乳酪の道2017年02月15日 07時12分27秒

ポスタースタンプといえば、こんな品もあります。
年代ははっきりしませんが、雰囲気としてはこれも1920~30年代のものでしょう。


天の川は、空に乳が流れた跡だ…というのは、いにしえよりの見方で、そこから英語の「ミルキーウェイ」の称も生まれたわけですが、上のカードは、これを乳ならぬバターの道と見立てている――あるいは、天上から滴り落ちた乳が、地上にバターの道を描いている様を描いています。

(夜空にかかる「CUE BRAND」の文字。バターの商標でしょうが、詳細不明)

ここでバターを持ち出したのは、もちろんバターメーカーの商業主義のなせる業でしょうし、乳に比べていささか雅に欠けるきらいはありますけれど、夜空を虎たちがぐるぐる回る姿や、天上からパンケーキの焼ける匂いが漂ってくるところを思い浮かべると、少し心が温かくなります。

銀河草紙(後編)2016年09月22日 13時51分39秒

実は、昨日の文章にはウソが1つまじっています。

昨日は、あたかも『銀河草紙』の存在を知ってから、その現物を探し始めたように書きましたが、実際には古書店で現物を目にしてから、その関連情報を求め、その延長で国会図書館や大阪市立科学館のページに行き当たったのでした。

ですから、探すのには何の苦労もなくて、唯一の苦労は懐の問題だけです。

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古書店で売っていたのは、中巻のみの端本でしたが、京大にだって上巻しかないのですから、私にとっては十分すぎる品です。

(題箋は下半分が欠)

そして中巻には、あの「天の川の条」が含まれているので、三巻の中でどれか一つ選べと言われたら、やっぱり中巻を取ると思います。


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それにしても、七夕とはつくづく多義的な祭です。


それは織女=天女からの連想で、羽衣伝承と結びつき、


「七夕踊り」と盆踊りの類縁性に見られるように、盆の習俗とも結びついています。

そもそも七夕は、夏と秋の交代の時期の行事として、6月晦日の夏越(なごし)の祓から、7月中旬の盆行事まで続く一連の祭事に組み込まれたもので、本来は、歳送り・歳迎えの新年行事と対になるものです。

そこには笹流しに見られる祓えの要素もあり、7月7日を「七日盆」と称する土地もあるように、祖霊の魂祀りの要素もあり、そうした古俗に中国伝来の乞巧奠の性格が加わって、今のような七夕が成立した…というのが、平均的な七夕理解でしょう。

(冒頭二首。「年毎に逢ふとはすれど棚ばたの 寝る夜の数ぞ少なかりける」、「浅からぬ契りとぞ思ふ天の川 逢ふ瀬は年に一夜なれども」)

そして、古来多くの人が地上の男女の機微を天上に投影し、和歌を詠み、星に願いを捧げ、ますます陰影に富んだ行事として発展し、伝承されてきました。

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現在では、幼稚園や保育園で短冊を書いたり、折り紙で飾りを作ったりする日に矮小化されている観もありますが、歳を重ねた今、たなばたの陰影に今ひとたび目を向けてみばや…と思ったりします。

銀河草紙(前編)2016年09月21日 06時39分49秒

台風一過。
彼岸の中日を前に、秋冷の気が辺りに満ちています。

おととい耳にしたツクツクボウシが、おそらく今年最後の蝉でしょう。はたして彼は伴侶を得ることができたのかどうか。伴侶どころか、彼は自分以外の蝉の存在をまったく知らずに、一生を終えたかもしれません。思えば何と孤独な生でしょう。

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さて、話題を星に戻して続けます。

『銀河草紙』 ―― そんな美しいタイトルの本があることをご存知でしたか?
それは正真正銘の江戸時代の本で、しかも黄表紙や洒落本なんぞでなく、七夕習俗について真面目に綴った本なのですから、興味深いことこの上ないです。

著者は池田東籬(いけだとうり、1788-1857)、画工は菱川清春(1808-1877)。京都の書肆・大文字屋得五郎らが版元となって、天保6年(1835)に出た本です。

この本の存在を知ったのは、つい最近のことです。
でも検索したら、大阪市立科学館では、2011年から七夕関連のプラネタリウム番組の中でこの本を紹介しており、現物の展示も行われている由。

