足穂氏、フランスで歓喜す(2)…オートレース観戦 ― 2018年01月17日 07時11分06秒
タルホといえば何といっても飛行機ですが、自動車との関わりも、古くかつ深いものがあります。
彼の「パテェの赤い雄鶏を求めて」(『タルホ大阪・明石年代記』、人間と歴史社、1991所収)を読むと、特に「オートモービル」の章が設けてあって、幼時に刷り込まれた自動車の思い出が懐かしく綴られています。
それは、物心ついたころに見た、乗合自動車のコバルトブルーの車体に描かれた金の星であったり、西洋人の自動車から聞こえるラッパの音階であったり、車の正面にある「蜂の巣」(ラジエーター)の奥から噴き出す、生暖かい風であったりするのですが、足穂はその最後をこんなふうに結んでいます。(原文傍点は太字で表記)
「フランシス=ピカビア編集の“Cannibale”第二号に、『自動車濫用に中毒した二人の露出狂』と題して、ピカビアとツアーラ御両所のフォートコラージュが載っている。私はこれを見て、昔の自動車の世紀末的なエグゾーストの匂いを思い合わした。もはや今日では自動車は(オートバイ、飛行機も合わして)香りなきものに成り果てているが、曾ての日の排気ガスは自分には「ベルグソンの薔薇」であった。バラの匂いが幼年時代を喚び起すわけではない。人には常に薔薇そのものの上に彼の「取戻せない日々」を嗅ぐのである。私もまた雨降る秋の夕べの自動車のエグゾーストに、我が失われし時を嗅いでいる。」
足穂にとっては自動車のエグゾーストの匂いこそ、プルーストの「紅茶とマドレーヌ」であり、甘美な魂の故郷を象徴するものだったのです。
派手にエグゾーストを振りまきながら、颯爽と駆ける自動車の群れ―。
足穂氏とともに、ステレオ写真で「あの日、あの場所」に立ち返ってみます。
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ときは1928年5月17日。ところはフランス、パリ南東に位置するディジョンの町。
この日開催されたレースのことは、以下のページに詳細が出ています。
■the BUGATTI revue
それによると、ディジョンの町では、前年の1927年にモーターレースが始まり、この1928年には、レーシングカー部門とスポーツカー部門に分かれて、4時間耐久レース(と2時間耐久のオートバイレース)が開催されたそうです。
固唾をのんで見守る町の人々。警官らしき人も、もはや警備そっちのけです。
町の外周にも人が群れ、未舗装の道路を疾走する車に声援を送っています。
三脚を据える暇もなかったのでしょう。猛スピードで走る車を追って手ぶれした画面に、リアルな臨場感が漂います。
上と同じ場面を写した写真。こちらはマシントラブルでしょうか。車を降りたドライバーが、渋い顔をして歩いています。
白いエグゾーストを残し、古風なレーシングカーは次々に街路を走り抜け、熱戦はまだまだ続きます。
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ときに、上にリンクしたページで、このレースには女性ドライバーも参加していたと知って、無性にカッコいいなあ…と思いました。しかも驚くべきことに、レースを制したのも女性でした。優勝したマダム・ジェンキーことジャニーヌ・ジェンキー(Jannine Jennky)は、愛車ブガッティを駆って、平均時速137キロオーバーを叩き出した…というのですから、これにはさすがの足穂氏も口あんぐりでしょう。
この件、ちょっとジブリっぽいエピソードですけど、この1928年は、アドリア海でポルコ・ロッソが、空賊相手に派手な空中戦を演じていた頃(正確な時代設定は1929年)と聞けば、なるほどと深くうなずけるものがあります。そして、極東の島国では、若き日の足穂氏が、『天体嗜好症』を上梓した年でもあります。
むせ返るようなハイカラさに酔いつつ、次は複葉機の雄姿を眺めに行きます。
(この項つづく)
足穂氏、フランスで歓喜す(1) ― 2018年01月16日 06時44分27秒
引き続き天文の話から逸れますが、「タルホチックなもの」として、ここでどうしても紹介しておきたい品があります。それは、1928年にフランスで撮影された、ステレオ写真のガラス乾板です。
ガラス乾板は、銀塩フィルムと同様、そこで得られるのは多くの場合ネガ像ですが、ここでは「白黒リバーサル現像」を行うことで、直接ポジ像を得ています(…ということらしいんですが、例によって聞きかじりです)。
乾板の判型は、ステレオ写真用の4.5×10.7cm判。
それぞれT字型の金属フレームで補強されています。
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さて、これらのステレオ写真のどこがタルホチックなのか?
