本日、天体議会を招集。2022年04月11日 07時19分11秒

先日話題にした旧制盛岡中学校の天文同好会。
コメント欄でmanami.shさんから続報をいただき、衝撃を受けたので、他人の褌を借りる形になりますが、これはどうしても記事にしなければなりません。

   ★

manami.shさんは、同中学校の校友会雑誌を通読され、天文同好会に関する記述を抜粋されているのですが、まず驚いたのはその旗揚げの弁です。同好会のスタートは1928年9月のことで、その際の意気込みがこう記されています。

 「花が植物学者の専有でない如く、星も亦、天文学者のみの独占物ではない。この信念を以て、我等は、遂に天文同好會をつくりあげたのだ。」

なんと頼もしいセリフでしょう。
そして、この言葉に敏感に反応する方も少なくないはずです。なぜなら、稲垣足穂の言葉として有名な、「花を愛するのに植物学は不要である。昆虫に対してもその通り。天体にあってはいっそうその通りでなかろうか?」をただちに連想させるからです。

足穂の言葉は、彼の「横寺日記」に出てきます。初出は「作家」1955年10月号。もっとも作品の内容は、昭和19年(1944)の東京における自身の体験ですが、それにしたって、盛中の天文少年たちの方が、時代的にはるかに先行しており、足穂のお株を完全に奪う形です。

   ★

こうして意気揚々とスタートした天文同好会ですが、それでも私はごく一部の熱心な生徒が、細々と校舎のすみで活動しているイメージを持っていました。いかに意気軒高でも、今だってそれほどメジャーとはいえない学校天文部が、戦前にあってそれほど人気を博したとは思えなかったからです。

しかし、同好会が発足して1年後の1929年12月の校友会雑誌には、驚くべき事実が記されていました。manami.shさんの記述をそのままお借りします。

 「会員が百名に達しており、観測会は15回、太陽黒点観測は1929年10月から開始したこと。会員の中には望遠鏡所有者がいたこと、熱心な会員は変光星観測を始めたことがわかりました。更に、研究会の毎月のテキストは、星野先生、2~3人の上級生が執筆していたとありました。」

何と会員数100名!しかも、当時はなはだ高価だった望遠鏡を所有する生徒や、変光星観測に入れ込むマニアックな生徒もいたというのです。そして開催回数からして、彼らは月例の観測会をコンスタントに開いていたと思われます。

まさにリアル天体議会―。

「天体議会」とは、長野まゆみさんの同名小説(1991)に出てくる、天文好きの少年たちの非公式クラブの名称です。観測の際は、議長役の少年が秘密裏に議会を招集し…という建前ですが、有名な天体ショーを観測する折には、部外者の少年たちもたくさん押しかけて、なかなかにぎやかな活動を展開しているのでした。
長野さんが純然たるフィクションとして描いた世界が、戦前の盛岡には確かにあったわけです。


それにしても、旧制中学校でこれほど天文趣味が盛り上がっていたとは。しかし、全国津々浦々で同様の状況だったとは思えないので、これはやっぱり盛岡中学校固有のファクターがあったのでしょう。賢治の甥っ子たちの面目躍如といったところです。

   ★

さらに翌年の1930年には、次の記述が登場します。

 「1930年10月には、水沢緯度観測所の山崎正光技師が「天文に関して」と題して講演し、特に同好會員には反射望遠鏡の作り方について話されていることもわかりました。」

山崎正光(1886-1959)は、カリフォルニア大学で天文学を学び、1923年から42年まで水沢緯度観測所に勤務したプロの学者ですが、本業の傍ら変光星観測や彗星観測を、いわば趣味で行った人。反射望遠鏡の自作法を日本に伝えた最初の人でもあります。そして、直接面識があったかどうかは分かりませんが、山崎氏の在職中に、賢治は何度か水沢緯度観測所を訪ねています。

その人を招いて天文講演会を開き、かつ望遠鏡作りを学んだというところに、盛中天文同好会の本気具合というか、その活動の幅を見て取ることができます。

(山崎正光氏(1954)。『改訂版 日本アマチュア天文史』p.167より)

   ★

とにかく盛中天文同好会、予想以上にすごい会でした。
今回の知見は、戦前の天文趣味のあり方について、私の認識を大きく変えるもので、改めてmanami.shさんにお礼を申し上げます。

