神戸モノがたり補遺2023年06月12日 21時25分59秒

ゴソゴソしているうちに、昨日の記事に関連してこんな品も見つけました。


神戸市役所が発行した、「開港五十年祝賀記念」の絵葉書です。


神戸開港50年というのは、大正10年(1921)のことですから、だいぶ古い話です(一昨年が開港150年でした)。


中身は美しい石版刷りで、神戸市役所も相当力が入っていたようですね。

10年前の『天体議会』をめぐる企画は、相当ねちっこいものだったので、このブログの本筋からはみ出して、いろいろなモノに手を出していました。この絵葉書も、「“みなとの祭”もいいんだけれど、もうちょっと「開港式典」の語感に近い品はないかな?」と探していて、見つけたんだと思います。まあ、これは「祭典」というよりも、単なるアニバーサリーグッズに過ぎないんですが、他の品と並べて、そこに「開港」の2文字を添えてみたらどうだろう…と思ったわけです。今にして思えば、要らざる努力だったような気もします。


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返す刀で、昭和8年(1933)に始まった「第1回みなとの祭」の記念絵葉書も入手しました。



こちらは雲母(きら)の入った紙に木版摺りという、露骨に和の風情で、『天体議会』の世界からは随分遠いのですが、これも歴史の一断面であり、神戸が持つ多彩な表情のひとつにほかなりません(外袋に刷られた「菊水」は楠木正成の紋所で、正成を祀る湊川神社が市内にあることに由来します)。

(手前の影の部分で目立ちますが、全面に雲母が散っています)


ここまでくると、もはや「神戸もの」というカテゴリーを新設してもいいぐらいですが(十分それだけの記事はこれまで書いてきましたから)、他とのバランスもあるので、これもとりあえず長野まゆみさんのカテゴリーに入れておきます。

心のなかの神戸へ2023年06月11日 17時58分43秒

京都での足穂イベントに無事参加できることになり、今からワクワクです。
そして同時に、6人の作家によるオマージュ展「TARUHO《地上とは思い出ならずや》」が、神戸で開催中であることを知りました。


■稲垣足穂オマージュ展「TARUHO《地上とは思い出ならずや》」
○会期: 2023年6月4日〜25日 13:00〜18:00(休館日:水木)
○会場: ギャラリーロイユ
     (兵庫県神戸市中央区北長狭通3-2-10 キダビル2階)
○出品作家
 内林武史、大月雄二郎、桑原弘明、建石修志、鳩山郁子、まりの・るうにい
○料金: 無料

実に錚々たる顔ぶれですね。
京都に行くついでに、何とかハシゴ出来ないかと一瞬思いましたが、やっぱり無理っぽいので、こちらは涙を飲みます。

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しかし神戸はやっぱりいいです。
今、本棚に1冊の美しい画集があります。


■『画集・神戸百景~川西英が愛した風景』
 (発行)シーズ・プランニング、(発売)星雲社、2008


港を望む異人館の並ぶ神戸。


海洋気象台とモダン寺(本願寺神戸別院)がそびえる神戸。

版画家の川西 英(1894-1965)が描く神戸は、どこまでも明るく、屈託がありません。タルホチックな、いつも夕暮れと夜の闇に沈んでいる不思議な神戸もいいのですが、こうした子どもの笑顔が似合う神戸もまた好いです。いずれにしても、神戸はいつだってハイカラで、人々の夢を誘う町です。


画集の隅に載っているのは、戦前の神戸で発行されたメダル。
円い画面の中に海があり、カモメが飛び、街並みが続き、その向こうに六甲の山がそびえています。直径35ミリという小さな「窓」の向こうに、広々とした世界が広がっていることの不思議。


このメダルは皇紀2595年、すなわち1935年(昭和10)に「みなとの祭」体育会が開かれた折の記念メダルです。「みなとの祭」は、現在の「みなとまつり」ではなしに、系譜的には「神戸まつり」に連なるもので、その前身のひとつ。第1回は1933年に開催されました。


