書斎で大地のドラマを見る…さらに地学模型のはなし ― 2012年05月05日 10時31分16秒
前回の3段重ね地学模型を見てみます。
幼年期の大地。平原を2本の川筋が走っています。
幾万年を経た頃か、壮年期の大地は水の作用によって、深い谷が刻まれています。
川下から見た峨々たる山容。
川の左右に支流ができて、山を削り、大地は複雑な起伏を見せています。
川の左右に支流ができて、山を削り、大地は複雑な起伏を見せています。
大地が川によって完全に削り取られた老年期。
人間の老年期と違って、大地の老年期は、再びベビーフェイスに戻ります。
人間の老年期と違って、大地の老年期は、再びベビーフェイスに戻ります。
うねうねと平らな大地を流れる河。三日月湖も形成されています。
そして、ここからまた新たな大地のドラマが始まるわけです。まさに輪廻ですね。
もちろん実際の大地は、おだやかな水の作用だけでなく、激しい火の作用(火山の噴火や大規模な造山活動)も加わって、いっそう複雑な様相を呈します。
最近は、それに人の手も加わってきました。
そして、ここからまた新たな大地のドラマが始まるわけです。まさに輪廻ですね。
もちろん実際の大地は、おだやかな水の作用だけでなく、激しい火の作用(火山の噴火や大規模な造山活動)も加わって、いっそう複雑な様相を呈します。
最近は、それに人の手も加わってきました。
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地学模型は、まだ写真に撮っていないのがいくつかあって、文字通り「山積」しています。それにしても、かつての小学校は、どこもこんな風に地学模型があふれていたんでしょうか。どうも、自分の記憶では、せいぜい1つか2つだけだったような気もするんですが、これは日土小学校の先生の趣味なのでしょうか。
切り取られた大地…地学模型のはなし ― 2012年05月03日 17時39分04秒
風薫る五月。庭のコデマリやノイバラにも愛らしい虫たちが訪れ、子どもの頃に味わった自然観察の興趣が、いっときよみがえります。
今年は突発事態続きで、連休中も心が休まりませんでしたが、ようやく昨日で一段落したので、連休の後半はゆっくり骨休めをしようと思います
今年は突発事態続きで、連休中も心が休まりませんでしたが、ようやく昨日で一段落したので、連休の後半はゆっくり骨休めをしようと思います
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さて、前回のつづき。
地学模型の魅力というのは、一種の「神の視点」にあると思います。巨大なスケールの世界を、掌(たなごころ)に照らして見る快感といいますか。
まあ、たなごころに照らすには一寸かさばるので、普段はお蔵入りしているのが不憫ですけれど、こうして改めて眺めると不思議な美しさがあります。
これは成層火山模型で、モデルとなっているのはもちろん富士山とその周辺地形。
こういうのは、地理の時間にも習った記憶がありますが、ラベルを見るとやっぱり理科教材で、昭和44年の夏休み中に購入したものであることが分かります。お値段は4,270円也。
こういうのは、地理の時間にも習った記憶がありますが、ラベルを見るとやっぱり理科教材で、昭和44年の夏休み中に購入したものであることが分かります。お値段は4,270円也。
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「巨大なスケールの世界」と上で書きましたが、それは空間ばかりでなく、時間的スケールについても言えます。
たとえば、この模型は3段重ねになっていて、水理作用による大地の変化を、時間軸に沿って眺めることができます。上から幼年期、壮年期、その下はラベルがはがれていますが、おそらく「老年期」でしょう。
表面がボロボロなのは、素材が樹脂ではなく、木と紙塑(一種の紙粘土)製だからで、購入年代も昭和30年と、他のものよりも一層古い時代の品です。
(雄大な大地のドラマを愛でつつ、さらにこの項つづく)
あの頃、あの棚の上に、地学模型がたしかにあった ― 2012年04月30日 19時44分18秒
昨日、買った物が部屋に置けないということを書きました。
先日登場した植物構造模型なども、部屋の中には置くスペースがないので、ふだんは押入れに入っています。
先日登場した植物構造模型なども、部屋の中には置くスペースがないので、ふだんは押入れに入っています。
