神戸の夢(3)2017年03月05日 14時38分06秒

西秋生氏が筆にした夢幻的な神戸。

その世界に入り込むための「鍵」をしきりに探したのですが、ここは足穂つながりで、彼の朋友であり、神戸モダニズムを代表する詩人、竹中郁(1904-1982)に注目してみます。

恥を忍んで告白すると、私は西氏の本を読むまで、竹中郁という人物をまるで知らずにいました。他にもそういう人はいらしゃるかもしれないので、最初に『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残』の巻末に記された、その略伝を挙げておきます。

竹中郁
 詩人。明治37年(1904)、兵庫永沢町生れ、昭和57年(1982)歿。
 イナガキ・タルホと並ぶ「神戸モダニズム」のシンボル。特に昭和7年の詩集『象牙海岸』はモダニズム詩の最高峰と高く評価される。生まれ育った神戸を離れなかったため、東京中心の詩壇の評価は高くなかったが、生誕百年を機に、二十世紀を代表する詩人としての再評価が進んでいる。随筆集『私のびっくり箱』(のじぎく文庫、1985年)には主に戦前の美しい神戸の思い出が満載されている。
 全詩集に『竹中郁全詩集』(沖積舎、2004年)がある。



略伝で挙げられた『象牙海岸』(1932)の現物がこれです。
上品なモロッコ革を用いた四分三装幀(総革ではなく、背と角のみを革装としたもの)。


さすがの神戸も、出版に関しては東京に一目置かざるを得なかったのか、刊行は瀟洒な美本出版で知られた、第一書房(東京市麹町区)に任せています。


とびきりのモダニズム詩を向うに控え、静かに佇む扉の表情。



  言葉もなく…

  私は白い帽子をかむつて海の中へ入つてゆく。
  私に親しいのはこの冷たさと緊密さとだけだ。
  私は海の底を匍つてゆく。
  私を発見(みつ)けるのは月だけだ。
  私が私のものになるのは、この月が廻転し遂(おほ)せてからだ。
  私は待つ。小石のやうに。

白い帽子、海、冷たさ、緊密さ、月、小石、私になるのを待つ私。
少しく難解です。しかし、わかるような気もします。でもやっぱり、言葉ではうまく言えません。その言葉にならない思いを言葉にするのが詩なのでしょう。


和紙に捺された、美しい活版の文字。
詩集『象牙海岸』には、並製本のほか、50部限定で和紙に刷られた特製版があり、これがそれに当たります。

   ★

この詩集の表情が、戦前の神戸の空気を伝えていることは間違いありません。
しかし、手元の1冊には、それ以上に直接的な「鍵」が含まれています。
それは見返しに書かれた署名です。


この一冊は、竹中郁本人が知友に贈ったもので、贈られた相手は竹中が創設した「海港詩人倶楽部」の同人として、詩作も行なった、チェロ奏者の一柳信二(いちやなぎしんじ、1902-?)

竹中と一柳の親交については、高橋輝次氏による、以下の古書エッセイでも触れられています。

『高橋輝次の古書往来』
 「27.竹中郁と神戸・海港詩人倶楽部」

外国船がしきりに行き交う港町。
そこに才気渙発な芸術家が集い、詩作し、音楽を奏で、絵を描いた時代。
戦争の闇が訪れるまで、神戸に確かに存在した伸びやかな空気が、この詩集を開けば、さっとあふれ出てくるのです。

   ★

戦争は、竹中の暮らしをすっかり変えてしまい、戦後は人並みの苦労もしました。
しかし、竹中の美意識は単なるポーズではなく、その骨格を形作る信条でしたから、敗戦の前年、昭和19年(1944)の初夏においても、その凛としたたたずまいは、全くぶれることがありませんでした。

 「竹中は一見して舶来とわかる水色の背広をきちんと着こなし、薄茶色のソフト帽子を少し横にかぶっていた。ワイシャツも洗い立てらしく真白だ。ネクタイの色は忘れたが、身のこなしに寸分のゆるみもない。電車のなかは国民服かモンペ姿かである。それだけに竹中は目立ったが、少しも気にしているようすはない。それがとても立派なことのように見えた。」 (足立巻一、『評伝竹中郁』/西秋生『ハイカラ神戸幻視行―コスモポリタンと美少女の都へ』から再引用)

