丑から寅へ ― 2022年01月01日 08時44分50秒
喪中のため新年の賀詞は控えさせていただきますが、本年も何卒よろしくお願いいたします。
さてここ数年、干支の交代を「骨」で確認するのを年初の例としてきましたが、トラの骨はさすがにないので、ネコに代わってもらいます。
写真はイエネコの全身骨格と、その足元に置かれたボス・プリミゲニウス(家畜牛の原種)の化石骨。ネコの方は本物ではなくて、プラスチック製模型です(狭い場所に置くとつっかえるので、尾椎を外してあります)。
去年の写真と比べるとなかなか感慨深いですね。
ネズミに比べればネコは巨大ですが、そのネコもトラにくらべればネズミのようなものです。牛も鼠も猫も虎も(そしてヒトも)、元をたどればすべて共通祖先に行きつくわけですが、有無を言わさぬ進化の圧は、100万年単位の時間を使って、これだけ多様な作品を生み出しました。でも、その目まぐるしい変化の向こうにも、やっぱり貫く棒のごときものはあるでしょう。
遠い日のカブトガニ ― 2021年12月01日 07時36分30秒
ティラノサウルスがひと頃、全身に羽をはやして、しかもそれが妙にカラフルだった時期があります。鳥は恐竜の子孫ということに決まって、恐竜の方も自ずと鳥に寄せる形でイメージチェンジが図られていた頃の話です。そういう姿をメディアでも盛んに目にしました。でも、最近はどうやら脱毛に励んでいるらしく、再び爬虫類らしい姿に戻ってきました。
絶滅した古生物は、過去のある時点で文字通り化石化して、微塵もその姿を変えることはないはずですが、学問の目を通して浮かび上がるその姿は、学問の進展に伴って、ときに驚くほど形を変えます。そういうことも、人間の短いタイムスケールのうちに「懐かしい古生物」というねじれた存在が生まれる一因です。
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そんなことを思ったのは、三葉虫を見ると、自分が反射的にカブトガニを思い出すことに気付いたからです。
昔、私が子供のころは「カブトガニは三葉虫の子孫だ」と言われていました。
それは主に見た目の類似から人気のあった説らしく、たしかにカブトガニの「カブト」、すなわち体の前半部は三葉虫の頭部とよく似た形をしています。
でも、ウィキペディアの「カブトガニ類」の項をざっと見ただけでも、そういう素朴な説はもう過去のもので、三葉虫とカブトガニは確かに共通祖先を持つものの、かなり遠縁の関係にあると、今では考えられているようです。
(ウィキペディア「鋏角類#系統関係」の項所載の図を加工)
それにはいろいろな根拠があるので、たぶんその通りなのでしょう。
でも、小学校の理科室の棚に置かれていたカブトガニの標本と、それを三葉虫と結び付けて考えていた私の思い出は、そうした新説によって上書きされることはなく、依然「三葉虫の子孫であるカブトガニ」が私の中には棲んでおり、「それでこそカブトガニだ」という思いがあります。今は消え去った、あの懐かしいカブトガニの面影。
(いかにも古生代な腹面)
考えてみれば、これは旧弊な「男らしさ/女らしさ」にこだわるアナクロな人のようなもので、生身のカブトガニに、実際にはない「カブトガニらしさ」を求めているだけとも言えます。カブトガニにとっては、はなはだ迷惑なことでしょう。でも、そのイメージを自分の中だけにそっとしまっておくぐらいは、どうか許してほしいです。
缶の中に眠る宝石 ― 2021年03月20日 07時37分37秒
昨日の標本セットには相棒がいます。
同じイギリスの業者が扱っていたものですが、こちらは「Rough Precious Stones」とラベルにあるように、貴石・半貴石のラフストーンを20種集めたもの。昨日の鉱物コレクションのラベルとは、筆跡が違って見えますが、筆記体とブロック体の違いもあるので、別筆と断ずることもできません。少なくとも木箱と中身のティン缶は全く同じで、以前の所有者も同じ(はず)です。
宝石というのはきらきらしてナンボでしょうが、ここに見られるのは、それとはずいぶん違った表情です。ここでは石そのものを愛でるというよりも、古びた金属缶、曇った板硝子、その奥に見えるザラザラした石の肌、そこに浮かぶ鮮やかな色彩…それらが一体となって醸し出す風情を愛でたい気がします。
