小さな星座カードのはなし2021年11月08日 20時37分22秒

数年前――より正確にいうと6年前、ある星座カードのセットを買いました。


「Connais-tu les etoiles?」(君は星を知っているか?)と題したこのカードは、パリのすぐ南、ブリュノワの町にあるマルク・ヴィダル(Marc Vidal)LINK】という、レトロ玩具(日本でいう駄菓子屋で売っているような品)の専門のメーカーが作ったものです。

買ったときは、ここがレトロ玩具専門とは知らなかったので、「今のご時世、こんな紙カードの需要があるんかいな?」と他人事ながら心配になりました。でも、だからこそ意気に感じて買わねばならない気がしたのです。それに当時は天文ゲームに熱中していた時期なので、そのヴァリエーションに加えてもいいかな…とも思いました。


外箱は8×10cm、中に入っているカードは7×9.5cmの定期券サイズです。
内容は月ごとの星空カードが12枚と、主要星座の説明カードが同じく12枚、さらに全体の解説カードが1枚の計25枚。



カードはすべて両面刷りで、星空カードは表と裏で北天と南天を描き分け、また星座カードは表裏で別星座を扱っているので、登場するのは全部で24星座です。

…と、ここまでは尋常の紹介記事です。
確かにかわいらしい品ではありますが、このカードについては、一応これで話が終わりの「はず」でした。

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しかし狭い世界を生きていると、いろいろ見聞きするもので、この「Connais-tu les etoiles?」には‘本家’があることを最近知りました。

それがこちらです。

(中央の白い輪っかは輪染み)

版元はパリのスイユ出版(Éditions du Seuil)


同社は1935年の創業で、この品も1935~50年頃に出たものでしょう。


カードは全部で20枚の両面刷り、そこに2つ折りの索引カードが付属し、全体は薄紙のカバーに包まれています。カードの大きさは7×10cmと、新版よりもわずかに横長。


趣のあるカラー印刷は石版刷り。
内容は「星座の見つけ方」がメインで、小さなガイド星図集といったところです。(結局、本家と新版の共通点はパッケージデザインだけで、内容はそれぞれオリジナルです。)


また各星図の中に主要メシエ天体が赤刷りされているのも特徴で、メシエ天体は一部を除き肉眼では見えませんから、このカードは望遠鏡を使えるアマチュア天文家を想定読者としていたはずです。

版元のスイユ社は、人文・社会系の良心的な出版社とのことですが、こうした児童向け天文カードを手掛けた経緯は不明です。あるいは暗い時代に灯をともしたかったのでしょうか。

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地味な星座カードに、地味な「本家」があった…
まあ、えらく細かい話ですし、他人からしたら「それがどうした」という類のことでしょうけれど、自分にとってはこれも立派な発見で、かなり嬉しかったです。

火星探検双六(5)2021年02月25日 08時50分04秒

(昨日のつづき)

「10 見張」

「11 火星軍総動員」「12 物すごい海中城」

火星の恐るべき科学力は、ロボット兵士を作り出すに至っています。そのロボット部隊に動員が下り、海中にそびえる軍事要塞から次々に飛来。


「13 海蛇艇の包囲」
さらに人型ロボットは、巨大な龍型ロボットを操作して、鼻息荒く主人公に襲い掛かってきます。メガホンで投降を呼びかける人型ロボットに対し、ハッチから日の丸を振って、攻撃の意思がないことを示す少年たち。

「14 なかなほり」「15 火星国の大歓迎」
至誠天に通ず。少年たちの純な心が相手を動かし、一転して和解です。
あとはひたすら歓迎の嵐。

「16 王様に謁見」

これが以前言及した場面です。ふたりは豪華な馬車で王宮に向かい、王様に拝謁し、うやうやしく黄金造りの太刀を献上します。(火星人はタコ型ではなく、完全に人の姿です。)

