火星来たる(3)2016年07月03日 07時18分00秒

故郷の火星を飛び出して、宇宙空間を放浪し、地球に捕捉されて落ちてくるまで。
隕石が語り出せば、長い思い出話をしてくれることでしょう。

それにくらべれば、ずっとささやかですが、隕石が商品として流通する過程にも、いろいろ有為転変のエピソードがあるものです。


この品は、フランスの隕石ディーラーから買いました。
これは1997年に、12,000個作られたうちの1つで、通販専門チャンネルのQVCで売られたものだそうです(発売当時は、「Mars Owner’s Manual(火星オーナーの手引き)」というパンフが付属していましたが、手元の品にはありません)。

こう聞いただけでも、実に商魂たくましい、人間臭い背景がうかがえると思います。

1997年にこれを売り出したのは、Darryl Pittという人で、私はピット氏のことは何も知りませんでしたが、ネット上を徘徊しているうちに、次のような興味深い記事を見つけました。1997年11月18日付けの、ニューヨークタイムズの記事です(意味の取れない箇所が複数あったので、以下、かなり適当訳)。

Where Prices Are Out of This World (途方もない値段がつくところ)
  http://www.nytimes.com/1997/11/18/us/where-prices-are-out-of-this-world.html

 アリゾナ州ペイソン。マーヴィン・キルゴアは、探鉱者たち――金の粒を求めてアメリカ南西部中をくまなく探し回った武骨な男たちの流れを汲む者だ。
 
 「俺は言葉を覚えるよりも早く、金を探していたよ。」あたりにメスキートやチョヤサボテンが繁る、フェニックス近郊の、ここシエラ・アンチェス沙漠を歩きながら、キルゴア氏は言った。彼は片手につるはし、もう片方の手には金属探知機を持ち、汚れたテンガロンハットが、その顔に影を落としている。「俺の脳味噌はいつも石のことでいっぱいさ。」

 このところ、キルゴア氏(42歳)の心は浮き立っている。金のせいではない。隕石のせいだ。彼は金鉱探しをやめて、地球大気を通って焼けつくような旅を経験した、この貴重な天体に鞍替えしたのだ。

 その美しさと希少な成分を賞される標本の中には、1グラム――1オンスのわずか28分の1――当たり500ドル以上の値を付けるものもある。さらに火星からやって来た隕石(回収された隕石のうち、それはわずか12個に過ぎない)ともなれば、その値段は1グラム当たり1,000ドル以上に跳ね上がる。キルゴア氏は最近チリの沙漠まで旅したが、そこで隕石から得た収入は、1日あたり2,000ドルだった。

 「こいつは薄汚れた黒い石ころに見えるかもしれない。でも、どんな金ぴかの奴よりも、こいつの方がいいのさ。」と彼は言う。

 去年の夏、マーズ・パスファインダーが火星に着陸したことや、火星の隕石から原始的生命の痕跡が発見されたこと、さらに宇宙の塵(cosmic detritus)の価格が天文学的上昇を見せていることにより、アメリカ人は、今や熱い隕石ブームに巻き込まれつつある。1836年にナミビアで発見された鉄隕石――高さ16インチで並外れた曲線美を持っている――は、3年前に2,000ドルで売却されたが、去年オークションに出た際は4万ドルの値を付けた。

 惑星間を漂う物質の商いは、今や天井知らずである。ロレン・ヴェガは、通販専門チャンネル「QVC」で売られた火星隕石を、1個90ドル支払って買った4,000人の視聴者のうちの1人だ。彼が買ったのは、ナイジェリアで見つかったザガミ隕石の細粒入りの赤いキャップの小壜が、アクリルキューブ中に浮かんでいる品である。


 ニュージャージー州フランクリン・パークのレントゲン技師、ヴェガ氏(39歳)は語る。「テレビ番組で火星の写真を見ながら、『もしあの惑星の小石1個でも手にできたら、どんなに嬉しいだろう』と、私はひそかにつぶやいたんです。」

 まだキューブが届く前から、ヴェガ氏は書斎の棚にそれを置くための専用スペースを用意した。アラスカで手に入れた、毛の生えたマンモスの牙の化石と、ニューヨーク訪問中に買い入れた古代シュメールの石板のかけらの中間だ。

