タルホの夕べ(芦屋にて) ― 2026年06月08日 19時42分07秒
昨日は芦屋の月光百貨店で開催中の「月を賣る店」にお邪魔し、画家・装幀家の戸田勝久氏、そして歯科学のご本業の傍ら、古書と出版史を研究されている小野高裕氏の対談を拝聴してきました。お二人の話に時の経つのを忘れましたが、同時に会場を埋め尽くした人々の姿に、足穂の徒の健在ぶりを知ることができ、とても心強く思いました。
(『戸田勝久展 ― 旅の手紙』、ぎゃらりぃ思文閣、2006年)
ここで戸田氏は足穂に傾倒され、足穂にインスパイアされた作品をたくさん描かれてきたので、対談の主として特に異とするに足りませんが、一方の小野氏はというと、氏は大正モダニズムを体現する雑誌、『女性』と『苦楽』の版元であるプラトン社の研究もされていて、そこに若き日の足穂が作品を発表していたことから、当夜の対談に至ったとお聞きしました。(そしてまた戸田氏と小野氏は古くからの友人であり、ともに阪神間モダニズムの余香に親炙されてきたという地縁もあります。)
対談では、お二人が所蔵する貴重な書籍、雑誌、肉筆資料の現物を示しながら、若き日のタルホ、すなわち『一千一秒物語』に代表されるタルホの横顔が生き生きと語られました。
その中には、美しい挿絵入りで『婦人グラフ』の誌面を飾った「染料会社の塔」や、「シラノ・ド・ベルジユラツクの月世界旅行」の現物もあり、何となく白黒写真だけで知っていた人がカラー写真で突如よみがえったような驚きを味わいました。
(『足穂拾遺物語』(青土社)より。同書で両作品の解題を書かれたのも小野氏です。右下は「染料会社の塔」。青空から青の染料を作るという、一寸たむらしげるさん味のある童話。左下はご存知、シラノの月世界旅行)
(右に写っているのは、当日資料として配布された「天体嗜好症」のコピー。単行本化は1928年ですが、初出誌は前出のプラトン社の『女性』1926年4月号です)
対談を堪能したあと、私はおずおずと持参した画集をカバンから取り出し、戸田氏にちゃっかりサインをいただいた…というのが、個人的なハイライトで、いかにも厚かましい気はしましたが、めったにない機会ですので、ここは厚顔を決め込みました。
そして拙ブログをご覧になったという、コラージュ作家の山本佳世さんにお声がけいただいたことも嬉しい出来事で、こういう出会いはネット空間にとどまっていては得難いことですから、やっぱり会場に足を運んでよかったです。
かくも素敵な機会を与えていただいた、月光百貨店主の星野時環さんと、裏方で尽力された福本タダシさんにこの場を借りて厚くお礼を申し上げます。
★
余談ながら、この日会場に向かう前、自らに課したテーマが「阪神間モダニズム」の空気を体感することで、そのため芦屋の高台をうろうろしていました。
六麓荘あたりを見て回ると、大正~昭和戦前といわず、今でも関西のお金持ちというのは底知れぬ存在であることが、よく分ります。まあ、お金持ちは日本中にいるでしょうし、今は東京一極集中の傾向もありますが、屋敷の外構や植栽ひとつとっても、そこには自ずと文化的伝統の厚みが備わっているのを感じました。
月を賣る店 ― 2026年05月26日 17時53分10秒
前回話題にした「ゼーンズフト(憧憬)」。
その言葉自体は、1800年前後のドイツで盛んに用いられたものかもしれません。でも、その意味合いを知ってみれば、そうした思いを心に抱く人は、21世紀の日本にも少なからずおられることでしょう。
ゼーンズフトの徒による、ゼーンズフトの徒のためのイベント―。
下のイベントは、おそらくそう表現しても、あながち間違いではないでしょう。
■月を賣る店 ―― 月光百貨店10周年記念 稲垣足穂オマージュ展
○会期
2026.5.30 (土) ~ 6.14 (日) 14:00~20:00
※6/1, 4, 9, 12は閉店
○会場
月光百貨店
(兵庫県芦屋市茶屋之町12-2 最寄駅:JR芦屋/阪神芦屋)
○出品作家(敬称略)
