ともづなを解け、帆を上げよ2023年07月17日 11時52分54秒

今日は海の日。

さっきeBayを流し見していて、ふと次のような商品写真が目に留まりました。


ドイツで1970年代に使われた学校用掛図です。
お値段は59ユーロ、日本円にして9,200円。

とはいえ、この場合、ドイツも59ユーロもあまり関係がありません。そもそも、私にこれを買うつもりがないからです。(わざわざドイツから取り寄せなくても、日本にだって似たような地図はあるでしょう。)

それでも、何となくこの地図に心が動くものがあって、じーっと見ているうちに、それがふと言葉になりました。

『高丘親王航海記』。


平安時代はじめの人である高丘親王が、老の身を奮い立たせて唐に渡り、さらに天竺を目指して、東南アジアまわりの壮大な船旅に出立した…という史実に、澁澤龍彦の奔放な想像力が加わった幻妖な作品です。そして、上の地図は、ちょうど親王の航海経路をすっぽり含んでいます。

本作は結果的に澁澤の遺作となったことで、さらに幻想味が増した気がしますが、白状すれば私はまだ読んだことがありません。ただ、「高丘親王航海記」という7文字に、私自身のイマジネーションを重ねて、なんとなく読んだような気になっていただけです。

(澁澤自身による『高丘親王航海記』創作メモ。「季刊みずゑ」1987冬号より)

しかし、こういうのを機縁というのでしょう。
夏休みの読書感想文よろしく、この夏の読み物はこれで決まりです。
本の方はさっき注文しました。

驚異の部屋にて2022年12月29日 16時16分03秒

先日、所用で東京に行ったついでに、しばらくぶりに東京駅前のインターメディアテク(IMT)を訪ねました。この日は一部エリアが写真撮影OKだったので、緑の内装が美しい「驚異の小部屋・ギメルーム」で盛んにシャッターボタンを押しながら、かつて東大総合研究博物館の小石川分館で開催された「驚異の部屋展」(2006~2012)のことなどを懐かしんでいました。


ただ、「ワクワクが薄れたなあ」ということは正直感じました。
昔…というのは、このブログがスタートした当初のことですが、あの頃感じたゾクゾクするような感覚を、今のIMTから汲み取ることができないのは、我ながら寂しいなあと思います。もちろんこれはIMTのせいではなくて、見慣れることと驚異は、本来両立しないものです。


当時、「驚異の部屋展」会場で味わった、未知の世界を覗き込むあの感じ。
思えば、あれは私にとっての大航海時代であり、ひるがえって、大航海時代のヴンダーカンマーの先人たちが味わった感動は、あれに近かったのかもしれません。


…と、ここまで書いて「いや、待てよ」と思いました。

ここでもう一段深く分け入って考えると、「見慣れる」ことと「熟知する」ことは、まったく別物のはずです。私はギメルームに居並ぶモノたちを、なんとなく見知った気になっていますが、じゃあ解説してみろと言われたら、言葉に詰まってしまいます。私はそれを知った気になっているだけで、実は何も知らないのです。そして、一つひとつの品に秘められた物語を知ろうと思ったら、その向こうに控えている無数の扉を開けねばならず、それはやはり広大な未知の世界に通じているのでした。


それは新幹線でIMTまで出かけなくても、私が今いる部屋にゴタゴタ置かれたモノたちだって同じことです。私はまだ彼らのことを本当には知りません。だからこそ、こんな「モノがたり」の文章を綴って、彼らの声を聞き取ろうとしているのだ…とも言えます。


ヴンダーカンマーが「目を驚かす」ことにとどまってるうちは、まだまだヴンダー白帯で、その後に控えている「学知の山脈」に足を踏み入れてこそ、ヴンダーの妙味は味わえるのだ…と、「ワクワクが薄れたなあ」などと、生意気な感想を一瞬でも抱いた自分に対する自戒を込めて、ここに記したいと思います。

