銀河の流れる方向は2021年10月05日 05時50分58秒

(昨日のおまけ)

「新撰恒星図」と、「銀河鉄道の夜」との関わりについて、一言補足しておきます。

   ★

これも以前の話ですが、「この物語を実写化するとしたら、こんな星図が小道具としていいのでは?」という問題意識から、その候補を挙げたことがあります。それはドイツ製の掛図で、北天だけを描いた円形星図でした(もちろん賢治その人は、その存在を知らなかったでしょうが)。

(画像再掲。元記事はこちら

ここで改めて、「銀河鉄道の夜」の原文を見てみます。
問題の星図が登場するのは、物語が幕を開けた直後です。

一、午后の授業

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問をかけました。

ここで注目したいのが、「上から下へ白くけぶった銀河帯」の一句。
賢治の脳裏にあった星図は、銀河が「縦」に流れており、そこが上のドイツ製星図のいわば“弱点”です。一方、「新撰恒星図」はこの点で作品の叙述と一致しています。


まあ、銀河が縦に流れる星図は世の中に無数にあるので、そのことだけで「新撰恒星図」を推すのも根拠薄弱ですが、資治がそれを学校時代、現に目にしていたことの意味は大きいです。しかも、「掛図形式の星図」としては、当時日本ではおそらく唯一のものでしたから、その影響は小さくないと考えます。

   ★

銀河が縦に流れるか、横に流れるかは、あえて言えば作図者の趣味で、そこに明確なルールがあるわけではありません。どちらも星図としては等価です。

天の赤道と銀河面の関係は下の図のようになっています。

(出典:日本天文学会「天文学辞典」 https://astro-dic.jp/galactic-plane/

赤道面と銀河面のずれが仮に90度だったら、銀河は天の両極を貫いて、星図の中央を真一文字に横切るはずですが、実際には62.6度の角度で交わっているため、文字通りの真一文字とはいかず、天の両極を避けるように、弓なりに星図を横切ることになります。(天球上の星々を天の赤道面に投影したのが円形星図です。)

そして、赤道面と銀河面の交点を見ると、春分点(ないし秋分点)から、ほぼ直角の位置――正確には約80度離れた位置――から、銀河は立ち上がっているので、<春分点‐秋分点>のラインが水平になるように作図すれば、銀河はそれと交差して縦に流れるし、分点ラインが垂直ならば、銀河は横方向に流れることになります。


「新撰恒星図」の場合は、分点ラインが水平で、秋分点を接点として南北両星図が接しているので、当然銀河は縦に流れるわけです。

(春分点が右にくると、必然的に赤経18時が真上にきます)

   ★

縦か横か。ささいな違いのようですが、銀河が縦に流れれば、銀河鉄道の旅もそれに沿って流れ下るイメージになり、生から死への一方向性がより一層強調される…というのは、たった今思いついた奇説ですが、そんなことがなかったとも言い切れません。

九月の星の句2021年09月20日 11時41分47秒

久しぶりに俳句の話題です。
昨日の朝日俳壇を見ていて、深く感じ入ることがありました。

(稲畑汀子 選)
●母は子に 何かをささやく 星月夜 (静岡市 松村史基)

選者評は、「一句目。満天の星の光が月のように明るく見える。庭に出て、それを見上げる母子の会話が想像される」。いかにも穏やかで、平明な句ですね。と同時に、人生の一瞬を切り取って、その一瞬から人生そのものを想像させるような広がりがあります。

そしてさらに星の句を拾っていくと、次の句が目に留まりました。

(長谷川櫂 選)
●アフガンの 女性の上を 天の川 (高松市 島田章平)

私が深く感じたというのは、この2つの句が私の中で瞬間的に結びついたからです。
もちろん両句は独立に詠まれたもので、1句目の母子はアフガンの人ではないし、2句目の女性が母親とも限りません。しかし両句が一つになると、そこにはお二人の作者の意図を超えた、別の像が結ばれます。

荒廃した町並み、絶望に支配されそうな心、その中で母はわが子に何かをささやき、その上を銀河が無言で流れていく――。

俳句には「付け合い」ということがあります。
ふつうは五・七・五に、別の読み手が七・七を付けるという、座の文芸特有の形式を指すのだと思いますが、それに限らず、二つの句が唱和し、新たな意味を放つことが、この短詩形文学にはあります。