それは、ずばり被写体です。
これらは、フランス中部の町・ディジョンで開催されたモーターレースと、同市から飛び立つ複葉機を撮影したもので、自動車と飛行機とくれば、これは文句なしにタルホチックな存在。
今やすっかりセピアに沈む、90年前の晴れやかな光景。
手元には自動車レースのステレオ写真が6点、飛行機のそれが5点あります。
その画面の向こうに、足穂氏の気配を感じ取ってみます。
(この項つづく)
さて、例の首尾は? ― 2017年08月16日 11時09分32秒
8月も後半に入りました。
いかに呑気な子供でも、そろそろ名状しがたい不安と圧迫感で、心がザワザワしだす頃ではないでしょうか。もちろん宿題の話です。まあ、今から始めれば十分間に合うでしょうが、まだ間に合うと思ううちは取り掛からないもので、私の場合、そうした習性が大人になっても治らないどころか、ますます甚だしくなってきているので、子供たちにものを言う資格は全くありません。
でも、せめてものエールに、ちょっと素敵な賞状を載せておきます。
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バカンスには何もしないはずのフランスでも、子供たちはせっせと自由研究や自由工作の類に取り組んだらしく、そのコンテストもありました。下は教育書の版元、マグナール出版(Editions Magnard)主催の、「夏休みの宿題コンクール」の受賞者に贈られた賞状です。
堂々「最優秀賞」に輝いたのは、フランス東部の小さな町、カンシエ(Quincié-en-Beaujolais)に住む、ミッシェル・ピエール君。賞状の日付が、1937年4月20日になっているので、審査にはかなり時間をかけたようです。
浅緑と紺の涼し気な色合いもいいし、空を飛ぶ飛行機や飛行船のシルエットも素敵です。そして、左右に並ぶモノたちのオブジェ感―。いかにも少年の夢を誘う絵柄です。
こんな賞状がもらえるなら、子供たちも、ちょっとは宿題に力が入るんじゃないでしょうか。(ちなみに賞状のサイズは、A4よりもちょっと小さい21×27cm)
(1935年の賞状はちょっと暑苦しいデザイン。こちらは9×14cm の葉書大)
ピエール君は、その2年前(1935)にもコンテストに応募しており、そのときは4等賞の小さな賞状をもらっています。彼はその後も黙々と努力を続け、今回の金星に結びついたのでした。相当な努力家であり、聡明な少年でもあったのでしょう。
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ピエール君のことを思うと、「とにかく出せばいいだろう」と、毎年やっつけ仕事だった自分が恥ずかしくなりますが、なに、それでもちゃんとこうして生きているよ…と、あんまり慰めにもならないでしょうけど、子どもたちに語りかけたい気も一方ではします。
まあ、明けない夜はない。とにかく頑張りましょう。
夏休み ― 2016年08月14日 07時01分36秒
再びレーニン号 ― 2016年07月22日 06時16分39秒
ついでに、レーニン号の絵葉書も載せておきます。
星のまたたく暁の空(それとも夕暮れ?)。
砕氷船レーニン号と、軍艦のシルエットから照射されたサーチライトが、ソ連のロケットを真一文字に照らしています。
砕氷船レーニン号と、軍艦のシルエットから照射されたサーチライトが、ソ連のロケットを真一文字に照らしています。
何か政治的プロパガンダなのだろうと想像はつくものの、こういうのは背景が分からないと、何を表現しているか、さっぱり分からないですね。
絵葉書の下に書かれたロシア語をグーグルに尋ねたら、「Glory to the October!」の意味だと教えてくれました。すなわち、1917年に勃発した十月革命を讃える言葉だそうです。そうは分かっても、依然謎めいた感じは残りますが、おそらくソ連の技術力と軍事力が新しい時代を照らし、かつ切り拓く…みたいなイメージなのでしょう。
裏面には1961年の消印が押されており、これまた「熱くて冷たい」冷戦期の空気を今に伝えています。
まあ、強権政治の暗い記憶はそれとして、この砕氷船と青い星空の取り合わせには、たしかに涼味を感じます。
熱くて冷たいもの ― 2016年07月21日 09時38分19秒
「夏は暑い」
セオリーどおり暑いですね。
セオリーどおり暑いですね。
オーロラの海をゆくレーニン号。
全長134メートル、旧ソ連が1959年に完成させた、世界初の原子力砕氷船です。
全長134メートル、旧ソ連が1959年に完成させた、世界初の原子力砕氷船です。
砕氷船…と聞くと、南極観測船をパッと連想しますが、レーニン号が就航したのは北極海で、ソ連がその建造を急いだのも、冬の北極海で航路を確保するためでした。
3基の原子炉(後に2基に換装)が生み出す高熱は、44,000馬力のパワーを生み、その巨大な船体は、凍てつく氷をバリバリと砕きつつ、白一色の世界に黒い筋を付けながら、ゆっくりと進みました。(…その場を見たわけではありませんが、きっとそのはずです。)