「17 火星の市街」

空中回廊で結ばれた超高層ビル群。この辺は地球の未来都市のイメージと同じです。

「18 魚のお舟」

「19 人造音楽師」

「20 お別れの大宴会」

火星の娯楽、珍味佳肴を堪能して、二人はいよいよ地球に帰還します。

「21 上り 日本へ!日本へ!」

嗚呼、威風堂々たる我らが日本男児。
何となく鬼が島から意気揚々と引き上げる桃太郎的なものを感じます。

それにしてもこの麒麟型の乗り物は何なんですかね?日少号は?
日少号は置き土産として、代わりに火星人に麒麟号をもらったということでしょうか。

   ★

今からちょうど90年前に出た1枚の双六。
ここでパーサビアランスのことを考えると、90年という時の重みに、頭が一瞬くらっとします。1世紀も経たないうちに、世の中はこうも変わるのですね。

しかも、一層驚くべきことは、この双六が出た30年後には、アメリカがアポロ計画をスタートさせ、それから10年もしないうちに、人間が月まで行ってしまったことです。

アポロの頃、この双六で遊んだ子供たちは、まだ40代、50代で社会の現役でした。当時のお父さんたちは、いったいどんな思いでアポロを見上げ、また自分の子供時代を振り返ったのでしょう?…まあ、実際は双六どころの話ではなく、その後の硝煙と機械油と空腹の記憶で、子供時代の思い出などかき消されてしまったかもですが、戦後の宇宙開発ブームを、当時の大人たちもこぞって歓呼したのは、おそらくこういう双六(に象徴される経験)の下地があったからでしょう。

(この項おわり)

火星探検双六(4)2021年02月24日 18時57分54秒

さっそく訂正です。
昨日の記事で、少年たちが麒麟に乗って地球に帰る直前、火星の王様と謁見し云々…と書きましたが、よく順番を目で追ったら、王様に謁見したあとも、いろいろなエピソードが続くので、この点をお詫びして訂正します。

   ★

それでは改めて「火星探検大双六」のストーリーを、コマごとに見ていきます。


「1 ふりだし 富士山上を出発」
日の丸の小旗を振って見送る群衆。敬礼して振り返る凛々しい少年冒険家。
少年たちが乗り込むのは真っ赤な機体の「日少号」、推力はロケット式です。樺島双六に登場したのは、プロペラで飛ぶ飛行船式のものでしたから、これはかなりの技術的進化です。

「2 雷雲にあふ」
高度を上げる機体の前に、真っ黒な雷雲が立ちふさがります。もちろん、ここに太鼓を持った雷様の姿はありません。

「3 雷雲突破」「4 星雲に大衝突」

無事雷雲を突破し、大気圏外に出たものの、月に到達する前に星雲に衝突…というのも変な話ですが、作り手も「星雲」の何たるかを、明瞭に認識していなかったんじゃないでしょうか。おそらく「宇宙空間に漂う怪しいガス」ぐらいに思っていたのかもしれません。背景のやたら土星っぽい星が浮かぶ宇宙イメージにも注目です。

「5 月世界到着」「6 月の探検」

20世紀ともなれば、月は荒涼たる世界で、月世界人はいないことが既に前提になっています(それでも火星人はいることを、大勢の人が信じていました)。船外活動する二人が、立派な宇宙服を着ているのも、すぐれて科学的描写です。

「7 ヤッ彗星だ」

彗星との邂逅は、樺島双六でもありました。どうも宇宙探検で、彗星は外せないイメージみたいですね。

「8 火星軍現る」「9 電波で墜落」

さあ、いよいよ火星に到着です。
しかし二人は歓迎されざる存在のようで、すぐに火星軍が恐るべき兵器で襲いかかってきます。

(手に汗握りつつ、この項さらにつづく)

火星探検双六(3)2021年02月23日 09時52分10秒

大日本雄弁会(現・講談社)が出した「少年倶楽部」(1914-1962)と並んで、一時は最もメジャーな少年誌だったのが、実業之日本社の「日本少年」(1906-1938)です。