さらに紙面に目を走らせると、もうひとつ天の川の句がありました。

(大串 章 選)
●滑走路 天の川へと 灯をつなぎ (玉野市 勝村 博)

ここでまた、先日のアフガン避難行と、それにまつわる混乱や悲劇を思い起こすと、やっぱり抜き差しならない意味が、そこに生じてきます。

   ★

偶然に生じた三つの句の唱和。あまり独りよがりな読み方も良くないですが、俳句の妙味は、こういうところにもあるのだと思います。

(アフガニスタンの空を横切る天の川。Yunos Bakhshi 氏撮影。出典: UNIVERSE TODAY

峰雲照らす天の川2021年08月08日 09時25分03秒

残暑お見舞い申し上げます。
暦の上では秋とはいえ、なかなかどうして…みたいなことを毎年口にしますが、今年もその例に漏れず、酷暑が続いています。

さて、しばらくブログの更新が止まっていました。
それは直前の4月17日付の記事で書いたように、いろいろよんどころない事情があったせいですが、身辺に濃くただよっていた霧もようやく晴れました。止まない雨はないものです。そんなわけで、記事を少しずつ再開します。

   ★

今日は気分を替えて、壁に掛かっている短冊を取り替えました。


 草山に 峰雲照らす 天の川   亜浪

作者の臼田亜浪(うすだ あろう、1879-1951)は最初虚子門、後に袂を分かって独自の道を歩んだ人。

平明な読みぶりですが、とても鮮明な印象をもたらす句です。

まず眼前の草山、その上に浮かぶ入道雲、さらにその上を悠々と流れる天の川…。視線が地上から空へ、さらに宇宙へと伸びあがるにつれて、こちらの身体までもフワリと宙に浮くような感じがします。季語は「天の川」で秋。ただし「峰雲」は別に夏の季語ともなっており、昼間は夏の盛り、日が暮れると秋を感じる、ちょうど今時分の季節を詠んだものでしょう。

個人的には、この句を読んで「銀河鉄道の夜」の以下のシーンも思い浮かべました。

 そのまっ黒な、松や楢の林を越こえると、俄にがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亘(わた)っているのが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫だしたというように咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
 ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。 (第五章 天気輪の柱)

ジョバンニが、親友カムパネルラと心の隙間を感じて、ひとり町はずれの丘に上り、空を見上げる場面です。そのときの彼の心象と、この亜浪の句を、私はつい重ねたくなります。そしてジョバンニの身と心は、このあと文字通りフワリと浮かんで、幻影の銀河鉄道に乗り込むことになります。

七月の星の句、空の歌2020年07月12日 09時55分31秒

このところの長雨、コロナ禍、そして政治の醜状で、すっかり気分がくさくさしていました。でも、今日は久しぶりの青空。蝉が勢いよく鳴き出しました。

カレンダーを見ると、今日は旧暦の5月22日です。
「五月晴れ」という語は、本来こういう「梅雨の晴れ間」を指すのだと本で読みましたが、古人が「五月晴れ」をいかに有難く思ったか、今となってみると、よく分かります。

現代の人は歴史的豪雨を前に、やれ異常気象だ、温暖化による地球環境の変化だと、右往左往しますが、それが確かな科学的事実にしろ、昔の人は「正常範囲のちょっとした豪雨」でも大いに苦しめられたことを、同時に想起すべきだとも思います。

この小さな惑星で、太陽の放射に依存し、大気の循環に身を任せて暮らしている限り、人間の暮らしが天候に左右されることは、当分変わらないでしょう。

九州は今日も雨。当地も明日から再び雨の予報です。
観天望気しつつ、警戒を怠らず振る舞うことにします。

   ★

今日の「朝日俳壇・歌壇」より。

(長谷川 櫂 選)
  追憶の川でありしよ天の川   (東京都)長谷川 瞳

追憶の中身について、作者は何も語っていません。ただ、心の奥からあふれた思いが、天の川とともに流れゆく心象を詠み、長大な流れに託された、その追憶の深さを暗示するのみです。そして、読者の心のうちにも、いつか白々とした天の川が浮かび、それぞれの追憶が流れ出すのを感じるのです。

(同)
  七夕や義理人情の星に住む   (横浜市)高野 茂

星の世界に人事を投影するという意味では、上の句と同旨ですが、こちらはぐっと世話に砕けた川柳調。それにしても、ある年齢以上の人ならば、この句に「げにも」と頷かないわけにはいかないでしょう。天上の美に憧れつつも、我が身はやっぱり下界の住民です。なかなか辛いところであり、同時に面白いところでもあります。