(賢治が在籍した頃の盛岡中学校。国会図書館「写真の中の明治・大正/啄木・賢治の青春 盛岡中学校」より【LINK】。オリジナルをAIで自動着色。なお、同校は大正6年(1917)に校地移転しているので、天文同好会時代の建物はまた別です)

青空のかけら2020年07月05日 16時46分40秒

空から降り注ぐ雨。
それを集めて流れる川。

その自然の営みが、ある一点を超えると、大地の形状を変えるほどの巨大な力を発揮します。それもまた自然の営みだと言えば、そうかもしれませんが、でもその自然は、いつも目にする穏やかな自然とは別人という意味で、やっぱり異常で恐ろしいものと感じられます。

犠牲となった方を悼み、被災地の方々が早く日常を取り戻されることを祈ります。

   ★

陶片趣味といえば、比喩でなしに、本物の陶片が手元にあります。

(タイルの最も長い辺は約11.5cm)

鉱物標本のように、箱の中に鎮座しているのは、ニューヨークの業者から購入した古タイルのかけらです。13世紀セルジューク朝のものというのが業者の言い分。

彼の言葉が本当なら、イスラム世界を広く支配した「大セルジューク朝」は、12世紀半ばに自壊し、13世紀には、その地方政権だった「ルーム・セルジューク朝」が細々と続くのみでしたから、出土地は、その版図だったトルコ地方ということになりますが、詳細は不明。


この三角形は、当初から人為的に成形されたもので、イスラム独特の幾何文様の一部を構成していたはずです。頂角40度というのが、元の模様を解くヒントだと思いますが、これまた不勉強で詳細は不明。でも、何か星型文様の一部だったら素敵ですね。

(イランのシャー・ネマトラ・ヴァリ霊廟(15世紀)。Wikipediaより)

そして、こんな風に空の青と競い合って立つ壮麗な建物の一部だったら…。


美しく澄んだ青。その貫入に沿って生じた金色が、人為的なものなのか、それとも釉薬成分の自然な変化によるものかは不明ですが、この青金は、まさに天然のターコイズ(トルコ石)を切り出して作ったかのようです。

遠い中世イスラム世界―。
この場所こそ、古代世界に続く、天文学の第二のゆりかごであり、そして黄漠の地に白い宮殿がそびえ、透明な新月が浮かぶ、タルホの王国でもあるのです。

(釉薬の質感↑と裏面の表情↓)

   ★

とはいえ、この小さな島国の水と緑こそ、個人的にはいっそう慕わしく感じられます。
願わくは、そこに青空と入道雲が、早く戻ってきますように。

トアの話2019年08月12日 06時53分25秒

ハイカラ神戸の象徴である、「トアロード」のことは、これまでも稲垣足穂に関連して、何度か記事にしました。昨日の『雪氷辞典』を見ていて、ゆくりなくトアロードのことを思い出したので、そのことをおまけに書いておきます。

   ★

「トアロード」という地名の語源は、その突き当りに「トアホテル」があったからだ…ということになっています。では「トアホテル」の「トア」とは何か?これも昔からいろいろ言われてきましたが、現時点で最も確からしいのは、以下の説です。

すなわち、「トアホテル」の開業は1908年ですが、それ以前に、この場所には「The Tor」と称するイギリス人の邸宅があり、ホテルはその名称を受け継いで「Tor Hotel」を名乗ったという説です。

(お伽めいたトアホテルと、鳥居マークのラゲージ・ラベル)

そのイギリス人とは、F. J. バーデンズという人で、「Tor」とはケルト由来の古英語で、「高い岩や丘」を意味し、コーンウォールやデヴォン地方の地名に多い由。このことは、水田裕子氏(編著)『TOR ROAD STYLE BOOK』(1999)に教えてもらったのですが、同書はさらにこう述べます。

 「英国人バーデンズ氏が、なぜ「トア」を称したかは何の記録もありませんが、当時外国人の間でこのあたり一帯をThe Hill(丘)と呼んでいたことを考えると、毎夕、居留地のオフィスを出て家路をたどるとき、突き当りの小高い石垣とわが家、その背にある山の岩肌を見るにつけ、故郷のtorとダブッたのではないでしょうか。」(p.13)

(1900年ごろ、神戸市西町の「玉村写真館」で撮影された英国人夫妻の肖像。バーデンズその人ではないにしろ、同国人のよしみで、彼らはバーデンズ氏の顔と名前ぐらいは知っていたでしょう。英国ノリッジの古書業者から購入)

