金と銀2023年06月24日 06時28分23秒

昨日の金色の世界時計から、似たような姿かたちの星座早見を連想しました。


ただし、こちらはクロームメッキの銀の円盤です(以前の記事にLINK)。


厚みは違いますが(星座早見はガラスがドーム状に大きく盛り上がっています)、それ以外はほぼ同大。


外周の時刻表示を見ると、24時のところが三日月マークになっている点までそっくりです。ただし、金のほうは時計回りに「1、2、3…」、銀の方は反時計回りに「1、2、3…」と数字が振られています。

最初は「これって、実は同じ工場で作られたんじゃないか?」とも思いました。
でも、星座早見盤は2000年代の日本製であり、世界時計の方は、流通した国こそアメリカですが、実は台湾製です(この事実も、この品が東西冷戦期の、つまり中国が「世界の工場」になる前の時代の産物ではないか…と思った理由のひとつです)。
結局、生まれた国も時代も違うので、これはやっぱり他人の空似なのでしょう。

いずれもペーパーウェイトですから、自ずと適当な大きさというのは決まってくるでしょうし、24時間の回転盤を組み込んだ実用品でもあるので、互いにデザインを真似たり、真似されたりしているうちに、似たような姿になることもあるのでしょう。


これが日米台を超えて再会を果たした生き別れの兄弟だったら、もちろん感動的ですし、まったくの他人の空似だとすれば、それはそれで不思議です。プロダクトデザインにも、収斂進化や擬態がある例かもしれません。

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さあ、これから足穂の待つ京都に行ってきます。

東と西2023年06月23日 06時15分00秒

一昨日の続きめきますが、太陽が時計代わりになるのは、もちろん地球がくるくる回っているからで、この巨大な時計の心臓部は、太陽ではなく地球の方です。


地球がくるくる回っていることから活躍するのが、こういう「世界時計」
時計とはいっても、これ自体は時を刻まないので、「時刻早見盤」と言ったほうが正確かもしれません。本体は金ぴかで、真新しく見えますが、外箱の古び方と付属のタイプ打ちの説明書の感じから、1970~80年代、いわゆる東西冷戦期の品ではないかと想像します。


盤全体は、時刻を刻印した「蓋」と、各都市の名を記した「身」に別れていて、蓋をくるくる回せば、「東京が(パリが、ニューヨークが…)〇〇時のとき、モスクワは(シドニーは、リオは…)××時だ」と即座に分かる便利グッズです。

まあ、別に珍しくもなんともない品ですが、手元にあると何かと便利で、「さっきニュースで見た町は、今頃夕餉の頃合いか…」とか、いろいろな気づきがあります。


NYやLAやHK(香港)にまじって、一番上の「DL」というのは何だろう?…と思ってよく考えたら、これは地名ではなくて日付変更線(Date Line)の略でした。

ちなみに中央のロゴの文字が読めますか?
何となくフォルクスワーゲンっぽいですが、違います。
最初、私も首をひねりましたが、上下を逆にして眺めると、そこに浮かぶ文字は「AAA」で、これは「アメリカ自動車協会」の記念グッズなのでした(AAAはアメリカのJAFみたいな組織です)。

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上で「東西冷戦」を持ち出したのは、アンカレッジからの連想もあります。
アンカレッジの名を耳にしなくなって久しく、その名に思い入れがあるのは、或る世代まででしょう。

アラスカのアンカレッジ空港は、日本からヨーロッパに飛ぶ際の経由地としてお馴染みでした。冷戦期は、シベリア上空を「西側」の飛行機が飛ぶことができなかったため、遠回りせざるを得なかったからです(南アジア~西アジアを経由する「南回りルート」というのもありました)。

もちろん、子供時代の私が飛行機で世界中を飛び回ってたわけはありませんが、アンカレッジの名は、テレビやラジオを通じて身近でしたから、今でも懐かしく耳に響きます。(でも、アンカレッジは別に廃れたわけではなく、現在も重要な空港都市だそうです。)

天文時計の幻を追って2022年11月13日 13時41分22秒

アンティークの天文時計を所有することは、憧れではあっても、現実的な目標とは言えません。それはずばり手の届かぬ花です。
では、せめて雰囲気だけでも…と思って、5年前にこんな品を見つけました(現物は棚の奥なので、以下、購入時の商品写真を借用)。