(6月20日深夜、パリの空。ギユマン『Le Ciel』(1870)より)

   ★

とは言え、聖なる天上世界と俗なる人間世界を、はなから別のものと考える必要はありません。両者はやはり同じ世界にあって連続しています。宇宙の構造や星界の出来事は、人間に当然影響を及ぼしているし、人間もまた「観測者」として、宇宙のありようの深い所に影響を及ぼしています。

(永田和宏 選)
  水平線二分する青を分け合って
       海と空にはのりしろはない   (流山市)葛岡昭男

銀河流るる音を聴け2019年07月08日 05時33分48秒



真夜の岳 銀河流るる 音を聴け   蓼汀

作者の福田蓼汀(ふくだりょうてい、1905-1988)は虚子門の俳人。
俳誌「山火」を主宰。登山家としても知られ、「山岳俳句」の第一人者だった…というのはネットで見知ったことで、私は蓼汀その人について、それ以上のことを知らないのですが、それにしてもこの句は、まさに銀河絶唱といって良いのではないでしょうか。

高山の頂近くに身を置き、深夜、頭上を真一文字に奔る銀河を見上げたときの心持を想像すると、私の耳にもその滔々たる音が聞こえてくるようです。

   ★

こういう句をあまり人事に引き付けて考えるのは良くないかもしれませんが、蓼汀は64歳で次男を山岳事故で喪い、その悲しみを連作俳句に詠み込んだというエピソードを知ると、「天の川は死者が往還する道」ということが思い出され、句にいっそう蕭条たる陰影が添う気がします。

この句がもっと若年の作としても、晩年に自作を読み返したとき、彼の心には複雑に去来するものがあったんじゃないでしょうか。(蓼汀には、次男追悼の句として、同じく「真夜の岳(まよのたけ)」を詠み込んだ、「稲妻の 斬りさいなめる 真夜の岳」という烈しい慟哭の句もあります。)



銀河は煙り、鳥は天に集う2019年07月06日 11時31分44秒



戦前の「銀河」ブランドの煙草パッケージ。
明るい星々の間を縫って、滔々と流れる天の川のデザインが素敵です。


深みのある萌葱(もえぎ)色の空に銀刷りが美しい。
銀河の星々は明るいパステルグリーンです。


折り曲げて箱状にすると、元はこんな表情。


パッケージの裏面に目をこらすと、そこには「朝鮮総督府専売局」の文字が。
この可憐な品にも、やっぱり歴史の影は差していて、いろいろ考えないわけにはいきません。なお、京城(ソウル)の朝鮮総督府に専売局が置かれたのは、大正10年(1921)~昭和18年(1943)までのことだそうです。

   ★

ところで、七夕習俗は中国から朝鮮半島を経て日本に伝わったものですから、現在も対馬海峡をはさんで、似たような季節行事が両国に残っています。せっかくの伝統行事ですから、ここはネットに頼らず、任東権(著)『朝鮮の民俗』(岩崎美術、1969)を紐解いてみます。

それによると、牽牛・織女の説話は同様で、若い女性が針仕事の手並みが上達するよう祈るのも日本と同じですが、それと対となるように、若い男性が二つの星を題して詩を作り、勉強に励むことを誓う日だった…というのは、微妙に違いますね。日本でも、星に和歌や書の向上を願うという風習はありますが、特に男性限定でもないような。

それと、七夕の夜に雨が降ると、牽牛と織女が出会えた喜びの雨だとするというのも、日本とは逆転しています。

ちょっと面白いと思ったのは、七夕になると、地上からカラスやカササギが一羽もいなくなるという言い伝えです。それは彼らが銀河に橋をかけるために昇ってしまうからで、もし地上にカラスやカササギがいても、それは病弱で飛べないものばかりで、元気なものはみな烏鵲橋を架けるのに参加するのだ…という話。

日本にも「烏鵲(うじゃく)の橋」という言葉があって、七夕の晩にはカササギが銀河に橋をかけることになっていますが、日本では「烏鵲」全体で「カササギ」の意とするのに対し、半島ではこれを「烏+鵲」と解して、「カラスとカササギ」の意に取るのが変わっています。

では、本家・中国はどうなのか…というのが気になります。はたしてカラスは天に上るや、上らざるや? こういう時こそ「名物学」過去記事にリンク)の出番なのですが、例の青木正児氏の『中華名物考』にも言及がなかったので、正解は今のところ不明です。


