雲間の名月2021年09月21日 21時03分19秒

今宵は雨模様のお月見になりました。
秋雨の季節でもありますから、昔から月見に月が見えないことはしょっちゅうで、俳句の季語でも特に「無月」といい、「曇る名月」といい、また「雨名月」ともいい、雲の向こうに名月をしのぶことも、風流のうちに数えるのだそうです。

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本来の天文学とは関係なしに、月夜の幻燈スライドを少しずつ集めています。


上は先日届いた1枚。


タイトルは「Venitian Night」ベネチアの夜


青い光に満たされたベネチアの夜景です。
櫂をあやつり、静かに奏で唄うゴンドリエーレ。二人の女性客を乗せたゴンドラは、月明かりに照らされた川面をすべるように進みます。
ここでは月が煌々と照るのではなく、群雲を通してかすむように光っているのが、いっそう美しく、幻想的に感じられます。

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歳時記を開いたら、次の一句がありました。

  雨の月 どこともなしの 薄明り  越智越人

月は隈なきをのみ見るものではなく、その「気配」をこそ賞美するのだ…というのは、幾分やせ我慢の気味はありますけれど、まあ風流にはちょっぴりやせ我慢も必要です。


【付記】 なお、上のスライドは2枚目の画像にあるとおり、ニューヨークのマカリスター社(T.H. McAllister)の製品で、1880~1900年ぐらいのものと思います。

ガラスの星空2021年08月25日 07時16分24秒

昼はツクツクボウシの声を聞き、夜はコオロギの声を聞く。
暦はすでに秋を迎え、実感としても秋近しですね。これでコロナが収束してくれれば、言うことはないのですが、こちらの方はとてもそんな長閑な話ではなさそうです。
とはいえ、気分だけでもちょっと涼しげな品を載せます。

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14cm×15cmという、わずかに横長の箱。
パカッとふたを開けると、


中にこういうものが入っています。


そこに書かれた文字は、「COELUX Das kleine Schulplanetarium」――「コールクス 小さな学校用プラネタリウム」。うーむ、なんとも素敵な名前ですね。「Coelux」という商品名は、たぶんラテン語の「宇宙 Coelestis」と「光 Lux」をくっつけた造語でしょう。

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これが何かといえば、要は幻灯機で拡大して眺めるガラス製の星座早見盤です。
いかにプラネタリウム大国のドイツとはいえ、全国津々浦々の学校でプラネタリウムを演示するのは無理ですから、こういう愛らしい工夫が求められたのでしょう。

メーカーはシュトゥットガルトにあったテオドア・ベンツィンガー幻灯社(Theodor Benzinger Lichtbilderverlag)で、考案者はクルト・フランケンバーガー(Kurt Frankenberger)という人です。

フランケンバーガー氏は伝未詳ですが、ベンツィンガー社の方は、ネット情報によれば20世紀初頭から半ばにかけて営業していた会社のようです(参考LINK)。よく見ると「D.R.P angem.」とも書かれていて、これは「ドイツ帝国特許出願中 Deutsches Reichtspatent angemeldet」の意味ですから、1945年以前の品であることは確実で、全体の雰囲気としては1930年代頃のものと思います。


裏返すと、これが星座早見盤であることがよく分かります。使い方も全く同じです。


光にかざすとこんな感じ。実際にはこれが何倍にも拡大されて、教室の壁に投影されたわけです。そして盤をくるくる回しながら、先生が星空の説明をするのを、生徒たちがじっと見守った…そんな光景がありありと目に浮かびます。

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同工の品としては、以前フィリップス社の幻灯早見盤を採り上げました。


今回の品はそれに続く2例目で、これは相当珍品だろうと思いましたが、例のグリムウッド氏の星座早見盤ガイド(LINK)を見たらあっさり載っていて、先達はやはり敬すべきものです。

(ただし、グリムウッド氏が製造年代を「1950年頃」としているのは、上に書いたような理由で若干訂正が必要と思います。)

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下界の憂いをよそに、まもなくガラスのように澄んだ空に、秋の星座が静かに光りはじめます。

王立天文学会に忍び寄る影2021年04月04日 15時53分03秒

久しぶりに休日らしい休日。
せっかくなので、のんびりした記事を書こうと思いましたが、何だか気になるニュースを耳にしたので、そのことを書きます。

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ロンドンの街のど真ん中に「バーリントンハウス」という古い建物があります。