イイノチエ、kazeasobi、川島朗、中川ユウヰチ、福本タダシ
星野時環、山本佳世、よこやまぺん、よりそう
○資料提供(同)
小野高裕、戸田勝久、玉青@天文古玩
○公式HP(月光百貨店トップページ)
(詳細はこちら)
足穂を冠したイベントですから、その根幹が足穂その人への思慕の情であるのは当然です。でも、ここで表現されているのは、おそらくそれだけではないでしょう。この会場にたたずむのは、生身の「人間・稲垣足穂」であるよりは、一人ひとりのイメージによって命を吹き込まれた「足穂のファントム」だという気がします。
生身の足穂はひとりきりですが、足穂のファントムは十人十色、まさに変幻自在。そのいずれもが、銘々のゼーンズフトが足穂を核に結晶化した姿ではなかろうか…と、にわかにゼーンズフトづいている者として思います。
なお、私もチラッと資料提供者として名を連ねています。
おこがましい限りですが、私自身の足穂イメージをシガレットケースに詰め込んだ「タルホの匣(はこ)」を、今回会場に置かせていただくことにしました。オブジェ好きだった足穂への私なりのオマージュです。
まあ、足穂のファントムがさまざまであるように、足穂ファンの数だけタルホの匣もあり得ます。この小さな匣が、そのための呼び水になれば望外の幸せです。
月街星物園 ― 2026年02月11日 13時41分14秒
イラストレーター、まりの・るうにいさんの『月街星物園(つきまちせいぶつえん)』(北宋社、1979)は、るうにいさん初の画文集です。その成立事情は、「あとがき」にこう記されています。
「古本屋をぐるりぐるりとまわっているうちにみつけたのが、星の散りばめられた青い表紙の本、稲垣足穂著『宇宙論入門』でした。読み終わってすぐに描きあげたのが、「『青い花』の断片」です。それ以来ルフランのパステルでタルホ・コスモスの飾画があっという間に二百枚ほどできあがり、そのなかから三十数枚の作品を選びだしまとめられたのがこの画文集です。」
(タイトルページ。ブック・デザインは羽良多平吉(はらたへいきち))
上の文章の後に続けて、「ここに収録した作品は主に一九七三・四年までのものが中心です」ともあるので、るうにいさんと足穂の出会いは1970年代初頭のことと想像します。
1970年代以降、るうにいさんは絵筆で、パートナーの松岡正剛さんはペンで、足穂の魅力を存分に描き、足穂ブームの牽引役を果たされました。この『月街星物園』も、1977年に没した足穂に捧げる玲瓏とした花束だと感じます。
(土星酒場)
足穂との出会い…というと、多くの人が挙げるのは『一千一秒物語』でしょう。
るうにいさんも、もちろん同書に親炙されたはずですが、「タルホ画」制作のきっかけとなったのは、あくまでも『宇宙論入門』でした。何かそこに意味があるような気がして、私も「星の散りばめられた青い表紙」の『宇宙論入門』を取り寄せることにしました(1947年に新英社から出た初版です)。届いたら、それを眺めながら、るうにいさんにとってのタルホイメージを、今一度考えてみようと思います。
(ウェルズ氏の最後のラッパ)
★
ところで、『月街星物園』には、ここで紹介したオリジナル版のほか、2014年にLIBRAIRIE6(シス書店)から出た再版もあります。
(手前が再版。判型がひと回り小さくなりました)
ただし、「再版」といっても、その内容はかなり異なります。
画文集の「文」の方は6篇のエッセイで変わりませんが、「画」の方はオリジナル版がカラー8点、モノクロ22点の計30点を収めるのに対して、再版はカラー12点のみです。
参考として、両者の収録作品一覧を挙げておきます。
(薄青の網掛けが両者で共通する作品)
ご覧の通り、オリジナルと再版で共通するのは7点のみです。
したがって、るうにいファンや足穂ファンは、これは両方入手して然るべきで、そうしても決して無駄にはなりません。
タルホ、大いに怒る ― 2025年12月28日 08時35分41秒