元の所有者も、きっとこの「きっちり感」をいとおしく感じたのでしょうね。
鉱物趣味の大きな要素に「結晶の美」というのがあります。
明快で幾何学的な形象の面白さ。原子と分子のロジックが生み出す構造美。
箱の中にきっちり収まった円環の行列が放つ魅力は、ちょっとそれに似ている気がします。
鉱物古玩…缶入り鉱物標本セット ― 2021年03月19日 19時20分52秒
年度替わりの時期、面倒な仕事の山を片づけながら、「これもプチ終活みたいなものか…」とひとりごちています。ただ、実際の終活とはちがって、こちらはやり残しが許されないムードがあるので、いっそう人生に倦み疲れた気分になっています。
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さて、いつもの机の上にポンと置いた木箱。
大きさは15.5×19cm、高さは4cmほどですから、そう大きなものではありません。新書版よりは大きい、ほぼ選書サイズ(四六版)です。
蓋をぱかっと開けると、中には鉱物標本が20種、円筒形の容器に入って、きっちり収まっています。
中身とラベルをじっくり照合したことがないので、正体不明の点もありますが、ラベルのほうは19種の鉱物名が挙がっているので、どれか1個重複しているようです。
(ガラスの反射を避けて、正面から見たところ)
それにしても、この風情はどうでしょう。
まず、このきっちり感がいいですね。そして「マホガニーケースに入った19世紀の鉱物標本セット」という存在自体が、主役であるはずの鉱物以上に魅力を放っています。こういう鑑賞態度は、純粋な「鉱物趣味」とも言い難く、いわば「鉱物古玩趣味」でしょうか。
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この標本セットに関して、もう1つ強い興味を覚えたのは、この収納容器。
鉱物コレクターの中には、小さなガラス蓋のついたアルミケースを標本入れにしている方もいらっしゃるでしょう。100均とかだと、「ティンケース」の名称で売られています。
(ネットショップで見かけたティンケース。 出典:https://store.shopping.yahoo.co.jp/biwadaya/6ari15-5.html#)
あれは小さな標本の整理にはなかなか便利なものですが、ただ、古い標本は紙箱入りというイメージがあるので、ティンケースの使用は何となく新しい習慣のように思っていました。でも、実際にこういう例があるので、その使用は少なくとも19世紀の末に遡ることになります。
ティンケースは今ではアルミ製ですが、本来は文字通り「ティン(tin)」、すなわち錫ないしブリキ製だったのでしょう。この標本に使われているのがまさにそれです。
当初は白銀の輝きとガラスの透明感にあふれていたものが、100年以上の歳月を経て、すっかりアンティークの表情となり、鉱物古玩趣味に強く訴えかけてきます。
ヴィクトリア時代のプレパラート標本(その2) ― 2021年03月02日 18時22分26秒
(前回のつづき)
トレイが12段、各段6枚ずつ、全部で72枚のプレパラート標本がここには収納されています。
箱に貼られたラベルにはロンドンの「Millkin & Lawley」社のラベルがあり、さっそく前回の記事でリンクしたアンティーク・プレパラートのページを見ると、ここは1820年の創業で、1854年以降に「Millkin & Lawley」名義になった…とあります(個人商店だと、代替わりや合併に伴って、社名が変わることはよくありました)。店をたたんだ時期は書かれていませんが、別のネット情報によると、1930年代まで存続したそうです。
ただし、中身の標本もすべて同社の製作かというと、各標本に貼られたラベルに見られるメーカー名は様々で、おそらく外箱だけが同社の製品で、中身の方は購入者が自前で揃えたのでしょう。(セットにはメーカー名のない、元の所有者の自製と思われる標本も多く含まれます。)
ここに含まれる標本は実に多様です。
