憎らしい月 ― 2025年01月25日 10時15分11秒
記事の間が空きましたが、前回の続きです。
「月下の男女」の画題は、考えてみるとなかなか興味深いものがあって、男女の方はさておくとして、ここに登場するいわゆる「月の男(The man in the moon)」の描かれ方が、大いに気になります。
もう少し類例を見てみます。
(エンボス加工を施した多色石版。ニューヨークのA. S. Meeker社製)
こちらは月下の接吻。
1908年9月、バージニア州ノーフォークの James 君が Miss May に当てたもの。「O Glee! Be Sweet to me Kid.(おお、愛しの君よ!どうぞ僕に優しくしておくれ)」と、James 君はだいぶ気持ちが高ぶっているようですが、しかしこの月の表情はなかなかどうして、一筋縄ではいきそうにありません。
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(1898年、ウィーンで創業したKohn 兄弟社(Brüder Kohn Wien I;BKWI)製の石版絵葉書。ちなみに「Wien I」は、創業地の「ウィーン一番区」の意味【LINK】)
こちらはペーパームーンの趣向によるコミック絵葉書で、ベルギーのリールの消印(1904年付け)が押されています。あて先は「Mademoiselle Elise」で、差出し人は表面に書かれた Peeraer 氏でしょう(見慣れぬ姓ですが、ベルギー由来の名前だそうです)。
ペーパームーンとは「張りぼての月」のことで、当時、夜空の書き割りの前でペーパームーンに坐って記念写真を撮ることが欧米で大層流行ったと聞きます。
絵葉書の画面では、せっかくいいムードなのに、突如“破局”が訪れて男女はびっくり、お月様もポロポロ泣いています。でもこれは、その身を傷つけられて痛がってるだけのようでもあり、そうなるとこのお月様にしても、カップルに対して同情的というよりも、単に迷惑千万と思っているに過ぎないことになります。
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20世紀初頭とおぼしいアメリカ製の多色石版絵葉書。
このお月様が、地上のカップルを見守る表情もちょっと微妙です。
この絵葉書は仕掛け絵葉書になっていて、「夢が叶うかどうか、月にきいてごらん」という、その答は…
これはおめでたい画題といえますが、反面、甘いロマンスの時期はすぐに終わり、やがて現実に立ち向かうことになるぞ…という戒めのようでもあります。月の微妙な表情も、それを言わんとしているんじゃないでしょうか。
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無論、西洋の人だって、月は美しいもの、ロマンチックなものと感じるからこそ、「月下の男女」という画題が成立するのでしょうけれど、絵葉書に登場する月は、妙に訳知り顔だったり、皮肉屋だったり、酷薄だったり、それ自体が一つの「型」になっている気配があります。
東洋情緒の月は、ひたすら皓々(こうこう)として、いろいろな思いを託す存在ではあっても、月そのものが何かよこしまな性格を持っているとは、思いもよらぬことでしょう。西行法師が詠んだ「嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな」という歌にしても、月を見て嘆いているのは自分自身であって、月そのものが嘆かわしい存在であるとは、一言も言っていないわけです
まあ、平安歌人と20世紀初頭のコミック絵葉書を比べて何か言うのも無理がありますが、でもこういう「憎らしい月」、「くせ者めいた月」は、日本の文芸の伝統には絶えて無い気がします。江戸の古川柳には、何かそんな“うがち”の句があるかと思いきや、『古川柳名句選』を見ても、見つかりませんでした、
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日本における唯一の…とまでは言いませんが、顕著な例外が(そして西洋のお月様以上にくせ者感の強いのが)、稲垣足穂の『一千一秒物語』に出てくるお月様で、足穂が幼少期に見た「ステッドラー鉛筆の三日月」【LINK】から、独力でああいうイメージを構築したのだとしたら、彼の鋭い直感とイマジネーションは、大いに称揚されるべきです。
