赤い巨人との対話2023年10月29日 12時28分38秒

閑中自ずから忙あり―。
いろいろゴタゴタして、ブログも放置状態でした。でも、昨日とても嬉しいお便りをいただいたので、これはぜひ文字にせねばなりません。内容は本格的な天文学に関するもので、お便りの主は変光星観測家の大金要次郎氏です。

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今、冬の巨人オリオンは、午後10時頃に東の大地からゆっくりと姿を現します。そして高々と南中するのは午前3時頃。これから寒さが募るにつれ、オリオンは徐々に「早起き」になり、見頃を迎えます。

オリオン座の特徴的なフォルムの左上――星座絵だとオリオンはこちら向きの姿に描かれるので、その右肩に赤く輝くのが超巨星ベテルギウスです。これは宇宙全体を見渡しても堂々たる巨人で、仮にベテルギウスを太陽の位置にもってくると、木星軌道まですっぽり飲み込まれてしまうと聞きます。

星の一生の終末期にある、この老いた巨人は、明るさが変化する変光星としても知られます。ウィキペディアの「ベテルギウスの項」に掲載された写真↓を見ると、なるほど確かにずいぶん変るものです。

(左は0.5等級で輝く通常運転のベテルギウス(2012年2月22日撮影)。右は2019~2020年にかけて1.6等級まで大きく減光した際の姿(2020年2月21日撮影)。H.Raab氏による同一撮影条件の比較像)

ベテルギウスがバイエル符号では「オリオン座α星」と呼ばれ、その対角で輝くリゲル(0.1等級)が「オリオン座β星」に甘んじているのも、バイエルが生きた17世紀初頭には、実際ベテルギウスの方がリゲルよりも明るかったせいではないか…とも推測されています。(リゲル自身も小幅ながら光度が変動する変光星です。)

大金氏からのお便りには、氏が20年以上にわたって、ベテルギウスの光度測定を継続され、それを論文にまとめられたことを称えて、「2022年度日本天文学会天文功労賞」が授与されたことが記されていました。

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星の光度測定と聞くと、門外漢は測定器を星に向けて「ピッ」とやれば、それで終わりと思うかもしれませんが、これはなかなか容易な作業ではありません。

星の明るさは、もちろん星自身の変化で生じる場合もありますが、同時に空の状態によっても大きく変化します。後者の影響を除くには、明るさが恒常である基準星を同時に観測して、それをもとに結果を補正しなければなりません。大気減光の影響を除くため、高度に応じた補正も必要です。

また一口に「星の明るさ」といっても、それはどの波長のことを言っているのか、厳密な定義が必要です。赤い星と青い星では輝いている波長が異なり、また色味によって人間の目の感度も違ってきます。この問題は人間の目を機械の目に置き換えても同じことで、装置によって各波長に対する感度は違うので、測定値から「真の光度」を得るには、複数のフィルターを使って、光を波長域別に分けて観測するという手間が必要です(大金氏は紫外域から赤外域に至る範囲を5つの波長域に分けて観測されています)。

その上で初めて光度変化を論じることができるわけで、そうした骨の折れる作業を長年継続することは、文句なしに大変な作業です。そして、大金氏の観測結果で最も価値が認められたのは、現在観測機器の主流になっているCCDやC-MOSと云われる検出装置では観測がしにくい紫外域の観測が長期にわたって行われた点にあるとされています。

大金氏自身によるこれまでの経過報告は、以下で読むことができます。

■大金要次郎 「ベテルギウスの5色測光を続けて」
 『天文月報』 2023年11号, pp.591-597.
 
https://www.asj.or.jp/jp/activities/geppou/item/116-11_591.pdf


【10月29日付記】 本稿掲載後、大金氏ご自身から頂戴したコメントに基づき、上記の文面を一部修正しました。

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大金氏は『天文月報』への寄稿文中、「ベテルギウスの測光観測をしようとした当初の目的は、変光周期が諸説あって不確定であったことについてこれを確定してみたいということにありました」と述べておられます。

しかし、ウィキペディアの「ベテルギウス」の項を見ると、以下の記述が目に飛び込んできます。「ベテルギウスの明るさの変化は、1836年にジョン・ハーシェルによって発見され、1849年に彼が出版した著書『天文学概要』(Outlines of Astronomy)で発表された。」