そうしたものは結構多くて、今では押入れの中が理科準備室状態ですが、中でも場所ふさぎなのが、以前まとめて購入した地学模型の類。
ずっとしまいっぱなしなので、彼らとまともに対面したのは、荷物が届いて荷ほどきしたときと、この写真をとったときぐらいでしょう。となると、何のために買ったのか不審に思われるでしょうが、いつかこういうものを棚にずらりと並べて、自分だけの古びた理科室を作りたいという夢があるのです。
小学校名が出てしまっていますが、今となっては特に迷惑を感じる方がいるとも思えないので、そのままにしておきます。ちなみに、日土(ひづち)小学校は愛媛県にある学校で、建築の世界では、戦後の木造モダニズム建築を代表する作例として有名だそうです。
理振法準拠のラベルが頼もしい。
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昭和45年といえば、何を隠そう私が小学校に入った年で、これと同じものが我が母校にあったとしても、おかしくはありません。実際、同じかどうかは分かりませんが、理科室の棚に地層の模型が鎮座していたのを、今でもはっきり覚えています。
これらの品は、作られてからまだ半世紀も経っていませんし、素材も樹脂をふんだんに使っているので、理系アンティークとしては辛い点を付けざるを得ませんが、でもこれは他人様にとっての価値はどうでもよくて、自分自身が思う存分郷愁にふけるための品です。
私の場合、野外の鉱物や地層よりも、こうした地学模型や岩石標本から、地学への興味が芽生えているので、やはり自分は「理科」よりも「理科室」が好きなのだなあ…とつくづく思います。
(地学模型の話題、さらにつづく)
ミクロの新緑 ― 2012年04月22日 15時50分41秒
少年採集家(4) ― 2012年03月12日 21時40分33秒
一通りこの本に目を通しましたが、やはり文中に戦争の影はまったく登場しません。それがむしろ不思議なほどです。序文の日付は昭和18年7月になっているので、開戦前に準備した原稿を、この時期に上梓したわけでもなく、きな臭い中での執筆だったはずですが、著者は一切そのことに触れようとしません。
著者の松室重行という方については何も存じ上げませんが、ネット情報によれば、戦中から戦後にかけて『ヘッセ小品集』や『ハウフ童話集』を訳したり、『医学ドイツ語小辞典』を編んだりした方です。昭和11年当時は、作家・牧野吉晴とともに、美術雑誌「東陽」編集部に在籍していました(http://10tyuutai.blog58.fc2.com/blog-entry-95.html)。
動植物に関する著作は、この『少年採集家』だけですから、要するに採集・標本については素人の趣味の範囲を出ない人だと思いますが、それだけに一層純な思いが本書にはこめられているのでしょう。
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以下、「はしがき」から抜粋。
「近頃、少年少女の皆さんが、熱心に植物の採集や動物の採集を行ふことは、まことに結構なことだと思ひます。
たゞ、残念なことには、せっかくの採集が永つゞきしないことです。
すべての皆さんが、大きくなってから、植物学者や動物学者になるといふのではありませんから、いつまでもつゞけて欲しいとは申しません。
しかし、国民学校の四五年生ではじめたら、中学校の二年生や三年生ぐらゐまではつゞけて、一通り完成した採集標本をつくり上げていたゞきたいと思ふのです。」
この辺は実にリアリスティックですね。「さあ、みんな大学者たらんことを目指せ!」と尻を叩くようなことはせず、途中でやめてもいいから、意味のある採集を目指しなさいと、現実的な助言をしているわけです。
「少年少女の皆さんがする採集だからといって、それがたゞの、いくらかためになる遊びではないのです。さういふ考へ方は悪いと思います。」「採集することが決して目的ではなく、これはたゞ、動植物の知識を得る手段です。これをよく心得てゐて、そして一定の方針を持って採集をすゝめ、標本の保存と鑑賞とを忘れない人が、よく採集をつゞけられるのだと私は思ひます。」「科学する心といふのは、要するに正しい道をふんで、忍耐づよく、どこまでも、ものごとの奥底まできはめて行くといふ不撓不屈の精神のことなのです。どうか皆さんも、この精神を忘れずに、一つりっぱな採集標本をつくり上げるやうに努力して下さい。」
