31億5576万秒物語 ― 2023年06月10日 12時01分47秒
今年は「○○が□□周年を迎えた」という記事が多いです。
すなわち、コペルニクス生誕550年、パロマー天文台開設75年、プラネタリウム誕生100年…などなど。
そんな中、ひとつ大きな忘れ物をしていることに気づきました。
すなわち、稲垣足穂著『一千一秒物語』の刊行100周年です。
(初版本(復刻版)表紙)
(佐藤春夫による序文)
このブログでそれを忘れていたのは失態で、そのことをコメント欄で教えていただいたNowhere☆clubさまに、改めて御礼申し上げます。
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『一千一秒物語』の愛読者は多いでしょうが、あの不思議な作品を読んだとき、人々はいちばん最初に何を感じるのでしょうか?
私の場合、真っ先に思ったのは「あの街に行きたい」ということでした。
こういうことが私の場合はよくあって、私がある作品に心惹かれるということは、その作品世界に入り込みたいというのと、ほとんど同義です。
三角形の屋根と円錐形の塔が並ぶ街。その街では、月と問答し、月と格闘し、月を食べてしまうなんてことは日常茶飯事だし、路傍には土星や彗星が佇み、蝙蝠と黒猫、紳士と辻強盗に密造酒造り、そして真夜中の怪事件…そんなものに事欠きません。
その街に至ることはなかなか難しいのですが、平板な現実の中でも、何かの瞬間に一千一秒の匂いがふと鼻を打ったり、一瞬その気分が心に蘇ることがあります。
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足穂は「私の其の後の作品は――エッセイ類も合わして――みんな最初の『一千一秒物語』の註である」と書きました(「『一千一秒物語』の倫理」)。
この「天文古玩」というブログも、(全部がそうだとは言いませんが)たしかに『一千一秒物語』の気配を追って、その世界を眼前に現出せしめるべく続けている部分があります。その意味で、『一千一秒物語』は私にとって重要な準拠枠のひとつです。
(13年前につくった「タルホの匣」は、今でもそのまま手元にあります)
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100年間は、60秒×60分×24時間×365.25日×100年の時の積み重なりで、ざっと31億5576万秒です。
若い日の足穂が1001秒に凝縮した秘密は、それだけの長い時を経ても解き尽くされることなく――作者自身の手によってもそれは成し遂げられませんでした――今でも変わらず「其処」にあります。それはこの後さらに31億秒が経過しても、たぶん変わらないでしょう。あえて幸いなことと言うべきだと思います。
(初版本巻末の辞)
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そういえば、今日は時の記念日でした。
天体観測展へ ― 2023年02月08日 19時17分00秒
仕事がひと山越えて、一応ノーマルな状態に復したのでホッとしています。でも、これから2月3月の年度末は、いつ仕事が突沸してもおかしくない状態が続くので、心底ホッとできるのはもうしばらく先でしょう。
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そういうわけで少し時間ができたので、名古屋の東急ハンズで開催中の天体雑貨イベント「天体観測展」を覗いてきました。大阪のギニョールさんとJAM POTさんの共催で、47名の作家さんの天体モチーフ雑貨が並ぶイベントです(会期:1月25日~2月15日、会場:ジェイアール名古屋タカシマヤ内・ハンズ名古屋店11階)
■天体観測展(ギニョールさん公式ページにリンク)
季節柄、バレンタイン客でごったがえす中を抜けて会場にたどり着くと、あたりにはキラキラしい雰囲気が漂っています。“ここにあるのは、「星ナビ」の購読者や、熱心なプラネタリウムファンとはまた違った天文趣味の在り様なのかなあ、いや、でも一皮むくと結構かぶっているかもしれんぞ…”と思いながら、会場内をキョロキョロしていました。いずれにしても、これが現代の「星ごころ」の一断面であることは間違いないでしょう。
