閑語2021年11月02日 22時01分01秒

選挙は蓋を開けてみないと分からないと書きました。
で、開けてみてどうだったか?
結果はすでにご承知のとおりで、個人的にはあたかも地獄の釜の蓋が開いたかのような気分です。

私の予想では、積極的な野党支持票は伸びないまでも、与党への批判票はもっと多いだろうと思っていました。でも結果はずいぶん違っていて、この点では事前の世論調査の方が正しかったわけです。

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うーむ…と腕組みをしつつ、どういうことかなあと思案しています。
なかなか理解しづらいことですが、世の中に私の理解できないことは無数にあるので、これもその一つに過ぎないといえばそれまでです。

ただ、分からないなりに、後知恵で考えると、今回野党がふるわなかった第一の原因は、野党共闘のロジックないし前提が、そもそも間違っていたことでしょう。

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これまで、旧民主党系の候補と、共産党系の候補(さらに社民党やれいわ)の得票数を足し合わせると、自公の候補を上回る選挙区はたくさんありました。「だから、野党が共闘して候補者を一本化すれば勝てるはず」と思ったのが、そもそも間違いだったのです。たぶん人々の投票行動は、それほど単純ではないのでしょう。

たとえば労働運動の文脈で見ても、連合系の組織が共産党に対して抱く不信感は想像以上のものがあって(逆もまた真なり)、結果として「候補者を一本化しても、得票数は両者の合計にはならない」という事実が、今回明らかになりました。(労組の組織票ばかりでなく、浮動票の投票行動にも、一本化は複雑な影を落としたことでしょう。)

今回の結果――すなわち共闘効果の不発は、それこそ蓋を開けてみるまで分からない、いわば実験的な性格を帯びたものですから、「やっぱり野党はだらしない」とか、執行部の責任問題とか、そういう論にすぐ結びつけなくてもいいのでは?と、私は思います。でも、今後の野党各党のストラテジーに大きな影響を及ぼすことは必定でしょう。

私自身は素朴な大同団結派で、共闘大いに結構と思っていたので、いかにも残念ですが、これが政治というものであり、人間社会の実相なのです。これはひとつ勉強になりました。

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でもひょっとして、投票日がもう一日遅く、神様たちが出雲から帰ってきた後なら、結果も違ったのかなあ…と思ったりもします。

オールドペーパー2021年10月27日 22時26分56秒

記事が間遠になっています。
こんな駄文でも、自ずと記事を書くときの気分というのがあって、今は選挙も近いし、なかなか泰然と文章をひねるのが難しいです。まあ、本当はこういう時期だからこそ、泰然とすべきだと思うのですが、そこが小人の小人たるゆえんです。それでも強いて泰然たるふりをして、記事を書きます。

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部屋を片付けていたら、本棚からコトンと1冊の本が落ちました。
一瞬「?」と思いましたが、すぐにしみじみ懐かしい気分がよみがえりました。


■倉敷意匠アチブランチ(編・発行)、『old paper』、2012

これは良い本です。最初手に取ったときも良い本だと思いましたが、しばらくぶりに手にして、やっぱり良い本だと思いました。

ここに紹介されているのは古い紙モノたちです。あるいはモノの形をとった紙。
たとえば16世紀の本草書の断片。


あるいはグレゴリオ聖歌の楽譜や、時祷書の零葉。


西洋のものばかりではありません。そこには泥絵があり、仏教版画があり、李朝民画があり、紙製の玩具があります。


まさに同じような品に惹かれ、私なりに集めてもいたので、この本を見たとき、これを編んだ人が他人のような気がしませんでした。そして、私がそうした品に惹かれるという事実と、この本の制作意図を考え合わせたとき、私自身、明らかに「紙フェチ」の傾向があるな…と悟ったのでした。(それまでは、当然そうしたモノの「内容」に惹かれているのだと、自分では思っていました。もちろん、それは嘘ではないにしろ、事実の半面に過ぎなかったわけです。)

いったんそうと分かれば、私が古書に惹かれ、デジタルライブラリーでは満足できない理由も、本物が手に入らないときは、たとえ複製でもいいから手に入れたいと願うわけも、よく分かります。私は無条件で紙が好きなのです。