エディンバラの業者が扱っていた品で、17世紀のイタリア製と聞きました。
黒檀製の筐体と、古びた文字盤はなかなか風格があります。
でも、よく見ればこれは完全に見かけ倒しで、ここには時計の針もなければ、内部のムーヴメントもありません。要するに、これは筐体だけが残された、「かつて時計だったもの」に過ぎません。


さすがに酔狂な買い物だとは思いましたが、この筐体は前面のガラス扉だけでなく、背面の木蓋も自由に開け閉めできるので、何か大切なものをしまう、気の利いたケースになると思ったのです(箱を手にしてから容れる物を考えるなんて、菓子箱をやたら取っておく老人みたいですが)。

(中はがらんどう)

ここで業者の言い分と私の推測を混ぜ合わせて、かつての“栄華”をしのんでみます。


前面のベースは、天空をイメージしたらしい空色に塗られた銅板で、そこに真鍮製のリングが上下に2つ取り付けられています。


上部リングの中央には、太陽の装飾があり、その上の扇型の穴と組み合わせて、これがいわば時計の中核部分。この時計は時針ではなく、文字盤のほうが回転する仕組みで、扇形の穴を通して見える文字盤の一部と、太陽のてっぺんにとび出たポインターを使って正確な時刻を読み取ったようです。

またリングの周囲には、1~12月の月名と星座絵が描かれており、リング全体をくるくる手で回すことができます。当然、このリングも、本来は機械仕掛けで回転してほしいわけですが、どうもそういうカラクリのあった形跡がなく、これはマニュアル操作オンリーの、純装飾的パーツだったかもしれません。


下部の真鍮のリングは曜日目盛りで、こちらは中央の指針が回転する、尋常の形式だったようです。

冷静に考えると、これがカチコチ動いていた時分でも、表示できたのはせいぜい時刻と曜日だけですから、これを「天文時計」と呼ぶのは苦しいかもしれません。
まあいずれにしても、かつての栄華は夢のあと、今となってはその存在そのものが「時」の寓意であり、ヴァニタスとなっている…と言えなくもないでしょう。

ジョージ星辰王2022年11月12日 16時33分27秒

天王星といえば、その発見者であるウィリアム・ハーシェル(1738-1822)の名が、ただちに連想されます。そればかりでなく、19世紀後半に「ウラヌス」の名称が定着する以前は、天王星そのものを「ハーシェル」と呼ぶ人がおおぜいいました。

この名は主にフランスとアメリカで用いられ、ニューヨークで出版された、あの『スミスの図解天文学』(1849)でも、天王星は「ハーシェル」として記載されています。



もちろん、これはハーシェルの本意ではなく、ハーシェル自身は、時のイギリス国王・ジョージ3世に敬意を表して、ラテン語で「ゲオルギウム・シドゥス」(ジョージの星)という名前を考案しました。そしてこれを元に、イギリスでは天王星のことを「ジョージアン」と呼んだ時期があります。

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ジョージ3世(1738-1820/在位1760-1820)は、自分と同い年で、“同郷人”(※)でもあるハーシェルを目にかけ、物心両面の支援を惜しみませんでした。(※ハーシェルはドイツのハノーファー出身で、ジョージ3世はイギリス生まれながら、父祖からハノーファー選帝侯の地位を受け継いでいました。)

ハーシェル推しの私からすると、ジョージ3世は、もっぱらその庇護者という位置づけになるのですが、でもジョージ3世の天文好きは、ハーシェルと知り合う前からのことで、彼はもともと好学な王様でした。金星の太陽面通過を観測するために、1769年、ロンドン西郊のキュー・ガーデンに天文台を新設し、併せてそこを科学機器と博物コレクション収蔵の場としたのも彼です。

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そんなジョージ3世ならば当然かもしれませんが、彼には一種の「時計趣味」があり、精巧な天文時計を、ときに自らデザインして一流の職人に作らせ、それらを身近に置いていたことを、以下の動画で知りました。


George III and Astronomical Clocks(by Royal Collection Trust)


上は、1765年、ジョージ3世が27歳の誕生に贈られ、寝室に置いていたという天文時計。Eardley Norton(活動期 1760-92)作。(詳細はこちら


こちらは、ジョージ3世自身が筐体デザインした天文時計。1768年、Christopher Pinchbeck 2世(1710-83)作。(詳細はこちら

こうした興味関心の延長上に、キューの天文台があり、ハーシェルとの出会いがあったわけで、思えばハーシェルは実に良いタイミングで世に出たものです。そして、彼が捧げた「ジョージの星」の名も、単なるお追従ではなかったわけです。(まあ、そういう気持ちも多少はあったでしょうが。)