(wikipediaより)

元々バーリントン伯爵の私邸だったものを、19世紀に英国政府が買い上げて、現在はいろいろな学術団体がそこを間借りしています。

1820年創設の王立天文学会(Royal Astronomical Society;RAS)もその一つ。
下の写真は、1900年ごろの古い幻燈スライドに写る王立天文学会の玄関。


「王立」というのは、じきじきに国王の勅許を得て作られた団体ということで(勅許を得たのは1831年)、財政的には王室から独立した、単なる一民間団体といえばそうなのですが、いろいろな歴史的経緯によって、この一等地にある建物を、長年にわたってタダ同然で使用する権利を有していました。

それは、同居する他の団体も同様で、それら諸団体――王立天文学会、ロンドン地質学会、ロンドン・リンネ協会、ロンドン考古協会、王立化学会――を総称して「中庭協会(the Courtyard Societies)」と呼ぶのだそうです。

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私がそこを訪ねたのは、上のスライドから約100年後の2005年3月のただ一度きりのことで、日本ハーシェル協会の「ハーシェルツアー」に参加して、故・木村精二代表のお供としてくっついて行ったのでした。

(玄関前に立つのは木村代表ご夫妻)

このときは外壁修理のため足場が組まれ、あまり見栄えが良くありませんでしたが、こうして見比べると、建物の表情にはいささかの変化も見られず、本当に時が止まったかのようです。

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しかし、建物は変わらなくても、世の中の仕組みの方はそうはいきません。
世が世知辛くなるにつれて、年間家賃1ポンド(やはりバーリントンハウスに入居している、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの場合はそうなんだそうです)というような、浮世離れしたことはだんだん許されなくなってきます。

(王立天文学会図書室)

建物を所有するイギリス政府から、近年立て続けに家賃の値上げを通告され、今や英国を代表する各団体も青息吐息、このままでは栄えある文化の守護者たちも、バーリントンハウスから立ち退かざるを得ない、果たしてそれで良いのか?…ということで、英国の一部は今だいぶもめているそうです。

私はそれを天文学史のメーリングリストで目にし、他のリストメンバーの「金銭が王位につき、文化と科学がそのはるか後塵を拝するとは、いったい我々は何という世界に生きているのか!!」という憤りに共感しつつ、これは英国に限らず、足下の日本でもきっと似たような事例はたくさん起こっているでしょうし、今後ますます増えるだろうと思うと、憂鬱な気分です。

(王立天文学会紀要の古びた背表紙)

「文化で腹がふくれるか!」という人に対しては、「金銭で心が満たされるか!」と返したい気分ですが、貧すれば鈍すで、そんなふうに反論されてもまったく動じない人が増えつつあるのかもしれず、憂鬱といえば憂鬱だし、侘しいといえばこの上なく侘しい話です。

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とはいえ、座して死を待つのみではなく、王立天文学会も今や事態の打開に向けて、盛んにロビー活動を展開しているようです。
以下に同学会から発せられた書簡を全訳しておきますので、義を見てせざるは何とやら、もしイギリスの国会議員にお知り合いがいれば、ぜひお声がけをお願いします。

(以下は、王立天文学会会長のEmma Bunce氏と、同エグゼクティブ・ディレクターのPhilip Diamond氏の連名書簡です。)


拝啓

バーリントンハウスのテナント権に関して、我々が現在直面している問題と、それに対して取っている行動の背景をご説明するため、この手紙を書いております。

2005年、〔政府と〕賃貸契約を結ぶことで、当学会のバーリントンハウスの使用権は正式なものとなりました。家賃は非営利ベースで計算し、(当時の副首相官邸の)資本コストと減価償却分をカバーする額とされ、80年以上かけてゆっくりと市場相場まで引き上げるものとされました。しかし、近年、(当学会の賃料がそこに連動している)ウエストエンドの物件価格が高騰した結果、賃料も驚異的なスピードで上昇してしまったのです。

2018年、担当大臣(Jake Berry議員)との話し合いを通じて、諸学会にとって受け入れ可能な解決に向けて事態は進んでいるように見えました。内閣の要請を受けて、5つの「中庭協会」のすべてが、財務省のグリーンブック〔公共政策評価に関する政府ガイダンス〕に基づき、PwCコンサルティング社が行った分析結果を提出しましたが、それらは我々の国民に対する貢献が、名目的な低額賃料による125年リース契約(これは政府側と諸学会側の双方の調査鑑定士が合意したものです)の価値を、大きく上回ることを示していました。しかし、議論はその後停滞し、パンデミックの発生とともに完全に停止してしまい
ました。