もう1枚の火星探検双六とは、この「日本少年」の正月号付録です。
前回登場した樺島双六の4年後、昭和6年(1931)に出ました。その名も「火星探検双六」。(書き洩らしましたが、前回の樺島双六のサイズは約53.5×78.5cm、大双六の方は約54.5×79cmと、その名の通りちょっぴり大きいです。)

(こちらもタタミゼして、背景は畳です)

原案は野口青村、絵筆をとったのは鈴木御水。
野口青村は、当時「日本少年」の編集主筆を務めた人のようです。一方、鈴木御水(1898-1982)は、「秋田県出身。日本画の塚原霊山や伊東深水に師事。雑誌「キング」や「少年倶楽部」に口絵や挿絵を描き、とくに飛行機の挿絵にすぐれていた。」という経歴の人。

   ★

この大双六と樺島双六を比べると、いろいろ気づかされることがあります。
まず両者には、もちろん似たところもあります。


いきなり核心部分を突いてしまいますが、画面で最も目に付くであろう、この「上り」の絵。冒険を終えた二人の少年が、ペガサス風の聖獣麒麟に乗って、「日本へ!日本へ!」と凱旋の手を振っているところです。


そして、その直前の火星の王様に謁見する場面。二人は旭日旗を掲げ、恭しく太刀を王様に献上しています。はっきり言って、どちらも変な絵柄なんですが、こうしたお伽の国的描写において、大双六は樺島双六と共通しています(大双六の方が、いささか軍国調ではありますが)。

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その一方で、両者が著しく異なるのは、SF的要素の取り扱いです。

大双六には、樺島双六に欠けていた「最新空想科学」の成分がふんだんに盛り込まれており、火星探検ストーリーはお伽話ではなく、科学の領分であることをアピールしているようです。子供たちが科学に夢を抱き、火星にその夢を投影したというのは、戦後にも通底する流れですが、1931年当時、既にそれが少年たちのメインカルチャーとして存在したことを、この大双六は教えてくれます。(この点は、樺島双六でははっきり読み取れないので、何事も比較することは大事です。)

(科学冒険譚の細部に注目しつつ、この項つづく)

火星探検双六(2)2021年02月22日 21時38分47秒

(昨日のつづき)

おさらいとして、昨日の全体図を載せておきます。


双六なので、当然途中で行きつ戻りつがあるのですが、とりあえずマス目に沿って進みます。


地球を出発した飛行艇が訪れるのは、まず順当に月です。
ただ、その月は西洋風の「顔のある三日月」で、この旅がリアルな「科学的冒険譚」というよりも、「天界ファンタジー」であることを示唆しています。この辺は描き手の意識の問題であり(樺島画伯は明治21年の生まれです)、「少年倶楽部」という雑誌の性格もあるのでしょう。(これが「子供の科学」の付録だったら、もうちょっと違ったのかなあ…と思います。)


そして、月の次に訪れるのがなぜか土星で、さらに金星を経て、火星へ向かうというのは、順序としてメチャクチャなのですが、そこは天界ファンタジーです。そして途中で彗星に行き会い、いよいよ「火星国」に入ります。


火星国は、石積みの西洋風の塔が並ぶ場所とイメージされており、完全にファンタジックな夢の国です。


そして王国の首都らしき場所に入城し、「大運河巡遊船」に迎え入れられる場面が「上り」です。確かにそこは威容を誇る都ではありますが、いかにもサイエンスの匂いが希薄で、単なる「お伽の国」として描かれているようです。

もちろん、火星を科学文明の栄える場所として描くのも、まったくのファンタジーですから、そこは五十歩百歩と言えますけれど、後の「タコ足の火星人が、透明なヘルメットをかぶって『$#?@%#;+?~&@??』と喋っている」イメージとの懸隔は大きく、少なからず奇異な感じがします。