こちらも「みなとの祭」にちなむ、戦前~戦後のエフェメラ。下のバス記念乗車券は、川西英さんのデザインっぽいですが、違うかもしれません。

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上の品々は、ちょうど10年前、長野まゆみさんの『天体議会』の舞台を神戸に見立てて、いろいろ考察していた頃(それは中途半端な試みに終わりましたが)、「第3章 変わり玉」で描かれる「開港式典」の雰囲気を偲ぶために入手したものです。

 「翌日は開港式の当日で、街の中にはいつもと違うざわめきが溢れた。学校は休みになり、満艦飾の汽船が次々と入港して埠頭を賑わした。昨日来の雨は気象台の予報どおりに明け方にはやみ、おかげで碧天(あおぞら)は透徹(すきとお)るような菫色をして目に沁みた。」

 「式典の晴れがましい雰囲気に煽られてか、誰しもが常より昂ぶって喋る結果として、銅貨はめまぐるしい喧騒に包まれ、人波に押し流されて歩いていた。しまいに渦を巻く人々のうねりからはじき飛ばされ、埠頭に建つ真四角な積出倉庫の壁にもたれて、ざわめきに身をゆだねていた。」

 「毎年、劇場(テアトル)では開港式典の行事として演奏会などが催され、学校からも音楽部の生徒たちが参加することになっていた。なかでも鷹彦の独唱(ソプラノ)の入る合唱曲はかなりの聴きものだ。銅貨や水蓮も、毎年欠かさず入場券(チケ)を買っており、今年も早々と席を確保していたのだ。」

主人公たちの目に映った、明るい喧騒に満ちたカラフルな港の光景。
そして音楽会ではなく体育会ですが、作中のムードをこんな乗車券(チケ)やメダルに託して偲んでみようと思ったことを、今こうして10年ぶりに思い出しました。

本日、天体議会を招集。2022年04月11日 07時19分11秒

先日話題にした旧制盛岡中学校の天文同好会。
コメント欄でmanami.shさんから続報をいただき、衝撃を受けたので、他人の褌を借りる形になりますが、これはどうしても記事にしなければなりません。

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manami.shさんは、同中学校の校友会雑誌を通読され、天文同好会に関する記述を抜粋されているのですが、まず驚いたのはその旗揚げの弁です。同好会のスタートは1928年9月のことで、その際の意気込みがこう記されています。

 「花が植物学者の専有でない如く、星も亦、天文学者のみの独占物ではない。この信念を以て、我等は、遂に天文同好會をつくりあげたのだ。」

なんと頼もしいセリフでしょう。
そして、この言葉に敏感に反応する方も少なくないはずです。なぜなら、稲垣足穂の言葉として有名な、「花を愛するのに植物学は不要である。昆虫に対してもその通り。天体にあってはいっそうその通りでなかろうか?」をただちに連想させるからです。

足穂の言葉は、彼の「横寺日記」に出てきます。初出は「作家」1955年10月号。もっとも作品の内容は、昭和19年(1944)の東京における自身の体験ですが、それにしたって、盛中の天文少年たちの方が、時代的にはるかに先行しており、足穂のお株を完全に奪う形です(※)

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こうして意気揚々とスタートした天文同好会ですが、それでも私はごく一部の熱心な生徒が、細々と校舎のすみで活動しているイメージを持っていました。いかに意気軒高でも、今だってそれほどメジャーとはいえない学校天文部が、戦前にあってそれほど人気を博したとは思えなかったからです。

しかし、同好会が発足して1年後の1929年12月の校友会雑誌には、驚くべき事実が記されていました。manami.shさんの記述をそのままお借りします。

 「会員が百名に達しており、観測会は15回、太陽黒点観測は1929年10月から開始したこと。会員の中には望遠鏡所有者がいたこと、熱心な会員は変光星観測を始めたことがわかりました。更に、研究会の毎月のテキストは、星野先生、2~3人の上級生が執筆していたとありました。」