さっそく問題の『Outlines of Astronomy』(1849年初版)を開くと、果たしてp.559にそのことが出ています。

(p.558から続く表の後半部。最上段に「α Orionis」、すなわちベテルギウスが見えます)

そう、ベテルギウスの光度変化の発見こそ、天文一家ハーシェル家の二代目、ジョン・ハーシェル(1792-1871)の偉業の一つに数えられているものなのです。そして、大金氏も私も日本ハーシェル協会の会員であることから、今回お便りを頂戴したわけで、全てはハーシェルの導きにほかならず、私が今回の吉報をいっそう嬉しく思ったのもその点でした。

なお、ここでハーシェル協会員としてこだわると、ベテルギウスの変光が発表されたのは、ウィキペディアが言うように1849年ではなく、1840年のことです。以下はギュンター・ブットマン著 『星を負い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』(産業図書)より。

 「1840年春、彼〔ジョン・ハーシェル〕はある発見で世界中の天文学者を驚かした。それは空で最も目立つ天体に関する発見だったが、不思議なことに今まで全ての天文学者が見逃していた。すなわち彼はオリオン座α星・ベテルギウスが、周期的に光度を変える長周期変光星であることを発見したのである。」(pp.146-7)

その出典として挙がっている、ジョン・ハーシェルのオリジナル論文は以下です。

■J.F.W. Herschel, “On the variability and periodical nature of the star Alpha Orionis,” Memoirs of the Royal Astronomical Society, 11, 269-278 (1840) ; Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 5, 11-16 (1839-43).

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今年の冬は、オリオンの右肩の見え方も、個人的に少なからず変わるでしょう。
宇宙のスケールでいえば、間もなく訪れるベテルギウスの「死」。
人間のスケールでいえば、私がこの世界から消滅するのも、そう遠くないでしょうが、それまでの間、しばし赤い巨人と向き合って、四方山の話をしたいと思います。

ネズミの星2020年01月01日 07時29分03秒

新年明けましておめでとうございます。
あっというまに1年が過ぎ、干支もイノシシからネズミにバトンタッチです。

(イノシシ頭骨(奥)とマウスの全身骨格(手前))

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子年ということで、ネズミに関する星の話題がないかな…と思いましたが、どうもネズミの星座というのはなさそうです。(さっき検索したら、尾っぽの長いネズミのような形をした「マウス銀河」というのが出てきましたが、もちろんこれはごく最近ネーミングされたものでしょう。)

でも、日本にはちゃんと「子の星(ねのほし)」というのがあって、これは誰もが知ってる星です。十二支を方位に当てはめると、「子」は真北になるので、子の星とはすなわち北極星のこと。(真北の「子」と真南の「午」を結ぶのが「子午線」です。)

野尻抱影によれば、これは青森から沖縄まで全国的に広く分布する名前で、渡辺教具の和名星座早見盤(渡部潤一氏監修)にも、ずばりその名が載っています。

(元旦22時の空。中央上部に「ねのほし」)

「子の星」の名が、かくまで広く普及しているのは、漁師や船乗りにとって、それが操船上不可欠な目当てとして重視されたからでしょう。

その光は、決してまばゆいものではありません。それでも波立ち騒ぐ海をよそに、常に天の極北に座を占め、人々の指針となる姿は実に頼もしい。
今のような混乱した世の中にあっては、そうした存在を、人間社会にも求める気持ちが切です。

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さあ、新しい年への船出です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

星の色2019年07月27日 18時02分29秒

肉眼で見る星は、一部の例外を除いて、だいたい白っぽいです。
人間の目は、暗い対象には色覚がうまく働かないからです。大口径の望遠鏡で光量を集めれば、だんだん色味も感じられてくるのでしょうが、それにしたって鮮やかな天体写真のような具合には、とてもいきません。

それでも、19世紀以降の天文趣味人は、星の色に強く惹かれ、望遠鏡を使って空の宝石箱を眺めることに喜びを見出してきました。

特に色を感じやすいのは、二つの星の対比効果によって、色合いが強調される場合です。旧来の二重星ファンは、たぶん二重星という存在への興味よりも、その色彩に興味を持って観望してきたように思います。

