銅製のゾディアック2022年11月02日 06時05分23秒

この前、マックノート氏の星図カタログを紹介しました。
あそこに載っている本で、私が持っていない本は多いですが、反対に私が持っている本で、あそこに載っていないものもまた多いです。

たとえば、関根寿雄氏の美しい星座版画集、『星宿海』
あれも英語圏で出版されていたら、きっとマックノート氏のお眼鏡にかなったんだろうなあ…と思いました。『星宿海』については、過去2回に分けて記事にしたので、リンクしておきます。

関根寿雄作『星宿海』 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/06/10/6851030

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その関根寿雄氏には、『黄道十二宮』という、これまた変わった本があります。

(左:外箱、右:本体。本体サイズは10×7.5cm)

■関根寿雄(造本・版画) 「黄道十二宮」
 私家版、1978年 

まず目を惹くのは、その装丁です。


著者自装によるその表紙は、星雲や太陽を思わせる形象を切り抜いた銅板の貼り合わせによって出来ており、表紙の表裏がネガとポジになっています。


関根氏は版画家として銅板の扱いには慣れていたでしょうが、かといって金工作家でもないので、その細工はどちらかといえば「手すさび」という感じ受けます。が、そこに素朴な面白さもあります。

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ただし、『星宿海』とは違って、こちらは星図集ではありません。



ご覧のように、黄道星座のシンボル絵集です。そして多色木版の『星宿海』に対して、こちらはモノクロの銅版なので、受ける感じもずいぶん違います。

(扉)

(奥付)

当時、100部限定で作られ、手元にあるのは通番98。
内容は銅版画16葉と木版3葉で、銅版16葉というのは、十二宮が各1葉、十二宮のシンボルから成る円環図、扉、奥付、そして蔵書票を加えて16葉です。

(銅版作品の間に挿入されている木版画は、いずれも天体をイメージしたらしい作品)

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掌サイズのオブジェ本。
版画作品としての完成度という点では、正直注文をつけたい部分もなくはないです。
しかし、その小さな扉の向こうに、広大な宇宙と人間のイマジネーションの歴史が詰まっている…というのが、何よりもこの本の見どころでしょう。


彗星ビール2022年10月22日 19時15分37秒

昨日の話題から「彗星ビール」のラベルを話題にしたことを思い出しました。


左はフランスの「ラ・コメット」、右はスペインの「コメット」です(それぞれ過去記事にリンクしました)。

で、紙物の整理帳を開いたら、上の2枚と同じところに、オランダの彗星ビールのラベルも綴じ込んであったので、そちらも登場させます。


左のラベルは、アムステルダムから40kmばかり東にあるアメルスフォールトの町で営業していた、クラーファー社の「コメット印のライトラガービール」、右は「コメット・ラガービール」とあるだけで、メーカー名は書かれていませんが、やはりクラーファー社のものかもしれません。時代ははっきりしませんが、いずれも石版刷りで、1930~50年代のものと思います。

この絵柄を見ると、いずれも彗星から白く伸びた尾が、ビールの泡立ちと重なるイメージで捉えられていたのかなあ…と想像します。彗星は頭部からサーッと尾を曳くし、ビール壜の口からは見事な泡が「It’s Sparkling」というわけです。


こうしてみると、コメットブランドのビールって、結構あちこちにありますね。
ひょっとして日本にもあるんじゃないか?と思って検索すると、果たして「赤い彗星」という発泡酒が、わりと最近売り出されたのを知りましたが、これはもちろんガンダムファン向けの品のようです。

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以下余談。
エールとビールって何が違うんだろう?とよく思います。
思うたびに調べて、そのつど分かった気になるのですが、しばらくするとまた「エールとビールって何が違うんだろう?」と思います。やっぱり分かってないのでしょう。ネット情報のつまみ食いで恐縮ですが、今回は記憶の定着のために、ここに書いておきます。

改めて分かったのは、「エールとビールって何が違うんだろう?」というのは、そもそも変な質問であり、エールは紛れもなくビールの一種だということです。つまりビールの下位区分に「エール」と「ラガー」の2種があり、本当は「エールとラガーは何が違うんだろう?」と問わないといけないのでした。でも、今では「ビール」イコール「ラガー」と思っている人が、英語圏の人にも多いらしく、英語サイトにも「エールとビールは何が違うのか?」というページがたくさんあります。たぶん、両者を「エールビール」と「ラガービール」と言い分けると、その辺の誤解は少なくなるのでしょう。

