些話はじめ2024年01月01日 15時22分38秒

新年明けましておめでとうございます。
本日は快晴。昨日の雨に洗われたおかげで、空の色も周囲の光景もさっぱりして見えます。


卯から辰へ、恒例の干支の引き継ぎをするのに、龍の役はやっぱり恐竜かなあ…と思いましたが、考えてみると龍は水に縁があるものですから、ここは海の王者・モササウルスにその役をお願いしました。

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龍といい、ドラゴンといい、その姿は足があったりなかったり、羽があったりなかったり、いずれも変異が大きいですが、荒俣宏氏の『世界大博物図鑑3 両生・爬虫類』の龍・ドラゴンの項をひもとくと、少なくとも東洋の龍は、同じ種類でも成長にしたがって姿と名前が変わるんだそうです。


すなわち中国の『述異記』の述べるところ、「水虺(すいき)は500年にして蛟(こう)と化し、蛟は1000年にして龍と化し、龍は500年にして角龍と化し、角龍は500年にして応龍と化す」のだとか。

荒俣さんの解説には、「水虺は水にすむマムシ、要するに海蛇のことだろう。これが500年たつと蛟(みずち)に化ける。蛟は龍のなかまだが、眉が交叉するので蛟といい、よく魚を引き連れて飛ぶ。次の龍は角を持たず、角を生じると角龍になり格上げとなる。最後が有翼の応龍で…」云々とあります。なんだか出世魚やシン・ゴジラみたいですね。

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荒俣さんの上掲書には、「ドラゴンの歯」は幸運と健康を約束するお守りだとも書かれていました。

皆さまのご多幸を祈りつつ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

骨のある話2023年01月01日 10時11分34秒

新年明けましておめでとうございます。
干支が寅から卯にバトンタッチしたので、今年も骨のある話でスタートです。


上はトラ…ならぬネコに代役を努めてもらいました。ただし本物ではなくて、プラスチック製の模型です。下のウサギの骨はずいぶん傷んでいますが、フランスのオゾー社製という由緒を持ち、創業者のオゾー博士のことと併せて、だいぶ前に一文を書きました。

■博物趣味の欠片…ウサギの骨とドクトル・オゾー

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こんな風に元旦はいつも骨の話題で始まっている気がしたのですが、さっき確認したら、その始まりは2019年からで、そんなに昔のことではありませんでした。
これまで登場した骨のある顔ぶれは、以下のとおりです。

(2022年 丑→寅(ネコ))

(2021年 子→丑)

(2020年 亥→子)

(2019年 戌(オオカミ)→亥)

この調子で干支が一巡するのは、7年後の2030年で、それまでこのブログが続いているかどうか、すこぶる怪しいですが、これまでも途中失速しながら、結構しぶとく続いているので、意外に半々ぐらいの確率でいけそうな気もします。

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室町時代の一休和尚は、正月早々、骸骨をぶら下げた杖をついて歩きながら、「正月は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と詠んだと伝わります。この逸話は後世の脚色も加わっているみたいですが、広く人口に膾炙しているのは、やはり人々の心にズシッとくる真実を含んでいるからでしょう。

今朝起きたら、大掃除の余波で、腰から腿にかけてひどく痛みました(今も痛いです)。これもまた「めでたくもあり、めでたくもない」話ですが、でもこうして呟けるうちは、まだめでたい部類なんだろうなあ…と、自らの骨を撫でさすりながら思いました。

…と、今年もこんな無駄話を暇にあかせて書き綴っていきます。
どうかよろしくお付き合いのほど願います。

カエルの発生2022年08月16日 06時09分05秒

そういえば、こんなものもあったなあ…というシリーズ。
今回はカエルの発生過程を、1本のアクリル棒に封じ込めたものです。

(長さ153mm)

これはいつ、どこで手に入れたのかはっきり覚えていません。いかにも印象が薄いのは、カエルの発生標本としては別の品がすでに手元にあって、そちらの方がモノとしては確かだからです。それは発生段階ごとに個別にプレパラート化したもので、このブログでは6年ばかり前に登場済み。

■めぐる命

今回の品も顕微鏡で覗けば、いくぶん鮮明さを欠くものの、卵割の様子を観察することはできます。でも、たぶんこれは観察目的の品というよりも、多分にシンボリックな存在というか、生命の不思議がこうして1本のアクリル棒に封じ込められているのを眺めて、「ほお…」と感慨にふけるための品のような気がします。


昔の理科室には(今も?)、オタマジャクシから、後肢が出て、前肢が出て、さらに尻尾が短くなって、立派な親ガエルになるまでの過程を液浸標本にしたものが飾られていましたが、今回の品はあれと対になるものでしょう。

