人型ロボットに対し、ハッチから日の丸を振って、攻撃の意思がないことを示す少年たち。

「14 なかなほり」「15 火星国の大歓迎」
至誠天に通ず。少年たちの純な心が相手を動かし、一転して和解です。
あとはひたすら歓迎の嵐。

「16 王様に謁見」

これが以前言及した場面です。ふたりは豪華な馬車で王宮に向かい、王様に拝謁し、うやうやしく黄金造りの太刀を献上します。(火星人はタコ型ではなく、完全に人の姿です。)

「17 火星の市街」

空中回廊で結ばれた超高層ビル群。この辺は地球の未来都市のイメージと同じです。

「18 魚のお舟」

「19 人造音楽師」

「20 お別れの大宴会」

火星の娯楽、珍味佳肴を堪能して、二人はいよいよ地球に帰還します。

「21 上り 日本へ!日本へ!」

嗚呼、威風堂々たる我らが日本男児。
何となく鬼が島から意気揚々と引き上げる桃太郎的なものを感じます。

それにしてもこの麒麟型の乗り物は何なんですかね?日少号は?
日少号は置き土産として、代わりに火星人に麒麟号をもらったということでしょうか。

   ★

今からちょうど90年前に出た1枚の双六。
ここでパーサビアランスのことを考えると、90年という時の重みに、頭が一瞬くらっとします。1世紀も経たないうちに、世の中はこうも変わるのですね。

しかも、一層驚くべきことは、この双六が出た30年後には、アメリカがアポロ計画をスタートさせ、それから10年もしないうちに、人間が月まで行ってしまったことです。

アポロの頃、この双六で遊んだ子供たちは、まだ40代、50代で社会の現役でした。当時のお父さんたちは、いったいどんな思いでアポロを見上げ、また自分の子供時代を振り返ったのでしょう?…まあ、実際は双六どころの話ではなく、その後の硝煙と機械油と空腹の記憶で、子供時代の思い出などかき消されてしまったかもですが、戦後の宇宙開発ブームを、当時の大人たちもこぞって歓呼したのは、おそらくこういう双六(に象徴される経験)の下地があったからでしょう。

(この項おわり)

火星探検双六(4)2021年02月24日 18時57分54秒

さっそく訂正です。
昨日の記事で、少年たちが麒麟に乗って地球に帰る直前、火星の王様と謁見し云々…と書きましたが、よく順番を目で追ったら、王様に謁見したあとも、いろいろなエピソードが続くので、この点をお詫びして訂正します。

   ★

それでは改めて「火星探検大双六」のストーリーを、コマごとに見ていきます。


「1 ふりだし 富士山上を出発」
日の丸の小旗を振って見送る群衆。敬礼して振り返る凛々しい少年冒険家。
少年たちが乗り込むのは真っ赤な機体の「日少号」、推力はロケット式です。樺島双六に登場したのは、プロペラで飛ぶ飛行船式のものでしたから、これはかなりの技術的進化です。

「2 雷雲にあふ」
高度を上げる機体の前に、真っ黒な雷雲が立ちふさがります。もちろん、ここに太鼓を持った雷様の姿はありません。

「3 雷雲突破」「4 星雲に大衝突」

無事雷雲を突破し、大気圏外に出たものの、月に到達する前に星雲に衝突…というのも変な話ですが、作り手も「星雲」の何たるかを、明瞭に認識していなかったんじゃないでしょうか。おそらく「宇宙空間に漂う怪しいガス」ぐらいに思っていたのかもしれません。背景のやたら土星っぽい星が浮かぶ宇宙イメージにも注目です。

「5 月世界到着」「6 月の探検」

20世紀ともなれば、月は荒涼たる世界で、月世界人はいないことが既に前提になっています(それでも火星人はいることを、大勢の人が信じていました)。船外活動する二人が、立派な宇宙服を着ているのも、すぐれて科学的描写です。

「7 ヤッ彗星だ」

彗星との邂逅は、樺島双六でもありました。どうも宇宙探検で、彗星は外せないイメージみたいですね。

「8 火星軍現る」「9 電波で墜落」

さあ、いよいよ火星に到着です。
しかし二人は歓迎されざる存在のようで、すぐに火星軍が恐るべき兵器で襲いかかってきます。

(手に汗握りつつ、この項さらにつづく)