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ときには、その喜びを家族や友人で分かち合うための幻灯会も催されました。
星好きの人にとっては、曇りや雨の晩の恰好の慰みだったでしょう。
そんなふうに想像したのは、実際にそうした幻灯スライドを見つけたからです。


暗黒の空をバックに光る、うしかい座エプシロン星
赤色巨星に寄り添う青緑の星が美しい二重星です。


その実体は、黒いラシャ紙に半透明の色紙を貼り付けたお手製のスライド。
そう、星の幻灯会は、こんなにも簡単な工夫で上演できるのでした。
幻灯スライドといえば、写真だったり、手描きの凝った絵だったりというのを見慣れていたので、最初見たときは、虚を衝かれた思いがしました。


こちらはカシオペヤ座エータ星。本によっては「黄色の主星とオレンジ色の伴星」と書かれますが、ここでは白色とルビーとして表現されています。


星群(アステリズム)のかたわらで、ひときわ鮮やかな深紅の星は、ミラ型変光星のひとつ、うさぎ座R星。その大きな光度変化は、死を迎える間際の星の荒い息遣いに他なりません。


オリオン座シータ星
オリオン座大星雲中のいわゆるトラペジウム。複雑な多重星です。



フレームには「カシオペヤ座シグマ星」とラベルが貼られています。
でも、同星は確かに連星ですが、美しい色合いで有名だとは聞きません。
このオレンジと青は、どうみてもアルビレオはくちょう座ベータ星)だと思うんですが、今となっては詳細不明。

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これらの素朴なスライドは、一括して「Stars & Glusters」(星ときらめき)というシールが貼られた元箱に入っていました。国はイギリス、時代はたぶん19世紀末~20世紀初頭頃。


その晩の賑わい、歓声とため息を想像すると、100年後の私まで何だか愉しくなってきます。


【関連記事】

■天空の色彩学(その1)
■(その2)
■(その3)

天と地にアークトゥルスが輝く夜2017年05月23日 06時43分33秒

春は北斗の季節。

北斗の柄杓の柄が描くゆるいカーブを、そのままぐっと延長すると、ちょうど北斗と同じぐらいの間を置いて、うしかい座のアークトゥルスに到達し、さらにその先にはおとめ座のスピカが明るく輝いています。この空を横切る雄大なカーブが、いわゆる「春の大曲線」

アークトゥルスは、日本では「麦星(むぎぼし)」の名でも知られます。
これは野尻抱影が、一時熱心に取り組んだ星の和名採集の成果で、当の抱影も、知人に教えてもらうまで、「麦星」のことはまるで知らずにいましたが、彼はこの名を耳にするや、いたく感動したようです。

 「わたしはこれを季節感の濃やかないい名だと思った。麦生の岡に夕ひばりが鳴き、農夫が家路につくころ、東北の中空で華やかな金じきに輝き出るこの星を表わして、遺憾がないし、麦の赤らんだ色にも通じていると思った。」 (野尻抱影、『日本の星』、中公文庫p.51)

たしかに、農事の土の匂いとともに、可憐な美しさをたたえた良い名前で、スピカの「真珠星」とともに、これぞ抱影のGJ(グッジョブ)。

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ところで、「アークトゥルス」の名を負ったモノで、土の匂いとはおよそ対照的な、硬質なカッコよさを感じさせる逸品があります。

それがアメリカで、1920年代後半~40年代初頭まで操業していた真空管メーカー「アークトゥルス」と、その製品群です。(ただし、真空管ファンは「アークチューラス」の呼び名を好むようなので、真空管を指すときは、ここでも「アークチューラス」と呼ぶことにします。)


単に真空管というだけでも十分カッコいいのに、この天文ドームと星々のイメージデザインは、何だかカッコよすぎる気がします。


しかも、上のアークチューラスは「ふつうの真空管」ですが、同社が真空管ファンの間で有名なのは、青いガラスを使った「ブルーバルブ」(バルブとは真空管のこと)の製造を手がけていたことです。

こうなるとカッコよすぎる上にもカッコよすぎる話で、いい歳をした大人が「カッコイイ」を連発するのは、あまりカッコよくないと思いますが、そんな反省をする暇もないほどです。