これが時代相なのか、それともやっぱり画家の資質の問題なのか、その辺を考えるために、もう1枚の火星探検双六を見てみます。

(この項つづく)

火星探検双六(1)2021年02月21日 15時00分39秒

NASAの火星探査機「パーサビアランス」が、無事火星に着陸しました。
火星では、これによって複数の探査車(ローバー)が同時にミッションに励むことになり、いよいよ火星有人飛行も視野に入ってきた感じです。

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イギリスのH・G・ウェルズが『宇宙戦争』を発表したのは1898年で、その邦訳は1915年(光用穆 みつもちきよし)、1929年(木村信児)、1941年(土屋光司)と、戦前に限っても3回出ています(LINK)。

アメリカのオーソン・ウェルズが、1938年に『宇宙戦争』をネタに、ドキュメンタリー風ラジオ番組を制作して、多くの人がパニックになった…と、面白おかしく語り伝えられていますけれど、少なくとも1900年代初頭まで、火星の運河が真顔で語られ、天文学者の一部は、火星人の存在にお墨付きを与えていましたから、それを笑うことはできません。(ちなみにイギリス人作家はWells、アメリカ人監督はWellesと綴るそうで、両者に血縁関係はありません。)

虚実の間をついて、人々の意識に大きな影響を及ぼした火星物語は、当然子ども文化にも波及し、日本では海野十三(うんのじゅうざ)が、『火星兵団』を1939~40年に新聞連載し、火星人と地球人の手に汗握る頭脳戦を描いて、好評を博しました。

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ちょっと前置きが長くなりましたが、そうした時代のムードを背景に作られた珍品を見てみます。1927年(昭和2)の「少年倶楽部」の付録、「火星国探検競争双六」です。

(双六だから畳でもいいか…と思って、背景は畳です)

原案は同誌編集局、絵筆をとったのは斯界の権威・樺島勝一画伯(かばしまかついち、1888-1965)。


正月号の付録ですから、当然前年中に発行準備が進んでいたのですが、何せ1926年という年は、大正天皇が12月25日に没するまでが「大正15年」で、「昭和元年」はほとんど無いに等しく、すぐ「昭和2年」となりましたから、修正が効かなかったのでしょう。欄外の文字を見ると、これは幻の「大正16年」新年号付録となっています。


振り出しは地球、それも東京のようです。
上部が見切れていますが、地球の上にもやもやと黒雲がかかり、2本の足が見えます。


その正体は何と太鼓をもった雷様。
火星探検と雷様が併存しているところが、大正末年の子ども文化の在りようでした。


ついでに言うと、この火星双六の裏面は「宮尾しげを先生画」の「弥二さん喜多さん東海道中滑稽双六」になっていて、これも時代を感じさせます。


さあ、雷様の妨害にも負けず、この雄大な飛行艇で火星に向けて出発です。

(この項つづく)

青い星座カードの話(3)2020年08月26日 06時17分47秒

(昨日のつづき)

1955年に登場した『STAR GAMES』。
この心憎い星座カードは、1974年に『CONSTELLATION』と名前を変えて、改訂版が売り出されたことを、その後知りました。


カードの構成はまったく同じ。6枚が解説カードで、30枚が星座カードです。
しかし、一見すると同じに見えるこの2つのセット、もういっぺん見ると明らかに違います(改訂版たるゆえんです)。


上は1955年版、下は1974年版のしし座。
地色が紺から明るい青に変わったのもそうですが、星座の表現がよりポップになっています(フォントもゴチックになりました)。時代の空気に合わせて、アップデートしたわけです。(※)


そんな違いはありますが、版権表示を見れば、両者はやっぱり同一製品だと分かります。ただ、版権保有者が、版元の Naturegraph 社から、著者である Vinson Brown 氏個人に移動していますが、これはたぶん税金の絡みか何かで、ネイチャーグラフ社は、ブラウン氏の個人会社だと思います。