何故か?というのは、フェティシズムの常として説明できませんが、きっと幼時の体験もあるのでしょう。それに紙フェチの人であれば、この気持ちは説明しなくても分かるし、そうでない人には、たとえ説明しても分からないだろうな…という気もします。

フェティシズムというと、何となく倒錯したものを連想して、あまり印象が良くないですが、茶人が茶碗にこだわるのも、天文趣味人が機材にこだわるのも、往々にしてフェティシズムの発露ですし、さらに言えば、およそ蒐集家の営みは全てフェティシズムのなせる業ですから、決して悪い目で見ないでほしいと願います。(まあ公平に見て、そう良いものでもないですが。)

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【閑語】

報道を見ると、どうも与党堅調の世論調査結果がちらちら見えて、ふたたび「これは…」と腕組みをしています。

よく公明党を揶揄して、「下駄の雪」という言い方がありますね。「(自民党に))踏まれても踏まれても、どこまでもついていく」という意味だそうですが、今や少なからぬ国民が「下駄の雪」となっているのかと、怪訝な気持ちです。

もし私が良心的な自民党関係者だったら、「これはおかしい…。いったいどうなっているんだろう?」と、やっぱり不審の念を覚えるでしょうし、悪辣な自民党関係者だったら、「国民なんかチョロいチョロい」と、口笛のひとつも吹くでしょう。

なんだか住みにくい世の中になったものです。
まあ、結果は蓋を開けてみるまで分からないので、泰然と31日を待つことにしましょう。

十月、神送り2021年10月01日 18時41分29秒

岸田氏が新総裁となり、その後の人事を見るにつけ、大方の予想が当たったというか、予想をさらに上回る活躍ぶりで、大いに瞠目しています。

岸田氏の得意技は人の話を聞くことだと、ご本人が仰っていましたが、まさにその言葉に偽りなし。これほどまでに、「あの人たち」の話をやすやすと聞き入れて、人事を差配されたのは見事というほかありません。実のところ、私はもう少し違った光景を想像していたので、己の不明を大いに恥じています。

岸田氏を安倍氏の傀儡などという人もいますが、それは失礼な言い方で、岸田氏は傀儡などという安っぽいものではなくて、まさに安倍氏が降りてきた状態、安倍氏その人と言ってもよく、これぞ入神の境地と呼ぶべきでしょう。

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…というようなことを書いて、しばし溜飲を下げようとしましたが、「いや、待てよ」と思い直しました。いくら何でもここまで露骨なことをして、国民が承知するとは、よもや岸田氏も思ってはいないでしょうし、そうなるとこれは政道を正さんがために、「自民党をぶっ壊す」ことも辞さないという、岸田氏の機略であり、乾坤一擲の大一番ではありますまいか?

まあだとしても、今や自民党がぶっ壊れるのが先か、日本がぶっ壊れるかのが先かの瀬戸際ですから、これは相当な賭けには違いありません。

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帰る道々見上げた茜色の空。


いよいよ神無き月の始まりですが、下界はいったいどうなることか。
出雲では、きっとそのことも話題になっているでしょう。

閑語…床屋政談2021年09月18日 18時46分41秒

まさにコップの中の嵐ですが、自民党総裁選で世間がかまびすしく、私も脇からじっと見ていますが、実際どうなるんでしょうね。

昔、安倍さんが首相のとき、「安倍さん以外なら、誰が首相になっても、少なくとも今よりはマシだろう」という意見がありました。正直、私もそう思っていました。それが真実ならば、今の4人の候補の誰が総裁、ひいては首相になっても、安倍氏よりはまともな政権になるはずですが、はたしてどうか?