でも、そもそもこんな風にすっきりと標本を整理できるようになったのは、スライドグラスの規格が統一されたおかげで、それは1840年に、ロンドン顕微鏡学会(現・王立顕微鏡学会)が創設されたことが機縁となっています。そして、このとき決まった3×1インチ(75×25ミリ)という規格が、今でも世界中で使われているのだ…と、前々回に引用したターナーの本には書かれていました。
(アンティーク・プレパラート標本のいろいろ。下に並ぶのは規格化後、その上は規格化前のもの。L’E Turner 前掲書より。)
さて、上で“多様”と書きましたが、元の持ち主の興味・関心を反映して、この標本セットには、ある明瞭な特徴があります。それは蟲類(昆虫やクモ等)の標本が大半を占めることで、元々私も昆虫好きな子供だったので、これはちょっと嬉しかったです。
12枚ある各トレイは、それぞれ内容の類似したものでまとめられていますが、トレイ数で大雑把にいうと、蟲類が8、珪藻類が2、その他もろもろの動植物が2…という構成。
(左・イトトンボの一種、中央・ハサミムシの一種)
そして、その標本づくりの方法がこれまた多様で、上の写真のように虫体を丸ごと薄く熨(の)してプレパラートにしたものもあれば、
(右・ミツバチの口器)
こんな風に、虫体を解剖して部分的に標本化したものもあります。
(中央・ゾウムシの一種)
中には、厚みのある空間に、虫体をそのまま封じ込めた標本もあって、こうなるとプレパラート標本というよりも、普通の昆虫標本に近いですが、なかなか面白い工夫です。
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こんな風に見ていくと際限がありませんが、最後に「その他もろもろ」のトレイで見つけた素敵な標本を載せておきます。
木材やユリの茎の切片に挟まれて、美しく輝く「何か」。
その正体は、ハチドリの羽の輝きを封じ込めたプレパラートです。
ヴィクトリア時代のプレパラート標本 ― 2021年02月28日 14時52分57秒
顕微鏡趣味の世界も奥が深いです。
そういう世界に生きる人を指す「microscopist」という言葉があって、ふつうに「顕微鏡愛好家」と訳せばいいのでしょうが、もっとニュアンスを出せば「顕微鏡マニア」や「顕微鏡オタク」です。
マイクロスコーピストの中には、最新の機材でバリバリ極微の世界を覗き見る人もいるし、アンティーク顕微鏡を愛でることに特化している人もいます。さらにそこから派生して、アンティークのプレパラート標本をコレクションする人もいます。鉄道ファンと同じで、顕微鏡趣味も一つの根っこから、いろいろニッチな趣味が派生しているわけです。この辺は、私のように漫然と古い理科趣味や博物趣味を愛好する程度のゆるいファンには、到底うかがい知れぬディープな世界です。
イギリスには「クケット顕微鏡クラブ」という、1865年創立の伝統ある団体があって、そのWEBサイトを見れば、顕微鏡趣味の奥深さの一端を感じ取ることができます。
■The Quekett Microscopical Club
(クラブのホームページ)
■Antique microscopes and slides
(同・アンティーク顕微鏡のページ)
■Historical Makers of Microscopes and Microscope Slides
(上からリンクを張られたアンティーク・プレパラート情報の豊富な個人サイト)
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手元にずいぶん前に買った、古いプレパラート標本の木箱入りセットがあります。
何でもかんでも形から入ればいいというものでもありませんが、こういう風情に強く惹かれる自分がいます。野外で虫を追い、貝を拾い、シダ植物を掘り、真鍮の顕微鏡を熱心に覗きこんだ、ヴィクトリア時代の人々の面影。昔の博物趣味の香気…。
とはいえ、これを買った当時の気分を、実は私自身ちょっと思い出しにくくなっています。そして、それを思い出そうとして、15年前に自分が書いた文章を読み返すと、そこにもある種の深い感慨が伴います。大人になってからの15年間は、そんなに長い時間ではないと思っていましたが、やっぱり15年には15年の重みがあります。あの頃は今より元気で、子供たちも小さく、人との出会いがあり、モノとの出会いがあり、それに一喜一憂し…。