もちろん手元にはブルーバルブもしっかりホールドしていますが、それはまた別の機会に登場させます。

月星合戦2016年11月19日 10時31分42秒

『武州治乱記』、文明十年(1478)八月の条は、古河公方配下の成田顕泰が、扇谷上杉家配下の忍胤継と、当時混乱を極めた関東の覇権をめぐって、大利根の原野で激突した「星川合戦」について記しています。(その覇者・成田氏は、この地に堅固な忍城を築き、その裔・成田長親をモデルにしたのが、あの小説『のぼうの城』。)

ときに、この「星川合戦」の「星川」というのは、すなわち今の「忍川」のことで、「忍(おし)」という姓も、元来は「星」から転じたものです。星氏は千葉氏の流れを汲む氏族ですから、千葉氏一門の習いとして、その紋所は「星紋」でした(星氏ならびに忍氏が用いたのは、主に七曜紋)。

対する成田氏は、「月紋」(月に三つ引両)を用い、月と星の旗指物が一面に入り乱れた「星川合戦」は、別名「月星合戦」とも称され、血なまぐさい中にも、美々しい合戦の状景を今に彷彿とさせます(その様は、行田市郷土博物館が所蔵する「星川合戦図絵巻」に生きいきと描かれています)。

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…というのは、たった今思いつきで書いた、純然たるフィクションです。
そもそも『武州治乱記』などという本は存在しません。

なぜそんな埒もないことをしたかといえば、ひとえに「月星合戦」という言葉を使いたかったからです。実際にそういう合戦があればよかったのですが、なかったので、今作りました。

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さて、これが今日の主役。本当の「月星合戦」の主戦場です。

(ボードの大きさは約20cm角)

「ティク・タク・トゥ」、日本でいう「まるばつゲーム」。
この盤上で、黄色い月と青い星が死力を尽くした大一番(と言うほどでもありませんが)を演じるのです。

売ってくれたのは、アンティークショップというよりも、単なるリサイクルショップで、これもわりと新しい品のように見えますが、でも、これで遊んだ子供たちも、今ではいい大人でしょう。


メーカー名の記載は特にありません。おそらくは売り手の住む、米バーモント州の地元で作られた木工品じゃないでしょうか。ボードは合板ではなく一枚板なので、結構重いです。


戦国絵巻もいいですが、月と星の合戦に流血は似合いません。
ときどき涼しい火花がパチッと飛ぶぐらいが、ちょうど良いです。


【閑語】

安倍晋三氏は、ひょっとして先祖の長州人の血が騒ぎ、かの人物と刺し違える覚悟でニューヨークに向かったのかな…と思ったら、どうもそんなことはなくて、ゴルフクラブをプレゼントして、ニコニコ握手するだけで終わったようでした。
「ふたりはゴルフが好きなんだな」ということは得心できましたが、他のことは皆目わからず、煙に巻かれた思いです。

月星に願いを2016年09月30日 06時00分49秒

心の混沌を静めるために、他愛ないものを載せます。


「月と星」で探しているうちに見つけた、ドイツのグラボ―市の紋章。
切手のようなミシン目が入っていますが、本当の切手ではなく、飾り貼り用のシールです(手紙や本の隅にペタッと貼るのに使います)。

(ウィキペディアより https://en.wikipedia.org/wiki/Grabow

現在の公式デザインは上のようなものだそうですが、昔はこんなだったのでしょう。
あるいはシールを作るに際して、あえて擬古風にこしらえたのかもしれませんが、文字は金属版、絵柄は木版という凝った作りで、色合いも古雅です。


この月の表情は今の私そのものだなあ…と、そんな他愛ないことも心に響くのです。

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それにしても、何故こんな月星デザインの洒落た市章が生まれたのでしょう。

グラボー博物館の解説(http://www.museum-grabow.de/020_grabow/wappen.html)によれば、同市の紋章は途中何度か変更があり、中世の頃は聖ゲオルグ(ゲオルギオス)の像が使われ、1569年に月星の意匠が登場、1677年に今の「青地に三日月と三ツ星」のデザインに落ち着いたのだそうです(ただし、ナチ政権下の1940~1945年は、「ドラゴンを踏み敷く聖ゲオルグと鉤十字」という物騒なものを用いた由)。

その意味するところは、三日月の頃に栽植・建立したものは、よく育ち繁栄すると言われることから隆昌を、また三ツ星は「幸福・名誉・栄光」をシンボライズしたもので、全体として一種の吉祥紋になっているのでした。

