印刷のことなら土星堂2022年04月14日 19時07分14秒



ツキアカリ商店街のとっつきで営業している星屑印刷所
そういえば私も小さな印刷会社を経営しているのを思い出しました。


その名は土星堂活版舎


そこには輝く星もあれば、


少年の耳元に電波でささやくラジオタワーや、小さなカミキリムシもいます。


三日月だって、ステゴサウルスだって、みんなインクの香りと、背中にぐっとかかる重みを心待ちにしているのです。

長期にわたる構造的な印刷不況と、資材高騰のあおりを受け、経営環境は厳しさを増すばかりですが、土星堂のよいところは、経営者と顧客が同一であることです。いつでも大量受注が可能だし、その気になれば100万円の取り引きだって、何だったら1億円だって全然へっちゃらです。(1億円の支出を1億円の収入で埋めればいいのです)。

かくもすぐれた経営陣と優良顧客にめぐまれた土星堂活版舎へのご用命をお待ちしております。

ツキアカリ商店街2022年04月12日 20時33分01秒

最近は新刊書店に行くことが少なくなりました。
いや、それを言ったら古書店に行くことも稀です。
何でもネットで済ませるのは、あまりいいことではないと思いますが、安易な方向に流されやすいのは人の常で、反省しつつもなかなか改まりません。でも、行けば行ったで、いろいろ発見があります。

昨日、たまたま本屋に寄ったら、こんな本を見つけました。

(帯を外したところ)

■九ポ堂(著)
 「ガラスペンでなぞる ツキアカリ商店街」
 つちや書店、2022

今年の1月に出た、わりと新しい本です。


帯を見ると、読者がお手本をなぞり書きして愉しむ本のようで、最初はお年寄りが認知症予防のために手を動かす「塗り絵本」の類かと思いました。でも、特に「ガラスペンで」と断り書きがしてあるし、「夜にだけ開く商店街」という副題も謎めいています。

「?」と思い、本を手に取りページを開いてみました。


すると、確かにこれはなぞり書きの本ではあるのですが、それは「脳トレ」のためではなくて、著者による不思議な世界に、読者が入り込むための手段として、ガラスペンとお気に入りのインクと「手を動かす」という作業が求められているのだと気づきました。

さらにこの本の特徴として、(私を含む)一部の人が強烈に持っていかれるのは、帯にあるとおり、7種類の用紙と57種類の書体が使われている点です。

紙の種類とはB7バルキー、コスモエアライト、HS画王…等々であり、そこに登場する書体は、リュウミンR-KL、きざはし金陵M、A1明朝、毎日新聞明朝L、筑紫B丸ゴシックM…等々です。

(「b7トラネクスト」紙に「VDLヨタG」書体を使用した「星屑リサイクル」店)

「電氣鳥のはなし」は「AライトスタッフGA-FS」紙と「解ミン月M」書体を使用)

この本は徹底的に「モノ」であることを主張し、まさにそれ自体が形ある作品です。本書は原理的に決して電子書籍化できないのです。そこがまた購買欲をそそりました。

   ★

著者である「九ポ堂」さんについて、著者紹介にはこうあります。

「九ポ堂(きゅうぽどう) 酒井草平 酒井葵
 祖父が残した活版道具で作品作りを二〇一〇年にスタート。九ポとは活字の大きさの9ポイントに由来。少し不思議でクスリとしてしまう、物語性のある紙雑貨制作をしている。〔…〕代表作は活版印刷による架空商店街ハガキシリーズ。」

ユニット制作である点や、架空のお店、架空の商品をテーマにしているところは、老舗のクラフト・エヴィング商會さんを連想させ、また作品の世界観はコマツシンヤさんのそれに通じるようでもあります。ただ、こんなふうに本そのものが、不思議なお店で売っている、不思議な商品めいているという「メタ」の構造になっているのが、新鮮に感じられました。


それと、家に帰ってから気づきましたが、この本を買う気になったのは、昨日長野まゆみさんの「天体議会」に言及したことが明らかに影響しています。つまり作中に登場するガラスペンが、脳内で本書と共振したのです。