自分に言い聞かせるような強い調子があります。
この時期(ミッドウェーの敗戦からガダルカナル撤退、そしてアッツ島玉砕が続いた時期です)、お上の統制はいよいよ厳しく、知識人も時局におもねる発言が多かったと思いますが、松室氏はそうした言辞を弄することなく、少年少女に専一に正しい科学する心を説いたのは、立派だと思います。そしてまた少年少女を慈しむ目を感じます。
(すくい網採集法を試みる戦時中の少年)
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イントロダクションにあたる第1章「博物採集とは」には、次のような一節があります。
「採集から我家に帰って来て、包を開いて、眺めたり、調べたり、較べたりするたのしさ。特別に美しい標本、珍しい標本、りっぱに仕上げた標本、かういふものを標本箱に入れるときのたのしさ。
静かな冬の夜ながに、ひとり静かに標本箱をとり出して来て、眺めたり、調べたりして、何度となく新しい発見をして喜ぶたのしさ。」
現実の日本には、すでにこういう喜びが失われていたはずだと思うと、なんだか切ないです。
★
さて、その内容ですが、表紙から受ける印象とは違って、著者がいちばん力点を置いているのは植物採集で、過半のページがそれに当てられています。しかも、通常の押し葉だけでなく、種子の標本や樹皮の標本、あるいはキノコやコケや地衣類や藻類の標本作りにまで記述が及んでいて、松室氏の本領が植物趣味にあったことがうかがえます。
その次に昆虫採集の話題ですが、そこでメインとなるのは蝶と蛾で、それ以外の昆虫はごく簡単にしか触れられていません(そして最後に貝のことがチラッと出てきます)。糖密採集法や叩き網採集法など、おなじみの方法も、主に蝶や蛾を採集する方法として紹介されているのが、ちょっと珍しく感じられました。
(中身は文字ばかりのページが多くて地味めです。)
(これは比較的図が多いページの例)
結局、著者は植物と蝶や蛾の熱心な採集家だったと想像されますが、そういう人には生きにくい時勢であったろうなあ…と、ここでもやっぱり思います。
書かれている内容自体は、私が子どもの頃読んだ採集と標本づくりの本とほとんど変わりません。もちろん、時代の流れを感じる叙述もあって、たとえば蝶の幼虫の乾燥標本を作るのに、私自身は「電熱器と茶筒」を使えと習いましたが、昭和18年当時は「アルコールランプと石油ランプのほや」を使うよう書かれています。あるいは、プリザーブドフラワーを作るのに、今だと強力な乾燥剤や機械の力を借りますが、当時は「熱してよく乾燥させた砂」の中に花を埋める方法が紹介されていて、その辺に時代を感じるのですが、でもやっていることは一緒です。採集と標本作りの基本的テクニックは、たぶんこの1世紀ぐらいほとんど変わってないんじゃないでしょうか。
(『少年採集家』より。ランプのほやが登場するのはさすがに古風。)
(これはこれで懐かしい小学館の『採集と標本の図鑑』。昭和45年・改訂第20版より。しかし口でぷーぷー吹くのは、むしろ昭和18年よりも技術的後退か。)
★
変わったなあ…と感じるのは、「中身」よりもむしろ「外皮」、すなわち表現形式の方です。
この『少年採集家』には、ごく少数の挿絵しかなくて、ノウハウはもっぱら文字で説明されています。昭和30年代以降、学習図鑑全盛時代になると、こういうのは全編カラーで図解されるのが普通になるので、そこは大きな違いです。父親世代と自分の世代の差はそこでしょう。
ただ、読んでみると分かりますが、文字だけでも意外によく伝わるものです。
戦後の教育者は、カラフルな図解こそが子どもの興味をひきつけるものと頑なに思い込んでいた節がありますが、下手な図解よりも、子どもの心に沁みる文章のほうが遥かに良くはないでしょうか?…まあ、これは私が年をとったせいでそう思うのかもしれませんが。
少年採集家 ― 2012年03月05日 22時21分18秒
アート派 vs. 科学派…剥製を熱く語る人々(その3) ― 2012年02月26日 12時16分08秒
仕事の方はもう一息です。
ブログの記事の書き方を忘れかけていますが、思い出しながら書いてみます。
記事が間延びしてきたので、手短にいきましょう。
ブログの記事の書き方を忘れかけていますが、思い出しながら書いてみます。
記事が間延びしてきたので、手短にいきましょう。