   ★

その「トア」が、『雪氷辞典』にも出てきたので、「ほう」と思いました。

「トア [トール、岩塔] tor」

 風化に対して抵抗性の強い岩石がつくる塔状・塊状の高まりをいう。さまざまな気候下でみられるが、周氷河気候下でみられることが多く、凍結風化によって破砕されやすい部分が除去されたあと、壊されにくい部分だけが残って、まわりの地表面から突出した地形と考えられている。現在形成中のものもあるが、多くは氷期の周氷河環境下でできた周氷河地形である。凍結風化に対して抵抗力の強い、節理間隔の大きな岩石や、空隙率の小さい岩石からなる。

氷河期の酷寒にさらされても、なお凍結破砕を免れた頑丈な岩体、それが塔のようにそびえたものが「トア」です。

   ★

足穂もトアホテルの語源には注目していて、「緑の蔭―英国的断片」というエッセイにそのことを書いています。

足穂は、最初「トア」とは単純に「東亜」のことだと考えました。

次いで、英和辞典を引いて、「 tor 」に「岩山、岡 (特に英国 Dartmoor の)」という意味があるのを見つけ、さらにダートムーア地方と神戸周辺が、ともに花崗岩質であることに何か意味があるのでは?…と推理を働かせます。かつての鉱物少年の面目躍如です。

でも、結局、これは日本語の「Torii 鳥居」に由来し、ホテルの中に鳥居があったからだ…という説に落ち着いています。

   ★

「トア」が鳥居なんぞでなく、やっぱり岩山で、しかもすこぶる地質趣味に富んだ名称だと足穂が知ったら、彼の「神戸もの」に、一層硬質な趣きが加わったかもしれないなあ…と思うと、ちょっぴり残念な気もします。

星のカクテルをどうぞ2019年04月14日 11時07分42秒

「天文古玩」でおなじみの二人、賢治さんと足穂氏は、何がどう違うか?
一言でいえば、賢治さんは下戸で、足穂氏は呑み助だったというのが、まあ一番的を射ているでしょう。両者の文学の本質的な違いは、そこに根ざしています(←適当に書いています)。

もちろん下戸が偉くて呑み助はダメ、あるいはその逆ということもないのですが、何といっても酔狂とは酔って狂うことなり。こと酔狂に関しては、下戸は分が悪いです。そういう意味で、今日は賢治さんの出番のない話。

   ★

見るなり、「え、こんな本があったんだ…」と驚き、かつ嬉しくなったのが、「星のカクテル」のレシピ本です。


板表紙を革紐で留めた、まるで中世の書物のような体裁。酒精をあがめる占星術師を気取っているのかもしれません。

■Stanley S. MacNiel
 ZODIAC COCKTAILS: Cocktails for all birthday.
 Mayfair Publishing Co. (NY), 1940 (copyright 1939)
 (巻末のメモ欄を除き)30p.


表紙を開くと、さっそく目次から星界に通じています。
内容は誕生月に合わせて、12星座のお勧めカクテルがずらっと並ぶというもの。


冒頭はおひつじ座(アリエス)。
左側のページには、酒の席で語るのにふさわしい、他愛ない星占いの知識(おひつじ座生まれの性格、誕生花、誕生石、ラッキーナンバー、おひつじ座生まれの有名人…etc.)が書かれており、肝心のレシピ集は右側です。

まずお勧めされるのは、ベーシックな「アリエス・カクテル」
アップルブランデーとジンを半々、そこにスプーン一杯のグレープフルーツジュースと、スイートベルモットとドライベルモットを少々。全体をよくシェイクし、ストレーナーで濾してグラスに注げば出来上がり。

さて、次の一杯は…と眺めると、「北斗パンチ」があり、「暁カクテル」があり、さらに「早春カクテル」「地震カクテル」「黄経パンチ」…と並んでいます。

こんな風に月日がめぐり、星座ごとのカクテルが次々に紹介されます。


ふたご座の人には、「火星カクテル」「土星シュラブ」「スターゲイザーハイボール」が、


てんびん座の人には、「南極カクテル」「金星カクテル」がお勧めです。


そして1年間の締めくくりはうお座で、


彼らが「海王星カクテル」「皆既日食ジュレップ」のグラスを干したところで、ひとまずは飲み納め。でも星の巡りはとどまることなく、すぐにまたおひつじ座の出番です。

   ★

 「今宵、天文バーのドアを押して、ふらりと入ってきたタルホ氏。
 得難い機会なので、思い切って相席を願い出ようかと思ったものの、なにせ氏は酒癖が悪いと評判なので、どうしようか躊躇っているうちに、早くも氏は隣席の土星と口論になり、あまつさえ懐から物騒なものを取り出して、ズドンと一発お見舞いすると…」

