ぎょちょうもく、申すか申すか2022年08月13日 11時00分30秒

みんなで輪になって座り、魚・鳥・木の名前を言い合う「魚鳥木(ぎょちょうもく)」という伝承遊びがあります。考えてみれば、あれはなかなか博物趣味に富んだ遊びでした。

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ドイツのカードゲームを見ながら、そんなことを思い出しました。


外箱には愛らしいベニテングタケの絵の脇に「Naturgeschichtliches Quartett Spiel」(博物学カルテットゲーム)とあって、さらに、「美麗な多色カード。花、虫、鳥、などなど」、「印刷・発行 エルンスト・カウフマン社 バーデン州ラール市/ニューヨーク、スプルースストリート7-11」と書かれています。

カウフマン社は1816年の創業。驚くべきことに現在も盛業中です【公式サイト】。
初代はあの石版技術の発明者・ゼネフェルダーに直接学び、その後、多色石版の流行とともに事業を拡大し、ニューヨークを含む海外に出店したのは1880年のことだそうです。このカードゲームも1880~90年代のものと思います。


中身のカードは、いろいろな生物が4枚1グループになっていて、全15グループ、総計60枚のカードから成ります。


Iグループは甲虫の仲間です。絵の下に2列4行にわたって生物名が書かれていますが、一番上に書かれているのが、当該カードの生物名です。左側はドイツ語、右側はフランス語の一般名。そして残り3行が、同じグループを構成する他の生物名で、これを手がかりに「仲間集め」をするわけです。


上段からV(果樹)、VI(野菜)、VII(実のなる木)の各グループ。


同じくXII(キノコ)、XIII(野の花)、XIV(ベリー類)。
カウフマン社ご自慢の多色石版技術が光っています。


中にはちょっと不思議なグループもあって、中段(IX)の鳥の巣も突飛だし、上段(VIII)は蝶グループのようですが、左端には蛾が1匹まじっています。まあ、分類学的に両者は同じ仲間だし、ドイツ語では蝶と蛾を区別しないので、これは理解できます。でも、下段(X)の蜂グループに、トンボが1匹まじっているのは、かなり苦しいです。


このXIグループになると、毛虫、アリ、クモ、バッタと、強いて言えば「雑多な虫」でしょうが、もはやグループの体をなしていません。

まあ、ごく少数のカードで博物趣味を語るとすれば、多少正確さが犠牲になるのもやむを得ません。それよりも、こういう愛らしいカードで身近な生物に対する関心を育み、ゲームを通じて「分類」という作業に慣れ親しむのは、大いに是とすべきことで、その意気に感じます。

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以下、おまけです。

カルテットゲームは、カードをやりとりしながら、4枚1グループの「仲間」をできるだけ揃えた人が勝ちという遊びです。これまで天文モチーフのカルテットゲームを集めていた関係で、手元には既に何種類もあるのですが、実のところ、その詳細な遊び方はよく知りませんでした。この機会にそれを調べてみたので、メモ書きしておきます。

カルテットゲーム(Quartett Spiel)は、上述のように4枚1グループの「仲間」集めをすることからその名があります。でも、ゲームの性質を考えると、これは別に5枚1グループでも、6枚1グループでもよく、またグループ数も、たまたま今回のものは15グループですが、これまた任意のグループ数で差し支えないわけです。

カルテットゲームはドイツの専売特許ではなくて、英米にも、フランスにもあって、英語圏だと「ゴーフィッシュ」の名称がポピュラーで、そう聞くと、私もかすかに遊んだ記憶があります。あれは普通のトランプを使って、同じ数字のカード4枚をグループに見立てて遊ぶカルテットゲームの一種だったわけです。

あるいは「ハッピー・ファミリーズ」という、専用のカードを使って遊ぶゲームもあります。こちらは「○○家」の家族メンバーを揃えていくという遊びですが、こちらは5枚で1グループだったり、6枚で1グループだったり、いろいろバリエーションがあります。