何と会員数100名!しかも、当時はなはだ高価だった望遠鏡を所有する生徒や、変光星観測に入れ込むマニアックな生徒もいたというのです。そして開催回数からして、彼らは月例の観測会をコンスタントに開いていたと思われます。

まさにリアル天体議会―。

「天体議会」とは、長野まゆみさんの同名小説(1991)に出てくる、天文好きの少年たちの非公式クラブの名称です。観測の際は、議長役の少年が秘密裏に議会を招集し…という建前ですが、有名な天体ショーを観測する折には、部外者の少年たちもたくさん押しかけて、なかなかにぎやかな活動を展開しているのでした。
長野さんが純然たるフィクションとして描いた世界が、戦前の盛岡には確かにあったわけです。


それにしても、旧制中学校でこれほど天文趣味が盛り上がっていたとは。しかし、全国津々浦々で同様の状況だったとは思えないので、これはやっぱり盛岡中学校固有のファクターがあったのでしょう。賢治の甥っ子たちの面目躍如といったところです。

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さらに翌年の1930年には、次の記述が登場します。

 「1930年10月には、水沢緯度観測所の山崎正光技師が「天文に関して」と題して講演し、特に同好會員には反射望遠鏡の作り方について話されていることもわかりました。」

山崎正光(1886-1959)は、カリフォルニア大学で天文学を学び、1923年から42年まで水沢緯度観測所に勤務したプロの学者ですが、本業の傍ら変光星観測や彗星観測を、いわば趣味で行った人。反射望遠鏡の自作法を日本に伝えた最初の人でもあります。そして、直接面識があったかどうかは分かりませんが、山崎氏の在職中に、賢治は何度か水沢緯度観測所を訪ねています。

その人を招いて天文講演会を開き、かつ望遠鏡作りを学んだというところに、盛中天文同好会の本気具合というか、その活動の幅を見て取ることができます。

(山崎正光氏(1954)。『改訂版 日本アマチュア天文史』p.167より)

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とにかく盛中天文同好会、予想以上にすごい会でした。
今回の知見は、戦前の天文趣味のあり方について、私の認識を大きく変えるもので、改めてmanami.shさんにお礼を申し上げます。

(賢治が在籍した頃の盛岡中学校。国会図書館「写真の中の明治・大正/啄木・賢治の青春 盛岡中学校」より【LINK】。オリジナルをAIで自動着色。なお、同校は大正6年(1917)に校地移転しているので、天文同好会時代の建物はまた別です)


(※)【2024.1.14付記】
上に描いたことは私の勇み足で、やや贔屓の引き倒しでした。
上に引いた校友会雑誌の一文は、盛中生のオリジナルではなく、野尻抱影 『星座巡礼』(初版1925)の序文の冒頭を真似たものと思います。抱影曰く、「花が植物学者の専有で無く、また宝玉が鉱物学者の専有でも無いやうに、天上の花であり宝玉である星も天文学者の専有ではありません」。…となると、抱影のうぶなファンであった足穂の一文も、抱影のこの文章の影響を受けている可能性が高いでしょう。

天体議会の世界…カレイド・スコープ2019年07月21日 08時10分29秒

長野まゆみさんの『天体議会』
この1991年に発表された小説のことは、かつて集中的に取り上げました。それは作中に登場するモノを現実世界に探し求めるという、何だか酔狂な試みでしたが、その試みは途中で中断したままです。

唐突ですが、今日はいきなり最終章「五 水先案内」に飛びます。

舞台は年が明けたばかりの寒風の季節。今年最初の天体議会(=生徒たちによる天体観望会)の招集が決まり、午後7時からの開会を前に、主人公のふたりは、埠頭をぶらついて時間をつぶします。そこで、彼らはあの第三の主人公、自動人形(オートマタ)めいた謎の少年に再び出会うのです。