月下の恋人 ― 2025年01月20日 19時15分43秒
月と男女を描いた絵葉書は世間に無数にあって、本気で集めだすと、それだけで一大コレクションができることでしょう。
昔から月はロマンチックなものとされているので、月影さやけき晩に男女が睦言を交わすというのがデフォルトの設定で、下のような絵葉書がたぶん本来の姿でしょう。
(1922年のイギリスの消印が押された絵葉書。ロンドン南郊SevenoaksのJ. Salmon社製。オフセット印刷)
あるいは、下のようなべたべたした絵柄とか。
(20世紀初頭のドイツ製絵葉書。エンボス加工を施した多色石版。輸出仕様なので、消印はアメリカ国内になっています)
でも、この辺はなかなか一筋縄ではいかなくて、上の絵葉書にしても、しなだれかかる男と、それを抱きとめる女という描写に、伝統的な男女の役割規範から逸脱したものを感じる方が多いと思いますが、たしかにここには、何か皮肉な意図がこめられている気配があるのです。
それは月の表情からも感じ取れて、この歯をむき出しにした月は、男女の相愛を単に微笑ましく見守っているだけではないんじゃないか…という気がします。そのことは下の絵葉書になると一層明瞭で、この顔つきは決してカップルを祝福しているそれではないですよね。
(版元不明。20世紀初頭の多色石版刷)
「Mooning」という語は、一般的にはクレヨンしんちゃんみたいに、相手をコケにするために公衆の面前でお尻を丸出しにする行為を指すらしいですが、ここではそれとは違って、「Mooning over」の意味だと思います。「Mooning over」とは、「恋しい人のことを思ってぼんやり無駄な時間を過ごすこと」の意だとネットにはありました。そして「His Ownest Own!」というのは、「ぜったいに彼だけのもの!」という意味のようです。
要するにこの二人はデレデレの極致にあるわけですが、お月様はそれを突き放すような皮肉な笑いを浮かべて眺めています。たぶん、お月様は月の下で結ばれ、月の下で破局を迎えた無数のカップルを飽きるほど見ているので、いきおいそんな表情になるのでしょう。
その辺が昨日の絵葉書の描写とつながってくるわけです。
笑う月 ― 2025年01月19日 10時56分26秒
男女の機微…というと、こんな絵葉書はどうでしょうか。
(ロンドンのCarlton Publishing社製、オフセット印刷。消印は下述のとおり1916年)
「At the End of the Honeymoon ハネムーンの終わりに」
悄然とする男と、さめざめと泣く女。
互いに背を向けて、いかにも穏やかでない雰囲気です。
それをにんまりと見ているお月様は、事の一部始終を空から見ていたからこそ、にんまりしているのでしょうが、何だか意地の悪そうな笑顔ですね。
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おそらく甘いハネムーンの期間に、性格の不一致が露呈したか、いわゆる「性の不一致」があったということなんでしょうけれど、後者にしても単なるEDの問題に限らず、当時の世相を考えると、同性に惹かれる男性が、世間体を気にして女性と結婚するのはありふれた光景でしたから(逆もあったと思います)、そこにいろいろ悲劇があったはずで、そうなると、なかなかにんまり笑うどころではありません。
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ところで「ハネムーン、蜜月」というのは、文字通り「結婚後の甘い時期」を指すわけですが、各種の語源解説ページを見ると、そこにはさらに「愛情は満ちれば欠ける月のようなものだ」という含意があるらしく、さもありなんと思います。まあ、満ちては欠け、欠けては満ちるの繰り返しの中で、徐々に安定した関係を築いていくのが理想なのでしょう。これは男女の関係に限らないことです。
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冒頭の絵葉書に戻って、こんな皮肉な画題の絵葉書を、いったい誰がどんな目的で差し出したのか気になりました。
裏面を見ると、1916年4月16日にロッテルダムから、市内に住む未婚女性(Mejuffer.)に当てて送られたようですが、文面もオランダ語のため、気になる内容は残念ながら判読不能。ひょっとして、花嫁が同性の友人に新婚旅行の首尾を伝えたもの?