このバッジは見た目が新しいので、当時のものではなくて、わりと新しいお土産品かもしれません。でも色合いがきれいで、レリーフの造形もなかなか秀逸です。
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レーニン号は、まさに「熱くて冷たい」存在。
彼が氷海をゆく様を想像すると、いっとき涼を覚えますが、同船は深刻な原子炉事故も経験しており、1965年には乗組員が最大30名死亡した…などと聞くと、別の意味でもヒヤッとします。
彼が氷海をゆく様を想像すると、いっとき涼を覚えますが、同船は深刻な原子炉事故も経験しており、1965年には乗組員が最大30名死亡した…などと聞くと、別の意味でもヒヤッとします。
【参考】 ウィキペディア 「レーニン (原子力砕氷艦)」 の項
タルホ的なるもの…月、大いに酔う ― 2016年05月26日 19時55分33秒
クロモ刷りの戦前のトランプ。
こちらも夜空を舞い飛ぶ飛行機と飛行船です。
さらに三日月、アルコール…とくれば、これはもうタルホ以外の何物でもありません。
さらに三日月、アルコール…とくれば、これはもうタルホ以外の何物でもありません。
飛行機のマークはイギリス空軍のもので、おそらく産地もイギリスでしょう。
時代的には第1次世界大戦の前後と思います。
時代的には第1次世界大戦の前後と思います。
道化めいた小男の振る舞い酒で、金色に輝く月は、もうすっかり出来上がっている様子。他の飛行機も、ご相伴にあずかったのか、いささか桿さばきがウロンです。
ルージュの夜空のバンケット。
地上では、そんな絵柄のトランプを手に、こちらも大いに盛り上がっている頃合いでしょう。
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以下余談ですが、メモ代わりに。
上のトランプは、実は手元に1枚しかありません。なぜ1枚きりかというと、これは「スワップカード(交換カード)」と呼ばれるものだからです。
スワップカードというのは、別にそういう特別なトランプがあるわけではなくて、やっぱり普通のトランプなのですが、本来<52枚+ジョーカー>から成るトランプセットをばらして、1枚ずつ単独で交換・蒐集されるカードを、特にスワップカードと呼びます。
(このカードはクラブのジャック)
スワップカードがいつ始まったかは寡聞にして知りませんが、かつてトランプ・コレクターの中に、「裏面のデザインを楽しむだけなら、別にカードを全部持っている必要はないじゃないか。中の1枚だけ手元に残し、他のカードを別のコレクターと交換すれば、お金もスペースもずっと節約できるぞ!」…と思いついた“知恵者”がいて、始まった風習のようです。
もちろん、トランプ・コレクターの中には、それをいさぎよしとしない人も多く、スワップカードは、その界隈でも依然傍流だと思います。そして、その風習には明瞭な地域差があって、現在スワップカードが最も一般化しているのは、オーストラリアだそうです(その理由は不明)。たしかに、eBayでもスワップカードを扱っているのは、オーストラリアの業者が目立って多く、このカードもそのうちの1人から送ってもらいました。
まあ、トランプを1枚だけ持っていても、どうしようもないのですが、スワップカードというものが存在しなければ、決して目にできなかったトランプのデザインも多いでしょうし、無傷のトランプをばらすのは確かにもったいないですが、カードが欠けて使えないトランプの有効活用になる…という効用もあります。
タルホ的なるもの…光楼と夜の飛行者 ― 2016年05月25日 19時49分58秒
下は大正頃のマッチラベル。
先日、摩天楼の月が登場しましたが、新大陸に築かれた巨大な建築物が、同時代の日本の想像力をいかに刺激したか、このマッチラベルはその好例ではないでしょうか。
先日、摩天楼の月が登場しましたが、新大陸に築かれた巨大な建築物が、同時代の日本の想像力をいかに刺激したか、このマッチラベルはその好例ではないでしょうか。
頂部からだんだらの光を放つビルヂング。
そして、誘蛾灯に集まる虫のように、その周囲を舞い飛ぶ飛行機、飛行船。
そして、誘蛾灯に集まる虫のように、その周囲を舞い飛ぶ飛行機、飛行船。
「Air Light」とは、「拡散光、大気散乱光」の意。
それにしてもスゴイ絵柄です。
それにしてもスゴイ絵柄です。
しかも、高楼はさらにズンズンと成長を続け、今や空の頂点を極めんとする勢い。
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このマッチラベル、夜空をゆく飛行機や飛行船だけでも、十分タルホ的です。
さらに、こうした「夜空に光を放つ高楼」のイメージが、足穂の脳髄とペンを刺激し、そこから「ポン彗星の都」や「パルの都」のような幻想都市が産み落とされたことは、以前も記事にしました。
(画像再掲。1915年、サンフランシスコで開かれた「パナマ太平洋万国大博覧会」の光景)