そう、ここには二つの思いが重なっているのです。
ヴィクトリア時代の博物趣味への懐旧と、ゼロ年代を生きた私自身のライフヒストリーへの懐旧が。
まあ、こういうのは他の人にはどうでもよいことでしょう。どうでもよいというか、私には私の物語があり、他の人には他の人の物語があり、皆が互いにそれを尊重することが大事なのでしょう。
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話が横滑りしましたが、既にその歴史の1割ぐらいを我が家で過ごした、古いプレパラート標本を久しぶりにのぞき込んで、新たな気分でその風情を楽しもうと思います。
(この項つづく)
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【余談】
ところで、日本語の「プレパラート」のことを、英語ではシンプルに「microscope slide」と呼びます。日本語の方はドイツ語の「Präparat」から来ているそうですが、これは英語の「prepartion」と同義で、文字通りの意味は「準備」です。何の準備かといえば、材料を薄片にしたり、染色したり、カバーグラスの下に封入したり…つまり顕微鏡観察の準備です。
したがって、そうした準備作業の結果でき上った標本までも「プレパラート」と呼ぶのは本来変なのですが、日本では慣用的にそう呼ぶようです。(「プレパラート標本」と呼ぶ方が一層適切だと思いますが、それでも「赤血球のプレパラート標本を作る」というと、「馬から落ちて落馬する」的な冗長表現に感じられます。「赤血球の標本をプレパラートする」というのが、たぶん最も正しい言い方だと思いますが、あまりそうは言わないようです。)
現代文明を作ったもの ― 2021年01月24日 09時55分00秒
現代文明を作った究極のものとは何か?
電気でしょうか?それとも通信技術でしょうか?
あるいはコンクリート?近代教育制度?
いろいろな考え方があるとは思いますが、下の箱の中に、私が思う究極のものが入っています。イギリスの業者の言い分によれば、オーストリアで使われた1950年頃の学校教材だそうです。
(箱の大きさは30×40cm)
その中身は…
これです。私が考える、現代文明を作った究極のものとは「化石燃料」。
上の教材は、さまざまな産状の石炭と石油精製物のサンプルをセットにしたものです。
文明とは人間の活動の総体であり、当然エネルギーを必要とします。
そして近代以降、人間社会が飛躍的な変化を遂げた根本原因は、人類が化石燃料という膨大なエネルギー源を手にしたからだ…というのが、私の考えです。その基本構図は、おそらく200年前も、今も変わってないでしょう。
今もこうしてキーボードをカシャカシャ叩いて、IT技術こそ現代文明の根幹のような気になっていますが、一皮むけば、今もこれらの顔触れが、それを下支えしているはずです。(ここに顔を出していない大立者は天然ガスですが、それもまた化石燃料です。)
右側の石炭ファミリーは、いかにも地味ですが、左側の石油ファミリーは、こう言ってよければ、「きれいな」表情をしています。
前者が、原木から泥炭、さらに亜炭、褐炭、瀝青炭、無煙炭へと、自然の大地が長い時間をかけて、徐々に石炭化を進めた結果であるのに対し、後者はガソリンにしろ、重油・軽油にしろ、その他パラフィンや各種の機械潤滑油にしろ、すべて人間がせっかちに分留・混和してこしらえたものという点が、両者の印象の違いを生んでいる気がします。(もっとも、大地だってその気になれば、数々の宝石を生み出す力がありますが、やっぱり時間はかかります。)
★
化石燃料の使用は、典型的な「過去の遺産を食いつぶす」行為に他なりません。
近代社会とは、勤勉と合理性を貴ぶ社会だ…と聞きますけれど、何となくそれと真逆の匂いを感じるのは、そういう「居食い」生活を、漫然と続けているからです。
もちろん私もその恩恵を受けているので、そのことに口をつぐむべきではありませんが、事態を突き放して見れば、やっぱり上のような次第だと思います。
【雑記】
余談ですが、昨日は「天文古玩」の15周年でした。ついに元服です。