「耳をすませば」に目をこらせば2022年08月27日 09時38分06秒

ちょっと話題が寄り道します。
昨夜の金曜ロードショーで、ジブリの「耳をすませば」(1995年公開)を見ていました。
純粋な中学生カップルの恋と成長を描いた、一種のビルドゥングスロマンです。

その作品中、重要な場所として、「地球屋」というアンティークショップが登場します。
バイオリン職人を目指す少年、天沢聖司の祖父が営む店で、ヒロイン月島雫はここで聖司と語らい、聖司の祖父に励まされながら、内面的成長を遂げていきます。聖司の祖父(西老人)の人物造形もなかなかいいし、店内もいかにも夢のある雰囲気なのですが、今回気になったのは、その建物の正面(ファサード)です。

下はネット上から引っ張ってきた画像。


私が気になったのは、建物の2階、窓の左右に描かれた白線です。
これってどう見ても日時計、いわゆる「垂直式日時計」というやつですよね?

(垂直式日時計の例。出典:https://www.davidharber.com/sundials/vertical-sundials.htm

作画上、若干の歪みはありますが、時刻の目盛線(=時刻線)をそれぞれ延長すると、どうやら軒先のてっぺんから放射状に線が引かれているようです(下図)。


時刻線の数を見ると、窓の向かって左に2本、右に4本で、線の間隔もあきらかに左が広く、右が狭く、全体として左右非対称になっているのが気になります。でも、これは特に問題ありません。たしかに壁面が真南を向いていれば、時刻線は左右対称になるはずですが、真南からずれていると、必然的にこんな具合になるので、これはむしろリアルな描写です。

手っ取り早く、英語版Wikipediaの「Sundial」の項に示された図を掲げておきます。


図のキャプションも適当訳しておきます。

 「日時計の時刻線に及ぼす傾き(declining)の影響。 左端は北緯 51 度で真南を向くように設計された垂直式日時計。午前 6 時から午後 6 時までのすべての時刻を表示し、かつ正午を中心に左右対称に収束する時刻線を持つ。一方、右端は極地用の西向き日時計で、前者とは対照的に、平行な時刻線を持ち、午後の時刻だけを表示する。両者の間に描かれているのは、それぞれ南南西、南西、西南西に向いた日時計。時刻線は正午を中心に非対称であり、午前の時刻線はより広い間隔を持つ。」

…というわけで、地球屋のファサードも南南西ないし南西を向いているのでしょう。

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でも、これが日時計だとすると、いちばん利用頻度が高いはずの、正午前後の数時間分の時刻線がないので、実用性に大きな問題を抱えることになります。それに肝心のノーモン(影を示す指針)はどこにあるのか?

(上部中央から斜めに突き出ているのがノーモン)

ここから先は推測になります。

最初、「この2階の壁面には、かつて完備した日時計があったのだが、改築で窓を設けた際に、それが失われたのではないか?」と考えました。でも、この建物でこの位置に窓を設けないことはちょっと考えにくいです。窓も日時計も最初からあった…と考える方が自然です。

となると、この不完全な日時計の設置意図が問題になります。

結論からいうと、西老人にとっては朝方と夕方の時刻のみ分かれば十分であった、あるいは、彼は朝方と夕方のみに価値を認めていた…ということではないでしょうか。西老人は立派な人格者ですが、世間の物差しでいうと、いささか偏屈なところがあるので、これは十分ありうることです。彼は夜に生きる人であり、「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」(江戸川乱歩)という価値観を持っていたのかもしれません。

ノーモンについては、確かにいくら目を凝らしても画面上に見えません。
でも構造上、それは時刻線の収束点である軒下から、斜め下に突き出していたはずです。たぶんですが、かつては軒下から窓庇をこえて手すり中央まで、下図の黄線のように鋼線等が張られ、それがノーモンの役割を果たしていたのだと想像します。それがいつしか失われて、そのままになってしまったのでしょう。


この日時計自体、最初から実用目的というよりは、多分にシンボリックな存在だったので、それでも一向に構わないわけです。

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そして、(我ながらにぶいですが)最後の最後に気づいたこと。
それは「地球屋だから日時計があり、日時計があるから地球屋なんだ」ということです。