では、エールとラガーの違い何かといえば、それはずばり製法の違いです。
エールは上面発酵で醸造期間が短く、ラガーは下面発酵で醸造期間が長いという違いがあり、それが自ずと風味の差を生み、芳醇なエールに対し、軽くのど越しのよいラガーという違いがあるのだ…というのが、話の結論です。

(昨日の記事を書く一助に、「English style ale」を謳う缶ビールを買ってきましたが、肌寒くて飲まずにおきました。今日は日中汗ばむほどだったので、芳醇なエールが美味しかったです。)

彗星亭のマッチラベル2022年10月21日 07時34分49秒

冷たい雨にも負けず、コオロギがリーリーと強く鳴き、金木犀の香りが鼻をうつ夜。そして雨が上がれば、歩道で落ち葉が風に吹かれてカサコソと音を立てる朝。

このところ、季節の歩みをしみじみ感じています。
私が使っている手帳は、日々の欄に数字が印刷されていて、今日は「294-71」。
今年が始まってから294日が経過し、残りは71日という意味です。なんとも気ぜわしいですね。

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さて、最近届いた1枚のマッチラベル。


私は自称・彗星マッチラベルのコレクターということになっているんですが(LINK)、久々に見つけた新しい品です。イギリスのシュルーズベリーにある「THE COMET」、すなわち「彗星亭」というパブのマッチです。


シュルーズベリーはイングランド中西部にある人口7万人の町。今も多くの歴史的建造物が残り、あのチャールズ・ダーウィンが生まれ育った場所だとか。

ネットは便利なもので、検索したら彗星亭の正体もすぐに知れました。

Reviews of The Coach
■The History of The Coach Public House, Shrewsbury

彗星亭は、この町の中心近くに立つ古いパブです。最近屋号が変わって、今は「The Coach」の看板を掲げています。もとは「Comet Inn」を名乗った宿屋兼業の居酒屋でした。


マッチラベルで店名の下にある「リアル・エール」というのは、下のページによれば、「樽(カスク)の中で二次発酵をさせるタイプのビール」のことだそうですが、細かい定義はさておき、ニュアンスとしては「昔ながらの製法による、本格派のエール」という点を強調した言い方なのでしょう。日本酒ならば「純米大吟醸」とか「寒造り木桶仕込み」とかの語感に近いのかも。言葉としてはわりと新しく、1971年に生まれたとも記事には書かれています。

■ジャパン・ビア・タイムズ:What is Real Ale?

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ラベルのデザインとしては、黒一色に白い彗星がさっと描かれているだけで、素っ気ないことこの上ないですが、見方によっては、そのかそけき風情に深い詩情も感じられます。


このラベル自体は1970~80年代のものと思いますが、彗星亭の歴史は古く、19世紀にさかのぼります。その屋号は、定期運行の馬車便を、彗星になぞらえたことによるようですが、こういう屋号が登場したこと自体、そのころ彗星が“凶兆”から「カッコいい」存在に変化したことを物語るものでしょう。ちょうど1835年にハレー彗星が回帰したとき、彗星をデザインしたジュエリーがもてはやされたのと、軌を一にするものと思います。


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100円のものが150円になったら、率にして1.5倍ですから、たいそうな値上がりですが、金額にすれば50円の追加出費なので、まだ何とか持ちこたえられます(10万円のものが15万円になったら、それこそお手上げですが)。こうしたささやかな紙ものこそ、円安時代の強い味方であり、たとえ1枚のマッチラベルでも、いろいろ考証する楽しみは尽きません。

パリ天文台、再び華やぐ。2022年09月27日 06時57分55秒

1874年からさらに下って1935年
暦が1回まわって、当時生まれた赤ん坊も、すでに61歳です。
この年の7月10日、パリ天文台で、またも華やかなパーティーが開かれました。