   ★

現実とファンタジーは、あたかもカクテルのように、容易にシェイクされてしまうものです。この確かな実体を備えた本にしたって、著者のスタンレー・マクニールは、「20年間にわたって世界中を旅した、放浪のカクテルコレクター」と名乗っているし、版元のメイフェア・パブリッシングは、NYのロックフェラー・センターの一角、ラジオシティ・ホールに存在すると主張するのですが、もちろんすべては虚構のようでもあります。

星のカクテルを口にすれば、虚実の境界はいよいよとろけて、タルホ氏と土星の声が、はっきりと耳元で聞こえてくるのです。

指先にともす彗星2019年03月10日 11時20分37秒



彗星マッチの中でちょっと異彩を放つのが、このミニマッチ。
まりの・るうにい装画の小さな小さなマッチ箱。
昨日登場したマッチラベルとくらべると、どれだけ小さいかお分かりになるでしょう。


作品名は「マッチの彗星」


これぞタルホ趣味の最たるもの。
マッチの炎が暗夜を走り、それがいつしか彗星と化している…この小さな箱が物語るのは、そんな状景です。

この品は以前、Librairie6(シス書店)さんのオンラインストアで見つけました(現在も販売中。「LIBRAIRIE6オリジナル」のカテゴリーをご覧ください)。

   ★

今日3月10日は、昭和20年(1945)に恐るべき東京大空襲があった日です。
10万を超える死者が出た惨劇の夜。

その業火を想像し、手元のマッチを眺めていると、炎の向こうにいろいろな想念が浮かんできます。結句、炎というのは、指先にともしたり、燗酒をつけたりするぐらいが丁度良くて、憎悪をこめて街を焼き尽くすなどというのは論外です。

でも、その論外の所業がしれっと出来てしまう人間の心は、紅蓮の炎より一層恐るべきもので、こうなるとやっぱり足穂氏と差し向かいで、語り明かさねばなりません。

彗星燃ゆ2019年03月09日 08時14分36秒

「こまい」話といえば、私はこまいモノの収集家だったのを思い出しました。


それは「彗星のマッチラベル」という、こまいと言えば相当こまいもので、最近はちょっとご無沙汰していますが、一時はずいぶん熱心に探したものです。私はたぶん世界でも五指に入る「彗星マッチラベルのコレクター」でしょう。というか、ひょっとしたら、他にはいないかもしれません。(これまでネットオークションで競り合った記憶がないので。)


ただ、これらも単に集めたばかりで、個々の素性は調べてないので、コレクションとして中途半端な感はあります。おおざっぱに言えば、いずれも戦前~戦後しばらくにかけてのもので、同じデザインでも多言語で印刷されているのは、それが輸出仕様だからでしょう。

まあ、この辺はあまり色を成して調べるのも興ざめかも。
というのも、彗星マッチのラベル収集は、足穂趣味から派生しており、ここで追求されているのは、実在の彗星というよりも、「非在の彗星」「想念の彗星」であり、肝心のマッチにしても、多分に想念の世界に属するからです。


異国の夜空に壮麗な尾を曳く彗星。


昔はマッチ大国だった日本の製品も頑張っています。
右は足穂のホームグラウンド、兵庫の小林燐寸製コメットマッチ。左はどこかのカフェー、あるいはバーの広告マッチでしょう。いずれも大正~昭和初期のもの。

   ★

マッチのデザインに彗星が取り入れられたという事実は、かつて忌むべき凶星だったものが、20世紀に入って、すっかり「カッコいい」存在になったことを示しています。でも、ハレー彗星騒動やら何やらで、妖しく危ないイメージも一方には依然あって、だからこそいっそう謎めいた魅力を感じたのでしょう。足穂氏が魅かれたのも、まさにそこでしょう。

多彩な彗星マッチの世界。
こまいながらも、なかなか心憎い連中です。
彗星シガーにシュッと火を点すのにも好いですね。

(画像再掲。元記事:http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/09/16/

足穂氏、フランスで歓喜す(3)…空へ、高く。2018年01月18日 07時09分10秒

夕べは雨上がりの町を、夜遅く歩いていました。
雨に洗われた空の透明度がすごくて、鮮やかに輝く星たちの姿に、一瞬昔の視力が戻ったような錯覚すら覚えました。そして、星の配置に春の気配を感じました。