 マンハッタンのアッパーウエストサイドにある博物系ショップ「マキシラ&マンディブル(Maxilla & Mandible)」では、隕石のかけらを、ペンダントに加工した並品59ドルから、ウエハース大の火星隕石の切片2,000ドルまで販売している。

 「別の世界からやってきた品を所有するという考えに、人々は憑り付かれつつあるんです。」と、ショップオーナーのヘンリー・ガリアノは言う。「隕石は干し首の隣に置きたくなるような品なのでしょう。」

 ガリアノ氏は、総額3万ドルの隕石を昨年販売したが、買い手の中には、株よりも有利な投資先を探している者もいるという。「そういう人に、私は隕石を勧めるんです。絶対に大損はしませんからと。」

 しかし、最後には重力がものをいって、その価格も地に落ちるのではないかと懸念する業者もいる。「正直言って、そのうちバブルがはじけるんじゃないかと心配です。」と語るのは、コロラドの隕石蒐集家で、販売も行っているブレーン・リードである。「マーケットはいささか制御不能に陥っているように思います。」

 このブームは誰からも歓迎されているわけではない。青天井の価格上昇によって、趣味をあきらめざるを得ないコレクターもいるし、多くの科学者は標本マーケットに価格破壊をもたらした業者を呪っている。

 「こうした貴重な素材がスライスされ、イヤリングやアクセサリーに加工されるなんて、まったく恥ずべきことですよ。」と、テネシー大学地質学教授で、1,000人の会員を擁する隕石学会前会長のハリー・マクスウィーンは言う。「我々が隕石から学ぶべきことは、まだまだ多いのです。しかし、今のような状況では、博物館や科学者が真に重要なものを買うことはできません。我々はこの手の競争に不慣れなのです。」

 ニューヨークで音楽会社を経営するダリル・ピット(42歳)は、個人としては世界最大の隕石コレクションの1つを所有しており、彼こそ隕石マーケットをその頂点にまで持って行った人物かもしれない。

 2年前、ピット氏とそのパートナーは、1962年にナイジェリアで発見されたザガミ火星隕石(元の重さは40ポンド)から取った、握りこぶし大(400グラム)の石板を入手した。ピット氏は数か月かけて、その大きな塊を、販売に適した粒状にする方法を発見した。マンハッタンに製剤用具を備えた診療室を構え、最初は隕石の一部を粉状にしてしまったせいで、何千ドルも損をしたが、最後にはそのプロセスをマスターし、彼は2.5インチ角のアクリルキューブに入った微粒子を売り出した。


 このコレクター向けキューブの中身が、“車道の砂利”のように見えることはピット氏も認めるが、彼はこの“宇宙のパン粉”の販売こそ、消費者平等主義を促進する行いだと雄弁に語る。「金持ちだけが自分専用の火星のかけらを所有できるなんて、そんなことがあっていいのでしょうか?」と彼は言う。

 恐竜の化石とは異なり、多くの隕石は科学的価値や金銭的価値を減ずることなく分割できると、ピット氏は主張する。しかし、彼は多くの科学者の非難を浴びている。

 「隕石は複合的な物体であり、全体として研究されるのがいちばんです。」と、ヘイデン・プラネタリウムの学芸員であるマーティン・プリンツは言う。「端っこならちょっと削ってもいい、とはいかないんですよ。」

 とはいえ、隕石採集の経済的誘因が強まることは、もしそうでなかったら見過ごされたであろう隕石が見つかる可能性を高めると考える研究者もいる。「私はこの手の隕石屋が大っ嫌いなんですが、でも石を求めて何か月もサハラ砂漠をふるいにかけて歩こうなんていう人間は、結局あの連中ぐらいのもんでしょう。」と、匿名を条件に語ってくれた有名な某地質学者は言う。「せいぜい望みうるのは、彼らが見つけたものの一部と、あなたが余分に持っているものとを、彼らが交換してくれることでしょうね。」

 ニューヨーク在住の、フィリップス・インターナショナル・オークショナー社のオークション担当者で、評価鑑定人でもあるクローディア・フロリアンは、蒐集対象として隕石に対する関心が高まっていることに気づいた最初の一人である。2年前、彼女はフィリップス社として最初の隕石オークションを手がけ、30万ドルの売り上げを記録し、さらに2回目のオークションでは、売り上げは70万ドルに達した。