第45回 七夕にまつわる新発見(2011年6月12日)
 http://www.sci-museum.jp/staff/?p=22

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気になるその内容ですが、幸いなことに、この本は国会図書館のデジタルコレクションで、全頁カラー画像で見ることができます(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2608095)。


今、巻ごとの章題を挙げれば、上巻は、「二星(じせい)相値(あひあふ)の説」、「乞巧奠の条」。中巻は、「天の川の条」、「鵲(かささぎ)の橋の条」、「梶の葉の条」、「願の糸の条」、「芋の葉の露の条」、「笹流しの条」。そして下巻は、「七夕といえる条」、「七日佳節の条」、「素麺を祝ふ条」、「星に小袖をかすといふ条」…となっています。

天文趣味の観点からは、中巻の「天の川の条」が、真っ先に気になるところです。
では、と目を凝らすと、

 「天の川は水気の精とも、金気の集まる処にして秋の気であるとも〔※〕、あるいは『遠望鏡(えんぼうきょう)』とかいうもので覗くと、小さな星が集まっているのが鮮やかに見えるともいう」

…という記述があって、当時すでに「天の川は星の集まりだ」という知識が、かなり行き渡っていたらしいのが、目を惹きます。(※なお、中国古来の五行説では、「木火土金水(もっかどこんすい)」の五要素を四季と関連付けて、「金」を秋に当てました。)

とはいえ、著者・東籬は、

 「自分は『天の学び』〔天文学の意?〕に暗いので、どれが正しいのかは分からないが、天の川は夏の終わりごろから見え始め、冬になると見えなくなってしまうことからすると、『秋気の集まったもの』という説が、もっとも妥当ではなかろうか…」

と自説を述べており、江戸の平均的知識人の理解の限界も、同時に示しています。

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ときに、この素敵な本はかなりの稀本です。
全3巻を所蔵するのは、国会図書館と京都府立総合資料館のみで、あとは京大に1冊(上巻のみ)あるそうですが、他は皆目わかりません。

まあ、鮮明な画像をいつでも見られるので、現物はなくてもいいようなものですが、モノ好きとしてはそれでは物足りません。いくら部屋が濁ろうが、飽和しようが、やっぱりこれは探す価値がある…という辺りの顛末を記します。

(この項つづく)

かささぎの橋を越えて2016年07月07日 06時46分12秒

今日は七夕。
旧暦の7月7日といえば、新暦の8月中旬にかかる頃合いですから、ちょうど夏と秋が入れ替わる時期です。七夕は新旧の季節感が大きくずれる行事のひとつで、現代ではこれから夏本番ですが、俳句の世界では立派な秋の季語。

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以下、『銀河鉄道の夜』より、「九、ジョバンニの切符」の一節。

 「まあ、あの烏。」 カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
 「からすでない。みんなかささぎだ。」 カムパネルラがまた何気なく叱るように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光を受けているのでした。
 「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」 青年はとりなすように云いました。

ここにカササギが出てくるのは、もちろん銀河と鵲(カササギ)の故事――すなわち、七夕の晩には、鵲が翼を並べて天の川に橋をかけ、そこを織姫が渡って彦星に会いに行く(あるいはその逆)という、中国の伝承にちなむものでしょう(古くは漢代の「淮南子(えなんじ)」に、その記述がある由)。

そんなことに思いを馳せつつ、今日はムードだけでも涼し気な品を載せます。

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七夕の茶事で用いられる香合(こうごう)。
夜光貝の銀河と、金蒔絵の鵲を取り合わせた可憐なデザインです。


香合は香を容れるための容器で、浅い身と蓋に分れます。


銀河のほとりには、織姫の坐すこと座が輝き、


その対岸に、牽牛(彦星)の住むわし座が羽を広げています。


そして、両者の間を縫うように、漆黒の空で鳴き交わす鵲たち。

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お茶道具といっても、通販で扱っている普及品ですから、価格はまあそれなりです。
でも、このデザインはなかなか素敵だと思いました。(産地は石川県、いわゆる加賀蒔絵の品です。)


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▼閑語 (ブログ内ブログ)