2020年の初頭に、現在の我々の家主である、住宅・コミュニティ・地方自治省(MHCLG)は、向こう5年間、賃料の値上げを年間8%(複利)に据え置くことを申し出ましたが、この値上げ率(実質的に8~9年ごとに家賃が2倍になります)は、諸学会にとって依然受け入れがたいもので、そうなれば遅かれ早かれ移転を検討せざる得なくなるでしょう。

交渉再開のため、諸学会はさらに努力を重ねましたが、不調に終わりました。歴史的にこれまで政府は、諸学会がバーリントンハウスに拠点を置くことの意義を認識してきたものの、持続可能な将来像について、オープンかつ公正な方法で議論することをMHCLGは拒否したのです。

年間賃料の上昇により、今や当学会は遅かれ早かれ、この歴史的建物からの移転を検討せざるを得ない状況に直面しています。市の中心部に代替施設を獲得できる可能性はほとんどありません。そして、手の届く範囲にある遠隔地への移転となれば、我々が持つコレクションに対する公共アクセスは潜在的に低下してしまうでしょう。

移転には数百万ポンドかかる見込みです。壊れやすい歴史的資料をまとめて移動することはきわめて困難ですし、コレクションを安全に収容し、かつアクセス可能な状態にするには、環境制御された部屋を持つ専用の施設が必要となります。

諸学会が、さまざまな活動やプログラムを通じて、英国の経済的・科学的・社会的・文化的な福利向上に果たした貢献を、PwCコンサルティング社が分析した結果、4つの学会による総額は年間4,700万ポンド〔約72億円〕を上回ると結論付けられました。同社はこの価値のほぼ3分の1が、移転によって失われると推定しています。 MHCLGが課す家賃の値上げによって、公共的価値に対するこの莫大な貢献は危険にさらされるでしょう。

強制的な移転は、諸学会の現状に対する脅威そのもので、我々が進める教育的・学術的・公共的な参加活動を脅かし、160万以上のアイテムを含む貴重なコレクションとライブラリの統一性を危険にさらします。それは、我々の英国に対する科学的・文化的・社会的・伝統的貢献を著しく損なう一方、政府に対しては些細で不確かな利益しかもたらしません。

我々は、バーリントンハウスに留まれるよう、政府を説得することに全力を注ぐ一方、必要とあらば代替施設を獲得するという選択肢を探る試みも続けています。

当学会の僚友である中庭協会―リンネ協会、考古学会、地質学会―も同様の結論に達しています。当学会の評議会は、我々が引き続きバーリントンハウスにいられるよう、政府との間で、受入かつ実行可能な解決策を見出すための全国キャンペーンを、諸学会と共に実施することに同意しました。キャンペーンの一環として、我々は国会議員諸氏に対して、145年以上の長きにわたって我が国に利益をもたらした現在の約定を維持するため、当学会を支援してくれるよう求めています。

我々がバーリントンハウスに留まり、唯一無二でかけがえのない発見の記録と歴史と伝統遺産を確実に保存できるよう、我々は政府に対して受入れ可能で持続可能な約定に同意するよう求めています。そうすれば、我々は勅許状を履行するために必要な拠点と長期的なセキュリティが得られますし、国民及び国家遺産、そして研究コミュニティの利益のために、未来に向けて投資できるようになります。

我々はこのキャンペーンに賛同し、国務長官や他の大臣と直接対話できるよう同僚議員に問題提起してくれる国会議員を求めています。我々の置かれた状況を知らせるために、地元選出の国会議員に手紙をお書きいただければ、大いに我々の助けとなります。またご専門の活動を通じて、政府に影響を与えうる人物をご存知でしたら、先様にご一報の上、当方までお知らせくだされば、当方より直接ご連絡をさせていただきます。当方のメールアドレスは○○@○○〔個人アドレスなので省略〕です。さらなる詳細がわかり次第、また追ってご連絡いたします。