エミルトン氏の驚異の部屋2018年03月22日 18時51分31秒

バルセロナでは、毎年5月に「OFFF」というアート&デザインの大規模な国際フェスティバルが催されます。その第1回は2001年のことで、今年の「OFFF Barcelona 2018」で早18回を数えます(ちなみに“OFFF”とは“Online-flash-film-festiva”の略だそうです)。

YouTubeを見ていて、今から5年前、2013年のOFFFのために作られた1本の映像作品を目にしました。


■OFFF 2013: Mr. Emilton's Cabinet of Curiosities


映像は、絶滅したドードーの版画とともに始まり、博物趣味にあふれた部屋の様子を切り取りながら、机に向かって一心に手紙を書き綴る男の独白でストーリーは進行します。

彼は子供のころから自然に憧れ、学校を出ると同時に、驚異を求めて世界のあらゆる地方を旅し、そこで見つけた不思議なモノたちを持ち帰っては、部屋を満たしました。
その半生を振り返りながら、彼は手紙を書き続けます。


彼が長い旅の果てに気付いたこと、そして何よりも手紙に託したかったこと―。
それは、この世界を驚異に満ちたものとしていたのは、他でもない自分自身のイマジネーションだったという事実です。

「世界を発見(あるいは再発見)し、新たな世界の創造を可能にするのは、人間の想像力であり、19世紀の博物学者と21世紀のクリエイターは、この点において共通する」…というのが、この作品のメッセージのようです。

   ★

胸に響く話です。そして、これはたしかに一面の真理を突いています。
でも、<モノ>や<世界>は、時として人間のイマジネーションを超える…という事実も、同時に心に留めておく必要があるように思います。

理科室少年の部屋2017年01月10日 22時59分23秒

仮想現実がいくら進化しても、自らが身を置くリアルな物理環境を、思いのままに作り上げたいと願うのは、人間として自然な感情でしょう。

そういうわけで、昔も今もインテリアに凝る人は少なくありませんし、私も素敵な部屋の写真を眺めるのは結構好きです。まあ、見ても自室が整うわけではないのですが、彼我の懸隔が大きいところにこそ、憧れも生まれるのでしょう。

   ★

別件で画像検索していたら、「RoomClip」(http://roomclip.jp/)という、インテリア好きの人たちが写真を共有するサイトに行き会いました。そして、そこで「理科室少年のインテリア実例」とタグ付けされた写真が並んでいるのを発見し、「あ、これはいいな」と思いました。


理科室少年のインテリア実例 http://roomclip.jp/tag/415076

驚いたのは、これが全てR-TYPEさんという、ただお一人の方が投稿されたものであることです。R-TYPEさんは、さまざまなアンティークや標本を蒐集され、それを魅力的にディスプレイして、博物館的なお宅を目指されているという、僭越ながらまことに共感できる趣味嗜好の方です。

もちろん、R-TYPEさんと私とでは、「快と感じる散らかり具合」や、色彩感覚も多少異なるので(私はどちらかといえば混沌とした空間を好みますし、いく分暗い感じの方が落ち着きます)、R-TYPEさんのお部屋をダイレクトに目指すことにはならないのですが、それでもこういう方の存在を知って、とても心強く思いました。

   ★

最近は、以前ほど「理科室風書斎」の話題を語っていませんが、久方ぶりにそっち方面の話題も出してみようかな…と思いました。

首都の週末(1)…インターメディアテク(前編)2016年07月24日 20時50分06秒

味のある一日であった。
…昨日経験したさまざまな出来事を、そう総括したいです。

時間にすれば一日、いやわずか半日のことですが、人間によって生きられる時間は、物理的時間以上に伸縮・濃淡に富むものです。そして、昨日は大いに時間が濃くかつ長く感じられました。

昨日出かけた主目的は、既報のごとく、池袋のナチュラルヒストリエで開催中の「博物蒐集家の応接間」のレセプションに出席することでしたが、そこに至るまでにも、いろいろなプレ・イベントがあったので、ゆるゆると流れに沿って振り返ることにします。