(戦前の理科教材カタログより。「蛙発育順序標本:卵ヨリ成長迄ノ順序ヲ十一段ニ表ハセルモノ」)


標本はアクリル棒の中心ではなく、一つの面に偏って(およそその2ミリ下に)埋め込まれています。


全体は飴色というか、寒天色というか、薄い黄色みを帯びています。
いかにも時代を経た感じが、個人的には好ましいのですが、アクリルの真骨頂はあくまでも無色透明さにあるので、このように黄変することは一般的には望ましくないでしょう。

そもそも何で黄変するかといえば、多くの場合、紫外線が原因だと耳にします。
改めてネットを徘徊すると、高分子化合物が吸収した紫外線のエネルギーが、ポリマーの水素原子を切断してラジカルを生成し、そのラジカルと空気中の酸素が結合することでペルオキシラジカルが生じ、さらに…というようなことが書いてあります。しかとは分かりませんが、平たくいえば、紫外線は一連の光化学作用により、アクリル内部に酸化劣化をもたらすということのようです。

それによって、化合物内部にカルボニル基・アゾ基等、可視領域に吸収スペクトルを持つ「発色団」が生成され、色づいて見える…というのも、私には理解の及ばない事柄ですが、分かる人には分かるのでしょう。

カエルの発生も、いったんサイクルが回り出すと、一連のステップが自動的に繰り広げられ、不可逆に進むという点では、アクリルの黄変と似たものを感じますが、それは単なる比喩に過ぎないのか、あるいは比喩以上の意味があるのか、この辺はもう少し思案が必要です。

丑から寅へ2022年01月01日 08時44分50秒

喪中のため新年の賀詞は控えさせていただきますが、本年も何卒よろしくお願いいたします。

さてここ数年、干支の交代を「骨」で確認するのを年初の例としてきましたが、トラの骨はさすがにないので、ネコに代わってもらいます。


写真はイエネコの全身骨格と、その足元に置かれたボス・プリミゲニウス(家畜牛の原種)の化石骨。ネコの方は本物ではなくて、プラスチック製模型です(狭い場所に置くとつっかえるので、尾椎を外してあります)。


去年の写真と比べるとなかなか感慨深いですね。
ネズミに比べればネコは巨大ですが、そのネコもトラにくらべればネズミのようなものです。牛も鼠も猫も虎も(そしてヒトも)、元をたどればすべて共通祖先に行きつくわけですが、有無を言わさぬ進化の圧は、100万年単位の時間を使って、これだけ多様な作品を生み出しました。でも、その目まぐるしい変化の向こうにも、やっぱり貫く棒のごときものはあるでしょう。

遠い日のカブトガニ2021年12月01日 07時36分30秒

ティラノサウルスがひと頃、全身に羽をはやして、しかもそれが妙にカラフルだった時期があります。鳥は恐竜の子孫ということに決まって、恐竜の方も自ずと鳥に寄せる形でイメージチェンジが図られていた頃の話です。そういう姿をメディアでも盛んに目にしました。でも、最近はどうやら脱毛に励んでいるらしく、再び爬虫類らしい姿に戻ってきました。

絶滅した古生物は、過去のある時点で文字通り化石化して、微塵もその姿を変えることはないはずですが、学問の目を通して浮かび上がるその姿は、学問の進展に伴って、ときに驚くほど形を変えます。そういうことも、人間の短いタイムスケールのうちに「懐かしい古生物」というねじれた存在が生まれる一因です。

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そんなことを思ったのは、三葉虫を見ると、自分が反射的にカブトガニを思い出すことに気付いたからです。


昔、私が子供のころは「カブトガニは三葉虫の子孫だ」と言われていました。


それは主に見た目の類似から人気のあった説らしく、たしかにカブトガニの「カブト」、すなわち体の前半部は三葉虫の頭部とよく似た形をしています。

でも、ウィキペディアの「カブトガニ類」の項をざっと見ただけでも、そういう素朴な説はもう過去のもので、三葉虫とカブトガニは確かに共通祖先を持つものの、かなり遠縁の関係にあると、今では考えられているようです。

(ウィキペディア「鋏角類#系統関係」の項所載の図を加工)

それにはいろいろな根拠があるので、たぶんその通りなのでしょう。
でも、小学校の理科室の棚に置かれていたカブトガニの標本と、それを三葉虫と結び付けて考えていた私の思い出は、そうした新説によって上書きされることはなく、依然「三葉虫の子孫であるカブトガニ」が私の中には棲んでおり、「それでこそカブトガニだ」という思いがあります。今は消え去った、あの懐かしいカブトガニの面影。

(いかにも古生代な腹面)