こちらは「イリュストラシオン」誌の1ページ。
天文台から漏れる明かりに照らされて、夜の庭園でくつろぐ男女の姿が、いかにも大人の雰囲気を漂わせています。

とはいえ、パリ天文台はしょっちゅうパーティーを催していたわけではありません。当然のことながら、普段は天体観測の本業に忙しく、そこで人々が笑いさざめくのは例外的な出来事です。

「宵っ張りのパリジャンにとって、天文台は気づまりな場所だ。暗闇の中をこそこそ人影が出入りし、その厳かな巨体から時折漏れる灯りは、いかにも謎めいた雰囲気を漂わせている。そこで働く科学者自身すら、自分たちが何やら孤独な、魔術めいた仕事に従事しているものと考えている。だがそうした光景は、7月10日に一変した。」

――適当訳ですが、記事はそんな書き出して始まっています。

この日何があったかといえば、国際天文学連合(IAU)の総会がパリで開かれ、その歓迎宴が、ここパリ天文台で開かれたのでした。1919年に設立されたIAUは、1922年のローマ総会を皮切りに、3年に1回のペースで総会を開き、このパリ総会が第5回です。


普段は天体観測の妨げになるためご法度の照明も、この日ばかりはフル点灯で、さらに建物自体もライトアップされているようです。

「優雅な夏の宵、天文台の庭前では、主催者が願った通り、まことに魅力に富んだ『炎の夕べ(nuit de Feu)』が繰り広げられた。天文学者はこの地上では生きられないなんて、いったい誰が言ったのか?」

…と、記事の筆者は書き継ぎます。いささか浮世離れしたイメージのある天文学者たちが、見事に「浮世の宴」を楽しんでいることに、驚きの目を向けているわけです。

それにしても、前回の記事と見比べると、男の人の姿はあんまり変わらないんですが、女性の姿は驚くほど変わりました。

(1874年の夜会風景。前回の記事参照)

かつて一世を風靡したバッスル・スタイル(スカートが大きく後ろに張り出したファッション)はとうに影も形もなくて、夜会に集う女性たちは、みんなゆったりしたイブニングドレスを身にまとっています。


前回の記事とちょっと違うのは、今回のパーティーに集っているのが一般の紳士淑女ではなく、天文学者(とその家族)限定ということですが、皆なかなか堂に入った伊達者ぞろいです。ただ、下の集合写真を見ると、やっぱり画工が相当下駄をはかせているんじゃないかなあ…という疑念もあります。

■IAU General Assembly 1935

まあ、いずれにしてもここに集った学者たちにとって重要なのは、夜会よりも学問的討議そのものなわけで、その内容については以下にレポートされています。

■The International Astronomical Union meeting in Paris, 1935
 「The Observatory」、1935年9月号所収

この年のIAU総会では、アーサー・エディントンや、チャンドラセカールらによる、恒星の構造と進化に関する、当時最先端の議論があった一方で、「世界標準時」の呼称問題のような、どちらかといえば些末な問題が熱心に話し合われたようです(イギリスが推す「グリニッジ平均時(G.M.T.)」ではなく、「世界時(U.T.)」を使うべし、とかそういった議論です)。

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ちなみに上の記事の裏面は、月の地球照に関する記事になっていて、フラマリオン天文台が撮影した月の写真が大きく掲載されていました。素敵な偶合です。


パリ天文台、華やぐ。2022年09月25日 18時42分56秒

時はおよそ200年下って、西暦1874年
ナポレオン3世が退場し、フランスは第3共和政の時代です。日本では明治7年、西郷隆盛が前年に下野し、佐賀では不平士族が反乱を起こすという世上騒然とした時代。

その頃、パリ天文台で紳士淑女を集めた、優雅な科学の催しがありました。

(版面サイズは31×21cm。周囲をトリミングしてありますが、ページサイズは38×27cmあります)

題して「Une Soirée à l'Observatoire(天文台の夕べ)」

掲載誌の「ル・モンド・イリュストレ」は、当時流行の絵入り雑誌のひとつで、関連記事が併載されているはずですが、版画の裏面は別記事なので、これがいったいどういう機会に行われたイベントかは不明です。