昭和46年(1971)の日付けを持つ、稲垣足穂の自筆葉書が手元にあります。
「御便り拝見 そちらはそちらで「顔」ということもありますから 出版紀念会をおやりになったらよいでしょうが、私は、メッセージなど、そんないじましい小細工を弄すことをするのは真平です。文学作品刊行は原則として「有害無益」 まして出版紀念会など、一般人に対して威張る根拠がどこにあるか。そのようにおつたまえ〔ママ〕下さい」
文字も文章も乱れているし、しかもそれを速達で送りつけているのは、怒り心頭だったのでしょう。1971年当時の足穂は坊主頭で、逆立てる頭髪を持ちませんでしたが、気持ちの上では怒髪天を衝く思いだったかもしれません。
葉書をもらった藤井宗哲(ふじいそうてつ、1941-2006)は、臨済宗のお坊さんで、鎌倉建長寺で修行僧の食事を調える「典座(てんぞ)」役を務め、後に日本料理研究家として、また演芸評論家として文名を挙げた人。1971年当時は、まだ30歳の青年僧です。(気付先の鎌倉雪ノ下の「くるみ」は、今も続く甘味喫茶です。)
国会図書館のデータベースを見ると、藤井が関わった出版物は、1974年に出た落語協会(編)『艶笑・廓ばなし』が最初で(藤井はその解説文を書いています。ずいぶんさばけたお坊さんですね)、1971年当時はまだ著書を持ちませんでしたから、これは第三者の出版記念会に足穂のメッセージがほしいと、藤井を通じて依頼があったことへの返書でしょう。
返事をもらった藤井も、まさか文面通り相手に伝えることもできず、相当困ったと思いますが、でも足穂の文学観を知る上で、これは貴重な一枚だと思います。何せ文学作品刊行は「有害無益」と言い切っているのですから。果たしてそれまでの自身の行いは何だと思っているのか、少なからず不思議な気もします。
へそ曲がりの足穂のことですから、所詮文学は「よしなしごと」であり、「狂言綺語(きょうげんきご)の堕地獄のわざ」と観じていたか、文学の目的は「書くこと」それ自体であり、それによって名利を求めるなどもってのほかと考えたか、いずれにしても出版記念会などは俗も俗、俗の最たるものと考えていたのは確かでしょう。
★
ただ、足穂の怒りの矛先は、もっぱらその出版記念会の主に向けられており、藤井に対する悪感情はなかったと思います。藤井と足穂の関係は、同じ1971年に足穂夫人である稲垣志代さんが出された『夫 稲垣足穂』に生き生きと描かれています(222-3頁。〔 〕内は引用者)。
二、三年に一度か二度、托鉢姿の藤井宗哲さんが訪ねてこられる。
彼は京都から埼玉まで、歩いて行ったことがあった。紅葉で有名な高尾のお寺にいたかと思うと、大阪湾の見える河内の山からお便りがあったりする。和歌山からは、自作のじゃが芋を持ってきてくれた。
稲垣は「あれがほんまの雲水や」といっていたが、訪問が重なるにつれ、しだいに風格も備わり、坊さまらしいお辞儀も鮮やかになってきた。稲垣は、
「どうやらほんものらしいなってきたなあ。挨拶が板についてきた」
彼は、稲垣の作品をどこでみるのか、新聞のコラムから雑誌の編集後記評まで知っていて、自ら稲垣門下の一員だと称していた。
鎌倉の建長寺から修行中との便りがあり、その後養斉の家〔※桃山町養斉は足穂が住んだ土地の名〕にみえて、お寺での修行の日常など語られた。私は「人間わざでない」と感心させられた。稲垣は、
彼は京都から埼玉まで、歩いて行ったことがあった。紅葉で有名な高尾のお寺にいたかと思うと、大阪湾の見える河内の山からお便りがあったりする。和歌山からは、自作のじゃが芋を持ってきてくれた。
稲垣は「あれがほんまの雲水や」といっていたが、訪問が重なるにつれ、しだいに風格も備わり、坊さまらしいお辞儀も鮮やかになってきた。稲垣は、
「どうやらほんものらしいなってきたなあ。挨拶が板についてきた」
彼は、稲垣の作品をどこでみるのか、新聞のコラムから雑誌の編集後記評まで知っていて、自ら稲垣門下の一員だと称していた。