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 身動きもできないほどの、その人いきれの中で、銅貨と水蓮はまた例の少年を見かけた。白い端麗な顔をして、ひとりで歩いている。 〔…〕

 「何か探してるのか。」
 はじめに声をかけたのは水蓮だった。少年は、はッとしたように顔をあげて、水蓮のほうへまなざしを向けた。彼は古びた三角の筒を手にしている。
 「小石や硝子片を探しているのさ。釦(ボタン)のかけらや、貝殻屑でもいい。」
 「何のために。」
 「この万華鏡(カレイド・スコープ)の中へ入れて船旅のお守りにする。ほら、もう随分集まった。」
 少年は三角の筒を振って、カシャカシャと音を立てた。 
〔…〕


 「南へ行くのか。」
 水蓮はもう一度、念を押す。
 「行く、」
 簡潔だが余韻を残した云いかたをして、少年は口を噤んだ。ことばは沈黙の中にのみこまれてしまい、彼はしばらくしてから付け足すように微笑んだ。それがひどく淋しそうに見えたので、銅貨は少年の持っている万華鏡のために何かを提供してもよいと思った。〔…〕水蓮は水蓮で、すでにネクタイから抜いたピンを手に持っていた。彼が最近作ったものでクリストバル石の淡碧(うすあを)い剥片を使ってある。彼はその剥片を少しだけはがして、少年に差し出した。銅貨はシャツの貝釦を取って小さく砕き、それを少年の持っている万華鏡の中に入れた。 
〔…〕

(ボディは鴨の羽色のマーブリング柄。3枚のガラス板を銀細工で留めてあります。)

 「中を覗かせてくれないのか。」
 水蓮は少年の万華鏡を指して訊ねた。銅貨も気になっていたことだ。ふたりで少年に注目していたが、彼は首を振った。
 「これは旅する者の特権。船に乗ってから、そっと覗くものなのさ。」 
〔…〕

(“Eido U.S.A.”のサインが銅板に彫られています。Eido氏の正体は今も不明)

 少年たちは別れの挨拶ひとつしなかったが、その必要もなかった。客船は沖へ向かい、まるで水先案内(カノープス)に導かれて南へ行くように見えた。〔…〕靄はだいぶ濃くなり、船体はほとんど見えない。ただ、燈の点った窓が揺れ動いている。
 銅貨と水蓮は、遠ざかり見えなくなる船が、暗い海の涯てに消えてしまうまで眺めていた。

   ★

万華鏡の登場は、昨日自分が書いたことに触発されたものです。“万華鏡”と文字にして、「そういえば…」と、昔の自分の企てを思い出したわけです。

残念ながら、作中の万華鏡と違って、この品はオブジェクトを入れ替えることができません。中身も昔ながらのガラスビーズだけという、単純なスコープです。でも、その素朴さゆえに、どこか懐かしい、いかにも万華鏡らしい光景を見せてくれます。


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こうして作中の万華鏡は、少年たちの奇妙な友情の証として遠い世界に旅立ち、私も昨日は久しぶりに万華鏡を覗いて、いろいろ物思いにふけっていました。

(次の記事へと続く)

「鉱石倶楽部」の会員章(前編)2017年08月12日 16時08分25秒

あまり意味がないとは思いながら、つい集めてしまうものがあります。
例えば以前、鉱物クラブやミネラル・ショーのバッジ類を盛んに集めていました。


それは既に箱一杯で、これ以上増えることもないでしょうが、なぜ鉱物そのものではなく、バッジに執着したかといえば、それによって長野まゆみさんの『鉱石倶楽部』の世界に、ちょっとでも近づけるような気がしたからです。


「鉱石倶楽部」は、長野さんの鉱物エッセイのタイトルであり、また同氏の小説『天体議会』に登場する、博物標本・理化学器材を扱う店舗の名前でもあります。

もちろん、見も知らぬ鉱物クラブのバッジを胸に付けたからといって、「鉱石倶楽部」のドアを開けることはできませんが、少なくとも、現実世界に「鉱石倶楽部」を名乗る団体がある――しかも、あるところには山のようにある――ことを目の当たりにするだけでも、心を慰められる気がして、せっせとバッジ集めに興じたのでした。

