日本の星座早見盤史に関するメモ(14)…恒星社『新星座早見盤』2020年06月25日 06時27分04秒

さっそく自力で新しい発見があったので、追記します(ちょっとしつこいですね)。

連載第6回「昭和50年頃の早見盤界」に出てきた、恒星社版の星座早見の正体が分かりました。記事中では「南北天両面式」「直径15cm」という説明だけが、かろうじて判明していた品です。

夕べ、古い天体観測入門書を見ていたら、図入りでその説明がありました。


■鈴木敬信・中野繁(著)
  『中学・高校生の天体観測』 (誠文堂新光社、昭和27年/1952)


 「星座早見にも市販のものがいくらかあるが、窓の形の不正確なものがかなりある。楕円形にしたり、あるいはそのほか勝手な曲線にしたりしている。信頼できるものをあげると

(1)日本天文学会編 星座早見(北緯35°用) 三省堂刊
(2)水路部編 星座盤(北緯30°用)
(3)宮本正太郎案 新星座早見(北緯35°用) 恒星社刊

などがある。(1)、(2)はほぼ同じようなものであるが、(2)は日本近海を航海する船が利用するようにつくってあるので、基準緯度が低くなっている(郵船会社その他海図を売っている所にある)。印刷が美しい上に、回転部分がガタつかないように、入念につくってあるので、きわめて使いよい。(3)は小型でポケットにはいる程度である。天の赤道をさかいにして、それより北の空と南の空とが、別々に現れるようになっているので、なれないと使いにくい。

 (1)(2)型の星座早見では、星図が北極中心になっており、南の星ほど図の外側にくるので、南極に近い星座ほど、南北にくらべて東西がのびており、星座の形がいちじるしくずれている。さそり座・いて座など東西にひどくのびて、初心者は実際の空と比較するときに、とまどうほどである。(3)では星図が、天の赤道をさかいして、北極中心のものと、南極中心のものと2枚にわかれているので、(1)(2)に見られるような南天星座の変形はない。この点はひじょうにべんりだ(よくいうことだが、天はニ物を与えたまわぬようだ)。」 (pp.34-5、太字は引用者)


なるほど、「南北天両面式」というのは、南十字星のような南半球の星図と、北半球の星図が両面に描かれているのかな…と思ったら、そういうわけではなくて、あくまでも日本国内から見上げた星空を、北の方角を向いたときと、南の方角を向いたときとで描き分けたものだったのですね。(そうすることで、星座の形と大きさの歪みが小さくなるメリットがあるわけです。)

考案者の宮本正太郎氏(1912-1992)は、京大の花山天文台長もつとめられたプロの天文学者。一般向けの本も多く書かれたので、オールド天文ファンには親しい名前かもしれません。

その宮本氏が1952年、ないしそれ以前の段階で、こういうものを世に問うていたというのは、時期的にも相当早いですし、内容も斬新ですから、日本星座早見盤史にその名を記し、記憶にとどめる価値が十分あります。(ただし、このアイデア自体は、ドイツの古い早見盤に先行例があります。)

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そしてまた、印刷が美しく入念な仕上げが施された、水路部編の『星座盤』というのも、これまた目にしたことはありませんけれど、大いにそそられるものがあります。

こうして探索の旅は、さらに続くのです。

(今度こそ本当に、一応この項おわり。でも追記は随時します)

日本の星座早見盤史に関するメモ(13)…いくつかの訂正、そして探索の旅は続く2020年06月23日 21時02分06秒

「一応おわり」と書いたそばから何ですが、自分の狭い見聞だけに凝り固まっては、やっぱりダメだと気付きました。

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以下は、大阪市立科学館で学芸員をされている嘉数次人(かずつぐと)氏の個人サイトです。これまで拙ブログが何度もお世話になり、星座早見盤のことも確かに目を通していたはずですが、やっぱり自分なりの問題意識を持ってないと、「見れども見えず」の状態になってしまうのでしょう。

■なにわの科学史のページ:星座早見盤の世界

上のリンク先から、「星座早見盤のいろいろ」というページに入ってください。
そこには同科学館が所蔵する、さまざまな星座早見盤が紹介されていますが、今のタイミングで再訪して、愕然とする事実を知りました。今回の連載で書いたことの何点かは、ただちに訂正が必要です。