ただ、いずれにしても19世紀後半のフランスは、ジュール・ヴェルヌの時代であり、カミーユ・フラマリオンの時代であり、いわばポピュラー・サイエンスの黄金時代でしたから、こういう科学趣味の夜会が開かれ、そこに好奇心に富んだ紳士淑女が押しかけても、別段不思議ではありません。

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場所が天文台ですから、天球儀があったり、星図を前にしての講演があったりしたのは当然です。


でも、この晩の出し物はそればかりでなく、物理万般に及んでいたようです。
たとえば下はガイスラー管のデモンストレーションのようです。


ガイスラー菅は、低圧の希ガス――というのは古い表記で、今は「貴ガス」と書くのが正しいそうですが――を封入したガラス管の両端に電圧をかけ、放電発光させる実験装置。見た目が派手で美しいので、こういう折にはぴったりの演目です。


こちらは何でしょうか?
中央の2本のチューブをつないだ大きな実験装置は、かなり大掛かりですが、残念ながら正体不明です。左の装置は風力計っぽい姿ですが、室内に風力計を持ち込んでもしょうがないですね。向かって右手から、ライムライトの強烈な光で照射しているのが、何かの実験になっているんでしょうか? 

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…というわけで、いくぶん謎めいた感じはあるんですが、会場が賑やかなことは驚くばかりで、盛装した男女と実験装置の取り合わせに、科学趣味がファッショナブルであった時代の空気を感じます。

パリ天文台の裏の顔2022年09月24日 07時29分28秒

昨日のペレルの版画には「相方」がいます。


こちらはパリ天文台を反対側(北側)から見たところ。
昨日の版画とサイズは同一で、1690年に一連の作品として制作されたようです。
こちらも細部に注目してみます。


天文台の足元には、豪華な馬車や馬上の貴顕紳士、それに恭しく礼をする人物群が描かれ、ここが王立の施設であることを示しています。まあ、こんなふうに人々で常時賑わっていたとも考えにくいですが、一種のパリ名所として、王族や貴族が訪れる機会も実際多かったのでしょう。あるいは王様の御成りか何かの場面を、これまた「異時同図法」で描いたのかもしれません。

一方、建物を囲む塀の外は庶民の世界で、かごを背負った人、物売り、徒歩(かち)で行く男たちの姿が描かれています。

ここにビジュアライズされているのは、「内」と「外」の峻別された世界であり、当時の身分制社会そのものです。

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昨日の版画と著しく違うのは、地上に学者や技術者らしき姿がまったく見当たらないことで、彼らは一体どこにいるのかといえば…


みな屋上で観測に余念がありません。


昨日の作品では、庭前に描かれていた大型望遠鏡や四分儀は、すべて屋上に引き上げられ、そこで活躍しています。そもそも天文台が何のために建てられたかを考えれば、こちらの方が実景に近いでしょう。

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天文台の外に目をやれば、そこに広がるのはまったくの田園風景。風車がやたら目に付きますが、これらは製粉用でしょう。

(GoogleMap掲載。Hiền PHAN氏撮影)

パリ天文台から同じ方向(南東)を写した現代の写真を見ると、天文台に付属する公園緑地の向こうは、延々と市街地が続いていて、まさに「桑海の変」を目の当たりにする思いです。

変わらぬものは、ただ天文台の建物と星ごころばかりなり…です。

若き日のパリ天文台2022年09月23日 09時53分41秒

パリ天文台を主役に据えて、話を続けます。

(版面サイズ19×28cm)

1690年制作の銅版画なので、1667年のオープンから23年後。
御年355歳になるパリ天文台の、まさに青年時代の絵姿です。

パリ天文台の屋上にドームが載ったのは、19世紀半ば、正確には1847年のことで、その歴史はドームの有無でほぼ折半されます。もちろん、この絵はドームがない時代のものです。

作者のアダム・ペレル(Adam Pérelle、1640-1695)は、その父親や弟とともにパリで図案家・版画家として名を成した人。いずれも風景や建物の絵をよくし、全部で1300点の作品が一家の手になるものとされます。さらに「王室御用版画家」の称号を許され、高位の人々に絵の手ほどきをするなど、社会的にも栄達を遂げました。

…というのは、例によってwikipediaからの安易な引用ですが、ペレルはそういう立場の人でしたから、天文台の敷地に入ってスケッチすることも許されたでしょうし、この絵は当時のかなり正確な描写だと思います。