 「すべての標本が驚くようなストーリーを秘めています。」と彼女は言う。

 実際、魅力的なストーリーを秘めていればいるほど、その石の価値も高まる。5年前、ニューヨーク州ピークスキルで1台のシボレー・マリブを直撃したソフトボール大の隕石は、その組成に特に変わった点はなかったにもかかわらず、後に3万9,000ドルで売れた。

 フロリアン氏は、芸術的オブジェとして星間物質を熱狂的に愛しているものの、投資の対象としては推奨しない。「あなたも、たぶん地道に株をやったほうがいいと思われるでしょうね。」

 マーヴィン・キルゴアは隕石で金持ちになるつもりはないと言う。「俺は隕石を探し出して、そいつを眺めるのが大好きなのさ。もっとも、世界中旅を続けようと思ったら、見つけた物のいくつかは売りはらう必要があるがね。」と彼は言う。

 ペイソンにある隕石でいっぱいのリビングルームで、繁盛しているメールオーダービジネスを切り盛りしていないとき、彼と妻のキティは、二人して地球の果てまで新たな物質を求めて歩き回る。

 「何日たっても、何一つ見つからないこともあるよ。」と彼は言う。「だけど、言ってみりゃ金鉱にぶち当たるような時もあるのさ。」

   ★

これを読んで、例のキューブ誕生の詳細や、隕石ブームに沸いた当時の世相を、まざまざと知ることができました。このキューブは、火星の素顔ばかりでなく、当時の熱気を伝える「文化史的資料」でもあったのです。さらに、1990年代はヴンダーカンマー・ブームのはしりでしたが、隕石はその文脈で語られていた節もあることが分かりました。

気になるのは、20年経った現在、隕石マーケットがどうなっているかですが、その辺は事情にうといので、よく知りません。

それにしても、人が隕石に注ぐ視線の何と人間的なことか。
金銭的欲望は言うまでもありません。
そして宇宙への憧れも、それに劣らず人間的な感情だと思います。
おそらく或る高みから望めば、両者にあまり隔たりはないでしょう。



火星来たる(2)2016年07月02日 08時58分24秒

今週はバタバタして、記事が書けませんでした。
そしてバタバタしているうちに、今年も既に半分終わり、何だか気ばかり焦ります。

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さて、火星にちなむものとは何か?
それはタイトルのとおり、火星そのものです。
火星にちなむものとして、これ以上のものはないでしょう。

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窓辺に置かれた、62ミリ角のアクリルキューブ。
その中に小さなガラス壜が封じ込められています。


この壜の中に、0.1カラット(20ミリグラム)の火星の断片が入っている…というのですが、はたしてどんなものでしょうか。

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よく「月の石」というのを、理系グッズの店で見かけます。
近年、南極での発見例が多いですが、地球に落ちてくる隕石のうちのいくつかは、成分分析の結果、月起源と推定されており、それをディーラーが入手して、砕片にしたものが、商品として流通しているわけです。(素性の確かな品も多いでしょうが、中にはかなりアヤシゲなのもあって、一種のジョークグッズとして扱われている気配もあります。)

あれの火星版があって、上の品もその1つです。
火星は何といっても月より遠いですし、その一部が――他の隕石が衝突した衝撃などによって――引力圏外に飛び出すための初速も、月よりずっと大きいので(月の脱出速度は秒速2.4km、火星は5.0km)、いきおい火星隕石は月隕石よりも数が少ないです。

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火星隕石について、NASAのジェット推進研究所のページから引用(青字部分)してみます。

■Mars Meteorites (by Ron Baalke)
 http://www2.jpl.nasa.gov/snc/index.html

これまで地球上で発見された約6万個の隕石のうち、火星起源のものと同定されたのは124個に過ぎない。1996年8月、NASAがこうした火星隕石のうちの1つに、微小化石の痕跡が存在するらしいと発表した際、この希少な隕石群は世界中に波紋を呼んだ。
下表は、同類の隕石をまとめて、ほぼ発見順に並べたものである。