変わる歳末風景 ― 2024年12月30日 10時39分58秒
今年は郵便代の値上げのせいで、年賀状じまいをされた方も多いと思います。
私もご多分に漏れず、今年は賀状を書くのをやめてしまいました。「年賀状じまいの挨拶」すらさぼったので、かなり義理を欠くことになりますが、まあ自分は“その筋”の関係者でもないし、それほど義理を重んじることもなかろう…と達観することにしました。
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(Prosit Neujahr ! 新年おめでとう!)
20世紀初めにドイツで刷られた古絵葉書。
空で行きずりの挨拶を交わす三日月と彗星、それを望遠鏡で見上げるスノーマン親子を、クロモリトグラフで仕上げたかわいい作品です。
消印を見ると、1909年12月31日に、ドイツ東部の田舎町ゲリングスヴァルデで投函されたものと分かります。
この種のカードは今も大量に残されていて、紙モノマーケットで一大勢力を誇っています。上のカードは日本の年賀状と同趣旨の、もっぱら新年の挨拶用ですが、クリスマスカードと一体化しているものも多く、この辺は国によっても多少習慣が異なるのでしょう。
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ときに、ふと気になったのが、昨今のクリスマスカード事情です。
ひょっとして日本の年賀状離れと同様のことが、海の向こうでも起こっているのかなあ…と考えつつ検索すると、ただちに関連記事がいくつも出てきます。
たとえば、下はWEB版「The Citizen」誌に、同誌のシニア・レポーターであるPaul Owere 氏が寄せた記事で、つい先日、今年の12月25日に掲載されたものです。
(クリスマスカードの凋落:テクノロジーはいかに祝日の伝統を衰退させたか)
かつて年末の風物詩であったカードのやりとり。
12月の声を聞くと、そそくさとカードを準備し、一通一通メッセージを書き、投函したあと、お返しのカードが届くのが待たれたあの時間―。しかし、デジタル時代の到来とともに、少しずつ変化が生じました。メールが、インスタントメッセージが、そしてSNSが、人々の意識と行動を最初はゆっくりと、やがて急速に変えたのです。
Owere氏は述べます。
「人々がカードの必要性を疑問視し始めるまで、そう時間はかからなかった。単に祝日仕様の電子カードを送信したり、インスタグラムでお祝いのミームを共有したりするだけで済むのに、なぜカードを購入する費用、時間のかかる手書きのメッセージ、郵便代を気にする必要があるのか。
〔…〕多くの点で、テクノロジーは、ホリデーシーズン中に大切な人と有意義な形でつながるという、クリスマスカードの本来の目的に取って代わったようだ。
デジタルメッセージを送ると、より速く、より効率的で、多くの場合、より気楽に感じられるようになり、紙のカードを受け取ることで得られる期待感や親密さが失われた。封筒を開いて心のこもったメッセージを見つけ、マントルピースや冷蔵庫にカードを飾るという魔法は、薄れ始めたのだ。」
〔…〕多くの点で、テクノロジーは、ホリデーシーズン中に大切な人と有意義な形でつながるという、クリスマスカードの本来の目的に取って代わったようだ。
デジタルメッセージを送ると、より速く、より効率的で、多くの場合、より気楽に感じられるようになり、紙のカードを受け取ることで得られる期待感や親密さが失われた。封筒を開いて心のこもったメッセージを見つけ、マントルピースや冷蔵庫にカードを飾るという魔法は、薄れ始めたのだ。」
日本の状況と不気味なほど似ています。
別に日本人とアメリカ人が話し合って決めたわけでもないのに、まったく同じ現象が同時に進んでいるというのは、結局、ヒトは類似の環境に置かれれば、国家・民族・宗教の違いを超えて、自ずと類似の行動をとるからでしょう。
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ただ、Owere氏も述べるように、クリスマスカード(や年賀状)の習慣がすたれ、送ることが稀になればなるほど、そこに一層明瞭な意味が生じるのもまた確かです。自分が出さずにいてなんですが、それらは温かい思いやりや、個人的親密さの表現として、たぶんロングテールで生き残るんじゃないでしょうか。