   ★

架空の町をテーマにした作品は、萩原朔太郎の「猫町」をはじめ、いろいろあると思います。作家も読者も、そういう結構を好む人は多いでしょう。もちろん私も好きです。

これまで入ったことのない路地を曲がったり、初めての駅で降りたりしたときに、「こんなところにこんな町があったのか!」と驚くことは、現実に時々あるし、夢と現実の境界はふだん我々が思うほど強固でもありません(各種の意識障害や、薬物の作用を思い起こしてください)。

夢の町と「リアル」は地続きである…というのが、そうした作品に惹かれる要因のひとつであることは確かで、猫町だって、ツキアカリ商店街だって、ふとしたきっかけで行けそうな気がするという、その「危うさ」が魅力的に感じます。

気球に乗って(中編)2020年08月08日 13時26分37秒

前回、「さっそく見てみましょう」と調子のいいことを言いましたが、ドイツ語がネックになって、気球の旅はいきなり逆風を受けています。まあ、あまり深く考えず、雰囲気だけでもアルプス気分を味わうことにします。

   ★

この本には、全部で48枚の記録写真が収められています。いずれも大判の2LないしKG判相当で、1ページにつき1枚、裏面はブランクという贅沢な造り。ですから、本書は「写真集」と呼んだ方が正確です。

そのうち第1図から34図までが、この1906年6月29日から30日にかけての冒険飛行の記録で、第35図から48図までは、著者グイヤーが別の機会に空撮した、同様の山岳写真になっています。

冒険の記録は時系列に沿って並べられています。

(上の写真を含め、以下周囲に余白がないものは、原図の一部をトリミングしたもの)

第1図「充填開始」
6月29日朝、アイガーの高峰(3974m)を背景に、いよいよ「コニャック号」にガスの充填が始まりました。場所はユングフラウ鉄道のアイガーグレッチャー駅の脇です(現在は延伸されていますが、当時はここが終着駅でした)。


第3図「出発前」
飛行直前の記念撮影です。気球のバスケットに立つのが、船長のド・ボークレア。その手前、腰に手をやった偉丈夫はファルケ。左側の男女二人が、ある意味、今回の主役であるゲプハルト・グイヤーと婚約者のマリーのカップル(マリーは恥ずかしいのか顔を伏せています)。

(使用したインクの違いによって、同じ本の中でも写真によって色合いがずいぶん違います。以下、手元のディスプレイ上で、なるべく原図に近くなるよう調整しました。)

第4図「アイガーグレッチャー駅の鳥瞰」
いよいよ気球は上昇を始めます。

   ★

ここで改めて、今回の旅の航跡を確認しておきます。下がその地図。


といっても、これだけだと画面上では何だか分からないので、航跡を書き入れた図と、グーグルマップを並べてみます。


右側の地図で、青い三角形がユングフラウ。その右上、丸で囲ったのがスタート地点・アイガーグレッチャー。そして右下の丸がゴール地点であるジニェーゼの村。
グーグルマップの方は、両地点を今なら最速4時間で車で移動できることを示していますが、グイヤーたちは、気球に乗ってのんびり1泊2日の空の旅です。でも、結構危なっかしい場面もあって、途中風にあおられたかして、航跡がグニャグニャになっている箇所があります。そして、イタリア国境を越えた後で大きく南に迂回し、いったん地図の外に飛び出してから、再び北上してジニェーゼに到達しています。

この旅の途中で、グイヤーがバスケットの中でパチリパチリと撮ったのが、一連の雄大な山岳写真です。


第6図「ユングフラウ」
気球はスタート直後からすみやかに高度を上げ、高度4000mに達したところで、目の前の乙女の姿を捉えました。大地の峰々と、雲の峰々の壮麗な対照に心が躍ります。

ユングフラウは、アイガー、メンヒと並ぶ「オーバーラント三山」の一つで、その最高峰。高さは4158m。(…というのは知ったかぶりで、私はユングフラウがどこにあるのか、さっきまで知らずにいました。以下の説明も同様です。)