(1)戦前の製品版早見は、三省堂版以外にもあった。

一連の早見盤の中に、宮森作造編『ポケット星座早見』というのが紹介されています。嘉数氏の解説をそのまま引用させていただきます。

 「1929(昭和4)年発行。厚紙布張り二つ折りの豪華なつくりである。編集は天文同好会(現在の東亜天文学会)の宮森作造。この早見盤は、1929年8月に初版発行の後、同年12月には第4刷が発行されている。当時における早見盤の需要の一端をうかがうことができよう。」

おそらく販売部数では三省堂に及ばないでしょうが、この品が当時、繰り返し版(ないし刷)を重ね、一定の面的普及を見ていたことは確実です。したがって、「三省堂版が唯一」みたいな書き方は、正しくありません。なお、ネット情報によれば、宮森作造氏(1891-1976)は、大阪の熱心なアマチュア天文家の由ですが、『日本アマチュア天文史』(恒星社)に名前が見えず、詳細は不明。


(2)三省堂版『新星座早見』は、1958年(これは前述のとおり1957年が正しいように思います)の初版発行から、1986年の『新星座早見 改訂版』発行までの間に、一度モデルチェンジを経ている。それは1972年のことである。

嘉数氏のページには、そのスリーショットが載っています。
私の今回の連載に登場した早見盤は、その1972年のモデルチェンジ後のものでした。同じく「初版の外袋」というのも紹介しましたけれど、その中身は1972年版とはデザインが幾分異なる品だったのです。何事も早とちりは禁物ですね。


(3)日本の星座早見盤界は想像以上に広く、かつ美しい。

大阪市立科学館の所蔵品を見て、宮森作造氏の『ポケット星座早見』にしろ、佐伯恒夫氏の『星座案内』にしろ、また古風な紙製『星時計』にしろ、日本にこんなにも愛らしく、雅味のある逸品がいくつも存在したとは、本当にうれしい驚きです。これぞ天文古玩道の奥深さです。

当然のごとく、所有欲をはげしくそそられるわけですが、いずれも売り物を目にしたことはないので、どれも相当な稀品でしょう。でも、探すだけの価値は十分あります。

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いや、それにしても斯道深し
この思いを噛みしめるのは、はたして何度目でしょうか。

日本の星座早見盤史に関するメモ(12)…三省堂『ジュニア星座早見』2020年06月22日 20時40分21秒

三省堂の『新星座早見』に、ただの『新星座早見』と、『新星座早見 改訂版があったのと同様、『ジュニア星座早見』にも、ただの『ジュニア星座早見』と、『ジュニア星座早見 改訂版がありました。――ここでも略称を使って、前者を「ジュニア元版(もとはん)」、後者を「ジュニア改訂版」と呼ぶことにしましょう。


ジャケットを並べるとこんな感じ。右上が「ジュニア元版」、左下が「ジュニア改訂版」です。

昨日も貼り付けた、三省堂サイトの在庫ページ↓に出てくる『ジュニア星座早見』は、改訂版の方で、その親に当たる『新星座早見』(こちら改訂版の方です)と同時に、1986年に発行されています。そして、ともに仲良く品切れ中です。


「ジュニア元版」が「新星座早見」の子供であり、「ジュニア改訂版」が同じく「新星座早見 改訂版」の子供であることは、このふた組の親子のジャケットを比べれば、一目瞭然です。裏面を並べれば、これまた下のような感じ。

(ジュニア元版の親子)

(ジュニア改訂版の親子)

ジャケットのデザインも、そこに書かれた文句も、本当によく似た親子です。
しかし、似ているのはジャケットだけで、その中身はまったく違います。

(左:「ジュニア元版」、右「ジュニア改訂版」。円形部分の直径はそれぞれ19.8cm、21cm。まったく同じように見えますが、改訂版の方がちょっぴり大きいです。)

そう、『ジュニア星座早見』は、元版も改訂版も、共に4本角タイプであり、しかも素材は厚紙と、その親とは似ても似つかぬ姿で、むしろ祖父母である「旧版」の形質を色濃く受け継いでいるのです。

(祖父母の肖像)

三省堂版に限りません。
フィリップス社のアンティーク星座早見盤をはじめ、かつて各メーカーが盛んに試みたクラシカルな4本角のフォルムは、こうして極東の地で細々と生き延びて、まさに星座早見界のガラパゴス的様相を呈しているのでした。

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ところで、「ジュニア改訂版」は、1986年生まれとはっきりしているのですが、「ジュニア元版」の方は、本体にもジャケットにも記載がないので、正確なことは不明です。

(「ジュニア」元版・裏面)

(同・拡大)

まあ、手元の品に限定すれば、そのジャケットデザインから、これも1970年代の品と想像されるのですが、途中でジャケットデザインの変更があって、その生年自体はもっと古い可能性が捨てきれません。