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一口に剥製といっても、そこにはアートとしての剝製と、科学標本としての剝製の区別がある―。 元記事の筆者、リサ・ヒックスは、そうはっきり書いているわけではありませんが、彼女が描く最近の剥製ブームからは、そのことが読み取れます。
アート派の方は、再三登場する「ミネソタはぐれ剥製師連盟(MART;Minessota Association of Rogue Taxdermists)」の面々がそうであり、インテリアとして剥製を飾るホーヴィー姉妹もその仲間と見てよいでしょう。
まあ、アートといってもいろいろな趣味嗜好があるので、ホーヴィー姉妹のようなビューティフル路線もあれば、気色の悪い猟奇路線もあって、後者はたとえば19世紀の見世物興行師、P.T.バーナム(1810-1891)が呼び物にした、怪しげな人魚のミイラだとか、ヴィクトリア時代の剥製師、ウォルター・ポッター(1835-1918)が得意とした擬人化された剥製(ウサギの授業風景など)といった、どちらかといえばバッド・テイストと思えるものを好む人たちです。MARTのメンバーが作る、キメラ剥製(異種の剝製を組み合わせて作った空想上の生物)などは、その直系の子孫かもしれません。
(ポッターのウサギの学校。
出典:http://en.wikipedia.org/wiki/File:Potter%27sRabbitSchool.jpg)
出典:http://en.wikipedia.org/wiki/File:Potter%27sRabbitSchool.jpg)
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他方、剥製に科学の香りを求める人もいます。
たとえば、近代剥製術の父と呼ばれるカール・エークリー(1864-1924)。
彼の作る剥製は、わらなどを詰め物にするのではなく、解剖学的に正確な彫像を制作して、そこに皮をかぶせるという凝った方法で作られました。
彼は自ら野生動物を次々に仕留め、それを剥製にしてアメリカ自然史博物館に壮大なジオラマ風景を作った人ですが、晩年の1920年代に一頭のゴリラと出会ったことから「回心」して、以後は野生生物の保護運動に尽力しました。とはいえ、彼は最後まで科学の名に基づく、剥製愛好癖を捨てようとはしませんでした。
「科学」の看板が、罪の意識を覆い隠すのに使われた…かどうかは分かりませんし、リサもそう書いているわけではありませんが、何となくそういう気配があります。
また、ロサンゼルスにあるヴンダー系ショップ、「Empiric Studio」では、1960年代の「スペース・エイジ」テイストをまぶした理系グッズとともに、剥製を販売しており、同店の広報担当、アニー・クラウニンシールドによれば、同店における剥製は、「研究室や学術的環境でお目にかかるモノ」というカテゴリーに入るのだと説明しています。
これは考えてみると「剥製は科学的存在であるが故に、研究室に置かれている。そして研究室に置かれているが故に、科学的だ」というトートロジーを構成しているような気がしなくもない。
★
アートとしての剥製と、科学としての剝製の関係はなかなか微妙です。
科学的相貌を持った剥製が「知の向上をもたらす善」であり、アートとしての剥製が「罰あたりな悪」である…と単純に言い切れないのは、その「科学性」に付きまとう上記のような曖昧さからも窺い知れます。
MARTのメンバー、ロバート・マーベリーは、リスの剝製づくりと同時に、その肉を料理して食べるという、一種のパフォーマンスというか、イベントを開催しています。情緒的にはちょっと受け入れがたいし、リスにとっては災難だと思いますが、それは普段人々が意識から遠ざけている動物と人間との関係(虐待や搾取)を問いかけるものだと、マーベリーは言います。(付言すると、リス料理自体はヨーロッパで伝統的に行われてきたらしいです。)
「リスは本質的に価値中立的存在です。〔…〕リスだって動物なんです。鹿の角を壁に飾って構わないなら、これだって同じことでしょう。リスは『可愛い』と見なされている点がちょっと違うだけです。」
「はぐれ剥製師たちは、自然を心から愛しています。たとえ彼らの作る作品が少々ダークなものだとしても。いや、むしろ自然そのものが、得てしてダークなものなのです。」
「動物の死体をもてあそぶ」かの如く見えるアート派の人々にも、いろいろ言い分があるわけです。たとえそれに全面的に賛成できなくても、耳を傾けるべき点は多々あります。