モノとしての本にも言及しておくと、この図はフォトグラビュール(グラビア印刷)で制作されています(全48枚中6枚がフォトグラビュール)。

「グラビア」と聞くと、今の日本では安っぽいイメージがありますけれど、本来の「グラビア印刷」は、それとは全く別物です。その制作は、腐食銅版画を応用した職人の手わざによるもので、そこから生まれる網点のない美しい連続諧調表現は、高級美術印刷や、芸術写真のプリントに用いられました。

ですから版画と同じく、版の周囲に印刷時の圧痕が見えます。


第7図「雲の戦い(Wolkenschlacht)」
高度はさらに4300mに達し、ユングフラウ(画面左端)を足下に見下ろす位置まで来ました。しかし、その上にさらに積み重なる入道雲の群れ。雲は絶えず形を変え、雷光を放ち、自然の恐るべき力を見せつけています。

(後編につづく)

神は美しき小宇宙を愛するか2020年02月22日 12時11分38秒

さて、贅言はさておき清談を。

動・植・鉱物三界の驚異に満ちた、色鮮やかな博物画を愛好する人は少なくないでしょう。でも、その背景と技法に関する豊かな知識と、芯の通った審美眼を併せ持つ人は、そう多くはないはずです。

そうした意味で、個人的に敬服しているのが、博物画の販売を精力的に行っているdubhe(ドゥーベ)さんです。dubheさんが扱う品は、保存状態が良いことに加えて、みなどこか確かな見所があります。

ただ、博学多才なdubheさんも、天文分野に関しては、非常に謙抑的な態度を取られていて、その変わったお名前(屋号)が、星の名前―北斗を構成する星のひとつ―に由来することを考えると、ちょっと不思議な気がします。この辺のことは、いつか機会があればゆっくり伺ってみたいです。

   ★

そのdubheさんが、昨晩のツイッターで、珍しく天文図版を採り上げていたので、「これは!」と思いました。その図は私自身お気に入りだったので、何だか自分のウロンな趣味に、お墨付きを与えられた気がして嬉しかったです。ここで嬉しさついでに、dubheさんの迷惑を省みず、その尻馬に乗ることにします。


その図がこちら。
A4サイズよりも一回り大きい紙に刷られた多色版画で、周囲の余白を除く図版サイズは約19.5×27.5cm あります。制作されたのは1846年。


グラフィカルな図像もいいですが、何といっても特筆すべきは、その愛らしい色遣いと繊細なグラデーションです。


これを刷ったのは、ロンドンのノーサンプトン・スクエア11番地に店を構えたジョージ・バクスター(George Baxter、1804-1867)で、彼はwikipediaにも項目立てされている、カラー印刷史に名を残す人です。

上の図は、彼が特許を得た「油性色材印刷法」によっており、これは現代のカラー印刷術とは断絶した、失われた過去の技法です。(なお、19世紀前半にあっては、版面の制作から刷り上げまで、大半が職人の手仕事でしたから、「印刷」と「版画」を区別することは、あまり意味がありません。)

   ★

では、図版の内容はどうか?

実はこれまた印刷技法に劣らず注目すべきもので、天文学史の興味深い一断章となっています。

もう一度上の画像に目をやると、そこに「System according to Holy Scriptures 聖書に基づく体系」というタイトルが読み取れます。つまり、この図はコペルニクス以前の“旧派”の宇宙観を表現したものですが、興味深いのは、それが過去のものではなく、「太陽こそ地球の周りを回っているのだ!」と、大真面目に主張していることです。

この図の原画を描いたのは、アイザック・フロスト(Isaac Frost、生没未詳)という人で、彼は19世紀のロンドンで盛んに行われた天文講演会の演者の一人だったらしいのですが、1846年に出版された『天文学の二つの体系』という奇書と、今日採り上げた美しい版画作品を除けば、ほとんど無名の人です(「二つの体系」とは、すなわちニュートンの体系と、聖書の体系で、フロストは後者に軍配を上げています)。

(アイザック・フロスト著 『天文学の二つの体系』 タイトルページ)