そうした無数の「星ごころ」がキラキラと光を放つ中で、今の自分の心の琴線に触れるものとして、以下の品にすっと手が伸びました。
グラフィックデザイナー/コラージュアーティストである中川ユウヰチさん作「オリオンの一等星」。中川さんが制作した同名のコラージュ作品(それも会場内で販売されていました)をフィルムスライド化して、それをビュアーとセットにした品です。
元のコラージュももちろん素敵なのですが、「オリオンの一等星」を含む連作「一千一駒物語」シリーズの成り立ちを考えると、このフィルムスライドの持つ人工性が、いっそうタルホチックな魅力をたたえているような気がしました。
ビンテージ感のあるビュアーにスライドをセットして覗くと…
小さなスライドが視野いっぱいに広がって、無音のドラマが始まります。
上で「人工性」と書きましたけれど、このフィルムスライドは、元のコラージュ作品を単にスライド化したものではありません。そこには網目製版のプロセスが介在しており、それを改めて撮影して、スライド化したもののようです。そうしてできたフィルム片をプラスチックレンズ越しに眺めることで、作品世界はどんどん抽象度を高め、いっそ観念の世界へと誘われるような感覚をおぼえます。
まあ、これは私の個人的な感想で、中川ユウヰチさんの制作意図とはズレるかもしれないんですが、でも私としてはそんなことを思いながら、3枚のスライドを取っ替え引っ替え、飽かず眺めていました。
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そしてもう一つ手にしたのが、radiostarさんの月光倶楽部と天文倶楽部のピンバッジ。
これはもう解説不要ですね。
以前ネットで拝見したとき、「あ、いいな」と思った記憶がよみがえり、よい機会なので購入させていただきました。私もこれで晴れて月と星の倶楽部員です。(鉱物倶楽部のバッジにも惹かれますが、それはまた別の機会に…。)
(全員揃って記念撮影)
夜の散歩 ― 2022年12月15日 17時53分01秒
先週の話です。空には明るい月のそばに、赤い星が2つ並んでいました。
ひとつは火星、もうひとつはおうし座のアルデバランです。月の光に負けないアルデバランも1等星の見事な輝星ですが、最接近を遂げたばかりの火星は、さらにそれを圧倒する明るさで、ぎらりと赤く光っているのが、ただならぬ感じでした。
そんな空を見上げながら、足穂散歩を気取ろうと思いました。
いつものようにイメージの世界だけではなく、今回は実際に足を運ぼうというのです。
私が住むNという街。
お城で有名な、概して散文的な印象を与えるこの街で、あたかも戦前の神戸を歩いているような風情を味わうことはできないか?―そう思いながら、実は数日前から想を練っていたのです。
★
私はまず地下鉄の駅を降りて、大通りからちょっと折れ込んだところにある小さなビルを訪ねることにしました。階段を上がると、2階の廊下のつきあたりに、ぼうっと灯りのついたドアが見えます。
ドアには「星屑珈琲」という表札のような看板がかかっています。
その店名は以前から気になっていたのですが、入るのははじめてです。
「いらっしゃいませ」の声に迎えられて、数席しかない店内に入ると、すでに何人か先客がいました。しかし店内はひどく静かです。
星屑珈琲は店名が素敵なばかりでなく、大きな特徴があります。
それは「ひとり客専用喫茶」ということ。そのルールは複数名で入店して、離れた席に座ることもダメという、かなり厳格なものです。したがって、この店は茶菓を供するだけでなく、「静かな時間を売る店」でもあるのです。店内は、時折
「いらっしゃいませ」
「ご注文は?」
「ありがとう、ごちそうさまでした」
というやりとりが小声で交わされるだけで、あとは静かな音楽がかすかに聞こえるのみです。でも、人々はその空気に大層心地よいものを感じていることが私にも分かりました。
星屑珈琲は、あえてカテゴライズすれば「ブックカフェ」なのでしょう。
目の前のカウンター席にも、ずらっと本が並らび、手に取られるのを待っています。