敬具

会長 エマ・バンス
エグゼクティブ・ディレクター フィリップ・ダイアモンド


月に漕ぎだす2021年02月05日 21時14分19秒

月夜の幻灯スライド。


静かな夜の湖。数隻のボートが入江を離れ、ひと連なりに漕ぎだしたところです。
湖面には月光がきらきらと反射し、その光をかき分けるように進むボートの櫂の音、水しぶきの音。「幻灯」の名の通り、幻のように美しい、そしてまた謎めいた情景です。


澄んだ月夜の光景が、見る者の裡に広がり、こちらの心も森閑と澄んできます。

(手書きの文字は「Boating on Lower Lake」)

このスライドは、長方形をしたアメリカン・サイズなので、北米のどこかの景色だと思います。でも、Lower Lakeと名の付く湖はあちこちにあるので、どこを撮った写真かは分かりません。でも、それでいいのです。これはどこにでもあり、どこにもない、「心の中の湖」として眺めるのが良いように思います。



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【閑語】

美しいボートから目を転じて、我らが乗り合わせた阿呆船。
こちらもなかなか人材が豊富で、順調に迷走を続けています。

船頭多くして、船、山に登る――。
いったい目的の地、「阿呆国ナラゴニア」にたどり着くのはいつなのか。それともとっくにナラゴニアの奥深くまで達し、さらにエッチラオッチラ山を登っているところなのか。

こちらも幻のように奇なる光景ではあるのですが、もちろん心が澄むことはありません。

大天使の剣2021年01月19日 21時43分13秒



19世紀の幻燈スライド。月景色のスライドを探していて見つけました。


正面はローマのサンピエトロ寺院。
右手の巨大な円筒形の建物は、サンタンジェロ城です。
テベレ川のほとりでは、男女が歌と踊りに興じ、その様子を月が黙って見下ろしています。

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ペストというと14世紀にはじまる「黒死病」のことばかり思い浮かべますが、そのはるか以前、6世紀にも東西のローマ帝国で大流行があったことを、ウィキペディアの「ペストの歴史」に教えられました。

その流行の末期、時の教皇グレゴリウス1世は、古のハドリアヌス帝の廟を改造した城塞・サンタンジェロ城の頂上で、大天使ミカエルが剣を鞘に収める姿を目撃し、さしもの疫病も終息を迎えたことを知った…というエピソードがあるのだとか。


月明かりに照らされて、城の頂に白く光る大天使の像。
この像は1753年に大理石から青銅に作り替えられたそうで、この幻燈画は昔の大理石時代の風俗を描いたものかもしれません。


上部が見切れていますが、側面ラベルには「dissolving pictures」と書かれています。これは幻燈の映写技法の一種、「スーパーインポーズ」のことです。このスライドの場合だと、昼間の景色を描いた別のスライドと重ねて映写し、昼景と夜景の入れ替わりを見せたのでしょう。

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第3ミレニアムの21世紀、コロナの威力はまことに強大で、さしものミカエルも未だ剣を収めかねているようです。でも、神や仏の力を期待するのは、およそ人事を尽くしてからです。我々には、まだ為すべきことや、為さざるべきことがたくさんあるように思います。

科学の目…科学写真帳(後編)2020年12月20日 08時52分28秒

ミクロの世界ばかりではなく、科学の目はマクロの世界にも向けられます。


上はウィルソン山天文台の100インチ望遠鏡で撮影したオリオン座の馬頭星雲


こちらはパロマー山天文台の200インチ望遠鏡が捉えた「かに星雲」。左は赤外線、右は深紅色の帯域(crimson light)で撮影されました。波長によって対象の見え方が劇的に変わる例です。

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いずれも天文ファンにはおなじみのイメージであり、依然として興味深い天体だとは思いますが、宇宙的スケールでいうと、ずいぶん「ご近所」の天体を選んだものだなあ…という気もします。「天体、遠きがゆえに貴からず」とはいえ、この辺のチョイスは、60年余りの時を隔てた宇宙イメージの変遷を如実に物語ります。

今、もし同様の企画が立てられたら、写真の選択は随分変わるでしょう。
地球周回軌道上の宇宙望遠鏡の登場、補償光学の発展、デジタル撮像と画像処理技術の進歩によって、我々の宇宙イメージは劇的に変わったからです。天界のスペクタクルは一気に増えましたし、宇宙を見通す力は100億光年のさらに先に及び、超銀河団からグレートウォールの構造まで認識するに至りました。