  ★

さて、自動車レースで、マダム・ジェンキーが優勝を決めた2日前の1928年5月15日。
この日、ステレオカメラの持ち主は、ディジョンの飛行場で、複葉機の前に立っていました(何だかやたら活動的な人ですね)。

(うっすら見える細かい縦じまは、スキャン時についたもの)

そのカメラが捉えた複葉機と関係者たちの横顔。
垂直尾翼に見える「BRE.19 No.60」の文字は、「ブレゲー(Breguet)19型 60番機」の意でしょう。ネット情報によれば、ブレゲー19は、1924年に開発され、軽爆撃機や偵察機として活躍したフランスの軍用機です。

ディジョンと軍用機の取り合わせはごく自然で、ディジョンには、フランス空軍の大規模な基地がありました(ディジョン=ロンビック空軍基地。ロンビックはディジョンの隣町の名です)。

画面右手、飛行服に身を包んだ人が、ブレゲー19を操ったパイロットでしょう。画面を引っ掻いて書いたキャプションには「Wizen」という名が見えます。ドイツ系っぽい名前ですが、当時はれっきとしたフランスの空の勇士。

   ★

さて、この写真を撮った無名氏。飛行機をカメラに収めただけでは終わらず、何と自ら飛行機に乗り込んで、機上からステレオ写真撮影に挑戦しています。


機上から見るロンビックの町。


操縦かんを握る、精悍なウィーゼン飛行士。
では、その後ろに座って、盛んにシャッターを押していたのは誰かといえば…


ウィーゼン氏の隣で、これまた飛行服を着込んでにこやかに笑っている男性がそれに違いありません。この1枚だけは、他の人にシャッターを押してもらったのでしょう。

では、軍用機に乗り込んだ、この無名氏もまた軍人だったのか?
最初はそう思いました。でも、軍人がカメラを機内に持ち込み、遊山気分でパシャパシャやるのは不自然なので、彼は何らかの伝手で、たまたま同乗の機会を得た民間人、おそらく報道関係者では…というのが、私の推測です。


眼下に見下ろす遥かな大地
ゆっくりと蛇行する河
機械的なプロペラ音
冷たい風を切る翼の音――

それにしても、これらの写真乾板は、いずれも世界に1枚きりの原板ですから、まさに無名氏とともに空を飛び、その光景を目にした「生き証人」に他なりません。そのことを思いつつビュアーを覗いていると、「自分は今まさに90年前の空を飛んでいるのだ…」という奇妙な感覚に襲われます。

(レンズの向こうに見えるのは、昨日見たレースの光景)

「空中飛行はたしかに人生最高のほまれにぞくするもの」とまで語った足穂氏とともに、今しばらくその余韻を味わうことにします。

足穂氏、フランスで歓喜す(2)…オートレース観戦2018年01月17日 07時11分06秒

タルホといえば何といっても飛行機ですが、自動車との関わりも、古くかつ深いものがあります。

彼の「パテェの赤い雄鶏を求めて」(『タルホ大阪・明石年代記』、人間と歴史社、1991所収)を読むと、特に「オートモービル」の章が設けてあって、幼時に刷り込まれた自動車の思い出が懐かしく綴られています。

それは、物心ついたころに見た、乗合自動車のコバルトブルーの車体に描かれた金の星であったり、西洋人の自動車から聞こえるラッパの音階であったり、車の正面にある「蜂の巣」(ラジエーター)の奥から噴き出す、生暖かい風であったりするのですが、足穂はその最後をこんなふうに結んでいます。(原文傍点は太字で表記)

 「フランシス=ピカビア編集の“Cannibale”第二号に、『自動車濫用に中毒した二人の露出狂』と題して、ピカビアとツアーラ御両所のフォートコラージュが載っている。私はこれを見て、昔の自動車の世紀末的なエグゾーストの匂いを思い合わした。もはや今日では自動車は(オートバイ、飛行機も合わして)香りなきものに成り果てているが、曾ての日の排気ガスは自分には「ベルグソンの薔薇」であった。バラの匂いが幼年時代を喚び起すわけではない。人には常に薔薇そのものの上に彼の「取戻せない日々」を嗅ぐのである。私もまた雨降る秋の夕べの自動車のエグゾーストに、我が失われし時を嗅いでいる。」