途中でブログの営業終了を宣言し、その後営業再開を宣言した覚えはないので、厳密にいうと15周年とも言い難いですが、仮に今も生きていれば15歳になります。いわゆる死んだ子の齢を数えるというやつですね。でも、ご覧のとおり完全に死んだわけでもないので、半死半生のまま15周年ということにしておきます。
ネズミの星 ― 2020年01月01日 07時29分03秒
新年明けましておめでとうございます。
あっというまに1年が過ぎ、干支もイノシシからネズミにバトンタッチです。
(イノシシ頭骨(奥)とマウスの全身骨格(手前))
★
子年ということで、ネズミに関する星の話題がないかな…と思いましたが、どうもネズミの星座というのはなさそうです。(さっき検索したら、尾っぽの長いネズミのような形をした「マウス銀河」というのが出てきましたが、もちろんこれはごく最近ネーミングされたものでしょう。)
でも、日本にはちゃんと「子の星(ねのほし)」というのがあって、これは誰もが知ってる星です。十二支を方位に当てはめると、「子」は真北になるので、子の星とはすなわち北極星のこと。(真北の「子」と真南の「午」を結ぶのが「子午線」です。)
野尻抱影によれば、これは青森から沖縄まで全国的に広く分布する名前で、渡辺教具の和名星座早見盤(渡部潤一氏監修)にも、ずばりその名が載っています。
(元旦22時の空。中央上部に「ねのほし」)
「子の星」の名が、かくまで広く普及しているのは、漁師や船乗りにとって、それが操船上不可欠な目当てとして重視されたからでしょう。
その光は、決してまばゆいものではありません。それでも波立ち騒ぐ海をよそに、常に天の極北に座を占め、人々の指針となる姿は実に頼もしい。
今のような混乱した世の中にあっては、そうした存在を、人間社会にも求める気持ちが切です。
★
さあ、新しい年への船出です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
フェルスマンの大地へ ― 2019年06月07日 06時41分05秒
昨日のフェルスマンの原著を買ったのは8年前のことですが、フェルスマンへの傾倒は、その後もずっと伏在していました。
去年の6月、ソ連生まれの岩石・鉱物標本セットを見つけたとき、それがただちに甦り、これでフェルスマンの古い友人たち――彼が目にし、手にした石たち――に、ようやく会えると思ったのです。
(『おもしろい鉱物学』原著付図。広大なソ連の主要鉱産地)
標本自体は1960年代のものらしいので、フェルスマンよりも後の時代のものです。
箱もプラスチック製の安手な感じですが、そこに居並ぶ石たちは、たしかにフェルスマンの故国の住人たちです。
律儀に整形された、30種類の石たち。
標本に付属する内容一覧は、当然ロシア語で、一瞬くじけそうになりますが、ここが踏ん張りどころ。これを無理にでも読み下さなければ、フェルスマンの故国への扉は開きません。その頑張りの成果が以下。
■内容目録 鉱物・岩石30種標本
1 苦灰石中の天然硫黄/トルクメニスタン、ガウルダク〔マグダンリー〕
2 黄銅鉱を伴う斑銅鉱/南ウラル、ガイ
3 閃亜鉛鉱/カザフスタン、ジャイレム
4 並玉髄(コモン・カルセドニー)/カザフスタン、ジャンブール
5 斜方晶チタン石(sphene prismatic crystal)/コラ半島
6 雄黄(orpiment)/キルギスタン、アイダルケン
7 アマゾナイト/コラ半島
8 金雲母/コラ半島
9 ラズライト(青金石)/パミール、ランジュヴァルダラ(? Lanjvardara)
10 ばら輝石/ウラル、クルガノヴォ
11 榴輝岩(エクロジャイト)中の苦礬柘榴石(くばんざくろいし)/南ウラル、シュビノ
12 蛇紋石/ウラル、バジェノボ
13 青色方解石/バイカル、スリュジャンカ
14 アイスランドスパー(氷州石)/エヴェンキア〔中央シベリア〕
15 石膏(劈開模様あり)/トルクメニスタン、ガウルダク〔マグダンリー〕
16 透石膏/ウラル、クングル
17 粒状燐灰石/コラ半島、ヒビヌイ山脈
18 菱苦土鉱/ウラル、サトカ
19 蛍石/裏バイカル地方
20 アマゾナイト花崗岩/カザフスタン、マイクル(? Maikul)
21 黒曜石/アルメニア
22 貝殻石灰岩/マンギスタウ半島〔カザフスタン〕