うーむ、カッコいい。
しかし、当時の世相を考えると、このカッコよさは相当の覚悟がなければできません。

   ★

竹中が手に取り、自ら文字を書き付け、友人の音楽家に贈った自著を、85年経った今、わたしがこうして手に取っている…。思えば、夢のようですが、これは夢ではなく、たしかな現実です。それは85年前の神戸が、決して夢ではなく、現実に存在したことをも、はっきりと思い出させてくれます。

神戸の夢(2)2017年03月04日 14時20分13秒

(昨日のつづき)

西 秋生(本名・妹尾俊之、1956-2015)著、ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残』(2016)は、大正~昭和戦前に、まばゆい光を放った神戸ハイカラモダニズムを、現在の神戸に重ねて幻視する内容の本です。元となったのは、2009~10年に神戸新聞紙上に連載されたコラム、「ハイカラ神戸幻視行―紀行篇」。

当時の神戸は、他の時代や、他の土地では決して見られない、文字通りユニークな文化的オーラをまとった街だった…というのが、西氏の言わんとするところだと思います。そして、それは土地っ子の身びいきではなく――もちろん身びいきの要素もあるでしょうが、それを差し引いてもなお――真実その通りであると、この本を読むと頷かれます。

多くの異人さんが住み、舶来品が毎日荷揚げされた町は、旧来の日本人にとって、まさに異国の町。他方、船に乗ってやって来た当の異人さんにしても、神戸はもちろん異国の町です。神戸は誰にとっても異邦であり、誰もがエトランジェであり、だからこそ自由であり、夢があったのでしょう。そういう無国籍な街は、往々「魔都」になりがちですが、神戸の場合、その明るい風光のゆえか、始終伸びやかな空気が支配的だったのは、まことに幸いでした。

   ★

明治の香りが匂い立つ旧居留地、北野町の異人館、トアロードの賑わい、緑したたる六甲、阪神間のそこここに展開したお屋敷町、往来する市民を明るく照らした元町通りの鈴蘭灯…。

西氏の文章は、どちらかといえば抑制の利いた、客観描写を主とするものですが、その筆致は、かつてそこにあった建物、かつてそこを行き来した人々を活写して、読者を昔の神戸へと誘いこみます。そして西氏自身、ときに「向うの世界」へと迷い込みそうになる自分を抑えかねる風情が見られます。

たとえば、神戸の中でもとりわけ古い地区――かつて福原の都が置かれ、濃い緑の中に寺社が点在し、幕末に勝海舟が寓居した奥平野地区を歩きながら、氏はつぶやきます。

 「私の幻視行は2010年の今日を出発点として、約八十年前、神戸に無類のハイカラ文化が開花した時代を訪ねるものであるが、奥平野を歩いていると、自分がまさに大正半ばから昭和初期のその頃にいて、そこから明治や幕末の昔を偲んでいる、そんな錯覚に見舞われることがある。

だから、あるいは深夜、漆黒の闇が街をすっかり塗り潰してしまうまで当地に留まっていて、それから暗闇伝いに山麓線をたどって行くと、赤いおとぎ話のような錐塔に彩られたトアホテルに行き着くことができるかも知れない。」  (上掲書 p.237)
〔※改行は引用者。引用に際し、年代の漢数字をアラビア数字に変換。以下同じ〕

こうした<跳躍の予感>こそ、西氏が持つ幻視者としての資質を示すものでしょう。

   ★

さらに、本書の中にちょっと妙な記述が出てきます。
それは、明治の末に、西本願寺門主の大谷光瑞が、西洋趣味とオリエント趣味を混ぜ込んで建てた、奇怪な建築「二楽荘」について触れた箇所です。

(二楽荘本館。ウィキペディアより)

 「私は子どものころ、それと知らずに二楽荘を訪れたことがある。記憶にはこの異形の建造物に向き合った鮮烈な時間のみが刻み込まれていて、前後はまったく定かでない。

 真夏であった。いまから振り返ると天王山の急勾配を登り詰めた果てのことだったのだろう、唐突に広がった視界の真ん中に、思いがけず二階建てのがっしりした洋館が聳え立っていて、私は息を飲んだ。異様な外観であった。濃くくすんだ灰色の壁には細長い窓があり、部屋や庇が複雑な形に張り出している。屋根は赤い。右端はドームになっており、尖塔は玉ねぎを半分に切った形に見える。その先には何もなく、ずっと遠くに見える市街と大阪湾のほうからしきりと風が吹き寄せてくる。それで初めて、全身汗みずくになっていたことに気づいた。昼下がり、蝉の声も途切れて、静寂の中に叢のざわめく音が僅かに漂ってくる。…