★
そしてまた、博物館の空気自体をアートとして享受する人もいるので、話はどんどんややこしくなります。以下は、前回も登場したテレビ番組「Oddities」の司会者、ライアン・マシュー・コーンの思い出ばなし。
「子どものころ、コーンはよく犬を連れて、ニューヨーク州の北部まで宝探し(scavenging)に出かけ、森で見つけた動物の頭骨やその他の骨を家に持ち帰った。彼は「世界最大の豚」やら、「世界一のカボチャ」やら、安っぽいイカサマ物が登場する怪しげな見世物小屋でインスピレーションを得た。また、両親は彼をよくアメリカ自然史博物館に連れて行ってくれたが、そんなとき彼はアイデアでいっぱいになって帰宅したものだった。
〔…〕
『僕が愛してやまなかったのは、自然史博物館の中では、全ての物がいかに完璧に配置されているかということなんだ。そこで僕は頭骨を棚の上に飾るのをやめて、代わりに、それぞれに小さな架台を作って、自分は今博物館の中で暮らしているんだと夢想したものさ。僕は小さなカーテンを使って幕開けごっこもした。家族を前に見世物興行を演じて、セレモニーの司会者よろしく“サアサアご覧じろ”と口上を述べたりしてね。』
子ども時分は小遣いに恵まれなかったので、自分の部屋をこうした森で見つけた珍物でいっぱいにしたのだと、コーンは語る。その後、大人になって多少の金が自由に使えるようになると、彼は剥製やその他のアンティークを探しに出かけるようになった。」
(コーンのキャビネット。
出典:http://www.collectorsweekly.com/articles/taxidermy-comes-alive/)
★
世間には、読書家とは別に、愛書家という人種がいます。本を読むよりも、モノとしての本を愛好し、読みもしない高価な本をせっせと買い込むような人です。
「理科よりも理科室が好き」、「博物学よりも博物館が好き」というのも、この愛書趣味に通じるものかもしれません。私の中にも多分にそういう傾向があるので、架台に凝って、自室を博物館風にしたかったという、コーン少年の夢には深い共感を覚えます。
私自身、金とモノ乏しい中、いかにして自分の部屋(ただし兄と共用)を理科室的テイストで満たすか、尋常でない努力をした覚えがあるので、この一節にはいっそ涙ぐましい思いがします。そしてまた、ここでも稲垣足穂の博物趣味への耽溺を連想するのです。
■稲垣足穂『水晶物語』(1)、(2)
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/07/17/448139
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/07/18/451209
★
とはいえ。最後の最後で明言しておきますが、私は剥製はそれほど好きではありません。
私の部屋に置かれた少数の剥製は、Empiric Studioのアニー・クラウニンシールドが言うところの「研究室や学術的環境でお目にかかるモノ」であり、理科室のムードを感じさせるいわば「小道具」として置かれているので、剥製そのものを愛好する癖はまったくありません。
MARTの面々がいかに熱弁を振るったところで、ポッター流の擬人化剝製や、その日本版である徳利をさげた狸なんかは、やっぱり罰あたりなんじゃないかと思います。
(某オークションサイトより)
じゃあ、「理科室風小道具」として剥製を購入するというのはどうなんだね?
それも五十歩百歩ではないのかね?
いや、その剥製を愛してすらいないと言うなら、いっそう罪深いんじゃないかね?
…と言われると、まったく反論ができません。マーベリーの言葉を真似て、「いや、科学そのものが、得てしてダークなものなのです」と言っても、屁理屈にしか聞こえないでしょう。ここは一途に動物たちに手を合わせるばかりです。
(この項おわり)
何が剥製ブームをもたらしたか?…剥製を熱く語る人々(その2) ― 2012年02月19日 19時58分27秒
S.Uさま、たつきさま、愉しいコメントならびに温かい励ましをありがとうございました。なかなかお返事ができずに申し訳ありません。しばらくは、記事の継続を優先し、話を先に進めたいと思いますので、失礼の段なにとぞお許しください。
★
さて、前回の続きです。(以下、元記事の分量が多いので、いつも以上に大幅な適当訳ですが、趣旨はそう外れていないはず…)
2000年代に入ってからの剥製ブームの原因は何か?