かわいそうな黒点 ― 2024年10月30日 18時13分57秒
急ぎの仕事に追われていました。ようやくそれも一段落です。
その間に選挙も終わり、自民大敗・野党躍進ということで、世の中の雰囲気もずいぶん変わりました。今の政治状況を表現するのに、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」の平家物語も悪くはないですが、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて…」の方丈記の方が、一層しっくりする感じもします。まことに、うたかたのような候補や政党が多い選挙でした。
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さて、最近の買い物から。
1910年のコピーライト表示がある1枚の古絵葉書。
(印刷は網点ですが、色彩は3色分解ではなく石版で重ね刷りしており、技術的には過渡期の産物)
キャプションは、
天文学メモ 「太陽面にさらに多くの黒点出現」
太陽のような丸いお尻を叩かれて、そこにあざが生じたという意味でしょうが、このモデルの男の子、ひょっとして本気で泣いてないですかね?まあ、今なら間違いなく児童虐待案件でしょう。
趣向としては下の絵葉書と共通するものがあって、こちらは太陽黒点を女の子のそばかすにたとえて、笑いを取ろうとしています。
こちらも、今では眉をひそめる表現だと思いますが、ともあれ太陽黒点が20世紀初頭には諧謔とユーモアの文脈で使われていたというのは、興味深い事実です。
19世紀後半、太陽の黒点周期は学界のホットな話題であり、それと地球気象との関連、さらには経済指標との関連まで、わりとセンセーショナルな扱われ方をしたので、20世紀に入る頃にはそれが通俗科学の世界でもポピュラーとなり、黒点が一般大衆の関心を惹きつけていたのではないか…とぼんやり想像します。
(裏面・部分)
ちなみに版元はイギリスのバンフォース社。
同社はその後下ネタで笑わせるコミカルな絵葉書で売り上げを伸ばしました。
名月の記 ― 2024年09月18日 08時06分10秒
昨日の記事を読み返すと、冒頭で「今宵は旧暦の八月十五夜、中秋の明月です」と自分は書いています。「中秋の明月」は、たぶん新聞の校閲なんかだと「中秋の名月」に書き換えられる表現でしょう。
(1903年の消印が押されたドイツの古絵葉書)
「名月」と「明月」、「中秋」と「仲秋」の異同は昔から言われるところで、これらを組み合わせると、「中秋の名月」、「中秋の明月」、「仲秋の名月」、「仲秋の明月」の4通りできますが、この中のどれが正解で、どれが間違っているのか?
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まず「仲秋」は秋半ばの意で、旧暦8月の異称。
それに対して、「中秋」は旧暦8月の中でも特に「8月15日」を限定的に指す言葉です。この日を祝うのが「中秋節」で、お月見習俗もその一環。ですから「中秋の名月」と書くほうが、意味的により的確なのは確かです。
でも、旧暦は月の満ち欠けを基準に日にちを決めていて、新月の日が1日(ついたち=月立ち)、そして満月は必ず15日になります。つまり「仲秋の名月」と書けば、それは自動的に旧暦8月15日の月を意味しますから、そう書いても間違いではない…という人もいます。
次に「名月」というのは、旧暦8月以外でも、また満月以外でも、美しい月であれば「今宵は名月だなあ…」といって差し支えない気もするんですが、詩歌の世界の約束事として、「名月」といえば「旧暦8月15日の月」を指すことになっています。そして「明月」は「名月」と互換可能で、歳時記を開くと、
明月や 一声くもる 天津雁 森川許六
明月や 遮る庇 面白し 高浜虚子
明月や 舟を放てば 空に入る 幸田露伴
明月や 遮る庇 面白し 高浜虚子
明月や 舟を放てば 空に入る 幸田露伴
といった例句が挙がっていて、いずれも旧暦8月15日の月を詠んだ句です。
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ということは即ち、「中秋の名月」、「中秋の明月」、「仲秋の名月」、「仲秋の明月」のいずれも間違いとはいえない…というのが、上の疑問の答になります。