 時に甦ってくるたび、何か不思議なおもいに包まれる記憶であった。小学校の低学年か、もっと前かも知れない。二楽荘は阪急岡本の北、山の中腹にあり、そこは幼時の私の生活圏のぎりぎり外縁に当たる。夏休みのささやかな冒険だったのだろう〔…〕」
 (同 p.179-80)

汗をかきかき丘を登り、古いお屋敷の中へ…。
いかにも昭和の少年らしい冒険譚です。しかし、問題はこの次です。

 「〔…〕と納得していたが、長じて二楽荘の詳細を知った私は愕然とした。建物の写真は記憶そのままで懐かしかったけれども、しかし、それは昭和7年(1932)、放火と疑われもした不審火によって全焼してしまっていたのである。〔…〕建築家の伊東忠太が≪本邦無二の珍建築≫と評したこの内部へ、たとえ幻であったにしろ、あの時どうして踏み入れなかったのか、悔やまれてならない。」 (同 p.180)

この前後に、納得のいく説明は一切ありません。ただ、幼時の思い出として、こういうことがあった…と述べられているだけです。

一読ヒヤッとする話ですが、西氏亡き今、真相はすべて闇の中ですし、西氏ご自身にしたところで、真相不明であることは読者と同じでしょう。これを記憶の錯誤や、記憶の再構成で説明するのは簡単ですが、こういうことは軽々に分かった気にならず、心の中でしばし味わうことが大切だと思います。

   ★

私が西氏の文章に強く共感するのは、次のような文章を目にしたことも一因です。
足穂の「星を売る店」の舞台となった、中山手通付近の景観を叙す中で、氏はこう述べています。

 「中山手通の南、市電が走っていたこの箇所は、兵庫県公館として活用されている元の兵庫県庁舎と神戸栄光教会のあるあたりである。往時はこれらの北側、いま「県民オアシス」という公園になっている地に、ドームを乗せた石造りの「兵庫県会議事堂」と煉瓦造りの「兵庫県試験場」が隣り合って建っていた(ともに昭和46年解体)。
 
 その竣工年を調べて、面白いことを発見した。
 兵庫県庁舎は明治35年(1902)で古いが、栄光教会、兵庫県会議事堂、兵庫県試験場はいずれも同年で、大正11年(1922)なのである。そして、「星を売る店」 の発表は、翌大正12年ではないか。
 
 すなわち、この作品の≪ちよっと口では云はれないファンタジー≫、≪ちよっと表現派の舞台を歩いてゐるやうな感じ≫は、実に出現したばかりの最先端の都市景観が醸し出すものであったのだ。まことに、ウルトラモダニスト・タルホの面目躍如と言わねばならない。」
 (同 p.158)

この文章を読んで、私はかつて自分が書いた記事を思い出しました。
何となれば、私もこれらの建物の建築年代と、それが「星を売る店」の成立に及ぼした影響に思いをはせていたからです。

(画像再掲。元記事は以下)

■「星を売る店」の神戸(10)…星店へのナビゲーション(後編の下)

西氏の文章は、拙文より数年前に発表されたものです。
私はそれを全く知らずにいましたが、同じ景観を前に、類似した結論に至ったという、その思路の共通性に、今回一方的に近しいものを感じて、大いに嬉しく思いました。

上の記事を書いた時は、西氏とお目にかかる機会も、かすかに残されていました。
その糸も断たれた今、私自身、夢の名残を反芻するばかりですが、しかし、そのこと自体が西氏の追体験でもある…と思えば、単に寂しいばかりではありません。

(この項つづく)

神戸の夢2017年03月03日 18時35分05秒

ところで、先週と先々週の「ブラタモリ」は神戸でした(明日は奄美大島)。
時間の制約から、やや食い足りないところも見受けられましたが、それでも神戸の街のあれこれを思い浮かべて、しばし画面に見入りました。

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このブログで神戸といえば、何と言っても稲垣足穂が過ごした町。
そして、長野まゆみさんの『天体議会』の舞台となったのも、きっと神戸だろう…ということを、以前長々と書きました。