この図を購入したペンシルベニアの本屋さんによる解説文を、この図を理解する一助として、適当訳して転記しておきます。

 マグルトン主義者(Muggletonian)のオリジナル天文図版
 バクスター・プリント 「聖書に基づく体系」 図版7

 太陽が地球を回る円形軌道上に描かれた図。きわめて美麗かつ繊細な色合いを持つ。

 ここに掲げたバクスター式油性プリントは、太陽中心説を否定するイギリスの宗教的一派、マグルトン主義者が私的に使用するため、1846年に制作された。マグルトン主義者は、彼ら独自の宇宙観を持ち、これらの図版は私的な目的で作られ、一般には出回らなかったので、多くのバクスター・プリントの中で最も稀少な作品となっている。アイザック・フロストの『天文学の二つの体系』のために制作された、全11図版から成るシリーズの一部であり、書籍の形に製本されず、単独の図版のまま残されたもの。

 バクストン法は複雑かつ高コストの印刷技法だが、目の覚めるようなイメージを生み出し、その図版は驚くほど美しい。」


手元にあるのはもう一枚、この昼と夜を描いた<図版10>だけですが、こちらも実に美しい絵です。


月が支配し、星がきらめく夜の世界…。

   ★

マグルトニアンは、まあ一種のカルトなのかもしれませんが、地動説が当然とされる世の中で、あえて天動説に思いを巡らすことは、他人の言を鵜呑みにせず、自分の頭で考えようとする態度ですし、豊かな想像力の発露ですから、一概に否定はできません(その構えがなければ、コペルニクスだって生まれなかったでしょう)。

でも、できれば自分の頭で考えた結論として、地動説の正しさを納得してほしかったです。そうでないと、「下手の考え休むに似たり」の例証が一つ増えるだけで終わってしまいます。

生物のかたち…もう一つの『Art Forms in Nature』(3)2019年04月13日 06時50分44秒

ところで、『自然の芸術的形態』の図版について、原著(といっても1914年の後版)とリプリントって、どれぐらい差があるのか気になったので、実際に比較してみます。


左が石版刷りの原著で、右がオフセットによるリプリント。
このリプリントは色調もうまく調整されているので、こうして見比べてもほとんど違いは分かりません。むしろピントが合っている分、リプリントの方が鮮明に見えるぐらいです。

実際、現代の印刷技術は進んでいるので、網点が非常に細かいと、ほとんど差が出ません。

(石版)

(リプリント)

写真をうまく撮れなかったので、正確な比較になっていませんが、似たような部位で比べると、これぐらい拡大してようやく差が目立ってきます(それぞれクリックしてください)。まあ、これぐらいなら十分許容範囲だと思いますが、ここが理性と酔狂の分かれ目で、これすらも我慢ならんという人は、オリジナルに行かざるを得ません。

   ★


それと、もうひとつ気になっているのが、ヘッケルの図版の中でもひときわ幻想味の濃いモノトーンの図版についてです。

(一部拡大)

1914年版だと、これらは全て写真製版(網点)で仕上げられています。これは1904年の初版でもそうなのかどうか。リプリント版を見る限り、その可能性はあると思いますが、現物を見るまで断言できないので、これは今後の宿題です()。

漆黒に白く浮かび上がる生物の形態は、いかにも夢幻的な印象を与えるもので、思わず引き込まれますが、写真版だとどうしても黒と白のコントラストが弱くなります。もし、初版が何らかの版画的技法によって、写真版にはない鮮明なコントラストを実現しているなら、酔狂の徒として、ここはさらに思案する必要があります。


【付記】

とはいえ、この辺まで来ると、印刷と版画の区別はだんだん薄れてきます。

「印刷」も版面にインクを載せて刷るという意味では、広義の「版画」に他ならず、彫りと刷りの「手わざ」にしても、後の石版画はだいぶ機械化が進んでいるし、現代の印刷にも名人級の職人がいて、手作業で仕上がりを調整しているんだ…なんて聞くと、だんだん頭がボンヤリしてきます。

むしろ、旧来の印刷と版画をひっくるめて、それと新式プリンタによる今様の印刷を対比させた方がいいのかもしれません。


4月14日 さらに付記】

記事に記した「宿題」の件ですが、博物画といえば何と言ってもこの方、dubheさんにコメントをいただき、早々と解決しました。ありがとうございました。貴重な情報なので私せず、公開させていただきます。結論から言うと、やっぱり1904年の初版も、モノクロ図版は網版だそうです。ただし、そこには注目すべき細目がさらにあるので、酔狂を自任される方はぜひコメント欄をご覧ください。