その中で「中秋の名月」が多用されるのは、多分に習慣的な要素が強いといえますが、言葉というのは意思疎通の手段ですから、他者とコミュニケーションをスムーズに行うために、慣用や通例に従うことも大切です、(でも、改めて考えると、「中秋が8月15日で、名月が8月15日の月の意味だったら、『中秋の名月』は冗長じゃないか。『中秋の月』とか、単に『名月』でいいじゃないか」という気がしなくもありません。)
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秋の夜は、満月を過ぎても月を愛でる気分が続くので、今日からは「十六夜(いざよい、旧暦8月16日)」、「立待月(たちまちづき、同17日)、「居待月(いまちづき、同18日)」、「臥待月(ふしまちづき、同19日)」、「更待月(ふけまちづき、同20日)」…と続きます。日を追うごとに月の出が遅くなることに対応した名称ですが、いかにも優しい心根と感じます。
(同じ版元から出た絵葉書。こちらも1903年の投函)
聖夜を翔ぶ星 ― 2024年07月19日 13時52分45秒
わが家の年寄りが熱中症(疑い)で救急搬送され、右往左往しました。
幸い病院での処置が功を奏して大事には至らず、まずはホッと一息です。まあ、世間ではありふれた出来事だと思うんですが、身近で起こるといろいろ焦ります。
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何か涼しくなるものはないかな…と思って、こんな絵葉書を見つけました。
Weihnacht(ヴァイナハト)、英語にすれば Holy Night。
楽しかるべきクリスマスの晩に、ひとり雪山をゆく兵士。その背には銃が、足元にはスキーが見えます。姿勢を低くして辺りをうかがう斥候兵でしょうか。
その視線の先には、澄み切った冬の夜空と、それを切り裂くように飛ぶ彗星ないし流星の姿があります(彗星なのか流星なのかは、例によって曖昧です)。
兵士の緊張感も相まって、なんだか見るだけで、キーンと冷えた空気が感じられるようです。
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裏面を見ると、版元はゲオルグ・D・W・カールヴァイ(Georg D.W. Callwey)で、ここは 1884 年創設の、建築関係では有名なミュンヘンの出版社だそうです(今は単なるCallway社。海外展開する中で、読み方もコールウェイになっているかもしれません)。
さらに目をこらすと、上部に「Bayerische Kriegsinvaliden=fürsorge.」の文字が見えます。少し言葉を足すと、「バイエルン戦傷病者福祉向上絵葉書」の意味でしょう。第1次世界大戦中、ドイツの傷痍軍人、中でもミュンヘンを州都とするバイエルンの軍人たちを慰撫するために発行された愛国絵葉書で、 そう聞くと涼しいとばかり言ってられないような気もします。
絵の作者はリヒャルト・クライン。同一人物かどうか、今一つはっきりしませんが、これが芸術家のRichard Klein(1890-1967)だとすれば、彼は後にミュンヘン応用美術学校の校長を務め、ヒットラーとナチス政権の覚えめでたかった人。国威発揚の「大ドイツ美術展」(1937)にも出品したし、ナチスの勲章をいくつもデザインした…と聞くと、今度はなんだか別の意味で涼しくなってきます。
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1910年代は、1910年のハレー彗星を除き、特に目立つ彗星のない時期でしたから、描かれたのが彗星だとすると、これは純粋に画家の想像に基づく絵ということになります。
蛮族の侵入 ― 2024年04月13日 16時06分42秒
ここに1枚の絵葉書があります。
ガートルードという女性が、友人のミス・ウィニフレッド・グッデルに宛てたもので、1958年7月31日付けのオハイオ州内の消印が押されています。――ということは、今から76年前のものですね。
「ここは絶対いつか二人で行かなくちゃいけない場所よ。きっと面白いと思うわ。早く良くなってね。アンソニーにもよろしく。ガートルード」
彼女は相手の身を気遣いながら、絵葉書に写っている天文台に行こうと誘っています。
(絵葉書の表)
改めて裏面のキャプションを読むと