神戸に関する本は、ずいぶんたくさん出ていることでしょう。
私はそれらを広く読んだわけではありませんが(というか殆ど読んでいませんが)、ただ、通り一遍の観光案内なんぞでなく、神戸の「深層」を語る本として、私が一読深い感銘を受けたのは、西秋生氏の『ハイカラ神戸幻視行』です。

西氏は生粋の神戸人であり、紙資料を博捜するばかりでなく、ご自分の足で神戸中を歩き回り、町の現況を確認し、多くのオリジナルな観察や発見をされています。
この本のことは、すでに4年前にも取り上げました。

■夢の神戸…カテゴリー縦覧:新本編

そのときは、初編にあたる『ハイカラ神戸幻視行―コスモポリタンと美少女の都へ』について言及したのですが、昨年、その続編である『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残り』が刊行されました。

(左・初編(2009)、右・続編(2016)。いずれも神戸新聞総合出版センター)

この2冊は、ともに神戸を縦横に掘り下げた本ですが、その構成がいくぶん違います。
すなわち、初編は「人物」を軸としているのに対し、続編は「土地」を軸としています。この2冊を合わせて読めば、神戸の街に漂う「記憶」や「匂い」が、鮮やかに甦る仕掛けです。

試みに、それぞれの章題のみ、目次から抜粋してみます。

■『ハイカラ神戸幻視行―コスモポリタンと美少女の都へ』
 序章 神戸、その都市魅力
 第1章 宇宙論的挑発(イナガキ・タルホ)
 第2章 美女と美食と藝術と(谷崎潤一郎)
 第3章 詩人さん(竹中郁)
 第4章 妖しい漆黒の光芒(探偵作家たち)
 第5章 カンバスとレンズの向う(小松益喜と中山岩太)
 第6章 港都の誘惑(やって来た人たち)
 第7章 失楽の軌跡(去って行った人たち)
 終章 <ハイカラ神戸>へのコンセプトワーク

■『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残り』
 序章 夢の街へ、街の夢を訪ねて
 第1章 世界一美しい“異国” 元居留地
 第2章 異人館の街 山手雑居地(北野町・山本通)
 第3章 ボヘミアンの闊歩 トアロード
 第4章 繁華街の古層 三宮界隈
 第5章 鈴蘭燈の輝く下で 元町界隈
 第6章 船長文化の開花 中山手界隈
 第7章 夢のミクロコスモス 阪神間
 第8章 山の麓 六甲・王子公園
 第9章 静謐な歴史の街 兵庫
 第10章 明るい海と山と石と 須磨・明石
 終章 時の彼方から

この章題からも、神戸の魅力が尽くされていることが――西氏は「いや、決して尽くされていない」と仰るかもしれませんが――お分かりいただけるのではないでしょうか。

   ★

この美しい2冊の本の「衣装」を手がけたのが、画家の戸田勝久氏で、氏もまた生粋の神戸人と伺いました。その思いは、初編の北野町小路の夜景に、そして続編の昔日のトアロードの光景へと結実し、この2冊を並べることで、神戸の昼と夜が一望できる趣向となっています。

(カバー絵は表と裏で連続し、1枚の絵となっています。戸田勝久画 『神戸幻景 トアロード1928』)

そして見返しには、


 彗星と並んで疾走するボギー車。
 スパークする火花。
 「地上とは思い出ならずや 稲垣足穂」の文字。

   ★

嗚呼、地上とは思い出ならずや…

著者の西氏は、2015年、本書が上梓されるのを見ずに病没されました。
この『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇 夢の名残り』は、西氏の遺著であり、思い出であり、夢の名残りであるのです。そこに深い寂寥を感じつつ、本書の内容についても見てみます。


(この項つづく)

タルホ的なるもの…夜明けの空2016年05月29日 06時49分41秒

「三日月」というのは、月の満ち欠けを基準にした旧暦の三日に出る月の意です。

そして、本来の三日月は、必ず左向きです。つまり、月の向かって右側の縁が明るく輝き、それを人の横顔に見立てれば、その顔は向かって左を向いているわけです。方位でいうと、輝いているのは月の西側、そして顔は東向きです。

(左を向いた三日月。古いトランプのデザイン。)

月が光るというのは、太陽に照らされて光るわけですから、三日月はさっき沈んだばかりの太陽によって、脇から照らされている格好になり、月自身も太陽をおっかけて、宵の内には沈んでしまいます。