私はこの店で読むために持参した本をかばんから出して、先客の仲間に加わりました。
(店内で写真を撮るのが憚られたので、これはいつもの机の上です)
1冊は新潮文庫の『一千一秒物語』です。もはや注釈不要ですね。
(Marion Dolan(著) 『Astronomical Knowledge Transmission through Illustrated Aratea Manuscripts』、Springer、2017)
そしてもう1冊は、ギリシャ・ローマの天文古詩集『アラテア』写本に関する研究書で…というと、我ながら偉そうですが、背伸びして買ったもののずっと読めずにいたのを、こういう機会なら読めるかと思って持参したのです。実際、星屑珈琲の空気と一椀のコーヒーの力を借りることで、見開き2ページ分を読めたので上出来です。
★
知らぬ間に時間は過ぎ、私はずいぶん長居していました。
星屑珈琲は23時まで開いているので、閉店時間を気にする必要はないのですが、ここにずっと居坐っては散歩にならないので、そろそろお暇しなければなりません。私は勘定を済ませ、そっと店を出ました。
明るいショーウィンドウを眺めながら繁華な通りを歩き、じきに靴音のひびく靜かな一画に来ると、そこからさらに陰々としたお屋敷街へと折れ込んでいきます。これから木立に囲まれた家々の先にある、とある屋敷を訪ねようというのです。
訪ねるといっても、その家の主を訪問するわけではありません(そもそも私は主が誰だか知りません)。その屋敷の夜の表情を見たかったのです。それは素晴らしく大きな邸宅で、本当に個人の家なのか怪しまれるほどでしたが、以前その前を通ったとき、塔を備えたロマネスクの聖堂建築のような佇まいにひどく驚いたので、「あの家は果たして、こんな晩にはどんな表情で立っているのだろう?」と、好奇心が湧いたのです。そして、そんな酔狂な真似をする自分自身が、何だか足穂の作中の人物のように思えました。
細い道を進み、角を曲がれば目当ての屋敷です。
人気のない森閑とした小路で、屋敷は灯火にぼんやりと巨躯を浮かび上がらせ、建物の内からは暖かな光が漏れて、いかにも居心地が良さそうでした。しかし、不用意に立ち止まったりすれば、見る人に(誰も見てはいませんでしたが)不審の念を呼び覚ますでしょう。私はこの屋敷の夜の表情を一瞥できたことで満足し、その前をさらぬ体で通り過ぎようとしました。
でも、そのときです。屋敷の門がおもむろに開き、一人の少年が出てきたのです。
少年は私に軽く会釈をすると、「お待ちしていました。塔の上では父が先ほどから望遠鏡を覗きながら、あなたのことをお待ちかねですよ」と私を中に招じ入れ、すたすたと先に立って歩きだしました。
…というようなことがあればいいなあとは思いましたが、少年の姿はなく、やっぱり私は屋敷の前を足早に通り過ぎるよりほかありませんでした。でも名残惜し気に振り返ったとき、塔の上に月と火星とアルデバランが輝いているのを見て、私は心の内で快哉を叫びました。その鋭角的な情景ひとつで、当夜の散歩の目的は十分達せられたわけです。
(フリー素材で見つけたイメージ画像)
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これが足穂と連れ立っての散歩だったら、彼はどんな感想をもらしたか?
「くだらんな」とそっけなく言うかもしれませんし、ひどくはしゃいだかもしれませんが、まあ一杯のアルコールも出てこなかったことについては、間違いなく不満をもらしたことでしょう。
本日、天体議会を招集。 ― 2022年04月11日 07時19分11秒
先日話題にした旧制盛岡中学校の天文同好会。
コメント欄でmanami.shさんから続報をいただき、衝撃を受けたので、他人の褌を借りる形になりますが、これはどうしても記事にしなければなりません。
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manami.shさんは、同中学校の校友会雑誌を通読され、天文同好会に関する記述を抜粋されているのですが、まず驚いたのはその旗揚げの弁です。同好会のスタートは1928年9月のことで、その際の意気込みがこう記されています。