「オハイオ州クリーブランド。ワーナー・アンド・スウェイジー天文台は、ケース工科大学天文部門の本部で、イーストクリーブランドのテイラー通りにある。研究スタッフである天文学者たちは、とりわけ銀河の研究に関心を向けている。また学期中は市民向けに夜間観望会を常時開催し、講義と大型望遠鏡で星を眺めるプログラムを提供している。」
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ワーナー・アンド・スウェイジー(Warner & Swasey Company)は、オハイオ州クリーブランドを本拠に、1880年から1980年までちょうど100年間存続した望遠鏡メーカーです。
同社の主力商品は工作機械で、望遠鏡製作は余技のようなところがありました。
そして本業を生かして、望遠鏡の光学系(レンズや鏡)ではなく、機械系(鏡筒と架台)で実力を発揮したメーカーです。ですから、同社はたしかに「望遠鏡メーカー」ではあるのですが、「光学メーカー」とは言い難いところがあります。たとえば、その代表作であるカリフォルニアのリック天文台の大望遠鏡(口径36インチ=91cm)も、心臓部のレンズはアルヴァン・クラーク製でした。
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同社の共同創業者であるウースター・ワーナー(Worcester Reed Warner 、1846-1929)とアンブローズ・スウェイジー(Ambrose Swasey 、1846-1937)は、いずれも見習い機械工からたたき上げた人で、天文学の専門教育を受けたわけではありませんが、ともに星を愛したアマチュア天文家でした。
その二人が地元のケース工科大学(現ケース・ウェスタン・リザーブ大学)の発展を願って建設したのが、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台で、1919年に同大学に寄贈され、以後、天文部門の本部機能を担っていたことは上述のとおりです。
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1910年代、二人の職人技術者の善意が生み出し、1950年代の二人の若い女性が憧れた「星の館」。ここはもちろん天文学の研究施設ですが、同時にそれ以上のものを象徴しているような気がします。言うなれば、アメリカの国力が充実し、その国民も自信にあふれていた時代の象徴といいますか。
ことさらそんなことを思うのは、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台の今の様子を伝える動画を目にしたからです。関連動画はYouTubeにいくつも挙がっていますが、下はその一例。
アメリカにも廃墟マニアや心霊スポットマニアが大勢いて、肝試し感覚でこういう場所に入り込むのでしょう。それにしてもヒドイですね。何となく「蛮族の侵入とローマ帝国の衰亡」を連想します。
もっとも、ワーナー・アンド・スウェイジー天文台は、別に廃絶の憂き目を見たわけではなく、今も名を変え、ロケーションを変えて観測に励んでいるそうなので、その点はちょっとホッとできます。そして旧天文台がこれほどまでに荒廃したのは、天文台の移転後に土地と建物を取得した個人が、詐欺事件で逮捕・収監されて…という、かなり特殊な事情があるからだそうです。まあ、たとえそうだとしても、ワーナーとスウェイジーの純な志や、建物の歴史的価値を考えれば、現状はあまりにもひどいと言わざるを得ません。
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冒頭のガートルードとウィニフレッドの二人は、その後この天文台を訪問することができたのかどうか? 訪問したならしたで、しなかったらしなかったで、このお化け屋敷のような建物を目にした瞬間、きっと声にならぬ声を漏らすことでしょう。
白昼に金星を視る ― 2024年03月10日 07時49分45秒
再び絵葉書の話題。
先日、ドイツの古書店から4枚の絵葉書をまとめて送ってもらいました。そのうち「上弦の月男」、「時計塔の女の子」、「保険会社の天文時計」の3枚はすでに登場済みで、残りの1枚がこれ↓です。
ライプツィヒの望遠鏡商売を描いた絵葉書。