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手元にあるのは、そんなに古いものではなくて、1970年代以降の、主にアメリカの団体やイベントに関係するものです(ただし、団体の創設自体は、それ以前に遡るところが多いです)。

現実の「鉱石倶楽部」の名称は様々です。

たぶん、「宝石・鉱物協会 Gem & Mineral Society」というのが最も一般的で、他にも興味の主眼によって、「岩石クラブ Rock Club」もあれば、「宝飾クラブ Lapidary Club」もあり、「鉱物学徒 Mineralogist」の上品なグループがあるかと思えば、「ロックハウンド(「虫屋」や「星屋」と並ぶ「石屋」、岩石コレクターの意) Rockhound」を自称するマニア集団もある――といった具合です。

日本でも、ここ20年間で、鉱物趣味はすっかりポピュラーになりましたが(長野さんの功績も大きいです)、アメリカのそれは、歴史的にも、愛好家の層の厚みにおいても、やはり一日の長ありと言うべきでしょう。

ただ、こうした趣味の団体は、今や汎世界的に、会員の高齢化と新入会員の減少に悩んでいるらしく、アメリカの鉱物クラブも例外ではないと想像します(本当のところは、聞いたことがないので分かりません)。

となると、これらのバッジ類も、既になにがしか歴史の影を帯びつつあり、さらにそのデザインからは、「鉱物趣味の徒のセルフイメージ」が読み取れるので、たかがバッジとはいえ、鉱物趣味史を考える上で、なかなか貴重な資料と言えなくもない…という風に、これを書きながら思いました。

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バッジの中で目につく一群として、当然のごとく結晶をデザインしたものがあります。


日本の我々が「鉱物クラブ」と聞いて真っ先にイメージするのも、こうした形象でしょう。


一方、ちょっと日本と違うかな?と思えるのは、鉱物趣味と宝石趣味の距離が近い(むしろ一体化している)ので、水晶の群晶的形態と並んで、ブリリアントカットを施したダイヤのようなイメージが、頻繁に登場することです。

そして、さらにアメリカ的と思えるのは…

(ここでちょっと勿体ぶって、後編に続く)

賢治、銀河より帰省す2017年08月05日 18時23分12秒

今から25年前、宮沢賢治だけをテーマにした雑誌『アルビレオ』というのが、賢治の故郷岩手で産声を上げました。ビジュアル面を重視した、なかなか洒落た感じの雑誌でしたが、俗に言う「3号雑誌」の例に漏れず、『アルビレオ』もわずか3号で休刊を余儀なくされたのでした。

以前の記事でも触れましたが、日の目を見ることのなかった、その幻の第4号では、「長野まゆみ――私の賢治」というインタビュー記事が載るはずでした。

「アルビレオ」 という雑誌があった

上の記事を書いた時、貴重な機会が失われたことを知って、とても残念に思いました。
その後も、長野氏が賢治作品を常に手元に置き、繰り返し読まれていたことを知り(http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/09/18/)、長野氏が賢治に向けた思いに、いっそう興味を覚えましたが、氏が実際のところ、賢治をどう評価しているのか、その肉声はちょっと遠い感じがしていました。

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しかし、この度ついに長野氏が正面から賢治に取り組んだ「評伝」が世に出ました。

(装幀:名久井直子、装画:山下陽子)

長野まゆみ(著)、『銀河の通信所』、河出書房新社、2017

この本は今日届きました。
奥付の発行日は「8月30日」となっているので、本当に出たばかりの本です。

この本は、上述のとおり、長野氏による賢治の「評伝」と言っていいと思うのですが、その結構が変わっていて、関係者へのインタビュー集の体裁をとっています。

インタビューを受けるのは、賢治本人、賢治の同時代人、そして賢治の作中人物に仮託した純粋な空想的存在。そして、インタビューするのは、「銀河通信速記取材班」に所属する児手川精治氏ら。