「花が植物学者の専有でない如く、星も亦、天文学者のみの独占物ではない。この信念を以て、我等は、遂に天文同好會をつくりあげたのだ。」
なんと頼もしいセリフでしょう。
そして、この言葉に敏感に反応する方も少なくないはずです。なぜなら、稲垣足穂の言葉として有名な、「花を愛するのに植物学は不要である。昆虫に対してもその通り。天体にあってはいっそうその通りでなかろうか?」をただちに連想させるからです。
足穂の言葉は、彼の「横寺日記」に出てきます。初出は「作家」1955年10月号。もっとも作品の内容は、昭和19年(1944)の東京における自身の体験ですが、それにしたって、盛中の天文少年たちの方が、時代的にはるかに先行しており、足穂のお株を完全に奪う形です(※)。
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こうして意気揚々とスタートした天文同好会ですが、それでも私はごく一部の熱心な生徒が、細々と校舎のすみで活動しているイメージを持っていました。いかに意気軒高でも、今だってそれほどメジャーとはいえない学校天文部が、戦前にあってそれほど人気を博したとは思えなかったからです。
しかし、同好会が発足して1年後の1929年12月の校友会雑誌には、驚くべき事実が記されていました。manami.shさんの記述をそのままお借りします。
「会員が百名に達しており、観測会は15回、太陽黒点観測は1929年10月から開始したこと。会員の中には望遠鏡所有者がいたこと、熱心な会員は変光星観測を始めたことがわかりました。更に、研究会の毎月のテキストは、星野先生、2~3人の上級生が執筆していたとありました。」
何と会員数100名!しかも、当時はなはだ高価だった望遠鏡を所有する生徒や、変光星観測に入れ込むマニアックな生徒もいたというのです。そして開催回数からして、彼らは月例の観測会をコンスタントに開いていたと思われます。
まさにリアル天体議会―。
「天体議会」とは、長野まゆみさんの同名小説(1991)に出てくる、天文好きの少年たちの非公式クラブの名称です。観測の際は、議長役の少年が秘密裏に議会を招集し…という建前ですが、有名な天体ショーを観測する折には、部外者の少年たちもたくさん押しかけて、なかなかにぎやかな活動を展開しているのでした。
長野さんが純然たるフィクションとして描いた世界が、戦前の盛岡には確かにあったわけです。
それにしても、旧制中学校でこれほど天文趣味が盛り上がっていたとは。しかし、全国津々浦々で同様の状況だったとは思えないので、これはやっぱり盛岡中学校固有のファクターがあったのでしょう。賢治の甥っ子たちの面目躍如といったところです。
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さらに翌年の1930年には、次の記述が登場します。
「1930年10月には、水沢緯度観測所の山崎正光技師が「天文に関して」と題して講演し、特に同好會員には反射望遠鏡の作り方について話されていることもわかりました。」
山崎正光(1886-1959)は、カリフォルニア大学で天文学を学び、1923年から42年まで水沢緯度観測所に勤務したプロの学者ですが、本業の傍ら変光星観測や彗星観測を、いわば趣味で行った人。反射望遠鏡の自作法を日本に伝えた最初の人でもあります。そして、直接面識があったかどうかは分かりませんが、山崎氏の在職中に、賢治は何度か水沢緯度観測所を訪ねています。
その人を招いて天文講演会を開き、かつ望遠鏡作りを学んだというところに、盛中天文同好会の本気具合というか、その活動の幅を見て取ることができます。
(山崎正光氏(1954)。『改訂版 日本アマチュア天文史』p.167より)
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とにかく盛中天文同好会、予想以上にすごい会でした。
今回の知見は、戦前の天文趣味のあり方について、私の認識を大きく変えるもので、改めてmanami.shさんにお礼を申し上げます。