…とあって、表は省略しますが、1815年にフランスで見つかった「シャッシニー隕石」から、2004年にアルジェリアで見つかった「NWA(North West Africa)2626隕石」までが、リストアップされています。

件の小壜の隕石は、1962年にナイジェリアで発見された「ザガミ(Zagami)隕石」というのに該当し、その解説(http://www2.jpl.nasa.gov/snc/zagami.html)をさらに読んでみると、

隕石名: ザガミ
発見地: ナイジェリア、Katsina地方、ザガミ
落下日時: 1962年10月3日
隕石タイプ: シャーゴッタイト(SNC)

1962年10月のある午後、トウモロコシ畑でカラスを追っていた1人の農夫のすぐそば、わずか10フィートのところに、この隕石は落下した。農夫は恐ろしい爆発音を聞き、圧力波に打ちのめされた。ドーンと煙が上がり、隕石は深さ約2フィートの穴にめり込んでいた。ザガミ隕石の重さは約18kg(40ポンド)あり、これまでに発見された単独の火星隕石としては最大のものである。

隕石はKaduna地質調査所に送られ、その後ある博物館に収蔵された。何年か後、隕石ディーラーのRobert Haagが、ザガミ隕石の大部分を入手した。個人コレクターにも手が届くSNC隕石として、ザガミ隕石は最も入手が容易なものである。

…というわけで、このザガミ隕石が人の手から手へと渡り歩くうちに、あたかも土地が徐々に細分化される如く、果てはこんな細かい砂粒となって、私のところに届いたわけです。

   ★

ときに、上の引用中「シャーゴッタイト(SNC)」という言葉が出てきました。
隕石にも「隕鉄」とか「石質隕石」とかいろいろありますが、シャーゴッタイトは、石質隕石のうち「エイコンドライト」と呼ばれるグループに属するもので、主成分は輝石と長石です。

そして、エイコンドライトのうち、共通する特徴を持った、シャーゴッタイト、ナクライト、シャンナイトの3種の隕石を、まとめてSNC(スニック)と呼びます。

SNCが注目されたのは、形成年代の顕著な若さ(2000~3000万年前)と、母天体の火山活動に由来するらしいその成分です。この点から、SNCは最近までマグマ活動をしていた惑星に由来するものと推測され、さらに火星探査の成果として、その希ガスの含有量や同位体比を、火星の岩石と直接比較できるようになったおかげで、これは間違いなく火星由来のものだろう…と、言えるようになったのだそうです。

(上の記述は、F.ハイデ/F.ブロツカ(著)『隕石―宇宙からのタイムカプセル』を参考にしましたが、1996年に出た古い本なので、ひょっとしたら、現在の理解とは違うかもしれません。)

   ★

火星隕石についてざっと事前学習したところで、手元の品の「人間的側面」も含めて、さらに話を続けます。

(この項つづく)

火星来たる(1)2016年06月28日 07時10分36秒

赤く光る星を見上げて、

「何か火星にちなむものが欲しいと思いました。
それが届く頃――きっと世間の関心が、火星から地上の闘争に移った頃に、またこの隣人の話題をすることにします。」

…と書いたのが、今月4日(http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/06/04/)。


やっと昨日、「それ」が届きました。
発送をめぐっていろいろトラブルがあったので遅くなりましたが、まさに地上の闘争が苛烈になってきた頃合いであり、軍神・マルスの話をするにはちょうど良い折です。

その火星にちなむものとは何か?
それはまた次回に… (と、例によって思わせぶりに書きますが、こういう「もったいぶり」は、本当にもったいぶっているわけではなく、大抵文章を書くのが追い付かないだけの場合が多いです)。

(追いつかないまま、この項つづく)

赤い星2016年06月04日 08時03分20秒

仕事帰りに家路をたどっていたら、坂道のてっぺんに大きく赤く光る星が見えて、「ああ、火星だ…」としみじみ思いました。目が衰えたせいで、もう眼鏡をかけても星像は定かに見えないのですが、あの朱のように濃く鮮やかなオレンジは、はっきり目に残りました。