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高市という人は、見ていてよく分からないんですが、あの人は自らの極右的言動をまじめに信じているんでしょうか? それとも大向う受けを狙って、壮語しているだけなのか? 前者なら狂気を感じるし、後者ならとんだ痴れ者ということで、いずれにしても私的には論外です。

人間としてのまともさから言えば、野田氏の方が格段に上でしょう。
しかし、今回はいかにも分が悪いですね。総裁選の前からプライベートで、いろいろ書き立てられたのは、相当よこしまな力が働いたのだろうと想像しますが、まあ、まともな人ほど今の自民党では敵が多くなるのかもしれず、野田氏にはひきつづき頑張ってほしいです。(個々の政策では異見も多いですが、しかし人間がまともなら、議論も成り立つでしょう。)

何だかんだ言って、岸田氏も根は常識人なのだと思います。
でも、今の岸田氏には、もれなく安倍麻生がついてくる…という有様で、傀儡政権の未来しか予想できません。岸田氏が、いつかその桎梏を断ち切って、自らの信条にしたがって、政治の舵取りをする覚悟を決めたら、また違った展開もあるのでしょうが、これまでの日和見ぶりからして、とても期待は持てません。俗に「韓信の股くぐり」と言いますけれど、永久に股くぐりばかりしていてもしょうがない…と、歯がゆく思います。

残る河野氏ですが、河野氏の良いところは、安倍的な縁故主義から最も遠いところにいることです。ある意味で潔癖。その点で、白蟻のようにこの国の根幹を食い尽くした、悪しき安倍政治を断ち切る可能性も感じさせます。しかし潔癖な人ほど、海千山千の白蟻に籠絡される恐れもあって、その辺は未知数です。

また、氏には狭量という評判が常について回ります。人間としての度量もそうだし、対象を見る視角の広さにおいてもそうです。私見ですが、氏の政策論には、常に「机上で数字をこねて作った」感があって、その限りにおいては「正しい」言い分が多いと思うんですが、現実はそうした論をやすやすと覆してしまいます。そのとき、唯我独尊の彼は「現実の方が間違っている」と言い出しかねんぞ…と、そんな危うさを感じています。

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まあ私は自民党員でも、自民党支持者でもないので、脇から見ることしかできません。
そして総裁選の陰で「野党の埋没」を懸念する声も強いですが、しかし禍福はあざなえる縄のごとし、今や自民党内の亀裂も深まっているわけですから、これからの社会を見据え、野党各陣営は大いに論じ、国民の心を揺さぶってほしいです。

そしてまた国民も自ら大いに談じて可なり
私も景気づけに、愚にもつかぬ床屋政談をあえて語ってみました。

アドラーのヴァーチャル展示2021年09月04日 10時32分28秒

Googleが世界中の美術館・博物館と連携して、ヴァーチャル展示会を提供している、「Google Arts & Culture」というサービスがありますが、その中にシカゴのアドラー・プラネタリウムが、テーマを決めて自館の収蔵品をあれこれ紹介しているページがあるのに気づきました。


Google Arts & Culture :Adler Planetarium のトップページ

アドラー・プラネタリウムのコレクションは、いわゆる天文アンティークに類する品を含め、広く古今東西の天文関連の文物を対象にしているので、バラエティ豊かで、目で見て楽しいです。しかも、ヴァーチャル展示は、ほんのさわりを紹介しているだけで、その向こうにはさらに多くの品が山とあるわけですから、本当にすごいです。

たとえば占星術についての展示、あるいは月についての展示、あるいは貴重書についての展示…。

こういうのを見ると、「いいなあ」と思と同時に、同様のコレクションを自分でも持ちたいと思ってしまうのが、私の弱点です。こんなことを真顔で言うと、何だか見てはいけないものを見るような目で見られるかもしれません。でも、Jリーグにあこがれて練習に励む小学生のように、夢を抱き、目標を高く持つことは決して悪いことではないはずです。

とはいえ、私は小学生ではないし、その夢がかなう可能性はゼロなので、世間的には全く無意味な試みです。それでも、自分だけの「小さなアドラー」が持てたら、それだけで心豊かな老後を送れるような気がします。


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【閑語】

いよいよ政局ですね。「政治と政局は違う」というのは正論で、「今はそんなことで騒いでいる状況ではない」というのも確かですが、しかし今の局面だからこそ、この先の展開は大いに気になるし、水面下での後ろ暗い動きにも、十分目を向けておきたいと思います。このゴタゴタの中から、人間について学べることも多いでしょう。