鎌倉の建長寺から修行中との便りがあり、その後養斉の家〔※桃山町養斉は足穂が住んだ土地の名〕にみえて、お寺での修行の日常など語られた。私は「人間わざでない」と感心させられた。稲垣は、
「薄いカユと、親指の先ほどの焼きミソと、タクアン二切れでやっていく自信は、ぼくにもある」
といったが、私は思った。
<しかしあなたには、それに斗酒がつく>
といったが、私は思った。
<しかしあなたには、それに斗酒がつく>
まあ、それだけ心安い相手だから、これだけ毒づくこともできたのでしょう。
★
1900年12月26日、稲垣足穂誕生。
一昨日は、彼の125回目の誕生日でした。
それを記念して、今日は兵庫県芦屋の「月光百貨店」さんで「Taruholic Cafe タルホリックカフェ vol,3」が開催(14~20時)されるというご案内を先日いただきました。俗世のしがらみで伺えない私も、こうして足穂の肉声をお届けすることで、イベントに協賛させていただきます。
葉書のタルホは大いに怒っていますが、こうして稲垣門下が連綿と続いていることを知れば、きっと相好を崩すと思います。
クシー君の夢の町(2) ― 2025年09月07日 09時00分08秒
以前、1枚の幻灯スライドを載せたことがあります。
(元記事: 無理矢理な月(第4夜)…夢の町へ)
1900年代初頭のアメリカのどこかの町らしいのですが、昼間写した普通の写真を、手彩色で無理やり夜景に仕立てたため、図らずも強い幻想性を帯びた1枚です。
記事の中で、私はやっぱり「夢の町」という言葉を使って、「この光景は、かつて鴨沢祐仁さんが筆にした夢の町そのもの」だと書いています。
(鴨沢祐仁「流れ星整備工場」の一コマ。出典: 同上)
ということは、過去のアメリカの某市こそ、クシー君の夢の町なのか?…と一瞬思いますけれど、でも「夢の町」は「幻の夜景」の中にのみ存在するので、仮にタイムマシンで100年余り遡って某市を訪ねても、それが昼だろうが夜だろうが、クシー君の世界を目にすることは決してないでしょう。
★
ともあれ、クシー君の夢の町に欠かせないのが路面電車です。
初期から晩年の作品に至るまで、クシー君はいつも電車通りを歩き、路面電車は電気火花をまき散らしながら、その脇を走り抜けていきました。
その躯体はたいていボギー車【LINK】で、ボギー車という言葉は別に路面電車に限るものではありませんが、私の中では何となく同義になっています。
私が「夢の町」を作るため手にしたのも、ミントグリーンを基調にした、まさしくボギー車。長さは約19センチ、鋳鉄製でずっしりと重いです。
売り手はウィスコンシンの業者で、1950年ころの品という触れ込みでしたが、メーカー名の記載がどこにもなく、値段もごく安かったので、これはレトロ市場を当て込んだ、今出来の中国製かもしれません。まあ無国籍なところが、夢の町にふさわしいといえばふさわしい。
(造りはかなり粗っぽいです)
クシー君を乗せてガタンゴトン、パンタグラフから火花がバチッバチッ。
★
それにしても、作者・鴨沢さんにとって、路面電車はどういう存在だったのでしょう。
新装版『クシー君の発明』(PARCO出版、1998)のあとがきで、鴨沢さんは次のように述べています(太字は引用者)。
「当時〔注:1975~77年〕のぼくのマンガの原料はわずかな貧しい資料と幼年期の思い出だった。とりわけ思い出の比重は大きく、幼稚園の隣に立っていた奇妙な天文台のドームやそこで覗いた土星の輪っかや列車の操作場で遊んだ記憶、マッチ箱の電車と呼んでいた花巻電鉄のボギー電車、地方都市のちっぽけなデパートの屋上遊園地、鳴らないベークライトのポータブルラジオや懐中電灯がおもちゃだった。
〔…〕当時の絵の独特のテイストがあのダサいノスタルジーに在るのだとすれば、それはやはり幼年期の記憶に由来するのだと思う。」
〔…〕当時の絵の独特のテイストがあのダサいノスタルジーに在るのだとすれば、それはやはり幼年期の記憶に由来するのだと思う。」