この点は、先日コメント欄で、S.Uさんに耳より情報を教えていただきました。
ツイッター上に、関連する画像が投稿されているというのです。

さっそく件のツイート【LINK】を見に行ったら――ツイート主は、倉敷の素敵な書店「蟲文庫」さんです――、そこにはズバリ「1961年」のコピーライト表示がありました。これぞ“元版の元版”に違いありません。親にあたる「新版」が1957年の誕生ですから、ジュニアの方は、それから4年遅れで世に出たことになります。

星座早見盤という存在自体、当初から「教育用品」の色彩を帯びていましたが、ここにはっきりと「子供向け市場」が形成され、それが拡大しつつあったことを物語るエピソードではあります。

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ついでに星図の細部も見ておきます。

(ジュニア元版)

(ジュニア改訂版)

時代の変化は、当然『ジュニア星座早見』にも及んでいます。
元版の左下に見える「インドじん座」は、さすがに古風ですね。画像には写っていませんが、改訂版だとちゃんと「インディアン座」に直っています。

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さて、以上で三省堂と渡辺教具製の星座早見については、その変遷が何となく分かりましたが、他のメーカーの品については依然さっぱりです。でも、今のところ手元に何も材料がないので、連載の方はこれで一区切りつけます。所詮は「メモ」ですから、また判明したことがあれば、のんびり書き継ぐことにします。

(一応この項おわり)

日本の星座早見盤史に関するメモ(11)…三省堂『新星座早見改訂版』(下)2020年06月21日 11時17分26秒

(昨日のつづき)

リーフレットの冒頭には、こんなことが書かれていました。

 「この『新星座早見 改訂版』は、永らくご愛用いただいた『新星座早見』にかわるものとして、企画されたものです。」

ふむふむ。

「我が国における星座早見盤の歴史については必ずしも明らかではありませんが、明治41年版の天文月報に三省堂から星座早見盤の広告が掲載されておりますので、少なくとも80年近い歴史があることがわかります。」

え! …と、読んでいる途中で声が出ました。
三省堂は、言うまでもなく、日本における星座早見盤の最老舗です。
私はこの文章を読むまで、同社には日本天文学会と取り交わしたであろう、昔の権利関係の書類とか、往時の事情をリアルに物語る資料が、当然あるのだと思っていました。でも、当の三省堂自身が、「必ずしも明らかではありません」と言い、昔のことは当時の広告で推測するしかないのであれば、やっぱり資料はほとんど残っていないのでしょう(注)

明治・大正・昭和・平成、そして令和―。
5代の長きに及ぶ三省堂の星座早見盤作りの歴史が、早くも昭和の頃には分からなくなっていたとは、痛恨の極みです。であれば、しかしこの駄文にも多少の意味はあるでしょう。

   ★

さて、「改訂版」の続きです。
改訂版には、昨日書き洩らした工夫が、もう一つ凝らされています。


それが、この「高度方位角図」で、ジャケットの中には、白封筒に入った5枚の方位角図が付属します。これらは、本体に印刷された北緯25度~45度まで5度刻みの地平線の「窓」の大きさ・形に、それぞれ対応しています。


これは、おそらく渡辺教具製「お椀型」のアドバンテージを奪おうという野望の表れでしょうが、実際に「窓」にあてがっても、下の星図は見えません。ではどうするか。
この「高度方位角図」の使い方も、リーフレットに解説がありました。

 「観測地に近い緯度の高度方位角図を選び、上の盤の窓に転写して使います。用心のためにコピーをとっておいてから、使用する高度方位角図を南北の線で2つに切りはなします
〔注:縦に真っ二つに切るのです〕。次に〔…〕窓の下に挿入します。地平線に相当する周囲の線をよく一致させ、窓に高度方位角の線を極細のフェルトペンなどで転写しましょう。」

何だか面倒くさいですね。手先が不器用だと、悲惨なことになるかもしれません。
それに実際に転写してしまうと、他の緯度に移動したとき使いにくくなるので、リーフレットも「観測地があまり変化しない方は利用されるとよいでしょう」と、特に断わりを入れています。若干企画倒れの感なきにしもあらず。

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しかし、三省堂(と日本天文学会)の「野望」はこれで尽きることなく、新たに『世界星座早見』を生み出すことになります。2003年のことです。



盤の直径は27.5cmとさらに大型化し、対応する緯度も25度から50度にまで拡大。さらに、盤の両面に南北の星図を載せて、世界の主要地点のどこでも使えるようにしようという、大変な意欲作です。