とはいっても、昼日中に星を観測することはないし、これほど多くの人が同時に作業を進めたとも思えないので、この絵は何枚かのスケッチを合成して1枚の絵にまとめた、いわゆる「異時同図法」でしょう。

そういう目で仔細に見ると、その細密な描写に思わず惹き込まれます。


屋上で熱心に望遠鏡?を覗く人々。


地上では天球儀(アーミラリースフィア)を脇に、何やら盛んに書き物をしています。これは屋内作業を、屋外の景に置き換えたのかもしれません。瘠せ犬を追っ払う姿がユーモラス。


こちらは滑車で操作する、長焦点望遠鏡の調整作業でしょうか。


大型四分儀による星の位置測定。
パリ天文台は同時代の他の天文台と同様、星の厳密な位置測定を重ねて、それを天測航法に生かそうという「航海天文学」の研究拠点でしたから、これこそが天文台の本務といえるものです。

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忙しく立ち働く300年前の天文学者や技術者たち。
その姿を見ていると、観測装置こそ素朴なものでしたが、彼らもまた現代と同様、持てる力を尽くして、天界の秘密に挑んでいたことが、無言のうちに伝わってきます。

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この機会に一言釈明しておくと、このブログに掲載する写真は、しばしば右上に影が入りがちです。これは下のような狭苦しいところで写真を撮っているためで、いかにも見苦しいのですが、環境のしからしむるところ如何ともしがたいです。


パリ天文台の3世紀2022年09月21日 22時13分56秒

先日、パリ天文台のテレホンカードを載せました。
あれからちょっとパリ天文台のことが気になっています。

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今から55年前に、「パリ天文台 1667-1967:天文学の3世紀」という展覧会がありました。そのポスターが手元にあります。

(大きさは49.5×36.5cm)

会期は1967年6月23日から7月31日まで、入場は毎日15時から18時まで…とあって、会場は書かれていませんが、当然パリ天文台でしょう。

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事程左様に、パリ天文台の歴史は古いです。

天文台の歴史というと、その言葉の定義にもよりますが、近代的な天文台――望遠鏡観測を主体とする、一定規模以上の施設――に限れば、その嚆矢は1637年創設のコペンハーゲン天文台(デンマーク)で、次いで1650年のダンチヒ天文台(ポーランド)、そして三番手が1667年のパリ天文台になります(さらにその後は、1670年のルンド天文台(スウェーデン)、1675年のグリニッジ天文台(イギリス)…と続きます)。

こうした老舗天文台の中でも、その後の歴史的影響という点では、グリニッジと並んでパリ天文台が図抜けていて、自らの歴史を天文学の歴史に重ねて、「天文学の3世紀」と称するだけのことはあります。

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改めて1967年のパリ天文台。


この水彩スケッチ風の絵には、何となく懐かしさを感じます。
うまく言えませんけれど、私が子供の頃も、こういうタッチの絵があちこちに――たとえば学生街の喫茶店あたりに――架かっていた気がボンヤリするからです。折りしも世界的に学生運動が高揚し、パリは1968年の「五月革命」の前夜でした。

パリ天文台の3世紀は、そうした時代の変遷を横目に、星を眺め続けた300年であったわけです。


なお、原画はの作者は「Gilles Murique」というサインが見えますが、ネットで検索すると、この人はJeannine Gilles-Murique(1924-2002)というパリ出身の画家で、お祖父さんの代から画家という、絵師一家に育った女性だそうです。【参考LINK

紙物未満…パリ天文台を称えて2022年09月16日 12時47分16秒

円安時代を生き延びるために、今でも気軽に買えるものを見つけました。


フランスのテレホンカードです。額面は50度数で、日本と同様、短時間ならこれで50回通話できたのでしょう。

特にプレミアがつくような品ではないので、換金価値は限りなくゼロですが、そうは言ってもタダというわけにもいくまい…と売り主は思ったのでしょう、1ユーロの値段が付いていました。