鴨沢さんにとって、路面電車は何よりも無垢なノスタルジーの世界の住人でした。
ただ、それが単なるインファンタイルな存在を超えて、「カッコいいもの」へと転じたのは、晩年の1970年代になって俄然ブームとなった稲垣足穂の影響が及んでいる気がします。足穂の「夢の町」――それは現実の神戸の反映でしたが――にも路面電車は欠かせぬ存在でした。
(西秋生(著)『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇』見返しより。作画は戸田勝久氏。元記事: 神戸の夢)
★
今日の記事は、妙に過去記事からの引用が多くなりました。
まこと、「地上とは思い出ならずや」。
(この項つづく)
クシー君の不思議な発見は今も続く ― 2025年09月05日 20時31分24秒
ブログを長く続けていてよかった…と、しみじみ嬉しく思うことがあります。
昔の記事にふとコメントを頂戴するのもそのひとつ。
★
今日、yama さまから頂いたのは、なんと15年前の記事に対するコメントです。
(元記事:永遠のクシー君憧憬)
そのこと自体うれしい驚きでしたし、そこでお知らせ頂いた内容が、当時見たくても見られなかった「幻のCM」が、今ならあっさりYouTubeで見られるという、これまた嬉しい驚きを伴うものでした。
その「幻のCM」とは、故・鴨沢祐仁氏の作品を代表するキャラクター「クシー君」と、相棒役であるウサギの「レプス君」を起用した、森下グリーン仁丹のCMです。
このCMが、横浜の放送ライブラリーに行けば視聴可能ということは、記事を書いた7年後(!)に、別の方からお教えいただきましたが、現物を見る機会は今日に至るまでついぞなかったのです。
それがYouTubeにアップされたのは、今から6年も前ですから、迂闊といえばずいぶん迂闊な話ですが、出会いはタイミングであり、こうしてお教えいただかなければ、一生見る機会はなかったかもしれません。(それにしても、6年間で再生回数が3,600回あまりとはいささか寂しい話。ぜひ皆さんにも視聴をお願いしたいと思います。)
放送ライブラリーのデータベース【LINK】を見ると、このCMは
○タイトル グリーン仁丹「クッシー君の不思議な発見」
○制昨年 1982年
○時間 30秒
○広告主 森下仁丹
○広告会社 博報堂
○制作会社 TCJ
○制昨年 1982年
○時間 30秒
○広告主 森下仁丹
○広告会社 博報堂
○制作会社 TCJ
となっています。ウィキによれば、TCJとは「Television Corporation of Japan Co.,Ltd.」の略で、老舗のCM会社として、かつてはアニメ制作部門も有し、スーパージェッターや鉄人28号を作ったのはこの会社だとあって、へえ…と思いました。
★
このCMはわずか30秒のショート作品ですが、そこにはいくつか注目すべき要素があります。
●紫のボウタイ姿で夜の散歩を楽しむクシー君(レプス君は赤いタイ)
●輪っかを取り落とす土星
●グリーン仁丹に変じた星粒を口にする二人
●夜の町を走り抜けるボギー車…
●輪っかを取り落とす土星
●グリーン仁丹に変じた星粒を口にする二人
●夜の町を走り抜けるボギー車…
これは鴨沢氏オリジナルであると同時に、かなり足穂色の濃い作品と感じます。
★
今回嬉しかった、もうひとつのこと。
私はきっと足穂も仁丹を作品中に登場させていると思い、「足穂 仁丹」で検索してみました。すると確かに、「タッチとダッシュ」(「文芸レビュー」1929年11月)の中で「お星様にしろ、仁丹ほどのつぶになって後頭部にはいってこそ、である」と、彼は書いていることを知りました。偶然とはいえ、グリーン仁丹のCMには、確かにその残響が感じられます。
★
上の事実を教えていただいたのは、下の論文です。
■川端あや(著)
「稲垣足穂の月・星・夜―「一千一秒物語」を中心に―」
『日本文學』(東京女子大學日本文學研究會 [編])
118号(2022.3.15発行)、 pp. 85-101.