  ★

東京駅に着いたら、何はともあれ、インターメディアテクを訪ねなければなりません。
一途にそう思いこんだわけは、昨年10月から始まった「ギメ・ルーム開設記念展“驚異の小部屋”」を見たかったからです。

「驚異の小部屋」と名付け、インターメディアテクという巨大な驚異の部屋の中に、さらに小さな驚異の部屋が作られているという、一種の入れ子構造が面白いのですが、この「小部屋」は、デザインがまた良いのです。

インターメディアテクは相変わらず写真撮影禁止なので、その様子は下のページに載っている写真を参照するしかありません。

■大澤啓:ギメ・ルーム開設記念展『驚異の小部屋』
  「展示法」の歴史と交流―フランス人蒐集家エミール・ギメ由来の展示什器と
 その再生

 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v20n2/v20n2_osawa.html
 (画像だけならば、手っ取り早くこちらで)

赤を基調としたメイン展示室とは対照的な、この浅緑の空間は、実に爽やかな印象を与えるもので、ヴンダーカンマー作りを目指す人に、新たなデザインの可能性を示唆するものでしょう。

(赤を基調としたメイン展示室。『インターメディアテク―東京大学学術標本コレクション』(平凡社)より)

…と、デザイン面だけ褒めるのも変ですが、実際、この展示室の目玉は、個々の展示物よりも、それを並べているフランス渡りの古風な什器(19世紀のフランス人実業家、エミール・ギメが自分のコレクションを展示するために誂えたもの)であり、それを配した「展示空間」そのものが展示物であるという、これまた奇妙な入れ子構造になっているのでした。

私は小部屋に置かれたソファに腰をかけ、展示されている「空間」を堪能しつつ、「ヴンダーカンマーとは実に良いものだ」と、今さらながら深く感じ入りました。

   ★

そして、これは全く知らずに行ったのですが、現在、特別展示として『雲の伯爵――富士山と向き合う阿部正直』というのをやっていて、これまた良い企画でした。

特別展示 『雲の伯爵――富士山と向き合う阿部正直』
 http://www.intermediatheque.jp/ja/schedule/view/id/IMT0108

「雲の伯爵」というのは修辞的表現ではありません。
本展の主人公、阿部正直(1891-1966)は、華族制度の下、本物の伯爵だった人で、その家筋は備後福山藩主にして、安政の改革を進めた老中・阿部正弘の裔に当ります。


阿部は帝大理学部で寺田寅彦に学び、1923年には1年間ヨーロッパを遊学。1927年、御殿場に「阿部雲気流研究所」を設立し、本郷西片町の本邸内にも実験室を作り、富士山麓をフィールドとした雲の研究に専心しました。

…というと、何だか気楽な殿様芸を想像するかもしれませんが、阿部は戦後、中央気象台研究部長や気象研究所長を歴任しており、その学殖の確かさを窺い知ることができます。

(阿部正直が撮影した山雲の写真。藤原咲平・著『雲』(岩波書店)所収。『雲』は日本の代表的な雲級図(雲の分類図)で、初版は1929年に出ましたが、阿部の山雲写真は、1939年の第4版から新たに収録されました。)

展示の方は、阿部の研究手法の白眉といえる、様々な光学的記録手段――雲の立体写真や、映画の手法を用いた雲の生成変化の記録などをビジュアルに体感できるものとなっています。

(同上)

広大な富士の裾野、秀麗な山容、その上空に生じる雲のドラマ。
想像するだに胸がすくようです。

(同)

上で殿様芸云々と言いましたが、潤沢な資金を用いた阿部の研究は、まさに「殿様」ならではのものであり、その研究を殿様芸と仮に呼ぶならば、その内でも最良もの…と言ってよいのではないでしょうか。

(この項つづく)