科学の進歩は実に大したものです。
とはいえ、この静謐なモノクロ写真は、最新の科学映像とはまた別の美と味わいを感じさせます。そこに優劣はないのでしょう。

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ついでなので、本書に収められた写真の細部も見ておきます。


この写真集は、写真原版をハーフトーン(網点)で製版しています。


各図版の周辺には印刷時の圧痕がくっきりと見られます。圧をかけたということは凹版印刷を意味し、しかもこれだけ痕が残るのは、相当プレスした証拠です。要は、通常の印刷とは異なる一種の美術印刷なのだと思いますが、背景の黒のマットな仕上がりが美しく、いかにもアートなムードが漂います。

科学の目…科学写真帳(中編)2020年12月17日 06時56分42秒

(昨日のつづき)

こんな写真集を見つけました。


■Franklyn M. Branley(編)
 『Scientists' Choice: A Portfolio of Photographs in Science.』
 Basic Books(NY)、1958

編者のブランリーは、ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムに在籍した人です。
表題は『科学者が選んだこの1枚』といったニュアンスでしょう。各分野の専門家が選んだ「この1枚」を全部で12枚、それをバラの状態でポートフォリオにはさみ込んだ写真集です。さらに付録として、『Using Your Camera in Science(手持ちのカメラで科学写真を撮ろう)』という冊子が付属します。


裏面の解説を読んでみます。

 「ここに収めた写真は、その1枚1枚が芸術と科学の比類なき組み合わせである。いずれも、一流の科学者が自分の専門分野の何千枚という写真の中からお気に入りの1枚を選んだものばかりだからだ。電子やウイルスから、飛行機翼や星雲に至るまで、幅広いテーマを扱ったこれら一連の写真は、多様な科学の最前線、すなわち風洞、電子顕微鏡、パロマー望遠鏡、検査室等々におけるカメラの活躍ぶりを示している。どの写真も、科学者であれ素人であれ、それを見る者すべてに、自然と物質のふるまいに関する新しい洞察をもたらし、その美しさの新たな味わい方を教えてくれる。」


1950年代に出た科学写真を見ていると、当時の科学の匂いが鼻をうちます。


表紙を飾った酸化亜鉛の電子回折像
酸化亜鉛の結晶を電子ビームが通過するとき、電子が「粒子」ではなく「波」として振る舞うことで、その向こうの写真乾板に干渉縞が生じ、ここではそれが同心円模様として現れています(形がゆがんでいるのは、電子線が途中で磁石の力で曲げられているためです)。奇妙な量子力学的世界が、写真という身近な存在を通して、その正当性をあらわに主張している…というところに、大きなインパクトがあったのでしょう。


美しい放射相称の光の矢。
これも回折像写真で、氷の単結晶のX線像です。(撮像もさることながら、単結晶の氷を作るのが大変な苦労だったと…と解説にはあります。)


科学写真が扱うのは、硬質な物理学の世界にとどまりません。こちらはショウジョウバエの染色体写真。2000倍に拡大した像です。
本書の刊行は1958年ですが、当時すでに染色体の特定の部位に、特定の形質(翅の形、目の色・大きさ等)の遺伝情報が載っていることは分かっていました。そして1953年には、あのワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見があり、生命の秘密の扉が、分子生物学の発展によって、大きくこじ開けられた時代です。

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ときに、「当時の科学の匂い」と無造作に書きましたが、それは一体どんな匂いなのでしょう?個人的には「理科室の匂い」です。薬品の匂いと、標本の匂いと、暗幕の匂いが混ざった不思議な匂い。

でも、それだけではありません。そこには「威信の匂い」や「偉さの匂い」も同時に濃く漂っています。この“科学の偉さ”という話題は、おそらく「科学の社会学」で取り扱われるべきテーマでしょうけれど、何にせよ当時の科学(と科学者)は、今よりも格段に偉い存在でした。本当に偉いかどうかはともかく、少なくとも世間は偉いと信じていた…という点が重要です。

「偉い」というと、何だかふんぞり返ったイメージですが、むしろ光り輝いていたというか、憧れを誘う存在でした。その憧れこそ、多くの理科少年を生む誘因となったので、当時の少年がこの写真集を手にすると、一種の「望郷の念」を覚えると思います。いわば魂の故郷ですね。そう、これはある種の人にとって、「懐かしいふるさとの写真集」なのでした(…と思っていただける方がいれば、その方は同志です)。