で、私は知らなかったのですが、この「ハッピー・ファミリーズ」は日本にも古くから移入されていて、「家族合わせ」の名称で、戦前から親しまれていたそうです。その家族合わせゲームの詳細を、ネットで解説されている方がいて、そこから遡って本家のカルテットゲームの遊び方も、ようやく見当が付いた次第です。

■伝統ゲーム紹介:家族合わせ(概要)
■同:家族合わせの遊び方
(ここには3種類の遊び方が解説されています。カルテットゲームもきっと同じでしょう。)

愛鳥趣味と鳥のゲーム2022年08月11日 14時56分42秒

バードウォッチングを楽しんだりする愛鳥趣味というのがあります。
手っ取り早く、ウィキペディアの「野鳥観察」の項【LINK】を参照すると、以下のように記述されています。

 「趣味としての探鳥は、1889年英国王立鳥類保護協会が設立され、野鳥を捕殺したり飼育することを禁止しようということで、鳥を見て楽しむことが奨励された。20世紀に入り、欧米を中心に広がった。日本においては、昭和10年〔1935〕ごろ中西悟堂らによって提唱され現在に至る。」

まあ大枠はこういうことなのですが、さらに「英国王立鳥類保護協会(RSPB)」のサイトを見に行ったら、私がぼんやり考えていたこととは、いささか違うことが書かれていて、大いに蒙をひらかれました。


■The Royal Society for the Protection of Birds(RSPB)のサイトより
 「Our history」のページトップ

同協会の歴史のページには、冒頭に2人の女性の写真が掲げられています。
左の女性はEmily Williamson(1855-1936)、右の女性はEtta Lemon(”Etta”は通称。本名はMargaretta Louisa Lemon、1860-1953)で、さらにもう一人、Eliza Phillips(1823-1916)を加えた3人の女性がRSPBの創設者です。

協会が創設された1889年当時、はなやかなファッションの世界では、鳥の羽毛や鮮やかな飾り羽が大量に消費されていました。そのため、野生の鳥類、コサギやカンムリカイツブリ、ゴクラクチョウなどは実際絶滅の危機に瀕していたのです。しかも、そうした深刻な事態に対して、男性のみに門戸を開いていた英国鳥類学会は、何のアクションも起こさない―。そのことに業を煮やした末に、彼女たちは立ち上がったのです。

その動きは一時の激情にかられたものではなく、非常に息の長いものでした。
1904年には勅許を得て「王立」を名乗ることが許され、鳥類保護協会は「王立鳥類保護協会」になり、そして多年の努力が実って、「羽毛輸入(禁止)法(The Importation of Plumage (Prohibition) Act)」が議会で成立したのは、実に1921年のことでした。

ピ-ターラビットの作者、ビアトリクス・ポッター(1866-1943)は、若い頃生物学への関心が強く、特にキノコの研究では立派な業績も上げていたのに、学会が女性の参加を拒んだために、やむなく絵本作家に転じたことはよく知られています。それだけ学問の世界が女性に対して抑圧的だったわけです。その抑圧されたエネルギーが正当な出口を見出した時、いかに大きなことが成就されるか、RSPBの歴史はそのことも物語っているように思います。

そしてこの間、世界の潮流も大きく変わりました。1899年にはドイツ鳥類保護協会とオランダ鳥類保護協会が、1905年にはアメリカではオーデュボン協会が、1912年にはフランス鳥類保護連盟が誕生し、民間主導の自然保護運動は商業主義に対抗し、多くの成果を挙げたのでした。(この段落は、日本大百科全書「動物保護」の項を参照しました。)

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穏やかな愛鳥趣味の背後に目を向ければ、そこには熱い歴史があります。
下はそんな熱い時代に生まれた「鳥のゲーム(Game of Birds)」です。

(チョコレート色の箱の大きさは9.5×20.5cm)

発売元の「パーカー・ブラザース」は、1880年代創業のアメリカの老舗ゲームメーカーで、1935年にはあの「モノポリー」を手がけて大儲けしたそうです。同社が20世紀の始めに売り出したのがこの鳥のゲームで、これも当時かなり売れたらしく、今でもeBayでは普通に売られています。