高度方位角図も、こんどはシートに印刷済みのものを、回転盤にクリップ(写真の下に白く見えています)で固定するよう、工夫を凝らしています。以上のことから、『世界星座早見』が「改訂版」の延長線上にあって、それを改良したものであることは明らかです。

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では、改訂版はすでに過去の商品なのか?
そして『世界星座早見』こそが、その後継なのか?
この点は、三省堂の出版案内【LINK】を見れば明らかになります。


「改訂版」は、その後どうなったわけでもありません。今も現行の商品です。たしかに「品切れ中」ではありますが、「絶版」になったわけではありません。
明治生まれの旧版の正当な後継者は、今も「改訂版」であり、『世界星座早見』は、そこから派生したスピンオフという位置づけなんだろうと思います。

そして、旧版、新版、改訂版という太い進化の幹から分岐した、もう一つのスピンオフ作品が『ジュニア星座早見』で、この愛すべき品を次に見ておきます。

(この項つづく)


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(注)

「三省堂書店」と出版社の「三省堂」は、今は別の会社ですが、元は当然同じ会社なので、『三省堂書店百年史』は、星座早見盤出版当時のことも扱っています。ただ、『百年史』の目次をこちら【LINK】で読むことができますが、早見盤のことは独立した項目にはなっていないので、一寸した言及ぐらいはあるかもしれませんが、詳細な記述はなさそうです(機会があれば確認してみます)。

また、日本天文学会百年史編纂委員会(編)の『日本の天文学の百年』(恒星社厚生閣、2008)には、「第2章天文の教育と普及」の一節として、星座早見盤のことが1か所だけ出てきます。

 「天文学会が教育、普及を意識して組織されたものであることが、星座早見盤から読み取ることができる。天文学会が設立されたのは1908年1月であるが、早くもその前年の9月に平山信編集、日本天文学会発行と印刷された星座早見盤が出版社を通じて販売されている。この星座早見盤は1958年に大幅に改訂されて「新星座早見」となり、現在は「世界星座早見」、「光る星座早見」として編集、発行され今なお根強い人気を保っている。」(P.251)

学会設立よりも前に星座早見盤が出ていたことは、言われるまで気づかなかったので、「へええ」とういう感じですが、情報量としてはこれだけなので、やはり往時の事情はさっぱりです。なお、「1958年に大幅に改定」というのは、以前書いたように「1957年」が正しいと思います。

日本の星座早見盤史に関するメモ(10)…三省堂『新星座早見改訂版』(上)2020年06月20日 18時13分09秒



「星座早見」星座早見」になり、さらに「新星座早見改訂版の時代へ。(以下、それぞれを「旧版」「新版」「改訂版」と呼ぶことにします。)

(ジャケット裏面。文字情報を確認できるよう、大きな画像にしてあります)

改訂版は発行年が明記されていて、1986年7月が第1刷。年号でいえば昭和61年、まさに昭和の掉尾を飾る早見盤です。(手元のは1998年6月の第17刷ですが、「版」ではなく「刷」ですから、中身は当初のままのはず。)

お値段1200円というのは、「新星座早見」が1970年代(推定)当時1000円だったことを思うと、ずいぶんお安く感じますが、これは物価上昇の鈍化に加え、素材の変化によるところが大きいと思います。


(裏面)

新版は星座盤が金属製でしたが、改訂版はオールプラスチック製。
錆びる心配がなくなったし、持ち運びにも便利ですが、あえていえばペラペラで安っぽい感じです。これも軽薄短小化という時代の流れを受けたものでしょう。ただ、薄くなった分、直径は24cmと、大きさは心持ち大きくなっています。

(改訂版と新版)

カラーリングも、昭和30年代がこだましていた新版とは、ずいぶん印象が異なります。


機能面でいうと、新版が「4等星以下」としていた部分を「4等星」「5等星」に分けて、その分、記載星数が増えたのと、対応緯度が30度までだった新版に対して、改訂版は25度まで対応しています。(そのため南天星座(円周部)がボリュームアップし、それが直径が大きくなった理由の1つでしょう)。

   ★

ところで、ジャケットの中には「ご利用の参考に」という解説リーフレットが同封されているのですが、これを読んで一寸驚いたことがあります。


(この項つづく)