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足穂が好む「右向きの三日月」は、これとは天体の位置関係が逆になります。
つまり、間もなく東から顔を出す明け方の太陽に照らされて、月の向かって左(東)の縁が輝き、その横顔を右(西)に向けているのが、「右向きの三日月」です。

もちろん太陽が顔を出しても、月はそのまま空にとどまっているわけですが、細い月は太陽の光に負けて、すっかり目立たなくなってしまうので、右向きの三日月を拝めるのは、夜明け前の一刻に限られます。

語源を考えれば、この状態の月を「三日月」と呼ぶのは変で(旧暦だと25~26日頃の月になります)、昔の人は特に「有明月」と呼びました。でも、今の我々の語感からすれば、「右向きの三日月」の方が、やっぱり分かりやすい気がします。

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さて、そろそろ空が白んできました。


「DAWN(夜明け)」と題された絵葉書。
その絵柄の軽やかさと、オフセット印刷の仕上がりから、わりと最近のものに見えますが、実際には1913年の消印を持つ、100年以上前の絵葉書です。イギリス製。


鎌のように細く光る月と、美しい明けの明星。
静かに夜明けを見つめる幼児は、新しく始まる「時」の象徴でしょう。


夜の名残の澄んだ青は、微妙なグラデーションを経て、オリーブ色の曙光へと変わります。


あの水平線から太陽が顔を出すのも、もうじきです。

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夜通し歩いたタルホ界の散歩も、これでひとまず終わりです。
またいつか、夜の匂いが恋しくなる頃に、ご一緒しましょう。

タルホ的なるもの…神戸のBARへ2016年05月28日 15時05分46秒

タルホ界の散歩も、漫然と界隈を徘徊するだけなら無限に続くでしょうが、他の話題にも進みたいですし、ぼつぼつ切り上げようと思います。

今日は、現実の地上世界に戻り、足穂氏がふらりと立ち寄るかもしれない、神戸のバーを訪ねることにします。

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神戸の「外人バー」と聞くと、昔を知る人にとってはかなり恐ろしい場所で、いわゆる「不良外人」が群れて、よこしまな行為を平然と行った場所…というイメージのようです。

神戸の歴史にうといのですが、しかし、ここでいう「外人バー」は、戦後闇市の時代に生まれた“魔所”で、さらに遡って戦前の「外国人向けバー」になると、名前は似ていても、その実態は随分異なるものじゃないかと思いますが、どんなものでしょう。この辺は、事情通のご説明を待ちます。

   ★

さて、そんな戦前の神戸のバーのビジネスカードを見つけました。


いずれも外国人向けに営業していた店らしいので、こういうエフェメラは、日本にあまり残っていなくて、かえって外国の市にひょいと出たりします。これを売ってくれた人の国籍も、アメリカ、ドイツ、イギリスとさまざまで、そこに神戸の性格がはからずも出ています。


元町1丁目で、チャーリー・ヘンケルマン・ジュニアが営んでいた「チャーレー・ジュニア・バー」。

姓からすると、オーナーはドイツ系でしょうか。
神戸にはいろんな人が、いろんな事情で住んでいたので、日本生れの青い目の酒舗オーナーがいても、ちっとも不思議ではありませんが、それにしても彼はいったい戦中・戦後をどのように過ごしたのか。(ここで、何となく手塚治虫の名作『アドルフに告ぐ』を思い出します。)


元町3丁目の「セントラルバー」。

どうかセントラルバーへ忘れずお立ち寄りください。
きわめてお安く、最高の品質をご提供。
最高の酒!!!

…と、びっくりマークが3つも付いていますが、その言語感覚にはちょっと独特のものがあって、ニュアンスを出しにくいです。ピジョン・イングリッシュとまでは言いませんが、この辺が戦前の国際港の雰囲気なのかもしれません。

それは生田神社そばの「オ、ケ、バー」になると、いっそう著しく、


美しく清潔な女の子たちが最高のサービスを。
すべて真っ当な商い。
いんちきなし。

…と言われて「なるほど、こりゃいい」と思う人はいないはずで、とっさに身構えると思うのですが、でもそこにキワモノっぽい面白さを感じて、かえって立ち寄ってみる気になるのかもしれません。