二たび三たび、ヴンダーカンマーについて考える2016年01月08日 07時08分51秒

昨日ご紹介したバーバラさんの文章を読んで、私はアメリカのヴンダー趣味の徒の行動原理というか、頭の中がようやく分かった気がします。

これまで、そうした人のキャビネットを眺めながら、「たしかにこれは私の棚とよく似ている。でも、同じようでいて、何かが違う。この人たちが愛でているのは、いったい何なのだろう?」…というのが、ずっとモヤモヤしていました。

バーバラさんは、ずばり書いています。

「今日見られる個人コレクションの多くは、整然とした科学的研究を目指すのではなく、個人の美意識と興味関心を表現し、好奇心と驚異の念をそそる品を展示するため」にあるのだと。

そしてまた、博物学(昆虫コレクション、鳥の剥製、動物の骨格標本など)」は、医学用品、葬儀にまつわる品、あるいは宗教にまつわる工芸品など」と完全に並列する存在であると同時に、単にカッコいいと思えるだけの品…という場合もある」と。

  ★

結局、ヴンダー趣味の徒の行動原理は、ナチュラリストのそれとは全く異なるものであり、往々にして「理科室趣味」と対立するものです。

もちろん単なる理科室趣味が、「整然とした科学的研究」の実践であるとは言い難いですが、少なくとも、そこには科学的研究への‘憧れ’があり、科学的研究の‘相貌’―しばしば古き時代のそれ―をまとうことに、腐心しています。要は「科学のミミック」です。

それに対して、現代のヴンダーカンマーは、(いささか特異な)美意識の発露であり、すぐれてアーティスティックな営みです。

これまでも、何となくそうではないかと想像していたものの、バーバラさんのように、それを正面から書いてくれる人はいませんでした。

   ★

ヴンダー趣味と理科室趣味の棚は、やっぱり似て非なるものです。

おそらく両者の差は、自らのコレクションを語る時の、語彙の選択の違いに現れる気がします。理科室趣味の徒は、棚に置かれた標本の学問的分類にいっそう敏感で、対象を動/植/鉱物学的語彙を以て叙述することに、いっそう喜びを感じるはずです。

例えて言うならば、一個のしゃれこうべを前にして、理科室趣味の徒は、医学解剖学と自然人類学について語り、ヴンダー趣味の徒は、美術解剖学と文化人類学について語る…そんなイメージです。

(ファーブルの仕事部屋。理科室趣味の徒が魅かれるのは、たぶんこんな風情。出典:ジェラルド・ダレル、リー・ダレル(著)、『ナチュラリスト志願』、TBSブリタニカ)

   ★

もちろん、一人の女性の意見を以て、全体を推し量るのは危険で、アメリカ一国に限っても、ヴンダー趣味の徒には、さまざまな言い分があることでしょう。
でも、バーバラさんは以前、シカゴ歴史博物館で、布織関係の収蔵品の目録作りをされたこともあるそうなので、ヴンダー趣味と、現代の博物館の違いに相当程度自覚的であり、その意見には聞くべきものが多いように思います。

   ★

…と、何だか「理科室趣味代表」のような顔をして、エラそうに書いていますが、私の部屋にしたって、ピンバッジや、絵葉書、果ては煙草の空き箱など、現実の理科室には在り得ないモノであふれており、すでに(‘憧れ’はともかく)科学的研究の‘相貌’からは、ずいぶん遠い所に来てしまっています。

それに結局のところ―。
露悪的でさえなければ、私はヴンダーカンマーが好きだし、やっぱり興味深く思います。そして、いつか昔々の元祖ヴンダーカンマーに身を置き、この目で見たいという欲求は変らずあります。

(この話題、上手く語り切れない不全感がいつも残るので、また折に触れて取り上げます。)

スゴイものが神戸に2015年10月25日 21時05分54秒

皆さんは、何かスゴイもの、驚くようなものを見たいと思われませんか?
もちろん、見たいでしょう。私も見たいです。

   ★

昨日、新装なった名古屋・伏見の antique Salon http://salon-interior.jp/)さんを訪ねました。

これまで別テナントが入っていた隣のスペースを吸収して、以前よりも動線がぐっと長くなりました。義眼が宙を睨むキャビネットの前には、黒いクロスをかけた長卓が置かれ、そこで頭蓋骨を前に、店主の市さんとひそひそ語り合う…などという愉しみも味わえるようになりました。