もちろん真の原因は分かりませんが、そこにはいろいろな意見があって、たとえば、「ミネソタはぐれ剥製師連盟」のロバート・マーベリーは、その背景にインターネットの急速な普及を想定します。
「今やインターネットそのものが、ヴンダーカンマー化してるんだよ。気の向くままに検索をかければ、どんな驚くべきものだって見つけられるし、パソコンを画像ファイルでいっぱいにすることもできる。多くの点で、これは伝統的な驚異の部屋とパラレルだ。ある意味、今じゃみんなが携帯端末で驚異の部屋を持ち歩いているようなものさ。おかげで、僕らはちょっと刺激に対して、鈍感になっているんじゃないかな。」
2000年代の初頭以来、ディスプレイの前でヴァーチャルな時間を過ごすことが多くなった反動として、人々はリアルな世界を感じさせてくれるもの、触覚的なものを強く求めるようになり、それが今の剥製ブームの原因ではないか? コーンはそう推測します。

剥製が自然のままに朽ちていく様や、あるいは剥製を自作する人であれば、動物の身体を切り裂き、生命を支えてきた内臓器官を直接目にする経験も、リアルな世界とのつながりを回復する手段となりえます。
「みんながヴァーチャルなコレクションをするようになった。だから今度は何かリアルな経験をしたくなった。今起こっているのはそういうことじゃないかな。手仕事や、地元の食材を食べること、そういう何かその土地と結びついたものや、個性的なものが、今じゃどんどん価値を高めているよね。養蜂とか、クロスステッチとか。剥製づくりもそうだね。」
これは要するに、人々の自然回復志向に、剥製ブームを位置づける見方です。
★
そうした志向は、当然、IKEAの家具とか、ミッドセンチュリー・スタイルのマスプロ製品を拒否する姿勢とも結びつき、2000年代以降の若い骨董マニアや、スチームパンカーによるヴィクトリア時代への回帰と同根だという見方もできます。
サイエンス番組「Oddities〔無理に訳せば『ふしぎ大百科』?〕」の共同司会者である、ライアン・マシュー・コーンの場合は、「自然回帰」よりもむしろ、この「反モダニズム」という部分にウェイトがあります。
「僕の家にはIKEAの家具なんて影も形もないよ。なんでみんなが1950年代の模倣をしたがるのか、僕にはさっぱり分からない。その美意識は紋切り型だし、誰もが抑圧されていた時代さ。その頃だったら、僕は自分のやりたいことの半分もやれなかったろうね。ヴィクトリア時代には多くのことが未知だった。だからこそ、いっそうワイルドな時代だったのさ。…鹿の頭を欲しいと思ったことはないな。僕はアメリカにないものが欲しいんだ。だから、田舎のフリーマーケットに行ったらこう聞くね。『やあ、猿はないかい?』って。」
コーンは、単なる珍奇さよりも、古びた博物館の空気にどうしようもなく惹かれていて、その点で、いわゆるスチームパンク趣味ともちょっと違います。彼は子どもの頃からアメリカ自然史博物館のとりこになっており、今でも自宅を博物館風にすることに執着している…というのは、また後で述べます。
★
コーンの剥製趣味は、基本的に「反モダニズム」的な美意識に基づくものですが、彼はそのいっぽうで、最近の剥製ブームをもたらした、もう一つの現実的な要因も指摘しています。それはリーマンショック以降の景気低迷です。
「景気後退の時期には、みんなソーホーで新品を買う余裕なんてなかったよね。キズもののアンティークを買うとなれば、自分でちょっと手を入れなきゃならないけど、そうすることで、そこに流れる美意識と触れ合うこともできるわけさ。」
アンティークについての人気ブロガー、ブルックリン在住のホーヴィ姉妹も、経済苦境によって、アンティークに新しい市場が生まれたことを認めています。
「びっくりするのは、こういうアンティークが、どれもとても安く買えることよ。eBayさまさまね。そしてあちこちのフリーマーケットを何時間もぐるぐる回るの。私たちが持っている物で高価なものはほとんどないけれど、どれもこれもみんな大好き!」
もちろん、今なら手頃な価格の古物たちも、元をたどればコロニアル・スタイルや貴族趣味の、いわば金満的な品々であったのは皮肉ですが、当時幅を利かせていたのが、狩猟熱と剥製愛好癖でした。