古画再見2019年03月02日 21時14分56秒

この「天文古玩」の良くないところは、一度登場したモノがそのままスッと消えてしまうところです。つまり、話題の蒸し返しはあっても、そこに登場するモノ自体は、たいてい1回きりの登場で、その扱いがいかにも粗略です。

これはブログ上のことに限りません。
実生活においても、いったんブログで記事にすると安心してしまい、そのままどこかにしまい込んで、その後まったく目にする機会がない…というのがお決りのパターンで、これでは「愛蔵」には程遠く、まさに「死蔵」でしょう。

そんな反省から、ちょっとお蔵入りの品を見直してみます。

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今さらながら、世界のデジタル化は甚だ急ですね。
検索エンジンで到達できる情報に限っても、「天文古玩」がスタートした2006年から、13年後の現在に至るまでの間に、ネット空間に新たに蓄積された情報は膨大な量でしょう。おかげで、昔は分からなかったことでも、今の目で見返すと簡単に分かるようになった事柄がたくさんあります。

例えば、以前登場した「The Astronomer」と題された一枚の版画。


似て非なるもの

あるいは、似た雰囲気の別の一枚。
こちらはAstronomer(天文学者)ならぬAstrologer(占星術師)を描いたものです。


ブログ開設半年

過去記事は、いずれもその素性に全く触れていません。
でも、これらの版画がいったい何なのか、私の中ではずっと疑問がくすぶっていました。―「いったい何なのかって、別にふつうに19世紀の版画でしょ?隅っこには、作者名もちゃんと入っているじゃない」と思われるかもしれませんが、これが19世紀当時、一個の商品としてどう流通し、どういう人が、何の目的で購入したのか…というのが、私には分かっていなかったのです。

でも、今調べれば、その素性はたちどころに分かります。

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まず「Astronomer」の方ですが、これはHenry Wyatt(1794-1840)が描いた油彩画をもとにしており、原画は現在テート・ギャラリーに所蔵されています。

現在のタイトルは「アルキメデス」。作者自身がどう呼んだかは不明ですが、モデルはガリレオかな…と、何となく思っていたので、アルキメデスと聞いてちょっとびっくりしました。)

それを版画にしたのはRobert Charles Bell(1806-1872)という人で、その目的は美術雑誌に収録するためでした。すなわち、19世紀の市民社会の到来によって、ファイン・アートが広く大衆のものとなり、その広範な需要に応えて、こうした複製画が当時盛んに作られていたのです。(さらに時代が下ると、写真術を応用したコロタイプ印刷や、さらにオフセットでカラー印刷も簡単にできるようになりますが、この時代の複製画はもっぱら版画です。)

収録誌は、ロンドンで出た当時の代表的な美術誌、「The Art Journal」
同誌は1839年から1902年まで続いたと言いますから、ヴィクトリア時代(1837-1902)とまるまる重なります(1881年にはアメリカ版も出ています)。

この版画、かの大英博物館にも収蔵されていて、データとともに画像が公開されています。


でも、見比べると細部が微妙に違うので(例えば大英博物館の品には、「The Astronomer」のタイトルがありません)、手元の品は後刷りかな?と思います。あるいはアメリカ版のために、原版に手を加えて刷り増ししたのかもしれません。

eBayで天文アンティークを渉猟していると、この版画を頻繁に目にするので、「なんでこんなにたくさん流通しているんだろう?」と不思議でしたが、雑誌の付録と聞けば納得です。そして、この版画がいったい何なのか、当初の疑問がようやく解けた気になります。

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そうと分かれば、「Astrologer」の方も、当然同じ性質のものと当たりがつきます。
Googleの書籍検索によれば、こちらは「The Art Journal」誌の1879年9月号に収録されたもので、原画の作者はJohn Seymour Lucas(1849-1923)、版画作者はJoseph Desmannez(1826-1902)


ただし、用紙の下部を見ると、こちらはアプルトン社の発行になっていて、ここは同誌のアメリカ版・版元ですから、これまた1881年以降、アメリカ版のために作られた後刷りなのでしょう。