異国であまたの邦人が殺されようと、
いくら政府の要人や、その取り巻きが 
破廉恥なことや、悪辣なことや、愚昧なことを
言ったり、やったり、隠したりしても、
我が同胞は少しも慌てず騒がず、常に泰然自若としている。
まことニッポン人こそ、世界に冠たる忠勇無双の国民なり。
頼もしいことこの上なし。

…と、憎まれ口のひとつも叩きたくなる昨今です。
「天文古玩」と称して、ひどく呑気なことを書き連ねながら、今の状況を前にして、少なからず心を曇らせています。

そして、私は現政権と心中する気も無ければ、その危険な実験を温かく見守る気もありません。私の答は、はっきりとノーです。

   ★

おそらく、こういう物言いに反発を感じる人は、確実に何割かいらっしゃるでしょう。
政治の話なら、よそでやってくれ…というわけです。

たぶんこういう場合、ブログにしてもSNSにしても、多くの人は内容に応じて別アカウントを取得して、趣味なら趣味、政治なら政治と、切り分けて発言や行動をされているように想像します。それは社会生活をスムーズならしめる賢い振る舞いであり、他者への配慮でもあるのでしょう。

しかし、私にはそれが現代を広く覆う病理、「人格の解離」の大規模な実践に見えてしかたがないのです。

ついさっきまで悲しいニュースを、いかにも悲し気に読み上げていたアナウンサーが、次の瞬間、一転してにこやかな表情で、「さて次はスポーツです。テニスのウィンブルドン2日目…」と言うのを見ると、私はとっさに「この人は病んでいる」と感じます。もちろん、アナウンサーは職業上、悲し気な顔や、晴れやかな顔を作っているに過ぎないので、それを見ている方が、アナウンサーと一緒に気持ちを切り替えているなら、むしろ病んでいるのは視聴者の方でしょう。

チャンネルを替えるように、感情や思考の流れをパッパッと切り替えられるとしたら、その人の統一された「本当の自分」はいったいどこにあるのだろう…と不思議に思います。いや、その人は果たして本当に何かを感じたり、考えたりすることができているのだろうか…とすら思います。

   ★

自分が正しいことを書いている自信は全然なくて、明日になったらまた違う感想を持つかもしれません。しかし、今はぜひ言っておきたい気がして、あえて書きました。

いずれにしても、私の中では「天文古玩」的な世界と、政治的角逐が生じている現実世界とは地続きで、そこに境界はありません。それは1つの全体です。(…と大見得を切りましたが、以前は正反対のことを書いた記憶もあり、あまり信用してはいけません。それこそがネットリテラシーです。)

天の川原にゆれる薄2015年07月07日 22時14分16秒

今宵は七夕。
セオリー通り、今年も雲が一面空を覆っていますが、天上では人々の好奇の目を避けて、二星がゆっくり逢瀬を楽しんでいることでしょう。

七夕にちなみ、今日は和の風情を出して、1枚の短冊を載せます。


詠題は「七夕草花」。


「ひさかたの 天の川原の初尾花 まねくかひある こよひなりけり」

薄の穂が風になびくことを、人が手招きする様になぞらえて「招く」と表現します。
七夕の夜、天上では薄の若穂が涼しく揺れ、地上では嬉しくも大事な客人をこうして迎えることができた…という挨拶の歌でしょう。

作者は、植松茂岳(うえまつしげおか、寛政6年-明治9/1794-1876)。
尾張藩校で長く講じた、名古屋の国学者・歌人です。

この茂岳の名が天文学史の本にも顔を出すのは、彼には国学の立場から天文学を論じた『天説弁(文化13/1816)という著書があるからです。

これに対し、同じ国学の立場から、平田篤胤は『天説弁々』という反論の書を出し、茂岳はそれに応えて『天説弁々の弁』という再反論の書を出した…と聞くと、あまりにもベンベンしすぎて笑ってしまいますが、「これらの書物は平田篤胤派と、本居大平派の古道学者両派の言葉の上の論争で、天文学の立場から見れば、これという価値を見出すことはできないものと考えられるので、これ以上立入らない」と、識者はあっさり切り捨ているため、肝心の中身はよく分かりません。(引用は、渡辺敏夫氏の『近世日本天文学史(上)』より)