さらにその後、この1974年版は、1988年まで版を重ねていたことを知りました。

(参考写真。eBayに出ていた1988年版。中身は1974年版と全く同一のようです)

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ここで改めて、一連のカードゲームの著者であるブラウン氏について調べてみます。
ネット情報によれば、ヴィンソン・ブラウン(Vinson Brown 、1912-1991)は、カリフォルニアのナチュラリスト/人類学者。ネイティブ・アメリカンの文化と信仰に一生涯興味と敬意を抱きつづけ、出版人として、また自ら執筆者として、37冊の本を上梓した。」という経歴の人だそうです。

となると、ブラウン氏は単なるゲーム屋の親父さんではなく、深い思慮があって、この星座カードを作ったのであろうと、ボンヤリ想像されました。そして、最晩年までそれを出版し続けたことから、ブラウン氏の思い入れの深さも感じました。
これまた星と人のかかわりを窺わせるエピソードには違いありません。

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こんなふうに1枚の絵葉書からスタートして、一人の人間の生きざまにまで心の視野が広がるならば、このちっぽけなブログを続けることにも、多少の意味がある…と、ひそかに思います。

(この項おわり)


(※注) 1955年版は、H.A.Rayの『THE STARS』の星座絵を、1974年版は、W.T.Olcottの『Field Book of the Skies』(第4版)の星座絵を参照したことが、解説カードには書かれていました。

(H.A.Ray 『THE STARS』 表紙)

青い星座カードの話(2)2020年08月25日 06時25分36秒

(昨日のつづき)

実はこの絵葉書は、もともと絵葉書ではなく、星座のカードゲームとして売られていたものです。それに気づいたおかげで、私はあっさり全カードをコンプリートしたのでした。


ゲーム名はシンプルに『STAR GAMES』
発行年は1955年で、パッケージのデザインが、いかにも50年代チック。箱の文字は、「星を楽しもう!」「カードと懐中電灯を手に、夜空を探検しよう!」と、子供たちに呼びかけています。

(上段・絵葉書と下段・ゲームカードの表と裏)

中のカードは絵葉書とまったく同じで、唯一の違いは裏面にアドレス欄がなく、真っ白なことです。では、絵葉書とゲームのどちらが先に世に出たかといえば、普通に考えて、ゲームが先で、あとから「おっ、こりゃ絵葉書にも使えるな。もらった人が他のカードも欲しがれば、ゲームの販促にもなるぞ!」と、メーカーが知恵を働かせたのでしょう。年代的にも、それで符合します。


箱の中身は36枚のカードから成ります。そのうちNo.1~No.6は解説カードで、ちゃんとした星図カードは、No.7~No.36の30枚です。

で、これで一体どんなゲームを楽しんだのか?
解説を読むと、いくつか遊び方が書かれていて、「星座名を隠してカードを見せて、その名前を当てっこする」とか、「カードを並べて全天星図を作る」とか、「カードと懐中電灯を片手に、チームに分かれて、どちらがより多くの星座を空に見つけられるか競う」といったもので、まあゲームというよりも、これは星座の学習ツールですね。

   ★

こうして、あっさり全カードを手にして満足したのですが、カードの方はさらに変化を遂げて、再度私の前に立ち現れたのでした。

(この項、さらにつづく)

昼と夜2020年01月09日 21時03分58秒

こんな玩具を買いました。

(棚から出すのが面倒なので、今日の写真はすべて商品写真の流用です)

戦後の東ドイツ製で、おそらく1950~60年代ものでしょう。タイトルの「Sonne-Mond-schießen」は、英語でいうと「Sun-Moon-shooting」の意。



吸盤のついたおもちゃの弓矢で、太陽と月の的を狙う室内ゲームです。
的に矢が当たると、太陽と月がくるくる入れ替わるのを面白がるという、至極他愛ない遊びですが、そこには昼と夜、光と闇の闘争という原始神話めいた構造がほの見えます。