日本の星座早見盤史に関するメモ(9)…三省堂『新星座早見』2020年06月19日 06時35分16秒

連載が長くなったので、以前の記事を振り返る便を考えて、過去にさかのぼって各回に以下のような副題を入れることにしました。

(1)…三省堂に始まるその歴史
(2)…三省堂『星座早見』の進化
(3)…手作り早見盤のこと
(4)…戦後の市場拡大
(5)…渡辺教具「お椀型」通史
(6)…昭和50年頃の早見盤界
(7)…ここまでの整理
(8)…渡辺教具「第3期」細見

  ★

次に取り上げるのは、渡辺教具と並ぶ星座早見盤界の主役、三省堂です。
三省堂版の星座早見については、この連載の第1回第2回でも取り上げました。そこに書いたことをまとめると、三省堂版の初期の歴史は以下のとおりとなっています(以下、画像再掲)。


〇三省堂初期版『星座早見』 明治40(1907)初版発行
 ※手元の品から昭和20年(1945)第77版まで確実に存在


〇三省堂普及版『星座早見』 昭和4年(1929)初版発行 
 ※同じく昭和14年(1939)第63版まで確実に存在


〇三省堂戦後版『星座早見』 昭和26年(1951)初版発行
 ※同じく昭和30年(1955)第5版まで確実に存在

乗りかかった舟ですから、三省堂版のその後をたどることにします。

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上に挙げた3つのバージョンは、その商品名から『星座早見』と総称できます。そして『星座早見』を名乗る製品はこれで打ち止めで、三省堂は次に星座早見』というのを売り出します。昭和32年(1957)のことです。

(『新星座早見』の外袋)

(同裏面(部分))

編者は引き続き日本天文学会。定価は200円。(袋の隅には「地方売価210円」とも書かれています。当時は地方と中央で値段が違ったようです。)

ここで大きな問題は、手元にあるのは画像の外袋だけで、その中身が失われていることです。ただし、袋についた圧痕から、その直径は約23cmと分かります。

ここで話を先回りして述べると、三省堂では昭和61年(1986)に『新星座早見 改訂版というのを出すのですが、それまでは『新星座早見』の時代が長く続き、この間、基本的にデザインの変更はなかったと推測しています。

   ★

ここで『新星座早見』の本体を見てみます。
外袋のデザインから、1970年代に販売されたとおぼしい品です。


外袋のデザインは大きく変わっていますが、本体のサイズは22.8cmで、1957年の初版と同一と判断できます。お値段の方は、物価上昇を反映してジャスト1,000円。

『新星座早見』と旧『星座早見』の最大の違いは、四隅に角のある形状から、単純な円形になったこと、そして星図盤の上に載る回転盤(地平線の窓が開いた盤)が、透明なプラ板になったことです。これらは同時期の他社製品(渡辺教具やヘンミ計算尺)に追随した形です。


渡辺教具の場合は、この透明な窓に地平座標の目盛をネット状に印刷する工夫をしましたが、三省堂の方は北緯30度~45度まで対応できるよう、窓の形状と天文薄明線を、5度間隔でプリントするという工夫をこらしています(さらに地平座標による高度も読み取れるようになっています)。

   ★

ここで外袋の裏側に目を向けます。

(外袋・裏面)

「きらめく星座をたずね神秘の扉を開こう」
「科学技術の発達とともに、宇宙のナゾが次々と解明されていく現代にあっても、夜空にきらめく無数の星座には、まだ私たちをロマンの世界に誘う何かがあるようです。」

上で、この品の発行年を「1970年代」と書きましたが、発行年自体は、本体にも外袋にも記載がありません。しかし、この外袋の文句には、まさに1970年代としか言いようのない「何かがあるようです」

   ★

そして、「新星座早見」の本体デザインが、1957年の初版当時から変わってないんじゃないか…と私が推測する最大の理由も、まさにその文章が発する「匂い」に他なりません。

(本体・裏面。「実用新案登録番号第507216号」の記載あり)

(同・部分)

「夜空にきらめく数々の星座は、私たちの夢を誘い、宇宙摂理の妙音をかなでているかのようです。」

うーむ、「宇宙摂理の妙音」…。
はなはだ感覚的な話ではありますが、この言語感覚には、1970年代よりもさらに古風なものを感じないわけにはいきません。

事の真偽はともかく、とりあえず新資料が発見されるまで、「新星座早見」は昭和32年(1957)から昭和61年(1986)までの約30年間、ほとんど変化することなく発行が続いた…と仮説的に述べて、先を続けることにします。

(この項つづく)