   ★

その内容はともかく、星に心を寄せた、この風雅な国学者の歌を読んで、まっさきに思い浮かべたのは、「銀河鉄道の夜」の以下のシーンです。

 「〔…〕おや、あの河原は月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
 「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって〔…以下略…〕
                      (『銀河鉄道の夜』、「六、銀河ステーション」より)

銀河の川原には一面に薄が茂り、さらさらと風になびいている…
この美しいイメージは、賢治のはるか以前から、日本の文芸の世界に連綿と続いてきたらしいことを、茂岳の短冊を見て知りました。

世界は光り、脈動する…小さな銀河模型2015年05月10日 06時49分30秒

目に見える現象世界はまことに複雑でとらえどころがないが、その背後には必ずや基本となる要素があり、複雑に見える現象も、そうした基本要素の相互作用によって説明できるにちがいない―。

これは多くの文化圏で生まれた考え方で、科学と魔術が未分化な時代から、その精緻な理論化に向けて、人々は思索と観察を重ねてきました。例えば古代ギリシャでは、「地・水・火・風」の四大を、インドではさらに「空」を加えて五大を想定しました。一方、中国で生まれたのは「木・火・土・金・水」の五行説です。

五行説では各要素に色を配当し、「青・赤・黄・白・黒」の5色とします。
仏教の場合、五大の各要素に色を当てはめたわけではありませんが、一種の吉祥色として、やはり「五色(ごしき)」を挙げ、そのカラーバリエーションは五行と同じです(過去のどこかで混交が起こった可能性もありますが、まあ通文化的に基本色なのかもしれません)。

日本では「青・黒」を「紫・緑」に差し替えることが多く、「紫・赤・黄・白・緑」のカラーパターンが、お寺でも神社でもやたらと目につきます。鯉のぼりの吹流しもそうですね。要は世界を象徴する色というわけでしょう。

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…というようなことに思いが至ったのは、最近下のような品を手にしたからです。


「天の川銀河」の銀文字が光る化粧箱に入っているのは、



国立天文台(NAOJ)のお土産用キーホルダー。


手元の銀河模型の中で、これまでいちばん小さかったのは、タカラの「王立科学博物館Ⅱ」(いわゆる食玩です)に入っていた海洋堂制作のものですが、このNAOJのキーホルダーは、さらにその上(下?)をいく「最小の銀河模型」です。
この愛すべき佳品は、先日コメント欄でtis0さんに教えていただきました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/15/5163726#c7624839)。

しかも、この品は単に小さいばかりではありません。
なんと自ら光るんですよ。それもかなり烈しく。


冒頭で書いたようなことを考えながら、わが銀河系が5色に発光し、リズミカルに脈動する様を眺めていると、ちょっと不思議な気分になります。一種のサイケデリック体験かもしれません。

地上の銀河…カテゴリー縦覧:銀河編2015年04月01日 22時19分02秒

いよいよ4月。今年も既に4分の1が終わりました。
そして今月の末には、「もう3分の1が終わった!」と驚くことになります。

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手元に明治7年(1874)に売り出された、古い地球儀があります。


それを見ていたら、この地球上に銀河が流れているのを見つけました。


「リオデラプラタ 銀河」。
今でいうところの「ラプラタ川」を、かつての日本では「銀河」と訳していました。

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遠い昔、ジパングは黄金の島と呼ばれ、ヨーロッパ人の想像力を掻き立てました。
その後、大航海時代の訪れとともに、今度は南米アマゾンの奥地に「エル・ドラード(黄金郷)」があるという噂が立ち、スペイン人による探検(という名の侵攻)を加速しました。

同じ頃、それと対を成すかのように、南米の内陸部には「白い王」が支配する、シエラ・デ・ラプラタ(銀の山々)」があるのだ…という噂もありました。もともと現地にその種の言い伝えがあったところに、いろいろ尾ひれが付いて肥大化した噂のようです。

そして、そこからアルゼンチンの国名が起こり(ラテン語の「argentum(銀)」に由来)、またラプラタ川(スペイン語でRio de la Plata、英語に直訳すれば River of Silver)の称も生まれたということです。ちなみに命名者は、イタリア系イギリス人にして、ユダヤの民、そしてスペイン王に召し抱えられて南米を探査したという、ややこしい経歴のセバスチャン・カボット(c.1474-1557)。