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ここで気になるのは、昼間の太陽はいいとして、「夜の顔」が月でいいのかどうか。

地球から見る月は、星座の間を縫うようにして、天球上を1年間に約12周回ります。もちろん、月が地球の周りを、1年で約12回まわっているからです。

太陽も含めて考えると、その過程で<太陽―月―地球>の位置関係になることもあるし、<太陽―地球―月>の順になることもあります。前者は太陽と共にある月、言うなれば「昼間の月」です。そして後者が、太陽とは反対に位置する「夜の月」。(月相でいえば、前者は新月の前後半月、後者は満月の前後半月です。)

結局のところ、月が顔を見せるのは昼も夜も半々で、特に夜の存在とするには当たらないのですが、どうしても夜の月のほうが目立つし、月相から言っても明るいフェーズなので、夜の顔っぽく思えるのでしょう。この月と夜の結びつきは、古今東西共通するもので、きわめて強固に人類の脳裏に刻み込まれた観念のようです。

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ところで、月は昼間に出たり、夜に出たりするのに、なぜ太陽は昼間にしか出ないのか分かりますか? これは小さい子供に訊いても良いし、ボーッとしている大人に訊いても面白いかもしれませんね。

答はもちろん「太陽が出ている時間帯を昼間と呼ぶから」です。
でも、これは見かけほど馬鹿々々しい問いでもなくて、こういうところから、人はふと「我思う、故に我あり」の理を悟ったりするものです。

万華鏡を覗き、そっと目を離せば2019年07月21日 08時22分59秒

(本日2投目です)

万華鏡を手にボンヤリ考えたこと。

万華鏡を覗く人は、目の前に展開する美しい光景に心を奪われます。
でも、もし仮に万華鏡の中しか知らない人がいたら、彼はその無限に変化を続ける光と色と形のパターンこそが、世界の全てだ…と思ってしまうでしょう。そして、

 「私はこれまで実に多くの光景を目にした。それらは互いに驚くほど違った相貌を持ち、等しく私の心に深い印象を残した。私はこれまで何と多くの経験をしたことだろう…。ひょっとしたら、もはやこの世界に、自分が新たに学ぶことは無いのではないか?」

…という慢心を抱くかもしれません。

   ★

彼は大きな見落としをしているのです。
すなわち、彼が無限と感じたパターンの連なりは、3枚の合わせ鏡と、ごく少数のオブジェクト(内容物)によって生み出された「ちっぽけな無限」に過ぎないことを。

人間の認識そのものが、あるいは似たようなものでしょう。
万華鏡における3枚の合わせ鏡は、人間がそこから逃れられない認識の枠組みです。そしてオブジェクトは、人間に認識できる、ごく限られた対象です。人間は、認識の万華鏡をくるくる回して、いっぱし世界を知り尽くした気になっていますが、もちろんそんなことはないのです。

これは哲学者たちが認識論と称して、昔から侃々諤々やってきたテーマですが、議論よりも何よりも、実際にこの「認識の万華鏡」からそっと目を離したら、いったい何が、どんな光景が見えるのでしょうか?

想像するに、それは決して言葉にならない経験であり、お釈迦さまが「悟り」と呼んだものに通じるのでしょうけれど、もちろんこう書いたからといって、何一つ分からないことに変わりはありません。

   ★

まあ、こんなことを考えるのは暇人の証拠で、「下手の考え休むに似たり」でしょうが、でも、人間はとかく慢心しやすいものですから、時にはこんなふうに己の限界を省みた方がよいのです。

万華鏡は単純な玩具に過ぎないとはいえ、その示唆するところはなかなか深遠です。
人生という船旅のお守りに、ひとつ手元にあっても好い。

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さて、選挙です。
悟りの道は遠けれど、このちっぽけな無限世界に、ちっぽけな影響力を及ぼすことは、ちっぽけな私にもできますから、ちょっと行ってきましょう。