「稲垣足穂の月・星・夜―「一千一秒物語」を中心に―」
『日本文學』(東京女子大學日本文學研究會 [編])
118号(2022.3.15発行)、 pp. 85-101.
川端氏は論文発表時、博士前期課程に在籍されていたそうで、足穂世界がこうして若い方にしっかり引き継がれていくのは、これまた嬉しいことです(ひどく老人めいた感慨ですが)。
そして何よりも、論題が拙ブログ的には絶対見逃せないものですから、深甚の興味をもって拝読しましたし、巻末の注の中に、常連コメンテーターであるS.U氏のお名前を見い出して、一種のスモール・ワールド現象を味わい、そのことも嬉しく感じられたのでした。
★
こうして嬉しい驚きの連鎖を与えていただいたyamaさまに、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。
青色彗星倶楽部 ― 2025年02月24日 21時50分53秒
足穂の作品に登場する「赤色彗星倶楽部」ならぬ「青色彗星倶楽部」のピンバッジ。
見るなり、「む、これはタルホチック…」と思いました。
でも実際には、「Blue Comet Motorcycle Club」すなわち「青色彗星オートバイ倶楽部」と呼んだほうが、より正確です。このクラブはペンシルバニアに実在しており、立派なサイトも開設しています。
■Blue Comet Motorcycle Club
1937年に結成された、全米で最も古いオートバイクラブのひとつで、さらに歴史をさかのぼれば、1913年結成の「Black Cats」というオートバイクラブがその前身だそうです。Black Cats から Blue Comet へ―。これまた実にタルホチックな話ではないでしょうか。
★
足穂の「赤色彗星倶楽部」は、彼の自伝的小説『弥勒』の中で、主人公・江美留少年の脳内に萌した幻影として登場し、
またずばり『彗星倶楽部』と題された作品の中では、「「北郊の神怪」「山手通りの覆面団」として伝えられた赤色彗星倶楽部」として言及されています。
いずれもオートバイは出てきませんが、ではオートバイと彗星はまったく関係ないかといえば、なかなかどうして、『一千一秒物語』に出てくる「彗星を取りに行った話」の主人公は、モーターサイクルにまたがって彗星狩りに出かけるし、
現実の足穂氏もバイクを憎からず思っていた形跡があります。
(妙な着物姿でバイクにまたがる足穂。山科川堤防上にて。撮影・松村實。出典:『稲垣足穂の世界―タルホスコープ』、平凡社、2007より)
…というわけで、このバッジはやっぱり足穂氏に進呈するのが至当な気がします。
★
今日は草団子を作るのに、よもぎを摘みに行きました。
うららかな陽射しの中、近所の土手で草摘みをしながら、「こういうのを平和というのだろうなあ」としみじみ思いました。
ウクライナに限らず、どうか世界に平安が訪れますように。
この願いが叶うことは、おそらく私が生きている間にはないでしょうが、だからこそ祈る意味があるし、祈らずにはいられないのです。
憎らしい月 ― 2025年01月25日 10時15分11秒
記事の間が空きましたが、前回の続きです。
「月下の男女」の画題は、考えてみるとなかなか興味深いものがあって、男女の方はさておくとして、ここに登場するいわゆる「月の男(The man in the moon)」の描かれ方が、大いに気になります。
もう少し類例を見てみます。
(エンボス加工を施した多色石版。ニューヨークのA. S. Meeker社製)
こちらは月下の接吻。
1908年9月、バージニア州ノーフォークの James 君が Miss May に当てたもの。「O Glee! Be Sweet to me Kid.(おお、愛しの君よ!どうぞ僕に優しくしておくれ)」と、James 君はだいぶ気持ちが高ぶっているようですが、しかしこの月の表情はなかなかどうして、一筋縄ではいきそうにありません。