火星接近のニュースに接しても、実際に空を見上げる余裕を失っている自分を哀れに思いますが、それだけに、ちょっとした出会いがとても嬉しく懐かしく思われます。

…というわけで、何か火星にちなむものが欲しいと思いました。
それが届く頃――きっと世間の関心が、火星から地上の闘争に移った頃に、またこの隣人の話題をすることにします。



赤い惑星に命を灯して…カテゴリー縦覧:火星編2015年03月11日 00時02分06秒

午後からの雪で、庭木が季節はずれの雪帽子をかぶっています。
3.11の涙雪、というわけでしょうか。
ぐんと底冷えのする晩です。

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下に掲げたのは、戦前、東亜天文協会(現・東亜天文学会)が、「天界八景」と銘打って発行した絵葉書のうちの1枚。


スケッチを残した中村要(なかむらかなめ 1904-1932)は、東亜天文協会を主宰した山本一清の愛弟子で、火星観測に関しては、日本におけるパイオニアです。

彼は1922年、同志社中学卒業と同時に、山本が教授を務めていた京大宇宙物理学教室の門を叩き、18歳の若さで「志願助手」という身分で、スタッフに採用されました。

彼は生来の「星の虫」で、アカデミックなキャリアこそ乏しかったですが、まさに好きこそものの上手なれ、京大では手練れの観測家として、また反射望遠鏡の鏡面研磨の名人として鳴らし、多くの名鏡を世に送り出しました。


彼が最も火星の観測に力を注いだのは、1924年と26年の接近時で、雑誌「天界」に頻々と報文を発表し、そのスケッチは、アメリカの「ポピュラー・アストロノミー」誌でも紹介されたそうです。

   ★

溌剌たる20代を、愛する星に捧げ得た中村は、幸せな人だったと思います。

しかし、その幸せの絶頂の中で、彼は相次いで身内の死を経験し、さらに乱視により視力が低下して、思うように観測ができない状態に陥ってしまいます。自ら鋭眼を誇り、観測こそ生きがいであった人にとって、それがどれほど辛いことかは、察するに余りあります。

苦悶の末に、彼は郷里(滋賀県)の自宅で自ら死を選びました。
時に1932年(昭和7年)9月24日、享年28歳。

   ★

この東亜天文協会の絵葉書セットは、昭和14,5年頃の発行とおぼしく、すでに中村の死から7~8年が経過していますが、故人のスケッチを、あえて絵葉書に含めたことには、深い鎮魂の意が込められていたのではないでしょうか。
深夜の雪を眺めていると、どうもそんな風に思えます。



【参考】
日本アマチュア天文史編纂会(編)、『改訂版 日本アマチュア天文史』、恒星社厚生閣、1995

金星、木星、火星のイメージを追う2013年12月23日 09時06分55秒

過去記事フォローシリーズ。
以前、下のような絵葉書を載せました。


そのときは、女A 「あら、金星が見えるわ」、女B「 あたしの方は木星が見えるわ」、男 「おいらにゃ火星が見えるよ」 …という掛け合いの、結局何がオチになっているのか、なんで男が火星を持ち出したのかよく分からんなあ…というところで話が終わっていました。

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一昨日、その謎を解くヒントとなりそうな、こんな絵葉書を購入しました。(まだ現物は輸送中なので、手元に届き次第、より鮮明な画像に差し替えます。議論の展開には影響ないので、商品写真をそのまま貼っておきます。)


1920年代のこれまたコミカルな絵葉書。
金星、木星、火星を擬人化して、海水浴客に見立てています。

これを見ると、当時は「金星=美女」、「火星=太った猛女タイプ」という見立てが一般的で、前の絵葉書もそれを踏まえたものか…と推測がつきます。また、そこに貧相な男(=木星)を配して、三者をセットにして何か言うというパターンも、一部で流行っていた気配があります。

このうち「金星=美女」は、Venus が美の女神であることを考えれば、ごく自然です。また、火星が猛々しいのも、Mars が軍神であり、古来凶星とされたので分かる気がします。しかし、それが「太った女性」であるのはなぜか(本来のマルスは、りりしい男神)、また天空を支配するJupiter が、なぜかくも貧相な男となってしまったのか? 実際の火星は、直径でいうと木星の約20分の1、並べばハムスターと相撲取りほど違うはずなので、両者の立場の逆転も気になります。