日本の星座早見盤史に関するメモ(8)…渡辺教具「第3期」細見2020年06月17日 21時13分32秒

その後、戦後の星座早見をいくつか手に入れました。こういうのはモノを手元に置いて、初めて分かることも多いので、調べようと思ったら、蒐集や審美とは別に、どうしても買わないわけにはいきません(とはいえ、この時代の品は今のところ数百円程度ですから、負担感は知れています)。

   ★

そのうちの1つが、渡辺教具製の古い星座早見盤。


以前の記事(連載第5回)だと、「第3期」に属する品で、メーカー名の記載がまだ「WATANABE」になる前、「渡辺教具製作所」時代のもの。

で、その際記事で掲げた「1960年代後半」というのは、言ってみれば単なる想像に過ぎなかったので、その裏付けを求めて購入したのでした。


今回購入したのは、元箱と元袋の付属する、考えうる限り最良の品です。
ですから、そこには必ずや発行年に関する情報があるだろうと思いました。

しかし予想はもろくも外れて、本体を見ても、袋を見ても、箱を見ても、隅から隅まで凝視しても、発行年はもちろん、それを暗示する記載や、年代特定に結びつくような文言は一切見られませんでした。

要するに、お椀型に発行年が入るようになったのは、「第5期」の「1980年第2版」が最初で、それ以前のバージョンには、年代を物語るデータは記載されてないようなのです(ちなみに、第4期の裏面も第3期と同一であることは、別の商品写真から確認できました)。

(第3期・裏面)

となると、古いバージョンの製品群の発行年は、同時代の雑誌広告等に当たるしか手がなさそうです。(もちろん、直接同社にお尋ねする手もなくはないですが、まずは自助努力です。)

   ★

うーむ…と思いましたが、もう一度モノを凝視したら、次のことに気づきました。

連載第5回に掲げた「第3期」の写真では見切れていましたが、現物を見たら、「渡辺教具製作所」の前に「(株)」の表示を見つけました。これは大きな手掛かりです。

(第3期・外箱裏面)

渡辺教具のサイトによれば、同社が株式会社になったのは昭和37年(1962)です。
そして、第2期に「(株)」の文字がなく、第3期にはあるならば、両者の間に昭和37年(1962)という年次が必然的にはさまっているはずです。すなわち、第2期の下限(そして第3期の上限)は1962年です。

   ★

さらに、その後分かったことを、元記事である連載第5回に付記しておきましたが、「第4期」については1970年代後半と、その時代幅を狭めることができたので、結局今わかっていることを編年整理しておくと、以下の通りとなります。

【渡辺教具製 星座早見盤編年表 2020.06.17版】
〇第1期 1955年頃?~1960年前後?(始期・終期とも曖昧)
〇第2期 1960年前後?~1962年頃(始期は曖昧)
〇第3期 1962年頃~1975年頃
〇第4期 1975年頃~1980年
〇第5期 1980年~2000年
〇第6期 2000年~? 
〇第7期 ?~現在
※第6期と第7期は、現在両方とも市場に並んでいて、正確な交代時期は不明。

(この項つづく。次回は三省堂版のその後について)

日本の星座早見盤史に関するメモ(7)…ここまでの整理2020年06月16日 06時59分06秒

さて、時計を巻き戻して、ちょっと前に「日本の星座早見盤史に関するメモ」というのを書いていました。6回まで書いたところで放置していましたが、あれだけだといかにも中途半端なので、もう少し書き足します。

   ★

まず、これまでのところで分かっている事実を確認しておきます。

①製品版に限っていうと、戦前の星座早見盤は、三省堂の独占状態にあった。
②戦後は、複数のメーカーが星座早見盤の製作・販売を手掛けるようになった。

ここまでは確実です。さらに、戦後の状況として、

③昭和50年(1975年)頃の主要メーカーとしては、三省堂渡辺教具、恒星社、地人書館、大和科学教材、名古屋科学館、キング商会を挙げることができる。太字は複数の資料に重複して挙がっているメーカー。また、赤字は複数の製品を出していた会社。)

これもはっきり分かっています(ただし、三省堂と渡辺教具を除く各製品の詳細や発売年は不明)。

   ★

さらに、ぼんやりしているけれども、おぼろげに分かっていることも挙げます。
ここで、以前紹介した、昭和30年(1955年)発行の学校教材カタログに、もう一度登場してもらいます。上記の①と③をつなぐ時代の証人です。
 
(画像再掲)

ここから分かることとして、

④昭和30年当時、学校向けに推奨されていた星座早見盤には3種類あり、サイズと価格の異なる3つのグレード、(A)セルロイド製盤径12cm(60円)、(B)金属製盤径17cm(80円)、(C)経緯線入20cm渡辺式(180円)があった。