ときにふと気になったのですが、ひょっとして「人間、口ではどんな綺麗事を言っても、所詮は私利私欲で動いているんだ」というのが、2021年現在の日本の「本音」であり、共通認識になってはいないでしょうか?でも、私はそれに当たらない実例をたくさん見聞きしてきました。信じられない人には信じられないかもしれませんが、私利私欲で動かない人はたしかにいるのです。それも少なからず。

問題は、今の永田町にそういう人がどれだけいるかです(これは自民党に限りません)。少なくとも、総裁選に関して言うと、「赤あげて、白あげて」の旗揚げゲームのように、出馬を宣言したり、こそこそ引っ込めたりする人は、欲得づくの心底が透けて見えて、最初から論外でしょう。

確実な未来2021年08月14日 17時23分05秒

今日は天文とは関係ない、純然たる自分用メモです。

部屋の片づけをしていたら、本の下からヨレヨレになった紙切れが出てきました。
以前気になった新聞記事のコピーです。いつかきちんと読みたいと思ってとっておいたのですが、ついそのままになっていました。
権利関係でお叱りを受けるかもしれませんが、きわめて重要な記事なので、ここに全体を貼っておきます。

■記者解説 人口減 楽観の先の国難
 朝日新聞2020年10月19日(筆者 編集委員・真鍋弘樹氏)


このブログでも、人口構造の歪みと今後の日本のかじ取り如何?みたいなことを呟いた気がしますが、このことは繰り返し考えないと、本当に道を誤ると思います。

未来は不透明で不確実だといいますが、向こう100年ぐらいに関していえば、人口予測は気味の悪いほど当たります。裏返せば先が見えているのだから、先手を打つこともできるはずです(簡単に打てるとは言いませんが)。政治に期待するのはそのことです。

まあ、私にしたって別に人口至上主義を唱え、産めよ殖やせよと言いたいわけではないんですが、「こんなに不安まみれで、先の暗い世の中だったら、そら人口も増えんわな…」と素朴に思うし、多くの人も同様に感じているんじゃないでしょうか。

記事の最後に引用された、明治大学の金子特任教授の次の言葉にも、大いに頷かされます。 「社会の持続可能性を維持できないほどの低出生率は、いわば国民投票のようなものであり、今の国のあり方に対してノーと言っているのに近い」

ともあれ、日本の(そして自分の)将来の姿を想像する際、下のグラフは実に示唆に富んでいます。




月は出ていたか2021年03月11日 18時15分24秒

2011年3月11日は何曜日だったか覚えていますか?
恥ずかしながら私は忘れていました。暦をめくると金曜日です。

3月11日の発災時に何をしていたかは、多くの人が覚えていると思います。
では、その時の天気はどうだったでしょう?暖かかったか、寒かったか?あの日の晩、はたして月は出ていたのか?――覚えているようで、記憶の曖昧な点が多いです。

下は気象庁の「日々の天気図」というページからお借りしました(LINK)。


あの日は冬型の気圧配置で、太平洋側は晴れないし曇り、日本海側は雪。前日から寒気が流れ込んで寒い日でした。午前9時の天気と、最低・最高気温を書き抜けば、以下の通りです。

 盛岡・晴れ (-3.6℃~4.2℃)
 仙台・晴れ (-2.5℃~6.2℃)
 新潟・にわか雪 (-0.6℃~4.7℃)
 東京・快晴 (2.9℃~11.3℃)
 名古屋・曇り (0.6℃~9.0℃)
 大阪・曇り (2.5℃~10.1℃)

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今日、2021年3月11日の月齢は27.3。伝統的な呼び名だと「有明月」、いわゆる「右向きの三日月」です。有明月は夜明け前に顔を出し、夕暮れ前に沈んでしまうので、空を振り仰いでも、今宵は月を眺めることはできません。

では、10年前の3月11日はどうだったでしょうか?
あの日の月齢は6.3、半月には満たないものの、三日月よりも光の強い上弦の月でした。盛岡を基準にすると、月の出は8:42、月の入りは23:50。南中高度72.7°と、月が高々と空を横切ったために、月照時間の非常に長い一日でした。