足穂にとっては自動車のエグゾーストの匂いこそ、プルーストの「紅茶とマドレーヌ」であり、甘美な魂の故郷を象徴するものだったのです。

派手にエグゾーストを振りまきながら、颯爽と駆ける自動車の群れ―。
足穂氏とともに、ステレオ写真で「あの日、あの場所」に立ち返ってみます。

  ★

ときは1928年5月17日。ところはフランス、パリ南東に位置するディジョンの町。
この日開催されたレースのことは、以下のページに詳細が出ています。

the BUGATTI revue
それによると、ディジョンの町では、前年の1927年にモーターレースが始まり、この1928年には、レーシングカー部門とスポーツカー部門に分かれて、4時間耐久レース(と2時間耐久のオートバイレース)が開催されたそうです。


固唾をのんで見守る町の人々。警官らしき人も、もはや警備そっちのけです。


町の外周にも人が群れ、未舗装の道路を疾走する車に声援を送っています。


三脚を据える暇もなかったのでしょう。猛スピードで走る車を追って手ぶれした画面に、リアルな臨場感が漂います。


上と同じ場面を写した写真。こちらはマシントラブルでしょうか。車を降りたドライバーが、渋い顔をして歩いています。


白いエグゾーストを残し、古風なレーシングカーは次々に街路を走り抜け、熱戦はまだまだ続きます。

   ★

ときに、上にリンクしたページで、このレースには女性ドライバーも参加していたと知って、無性にカッコいいなあ…と思いました。しかも驚くべきことに、レースを制したのも女性でした。優勝したマダム・ジェンキーことジャニーヌ・ジェンキー(Jannine Jennky)は、愛車ブガッティを駆って、平均時速137キロオーバーを叩き出した…というのですから、これにはさすがの足穂氏も口あんぐりでしょう。

この件、ちょっとジブリっぽいエピソードですけど、この1928年は、アドリア海でポルコ・ロッソが、空賊相手に派手な空中戦を演じていた頃(正確な時代設定は1929年)と聞けば、なるほどと深くうなずけるものがあります。そして、極東の島国では、若き日の足穂氏が、『天体嗜好症』を上梓した年でもあります。

むせ返るようなハイカラさに酔いつつ、次は複葉機の雄姿を眺めに行きます。

(この項つづく)

足穂氏、フランスで歓喜す(1)2018年01月16日 06時44分27秒

引き続き天文の話から逸れますが、「タルホチックなもの」として、ここでどうしても紹介しておきたい品があります。それは、1928年にフランスで撮影された、ステレオ写真のガラス乾板です。


ガラス乾板は、銀塩フィルムと同様、そこで得られるのは多くの場合ネガ像ですが、ここでは「白黒リバーサル現像」を行うことで、直接ポジ像を得ています(…ということらしいんですが、例によって聞きかじりです)。


乾板の判型は、ステレオ写真用の4.5×10.7cm判。
それぞれT字型の金属フレームで補強されています。

   ★

さて、これらのステレオ写真のどこがタルホチックなのか?
それは、ずばり被写体です。

これらは、フランス中部の町・ディジョンで開催されたモーターレースと、同市から飛び立つ複葉機を撮影したもので、自動車と飛行機とくれば、これは文句なしにタルホチックな存在。

今やすっかりセピアに沈む、90年前の晴れやかな光景。
手元には自動車レースのステレオ写真が6点、飛行機のそれが5点あります。
その画面の向こうに、足穂氏の気配を感じ取ってみます。


(この項つづく)

黒猫のしっぽ2018年01月13日 17時37分36秒

ときどきタルホ的なるものが無性に欲しくなります。


たとえば、壁に影を落とし、みどりの眼を光らせる黒猫。
こんなのをそっとつかまえて、いきなり鋏でしっぽを切ったりするのは、いかにも乱暴ですが、タルホ界の住人は、時折わけもなくそんなことをします。


上の品は、ロンドンで生まれたThe Lucky Ringtail Cat Puzzle
19世紀の終わりから1960年代まで、こういう他愛ないミニゲームを無数に作り出した「ジャーネット社(R. Journet & Co)」の製品で、時代的には1920~30年代頃のものでしょう。


心優しい私としては、あまり無体なことはせず、しっぽに輪っかをヒョイと引っかけるだけで堪忍してやることにします。でも、輪を引っかけるのにも作法があって、赤・白・青の順に掛けないといけなくて、これが結構むずかしいです。(イライラが高じると、思わず鋏を手にしかねないので、こういうのはあまり真剣になるのは禁物です。)