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高楼建築は、単なる土地利用の経済効率から生まれたものではない…というのは、たぶんその通りで、バベルの塔のように、人間が自らの力を誇るシンボルとしても、また早くに失われた東大寺七重塔のように、人智を超えた存在を賛嘆し、それに捧げるものとしても作られ続けてきました。
そうした感覚は今も濃厚にあって、一国の市民が自らの繁栄を誇りたいと思えば、超高層ビルをにょきにょき建てて、それをことさらニュース映像の背景に使ってみたりするものです。それは単なる物理的構造物を超えた、人間の想念の世界に生きる存在のようでもあります。
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かつて讃岐の沖合に、高さ30丈、すなわち100メートル近くもある巨大な玉(ぎょく)製の塔がそびえ立ち、その中には光を放つ明珠が祀られていました。唐土より贈られたその珠を、竜宮の民から人間の手に取り戻すため、そしてそれによって我が子に幸をもたらすために、自らの命を投げ捨て、壮烈な最期を遂げた一人の海女。
…というのが、能・「海士(あま)」のストーリーです。
少年時代の足穂は、父の命によって仕舞(能における舞だけを独立させたもの)を習っていましたが、彼が2番目にならった曲が「海士」です。足穂少年は、その頃海女さんの救命綱が切れるという現実の事件に偶然接し、この曲はことさら彼の脳裏に残ったといいます。
そして謡曲の舞台「讃州沖」は、同時に足穂の故郷・明石の沖でもあって、後年の追想記『明石』では、允恭紀に引かれた「赤石海底有真珠」のエピソードと、少年時代の「海士」の思い出を結びつけて書いています。
(観世流仕舞教本より、「海士・玉之段」の一節)
足穂がどこまで自覚的だったかは分かりませんが、彼がパナマ太平洋万国大博覧会のシンボルタワー、「宝玉塔(Tower of Jewels)」の絵葉書を見せられたとき、この「海士」の潜在記憶が刺激され、その作品にも影響を与えたのではないか…というのが、私の想像です。
もしこの想像が当っているなら、足穂にとって「光を放つ高楼」は、その非情な相貌とは裏腹に、何か母性を感じさせるものだったかもしれません。
船乗りと旅人は星図を携えて ― 2016年01月02日 08時59分23秒
年末に書いたように、天文航法で海を越える船乗りには、星の知識が欠かせません。
雲の上を飛ぶ飛行機乗りや、森や平原を進む旅人もそうです。
そんな人向けに出された星図。
雲の上を飛ぶ飛行機乗りや、森や平原を進む旅人もそうです。
そんな人向けに出された星図。
■Julius Bortfeldt(編著)
Stern-Karten für Seeleute und Reisende sowie alle Freunde des
Stern-Karten für Seeleute und Reisende sowie alle Freunde des
Sternenhimmels.
『船乗りと旅人のための星図 ― そしてすべての星を愛する人のために』
L. v. Vangerow (Bremenhaven)、1899
『船乗りと旅人のための星図 ― そしてすべての星を愛する人のために』
L. v. Vangerow (Bremenhaven)、1899
表紙はほぼ新書版のコンパクトなサイズですが、中身は折り畳み式になっていて、広げると47×72cmほどの大きさになります。
星図自体は、天の赤道を中心に赤緯±50°の範囲を描いた長方形の星図と、南北両極を中心とした2つの円形星図から成る尋常のものですが、船乗りと旅人向けを謳うだけあって、
あちこちに船のイラストがちりばめられ、
北極のシロクマや、熱帯のジャングルまでもが描かれています。
左右の表は、主要な恒星の赤経・赤緯一覧。
編著者の序文は、1800年代最後の年の年頭に書かれています。
1899年1月5日、ブレーメンハーフェン。
ラーン号の船上にて。
二等航海士 ボルトフェルト
ラーン号の船上にて。
二等航海士 ボルトフェルト
ブレーメンハーフェンはブレーメン州の港湾市です。著者のボルトフェルトは、ここからニューヨークまで就航していた「ラーン号」に乗り組む生粋の船乗りで、専門の天文学者ではありません。
(月の大西洋をゆくラーン号。1899年の消印が押された絵葉書。
http://static0.akpool.de/images/cards/72/720397.jpg)
http://static0.akpool.de/images/cards/72/720397.jpg)
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船尽くしの記事を、まずは新春の宝船代わりに。
それにしても、この真っ青な星図からは、本当に潮風が匂い立つようで、見ているうちに爽やかな気分になります。
それにしても、この真っ青な星図からは、本当に潮風が匂い立つようで、見ているうちに爽やかな気分になります。



































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