これはカタログから直接読み取れる事実です。
ただし、各製品の細部は非常にぼんやりしています。

⑤(C)の製品は、メーカー名から渡辺教具製と推測され、直径20cmという盤のサイズも、後の同社の主力製品(「お椀型」)と同一である。しかし、同社WEBサイトは、自社の星座早見盤発売を1960年としており、そこに謎が残る。

また、

⑥(A)の製品は、メーカー名も商品名も不明だが、先に寄せられたtoshiさんのコメント【LINK】から、その有力候補として、ヘンミ計算尺(株)製の「星座早見盤」である可能性が浮上し、さらにネット情報によれば、同社は少なくとも昭和23年(1948)には星座早見を販売していた。

…という事実も判明しています。
三省堂、渡辺教具に続く、第3の有力メーカーの登場です。

⑦残る(B)については、カタログに写真が載っており、「北半球 全天星座」という商品名を読み取ることもできるが、メーカー名は不明。

順当にいけば、この(B)は三省堂製であるべきところです(同時代の雄だった三省堂製が載ってないのは、逆に不自然です)。しかし、後ほど見るように、「金属製盤径17cm」という形状や、「北半球 全天星座」という名称に合致する製品は、同社のラインナップに見当たらず、この点は今のところ完全に謎です。

   ★

わずか6~70年前のことですが、戦後の星座早見盤の初期進化の歴史は、一種のミッシングリンクで、今後の解明が強く待たれます。

まずはモノを発掘すること。そして土器の編年作業のように、いろいろな周辺情報と突合して、発掘したモノたちから、整合した矛盾のない歴史を編み上げること―。言うは易く、行うは難きことですが、今必要なのはそうした作業です。それを自分がやれるか…というと、全然自信はないですが、今後、気にかけていきたいです。

   ★

まずは手近なところから、その後いくつか手にしたモノを元に、メモ書きを続けます。

(この項つづく)

回転式星座指導盤2020年06月01日 05時39分52秒

このブログは、ブラブラ歩きの散歩のようなものです。
散歩なればこそ、途中でふとした発見があるのです。

   ★

2年前に「世界最大の星座早見盤」という記事を書きました。
そのとき日本の巨大星座早見の例として挙げたのが、京都のゲストハウスに飾られていた逸品です。そのゲストハウスは、あの異色の古道具カフェ、ラガード研究所の淡嶋さんが経営されている不思議な宿で、そこに泊めていただいたのは、さらにその2年前、2016年のことでした。

(画像再々掲)

その巨大早見の正体がふと知れました。
このところ星座早見盤のことを調べていて、一昨日の記事で引用した理科教材カタログ(1955年)の中に、偶然それを見つけたのです。


「回転式星座指導盤」というのが、その正式名称。
以前の記事では7~80cm四方と見込みましたが、実際には3尺すなわち90cm四方と、一層大きなものでした。時代は昭和30年代でほぼ間違いなく、ただ1955年(昭和30年)の出版物に載っているということは、売り出されたのは昭和20年代に遡るかもしれません。

写真で読み取りがたかった文字も、そうと分かれば「星座指導盤」とはっきり読めるし、その上の文字は「中村式」で、当時の中村理科工業(現・ナリカ)製と見当が付きます。

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散歩は小さな旅であり、旅は大きな散歩―。
こうした小さな出会いの妙に人生を重ねて、いろいろ思うことが多いです。
世の中に落ち着きが戻ったら、懐かしい出会いと新たな発見を求めて、また京都に行きたいなあ…と、そんなことも思いました。

日本の星座早見盤史に関するメモ(6)…昭和50年頃の早見盤界2020年05月31日 10時26分47秒

渡辺教具の星座早見盤を素材として、一気に現在まで時を流れ下りましたが、話を過去に戻して、昭和50年ころの星座早見盤の顔ぶれを、同時代資料で確認しておきます。

当時の代表的な星座早見盤について、一覧表を2つ見つけました。
まずは、高城武夫(著)『天文教具』(恒星社厚生閣、昭和48年/1973)に掲載された表です。

(高城氏上掲書、p.127より)

表としては画像の方が見やすいですが、参考のため文字に起こして、同書掲載の写真を添えておきます。

【左から「品名」、「編作者(様式)」、「発行所」の順】
①新星座早見、 日本天文学会、 三省堂
②星座早見、 名古屋科学館、 名古屋星の会
③精密 恒星及惑星早見、 伊藤精二、 地人書館
④新星座早見盤、 (南北天両面式)、 恒星社
⑤星座早見、 (金属板準半球)、 渡辺教具製作所
(昨日の記事でいうと「第3期」に相当)
⑥星の観察、 (南北天両面式)、 大和科学教材研究所
⑦惑星運行早見、 (火星、木星、土星の位置計算器)、 島津理化器械製作所
⑧赤道星座案内、 (壁掛型、早見、木製)、 尾藤製作所