(安野光雅(著) 『地球は日時計』。元記事はこちら

すでに指摘された方もいるかもしれませんが、これは私としては一大発見なので、「オッホン」と、咳ばらいをしながらご披露したい気分です。

平野光雄 『時計の回想』2022年03月19日 07時23分13秒

昨日の記事の写真を撮る際、背景に使ったのは下の本です。


■平野光雄(著) 『時計の回想』、書物展望社、1950

1948年から49年、元号でいえば昭和23年から24年にかけて、著者が書きためた時計随筆13編をまとめたもので、序文も含めて本文78頁の可愛らしい本です(たてよこ約15cmという判型も可愛らしいです)。


私は存じ上げなかったのですが、平野光雄氏は時計趣味・時計研究の世界では有名な方だそうです。1909年に秋田で生まれ、幼時から時計に興味を持ち、東洋大学を卒業後は第二精工舎(現セイコーインスツル)に勤務して、趣味と本業が一体となった生活を送られ、時計に関する著作をいくつも上梓された…という、何だかうらやましい経歴の方です。


とはいえ、平野氏が時計趣味の世界で生彩を放ち、同好の士と闊達にやりとりをされるようになるには、もう少し時間が必要です。(『時計の回想』に続く、氏の主著である『時計のロマンス』が出たのが1957年、そして『明治・東京時計塔記』が1958年のことです。この後、氏は60年代から70年代にかけて、時計関連本を次々と世に送りました。)

1950年、昭和25年といえば、終戦からようやく5年。
日本がまだ占領軍の統治下にあった時代です。

(翻訳家・高橋邦太郎による序文)

この『時計の回想』に流れる情調も、戦災で失われた自他の時計コレクションに対する哀惜の念であったり、戦前のよき時代を回顧するノスタルジアであったり、一抹の寂しさを感じさせる色合いのものばかりで、まさに本書が『回想』と題されるゆえんです。(しかも本書が刊行される直前に、それを心待ちにしていた愛妻を喪うという悲劇が、平野氏を襲いました。)


でも、それだけに昔日の思い出は宝石のように美しく、平野氏とそれに共感した関係者の思いが反映されて、この本はとても美しいブックデザインを身にまとっています。本文は練色(ねりいろ)の紙に茶色のインクで刷られ、これはもちろん活版です。さらに全ページに藍鼠(あいねず)の書名と大ぶりの飾り罫が配され、こちらはどうやら木版のようです。限定500部だからこその贅沢であり、それも畢竟平和が戻ったからでしょう。


「美しいものを破壊するのが人間なら、それを作り出すのも人間だ」と、昨日書きました。本書を前に、焦土の中から美しいものが再び芽生え、生い育っていくのを目の当たりにする思いです。


【参考】
平野光雄氏の事績については、ウィキペディアの該当項及び以下を参照しました。
■日本時計倶楽部と平野光雄  http://www.kodokei.com/dt_014_4.html

アストロラーベの腕時計2022年03月18日 09時34分18秒

アストロラーベとウクライナから連想した品がもう一つあります。
イスラムのアストロラーベをモチーフにした腕時計です。


これは、古い時計のムーヴメントを活用して、それに新たな「衣装」と「意匠」を与えて蘇らせたもので、その作者がウクライナの人でした。彼はこういう一品物の作品をこしらえては、eBayで販売していたのですが、さっき見たら当然のごとく商売をたたんでおり、その安否は不明です。

(一部拡大)

私には高級腕時計を身につける趣味も、それを購う資力もありませんけれど、これは私でも買える値段だったし、時計の歴史を振り返るとき、そこにアストロラーベをあしらうというのは、素晴らしいアイデアに思えました。残念ながら、このアストロラーベは単なる装飾の一部で、可動部分は一切ないのですが、それでもご覧の通りの精巧な仕上がりで、眺める愉しみがあります。

(背面。メーカーはOMEGA、シリアルナンバーは5321029と読み取れます)

この作品は、1918年のスイス製の懐中時計が元になっており、そのせいで竜頭(りゅうず)を除くケースの直径は48ミリと、腕時計としては大ぶりです。

(竜頭は英語でcrownだと聞いて、なるほどと思いました)


今回のロシアの侵攻で失われた人の命、町、愛すべき品々。
戦争とは無慚なものだと、何度でも思います。

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<美しいものを作り出すのも人間なら、それを破壊するのも人間だ>
…ということに絶望を感じます。でも、
<美しいものを破壊するのが人間なら、それを作り出すのも人間だ>
…と叙述をひっくり返すと、そこに一片の希望も生まれてきます。