--------------------------------
【付記】 上のこととは関係ありませんが、「カササギ」の語源をめぐって、かつて常連コメンテーターのS.Uさんと、コメント欄で延々と語り合ったことがあります。参考にリンクしておきます。

■かささぎの橋を越えて http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/07/07/8126796

永劫の火2019年03月19日 19時57分37秒

俳誌『鶴』を主宰した昭和の実力派俳人、石塚友二(いしづかともじ、1906 – 1986)

(左は外箱、右は中身)

上は、彼が昭和29年(1954)に出した句集『光塵』(一橋書房)。
ここには戦中の昭和17年(1942)から昭和29年にかけて詠まれた句が収録されています。
冒頭「春」の部から、巻頭三句を挙げてみます。

  見え初めし 子の目にうつり 春の雲
  散る花や 青み渡れる 夕まぐれ
  菫咲き 崖にやさしき 日ありけり
 
いずれも平明な、読んでいて気持ちの良い句です。

   ★

しかし、私が古書検索サイトでこの句集に目を留めたのは、他に特別な理由があります。それは本書見返しに書かれた、彼の自筆句の存在です。


  「御神火の 燃えをり 天の川の涯」

この句は多義的な解釈を許す句です。
いや、仮にそうでなくとも、ぜひ多義的に解釈したい句です。

普通に解せば、「御神火」とは伊豆大島の三原山が上げる炎のことですから、おそらく昭和25年(1950)に始まる噴火活動の折に詠まれたのでしょう(作者は当時鎌倉に住んでいました)。海上に天の川が白く煙る晩、水平線上に火山の赤黒い炎がちらちら望まれたという、芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」の向こうを張る雄大な、そしてなかなか地学趣味に富んだ句です。

でも、私には一読、これが宇宙大の景色を詠んだ、さらに一層壮大な句と感じられたのです。天上で燃える遥かな星々、その大集団である銀河の、そのまた遥かな果てに「御神火」が燃えている…という風に。私の脳内では、「御神火」とは神がともした原初の炎であり、作者は、宇宙の遥か彼方にその創造の炎を幻視したことになっています。さらに「御神火」をビッグバンに由来する「宇宙背景放射」に重ねて、これはいよいよスゴイ句だと、勝手に盛り上がったのです。

宇宙背景放射の存在が予言されたのは1940年代、そして実際に発見されたのは1960年代のことですから、生身の石塚友二はもちろん、私が仮構した「銀河俳人」にしても、その存在を知っていたはずがありません。「銀河俳人」が、それを文学的想像力によって予見したとしたら、なおさらすごいことです。しかし、ここまでくると、さすがに自分でも何か変なことを言っているなあ…頭は大丈夫かなあ…と冷静さを取り戻します。

とはいえ、この句に触発されて脳内に結ばれた像は、なかなか気に入っています。

   ★

ちなみに、この「御神火…」の句は『光塵』所収ではなく、初出は不明。
『光塵』には、天の川を詠んだものとして、以下の二句が載っています。

  天の川 馴れても遠き 人の門
  銀河より 跳ねて一線 星隕つる

10月の星の句、星の歌2018年10月14日 14時32分01秒

10月14日付けの 『朝日俳壇・歌壇』 より。(以下敬称略。句切れは引用者)

(大串 章 選)
●銀漢や 小さき星の核兵器  (いわき市)馬目 空

天の川を振り仰ぎ、宇宙の大きさを思うとき、多くの人の胸に去来するであろう思い。
人間はおそらく過去幾百世代にもわたって、無限に広がる夜空を前に、人間の卑小さを感じ、人はなぜ生まれ、なぜ相争うのか、自問自答を繰り返してきたことでしょう。

とはいえ、人は今や銀河の一粒一粒が核の炎で燃えていることを知っているし、自らの内に燃える修羅の炎が、遺伝的にプログラムされたものであることも理解しつつあります。そこに一縷の望みがなくもありません。この句に込められた思いが、人間の遠い過去の記憶となる日が、早く来ることを願わずにはいられません。

とはいえ、人が己の闘争心を制御する術を、今後仮に身に着けたとしても、宇宙を前にして感じる深い戦(おのの)きの感情は、いささかも変わらないかもしれません。

   ★

(同)
●高原に星月夜 地に街明り  (茅ヶ崎市)村上芳江

一読、平板な句だと感じました。
しかし、作者はいったい今高原にいるのか、それとも街にいるのか…と考え出したら、いささか謎めいた句と感じられてきました。もちろん、単純に「街を見下ろす高原に来ているのだ」というのが正解かもしれません。