(賢治が在籍した頃の盛岡中学校。国会図書館「写真の中の明治・大正/啄木・賢治の青春 盛岡中学校」より【LINK】。オリジナルをAIで自動着色。なお、同校は大正6年(1917)に校地移転しているので、天文同好会時代の建物はまた別です)
(※)【2024.1.14付記】
上に描いたことは私の勇み足で、やや贔屓の引き倒しでした。
上に引いた校友会雑誌の一文は、盛中生のオリジナルではなく、野尻抱影 『星座巡礼』(初版1925)の序文の冒頭を真似たものと思います。抱影曰く、「花が植物学者の専有で無く、また宝玉が鉱物学者の専有でも無いやうに、天上の花であり宝玉である星も天文学者の専有ではありません」。…となると、抱影のうぶなファンであった足穂の一文も、抱影のこの文章の影響を受けている可能性が高いでしょう。
青空のかけら ― 2020年07月05日 16時46分40秒
空から降り注ぐ雨。
それを集めて流れる川。
その自然の営みが、ある一点を超えると、大地の形状を変えるほどの巨大な力を発揮します。それもまた自然の営みだと言えば、そうかもしれませんが、でもその自然は、いつも目にする穏やかな自然とは別人という意味で、やっぱり異常で恐ろしいものと感じられます。
犠牲となった方を悼み、被災地の方々が早く日常を取り戻されることを祈ります。
★
陶片趣味といえば、比喩でなしに、本物の陶片が手元にあります。
(タイルの最も長い辺は約11.5cm)
鉱物標本のように、箱の中に鎮座しているのは、ニューヨークの業者から購入した古タイルのかけらです。13世紀セルジューク朝のものというのが業者の言い分。
彼の言葉が本当なら、イスラム世界を広く支配した「大セルジューク朝」は、12世紀半ばに自壊し、13世紀には、その地方政権だった「ルーム・セルジューク朝」が細々と続くのみでしたから、出土地は、その版図だったトルコ地方ということになりますが、詳細は不明。
この三角形は、当初から人為的に成形されたもので、イスラム独特の幾何文様の一部を構成していたはずです。頂角40度というのが、元の模様を解くヒントだと思いますが、これまた不勉強で詳細は不明。でも、何か星型文様の一部だったら素敵ですね。
(イランのシャー・ネマトラ・ヴァリ霊廟(15世紀)。Wikipediaより)
そして、こんな風に空の青と競い合って立つ壮麗な建物の一部だったら…。
美しく澄んだ青。その貫入に沿って生じた金色が、人為的なものなのか、それとも釉薬成分の自然な変化によるものかは不明ですが、この青金は、まさに天然のターコイズ(トルコ石)を切り出して作ったかのようです。
遠い中世イスラム世界―。
この場所こそ、古代世界に続く、天文学の第二のゆりかごであり、そして黄漠の地に白い宮殿がそびえ、透明な新月が浮かぶ、タルホの王国でもあるのです。
(釉薬の質感↑と裏面の表情↓)
★
とはいえ、この小さな島国の水と緑こそ、個人的にはいっそう慕わしく感じられます。
願わくは、そこに青空と入道雲が、早く戻ってきますように。
トアの話 ― 2019年08月12日 06時53分25秒
ハイカラ神戸の象徴である、「トアロード」のことは、これまでも稲垣足穂に関連して、何度か記事にしました。昨日の『雪氷辞典』を見ていて、ゆくりなくトアロードのことを思い出したので、そのことをおまけに書いておきます。
★
「トアロード」という地名の語源は、その突き当りに「トアホテル」があったからだ…ということになっています。では「トアホテル」の「トア」とは何か?これも昔からいろいろ言われてきましたが、現時点で最も確からしいのは、以下の説です。
すなわち、「トアホテル」の開業は1908年ですが、それ以前に、この場所には「The Tor」と称するイギリス人の邸宅があり、ホテルはその名称を受け継いで「Tor Hotel」を名乗ったという説です。
(お伽めいたトアホテルと、鳥居マークのラゲージ・ラベル)
そのイギリス人とは、F. J. バーデンズという人で、「Tor」とはケルト由来の古英語で、「高い岩や丘」を意味し、コーンウォールやデヴォン地方の地名に多い由。このことは、水田裕子氏(編著)の『TOR ROAD STYLE BOOK』(1999)に教えてもらったのですが、同書はさらにこう述べます。