「なるほど。でも、この月は左向きの三日月じゃなくて、右向きの有明月じゃない。これじゃあ隆昌どころか、逆に衰退に通じるんじゃないの?」と思われる向きもあるでしょう。でも、そこは大丈夫です。

西洋の紋章は、盾の表面にいろいろな絵柄が描かれているわけですが、上のページによれば、紋章の絵柄というのは、盾を手にした者から見た形で解釈されるので、手前(盾に相対する立場)から見るのとは左右が反転して、これはやっぱり三日月で良いのだそうです。

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この草臥れた状況がどうにかなりますようにと、遠い国の遠い町の月星紋に祈ることにします。


あるカップルの危機2016年06月22日 07時03分31秒

近頃ちょっと驚いたこと。
まずは先月のこの記事から。

■タルホ的なるもの…星に煙を
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089506

(画像再掲)

「これまで何度か顔を出している「STAR」シガレット。
これをふかそうと思うのですが、ちょうどいい相棒を見つけました。
〔…中略…〕こういうのを何て言うんですか、似た者夫婦、好伴侶、ベターハーフ…」

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私は本当にお似合いの夫婦だと思い、末永く仲睦まじかれ…と、このとき祈りました。
しかし、です。
ここに次のようなマッチラベルが、突如出現したのです。


うーむ、これは…!


いかにも不穏です。


これはぜったい揉めますね。
このあと彼らがどうなるかは分かりません。
でも、ぜひ星たる身に恥じぬ、賢明な振る舞いを望みます。
(中央の彼は、何となく煙に巻きそうな気配。)

プロキシマ2016年06月10日 06時39分05秒



銀の小口を持った本。
先日の砂時計の記事の中で、「ケンタウルス座α星」という単語を書き付けたら、この美しい本のことを思い出しました。

(『PROXIMA』、銀河通信社、2001)

西暦2000年に、三菱地所アルティアム(福岡)で、小林健二氏の展覧会「プロキシマ:見えない婚礼」が開催され、それを記念して出版された本です。内容は、小林氏の過去の作品や文章、インタビューを再構成し、そこに上記展覧会の内容を添えた写真文集。

「プロキシマとは星の名です。

 ケンタウルス座のα星の伴星の1つで、主星が明るいため見つけにくい星であります。またこの星はNearest Star(最近星)と言われ、地球に最も近い恒星として人間に知られていて、地球からの距離は約4.27光年で、27万天文単位、つまり地球から太陽までの距離のおよそ27万倍という事になります。この少し想像を超えてしまうような遠方の星が、地球人にとって最もプロキシマ(すぐそばの意)な星なのです。そしてこのプロキシマのあたりは、地球型の生命系の存在が最も期待されている場所でもあるのです。
 
 ある日、宇宙から見ればそんなに近くの、そしてそれほど遠い方向から、ぼくは1通の幻をもらった気がしたとしてください。」   
(『PROXIMA』 序文より)

太陽系の隣人である「ケンタウルス座α星
この三重連星の中で、地球に最も近い恒星「プロキシマ」。
プロキシマは、主星の回りを100万年かけて、ゆっくり公転しています。
さらにプロキシマの周囲を回る六番目の惑星、「ナプティアエ」(「婚礼」の意)。

ナプティアエの地殻は、厚さ60kmに及ぶ無色の無水珪酸から構成されています。
その内部に形成された晶洞は、透明な天井を複雑に屈折しながら届く、プロキシマの緑の光、さらに茜色と水色に輝くもう2つの太陽の光が満ち、そこに鉱物質の生命「亜酸性鉱質膠朧体」が息づいています。

彼らは7つの性を持ち、27種の核酸基によって生き、1プロキシマ年(2740地球年)に、2度花を咲かせます。まさに我々の想像を超えた、「侵しがたく、また静かなる神秘の都」。

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(『PROXIMA』の1ページ)

小林氏の作品は、こうした不思議で美しい「幻」から生まれました。
そして、ナプティアエは小林氏が創出した多くのイマジナリーな世界の1つに過ぎないのでしょうが、氏にとっては、確かに大きな意味を担った世界のようでもあります。