まだ裏面に住所欄と通信欄の区別がない、いわゆる「Undivided-back」タイプなので、年代的には1900年頃のものと思います。印刷は多色石版。
(絵葉書の裏面)
望遠鏡商売については、以前も書きました【LINK】。
要は小銭をとって望遠鏡を覗かせる大道商売です。見せるのは地上の景色という場合もあったかもしれませんが、主に天体です。昼間なら太陽黒点を、夜なら月のクレーターや土星の環っかといったポピュラーな対象を、面白おかしい口上とともに見せる商売で、面白おかしいだけではなく、一般の人々に天文学の基礎を教える、社会教育的機能も果たしたと言われます。
この絵葉書だと、望遠鏡の足元に「Venus」とあって、昼間の空に浮かぶ金星を見せているようです。金星も満ち欠けをしますから、三日月型の金星を昼間眺めるというのが、この日の呼び物だったのでしょう。
描かれた場所は、絵葉書の隅に「ケーニヒス広場」とあって、これは現在の「ヴィルヘルム・ロイシュナー広場」だそうです。下の写真がちょうど同じ場所。この辺は第2次大戦中の空襲で焼かれたため、すっかり様子が変わっていますが、正面奥のライプツィヒ市立図書館(旧・グラッシ博物館)のファサードに、辛うじて昔の面影が残っています。
(Googleストリートビューの画像より)
(比較のため再掲)
左手の点景に写り込んでる自転車の少年は、かつて同じ場所で、人品卑しからぬ紳士と淑女が望遠鏡を覗いたことを知らないでしょう。でも、それを知って眺めると少し妙な気分になります。まことに人も街も、変われば変わるものです。
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ところで絵葉書に刷り込まれた「Gruss aus Leipzig(ライプツィヒからこんにちは)」の文字。
この「Gruss aus ○○」というのは、昔の観光絵葉書では定番のフレーズで、当然その町の名所や名物と並んで書かれることが多いのですが、となると望遠鏡商売はライプツィヒの名物で、よそから来た人の目には物珍しく感じられたということでしょうか? 少なくとも同時代のロンドンでは見慣れた光景だったと聞きますが、ドイツではまだ新手の商売だった可能性もあり、この辺は今後の宿題として、類例を探してみようと思います。
天上 影は変わらねど ― 2024年03月05日 17時42分12秒
今日も時計の話題。
今回登場するのは、美しい天文時計の絵葉書です。
時計自体のデザインも美しいし、絵葉書のほうも金のインクがきらめく美しい仕上がり。ハーフトーンのモノクロ版に(おそらく)石版で色を乗せるという、折衷的な方法で印刷されています。
版元のカール・ブラウン社は「美術研究所」を名乗るだけあって(正式な名乗りはKunstanstalt Karl Braun & Co.)、その印刷に相当意を用いたのでしょう。ネット情報によれば、同社は1898年にミュンヘンで生まれ、1911年にベルリンに移転したとのことですが、この絵葉書はベルリン移転後の1914年頃の発行です。
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ちょっと驚くのは、この古風な天文時計が古いものでもなんでもなくて、絵葉書が刷られた当時、出来立てほやほやの新品で、しかも、場所が教会とか市庁舎とかではなくて、ビクトリア保険会社という一営利企業の社屋だという事実。
まあ日本でもそうですが、銀行とか保険会社は信用が大事…というわけで、当時はことさらに重厚な建物が求められたのかもしれませんが、そこに天文時計を取り付けるというのは、日本人にない発想でしょう。近代に入っても、ヨーロッパでは依然として、天文時計にシンボリックな――たとえば技術と叡智の象徴とか、所有者の財力と高尚さを示すものといった――意味合いを込めていた例だと思います。
ビクトリア保険会社の巨大なネオバロック様式の社屋は、ベルリン中心部で1893年から1913年にかけて延々と建設が続けられ(それもすごい話です)、現在も地元のランドマークらしいです。でも、同社も保険会社再編の波とともに「エルゴ」社に統合され、この社屋も今では「旧社屋」に過ぎず、天文時計にいたっては、むなしく錆びついた文字盤を残すのみ…と聞くと、そぞろ哀れを催さないわけにはいきません。
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