いささか残念なのは、ネットの力を借りても原画の所在が依然不明なことです。
できれば元絵の色彩を見たかったのですが、これはしばらくお預け。まあ、これも遠からず分かる日が来るでしょう。

鉱物学のあけぼの…『金石学教授法』を読む(3)2018年02月25日 09時57分20秒

(続き物のはずなのに、1本目はタイトルが「鉱物学のあけぼの」、2本目は「鉱物学の黎明」と不統一でした。改めて「あけぼの」で統一します。)

今日は純粋なおまけです。すなわち本の中身ではなく、印刷の話。
この本を読んでいて、この本はどうやって刷られたのかな…というのが気になりました。


この文字は木版で間違いないですが、線によって西洋風の陰影表現を施した一連の挿絵も木版なのでしょうか?


でも、タイトルページの、この繊細な装飾模様を木版で生み出すなんて、到底不可能に思えます。まあ、浮世絵美人の髪の生え際の極細の彫りを見れば、絶対に不可能とも言えませんが、そんな超絶的な技巧を駆使してまで出版する必然性はないので(これはあくまでも一般向けの本です)、それは考えにくいです。

   ★

次に思ったのは、これは同じ木版でも、旧来の木版本のような柔らかい版木ではなく、緻密で堅い樹種を選び、しかも幹を胴切りにした「木口(こぐち)」に版を彫る、「木口木版」で刷られたのではないか…ということです。(これに対し、旧来のものは「板目木版」と呼ばれます。)

木口木版は18世紀末にイギリスで生まれ、そのため「西洋木版」の称もありますが、銅版と見まごうほどの細密表現が可能なことや、銅版と違って凸版なので、本文活字と一緒に版を組んで、まとめて刷れる便利さから、19世紀の出版物では、挿絵の主流となりました。当時の天文古書でも、本文中に挿入された図は、ほぼすべて木口木版です。(本文とは別に、挿絵だけが独立したページになっている場合は、やっぱり木口木版の場合もありますが、銅版だったり石版だったりのことが多いです。)

(木口木版による挿絵の例。1881年にロンドンで出た、著者不明の『Half Hours in Air and Sky』より)

しかし、よく話を聞いてみると、日本における木口木版のスタートは、明治20年(1887)で、最初は教科書の口絵から始まり、その後一般の出版物にも普及したそうですから、明治17年に出たこの本に、それが登場するのは一寸時代が合いません。(板目木版と木口木版は材の違いだけでなく、使う道具も、彫り方もまるで違うので、その技法は一から学ばねばなりません。洋行してそれを学んだ彫り師が帰国したのが、明治20年の由。 → 参考文献(2) 参照)

   ★

そこで、何かヒントはないかと思い、先ほどの表題ページをさらにじっと見てみます。


すると、この堂々たる隷書体のタイトルは、文字の内部が黒一色ではなくて、細い線をびっしり彫って黒っぽく見せていることが分かります。これは本文中の挿絵にも共通する特徴で、いずれも凹版の線で、広い面積を黒く見せる工夫ですから、結局、これは銅版印刷だと分かります。

もし、これが木版だったら、陽刻した凸版の絵柄や文字に、そのまま墨やインクを載せて刷ればいいので、こんな工夫をする必要はありません。


例えば、この明治4年(1871)出版の『博物新編』の挿絵は、全体の雰囲気は『金石学教授法』と似ていますが、黒い部分は墨のベタ刷りで、さらにそこに木目が見えることから、これが旧来の板目木版を用いていることが明瞭です。

   ★

すると今度は、日本における銅版挿絵の歴史は…という点に関心が向きますが、この点は今後の自分の宿題として残しておきます。

今は 参考文献(3) にある、「司馬江漢や亜欧堂田善が学んだ銅版印刷は、残念ながら日本ではあまり普及しませんでした。眼鏡絵や人体解剖図以外では、観光名所絵、地図、博物書の扉絵などごく限られた分野で利用されたに過ぎません。」という程度の記述で我慢しなければなりません。