児手川氏は、河出書房の前身「成美堂」に勤務されていた方です。
当時の成美堂は、農事関係の出版物に力を入れており、児手川氏は、賢治の師匠に当る恒藤規隆博士の講義録の編纂なども手掛けた関係で、賢治の科学的知識の背景をよく知り、また速記術にも長けた、今回のインタビューにはうってつけの人です。

…といって、児手川氏が本当に実在の人なのか、そこが何となくボンヤリしています。仮に実在の人としても、児手川氏は昭和16年に病没したと書かれているので、結局、このインタビューは「非在の人物による、非在の存在への聞き書き」であり、死者とも自在に交信できる銀河通信所以外には、なし得ない仕事です。

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こう書くと、何だかフワフワした、大川ナントカ氏による駄法螺的書物を想起されるかもしれませんが、それは全く当りません。むしろ、これはファンタジックな設定とは裏腹に、相当手堅い作品です。その記述はすべて賢治作品からの引用、歴史的事実、状況証拠を踏まえた推論に基づくもので、ここであえて「評伝」と呼ぶ所以です。


賢治の同時代人として、稲垣ATUROH、北原秋、内田といった人物が、語り手として登場しますが、これは作者のちょっとした韜晦(とうかい)で、文中に引用されているのは、全て足穂、白秋、百閒その人の文章です。

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結局のところ、ここに書かれているのは、全て彼らの口を借りた、長野まゆみ氏の賢治評です。長野氏の描く賢治像は、歴史的にも、人間的にも実にリアルです。また作品と作者の関係をめぐる考察も、深く頷けるものがあります。こうしたことは、長野氏の賢治像が一朝一夕にできたものではないことを、はっきりと示しています。

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長野氏ほどの文才がないせいで、いかにも抽象的な評言に終始しましたが、この本は新たな賢治論として、また長野まゆみという作家を評価する上で、見落とせない一書だと思います。

蚤(ピュス)ゲーム 再考2016年10月19日 07時05分59秒

唐突ですが、懐古&回顧モードで、長野まゆみさんのことに話題を横滑りさせます。

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以前、長野氏の『天体議会』を取り上げ、作中に出てくるモノを考察するという、我ながら閑雅な試みをしましたが、そこに「蚤(ピュス)ゲーム」というのが登場しました。

天体議会の世界…蚤〔ピュス〕ゲーム(1)(2)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/08/20/6952680
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/08/22/6954016

記事で取り上げたのは、フランス製のピュスゲームで、チップをはじいてボード上の「上がり」を目指す遊びでしたが、その遊び方とゲーム史をめぐって、コメント欄では長大なやりとりがあったのでした。

ただし、ピュスゲームには、もっと単純な遊び方――すなわち、チップをはじいてカップインさせるというのもあります。そちらはあまり触れませんでしたが、『天体議会』のメインキャラである水蓮が遊んでいたのも、カップインさせるタイプですから、それについても一瞥しておきます。

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ふと、そんなことを思いついたのは、下のようなゲームを最近手にしたからです。

(箱の大きさは、タテ横約8.5cm×12cm)

石版刷りの箱絵からして時代を感じますが、おそらく1910年代の品。
タイトルにはTidley Winks とあって、ピュスとはうたってませんが、これは英語とフランス語の違いで、遊びとしては同じものです。(Tidley Winksとは「おはじき」の意。直訳すれば「ほろ酔いのウィンク」?)