「英国人バーデンズ氏が、なぜ「トア」を称したかは何の記録もありませんが、当時外国人の間でこのあたり一帯をThe Hill(丘)と呼んでいたことを考えると、毎夕、居留地のオフィスを出て家路をたどるとき、突き当りの小高い石垣とわが家、その背にある山の岩肌を見るにつけ、故郷のtorとダブッたのではないでしょうか。」(p.13)
(1900年ごろ、神戸市西町の「玉村写真館」で撮影された英国人夫妻の肖像。バーデンズその人ではないにしろ、同国人のよしみで、彼らはバーデンズ氏の顔と名前ぐらいは知っていたでしょう。英国ノリッジの古書業者から購入)
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その「トア」が、『雪氷辞典』にも出てきたので、「ほう」と思いました。
「トア [トール、岩塔] tor」
風化に対して抵抗性の強い岩石がつくる塔状・塊状の高まりをいう。さまざまな気候下でみられるが、周氷河気候下でみられることが多く、凍結風化によって破砕されやすい部分が除去されたあと、壊されにくい部分だけが残って、まわりの地表面から突出した地形と考えられている。現在形成中のものもあるが、多くは氷期の周氷河環境下でできた周氷河地形である。凍結風化に対して抵抗力の強い、節理間隔の大きな岩石や、空隙率の小さい岩石からなる。
風化に対して抵抗性の強い岩石がつくる塔状・塊状の高まりをいう。さまざまな気候下でみられるが、周氷河気候下でみられることが多く、凍結風化によって破砕されやすい部分が除去されたあと、壊されにくい部分だけが残って、まわりの地表面から突出した地形と考えられている。現在形成中のものもあるが、多くは氷期の周氷河環境下でできた周氷河地形である。凍結風化に対して抵抗力の強い、節理間隔の大きな岩石や、空隙率の小さい岩石からなる。
氷河期の酷寒にさらされても、なお凍結破砕を免れた頑丈な岩体、それが塔のようにそびえたものが「トア」です。
★
足穂もトアホテルの語源には注目していて、「緑の蔭―英国的断片」というエッセイにそのことを書いています。
足穂は、最初「トア」とは単純に「東亜」のことだと考えました。
次いで、英和辞典を引いて、「 tor 」に「岩山、岡 (特に英国 Dartmoor の)」という意味があるのを見つけ、さらにダートムーア地方と神戸周辺が、ともに花崗岩質であることに何か意味があるのでは?…と推理を働かせます。かつての鉱物少年の面目躍如です。
でも、結局、これは日本語の「Torii 鳥居」に由来し、ホテルの中に鳥居があったからだ…という説に落ち着いています。
★
「トア」が鳥居なんぞでなく、やっぱり岩山で、しかもすこぶる地質趣味に富んだ名称だと足穂が知ったら、彼の「神戸もの」に、一層硬質な趣きが加わったかもしれないなあ…と思うと、ちょっぴり残念な気もします。
星のカクテルをどうぞ ― 2019年04月14日 11時07分42秒
「天文古玩」でおなじみの二人、賢治さんと足穂氏は、何がどう違うか?
一言でいえば、賢治さんは下戸で、足穂氏は呑み助だったというのが、まあ一番的を射ているでしょう。両者の文学の本質的な違いは、そこに根ざしています(←適当に書いています)。
もちろん下戸が偉くて呑み助はダメ、あるいはその逆ということもないのですが、何といっても酔狂とは酔って狂うことなり。こと酔狂に関しては、下戸は分が悪いです。そういう意味で、今日は賢治さんの出番のない話。
★
見るなり、「え、こんな本があったんだ…」と驚き、かつ嬉しくなったのが、「星のカクテル」のレシピ本です。
板表紙を革紐で留めた、まるで中世の書物のような体裁。酒精をあがめる占星術師を気取っているのかもしれません。
■Stanley S. MacNiel
ZODIAC COCKTAILS: Cocktails for all birthday.
Mayfair Publishing Co. (NY), 1940 (copyright 1939)
(巻末のメモ欄を除き)30p.
ZODIAC COCKTAILS: Cocktails for all birthday.
Mayfair Publishing Co. (NY), 1940 (copyright 1939)
(巻末のメモ欄を除き)30p.