さらに下山手通の「横浜亭」になると、私の英語力ではまったく理解することも、訳すこともできません。


最低の酒と料理」、そして「望みうる限り最も醜い女給」が自慢のこの店で、足穂氏と酒杯を挙げるのは、何だか素敵な思いつきのようでもありますが、しかしこの店の亭主が根っからの正直者だったら…と思うと、やっぱりちょっと躊躇するものがあります。

   ★

戦前の神戸。やっぱり不思議な街です。
そして、夜毎に何か起きそうな街です。

タルホ的なるもの…月、大いにくつろぐ2016年05月27日 20時33分04秒

たらふく飲み食いした後で、満足げに葉巻をくゆらす月。

(1900年頃のシガーラベル)

ブランド名の「Maaneklips」は英語でいう「Moon eclipse」、すなわち「月食」の意味でしょうが(注)、どうも月食どころか、今や丸々肥え太って、憎らしいほどです。


それにしても、何と鮮やかな石版でしょう。



何度も刷りを重ねた色版、美しい金彩銀彩、それにエンボス加工。
第1次大戦前のドイツが誇った石版技術の質の高さをうかがうに足る品です。

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ときに、なぜこれほど精巧な作が求められたのか?
そこにはメーカーの美意識ばかりでなく、あるはっきりとした理由があったことを、ウィキペディア・「葉巻たばこ」(http://tinyurl.com/zp6p6ul)のページを読んで知りました。

その理由とは、ずばり「偽造防止」。
葉巻に高級ブランドが確立すると、それを模造して一儲け企む業者も出てくるわけで、それを防ぐために、どんどん印刷精度が高まっていった…ということのようです。
以下はウィキペディアからの引用。

 「シガーラベル」とは葉巻を封入した箱の裏蓋を封じた約15×22センチの紙である。当初は簡単な図柄だったが、模造品対策からキューバシガーの箱では20色もの多色刷り石版印刷や箔押し加工が行われていた。1920年代以降は写真製版印刷のラベルが用いられている。写真製版導入前の物は美術的な評価が高く、現在では石版印刷の再現が難しいことから骨董品としても珍重されている。

上の月食ラベルを見ても、この記述の正しさは素直に納得できます。

   ★


さらに一本一本の葉巻に巻かれた「シガーバンド」にも、こまやかな神経が行き届いています。


これを「小芸術」と言わずして何と言いましょう。
三日月を偏愛する足穂氏も、この黒と金の衣装をまとったフルムーン氏には、合格点を与えてくれるはず。


【注: 些末なメモ】

シガーラベルは昔からコレクターが多いので、この品も簡単に正体が分かるだろうと思いきや、意外にそうでもありませんでした。

そもそも、ブランド名の「Maaneklips」からして謎で、上で述べたように、何となく英語の「Moon eclipse」(月食)の意と察しがつくし、風車の絵からしてオランダ語っぽいと思いますが、オランダ語の正書法は(Google曰く)「Maan eclips」だそうです。

シガーバンドに見える「Stanislas Gheel」というのがメーカー名だと思いますが、「Gheel」は、ベルギーの町「Geel(ヘール)」の別綴で、どうもこれはオランダではなく、ベルギーのメーカーのようです。そして、いわゆるオランダ語と、ベルギーで使われるオランダ語(フラマン語)とでは、またいろいろ違うので、「Maaneklips」というスペルは、そのせいかもしれません(違うかもしれません)。

タルホ的なるもの…月、大いに酔う2016年05月26日 19時55分33秒

クロモ刷りの戦前のトランプ。


こちらも夜空を舞い飛ぶ飛行機と飛行船です。
さらに三日月、アルコール…とくれば、これはもうタルホ以外の何物でもありません。

飛行機のマークはイギリス空軍のもので、おそらく産地もイギリスでしょう。
時代的には第1次世界大戦の前後と思います。


道化めいた小男の振る舞い酒で、金色に輝く月は、もうすっかり出来上がっている様子。他の飛行機も、ご相伴にあずかったのか、いささか桿さばきがウロンです。
ルージュの夜空のバンケット。

地上では、そんな絵柄のトランプを手に、こちらも大いに盛り上がっている頃合いでしょう。

   ★

以下余談ですが、メモ代わりに。

上のトランプは、実は手元に1枚しかありません。なぜ1枚きりかというと、これは「スワップカード(交換カード)」と呼ばれるものだからです。

スワップカードというのは、別にそういう特別なトランプがあるわけではなくて、やっぱり普通のトランプなのですが、本来<52枚+ジョーカー>から成るトランプセットをばらして、1枚ずつ単独で交換・蒐集されるカードを、特にスワップカードと呼びます。