(この項つづく)

星めぐりの青い夜2020年08月18日 05時45分02秒

天文アンティークの世界に分け入って、美しいモノや、変わったモノをずいぶん見てきましたが、その中でも、これはちょっと<別格>という品があります。
“これさえあれば、生きながらえることができる―。”
何だか大げさですが、確かにそう思えるような品がいくつかあるのです。

たとえば、この古い幻燈スライド。


木枠に取り付けたハンドルを回すと、ガラスに描かれた絵柄がくるくる回る「メカニカル・ランタン」の一種で、19世紀後半にイギリスで売り出されたものです。


メーカーはロンドンの John Browning 社。
これを光にかざせば、青く輝く夜空に一面の星が広がります。


その主役は大熊と小熊。


北斗七星を基準に、小熊のしっぽの先に光る北極星を探すという、星座学習の基礎を説くものですが、その絵柄の何と繊細なことか。森の上に悠然と浮かぶ熊もいいし、木立ちの描写も美しいです。そして、空の青と星の白の爽やかなコントラスト。いかにも星ごころに満ちています。


そして、ハンドルを回せば星がゆっくりと回転し、熊たちも空の散歩を始めるのです。微笑ましくもあり、なんだか切ないような気もします。

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下界に暮らすことは辛いことです。でも、こういう品に心を慰め、頭上を振り仰げば、もうしばらくは頑張れそうです。

明治科学の肖像2020年08月16日 10時57分19秒

寺田寅彦といえば、彼の写っている「生写真」が手元にあります。
といっても、集合写真の一角に写っているだけですが。


(写真の要部拡大)

上は当時の「東京帝国大学理科大学」(現・東大理学部)の卒業写真。
年次は明治39年(1906)で、当時は9月から学校年度が始まったので、この写真は7月の撮影です。写真の大きさは21.5×28cm、台紙も含めると33.5×41.5cmと、かなり大きなものです。


その一番後ろに写っているのが寺田寅彦
当時の肩書は「物理学講師」で、まだ博士号を取得する前の一理学士の頃です。
漱石は彼をモデルに、『吾輩は猫である』に出てくる「理学士・水島寒月」を造形しましたが、『猫』は当時リアルタイムで連載中だったので、まさにこれがリアル寒月君の風貌ということになります。

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寅彦もさることながら、この写真自体、明治科学の歴史を伝える興味深いものなので、もう少し仔細に見てみます。

この写真は、日本地質学会の会長も務めた、地質学者の中村新太郎博士(1881-1941)の手元にあったもので、そのご遺族から出たものと思います。私はたまたまヤフオクで見つけました(他にも旧制高校時代の写真や、家族写真なんかと一括で出品されていました)。


写真のいちばん右下に写っているのが、卒業生の一人である中村博士です。

(下の名前一覧と対照しやすいように再掲)

この写真で興味深いのは、写真の台紙裏面に、中村博士自筆のメモが貼付されていて、人物をすべて特定できることです。

(裏面のメモ)

画像では読み取りにくいので、全員書き起こしてみます。(分かりやすいよう、教員は太字にしました。原文にあるカッコ書きは、卒業生の所属学科です。)

▼第5列=最後列
辻卓尓(化)、西澤勇志智(化)、門岡速雄(物)、勝山秀尾(物)、寺田寅彦
▼第4列
山本豊次(化)、大友幸助(化)、吉田得一(物)、粟野宗太郎〔(植)〕、田畑助四朗(植)、川村清(植)、横飛私城(物)、内藤丈吉(数)、柴山本弥(数)
▼第3列
長俊一(化)、坂井英太郎、松原行一、守屋物四郎、本多光太郎、飯塚啓、高木貞治、藤井健次郎、田丸卓郎
▼第2列
垪和為昌、坪井正五郎、三好学、田中館愛橘、箕作佳吉、櫻井錠二、小藤文次郎、鶴田賢次、渡瀬庄三郎、中村清二
▼第1列=最前列
細井貫了(物)、磯野正登(数)、北山心寂(物)、福田為造(物)、石原純(物)、野田勢次郎(質)、中村新太郎(質)