考えてみれば、これは旧弊な「男らしさ/女らしさ」にこだわるアナクロな人のようなもので、生身のカブトガニに、実際にはない「カブトガニらしさ」を求めているだけとも言えます。カブトガニにとっては、はなはだ迷惑なことでしょう。でも、そのイメージを自分の中だけにそっとしまっておくぐらいは、どうか許してほしいです。

缶の中に眠る宝石2021年03月20日 07時37分37秒



昨日の標本セットには相棒がいます。


同じイギリスの業者が扱っていたものですが、こちらは「Rough Precious Stones」とラベルにあるように、貴石・半貴石のラフストーンを20種集めたもの。昨日の鉱物コレクションのラベルとは、筆跡が違って見えますが、筆記体とブロック体の違いもあるので、別筆と断ずることもできません。少なくとも木箱と中身のティン缶は全く同じで、以前の所有者も同じ(はず)です。


宝石というのはきらきらしてナンボでしょうが、ここに見られるのは、それとはずいぶん違った表情です。ここでは石そのものを愛でるというよりも、古びた金属缶、曇った板硝子、その奥に見えるザラザラした石の肌、そこに浮かぶ鮮やかな色彩…それらが一体となって醸し出す風情を愛でたい気がします。


元の所有者も、きっとこの「きっちり感」をいとおしく感じたのでしょうね。

鉱物趣味の大きな要素に「結晶の美」というのがあります。
明快で幾何学的な形象の面白さ。原子と分子のロジックが生み出す構造美。
箱の中にきっちり収まった円環の行列が放つ魅力は、ちょっとそれに似ている気がします。

鉱物古玩…缶入り鉱物標本セット2021年03月19日 19時20分52秒

年度替わりの時期、面倒な仕事の山を片づけながら、「これもプチ終活みたいなものか…」とひとりごちています。ただ、実際の終活とはちがって、こちらはやり残しが許されないムードがあるので、いっそう人生に倦み疲れた気分になっています。

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さて、いつもの机の上にポンと置いた木箱。


大きさは15.5×19cm、高さは4cmほどですから、そう大きなものではありません。新書版よりは大きい、ほぼ選書サイズ(四六版)です。


蓋をぱかっと開けると、中には鉱物標本が20種、円筒形の容器に入って、きっちり収まっています。


中身とラベルをじっくり照合したことがないので、正体不明の点もありますが、ラベルのほうは19種の鉱物名が挙がっているので、どれか1個重複しているようです。

(ガラスの反射を避けて、正面から見たところ)

それにしても、この風情はどうでしょう。
まず、このきっちり感がいいですね。そして「マホガニーケースに入った19世紀の鉱物標本セット」という存在自体が、主役であるはずの鉱物以上に魅力を放っています。こういう鑑賞態度は、純粋な「鉱物趣味」とも言い難く、いわば「鉱物古玩趣味」でしょうか。

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この標本セットに関して、もう1つ強い興味を覚えたのは、この収納容器。
鉱物コレクターの中には、小さなガラス蓋のついたアルミケースを標本入れにしている方もいらっしゃるでしょう。100均とかだと、「ティンケース」の名称で売られています。

(ネットショップで見かけたティンケース。 出典:https://store.shopping.yahoo.co.jp/biwadaya/6ari15-5.html#

あれは小さな標本の整理にはなかなか便利なものですが、ただ、古い標本は紙箱入りというイメージがあるので、ティンケースの使用は何となく新しい習慣のように思っていました。でも、実際にこういう例があるので、その使用は少なくとも19世紀の末に遡ることになります。


ティンケースは今ではアルミ製ですが、本来は文字通り「ティン(tin)」、すなわち錫ないしブリキ製だったのでしょう。この標本に使われているのがまさにそれです。
当初は白銀の輝きとガラスの透明感にあふれていたものが、100年以上の歳月を経て、すっかりアンティークの表情となり、鉱物古玩趣味に強く訴えかけてきます。

ヴィクトリア時代のプレパラート標本(その2)2021年03月02日 18時22分26秒

(前回のつづき)


トレイが12段、各段6枚ずつ、全部で72枚のプレパラート標本がここには収納されています。


箱に貼られたラベルにはロンドンの「Millkin & Lawley」社のラベルがあり、さっそく前回の記事でリンクしたアンティーク・プレパラートのページを見ると、ここは1820年の創業で、1854年以降に「Millkin & Lawley」名義になった…とあります(個人商店だと、代替わりや合併に伴って、社名が変わることはよくありました)。店をたたんだ時期は書かれていませんが、別のネット情報によると、1930年代まで存続したそうです。

ただし、中身の標本もすべて同社の製作かというと、各標本に貼られたラベルに見られるメーカー名は様々で、おそらく外箱だけが同社の製品で、中身の方は購入者が自前で揃えたのでしょう。(セットにはメーカー名のない、元の所有者の自製と思われる標本も多く含まれます。)