★
(1898年、ウィーンで創業したKohn 兄弟社(Brüder Kohn Wien I;BKWI)製の石版絵葉書。ちなみに「Wien I」は、創業地の「ウィーン一番区」の意味【LINK】)
こちらはペーパームーンの趣向によるコミック絵葉書で、ベルギーのリールの消印(1904年付け)が押されています。あて先は「Mademoiselle Elise」で、差出し人は表面に書かれた Peeraer 氏でしょう(見慣れぬ姓ですが、ベルギー由来の名前だそうです)。
ペーパームーンとは「張りぼての月」のことで、当時、夜空の書き割りの前でペーパームーンに坐って記念写真を撮ることが欧米で大層流行ったと聞きます。
絵葉書の画面では、せっかくいいムードなのに、突如“破局”が訪れて男女はびっくり、お月様もポロポロ泣いています。でもこれは、その身を傷つけられて痛がってるだけのようでもあり、そうなるとこのお月様にしても、カップルに対して同情的というよりも、単に迷惑千万と思っているに過ぎないことになります。
★
20世紀初頭とおぼしいアメリカ製の多色石版絵葉書。
このお月様が、地上のカップルを見守る表情もちょっと微妙です。
この絵葉書は仕掛け絵葉書になっていて、「夢が叶うかどうか、月にきいてごらん」という、その答は…
これはおめでたい画題といえますが、反面、甘いロマンスの時期はすぐに終わり、やがて現実に立ち向かうことになるぞ…という戒めのようでもあります。月の微妙な表情も、それを言わんとしているんじゃないでしょうか。
★
無論、西洋の人だって、月は美しいもの、ロマンチックなものと感じるからこそ、「月下の男女」という画題が成立するのでしょうけれど、絵葉書に登場する月は、妙に訳知り顔だったり、皮肉屋だったり、酷薄だったり、それ自体が一つの「型」になっている気配があります。
東洋情緒の月は、ひたすら皓々(こうこう)として、いろいろな思いを託す存在ではあっても、月そのものが何かよこしまな性格を持っているとは、思いもよらぬことでしょう。西行法師が詠んだ「嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな」という歌にしても、月を見て嘆いているのは自分自身であって、月そのものが嘆かわしい存在であるとは、一言も言っていないわけです
まあ、平安歌人と20世紀初頭のコミック絵葉書を比べて何か言うのも無理がありますが、でもこういう「憎らしい月」、「くせ者めいた月」は、日本の文芸の伝統には絶えて無い気がします。江戸の古川柳には、何かそんな“うがち”の句があるかと思いきや、『古川柳名句選』を見ても、見つかりませんでした、
★
日本における唯一の…とまでは言いませんが、顕著な例外が(そして西洋のお月様以上にくせ者感の強いのが)、稲垣足穂の『一千一秒物語』に出てくるお月様で、足穂が幼少期に見た「ステッドラー鉛筆の三日月」【LINK】から、独力でああいうイメージを構築したのだとしたら、彼の鋭い直感とイマジネーションは、大いに称揚されるべきです。
A Holy Night of Chocolate ― 2024年12月25日 09時27分49秒
1855年にフランス人、André Mauxion(1830-1905)がドイツで興したチョコレートの老舗、Mauxion社。他社に吸収合併された今も、ブランド名として生き残っています。社名としてはドイツ風に「マウクシオン」と読むのだと思いますが、下はそのマウクシオン社の広告(1925年)。
(シートサイズは25.5×20.5cm)
Mauxion wünscht fröhliche weihnachten!
マウクシオンから良いクリスマスを!
マウクシオンから良いクリスマスを!