ただ、私なりに想像をたくましくすると、作者は高原にあって街を思い、街にあって高原を思うという、二つのリアルな経験を、今この瞬間に重ね合わせて、この句を詠まれたような気がします。だとすれば、現実の作者が今高原にいても、街中にいても、この句は成り立つことになります。

<自然と人間の対比>という意味では、先の句と同工ですが、作者は星月夜の荘厳な美に打たれると同時に、街明りの人間臭さにもどこか惹かれている感じがあって、何となくホッとできる句でもあります。

   ★

(永田和宏 選)
●理学部を一応出ました 信州の月はたしかに大きいのです (長野市)原田りえ子

一読笑みがこぼれる歌。
これはもはや反論を許さない歌ですね。
「月の錯視」とか何とか、そういう理屈を一切抜きにして、信州の月はたしかに大きいのです。それはもう確かなことです。

   ★

(江戸前期の百科全書、『倭漢三才図会』より「天河」の項。
後段では、西洋天文学の漢訳書『天経或問』を引きつつ、天の川が望遠鏡で覗くと小さな星の集まりであることを教えています。そうした天文知識が、専門の学者のみならず、市井の知識人にもよく知られていた…というのが、近世の近世たる所以でしょう。)



スターチャイルド2018年07月02日 21時24分46秒

「人は死ぬとお星さまになる」とよく言います。
あるいは、天の川は死者の霊が通う道だという伝承が、インドネシアや北米先住民の間にあることが、出雲晶子さんの『星の文化史事典』には書かれています。きっと探せば、他にも類例はあるでしょう。賢治の銀河鉄道も、まさに死者を運ぶ乗り物でした。

夜の世界が死者の世界ならば、そこに輝く星たちは、すなわち死者の霊に他ならない…というのは、ごく自然な発想だと思います。

   ★

その一方で、人は運命(さだめ)の星の下に生まれ、星の影響力を受けながら生を送るという観念も広く見られます。そして、赤ん坊は天の川を通って、この世にやってくるというアイデアも…。

そのことに、ふと気づいたのは、これまた1枚の絵葉書を見たからです。


星の流れの中を、気球を操りながらやってくる一人の陽気な赤ん坊。
その下には、「愛しい私の〔グラディス・ルイーズ〕は、本日、天の川からご到着。早く会いに来てね。〔ミセスR.C.H.〕より。」とあります。(カッコの中は手書きになっていて、子どもの誕生を知らせる、こうした出来合いの葉書が、当時はポピュラーだったことが窺えます。)


裏面には、1910年のシカゴの消印と、「今朝午前12時半、可愛い女の子が誕生。母子ともに健康。君の兄ロルフより」という(一部読み取れませんが、たぶんそんなような)文句が書かれています

  ★

夜空にかかる天の川を、生の源と見るか、死への架け橋と見るか。
対立するようでいて、これは見た目ほど対立した考えでもないのでしょう。そこにあるのは、生と死の本質的近しさであり、天の川を通って、生者と死者は絶えず往還可能なのだ…という観念です。これは宗教の如何を問わず、人間精神の古層に刻まれたイメージではないかと、まあ、あまり軽々に言ってもいけませんが、空を横切る不思議な帯を見ていると、たしかにそんな気がしてきます。


土星堂だより2017年08月17日 21時25分45秒



鳴り物入りでスタートした土星堂活版舎ですが、ご多分に漏れず、昨今の出版不況で、経営難にあえいでいます。しかも、会社の印刷技術がちっとも向上しないせいで、かしわばやし方面からも注文がさっぱり入りません。

それでも、時には新たに印刷ブロックを買い足して、顧客のニーズに応えようと努力はしているのです。


最近も、紙面を華やかに彩る銀河の飾罫を導入しました。

(何となく星条旗っぽいのは、アメリカで使われていたせいかも。)

これさえあれば、美しい星の詞がいっそう美しくなること疑いなしです。
それなのに、なぜ?…と、活版舎のあるじは、今日も窓から首を伸ばして、お客が来るのを日がな待っているのです。

   ★


今回使用したインクは、星の詞に最適の(株)ツキネコ製 「ミッドナイト・ブルー」