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…というわけで、地上の銀河には、少なからず欲が絡んでいます。
その点、天上の銀河は純なものですね。
でも、人間の欲には限りがないので、未来永劫そうかどうかは分かりません。

カテゴリー縦覧…天文古書編:ニコル著『宇宙の構造』(2)2015年02月13日 06時06分53秒

このニコルの本は、いろいろな意味で過渡期の産物です。

1つには、この時期、写真術は既に産声を上げていましたが、それが天文学に応用されるには、まだ間がありました。

(David H. Davison, Impressions of an Irish Countess, 1989より。上は1862年、下は1858年頃、いずれもロス伯爵夫人撮影)

そのことに関して象徴的なのは、前回も登場したロス伯爵夫人は、当時の物差しからすると、きわめて科学的な女性で、写真術を趣味にしていたことです。
彼女は、夫であるロス伯爵の建造した、鏡径1.8メートルの巨大望遠鏡(1847年運用開始)の姿を、鮮明な写真に収めていますが、しかし望遠鏡で見たものを、乾板上に結像させることはできませんでした(そもそもロス伯爵の望遠鏡は、星を追尾できないので、長時間露光できません)。

したがって、ニコルの本の挿絵は、すべて肉眼と手によるスケッチに基づくものです。

   ★

2つめは、写真術と並んで天文学に革命をもたらした「分光学」も、まだ誕生前夜だったことです(それが呱々の声を上げたのは1860年代のことです)。

そして、この2つの時代的制約から、ニコルは星雲の性質について、ある予断を持って臨むことになりました。それは、星雲はすべて星の大集団であり、望遠鏡の性能がさらに向上すれば、それは疑問の余地なく立証されると考えたことです。

これはロス伯爵の大望遠鏡によって、それまで個々の星像に分離不能だった星雲・星団のいくつかが、実際に分離できたことに幻惑された結果です。そしてまた、分光学がガス星雲の正体を明らかにする以前だったので、ニコルがそう思いこんだのも、無理からぬことです。

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そして3つめは、写真術の製版術への応用も、まだまだ先の出来事だったことです。

ニコルの本の挿絵は当然すべて版画です。しかも、流行の石版画(リトグラフ)を使わず、技法的にはすべて鋼版画(steel engraving)に拠っています。

今回、このニコルの本を取り上げた最大の理由は、その驚くべき図版の表現力です。
鋼版画は主にイギリスで好まれた技法で、銅版画に比べ、ややもすると微妙なニュアンスに欠けると言われますが、ニコルの本を見ると、決してそんなことはありません。というよりも、本書の図版は、鋼版の表現力を最高度に引き出した例だと思います。

そして、上で述べたように、そこに描かれているのは、人間の目と手が捉えた像であり、客観性を重んじつつも、必然的に人の想像力が影響しているので、画面に一種の幻想味が漂っており、えもいわれぬ魅力を放っています。

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前置きが長くなりましたが、ニコルの本の挿絵を見てみます。


ロス伯爵が、その形状からかに星雲と命名した、おうし座のM1
今では超新星残骸と分かっていますが、ロス伯爵は、これを星の大集団と考えました。


図の拡大。天の川のように点綴する微光星のイメージが、挿絵にも影響しています。
当時の人は、ここに宇宙の深淵にひそむ、不気味な怪物めいた存在を感じ取ったことでしょう。
それにしても、このぼうっと煙るような星雲の表現のなんと繊細なことか。


りょうけん座の子持ち銀河、M51
これもロス伯爵の代表的業績である、星雲の渦状構造の発見を伝える図です。
見開きいっぱいに描かれた天界の驚異。
当時の人の驚きが、そのまま画面に固定された感があります。


Hollow nebula(空洞星雲)とは、うつろな球殻状の星雲ということで、現在で言うところの惑星状星雲です(もっとも、歴史的には惑星状星雲の方が昔からある呼び方で、ニコルは、対象の性質をより正しく表現するものとして、空洞星雲の名をあえて使っています)。