(このカードはクラブのジャック)

スワップカードがいつ始まったかは寡聞にして知りませんが、かつてトランプ・コレクターの中に、「裏面のデザインを楽しむだけなら、別にカードを全部持っている必要はないじゃないか。中の1枚だけ手元に残し、他のカードを別のコレクターと交換すれば、お金もスペースもずっと節約できるぞ!」…と思いついた“知恵者”がいて、始まった風習のようです。

もちろん、トランプ・コレクターの中には、それをいさぎよしとしない人も多く、スワップカードは、その界隈でも依然傍流だと思います。そして、その風習には明瞭な地域差があって、現在スワップカードが最も一般化しているのは、オーストラリアだそうです(その理由は不明)。たしかに、eBayでもスワップカードを扱っているのは、オーストラリアの業者が目立って多く、このカードもそのうちの1人から送ってもらいました。

まあ、トランプを1枚だけ持っていても、どうしようもないのですが、スワップカードというものが存在しなければ、決して目にできなかったトランプのデザインも多いでしょうし、無傷のトランプをばらすのは確かにもったいないですが、カードが欠けて使えないトランプの有効活用になる…という効用もあります。

タルホ的なるもの…光楼と夜の飛行者2016年05月25日 19時49分58秒

下は大正頃のマッチラベル。
先日、摩天楼の月が登場しましたが、新大陸に築かれた巨大な建築物が、同時代の日本の想像力をいかに刺激したか、このマッチラベルはその好例ではないでしょうか。


頂部からだんだらの光を放つビルヂング。
そして、誘蛾灯に集まる虫のように、その周囲を舞い飛ぶ飛行機、飛行船。


Air Light」とは、「拡散光、大気散乱光」の意。
それにしてもスゴイ絵柄です。


しかも、高楼はさらにズンズンと成長を続け、今や空の頂点を極めんとする勢い。

   ★

このマッチラベル、夜空をゆく飛行機や飛行船だけでも、十分タルホ的です。

さらに、こうした「夜空に光を放つ高楼」のイメージが、足穂の脳髄とペンを刺激し、そこから「ポン彗星の都」や「パルの都」のような幻想都市が産み落とされたことは、以前も記事にしました。

(画像再掲。1915年、サンフランシスコで開かれた「パナマ太平洋万国大博覧会」の光景)

■円錐、彗星、光の都(後編)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024548

   ★

高楼建築は、単なる土地利用の経済効率から生まれたものではない…というのは、たぶんその通りで、バベルの塔のように、人間が自らの力を誇るシンボルとしても、また早くに失われた東大寺七重塔のように、人智を超えた存在を賛嘆し、それに捧げるものとしても作られ続けてきました。

そうした感覚は今も濃厚にあって、一国の市民が自らの繁栄を誇りたいと思えば、超高層ビルをにょきにょき建てて、それをことさらニュース映像の背景に使ってみたりするものです。それは単なる物理的構造物を超えた、人間の想念の世界に生きる存在のようでもあります。

   ★

かつて讃岐の沖合に、高さ30丈、すなわち100メートル近くもある巨大な玉(ぎょく)製の塔がそびえ立ち、その中には光を放つ明珠が祀られていました。唐土より贈られたその珠を、竜宮の民から人間の手に取り戻すため、そしてそれによって我が子に幸をもたらすために、自らの命を投げ捨て、壮烈な最期を遂げた一人の海女。

…というのが、能・「海士(あま)」のストーリーです。

少年時代の足穂は、父の命によって仕舞(能における舞だけを独立させたもの)を習っていましたが、彼が2番目にならった曲が「海士」です。足穂少年は、その頃海女さんの救命綱が切れるという現実の事件に偶然接し、この曲はことさら彼の脳裏に残ったといいます。

そして謡曲の舞台「讃州沖」は、同時に足穂の故郷・明石の沖でもあって、後年の追想記『明石』では、允恭紀に引かれた「赤石海底有真珠」のエピソードと、少年時代の「海士」の思い出を結びつけて書いています。

(観世流仕舞教本より、「海士・玉之段」の一節)

足穂がどこまで自覚的だったかは分かりませんが、彼がパナマ太平洋万国大博覧会のシンボルタワー、宝玉塔(Tower of Jewels)」の絵葉書を見せられたとき、この「海士」の潜在記憶が刺激され、その作品にも影響を与えたのではないか…というのが、私の想像です。