このゲームが人気を博したという事実と、上のような鳥類保護の歴史を考え合わせると、この他愛ないカードゲームに対する見方もいくぶん変わる気がします。

(黄色のチップがビニール袋に入っているのは、後の持ち主の工夫です)


トランプと同様、カードは4種類のスートから成り、各スートは1~13の数字が振られています(すなわちカードは全部で52枚です)。4つのスートはAシリーズ、Bシリーズ、Cシリーズ、Dシリーズと呼ばれ、Aは「攻撃的な鳥(fighting birds)」、Bは「派手な色の鳥(birds of bright plumage)」、Cは「森や荒れ地に住む鳥(birds who haunt the woods or wilds)」、Dは「身近な鳴く鳥(our song birds)」を表しています。

(A~Cの3種のスートについて、1番から5番まで並べたところ)

ゲームは、すべてのカードをプレイヤーに配ったあと、プレイヤーが順番に「親」となって、1枚ずつ手札を場に出しながら進みます。場に出すのは、原則として「親」が出したのと同じスートのカードですが、スートA(攻撃的な鳥)はいつでも出すことができ、他にAのカードが出ていなければ、その場のカードを全取りできます(A同士だと数字の大きい方が勝ちます)。しかし、やみくもカードを取ればいいというわけではなくて、カードの中にはババ、すなわち手元にあると減点になるカードがいくつかあって、それをどのタイミングで相手に取らせるか、その辺の駆け引きがゲームを面白くしています。
(ゲームの詳細はこちら【LINK】を参照のこと。)

(2つ折り4ページのゲーム解説。左上に写っているのはカードの裏面で、すべてのカードで共通です)

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日ごろ登場しないものを簡単に紹介しようと思いましたが、他愛ないように見えても、調べ始めると、やっぱりいろいろな歴史がそこにはあって、モノがたりは尽きることがありません。

小さな星座カードのはなし2021年11月08日 20時37分22秒

数年前――より正確にいうと6年前、ある星座カードのセットを買いました。


「Connais-tu les etoiles?」(君は星を知っているか?)と題したこのカードは、パリのすぐ南、ブリュノワの町にあるマルク・ヴィダル(Marc Vidal)LINK】という、レトロ玩具(日本でいう駄菓子屋で売っているような品)の専門のメーカーが作ったものです。

買ったときは、ここがレトロ玩具専門とは知らなかったので、「今のご時世、こんな紙カードの需要があるんかいな?」と他人事ながら心配になりました。でも、だからこそ意気に感じて買わねばならない気がしたのです。それに当時は天文ゲームに熱中していた時期なので、そのヴァリエーションに加えてもいいかな…とも思いました。


外箱は8×10cm、中に入っているカードは7×9.5cmの定期券サイズです。
内容は月ごとの星空カードが12枚と、主要星座の説明カードが同じく12枚、さらに全体の解説カードが1枚の計25枚。



カードはすべて両面刷りで、星空カードは表と裏で北天と南天を描き分け、また星座カードは表裏で別星座を扱っているので、登場するのは全部で24星座です。

…と、ここまでは尋常の紹介記事です。
確かにかわいらしい品ではありますが、このカードについては、一応これで話が終わりの「はず」でした。

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しかし狭い世界を生きていると、いろいろ見聞きするもので、この「Connais-tu les etoiles?」には‘本家’があることを最近知りました。

それがこちらです。

(中央の白い輪っかは輪染み)

版元はパリのスイユ出版(Éditions du Seuil)


同社は1935年の創業で、この品も1935~50年頃に出たものでしょう。


カードは全部で20枚の両面刷り、そこに2つ折りの索引カードが付属し、全体は薄紙のカバーに包まれています。カードの大きさは7×10cmと、新版よりもわずかに横長。


趣のあるカラー印刷は石版刷り。
内容は「星座の見つけ方」がメインで、小さなガイド星図集といったところです。(結局、本家と新版の共通点はパッケージデザインだけで、内容はそれぞれオリジナルです。)


また各星図の中に主要メシエ天体が赤刷りされているのも特徴で、メシエ天体は一部を除き肉眼では見えませんから、このカードは望遠鏡を使えるアマチュア天文家を想定読者としていたはずです。