キューピッド風の少女を引き連れ、チョコを配り歩く細身の麗人天使。
空には三日月と星、そして一筋の尾を引いて飛ぶ彗星が見えます。
冴え返った夜の気配を伝える、洒落た広告ですね。
この彗星の頭部は、西洋の城塔を模した同社のロゴで、これは創業家から経営を引き継いだエルンスト・ヒューター(Ernst Hüther)の頭文字、EとHの組み合わせだそうです。
★
この広告が出た前後、大戦間期のマウクシオン社は、高級チョコのブランドイメージ確立のため、広告戦略に力を入れており、世間の評判を呼ぶ広告を次々と発表していました。日本で言えば、後のサントリーや資生堂みたいな感じだったのでしょう。商業主義というと一寸浅薄な感じもしますが、その背景には平和な世と豊かな市民生活があったわけですから、必ずしも悪いことではありません。そして才能あるクリエイターにとっても良い時代だったと思います。
★
日本を振り返れば、稲垣足穂がまさに彗星のごとく現れた時代で、『一千一秒物語』(1923)、『星を売る店』(1926)、『第三半球物語』(1927)、『天体嗜好症』(1928)を立て続けに出した時期にあたります。
私がこの広告に惹かれた理由も、これがまさにタルホチックだからで、足穂の作品世界と、この広告の時代感覚は、必ずどこかでつながっている気がします。
One Hundred and One Year Stories ― 2024年07月02日 19時33分20秒
いよいよ7月、夏本番。
足穂好みの「六月の夜の都会の空」は幻のごとく飛び去りましたが、消夏にうってつけのタルホ関係のイベントを2件ご案内いただきました。
昨年は『一千一秒物語』刊行100周年で、関連するイベントがいろいろありました。
今年はさらに101周年で、「1001」にはむしろ「101」の方がお似合いです。
それに101は素数ですから、100のような卑俗な数よりも顔つきが上等だし、なんなら合成数である1001(7×11×13)よりも一層エライかもしれません。そんなわけで101周年は大いに祝う価値があるのです。
★
■kk life work 古多仁昴志 ライフワーク展
変容する(メタモルフォーゼ) 遊縁遊戯
変容する(メタモルフォーゼ) 遊縁遊戯
○参加出品者(敬称略):
小橋慶三、戸田勝久、パラモデル中野裕介、福本タダシ、溝渕眞一郎、
山下克彦 & 古多仁昴志
○会期: 2024年6月27日(木)~7月21日(日) 〔月火水は休廊〕
13:30~17:00
○会場: 喜多ギャラリー
奈良県大和郡山市額田部南町413 TEL:0743-56-0327
○MAP:
※JR大和小泉駅からタクシー8分/近鉄平瑞駅から徒歩18分
★
■稲垣足穂 オマージュ展2024 一千一秒奇譚
○参加出品者(敬称略):
erico、川島朗、戸田勝久、中川ユウヰチ、中野奈々恵、福本タダシ、
星野時環、百瀬靖子、山本佳世、よこやまぺん、よりそう
○会期: 2024年7月21日(日)~8月4日(日) 〔7/25, 29, 8/1休廊〕
14:00~20:00〔最終日は18:00まで〕
○会場: 月光百貨店(http://moon-shines.net)
兵庫県芦屋市茶屋之町12-2 TEL:070-5433-6961
○MAP:
※JR芦屋駅南出口から8分/阪神芦屋駅から6分
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明石に生まれ、神戸で才を磨き、京都で亡くなった足穂。
関西はまさに足穂のホームグランドです。彼の後姿を思い浮かべながら、奈良と兵庫の両会場に足を運ぶだけでも、私のような他郷の人間には興の深いことと感じられます。
昨年の京都でのイベント、そしてそこでお会いした方々のお顔と声を思い出しながら、これは単なる懐旧ではない、これぞ宇宙的郷愁と呼ぶべきものだ…と思ったりもします。











































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