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謎を解くべく、こうしたマンガ的表現の類例をさらに求めて、「venus jupiter mars comic」で検索したら、こんな画像↓が出てきて、虚を突かれました。
http://www.flickr.com/photos/dtjaaaam/11098118194/

うむ、結局どの惑星も、大なり小なり火星的であるということか…」と、つまらないところで話を落としてしまいますが、上の謎は謎として真面目に(そんなに真面目でもないですが)考えてみたいと思います。

ローエル、日本、フランス2013年12月21日 10時58分18秒


(パーシヴァル・ローエル Wikimedia Commonsより)

パーシヴァル・ローエル(Percival Lowell、1855-1916)の名は、火星、冥王星と分かちがたく結びついています。前者は筋金入りの運河論者として、また後者はその発見プロジェクトを強力に推進した者として。
彼の死後(1930年)に発見された新天体が「Pluto」と命名され、PとLを組み合わせた惑星記号を与えられたのも、彼のイニシャルにちなむ…というのは有名な話です。

(冥王星の惑星記号)

彼は良くも悪くも夢と信念に生きた天文家だったと思います。

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さらにローエルは知日家として知られ、前後5回にわたって明治の日本に滞在しました。その縁から日本には「日本ローエル協会」という団体があり、ローエルの顕彰や研究が続けられています。

日本ローエル協会
 http://www.lowell-japan.com/

彼の日本への興味は、もっぱら文化や民俗に対する関心に基づくもので、その方面の著書は、『極東の魂』、『能登 ― 人に知られぬ日本の秘境』のタイトルで邦訳が出ています。さらに、これまで邦訳がなかった主著 『Occult Japan or the Way of the Gods』(1894)も、ついに『神々への道―米国人天文学者の見た神秘の国・日本』(国書刊行会)として、今年の10月に出版され、さらに本書に宗教民俗学的解説を加えた『オカルト・ジャパン―外国人の見た明治の御嶽行者と憑依文化』(岩田書院)も時期を同じうして出るなど、没後100年を控えて、今ちょっとしたローエル・ブームの様相を呈しています。


『神々への道』を翻訳された日本ローエル協会の平岡厚氏から、同書をお送りいただき(私個人あてではなく、日本ハーシェル協会にご恵贈いただいたものです)、私もさっそく拝読しました。

この本は、神道系教団(神習教)や日蓮宗の儀式における憑依現象(神がかり状態)や変成意識状態を、参与観察をまじえて調査研究したもので、その分析の道具立ては、当時の心理学や生理学的知見ですから、いわゆる「オカルトもの」ではありません。

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ローエルのこの本を持ち出したのは、このところ記事の流れがフランスづいていたからです。…というと、いかにも唐突ですが、この『神々への道』には、フランスに対する言及がいくつかあって、そのことをふと思い出したからです。

フランスといえばドイツと並ぶヨーロッパの大国であり、海峡をはさんでイギリスと対峙する国。歴史を顧みればフランク王国の一角として、まあ「西洋そのもの」と言ってもいい国だろうと思います。

ところがローエルは、フランスを西洋世界における異端児と見なしている節があります。たとえば、彼は「日本人は極東のフランス人である」という警句を引用していますが(邦訳192頁)、これは裏返せば「フランス人は西洋の日本人である」ことを意味しており、その精神構造の特殊性をほのめかす言い方です。

その特殊性とは、(ローエルに言わせれば)被暗示性の高さであり、憑依や催眠現象への顕著な親和性です。

フランス人も似たような利他的憑依の傾向を示す。彼等が比較的容易に影響されないのであったならば、メスマー〔…〕は、ウィーンで生計を立てられないこともなく、パリで流行児となることもなかったであろう。シャルコー〔…〕とナンシー〔…〕も現代催眠術の先駆的な名前になることもなかったであろう。(同203頁)

ローエルは、このように18~19世紀のフランスで名を成した催眠術の大家の名前を挙げつつ、「極東民族と女性とフランス人の精神」は「三種の同じ精神」であるとまで言い切っています(同)。さらに彼の筆は、以下のような驚くほど強い言葉でフランスをなじる方向に滑っていきます。