大雑把に言うと、後ろ2列と最前列が学生で、それ以外は教員なのですが、なぜか寺田寅彦だけ最後列の端っこに並んでいて、この辺が彼の奇人ぽいところです。

当時の教職員や学生名簿は、国会図書館デジタルライブラリに収められている『東京帝国大学一覧(明治39-40年)』にすべて掲載されています。それを見ると、この明治39年(1906)に晴れて理科大学を卒業したのは、学科別に、数学科(4)、星学科(0)、理論物理学科(1)、実験物理学科(8)、化学科(6)、動物学科(0)、植物学科(3)、地質学科(3)の計25名で、写真に写っているのは、そのうちの21名です。

それにしても、錚々たる顔触れですね。
当時の最高学府ですから、当然といえば当然ですが、日本の近代科学を牽引した人々がずらり並んでいます。ちなみに3列目の右端に写っている田丸卓郎(1872-1932)は、以前、熊本の旧制五高で物理を教えた人で、同僚の夏目漱石とともに、その頃から寺田寅彦の恩師にあたります。

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昨日、日本の原爆開発を下敷きにしたドラマ「太陽の子」をNHKでやっていました。
登場人物たちは、軍事研究をめぐる疑問と葛藤を心に抱きつつも、時代はそうした個々人の苦悩をすべて押し流し、日本の科学立国の夢もまた烏有に帰した時代を描く内容でした。

1945年といえば、上の写真に写っている学生たちですら、すでに退官した老先生になっている頃ですが、中には最年長の田中舘愛橘(たなかだてあいきつ、1856-1952)のように、江戸時代に生まれ、戦後まで長く生きた人もいます。

彼らにとって、自らの人生を捧げた科学とは果たして何であったのか? 科学の目的や価値を、突き詰めて考えた人もいるでしょうし、そうでなかった人もいるとは思いますが、そんなことが1枚の写真からいろいろ想像されるのです。

星の色2019年07月27日 18時02分29秒

肉眼で見る星は、一部の例外を除いて、だいたい白っぽいです。
人間の目は、暗い対象には色覚がうまく働かないからです。大口径の望遠鏡で光量を集めれば、だんだん色味も感じられてくるのでしょうが、それにしたって鮮やかな天体写真のような具合には、とてもいきません。

それでも、19世紀以降の天文趣味人は、星の色に強く惹かれ、望遠鏡を使って空の宝石箱を眺めることに喜びを見出してきました。

特に色を感じやすいのは、二つの星の対比効果によって、色合いが強調される場合です。旧来の二重星ファンは、たぶん二重星という存在への興味よりも、その色彩に興味を持って観望してきたように思います。

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ときには、その喜びを家族や友人で分かち合うための幻灯会も催されました。
星好きの人にとっては、曇りや雨の晩の恰好の慰みだったでしょう。
そんなふうに想像したのは、実際にそうした幻灯スライドを見つけたからです。


暗黒の空をバックに光る、うしかい座エプシロン星
赤色巨星に寄り添う青緑の星が美しい二重星です。


その実体は、黒いラシャ紙に半透明の色紙を貼り付けたお手製のスライド。
そう、星の幻灯会は、こんなにも簡単な工夫で上演できるのでした。
幻灯スライドといえば、写真だったり、手描きの凝った絵だったりというのを見慣れていたので、最初見たときは、虚を衝かれた思いがしました。


こちらはカシオペヤ座エータ星。本によっては「黄色の主星とオレンジ色の伴星」と書かれますが、ここでは白色とルビーとして表現されています。


星群(アステリズム)のかたわらで、ひときわ鮮やかな深紅の星は、ミラ型変光星のひとつ、うさぎ座R星。その大きな光度変化は、死を迎える間際の星の荒い息遣いに他なりません。


オリオン座シータ星
オリオン座大星雲中のいわゆるトラペジウム。複雑な多重星です。



フレームには「カシオペヤ座シグマ星」とラベルが貼られています。
でも、同星は確かに連星ですが、美しい色合いで有名だとは聞きません。
このオレンジと青は、どうみてもアルビレオはくちょう座ベータ星)だと思うんですが、今となっては詳細不明。

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これらの素朴なスライドは、一括して「Stars & Glusters」(星ときらめき)というシールが貼られた元箱に入っていました。国はイギリス、時代はたぶん19世紀末~20世紀初頭頃。


その晩の賑わい、歓声とため息を想像すると、100年後の私まで何だか愉しくなってきます。


【関連記事】

■天空の色彩学(その1)
■(その2)
■(その3)