版元のスイユ社は、人文・社会系の良心的な出版社とのことですが、こうした児童向け天文カードを手掛けた経緯は不明です。あるいは暗い時代に灯をともしたかったのでしょうか。

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地味な星座カードに、地味な「本家」があった…
まあ、えらく細かい話ですし、他人からしたら「それがどうした」という類のことでしょうけれど、自分にとってはこれも立派な発見で、かなり嬉しかったです。

火星探検双六(5)2021年02月25日 08時50分04秒

(昨日のつづき)

「10 見張」

「11 火星軍総動員」「12 物すごい海中城」

火星の恐るべき科学力は、ロボット兵士を作り出すに至っています。そのロボット部隊に動員が下り、海中にそびえる軍事要塞から次々に飛来。


「13 海蛇艇の包囲」
さらに人型ロボットは、巨大な龍型ロボットを操作して、鼻息荒く主人公に襲い掛かってきます。メガホンで投降を呼びかける人型ロボットに対し、ハッチから日の丸を振って、攻撃の意思がないことを示す少年たち。

「14 なかなほり」「15 火星国の大歓迎」
至誠天に通ず。少年たちの純な心が相手を動かし、一転して和解です。
あとはひたすら歓迎の嵐。

「16 王様に謁見」

これが以前言及した場面です。ふたりは豪華な馬車で王宮に向かい、王様に拝謁し、うやうやしく黄金造りの太刀を献上します。(火星人はタコ型ではなく、完全に人の姿です。)

「17 火星の市街」

空中回廊で結ばれた超高層ビル群。この辺は地球の未来都市のイメージと同じです。

「18 魚のお舟」

「19 人造音楽師」

「20 お別れの大宴会」

火星の娯楽、珍味佳肴を堪能して、二人はいよいよ地球に帰還します。

「21 上り 日本へ!日本へ!」

嗚呼、威風堂々たる我らが日本男児。
何となく鬼が島から意気揚々と引き上げる桃太郎的なものを感じます。

それにしてもこの麒麟型の乗り物は何なんですかね?日少号は?
日少号は置き土産として、代わりに火星人に麒麟号をもらったということでしょうか。

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今からちょうど90年前に出た1枚の双六。
ここでパーサビアランスのことを考えると、90年という時の重みに、頭が一瞬くらっとします。1世紀も経たないうちに、世の中はこうも変わるのですね。

しかも、一層驚くべきことは、この双六が出た30年後には、アメリカがアポロ計画をスタートさせ、それから10年もしないうちに、人間が月まで行ってしまったことです。

アポロの頃、この双六で遊んだ子供たちは、まだ40代、50代で社会の現役でした。当時のお父さんたちは、いったいどんな思いでアポロを見上げ、また自分の子供時代を振り返ったのでしょう?…まあ、実際は双六どころの話ではなく、その後の硝煙と機械油と空腹の記憶で、子供時代の思い出などかき消されてしまったかもですが、戦後の宇宙開発ブームを、当時の大人たちもこぞって歓呼したのは、おそらくこういう双六(に象徴される経験)の下地があったからでしょう。

(この項おわり)

火星探検双六(4)2021年02月24日 18時57分54秒

さっそく訂正です。
昨日の記事で、少年たちが麒麟に乗って地球に帰る直前、火星の王様と謁見し云々…と書きましたが、よく順番を目で追ったら、王様に謁見したあとも、いろいろなエピソードが続くので、この点をお詫びして訂正します。

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それでは改めて「火星探検大双六」のストーリーを、コマごとに見ていきます。


「1 ふりだし 富士山上を出発」
日の丸の小旗を振って見送る群衆。敬礼して振り返る凛々しい少年冒険家。
少年たちが乗り込むのは真っ赤な機体の「日少号」、推力はロケット式です。樺島双六に登場したのは、プロペラで飛ぶ飛行船式のものでしたから、これはかなりの技術的進化です。