で、そこでのひそひそ話。
今年の12月12日(土)~14日(月)、これまた異彩を放つ神戸のアンティークショップLandschapboek http://www.tit-rollo.com/pg418.html)さんを会場に、全国の不思議なお店が集う「Salon d'histoire naturelle  博物蒐集家の応接間」の第3回目が開かれるということは、すでにリリース済みの情報なので、ご存知の方も多いと思います。
ただし、まだDM等は刷り上がっていないので、詳細はちょっと茫洋としています。

しかし、茫洋としているという点では、主催者である市さんにとっても同様らしいのです。当初は「魔女」のイメージで空間構成を考えていらしたとのことですが、それならばantique Salon さんにしろ、 Landschapboekさんにしろ、今のままでも十分ではないか…と、私なんかは思ってしまいますが、市さんの要求水準は非常に高いので、どうもそれでは面白くない、ここはひとつ魔女にとどまらず、錬金術や占星術にもイメーを広げて、何かこうスゴイものを…というのが、市さんの構想のようです。

   ★

そこで、私に向って市さんが問いかけられたのです。

「何かスゴイものって見たくないですか?」
「どこかにスゴイものはないですか?」

「そういうのは、むしろ個人コレクターの方が持っているのでは?」

私の手元にも、「スゴくみすぼらしいもの」ならありますが、手放しでスゴイものはありません。でも、私もスゴイものは見たいです。

市さんが、以前ツイッター上で呼びかけられたメッセージは以下。
https://twitter.com/antiquesalon/status/638260802139455488

妖異な世界の構築に興味がおありで、この素敵なイベントを自ら盛り上げようという方は、積極的に検討されてはいかがでしょうか?
(なお、臆面もなく私もチラッと出展します。内容はまだ生煮えですが、神戸と足穂からの連想で、「魔術師シクハード氏」をイメージしたものはどうかと思案中です。)

「驚異の部屋」の誕生…カテゴリー縦覧「驚異の部屋」編(おまけ)2015年08月14日 19時39分48秒

ところで、「驚異の部屋」はいつ始まったのか?

もちろん、検索すればそれは15世紀のイタリアで始まり云々…と書いてありますが、ここではもっと身近な話題として、「驚異の部屋」というコトバ(日本語)がいつからポピュラーになったかを書き留めておきます。

   ★

国会図書館の蔵書検索に当ると、「驚異の部屋」を冠した書籍で、最も出版年が古いのは、以下の本だと教えてくれます。

■驚異の部屋 : ハプスブルク家の珍宝蒐集室
エリーザベト・シャイヒャー 著 ; 松井隆夫, 松下ゆう子 訳.
平凡社(1990.12)

(外箱(左)と本の中身)

1990年は平成2年、今からちょうど四半世紀前です。
いわば今年は、本邦における「驚異の部屋」25周年。
昭和時代には「驚異の部屋」をタイトルにした本が全く存在しなかった…というのも、ちょっと意外な気がしました。

そして、その次は9年とんで以下の本。

■文化の「発見」:驚異の部屋からヴァーチャル・ミュージアムまで
吉田憲司 著.
岩波書店(1999.5)

ここで時代は21世紀に替わり、さらに以下のタイトルに続きます(再刊は除く)。

■マーク・ダイオンの『驚異の部屋』 = Mark Dion’s chamber of curiosities : ミクロコスモグラフィア : 東京大学総合研究博物館小石川分館開館1周年記念特別展
西野嘉章 監修.
東京大学総合研究博物館(2003.1)

 
■マーク・ダイオンの「驚異の部屋」講義録 : ミクロコスモグラフィア
西野嘉章 著.
平凡社(2004.4)