表紙を開くと、さっそく目次から星界に通じています。
内容は誕生月に合わせて、12星座のお勧めカクテルがずらっと並ぶというもの。
冒頭はおひつじ座(アリエス)。
左側のページには、酒の席で語るのにふさわしい、他愛ない星占いの知識(おひつじ座生まれの性格、誕生花、誕生石、ラッキーナンバー、おひつじ座生まれの有名人…etc.)が書かれており、肝心のレシピ集は右側です。
まずお勧めされるのは、ベーシックな「アリエス・カクテル」。
アップルブランデーとジンを半々、そこにスプーン一杯のグレープフルーツジュースと、スイートベルモットとドライベルモットを少々。全体をよくシェイクし、ストレーナーで濾してグラスに注げば出来上がり。
さて、次の一杯は…と眺めると、「北斗パンチ」があり、「暁カクテル」があり、さらに「早春カクテル」、「地震カクテル」、「黄経パンチ」…と並んでいます。
こんな風に月日がめぐり、星座ごとのカクテルが次々に紹介されます。
ふたご座の人には、「火星カクテル」や「土星シュラブ」、「スターゲイザーハイボール」が、
てんびん座の人には、「南極カクテル」や「金星カクテル」がお勧めです。
そして1年間の締めくくりはうお座で、
彼らが「海王星カクテル」や「皆既日食ジュレップ」のグラスを干したところで、ひとまずは飲み納め。でも星の巡りはとどまることなく、すぐにまたおひつじ座の出番です。
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「今宵、天文バーのドアを押して、ふらりと入ってきたタルホ氏。
得難い機会なので、思い切って相席を願い出ようかと思ったものの、なにせ氏は酒癖が悪いと評判なので、どうしようか躊躇っているうちに、早くも氏は隣席の土星と口論になり、あまつさえ懐から物騒なものを取り出して、ズドンと一発お見舞いすると…」
得難い機会なので、思い切って相席を願い出ようかと思ったものの、なにせ氏は酒癖が悪いと評判なので、どうしようか躊躇っているうちに、早くも氏は隣席の土星と口論になり、あまつさえ懐から物騒なものを取り出して、ズドンと一発お見舞いすると…」
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現実とファンタジーは、あたかもカクテルのように、容易にシェイクされてしまうものです。この確かな実体を備えた本にしたって、著者のスタンレー・マクニールは、「20年間にわたって世界中を旅した、放浪のカクテルコレクター」と名乗っているし、版元のメイフェア・パブリッシングは、NYのロックフェラー・センターの一角、ラジオシティ・ホールに存在すると主張するのですが、もちろんすべては虚構のようでもあります。
星のカクテルを口にすれば、虚実の境界はいよいよとろけて、タルホ氏と土星の声が、はっきりと耳元で聞こえてくるのです。
指先にともす彗星 ― 2019年03月10日 11時20分37秒
彗星マッチの中でちょっと異彩を放つのが、このミニマッチ。
まりの・るうにい装画の小さな小さなマッチ箱。
昨日登場したマッチラベルとくらべると、どれだけ小さいかお分かりになるでしょう。
作品名は「マッチの彗星」。
これぞタルホ趣味の最たるもの。
マッチの炎が暗夜を走り、それがいつしか彗星と化している…この小さな箱が物語るのは、そんな状景です。
この品は以前、Librairie6(シス書店)さんのオンラインストアで見つけました(現在も販売中。「LIBRAIRIE6オリジナル」のカテゴリーをご覧ください)。
★
今日3月10日は、昭和20年(1945)に恐るべき東京大空襲があった日です。
10万を超える死者が出た惨劇の夜。
その業火を想像し、手元のマッチを眺めていると、炎の向こうにいろいろな想念が浮かんできます。結句、炎というのは、指先にともしたり、燗酒をつけたりするぐらいが丁度良くて、憎悪をこめて街を焼き尽くすなどというのは論外です。
でも、その論外の所業がしれっと出来てしまう人間の心は、紅蓮の炎より一層恐るべきもので、こうなるとやっぱり足穂氏と差し向かいで、語り明かさねばなりません。
彗星燃ゆ ― 2019年03月09日 08時14分36秒
「こまい」話といえば、私はこまいモノの収集家だったのを思い出しました。
それは「彗星のマッチラベル」という、こまいと言えば相当こまいもので、最近はちょっとご無沙汰していますが、一時はずいぶん熱心に探したものです。私はたぶん世界でも五指に入る「彗星マッチラベルのコレクター」でしょう。というか、ひょっとしたら、他にはいないかもしれません。(これまでネットオークションで競り合った記憶がないので。)