ここで注記しておくと、③の編者「伊藤精二」は、日本ハーシェル協会代表を務められた故・木村精二氏の旧姓。また、⑥の設計者は、本書の著者・高城氏自身です。
なお、⑦の「惑星運行早見」は、月の早見盤とともに、過去記事に登場したことがあります。


上の表では島津理化発行となっていますが、これはおそらく販売のみ島津が行ったもので、いずれも製造元は渡辺教具です(考案者は佐藤明達氏)。過去記事を読み返して気づきましたが、惑星早見盤の発売が1960年代前半、そして月早見盤が1950年代後半ですから、よりベーシックな教具である星座早見は、当然それに先立って販売されていたんではないかなあ…と、再度推測します。

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同様に、日本天文学会(編)『星図星表めぐり』(誠文堂新光社、昭和51年/1977)から、「市販されている星座早見」の表を挙げておきます。

(日本天文学会(編)上掲書、p.10より)

【左から「名称」、「発行所」、「直径」の順。太字は高城氏の表と重複する品】
①新星座早見(日本天文学会編)、 三省堂、 23cm
②ジュニア星座早見、 三省堂、 22cm
③新星座早見盤、 恒星社厚生閣、 15cm
④コル星座盤、 キング商会、 23cm
⑤ワタナベ星座早見盤、 渡辺教具製作所、 20cm
⑥ワタナベ式星座早見盤(教授用)、 渡辺教具製作所、 40cm
⑦星座早見(名古屋科学館)、 名古屋星の会、 30cm
⑧星の観察、 大和科学教材研究、 特殊

これら2つの表に名前の挙がっているのが、昭和の良き時代の代表的星座早見盤ということになるのでしょう。個人的郷愁から、この時期のものまでは収集してもいいかな…と思うのですが、この辺の品は、探してもなかなか見つからないです。

基本的に消えモノだし、今は単なる中古品扱いで、値段も二束三文なので、誰も売りに出そうと思わないのでしょう。でも、今後ヴィンテージやアンティークとしての付加価値が生じれば、全国の押し入れや物置から、いろいろ珍品が発掘されて、市場をにぎわす可能性もありそうです。

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一連の早見盤の中で異色なのは、公的機関である名古屋科学館(現在は「名古屋科学館」ですが、昔は「市立名古屋科学館」と言いました)が作ったもので、これはどんなものだったのか、ちょっと気になります。

(これはご当時モノではなくて、後年の紙製早見盤。名古屋市科学館・監修、名古屋市科学館振興協会・発行)

以下、余談に流れますが、「名古屋星の会」について、同館の天文ボランティアに関するページ【LINK】に以下のような説明がありました。

「名古屋市科学館には、市民観望会などの行事で望遠鏡の操作などを通じて天文事業をサポートする教育ボランティアの組織、天文指導者クラブ(AstronomicalLeader's Club)、ALCがあります。ALCはアルクと読みます。

ALCの前身のリーダー会は、1972年発足。市立名古屋科学館(当時)のなかよし大観望会(現、市民星まつり)や、星の会(当時)の小中学生を指導するリーダーとして、当時の大学生・大学院生が組織されました。その後、天文クラブ中学生クラスの研修会のリーダーなどを通じて、組織が充実・拡充して行きました。そして1986年、旧理工館屋上天文台が整備され、定例行事としての市民観望会や昼間の星をみる会などの天文行事が始まり活動の場が広がりました。翌1987年、名古屋市公認ボランティア団体ALCとなり、社会人のメンバーも受け入れるようになって現在に至っています。」

いにしえの天文ブームの頃、東京だと上野の国立科学博物館とか、渋谷の五島プラネタリウムとかを結節点に、アマチュア天文家のさまざまな活動が展開されましたが、名古屋では市立科学館がそれに相当するのでしょう。

そして、「星の会」とは、科学館を舞台に活動した小・中学生のグループで、大学生を中心とする「リーダー会」が彼らを指導していた…というのですが、往時を知る者として、これは実に羨ましい。私も天文趣味をしっかりした基礎から学び、同好の少年たちと心の火花を散らせることができていたら、その後の人生も、少し変わっていたでしょう。