23 ピンクマーブル/バイカル、スリュジャンカ
24 蛇灰岩(オフィカルサイト)/ウラル、サトカ
25 砂金石(アベンチュリン)/ウラル、タガナイ
26 赤色珪岩(ラズベリー・クォーツァイト)/カレリア、ショクシャ
27 リスウェナイト(Listwanite)※/ウラル、ベレゾフスキー
28 碧玉/ウラル、オルスク
29 ウルタイト(urtite)※※/〔コラ半島〕ヒビヌイ山脈
30 魚卵状(oölitic)ボーキサイト/カザフスタン、アルカルイク
★
当然、誤読・誤解・誤訳もあるでしょう。それでも、ウラル、カザフスタン、コラ半島…etc.の文字の向こうに、『石の思い出』の世界が、鮮やかによみがえります。
ここには少壮のフェルスマンが、選鉱台上を黒い帯となって流れるのを見つめた、アルタイ山地の閃亜鉛鉱(第1章)もあれば、
勇敢なソビエトの地質学者が、苦闘の末に見つけた、パミール高地のラピスラズリ(第13章)もあり、
古い石膏細工の村で、職人たちが手にしたクングルの透石膏(第4章)があるかと思えば、
北のコラ半島で鉄道新駅の名前の由来となった、同地の燐灰石(第15章)もあります。
そして、世界有数の模様と色彩でフェルスマンを幻惑した、オルスクの碧玉(第12章)も…。
★
嗚呼、フェルスマン博士よ―。
極東の島には、今もこうして博士のことを敬慕する人間が、たしかに少年の瞳は失ってしまったけれど、それでも石の物語に耳を澄まそうとしている人間がいるのですよ…と手紙を送りたい気分です。
ハチドリの輝きの向こうに ― 2019年04月17日 06時47分14秒
今回、antique Salon さんで購入したのは、ハチドリの剥製です。
(防虫のため、購入した後で壜に入れました)
★
ハチドリの剥製には、ずいぶん以前から惹かれていました。
それは私の中で、ハチドリがデロールと結びついているからです。
パリの博物商・デロールの存在を知ったことは、私にとってひとつの<事件>であり、私の博物趣味のありようは、それによって大きく規定されています。
以前も書きましたが、デロールのことを知ったきっかけは、福音館の絵本でした。

(今森光彦 文・写真、『好奇心の部屋デロール』、2003)
本の中のデロールは、まさに好奇心を刺激する宝物殿に見えましたが、中でもひどく気になったのがハチドリの剥製です。
この美しくエキゾチックな珍鳥が――しかも剥製という姿で横たわっている様子が――博物趣味のシンボルのように感じられたからです。
★
実際、今回手にしたハチドリは、19世紀に作られた仮剥製ですから、文字通り博物趣味の黄金時代のオーラを身にまとった存在です。
種類はおいおい調べるとして、この小ささはどうでしょう。
嘴の先から尾羽の先まで全部ひっくるめても、私の小指の大きさしかありません。そもそも、鳥が小さな管壜にすっぽり入るというのが不可解です。これが本当に恐竜の子孫なのか?
この斑模様は、ひょっとしたらまだ若鳥なのかもしれませんが、成鳥とて、大きさはそう変わらないでしょう。小鳥というと、スズメぐらいの大きさのものを想像しますが、これは下手をすると、スズメがついばむぐらいの大きさしかありません。
試みに他の標本と比べてみると、上のような感じで、これが「蜂鳥」と呼ばれるのも頷けます。
★
可憐な鳥を剥製にすることに、違和感を覚える人もいると思います。
しかし、生体の限界をはるかに超えて、100年以上にわたって、その美麗な姿を賞し、持ち伝えてきた古人の心根は、無惨とばかり言い切れないものがあります。
パリで焼けたのはノートルダムばかりではありません。
デロールもまた、2008年の火事で焼け落ちました。それが見事復興したのも、生物の多様な姿に対する、人々の驚異の念があればこそです。
かつての博物趣味は、人間の放埓な好奇心のままに生物を乱獲し、環境を破壊する愚を犯しました。その反省が、博物学の生態学への転身を促しましたが、そこにあったのも、やっぱり生物の多様な姿への驚異の念です。もしそれがなければ、ヒトは他の生物種にとって、いっそう悪魔じみた存在になっていたはずで、ハチドリの剥製が宿す意味は、よくよく考えなければなりません。
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