■版画でつくる驚異の部屋へようこそ!展 = Willkommen in der "gedruckten" Wunderkammer!
町田市立国際版画美術館(2011.10)


■驚異の部屋 = Chamber of Curiosities KUM Version:京都大学ヴァージョン
東京大学総合研究博物館, 京都大学総合博物館 編 、『驚異の部屋-京都大学ヴァージョン』展実行委員会 監修.
東京大学総合研究博物館(2013.11)


■ギレルモ・デル・トロ創作ノート:驚異の部屋
ギレルモ・デル・トロ 著 ; マーク・スコット・ジグリー 共著 ; 阿部清美 訳.
Du Books(c2014)


■歴史のなかのミュージアム = The museum in history:驚異の部屋から大学博物館まで
安高啓明 著.
昭和堂(2014.4)

ギレルモ・デル・トロ(=映画監督)の著作のように、歴史的な「驚異の部屋」とは直接関係ない本を加えても、わずかに8冊。さらに以下の「ヴンダーカンマー」本2冊を加えても計10冊ですから、いかにも少ないですね。これまた意外でした。
たしかにポピュラーになったとはいえ、やはりマイナーはマイナーです。

■愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎
小宮正安 著.
集英社(2007.9)

 
■真夜中の博物館:美と幻想のヴンダーカンマー
樋口ヒロユキ 著.
アトリエサード(2014.5) 

   ★


さて、そんな「驚異の部屋」の揺籃期、1992年12月の雑誌「太陽」は、澁澤龍彦の『驚異の部屋』」を特集し、その巻頭に荒俣宏さんの「<驚異の部屋>の大魔王へ」という一文を据えています。

(「驚異の部屋」には「ヴンダーカムマー」と振り仮名が付いています)

これは興味深い一文です。荒俣氏は、前年の1992年6月に、アムステルダムで「遠い世界に触れさせる―芸術と奇品、オランダ収集品1585-1735」という展覧会を見た感想を書き付けたあとに、こう書いています。

 そういえば、わが大魔王澁澤龍彦の著作から唯一学びとらなかったことばがあった、とぼくはそのとき思いついた。ほかでもない、驚異の部屋(ヴンダーカムマー)というドイツ語である。それがどういう部屋で、またどういう歴史を閲(けみ)し、いかなる内実を有したかという点では、わが大魔王はきわめて雄弁にその妖異な魅力を語りつくしていた。いや、澁澤龍彦は、ヴンダーカムマーの典型であるルドルフⅡ世の収集物を筆頭に、これらをひっくるめて妖異博物館なる名称のもとに紹介の筆を惜しまなかったのだ。そして妖異なる名称は異端魔術を連想させる。したがって澁澤龍彦の子どもであるわれわれは、当然のように、長らくこれを錬金術工房に付随するがごとき魔術の側の施設と理解してきた。

日本における「驚異の部屋」のイメージには、当初、非常に魔術的な匂いの濃い、一種のバイアスがかかっていたというのです。たしかに、「驚異の部屋」にはそういう色合いがあるので、これは必ずしも間違いではないでしょうが、それが全てでもないので、やはり偏頗な理解だったと言えると思います。

   ★

そうしたオリエンテーションを持ってスタートした、日本の「驚異の部屋」。
さて、現況はどんなものでしょうか。


93年の「太陽」編集子は、「メリエス=ドラコニアの華麗なびっくり箱が 軽みの90年代にどう展開するか」という問いを、読者に投げかけています。22年後の我々は、はたして彼(彼女)に何と答えるべきか?

「驚異の部屋」の歴史的実体については、その後まちがいなく理解が進んだと思います。そしてそのイメージは、多くの創作家に影響を及ぼし、「驚異の部屋」は今やあらたな像を結びつつあるようにも見えます。

ただし、「驚異の部屋」の真価たる「驚異そのもの」を、我々がそこからいっそう豊かに汲み出せるようになったかどうかは、少なからず疑問です。