以下、本書のあとがき(「PROXIMA/奇蹟の場所/Miracle place」)より。

 「ぼくは子供の頃から、鉱物や恐竜などが展示してある自然科学の博物館に行くのが好きでした。そしてまたぼくが思い出せないところまで自分の記憶を辿ってみても、そうしたものを物心がつく頃より好きだったと思うのです。その他にもぼくのお気に入りは、クラゲやゼリーのように、あるいは硝子や石英のように透明なもの、また鳥や飛行機のように空を飛ぶものや電気などによって発光する淡い光、蛍や夜光するものたち、星や宇宙の話、そして闇に潜む目に見えない霊と言われるものたちの事。また、ときにひどく醜いかも知れない悲しみを背負った怪物と言われるものたちすべて、等々です。」

 「プロキシマという天体に興味を持ったのは、子供の頃プラネタリウムに行っていた時「ケンダウルス座のα星辺りに生命がある兆しが発見されそうだ」といったようなことを聞いたからだと思います。もちろん聞き違いだったかも知れません。でも、今でさえどこかの星の上で、地球とはまた異なる世界があることを考えると、何か言い知れずわくわくしてくるのです。」

プロキシマは、氏の幼時の思い出と深く結びついています。
透明なもの、空飛ぶもの、光るもの、妖しいもの、そしてその全てであるところの星の世界。それは我々から遠い存在のようでもあり、すぐそばの存在のようでもあります。
小林氏の作品は、そうした間(あわい)から零れ出たものたちです。

鉱物もまたそうです。
それは透明で、光を放ち、妖しく、我々から遠く、近い存在です。
そして当然の如く、鉱物は氏の子供時代から関心の対象であり、後に人工結晶という形で、氏の「作品」ともなりました。

 「このプロキシマの世界についてまず思ったのは、結晶の世界のことでした。それはここ数年、結晶を作ることにとりわけ興味があることと関係していると思います。」

 「地球上のいたるところで今まで数多くの鉱物結晶が発見発掘されてきました。しかし他の見知らぬ天体では、いったいどのような結晶世界が繰り広げられていることでしょう。生命現象の確認が困難でも、地球型の惑星であるなら必ず鉱物は存在するからです。地球とは異なった組成や地学的運命によって創成される出来事は、どのようなものなのでしょう。」

鉱物はさすがに空を飛ばないだろう…と思われるかもしれません。
でも、それは溶液中を無数のイオンとして飛び交い、互いに引かれ合い、ついには想像を絶する巨大な(イオンの目からすれば、です)幾何学的構造物をつくるに至るのです。

 「結晶が成長していく様を眺めていると、そこはかとなく不思議な世界へといざなわれてゆくのです。一日のうちに0.5ミリでもその成長が見える程なら、実はその物質のイオンは1秒あたり数百の層を結成していることになるというのです。観察者にとっては何千何万年の時間の流れを見るかのようです。いかなる天然の摂理が導くのか、それぞれの成分はその姿を顕わなものとしてゆきます。どのような力が、あるいはまたどのような想いが促すのか、人間には計り知れないと思える世界を、ただ只、まのあたりにするだけです。そんなときにぼくの中に浮かんできた言葉が「見えない婚礼」というものでした。1つ1つ光量子やイオンの世界から極大な宇宙に至るまで、何か人間の目には見えにくい方法があって、それらが知らず知らず了解し合うような、まるで聖なる婚礼のような…。」

(プロキシマ展に並んだ、小林氏の人工結晶「プロキシマ系鉱物」)

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プロキシマ、近くて遠いもの。
人は小林氏の目と耳と口を借りて、その世界を覗き見ることができます。
でも、小林氏の手わざは持たないにしろ、もしそれを望むならば、誰もが自分だけのプロキシマを自分の内に持ち得るのだ…とも思います。

天空の色彩学(その4)…カテゴリー縦覧:恒星編2015年03月28日 14時04分43秒

(昨日の続き)

スミス邸に集った男女の顔ぶれを、その肩書で見ると、
2人のミセス、4人のミス、3人のミスター、1人のドクター、1人のキャプテン(これはスミス自身のこと)。

彼らが二重星コル・カロリを眺め、そこに見た色は、
「淡い白と菫色」、
「ほんのりした黄色と生気のない紫」、
「黄色っぽい色とライラック」、
「煤けた明るい黄色とライラック」、
「白とプラム色」、
「褪せた黄色と青」、
「クリーム色と菫クリーム色」、
「淡い青ともっと濃い青」、
「白っぽい色と明るい紫」
であり、
スミス自身は「白とプラム色の紫」を見ました。


彼らははたして同じ色を見たのでしょうか?