如何なる集団であれ、〔…〕集団全体もまた互いに相異なっている。フランス人とアングロサクソン人とは極めて身近な例を我々に提供してくれる。〔…〕あの偉大なる独創の人イギリス人は、あの猿真似フランス人を心から軽蔑しており、彼等の制度の恐るべき過激共和主義と、彼等が初めて会う人に胸襟を開く際の、あの驚く程不快な態度の、そのいずれの方に、より唖然として立ち辣むかには、自ら知る所がない。(同189-90頁)

   ★

ローエルがこれほどフランス人を嫌った理由は、近親憎悪的なメカニズムによるのかもしれず、実はローエルこそ「アメリカのフランス人」であったのでは…と思わなくもありません。うがった言い方をすれば、彼が火星に運河を見つづけたことは、その被暗示性の高さを示唆するものでしょうし、また一生かけて火星人の存在を追いかけた頼もしい相棒こそ、ほかならぬフランス人のカミーユ・フラマリオン(1842-1925)だったことも、単に偶然とは言い切れないような気がします。

スキャパレリの肉声…『アストロノミア・ポポラーレ』2013年10月21日 20時36分30秒

読めない本といえば、これなんかもそうです。


火星研究史において、「運河論」の火付け役として忘れることのできない、イタリアのジョヴァンニ・スキャパレリ(1835-1910)― 彼の存在を身近に感じたいという、ただそれだけのために買った本。

Giovanni Schiaparelli(著)、Luigi Gabba(編)
 Le più belle pagine di Astronomia Popolare. (一般天文学精選集)
 Hoepli(Milano)、初版1925.  371p.(第2版1927.  456p.)

左側のきれいな方が1925年に出た初版で、右側はその2年後に出た第2版です。
初版を買った後で、第2版の方が図版が多いことに気づいて買い直したという、ずいぶんご苦労な話なんですが、最初からあまり意味のある買い物ではないので、無駄ついでに買ったようなわけです。

(第2版タイトルページ)

この本はスキャパレリの没後に出たものですから、当然書き下ろしではなく、彼が生前、雑誌等に発表した文章を編んだ選集です(たとえば火星についての章は、1893年にミラノで出た「Natura ed Arte(自然と芸術)」誌が初出)。

スキャパレリ(スキアパレッリとも)と火星の運河論争については、以前以下のような記事を書いたので参照していただければと思いますが、ともあれ彼の主張は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、天文学者たちを大いにエキサイトさせた一大テーマなので、彼の「生の」言葉とスケッチに触れたいという思いは前からありました。

抜き書き・火星論争 in 英国
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/09/09/


(スキャパレリが見た運河のオリジナルスケッチ)


 Queste linee o strisce sono i famosi canali di Marte di cui tanto si e parlato. Per quanto si e fino ad oggi potuto osservare, sono certamente configurazioni stabili del pianeta.

「これらの線ないし縞模様が、かの有名な火星の「カナリ」(水路)であり、これについては多くの語るべきことがある。観測可能な限りにおいて、現在〔注:1893年〕に至るまで、カナリは確かにこの惑星上に安定的に存在するパターンである」云々。
…グーグル先生によれば、大略そんなようなことが書かれているようです。

まあ、グーグル先生がいなければお手上げなのは確かですが、タイトルの「Astronomia Popolare」が、英語の「Popular Astronomy」に相当し、「アストロノミア・ポポラーレ」と読むのだろう(いかにもイタリア的語感です)ということは辛うじて分かるので、「読めない」と言っても、そこにはいろいろ程度の差があります。

少なくとも、スキャパレリの体温はこの本から十分感じ取ることができるので、素朴な天文史の愛好者としては、それを以て満足すべきなのでしょう。

ある火星観測2013年09月14日 18時20分13秒

昨日の話題から「そういえば…」と思い出したカードがあります。

「The Astronomers(天文家たち)」と題した絵葉書。
1910年代のクロモ刷りで、印刷はオランダ、販売はイギリスで行われたものです。


  「あら、金星が見えるわ」
  「あたしの方は木星が見えるわ」
  「おいらにゃ火星が見えるよ」

ご覧のとおり他愛ない絵柄ですが、このオチは少しく難解です。
この不埒な男は、いったい何ゆえ火星を持ち出したのか?
1910年代の火星イメージはいくぶん多義的なので、いっそう不可解です。