ともあれ、この『金石学教授法』は、銅版と木版を二度刷りして仕上げた、なかなか凝った本で、明治前半の出版事情の一端が窺える点でも、興味深く思いました。


【参考文献】

(1)東書文庫:教科書の印刷(1)木版
(2)東書文庫:教科書の印刷(2)木口(こぐち)木版
(3)日本における腐食銅版印刷の曙

流れる時の中で天文時計は時を刻む2017年10月19日 21時10分29秒

今日も天文時計の古絵葉書の話題を続けます。


この2枚の絵葉書は同じ天文時計を写したものです。
左は1907年の差出しで、作られたのも同時期でしょう。
右はやや下って、1929年の消印が押されています。でも、写っている人々の服装からすると、もうちょっと古い時代に撮られた写真を元にしているように見えます。

(天文時計に仕込まれたからくり人形を見物する観衆)

印刷技法に関して言うと、1907年の方は前回のリヨンの絵葉書と同じく、黒・水色・オレンジの3色石版。いっぽう1929年の方は、黒の網点(ハーフトーン)印刷に、水色とオレンジの2色の石版を刷り重ねてあります。(いずれの絵葉書も、現代のフォトクローム絵葉書のように、つやつやしていますが、これはニス引きのような表面加工が施されているせいです。)

   ★

前回、「古絵葉書に写った古物には、いっそう古物らしい表情がある」と書きました。
この絵葉書を見ると、一層そのことを痛切に感じます。


この天文時計は、チェコの歴史都市、オルミュッツ(Olmütz)の町にあります。
ただし、オルミュッツというのはドイツ語による名称で、現在の名乗りはチェコ語で「オロモウツ」。―この名称の変化からも、チェコという国と民族が、周辺の大国の間で絶えず揺さぶられてきた歴史を感じます。

土地の名称ばかりではありません。
実を言えば、このオロモウツの市庁舎に付属する天文時計は、今はもうありません。いや、あるにはあるのですが、この絵葉書のような姿では残っていません。

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以下、ポスト共産主義の東欧社会を研究している、クリステン・ゴッズィー氏のブログより。


「手元にモラヴィア地方のオロモウツ市で撮った写真が何枚かある。その中には、おそらく1422年に建造された、有名な天文時計の写真も幾枚か含まれている。

1945年の5月、ナチスがオロモウツから撤退する際、彼らはこの中世の時計に火を放ち、破壊した。時計は、チェコスロバキア共産主義体制下の初期に、社会主義的リアリズム様式に基づき再建され、聖人や諸王を表現した以前の聖像は、すべて労働者や農民の像に置き換えられた。

何と融合的な時計だろう!」

(現在の時計の姿。英語版Wikipedia「Olomouc」の項より。上記ゴッズィー氏のページにも、時計の細部を写した写真が載っています。)

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古い大きな時計。その足下を往来した人々。そして生活の証。


今となっては全てが幻のようです。
そして、ここで再び「物に歴史あり」と思わないわけにはいきません。

リヨンの天文時計2017年10月17日 20時30分43秒

昨日から冷たい雨が降り続いていましたが、今日はきれいな青空を眺めることができました。明るい日差しが嬉しく感じられる季節になりました。

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昨日届いた絵葉書。
フランス南部の都市リヨンに立つ、サン・ジャン大聖堂(洗礼者・聖ヨハネに捧げられたカテドラル)に置かれた天文時計です。


この角度から撮影された古絵葉書は無数にありますが、彩色されたものはわりと少ないと思います。

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まあ、ここは観光名所なので、古絵葉書に頼らなくても、ネットで画像はいくらでも見ることができます。例えば、高精細画像としてパッと目に付いたのは以下のページ。

Saint Jean Cathedral astronomical clock (by Michael A. Stecker)
あるいは動画だと、以下のものが、時計の細部や動きをよく捉えています。


Horloge astronomique de St Jean

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とはいえ、古絵葉書に写った古物には、いっそう古物らしい表情があるというか、何となく奥ゆかしさが感じられます。


この絵葉書、色彩感覚がちょっと独特ですけれど、これは手彩色ではなくて、墨版(黒一色の版)に水色とオレンジの色版を重ねた、3色刷りの石版絵葉書だからこそ生まれた効果です。