あの晩、空を見上げた人は、雲間に明るい月を眺めることができたはずです。
逆にいうと、地震発生の瞬間も、それに続く悲劇も、月はすべてを見ていました。

それを無情と見るかどうか。
無情といえばたしかに無情です。冷酷な感じすらします。
でも、本当は無情でも有情でもなく、月はただそこにあっただけです。いつも変わることなく、無言で光り続けるだけの存在だからこそ、月は人間にとって良き友たりうるのだと思います。人はそういう存在を必要としています。

(月明かりに浮かぶサラーニョン島、スイス・レマン湖)

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ともあれ、今宵は静かに思いを凝らし、思いを新たにすることにします。

阿呆船来航2021年01月27日 22時12分16秒

去年9月に、15世紀の皮肉文学、『阿呆船』に触れました(LINK)。

聖職者も、王侯貴族も、商人も、学者も、ことごとく腐敗堕落した世相をメッタ斬り…みたいな内容の本ですが、腐敗堕落した人はいつの世にもいますから、出た当時はもちろん、その後も世の中に不満を抱く人々に愛読され続けて今に至ります。

私も大いに溜飲を下げたいと思って、名ばかり聞くこの古典を、実際手に取るために注文しました。

(尾崎盛景訳 『阿呆船』(上・下)、現代思潮社刊、1968)

(1494年に出た『Das Narrenschiff』の複製本。1913年刊)

(同上)

邦訳はもちろん、さらに原典まで注文したところに、私の鬱屈ぶりがよく表れています(…というのは嘘で、本当の理由は、邦訳は挿絵が大幅に割愛されていることを知ったからです)。

とはいえ、結局これは注文しなくても良かったのかもしれません。
本を読まなくても、阿呆船の世界は、眼前にあざやかに広がっているのですから。

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昔から愚昧な為政者は少なくありません。民がやせ細り、国力が衰えているのに、かまわず放蕩三昧をしたり…というタイプが代表でしょう。ただ、そういう人の中には、政治はまったくダメだけど、文芸の才があったり、あるいは自ら才能はなくても、芸術や学問の強力な庇護者になったり、というパターンもあります。

しかし、今の日本の為政者は文化にてんで関心がないし、単に愚昧なだけです。
彼らは我欲-金銭欲や権力欲、支配欲を満たすことしか念頭にないように見えます。思わず「禽獣のような」というフレーズを使いたくなりますが、もちろん従容と自然の中で暮らす鳥や動物たちの方が、彼らよりもよっぽど上等な生き方です。

どっちにしろ、菅政権も長くはないだろうと思って、このところ黙って見ていましたが、昨日の補正予算案の報道に接して、これはダメだと改めて思いました。動物たちには申し訳ないけれど、やっぱり「禽獣のような…」という表現が浮かびます。少なくとも、あれが「人間らしい振る舞い」だとは思えません。

   ★

私の見るところ、彼らの振る舞いの中心にある「セントラルドグマ」は次の2つです。

1 何とかなる。
2 何とかならなくても、困るのは他人(下々の者、後続世代)なので構わない。

要は圧倒的なシンパシーの欠如です。
彼らに人間的な心がまったくないとは言いません。でも、いざ政治的な行動をとるとき、その人間的な心がすっぽり抜け落ちてしまう、つまり一種の解離が生じている点が大きな問題です。

じゃあ、それに対する処方箋はあるのか?
…という点ですが、そのことで本人が苦しんでいるならば、そして本人も自分を変えたいと思っているならば、方法はきっとあるでしょう。でも、そうでなければ、彼らを外部から変えることはできないし、採りうる方法は、その弊害があらわになった段階で、政治の場から去ってもらうしかないように思います。

(なんとなくスガ氏と麻生氏に似た二人)

アストロラーベの素性を知る2021年01月03日 12時19分54秒

世の中はますます大変な状況になってきましたが、強いて記事を書きます。今日は過去記事の蒸し返しです。

2017年に「第5回 博物蒐集家の応接間」が神保町で開催されたとき、雰囲気作りのお手伝いとして、アストロラーベのレプリカを飾らせていただいたことがあります。

空の旅(4)…オリエントの石板とアストロラーベ


そのときは、このレプリカの素性がよく分かってなかったのですが、先日ふとその正体というか、そのオリジナルの存在を知りました。これまで何度か言及したツイッターアカウントHistrory of Astronomy(@Histro)さんが、3年前にそれを取り上げているのに気づいたからです(LINK)。