「2 雷雲にあふ」
高度を上げる機体の前に、真っ黒な雷雲が立ちふさがります。もちろん、ここに太鼓を持った雷様の姿はありません。

「3 雷雲突破」「4 星雲に大衝突」

無事雷雲を突破し、大気圏外に出たものの、月に到達する前に星雲に衝突…というのも変な話ですが、作り手も「星雲」の何たるかを、明瞭に認識していなかったんじゃないでしょうか。おそらく「宇宙空間に漂う怪しいガス」ぐらいに思っていたのかもしれません。背景のやたら土星っぽい星が浮かぶ宇宙イメージにも注目です。

「5 月世界到着」「6 月の探検」

20世紀ともなれば、月は荒涼たる世界で、月世界人はいないことが既に前提になっています(それでも火星人はいることを、大勢の人が信じていました)。船外活動する二人が、立派な宇宙服を着ているのも、すぐれて科学的描写です。

「7 ヤッ彗星だ」

彗星との邂逅は、樺島双六でもありました。どうも宇宙探検で、彗星は外せないイメージみたいですね。

「8 火星軍現る」「9 電波で墜落」

さあ、いよいよ火星に到着です。
しかし二人は歓迎されざる存在のようで、すぐに火星軍が恐るべき兵器で襲いかかってきます。

(手に汗握りつつ、この項さらにつづく)

火星探検双六(3)2021年02月23日 09時52分10秒

大日本雄弁会(現・講談社)が出した「少年倶楽部」(1914-1962)と並んで、一時は最もメジャーな少年誌だったのが、実業之日本社の「日本少年」(1906-1938)です。

もう1枚の火星探検双六とは、この「日本少年」の正月号付録です。
前回登場した樺島双六の4年後、昭和6年(1931)に出ました。その名も「火星探検双六」。(書き洩らしましたが、前回の樺島双六のサイズは約53.5×78.5cm、大双六の方は約54.5×79cmと、その名の通りちょっぴり大きいです。)

(こちらもタタミゼして、背景は畳です)

原案は野口青村、絵筆をとったのは鈴木御水。
野口青村は、当時「日本少年」の編集主筆を務めた人のようです。一方、鈴木御水(1898-1982)は、「秋田県出身。日本画の塚原霊山や伊東深水に師事。雑誌「キング」や「少年倶楽部」に口絵や挿絵を描き、とくに飛行機の挿絵にすぐれていた。」という経歴の人。

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この大双六と樺島双六を比べると、いろいろ気づかされることがあります。
まず両者には、もちろん似たところもあります。


いきなり核心部分を突いてしまいますが、画面で最も目に付くであろう、この「上り」の絵。冒険を終えた二人の少年が、ペガサス風の聖獣麒麟に乗って、「日本へ!日本へ!」と凱旋の手を振っているところです。


そして、その直前の火星の王様に謁見する場面。二人は旭日旗を掲げ、恭しく太刀を王様に献上しています。はっきり言って、どちらも変な絵柄なんですが、こうしたお伽の国的描写において、大双六は樺島双六と共通しています(大双六の方が、いささか軍国調ではありますが)。

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その一方で、両者が著しく異なるのは、SF的要素の取り扱いです。

大双六には、樺島双六に欠けていた「最新空想科学」の成分がふんだんに盛り込まれており、火星探検ストーリーはお伽話ではなく、科学の領分であることをアピールしているようです。子供たちが科学に夢を抱き、火星にその夢を投影したというのは、戦後にも通底する流れですが、1931年当時、既にそれが少年たちのメインカルチャーとして存在したことを、この大双六は教えてくれます。(この点は、樺島双六でははっきり読み取れないので、何事も比較することは大事です。)

(科学冒険譚の細部に注目しつつ、この項つづく)

火星探検双六(2)2021年02月22日 21時38分47秒

(昨日のつづき)

おさらいとして、昨日の全体図を載せておきます。


双六なので、当然途中で行きつ戻りつがあるのですが、とりあえずマス目に沿って進みます。


地球を出発した飛行艇が訪れるのは、まず順当に月です。
ただ、その月は西洋風の「顔のある三日月」で、この旅がリアルな「科学的冒険譚」というよりも、「天界ファンタジー」であることを示唆しています。この辺は描き手の意識の問題であり(樺島画伯は明治21年の生まれです)、「少年倶楽部」という雑誌の性格もあるのでしょう。(これが「子供の科学」の付録だったら、もうちょっと違ったのかなあ…と思います。)