ただ、これらも単に集めたばかりで、個々の素性は調べてないので、コレクションとして中途半端な感はあります。おおざっぱに言えば、いずれも戦前~戦後しばらくにかけてのもので、同じデザインでも多言語で印刷されているのは、それが輸出仕様だからでしょう。
まあ、この辺はあまり色を成して調べるのも興ざめかも。
というのも、彗星マッチのラベル収集は、足穂趣味から派生しており、ここで追求されているのは、実在の彗星というよりも、「非在の彗星」、「想念の彗星」であり、肝心のマッチにしても、多分に想念の世界に属するからです。
異国の夜空に壮麗な尾を曳く彗星。
昔はマッチ大国だった日本の製品も頑張っています。
右は足穂のホームグラウンド、兵庫の小林燐寸製コメットマッチ。左はどこかのカフェー、あるいはバーの広告マッチでしょう。いずれも大正~昭和初期のもの。
★
マッチのデザインに彗星が取り入れられたという事実は、かつて忌むべき凶星だったものが、20世紀に入って、すっかり「カッコいい」存在になったことを示しています。でも、ハレー彗星騒動やら何やらで、妖しく危ないイメージも一方には依然あって、だからこそいっそう謎めいた魅力を感じたのでしょう。足穂氏が魅かれたのも、まさにそこでしょう。
多彩な彗星マッチの世界。
こまいながらも、なかなか心憎い連中です。
彗星シガーにシュッと火を点すのにも好いですね。
(画像再掲。元記事:http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/09/16/)
足穂氏、フランスで歓喜す(3)…空へ、高く。 ― 2018年01月18日 07時09分10秒
夕べは雨上がりの町を、夜遅く歩いていました。
雨に洗われた空の透明度がすごくて、鮮やかに輝く星たちの姿に、一瞬昔の視力が戻ったような錯覚すら覚えました。そして、星の配置に春の気配を感じました。
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さて、自動車レースで、マダム・ジェンキーが優勝を決めた2日前の1928年5月15日。
この日、ステレオカメラの持ち主は、ディジョンの飛行場で、複葉機の前に立っていました(何だかやたら活動的な人ですね)。
(うっすら見える細かい縦じまは、スキャン時についたもの)
そのカメラが捉えた複葉機と関係者たちの横顔。
垂直尾翼に見える「BRE.19 No.60」の文字は、「ブレゲー(Breguet)19型 60番機」の意でしょう。ネット情報によれば、ブレゲー19は、1924年に開発され、軽爆撃機や偵察機として活躍したフランスの軍用機です。
ディジョンと軍用機の取り合わせはごく自然で、ディジョンには、フランス空軍の大規模な基地がありました(ディジョン=ロンビック空軍基地。ロンビックはディジョンの隣町の名です)。
画面右手、飛行服に身を包んだ人が、ブレゲー19を操ったパイロットでしょう。画面を引っ掻いて書いたキャプションには「Wizen」という名が見えます。ドイツ系っぽい名前ですが、当時はれっきとしたフランスの空の勇士。
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さて、この写真を撮った無名氏。飛行機をカメラに収めただけでは終わらず、何と自ら飛行機に乗り込んで、機上からステレオ写真撮影に挑戦しています。
機上から見るロンビックの町。
操縦かんを握る、精悍なウィーゼン飛行士。
では、その後ろに座って、盛んにシャッターを押していたのは誰かといえば…
ウィーゼン氏の隣で、これまた飛行服を着込んでにこやかに笑っている男性がそれに違いありません。この1枚だけは、他の人にシャッターを押してもらったのでしょう。
では、軍用機に乗り込んだ、この無名氏もまた軍人だったのか?
最初はそう思いました。でも、軍人がカメラを機内に持ち込み、遊山気分でパシャパシャやるのは不自然なので、彼は何らかの伝手で、たまたま同乗の機会を得た民間人、おそらく報道関係者では…というのが、私の推測です。
眼下に見下ろす遥かな大地
ゆっくりと蛇行する河
機械的なプロペラ音
冷たい風を切る翼の音――
ゆっくりと蛇行する河
機械的なプロペラ音
冷たい風を切る翼の音――
それにしても、これらの写真乾板は、いずれも世界に1枚きりの原板ですから、まさに無名氏とともに空を飛び、その光景を目にした「生き証人」に他なりません。そのことを思いつつビュアーを覗いていると、「自分は今まさに90年前の空を飛んでいるのだ…」という奇妙な感覚に襲われます。
(レンズの向こうに見えるのは、昨日見たレースの光景)
「空中飛行はたしかに人生最高のほまれにぞくするもの」とまで語った足穂氏とともに、今しばらくその余韻を味わうことにします。
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