もしこの想像が当っているなら、足穂にとって「光を放つ高楼」は、その非情な相貌とは裏腹に、何か母性を感じさせるものだったかもしれません。

タルホ的なるもの…黒猫の煙草2016年05月24日 06時25分33秒

そういえば、京都に行く前、足穂でひとしきり盛り上がっていました。
いつもの理科趣味や天文趣味の話題に戻る前に、もうちょっとタルホ界を徘徊してみます。

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足穂の『一千一秒物語』には、「黒猫のしっぽを切った話」というのと、「黒猫を射ち落した話」というのが載っています。

前者は、黒猫をつかまえて尻尾を切ったら、キャッという声とともに、尾の無いホーキ星が逃げていくのが見えた…という話。後者は、何か頭上を逃げるものがあるので、ピストルで撃ったら、ひらひらとボール紙製の黒猫が落ちて来た…というもので、足穂氏は黒猫をずいぶん虐待しています。そして、虐待しつつも、やっぱり愛していたようです。

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下は、鴨沢祐二さんの「流れ星整備工場」の1ページ。
連れだって歩くのは、例によってクシー君と親友のイオタ君。

(初出は「ガロ」1976、『クシー君の発明』1998所収)

「そういえば、煙草がほしいね。」
「うん、一箱買おう。」

「≪黒猫≫なんて聞いたことないね」
「でもリボンがしゃれてる」

二人が愛煙家になったわけは、シガレットのボール紙製パッケージが、チョコレートのそれよりもずっと素敵で謎めいているから。

二人はこのあと、黒猫の導きで、謎の「アナナイ天文台」を訪ね、キセノン博士から同じ煙草を勧められます。


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この黒猫の煙草は、実在のブランドです。


スペイン貴族のドン・ホセ・カレーラス・フェレールが、19世紀にロンドンで興した「カレーラス煙草会社」が売り出したもので、その物語はWikipediaの「カレーラス社」の項に詳しく書かれています。


その冒頭部の適当訳。

「ブラックキャット」は、今や世界中で売られている煙草の銘柄だが、この名前はささいなことから広まった。その元となった黒猫は、ごくふつうの飼い猫で、ドン・ホセのウォーダー・ストリートの店の窓辺で、いつも何時間も丸くなって眠っていた。まだ20世紀になるずっと前の話である。

この猫が通行人にすっかり馴染んだおかげで、ドン・ホセの店はやがて「黒猫の店(black cat shop)」として知られるようになった。ドン・ホセは、この猫を会社のシンボルにしようと思いたち、1886年、黒猫はカレーラス社の最初の商標として登録された。

その後、この猫は「ブラックキャット」の包装デザインの一部となり、「JJC(Don José Joaquin Carreras)」のイニシャル上に、黒枠付きの白丸の中に描かれるようになった。
そして1904年、「ブラックキャット」は、イギリス最初の機械製造式タバコの1つとして発売された。



…というところから、黒猫の物語は始まり、その後、カレーラス社の巧みな商策もあって、20世紀はじめには一大黒猫ブームが起こり、ファッションにまで影響を及ぼした…というようなことが、上の記事には書かれています。

(パッケージの裏)

煙草のパッケージ・デザインは何回か変わっていますが、クシー君愛用の上の品は、1930年代頃のもの。

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冒頭に載せた足穂氏の2作品では、黒猫はいずれもパッと煙を上げて姿を変えることになっていて、現実世界でも、タルホ界でも、黒猫には煙がお似合いのようです。

タルホ的なるもの…星に煙を2016年05月14日 19時54分40秒

タルホ界を徘徊し、ちょっと草臥れたので、この辺で一服つけましょう。

(画像再掲)

これまで何度か顔を出している「STAR」シガレット。
これをふかそうと思うのですが、ちょうどいい相棒を見つけました。


「STAR」マッチ。


こういうのを何て言うんですか、似た者夫婦、好伴侶、ベターハーフ…
箱だけのシガレットに、ラベルだけのマッチは、確かに好一対です。

見えないマッチで、見えない焔をともし、
見えない煙草をくわえて、見えない煙を吹く…
タルホ界では、さして珍しいことではありません。

(明日・明後日は小旅行に出るので記事はお休みです。)