ここには、経験を言語化することの難しさが、そしてまた言語を通して経験を推し量ることの難しさが、よく出ています。仮に二人の人が、まったく同じ色を経験したとして(それはたぶん検証不可能でしょうが)、彼らは、それを違う言葉で表現するかもしれません。反対に、同じ言葉を使って表現しても、実はまったく違う色を経験しているのかもしれません。(もちろん心理学者は、巧妙な実験デザインによって、この問題にアプローチしていますが、でも最後に横たわる「本当に本物の経験」がどんなものであるかについては無力です。)

まあ、こうして並べてみると、似たようなものを見たんだろうなあ…という気はします。

それに、難しい話は抜きにして、1829年6月の宵を、この11人に男女が愉しく過ごしたことは間違いないでしょう。彼らは互いに自分の経験を披歴し、コメントしあい、そして再び望遠鏡を覗いて、互いの言葉を確認し…。そう、人はたとえ全く同じ経験はできないにせよ、それを語り合い、思いを共有することはできます。そのプロセスこそが大事だと思います。

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さて、スミスのもう一つの「実験」の材料は、はくちょう座β星、すなわち白鳥のくちばしに輝く、美しい二重星・アルビレオです。

アルビレオといえば、「銀河鉄道の夜」に登場するアルビレオ観測所を思い出す方も多いでしょう。

 あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟(むね)ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉(サファイア)黄玉(トパース)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。

実に美しい描写です。
しかし、アルビレオを2種類の宝石にたとえるのは、賢治の独創ではありません。

賢治自身がそうはっきり書いているわけではありませんが、賢治の天文知識の多くは、吉田源治郎の『肉眼に見える星の研究』(1922)に拠っていることが例証されており、果たして同書を見ると、連星中の大きな方の星は三等星で、色はトパーヅのやうな黄色に輝き、小さい方は、サフワイヤのやうな碧色をしてゐます(p.197)とあります。

その吉田は、同書の序文で「本書は〔…〕ヘクター・マクファーソン氏著『肉眼実際天文学』を台本として、編述したものである」と断っていますが、これは Hector Macpherson の『Practical Astronomy with the Unaided Eye』(1915頃)という本を指します。そしてマクファーソンは、アルビレオを「the larger star, of the third magnitude, being topaz yellow and the smaller one sapphire blue(p.62)と表現しており、吉田はそれをそっくり生かしていることが分かります。

さらにマクファーソンは、自著巻末で、E. Walter Maunder の『望遠鏡を使わない天文学 Astronomy without a Telescope』(1902)を推薦図書に挙げており、「では」とマウンダーの本を開くと、やっぱり「the principal star, of the third magnitude, being topaz yellow, the companion, of the seventh magnitude, sapphire blue(p.72)という、ほぼ同じ表現が出てきます。

この引用の連鎖をさらにたどることもできるでしょうが、その先にスミス提督の「トパーズの黄色とサファイアの青」があることは、ほぼ確実です。即ち、銀河鉄道の夜の鮮烈な描写に心打たれた人は、間接的にスミス提督の恩沢を蒙っているわけで、スミスはあながち遠い昔の、遥かな異国の人とばかり言い切れません。

(スミス、マウンダー、マクファーソン、吉田源治郎を経て賢治に至るアルビレオ・コネクション)

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とはいえ、こんなふうにアルビレオを宝石にたとえる表現が世間にあふれてくると、それ自体陳腐なステロタイプとして、人々の目を曇らせることにもなります。星好きの人は、一度この星の色が、自分自身の目と心に、実際にはどう見えるかを振り返ってみるのも良いのではないでしょうか。

話が脇にそれましたが、スミスが行った「実験」というのは、まさにアルビレオが人々の目にどう見えるかを探る試みで、彼は自分よりも前の世代の天文家の記述を拾い、また同時代の人に一種のアンケートを実施しました。その結果一覧がなかなか興味深いです。