これは英米向けの輸出仕様なので、英語表記になっていますが、メーカーはドイツ・バヴァリア地方を本拠とするSpear社で、バヴァリアと聞けば、足穂チックな連想も働きますし、そんなところも『天体議会』の世界と親和性が高い気がしました。


箱を開けると、ボール紙製のカップと、白・黒・赤・黄・緑の5色のセルロイド製チップが入っています。各色とも、大きいチップ(20ミリ径)は1個、小さいチップ(15ミリ径)は3個あって、プレイヤーは箱絵のように、大きいチップで小さいチップをパチンとはじき飛ばして、カップに入れる技を競う…というのが、ゲームの狙いです。


説明書を読むと、プレイヤーはめいめい好きな色のチップを選びなさい、そしてチップがよく飛ぶようテーブルにはクロスを掛けなさい…という指示に続いて、2種類の遊び方が紹介されています。

すなわち、各プレイヤーが順番にチップをはじいて、最もたくさんカップインした人が勝ちというのと、丸テーブルを囲んだプレイヤーが一斉にチップをはじいて、最初にカップインした人が勝ちというのと、2つのルールがあったようです。

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水蓮が一人で遊んでいたのは、「白磁のチップを容器めがけて指ではじき、チップの色や形で点を数える」というもので、チップを指ではじくところも、点取りの仕方も、上の2つの遊び方とはまたちょっと違うので、この件はさらに考究を続けねばなりませんが、ピュスゲームの外延は少しずつ見えてきた気がします。

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蚤の慣用句を検索したら、まっさきに「蚤の息も天に上がる」というのが出てきました。
蚤のような取るに足りないものでも、一心に努力すれば何事もなしとげることができるたとえ」だそうです。蚤もなかなか馬鹿にはできません。

ソォダ色の少年世界…カテゴリー縦覧:長野まゆみ編2015年04月18日 12時35分57秒

自民党の面々はよくやるなあと思います。
右派の論陣を張るのは、健全な政治活動である限り結構なことですが、その行動面に注目すると、最近はまさに「やりたい放題」で、これは「おごっている」と言われても仕方ないんじゃないでしょうか。おごれる者は何とやら。

現今の政権は、「改革」を目指すのだと言います。
江戸の昔から「改革」といえば「「経済改革」と「文化統制」が2枚看板で、その背骨が「復古主義」だというふうに相場は決まっています。今の「改革」もまさにそんな塩梅ですね。

江戸の改革は、ただちに目に見える効果を挙げようとして、思いつきの政策を乱発した結果、かえって混乱を招き、最後には人心が離れて終息するというパターンをたどったようです。今の「改革」は、財政の緊縮を唱えず、むしろ進んで放漫なことをやっている点が、江戸の改革にはない新味ですが、いっそう刹那的な感じがして、政体の延命を図るよりは、むしろ死期を早めるのに手を貸している観があります。

それにしても、この理科趣味ブログが、こんなエセ政治評論のようなことまで書き付けねばならぬこと自体、今の世の中のおかしさを雄弁に物語るものでしょう。

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…と、かように現実とは中々ムズカシイものです。

しかし、人の心の中に分け入れば、そこには人殺しも、破廉恥漢もいない、いつだって涼しい風が吹き渡り、甘い匂いの漂っている世界が確かにあります(同時にその正反対の世界もあります)。


平成の初め、1991年から92年にかけて出た、長野まゆみさんの「天球儀文庫
「月の輪船」夜のプロキオン「銀星ロケットドロップ水塔」から成る四連作です。


長野作品の定番である、二人の少年を主人公にした物語。
本作では、それぞれアビと宵里(しょうり)という名を与えられています。

二人が暮らすのは、波止場沿いの町。

(イラストは鳩山郁子さん)