天文台と時刻決定2021年02月20日 16時21分40秒

口に糊する仕事に忙殺されていましたが、ぼちぼち再開です。
このところ時計と天文の関係について、いくつか話題にしましたが、最近こんな絵葉書を見つけました。


時計メーカーのL. Leroy & Cie(1785年創業)が、1910年に出した記念絵葉書です。


何を記念しているかといえば、同社の天文用振り子時計が、フランスの報時業務に使われるため、パリ天文台に納入されたことを記念するもので、当然そこには自社の技術力の高さを誇示する意味合いがあったのでしょう。


この年、パリ天文台発のフランス標準時は、ただちにエッフェル塔から無線電信によって、遥か5000キロ彼方の船舶にまで伝えられるシステムが完成しました。正確を期すと、1910年3月23日のことです。

エッフェル塔というのは、そもそも高層建築の技術的デモンストレーションのために作られたもので、当初はこれといった用途がなかったそうですが、このとき初めて「電波塔」という性格が付与されたのです。

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昔は天体の南中を観測して時刻を求めるのが最も正確でしたから、標準時の決定も天文台の管掌でした。これは地球の回転を、時計として用いることに他なりませんが、19世紀半ばに、地球の自転速度は一定ではないことが分かり、さらに20世紀に入ると、地球の回転よりも正確な時計が人の手で作られるようになって、時刻の決定は天文台の専売特許ではなくなりました。

それでも、歴史的経緯によって、たとえば日本の国立天文台は、「中央標準時の決定及び現示並びに時計の検定に関する事務」という役目を、現在も法律(省令)で負わされています。肝心のフランスでは現在どうなのか不明ですが、上の絵葉書は、かつてあった天文台と時刻決定の強固な結びつきを、明瞭に教えてくれます。

さらに、H. Benckerという人の論文(LINK)を参照すると、フランスは自主の気風が強いのか、他国がグリニッジを基準とする時刻体系を導入した後も、時刻の基準地点をパリと定めて、これが1891年から1911年まで続いたそうです。エッフェル塔からの報時自体も、結局、1910年3月23日から1911年3月9日までの1年弱で終わったので、この絵葉書はその意味でも貴重な歴史の証人です。

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絵葉書の裏面は、こんな↓感じです。


流麗な筆記体を凝視すると、宛名(受取人)は、当時、パリ物理化学高等専門学校(l'École de physique et chimie de Paris)の教授をつとめた、シャルル・フェリー(Charles Fery、1866-1935)と読み取れます。絵葉書の絵柄も、宛名も渋い顔触れなので、差出人と葉書の文面も気になりますが、こちらは凝視不足で、今のところ判読不能です。

お手軽な天文時計2021年02月03日 18時13分51秒

本物の天文時計を手にするのは、なかなか大変なことです。
ネックとなるのはもちろんお金。手元で愛でようと思えば、必然的に小型の置時計、ないし掛時計ということになりますが、どちらにしても昔の王侯貴族の身辺にあったような品は、それこそ天文学的値段ですし、今出来のものでも、ちょっと気の利いた品となれば、やっぱりウン十万円要求してくるので、気軽に楽しむことは難しいです。

しかし、何事も道はあります。例えば下の時計はどうでしょう。


ガラス蓋付きの木枠の向こうに中世チックな文字盤が見えます。


上の文字盤では、時刻と月の満ち欠けを、


下の文字盤では、黄道上における太陽の位置を教えてくれるというもので、天文時計の基本を押さえています。「Astrology Clock」の名の通り、カラフルな星座絵のほかに、惑星記号を随所にあしらって、なかなかそれらしいムードを醸し出しています。

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この時計について、たぶん最も詳しい説明は、「全米時計コレクター協会(National Association of Watch & Clock Collectors, Inc.)」のページに掲載されているものです(LINK)。

発売は1975年ごろで、当然そう古いものではありません。


ですから裏面を見ると、ちょっと散文的というか、安手な感じがありますが、それはやむを得ないでしょう。電源はAC電源で、アメリカ製なので、定格電圧は120ボルト。100ボルトでも普通に動く気はしますが、モノが時計だけに変圧器をかませた方が良いかもしれず、まだ実際に動かしたことはありません。

製造元はアメリカのコネチカット州の電化製品メーカー、メカトロニクス社(Mech'a'tronicsではなく、社名はMechtronicsと綴ります)で、同社の「フェアフィールド時計製造部門」が手掛けたものです。しかしネット情報が至極乏しくて、ここは今のところ謎のメーカーです。