あの大ハーシェルは、1781年にそれを「淡い赤と美しい青」と書き留めました。
息子のジョン・ハーシェルは、「白または黄色っぽい白と青」と述べています。

小さい方の星はブルーか?グリーンか?
スミスの愛する奥方は、「オレンジイエローと緑がかった青」と語り、息子のピアッジ・スミスは反対に「黄色と青味がかった緑」だと言いました。鷹の目を持つと評された鋭眼の観測家ドーズは、「クロッカスイエローと緑がかった青」と述べ、ミセス・スミスの側に立ちます。親友のリー博士は、「ピンクがかった黄色とセルリアンブルー」であり、リー夫人は「オレンジと緑

イタリアの色見巧者、ベネディクト・セスティーニの目には、「オレンジゴールドと紺碧」と映り、偉大なアマチュア天文学の父、トーマス・ウェッブは、「きれいな黄色とウルトラマリンブルー」と表現しました。分光学の大家で、新たな天空色彩学を切り開いたウィリアム・ハギンスは、シンプルに「黄色と青」です。

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ここでこの連載の最初に戻ります。
『夜の魂』の著者、チェット・レイモは、スミス提督の想像力に感嘆しました。しかし、スミス一人に限らず、そもそも人間の眼と脳が世界を染め上げる能力こそ、真に驚嘆すべきものではないか…と、上の表を見て思います。

(色鮮やかな宇宙。David Malin の天体写真集、『The Invisible Universe』、1999)

天空の色彩学(その3)…カテゴリー縦覧:恒星編2015年03月27日 22時37分26秒



『天空色彩学』に収載された、いろいろな二重星の色彩についての表を見てみます。

(上の表の一部拡大)

左はベッドフォードカタログに載った、1830~40年代前半の観測成果に依るもの、右は同じ対象を1850年代の観測ではどのように記述しているかを、スミス自身が比べたものです(中央はイタリアのセスティーニによる記述)。

まあ、50年代でも相当に想像力豊かと思われるかもしれませんが、それでも

「ライラック」「紫がかった色」に、
「ヴァイオレット」「くすんだ青」に、
花紺青(スマルト・ブルー)」はただの「青」に、
「トパーズ・イエロー」「赤みを帯びた黄色」に、
「淡い空色」「灰色」に、

…と、より抑えた表現になっていることが分かります。
天界の花園や果樹園、宝石箱が失われたことを悲しむ人も多いでしょうが、科学の言語としては、そうならざるを得なかったことも理解できます。

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そして、スミスが最終的にたどりついたのは、標準色表を使う方法でした。


これを使えば、

おとめ座17番星は、「明るい薔薇色とくすんだ赤」から「赤の4と赤の3」に、
うしかい座エプシロン星は、「薄いオレンジと海緑」から「オレンジの3と緑の4」に、
うみへび座デルタ星は、「明るいトパーズと鉛」から「黄色の4と紫の3」に、

一層客観的に記述できると、スミスは考えましたが、この方法を全天で貫徹する時間は、もう彼には残されていなかったらしく、これは一種の提案にとどまりました。

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ところで、前回述べたような次第で、私は本文の内容をあまり理解していないのですが、一つ面白いと思ったのは、スミスが星の色について「実験」を繰り返していたことです。「実験」といっても、別に難しいものではありません。同じ二重星を人々に見せて、各自がどんな言葉でその色を表現するか確認するという、シンプルなものです。

たとえば、1829年6月のある晩、彼は10人の客を、自邸の南に設けたポーチコ(柱廊)へと導きました。そこには石製の台座が置かれ、口径5.5インチ(14センチ)のグレゴリー式反射望遠鏡が載っていました。望遠鏡は、二重星として知られる「コル・カロリ(チャールズの心臓、の意)」、すなわち「りょうけん座α星」に向いており、客人は一人ずつそれを覗き、他の客には聞こえないよう、その色をスミスに耳打ちする…という手順で実験は行われました。

「いや、まったく分からん!」と、早々に降参した一人の男性を除き、他の6人の御婦人方、3人の紳士、そしてスミス自身を加えた10人が、そこでどんな答を出したか?
そして、さらに興味深いもう1つの実験とは?

一寸もったいぶって、結果は次に回します。

(この項さらに続く)