個々の星雲が何を指しているかは、本文中にも説明がないので不明ですが、不思議な生き物めいた画像が、人々の宇宙への好奇心を激しく掻きたてたことでしょう。


これぞ極め付けに繊細な図。表題は「天の川の一部のスケッチ
文句なしに美しい絵です。そして星空のロマンにあふれています。
そもそも、どうやってスケッチしたのか、そして、それをどうやって版に起こしたのか、人間の手わざの凄味を改めて感じる図です。

ニコルの本には、こうした珠玉の挿絵が、全部で22葉収められています。

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天体写真が、人々の宇宙イメージの形成にどれだけ寄与したかは、想像以上のものがありますが、19世紀の第2四半期には、すでにこうした一連の図像表現によって、新たな宇宙イメージが、人々の脳裏に萌していたことは、指摘しておいてよいと思います。

冬のミルキーウェイ2014年12月01日 06時06分59秒



オリオン、おうし、こいぬ、ふたご、ぎょしゃ…
冬の空をゆったりと流れる乳白の川。

いよいよ今日から12月。
せわしない日常の中にも、静かな時間を大事にしたいです。

(写真は少し以前に antique Salon さんで購入した幻灯スライド)

星座の海2013年06月09日 15時39分12秒

(まだリハビリ中ですが、本来の記事も少し書いてみます。)

2年前に、以下のような記事を書いたことがあります。

星の美と神秘(2)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/06/16/5916729

内容は、野尻抱影の天文随筆集、『星の美と神秘』(1946)で知った、地上の河をどこまでもさかのぼると、天の川につながっていた…という中国説話について触れたものでした。

唐代の李白の詩にも
  君不見黄河之水天上来  (君見ずや 黄河の水 天上より来り)
  奔流到海不復回   (奔流し海に到って 復た回〔かえ〕らざるを)

の句があり、この観念は古くから中国の人の心に刻み込まれていたもののようです。

遥かなる大地の果てから流れ来たる大河、
遠い地平線の向こうから悠然と立ち上がる銀河、
彼の地の風土を考えると、その両者が遠いどこかでつながっているという観念も、ごく自然なものに思えます。

   ★

上の記事を思い出したのは、最近、1冊の美しい本を手にしたことがきっかけです。
それは版画家の関根寿雄(せきねとしお、1944~)氏の作品集、星宿海

(本体と外箱。判型は約25.5×18cm)

星座をモチーフにした彩色木版画が12枚、それに序文と奥付も版木に彫ったものなので、都合14枚の版画を折本仕立てにした、私家版の作品集です(1986)。

その中身は改めて見ることにして、床しく思ったのは、そのタイトルです。
「星宿」とは星座の古い言い方。ですから「星宿海」とは、天空を星座の海にたとえてネーミングしたのだろうと、最初は思いました。
しかし、実は星宿海という土地が、この世界に実際にあるのだそうです。

   ★

星宿海は黄河の源流。
そう、黄河をさかのぼると、確かにそこは星の海だったのです(びっくり)。

四川・甘粛のそのまた向こう、中原の地を遠く離れた現・青海省に星宿海はあります。
ここは漢土の西、中国歴代王朝とチベット・モンゴル・西方諸民族が、長きにわたって覇を競ってきた異域です。


上のグーグルの地図のうち、バルーン表示は無視していただいて、中央の「青海」の2文字に注目してください。その右下に、2つの湖が仲良く並んでいるのが見えるでしょうか。


拡大すると、ザーリン湖(左)とアーリン湖の名前が見えてきます。
両方合わせて中国では「姉妹湖」と呼ぶそうですが、その水は冷たく澄み、ザーリン湖は青白、アーリン湖は青藍の色合いをたたえていると言います。そしてこの2大湖周辺の湖沼地帯の名称が「星宿海」。その風景は、下のページで瞥見することができます。

源流域に広がる湖沼群―姉妹湖と星宿海
 http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/03_back/tibet/tibetphoto02.htm

それにしても、何と透明で、切ないまでに美しいイメージでしょうか。
現実の風景も、それを裏切らない清澄さをたたえているのが、何だか奇跡を見るようです。

   ★

関根氏の『星宿海』も、この美しい地名に想を得た連作で、天文趣味の上からも注目に値する作品なので、その内容をさらに見てみます。


(この項つづく)