そして、月の次に訪れるのがなぜか土星で、さらに金星を経て、火星へ向かうというのは、順序としてメチャクチャなのですが、そこは天界ファンタジーです。そして途中で彗星に行き会い、いよいよ「火星国」に入ります。


火星国は、石積みの西洋風の塔が並ぶ場所とイメージされており、完全にファンタジックな夢の国です。


そして王国の首都らしき場所に入城し、「大運河巡遊船」に迎え入れられる場面が「上り」です。確かにそこは威容を誇る都ではありますが、いかにもサイエンスの匂いが希薄で、単なる「お伽の国」として描かれているようです。

もちろん、火星を科学文明の栄える場所として描くのも、まったくのファンタジーですから、そこは五十歩百歩と言えますけれど、後の「タコ足の火星人が、透明なヘルメットをかぶって『$#?@%#;+?~&@??』と喋っている」イメージとの懸隔は大きく、少なからず奇異な感じがします。

これが時代相なのか、それともやっぱり画家の資質の問題なのか、その辺を考えるために、もう1枚の火星探検双六を見てみます。

(この項つづく)

火星探検双六(1)2021年02月21日 15時00分39秒

NASAの火星探査機「パーサビアランス」が、無事火星に着陸しました。
火星では、これによって複数の探査車(ローバー)が同時にミッションに励むことになり、いよいよ火星有人飛行も視野に入ってきた感じです。

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イギリスのH・G・ウェルズが『宇宙戦争』を発表したのは1898年で、その邦訳は1915年(光用穆 みつもちきよし)、1929年(木村信児)、1941年(土屋光司)と、戦前に限っても3回出ています(LINK)。

アメリカのオーソン・ウェルズが、1938年に『宇宙戦争』をネタに、ドキュメンタリー風ラジオ番組を制作して、多くの人がパニックになった…と、面白おかしく語り伝えられていますけれど、少なくとも1900年代初頭まで、火星の運河が真顔で語られ、天文学者の一部は、火星人の存在にお墨付きを与えていましたから、それを笑うことはできません。(ちなみにイギリス人作家はWells、アメリカ人監督はWellesと綴るそうで、両者に血縁関係はありません。)

虚実の間をついて、人々の意識に大きな影響を及ぼした火星物語は、当然子ども文化にも波及し、日本では海野十三(うんのじゅうざ)が、『火星兵団』を1939~40年に新聞連載し、火星人と地球人の手に汗握る頭脳戦を描いて、好評を博しました。

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ちょっと前置きが長くなりましたが、そうした時代のムードを背景に作られた珍品を見てみます。1927年(昭和2)の「少年倶楽部」の付録、「火星国探検競争双六」です。

(双六だから畳でもいいか…と思って、背景は畳です)

原案は同誌編集局、絵筆をとったのは斯界の権威・樺島勝一画伯(かばしまかついち、1888-1965)。


正月号の付録ですから、当然前年中に発行準備が進んでいたのですが、何せ1926年という年は、大正天皇が12月25日に没するまでが「大正15年」で、「昭和元年」はほとんど無いに等しく、すぐ「昭和2年」となりましたから、修正が効かなかったのでしょう。欄外の文字を見ると、これは幻の「大正16年」新年号付録となっています。


振り出しは地球、それも東京のようです。
上部が見切れていますが、地球の上にもやもやと黒雲がかかり、2本の足が見えます。


その正体は何と太鼓をもった雷様。
火星探検と雷様が併存しているところが、大正末年の子ども文化の在りようでした。


ついでに言うと、この火星双六の裏面は「宮尾しげを先生画」の「弥二さん喜多さん東海道中滑稽双六」になっていて、これも時代を感じさせます。


さあ、雷様の妨害にも負けず、この雄大な飛行艇で火星に向けて出発です。

(この項つづく)

青い星座カードの話(3)2020年08月26日 06時17分47秒

(昨日のつづき)

1955年に登場した『STAR GAMES』。
この心憎い星座カードは、1974年に『CONSTELLATION』と名前を変えて、改訂版が売り出されたことを、その後知りました。