ここに含まれる標本は実に多様です。
でも、そもそもこんな風にすっきりと標本を整理できるようになったのは、スライドグラスの規格が統一されたおかげで、それは1840年に、ロンドン顕微鏡学会(現・王立顕微鏡学会)が創設されたことが機縁となっています。そして、このとき決まった3×1インチ(75×25ミリ)という規格が、今でも世界中で使われているのだ…と、前々回に引用したターナーの本には書かれていました。

(アンティーク・プレパラート標本のいろいろ。下に並ぶのは規格化後、その上は規格化前のもの。L’E Turner 前掲書より。)

さて、上で“多様”と書きましたが、元の持ち主の興味・関心を反映して、この標本セットには、ある明瞭な特徴があります。それは蟲類(昆虫やクモ等)の標本が大半を占めることで、元々私も昆虫好きな子供だったので、これはちょっと嬉しかったです。


12枚ある各トレイは、それぞれ内容の類似したものでまとめられていますが、トレイ数で大雑把にいうと、蟲類が8、珪藻類が2、その他もろもろの動植物が2…という構成。

(左・イトトンボの一種、中央・ハサミムシの一種)

そして、その標本づくりの方法がこれまた多様で、上の写真のように虫体を丸ごと薄く熨(の)してプレパラートにしたものもあれば、

(右・ミツバチの口器)

こんな風に、虫体を解剖して部分的に標本化したものもあります。

(中央・ゾウムシの一種)

中には、厚みのある空間に、虫体をそのまま封じ込めた標本もあって、こうなるとプレパラート標本というよりも、普通の昆虫標本に近いですが、なかなか面白い工夫です。

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こんな風に見ていくと際限がありませんが、最後に「その他もろもろ」のトレイで見つけた素敵な標本を載せておきます。


木材やユリの茎の切片に挟まれて、美しく輝く「何か」。


その正体は、ハチドリの羽の輝きを封じ込めたプレパラートです。

現代文明を作ったもの2021年01月24日 09時55分00秒

現代文明を作った究極のものとは何か?
電気でしょうか?それとも通信技術でしょうか?
あるいはコンクリート?近代教育制度?

いろいろな考え方があるとは思いますが、下の箱の中に、私が思う究極のものが入っています。イギリスの業者の言い分によれば、オーストリアで使われた1950年頃の学校教材だそうです。

(箱の大きさは30×40cm)

その中身は…


これです。私が考える、現代文明を作った究極のものとは「化石燃料」
上の教材は、さまざまな産状の石炭と石油精製物のサンプルをセットにしたものです。

文明とは人間の活動の総体であり、当然エネルギーを必要とします。
そして近代以降、人間社会が飛躍的な変化を遂げた根本原因は、人類が化石燃料という膨大なエネルギー源を手にしたからだ…というのが、私の考えです。その基本構図は、おそらく200年前も、今も変わってないでしょう。

今もこうしてキーボードをカシャカシャ叩いて、IT技術こそ現代文明の根幹のような気になっていますが、一皮むけば、今もこれらの顔触れが、それを下支えしているはずです。(ここに顔を出していない大立者は天然ガスですが、それもまた化石燃料です。)


右側の石炭ファミリーは、いかにも地味ですが、左側の石油ファミリーは、こう言ってよければ、「きれいな」表情をしています。

前者が、原木から泥炭、さらに亜炭褐炭瀝青炭無煙炭へと、自然の大地が長い時間をかけて、徐々に石炭化を進めた結果であるのに対し、後者はガソリンにしろ、重油軽油にしろ、その他パラフィンや各種の機械潤滑油にしろ、すべて人間がせっかちに分留・混和してこしらえたものという点が、両者の印象の違いを生んでいる気がします。(もっとも、大地だってその気になれば、数々の宝石を生み出す力がありますが、やっぱり時間はかかります。)

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化石燃料の使用は、典型的な「過去の遺産を食いつぶす」行為に他なりません。
近代社会とは、勤勉と合理性を貴ぶ社会だ…と聞きますけれど、何となくそれと真逆の匂いを感じるのは、そういう「居食い」生活を、漫然と続けているからです。
もちろん私もその恩恵を受けているので、そのことに口をつぐむべきではありませんが、事態を突き放して見れば、やっぱり上のような次第だと思います。


【雑記】

余談ですが、昨日は「天文古玩」の15周年でした。ついに元服です。
途中でブログの営業終了を宣言し、その後営業再開を宣言した覚えはないので、厳密にいうと15周年とも言い難いですが、仮に今も生きていれば15歳になります。いわゆる死んだ子の齢を数えるというやつですね。でも、ご覧のとおり完全に死んだわけでもないので、半死半生のまま15周年ということにしておきます。