それとも、こういうのは、あまり真面目に考えてはいけないんでしょうか。

もう一人のジョバンニ2013年04月16日 06時18分34秒

銀河鉄道の夜にちなみ、「ジョバンニが見た世界」を考証していて、何かイタリアにちなむ天文アイテムが欲しいと思いました。それは午後の授業の教室の壁にぶら下がっていてもよく、また時計屋のショーウィンドウに飾られてもいいのですが、とにかく物語の舞台を暗示するために、そういうものがあってもいいかなと思ったのです。

   ★

しかし、改めて考えると、どうもイタリアでは天文学が振るわず、少なくとも近代以降は天文後進国だったことは否めません(これは科学技術全般について言えることかもしれません)。

もちろん、あのガリレオはいます。
しかし、ガリレオがあまりにも偉大すぎて、あたかもイタリアの天文エキスをすべて吸い取ってしまったかのように、その後は英・独・仏のはるか後塵を拝する状態が続きました。

それはガリレオ騒動のときもそうでしたが、やはり教会権力によって、自由な学問研究が抑圧されがちであったという風土も影響しているのでしょう。

(夜のサンピエトロ寺院)

ガリレオ以後、イタリアで名のある天文学者といえば、最初の小惑星(ケレス)を発見したジュゼッペ・ピアッツィ(Gòuseppe Piazzi 1746-1826)や、恒星の分光学的研究をリードした、アンジェロ・セッキ(Angelo Secchi 1818-1878) ぐらいでしょうが、彼らはいずれもカトリックの僧で、そういう立場だったからこそ、活動が許容された面もあると思います。(とはいえ、セッキ神父もイエズス会とバチカンとの確執から、一時はローマ追放の憂き目を見ました。19世紀になってからも、イタリアはそんなことが起こりうる国だったのです。)

あるいは、ちょっと変わったところでは、ガリレオの同時代人に、ニッコロ・ズッキ(Niccolo Zucchi 1586-1670)という人がいます。この人も神父さんで、「金星の方が水星よりも太陽に近い。なぜなら金星の方が美しいから」という奇説を唱えた、天文学者としてはちょっとどうかと思える人ですが(でも素敵な説です)、彼は1640年に自作の望遠鏡で火星面の模様を観測し、それがカッシーニによる火星の自転周期の決定に役立った…というエピソードを残しています。

それから200年あまり後、イタリアのもう一人の天文家が、火星の観測で一大センセーションを巻き起こしました。その名もジョバンニ、すなわちジョヴァンニ・スキャパレリ(Giovanni Virginio Schiaparelli 1835-1910)です。

この人は僧侶ではなく俗人ですが、ミラノのブレラ天文台長職を長く務め、流星群と彗星の関係を明らかにするなど、実際には本格派のまじめな天文学者です。でも、今ではもっぱら「火星の運河を(誤って)発見した人」という、不名誉な記憶のされ方をしているのではないでしょうか。

もちろん、天文学史に多少とも通じた人は、それこそスキャパレリにとって濡れ衣で、彼は火星表面に自然地形としての溝(カナリ/カナル)を見たと報告したに過ぎず、それが「運河(キャナル)」と英語圏に誤伝され、大騒動になったことをご存知でしょう。
ともあれ、彼の名は今や火星の運河と固く結びついてしまっています。
(でも、彼の見たカナリも多分に迷妄の産物でしたから、100%濡れ衣とも言い切れないような…)

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そのスキャパレリの絵図を見つけました。


ブレラ天文台の主力機材、口径20インチの屈折望遠鏡で観測に励むスキャパレリを描いた絵で(元は写真かもしれません)、『イタリア絵入り新聞 L'illustrazione Italiana』1898年の紙面を飾ったものです。
紙面はA3サイズで、上の挿絵自体は約 20.5 × 31cm の大きさがあります。
これ1枚単独で売っていたので、ダイソーで買った安い額に入れてみました。

(ひげが立派)

“銀河鉄道の旅から戻ったジョバンニは、後に猛勉強して天文学者になった。彼の姓はスキャパレリ…”というようなオチはどうでしょう?
ちょっと時代が整合しないのが残念ですが。