カードの構成はまったく同じ。6枚が解説カードで、30枚が星座カードです。
しかし、一見すると同じに見えるこの2つのセット、もういっぺん見ると明らかに違います(改訂版たるゆえんです)。


上は1955年版、下は1974年版のしし座。
地色が紺から明るい青に変わったのもそうですが、星座の表現がよりポップになっています(フォントもゴチックになりました)。時代の空気に合わせて、アップデートしたわけです。(※)


そんな違いはありますが、版権表示を見れば、両者はやっぱり同一製品だと分かります。ただ、版権保有者が、版元の Naturegraph 社から、著者である Vinson Brown 氏個人に移動していますが、これはたぶん税金の絡みか何かで、ネイチャーグラフ社は、ブラウン氏の個人会社だと思います。

さらにその後、この1974年版は、1988年まで版を重ねていたことを知りました。

(参考写真。eBayに出ていた1988年版。中身は1974年版と全く同一のようです)

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ここで改めて、一連のカードゲームの著者であるブラウン氏について調べてみます。
ネット情報によれば、ヴィンソン・ブラウン(Vinson Brown 、1912-1991)は、カリフォルニアのナチュラリスト/人類学者。ネイティブ・アメリカンの文化と信仰に一生涯興味と敬意を抱きつづけ、出版人として、また自ら執筆者として、37冊の本を上梓した。」という経歴の人だそうです。

となると、ブラウン氏は単なるゲーム屋の親父さんではなく、深い思慮があって、この星座カードを作ったのであろうと、ボンヤリ想像されました。そして、最晩年までそれを出版し続けたことから、ブラウン氏の思い入れの深さも感じました。
これまた星と人のかかわりを窺わせるエピソードには違いありません。

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こんなふうに1枚の絵葉書からスタートして、一人の人間の生きざまにまで心の視野が広がるならば、このちっぽけなブログを続けることにも、多少の意味がある…と、ひそかに思います。

(この項おわり)


(※注) 1955年版は、H.A.Rayの『THE STARS』の星座絵を、1974年版は、W.T.Olcottの『Field Book of the Skies』(第4版)の星座絵を参照したことが、解説カードには書かれていました。

(H.A.Ray 『THE STARS』 表紙)

青い星座カードの話(2)2020年08月25日 06時25分36秒

(昨日のつづき)

実はこの絵葉書は、もともと絵葉書ではなく、星座のカードゲームとして売られていたものです。それに気づいたおかげで、私はあっさり全カードをコンプリートしたのでした。


ゲーム名はシンプルに『STAR GAMES』
発行年は1955年で、パッケージのデザインが、いかにも50年代チック。箱の文字は、「星を楽しもう!」「カードと懐中電灯を手に、夜空を探検しよう!」と、子供たちに呼びかけています。

(上段・絵葉書と下段・ゲームカードの表と裏)

中のカードは絵葉書とまったく同じで、唯一の違いは裏面にアドレス欄がなく、真っ白なことです。では、絵葉書とゲームのどちらが先に世に出たかといえば、普通に考えて、ゲームが先で、あとから「おっ、こりゃ絵葉書にも使えるな。もらった人が他のカードも欲しがれば、ゲームの販促にもなるぞ!」と、メーカーが知恵を働かせたのでしょう。年代的にも、それで符合します。


箱の中身は36枚のカードから成ります。そのうちNo.1~No.6は解説カードで、ちゃんとした星図カードは、No.7~No.36の30枚です。

で、これで一体どんなゲームを楽しんだのか?
解説を読むと、いくつか遊び方が書かれていて、「星座名を隠してカードを見せて、その名前を当てっこする」とか、「カードを並べて全天星図を作る」とか、「カードと懐中電灯を片手に、チームに分かれて、どちらがより多くの星座を空に見つけられるか競う」といったもので、まあゲームというよりも、これは星座の学習ツールですね。

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こうして、あっさり全カードを手にして満足したのですが、カードの方はさらに変化を遂げて、再度私の前に立ち現れたのでした。

(この項、さらにつづく)