なぜそんなものを買ったかといえば、これも天文にちなむ品だからです。


背景はパリ天文台。そして「1891-1991」の文字。
下の説明文には、「パリ天文台は100年間、この国の標準時を定めてきました」とあります。

パリ天文台と報時業務については、以前ちょっと書いたことがあります。

■天文台と時刻決定

同天文台は、1891年からは1911年までパリを基準として報時を行い、その後、他国にならってイギリスのグリニッジを基準とするようになりましたが、その後もフランス標準時をつかさどり、100年休まずにチクタクチクタク、1991年にはそれを称えてテレホンカードのデザインにまでなった…というわけです。

私もパリ天文台に敬意を表して、今回1ユーロを投じました。

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ちなみに裏面のデザインはこうなっています。


そこには「3699にお掛けいただくと、音声時計が正確な時刻をお知らせします。料金は1991年3月1日現在、1回につき1度数です」とあって、「へえ、フランスにも日本の〈117〉みたいなサービスがあるんだ…」と、意外に思いました。

でもちょっと検索したら、この1933年から続くサービスも、今年ついに終了したのだそうです。

■Technologie : l’horloge parlante tire sa révérence

こうして時代は少しずつ移っていくのですね。
日本の〈117〉も一体いつまで存続するのか…?まことに思うこと多々、です。

七夕短冊考(その1)2022年07月10日 08時30分07秒

七夕にちなんでいろいろ書こうと思いましたが、書けぬまま七夕も終わってしまいました。最近は晩にビールを飲むと眠くなるし、朝は朝でやっぱり眠いので、平日に記事を書くのが難しいです。…といって、昔は夏場でも平気で書いていたわけですから、やっぱり齢は争われません。

でも、まだ旧暦の七夕というのが控えていて、今年は8月4日だそうです。それまで焦らず、旧来の季節感に素直に書いていくことにします。

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この前、七夕の短冊のことを書きました。
いかにも地味な話題ですが、何事も分からないことは調べるだけの価値があるので、戦前の七夕の実態はどうだったのか、少し史料を探してみました。そこで見つけたのが下のような紙ものです。

(大きさは38×58.5cm)

■加藤松香先生(書)
 七夕お習字手本
 昭和11年(1936)7月発行 少女倶楽部七月号第二附録

これを見ると、書かれているのはすべて七夕にちなんだ和歌や俳句ばかりで(それと「七夕」「天の川」というのも定番でした)、あたかも「紙絵馬」のように願い事を書きつらねる今の七夕とは、だいぶ趣が違います。


物理的フォーマットも、いわゆる短冊ばかりでなく、扇面あり色紙ありで様々です。


これは「少女倶楽部」の読者が、七夕を祝うことを前提とした企画ですから、そこでイメージされる七夕の担い手は、若干高年齢層に寄っています(ウィキペディア情報によれば、同誌の読者層は「小学校高学年から女学校(高等女学校)低学年の少女」の由)。少なくとも幼児専門の行事ということは全然なくて、さらさらと水茎の跡もうるわしく和歌を書きつけるのを良しとするその態度は、マジックでたどたどしく書かれた文字を見て「子供らしくほほえましい」とする現代とはかなり異質です。

(裏面には「七月特別大懸賞」の広告があり、読者の年齢層や趣味嗜好の一端がうかがえます。おそらく「良家の子女」と、それに憧れる少女たちが雑誌を支えていたのでしょう。)

とはいえ、これ1枚で何かものを言うのも根拠薄弱なので、別の史料も挙げておきます。

(この項ゆっくり続く)

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【余滴】

安倍銃撃事件があり、その事件背景として統一教会の問題が取りざたされ、そして今日は参院選の投票日。まことに慌ただしく、見ている方はポカーンとしてしまいますが、今後、年単位、あるいは10年単位で、今目の前で起きていることの意味が明らかになり、整理されていくのでしょう。ナスカの地上絵みたいなもので、その場にいる人間には見えないものも、距離をとることで見えてくることは実際多いです。

とはいえ、歴史に傍観者はなく、我々は否応なく歴史を担う主体でもありますから、視界が利きにくい中でも自分なりに考え、自分なりの道を見出す努力は欠かせません。そんな思いで、今日は一票を投じてきます。(何か妙に大上段ですが、大きな事件の後でやっぱり心が波立っているのでしょう。)