火星探検双六(3)2021年02月23日 09時52分10秒

大日本雄弁会(現・講談社)が出した「少年倶楽部」(1914-1962)と並んで、一時は最もメジャーな少年誌だったのが、実業之日本社の「日本少年」(1906-1938)です。

もう1枚の火星探検双六とは、この「日本少年」の正月号付録です。
前回登場した樺島双六の4年後、昭和6年(1931)に出ました。その名も「火星探検双六」。(書き洩らしましたが、前回の樺島双六のサイズは約53.5×78.5cm、大双六の方は約54.5×79cmと、その名の通りちょっぴり大きいです。)

(こちらもタタミゼして、背景は畳です)

原案は野口青村、絵筆をとったのは鈴木御水。
野口青村は、当時「日本少年」の編集主筆を務めた人のようです。一方、鈴木御水(1898-1982)は、「秋田県出身。日本画の塚原霊山や伊東深水に師事。雑誌「キング」や「少年倶楽部」に口絵や挿絵を描き、とくに飛行機の挿絵にすぐれていた。」という経歴の人。

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この大双六と樺島双六を比べると、いろいろ気づかされることがあります。
まず両者には、もちろん似たところもあります。


いきなり核心部分を突いてしまいますが、画面で最も目に付くであろう、この「上り」の絵。冒険を終えた二人の少年が、ペガサス風の聖獣麒麟に乗って、「日本へ!日本へ!」と凱旋の手を振っているところです。


そして、その直前の火星の王様に謁見する場面。二人は旭日旗を掲げ、恭しく太刀を王様に献上しています。はっきり言って、どちらも変な絵柄なんですが、こうしたお伽の国的描写において、大双六は樺島双六と共通しています(大双六の方が、いささか軍国調ではありますが)。

   ★

その一方で、両者が著しく異なるのは、SF的要素の取り扱いです。

大双六には、樺島双六に欠けていた「最新空想科学」の成分がふんだんに盛り込まれており、火星探検ストーリーはお伽話ではなく、科学の領分であることをアピールしているようです。子供たちが科学に夢を抱き、火星にその夢を投影したというのは、戦後にも通底する流れですが、1931年当時、既にそれが少年たちのメインカルチャーとして存在したことを、この大双六は教えてくれます。(この点は、樺島双六でははっきり読み取れないので、何事も比較することは大事です。)

(科学冒険譚の細部に注目しつつ、この項つづく)

火星探検双六(2)2021年02月22日 21時38分47秒

(昨日のつづき)

おさらいとして、昨日の全体図を載せておきます。


双六なので、当然途中で行きつ戻りつがあるのですが、とりあえずマス目に沿って進みます。


地球を出発した飛行艇が訪れるのは、まず順当に月です。
ただ、その月は西洋風の「顔のある三日月」で、この旅がリアルな「科学的冒険譚」というよりも、「天界ファンタジー」であることを示唆しています。この辺は描き手の意識の問題であり(樺島画伯は明治21年の生まれです)、「少年倶楽部」という雑誌の性格もあるのでしょう。(これが「子供の科学」の付録だったら、もうちょっと違ったのかなあ…と思います。)


そして、月の次に訪れるのがなぜか土星で、さらに金星を経て、火星へ向かうというのは、順序としてメチャクチャなのですが、そこは天界ファンタジーです。そして途中で彗星に行き会い、いよいよ「火星国」に入ります。


火星国は、石積みの西洋風の塔が並ぶ場所とイメージされており、完全にファンタジックな夢の国です。


そして王国の首都らしき場所に入城し、「大運河巡遊船」に迎え入れられる場面が「上り」です。確かにそこは威容を誇る都ではありますが、いかにもサイエンスの匂いが希薄で、単なる「お伽の国」として描かれているようです。

もちろん、火星を科学文明の栄える場所として描くのも、まったくのファンタジーですから、そこは五十歩百歩と言えますけれど、後の「タコ足の火星人が、透明なヘルメットをかぶって『$#?@%#;+?~&@??』と喋っている」イメージとの懸隔は大きく、少なからず奇異な感じがします。

これが時代相なのか、それともやっぱり画家の資質の問題なのか、その辺を考えるために、もう1枚の火星探検双六を見てみます。

(この項つづく)