当時(1900年代初頭)は、まだカラー印刷の黎明期で、石版に合羽刷り(ステンシル)で色を載せるとか、墨版を網点で仕上げ、そこに石版を3色重ねるとか、仔細に見ると、その技法は実に多様で、これも古絵葉書の1つの鑑賞ポイントだと思います。

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さて、キャプションによれば、この時計は1572年にニコラス・リッピウス(Nicolas Lippius)という人が作ったと書かれています。

でも、この時計について検索していたら、ウィキペディアの「天文時計」の項には、「リヨンにあるサン・ジャン大聖堂にも14世紀の天文時計が設置」云々の記述があって、「あれ?」と思いました。

そこで今度は英語版を見にいくと、「この大聖堂の天文時計に関する最初の記録は1383年に遡るが、これは1562年に破壊された」とあって、なるほどと思いました。でも更に続けて、「1661年、時計はギヨーム・ヌリッソン(Guillaume Nourrisson)によって再建された」と書かれています。

いったい誰の言うことが本当なのか?
リヨンの天文時計については、この分野の基本文献である、ヘンリー・C.キングの『Geared to the Stars』(1978)にもほとんど触れられておらず、いささか途方に暮れました。

   ★

が、さらにネット上を徘徊したら、ようやく謎が解けました。

L' Horloge Astronomique de la Cathédrale Saint-Jean de Lyon

上のページに、この天文時計に関する年表が載っています。

それによれば、時計は1562年に破壊された後、1598年にユーグ・レヴェ(Hugues Levet)とニコラス・リッピウスの2人が再建を成し遂げました(絵葉書の1572年と合致しませんが、これは再建着手の年と、完成年の違いかもしれません)。
ただし、当時の部品で現存するのはごくわずかだ…とも書かれています。 

この最初の修復の後、1660年にギヨーム・ヌリッソンが再度修復を行ない、時計はほぼ現在と同様の姿となりました。(英語版ウィキペディアの記述(1661年)とは、ここでまた1年のずれがありますが、物自体が完成した年と、正式にお披露目した年がずれているとか、何かしら理由はあるのでしょう。)

…というわけで、誰が正しいというよりも、それぞれに根拠と言い分があったわけです。要はどこに注目するか、の違いですね。

   ★

まこと物に歴史あり――。
物だって、人間と同じく、その生い立ちを一言で語ることはできません。そのことを1枚の絵葉書に改めて教えてもらいました。

リヨンの天文時計は、ヌリッソンの修繕後も、18世紀、19世紀、20世紀の3回にわたって工人の手が入り、今に至っている由。やっぱり「物に歴史あり」です。

ペンネリ・コメタ2017年09月09日 08時13分31秒

昨夜は、太陽フレアのニュースを聞いて、「赤気」、すなわち低緯度オーロラの片鱗でも見えないかと、高台から北の空に目を凝らしましたが、その気配も感じられませんでした(まあ、見えなくて当然です)。

それにしても、風が頬に涼しい、気持ちの良い季節になりましたね。

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先日、こんな品を見つけました。


ご覧の通り、彗星をかたどった印刷ブロックです。
高さ16.5cm、幅12.5cmと、結構大きなものです。

(左右反転画像)

Pennelli はイタリア語で「筆」の意。
Cometa のブランド名は、筆の穂を彗星の尾に見立てたのでしょう。

(同上)

H.L. Sterkel 自体は、イタリアではなく、ドイツ・ラーベンスブルクの絵筆メーカーで、1823年創業の老舗。そして、この印刷ブロックは、同社の製品のラベルやチラシを刷るのに使われた原版というわけです。


側面に打たれた真鍮の銘板も、なかなか良い雰囲気を出しています。
昔の活版所には、こうした印刷ブロックがズラッと並んでいて、必要なものをすぐ取り出せるように、こんな工夫を凝らしたのかもしれません。


裏面のインクの染みの向うに、かつての活版所のにぎわいを感じます。

   ★

この手の品は、真っ当な天文趣味というか、リアルな天体観測とは、ほとんど関係がないんですが、たとえそうだとしても、そこには様々な時代の、様々な人の「星に寄せる思い」がこもっていますし、少なくとも天文趣味の一端を物語るものではあります。