物語は夏休み明けから始まり、再び夏休みが巡ってきたところで終わります。
例によって、筋というほどのものはなく、二人の会話と心理描写で物語は進みます。

その世界を彩るのは、ルネ文具店のガラスペンであり、スタアクラスタ・ドーナツであり、プロキオンの煙草であり、砂糖を溶かしたソーダ水です。


学校の中庭で開かれる野外映画会、流星群の夜、銀星(ルナ)ロケットの打ち上げ。
鳩と化す少年、地上に迷い込んだ天使、碧眼の理科教師、気のいい伯父さん…


永遠に続くかと思われた、そんな「非日常的日常」も、宵里が遠いラ・パルマ(カナリア諸島)への旅立ちを決意したことで、幕を閉じます。

宵里が去って数週間後、アビが宵里から受け取ったのは、「手紙のない便り」でした。
それは、どこかでまた「はじめて逢おう」と告げるメッセージであり、アビもあえて返事を書きません。その日が来ることを期待して、二人はそれぞれの人生を再び歩み始める…というラストは、なかなか良いと思いました。


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これはひたすら甘いお菓子のような作品です。
格別深遠な文学でもなく、そこに人生の真実が活写されているわけでもありません。
(いや、真実の断片は、やはりここにも顔を出していると言うべきでしょうか?)

とはいえ―。
お菓子は別に否定されるべきものではありませんし、どちらかといえば、私はお菓子が好きです。

アオイカメラ2014年08月24日 08時36分53秒

青い光を切り取るカメラが欲しいと思いました。
といって、カメラ趣味はないので、実際に切り取ることはしません。
イメージの中での話です。


真っ青なボディの35ミリ二眼レフ。


旧ソ連(現ウクライナ)にあったカメラメーカー、FED(F.E. Dzerzhinsky factory)が、1959年に発売した普及機、「FED Zarya」をベースにした、スプートニク打ち上げ記念モデル。


スプートニク1号は1957年10月4日に打ち上げられた、人類初の人工衛星。
その製造年からいって、このカメラはスプートニク打ち上げと同時ではなく、それよりも後に作られたものと思いますが、いかにもその時代の空気をまとっている感じがあります。




長野まゆみさんの『天体議会』の少年たちは、ぜひこんなカメラを手にして、ライカ犬のタバコをくわえながら、シャッターを切ってほしい。

天体議会の世界…十月の星図(3)2013年09月30日 18時15分36秒

9月も残り1日あるので、おまけとして第2章の冒頭に戻って、銅貨が10月の星図を眺めていたシーンについて、もう1回だけ書きます。

問題のシーンは、「十月の星図(1)」↓の中でも引用しましたが、こんな具合でした。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/08/24/6956879

少年〔ガニュメデス〕の持つ水瓶から零れる水を、南の魚が飲んでいる。ひときわ煌〔かがや〕く一等星は、魚の口〔フォーマルハウト〕。十月の星図を眺めていた銅貨は、それを折りたたみ、まだ星などひとつも見えない真昼の天〔そら〕を見あげた。(p.40)

ここに出てくる星図について、以前の記事の中では、「プラネタリウムで配られたか、少年雑誌の付録についていたような、1枚ものの星図」という推理をしました。ちょうどそんな感じの10月の星図を見つけたので載せておきます。
アメリカの「Boy’s Life」という少年雑誌の1959年10月号の1ページです。


結構大判の雑誌で、誌面サイズは約31.5×24cmありますが、ペラペラの紙なので、これなら折りたたんでポケットにしまうことも簡単です。


水瓶とフォーマルハウト。残念ながら星座絵はありません。


この色づかい、文字、少年の風体…すべてが50年代のアメリカそのもの。


雑誌の切り抜きなので、当然裏面にも記事があります。「猟は安全が大事」という絵入りの記事ですが、アメリカでは子供の頃からポンポン鉄砲を撃つことに慣れ親しんでいるようで、銃規制がなかなか進まないのも分かる気がします。

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1956年、57年の号にも、それぞれ夏の星座、冬の星座の図が載っていました。



こちらは北と南を向いた時の星空を、背中合わせに描いています。矢印は星座の日周運動の方向でしょう。

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50年代アメリカのパワフルな文化が、繊細な『天体議会』の世界と馴染むかどうかは微妙ですが、少年たちが元気に少年をやっていたという点では、相通じる部分があるかもしれません。