乏しいネット情報を総合すると、同社は1967年創業で、オーナーのRichard J. Fellinger氏は既に2017年に77歳で亡くなられた由。いずれにしても、同社が時計製造を手掛けたのは、1970年代半ば~80年頃の、ごく短期間に限られるようです。そのわりに今でも製品をよくeBayで見かけるのは、一時相当大量に作られたことを物語りますが、それほど繁盛していた時計製造から、同社がなぜ撤退したかは謎です。

ちなみに、この「アストロロジー・クロック」、eBayだと1万円台で手に入るので、相当なハイ・コストパフォーマンスです。

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ついでながら、本製品の特許番号から、特許申請書類を見つけたので、資料としてリンクしておきます(LINK)。

とりあえず、冒頭のアブストラクトとメカニズムの概略図は以下。



チェーンとホイールを上手く使うことで、1個のモーターで3つのダイヤルを正確かつ安価に動かせるというのが味噌のようです。ハイ・コストパフォーマンスの理由はこれです。

でも…と思います。上で「時計製造から、同社がなぜ撤退したかは謎」と書きましたが、ひょっとしたら、この工夫こそが、その理由なのかもしれません。というのも、こんな簡単な仕組みで乗り切れるほど、時計製造は甘い世界ではなかろう…という気がするからです。つまり、発想は良かったけれども、精度が十分出せなかった、それが同社の時計部門が短命で終わった理由ではないでしょうか。まあ、1秒も動かさない前から決めつけてはいけませんが、なんとなくそんな気がします。

アトラスは時を背負う2021年02月02日 06時22分32秒

さて、今日も時計の話題です。
時計と天文の結びつきを気にしている最中に、ひとつ新しい発見がありました。


それは天球を背負った真鍮製のアトラス像をめぐる話題で、この像は既に過去記事で取り上げました。



記事中、「この像は元々独立した彫像として制作されたのではなしに、何か別の用途(建物や細工物のデコレーション)に使われていたのを取り外して、後からこんな風に一本立ちさせたのではないでしょうか」と推測しましたが、この推測は確かに当たっていて、この像はかつて時計のてっぺんを飾っていたことを、今回知りました。

そのことは、高円寺のアンティークショップ「LECURIO」さんのツイート(LINK)に、よく似た像が紹介されていたので気づきました。

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さっそく「Atlas clock」で検索すると、問題の「時計のてっぺんに乗ったアトラス像」はもちろん、アトラスが(地球や天球ではなく)時計そのものを支えている品も続々と見つかり、天空を支えるアトラス神と、時計との強固な結びつきが、ここにはっきりしたのでした。

(Googleの画像検索画面)

それら時計に乗ったアトラス像は、みなよく似ていますが、似ていながらも微妙に違っています。どうやら同一メーカーでも、新しい製品を作るたびに、新たに型を起こしていたようです。それらを見て回るうちに、手元のアトラス像に酷似したものを見つけました。


上記は米ウィスコンシン州のアンティークショップ、The Harp Galleryさんの商品ページで、その説明によると、この時計は2017年を去ること約60年前、すなわち1950年代末頃に作られたもので、オランダのWarmink社が、WUBAのブランドで製造販売していたものの由。手元のアトラス像も、同社由来と見てほぼ間違いないでしょう。

(同上掲載画像の部分拡大)

まあ酷似とはいっても、仔細に見ると微妙に違うので、手元の品のオリジンを完全に特定できたわけではありません。でも、Warmink社は1929年の創業だそうですから(参照リンク)、手元の像もそれ以降の品であることは確実で、少なくとも過去記事で書いたような「19世紀」は誇大です。

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ただ、Warmink社の時計自体は、20世紀生まれだとしても、そこにはさらに古いモデルがあります。


例えば、上もWUBAブランドの壁掛け時計ですが、これは下のような時計をお手本にしたものでしょう。


後者は以前クリスティーズのオークションに出たもので、クリスティーズの説明によれば、1700年頃のオランダ製だそうです。(ちなみに上のWUBAは80ユーロ、クリスティーズの方は4,000ユーロで落札されました。)

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手元のアトラスは、時代が思ったよりも若かったし、いささか高い買い物だったかな…という思いもありますが、それ以上に、今回その正体が分かってホッとしました。謎解きの突破口を与えていただいたLECURIOさんに、改めて感謝いたします。