「『異国と自然を征服する金持ちの白人』の美学が、政治的に100%正しいとは思わないわ。でも、これらのオブジェはやっぱり美しいと思わない?過去の時代がパーフェクトでなかったことは認めるにしても。」

★
元記事を私なりに咀嚼すると、剥製ブームの背後にあるのは、「リアル世界への回帰」、「ネイチャー志向」、「反モダニズム」、「ヴィクトリアン・アンティークの値頃感」といった要因だということになります。もちろん、これはひとつの仮説で、ほかにもいろいろな要因はありうるでしょう。
個人的に考えると、80年代の博物学リバイバル―これは荒俣宏さんに限らず、世界中で同時並行的に起きた現象のようです―が、その下地にあり、さらに2000年以降、オンライン売買の普及によって、景気後退の件とは別に、古物の取引のあり様が根本的に変わったことを上げないと片手落ちのような気がします。
★
ともあれ、こうして巻き起こった剥製ブームですが、そこにはまた2つの対立する流れがあり、一口に剥製ブームと言っても、なかなか一筋縄ではいきません。
(この項つづく)
ミネソタはぐれ剥製師連盟とは? …剥製を熱く語る人々(その1) ― 2012年02月12日 17時34分58秒
【急いで訂正】
よく見たら、rogue(ごろつき、はみ出し者)とrouge(ルージュ)を見間違えていました。表題を上記のとおり訂正します。“紅色剥製師”…何とも素敵な名称なんですけれどね(私がそう名乗ろうかしら)。
★
(↑ サイエンス・チャンネル「Oddities」の共同司会者、Ryan Matthew Cohn の自宅風景。下記ページより寸借)
よく見たら、rogue(ごろつき、はみ出し者)とrouge(ルージュ)を見間違えていました。表題を上記のとおり訂正します。“紅色剥製師”…何とも素敵な名称なんですけれどね(私がそう名乗ろうかしら)。
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(↑ サイエンス・チャンネル「Oddities」の共同司会者、Ryan Matthew Cohn の自宅風景。下記ページより寸借)
大変興味深い記事を読みました。そして大いに考えさせられました。
■Taxidermy Comes Alive! On the Web, the Silver Screen,
and in Your Living Room
(Collectors Weekly 2011年9月27日号)
http://www.collectorsweekly.com/articles/taxidermy-comes-alive/
筆者のリサ・ヒックスは、フリーのライター。 彼女は、剥製の作り手、コレクター、研究者、ディーラーなど、あちこちに取材して、「剥製界の今」をさまざまな角度から描いています。
それにしても皆さんはご存知でしたか? 今、剥製が熱いブームだということを。
記事によれば、剥製ブームは2000年代初期、都会の尖端的な人々(urban hipsters)や自作派アーティスト(do-it-yourself artists)の間から始まり、今や米国ではすっかりポピュラーなものになっているそうです。
これは第2次大戦後に生じた剥製ブームから、半世紀を隔てた再流行で、家庭でも店舗でも、最近はあちこちに鹿やらカモシカやらの首や角が飾られ、その需要を満たすために、紙やプラスチックでできたイミテーションまで売られているというのです。
そうしたブームの中で、あのデロールも、ファッショナブルな存在として銀幕に登場し、ウッディ・アレンが監督したロマンティック・コメディ、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)では、デロールが不思議なパーティー会場として出てくるという具合。(注:今確認したら、予告編にもチラリと写っています。http://www.youtube.com/watch?v=qPev0UA0lmw ← 1分15秒のあたりを見てください。)
最近では、モデルのケイト・モスや、歌手のコートニー・ラブ、コメディアンのエイミー・セダリス、カリスマ主婦のマーサ・スチュアートといったセレブたちも、こぞって剥製を手元に置いて愛玩しているし、剥製関連本も続々と出版され、いずれも売れ行き好調だとか。
そんな中、2004年に、3人のアーティスト(=ロバート・マーベリー、スコット・ビーバス、サリーナ・ブリュワー)が立ち上げたのが、現代アートとしての剥製に取り組む 「ミネソタはぐれ剥製師連盟 (Minnesota Association of Rogue Taxidermists)」です。彼らは、伝統的な剥製師からは異端視されているものの、今や世界中で50人以上のアーティストを擁する、剥製界の新勢力。
さて、そうした剥製界の表面的な活況の奥で、いったい何が起きているのか、何がこのブームをもたらしたのか、リサの記事は「業界人」の間でも様々に意見の分かれるこのブームの背景に、鋭く切り込んでいくのですが、それはまた次回。(面倒でない方は、どうぞ元記事をご覧ください。)
【付記】
それにしても、マイブームとしての「驚異の部屋」熱は、この海外の剝製ブームとは独立に生じたものだと思っていましたが、よく考えたらそうではないかもしれません。
東大総合研究博物館で「ミクロコスモグラフィア マーク・ダイオンの[驚異の部屋]展」(2002-2003)が開催されたことや、1990年代末からデロールがメディアに露出度を高め、時代の寵児となっていく過程は、この「アートとしての剥製」ブームと必ずや結びついているはずであり、そして、私は両者から強い影響を受けているので、剥製ブームの影響を間接的に蒙っている気がします。
人間の自由意志とはいったい何なのか? 私は時代の趨勢とは無関係に、自分の興味のままに振る舞ってきたつもりでしたが、実は時代の手の上で踊っていただけなのか? 考えてみると、ちょっと不気味な話です。
人体模型の現在(いま) ― 2012年02月06日 19時47分21秒
机の上を片付けていたら、去年の新聞の切り抜きが出てきました。
メーカーが語る、当代の人体模型事情。
元記事は、朝日新聞 2011年11月3日朝刊。
メーカーが語る、当代の人体模型事情。
元記事は、朝日新聞 2011年11月3日朝刊。
********************* 引用ここから *********************
学校モノがたり/人体模型さわって学ぶ
夜になると校舎内を歩く。ときどき「本物」が交じっている―。都市伝説ならぬ学校伝説の筆頭格といえば、理科室のあの人、人体模型だ。
内臓系と骨格系がある。どちらも現在は多くが外国製。学校向け価格は4万~50万円で、国産は高め。理科室に住み始めた歴史は長く、精密機器メーカー島津製作所の創業記念資料館(京都市)によると、明治20年代には学校向けに造られていたようだ。
教材会社アーテック(大阪府八尾市)によると、素材はプラスチック。骨格の場合、例えば肋骨は25パーツに分けて金型を作り、溶かして流し込む。留め合わせて完成だ。
小学校では4年生が関節の動きを勉強する。なるほど、精巧な腕の動き。ん? 手首はありえないぐらい反りますね。「ひじの部分で学ぶので…。そこはご愛敬」と藤原悦専務(40)。
同社では160センチ、85センチ、42センチを用意する。最近はグループ学習向けの小型が人気。「大勢を前に解説する形は古いんです。一人ひとりがさわれる方が記憶にも残ります」
ところで、昔から気になっていたこと。モデルは男?それとも女? 答えは「どちらもいる」。アーテックの場合、すべて女性。たたずむスペースが小さくて済むのが理由だとか。 (山下知子)
工場で出荷を待つ人体骨格模型 =中国浙江省、アーテック提供
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上の写真、まるでダンス・マカブル(死の舞踏)の出を待つ亡者の群れのようですね。
まあ、何にせよ、人体模型も世につれ…の感が深いです。
今では、愛すべき骸骨たちも海外での生産が主で、しかも大型の模型は流行らないとは知りませんでした。
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「どうだい、君はもう古いんだそうだ。」
「ふん、別に否定はせんよ。まあ、せいぜいお互い『古い』と書いて『美しい』と読むことにしようや。」
彼はそう言って、薄闇の中、カラカラと哄笑するのでした…































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