ツイ主のサリダキス氏に導かれてたどりついたのは、シカゴのアドラー・プラネタリウム。その世界有数のアストロラーベ・コレクションの中に、件のオリジナルは含まれていました。

(アドラー・コレクションのページより https://tinyurl.com/ydfk24vf

所蔵IDは「L-100」、その故郷はパキスタンのラホールで、作られたのは17世紀と推定されています。当時はムガル帝国の最盛期で、ラホールは帝国の首都として華やぎ、壮麗なモスクや廟が次々と建てられていた時期に当たります。このアストロラーベも、そうした国力伸長を背景に生まれた品なのでしょう。

手元の品は、デザインも寸法もオリジナルとピッタリ同じ。彫りが浅いのと、おそらく真鍮成分の違いで、あまり金ピカしていませんが、構造を見る限り、正真正銘の精巧なレプリカです。


細部に目を凝らしても、本当によく作ったなあ…と感心する仕上がりです。
以前も書いたように、これは「レプリカ」と明示して販売されていたので、贋作ではありませんが、目の利かない人に見せたら、あるいはだまされてしまう人も出てくるかもしれません。


インドのどこかには、今もこういう品をこしらえる工房があって、職人の手元を離れた品々は、ときに真っ当なレプリカとして、ときに後ろ暗い贋作として、今も世界中のマーケットを渡り歩いているのではないか…と想像します。

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他の人からすれば、どうでもいいことでしょうが、持ち主としてはこうして正体が分かったことで、ちょっとホッとしました。


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【閑語】

感染症の中でも特に「伝染病」と呼ばれるタイプのものは、ヒトが媒介して拡大するので、その増減を決定する最大の要因は、人と人との接触頻度です。

裏返せば「大規模な流行のあるところ、人の盛んな交流あり」。中世のペスト大流行も、モンゴル帝国の成立によって、東西交易が活発化したことの反映だと、ウィキペディアの「ペストの歴史」に書いてあって、なるほどと思いました。今のコロナの世界的流行も、構図はまったく同じですね。

だからこそ、接触頻度を下げるためにロックダウンしろと、識者は盛んに述べるわけです。もちろん、一方には「経済を殺すな」という人もいます。まあ、ロックダウンにも強弱・濃淡はありうるので、どこまで経済(平たく言えば商売)の回転数を下げるかは思案のしどころですが、ネット社会が到来しても、経済活動が人間同士の直接接触なしでは行えないという意味で、2021年の社会も、前近代と何ら変わらないという事実を、今さらながら噛み締めています。

仮に将来、直接接触なしでも経済が回る世の中になったら、感染症の様相は大きく変わるでしょうが、でもそれが良い世の中と言えるのかどうか。そうなったらなったで、今度は「孤」の問題が、感染症以上に人々を苦しめるかもしれません。

特に結論のない話ですが、こういう時期だからこそ、いろいろ考えておきたいです。

月の流れ星2020年12月27日 09時59分00秒

差し渡し2.5cmほどの小さな月のピンバッジ。


不思議なデザインです。月が尾を曳いて翔ぶなんて。
まあ、デザインした人はあまり深く考えず、漠然と夜空をイメージして、月と流星を合体させただけかもしれません。

でも、次のような絵を見ると、またちょっと見方が変わります。

(ジャン=ピエール・ヴェルデ(著)『天文不思議集』(創元社、1992)より)

邦訳の巻末注によると、「天空現象の眺め。ヘナン・コレクション。パリ国立図書館」とあって、たぶん16世紀頃の本の挿絵だと思います。

キャプションには、「月が火星の前を通過することがあるが、この現象を昔の人が見て解釈すると上の絵のようになる。火星は赤い星で戦争の神である。月は炎を吹き出し、炎の先にはするどい槍が出ている。」とあります。


月の横顔と炎の位置関係は逆ですが、このピンバッジにも立派な「槍」が生えていますし、何だか剣呑ですね。

【12月28日付記】
この「炎に包まれた槍」を、火星のシンボライズと見たのは、本の著者の勘違いらしく、その正体は、流れ星の親玉である火球であり、それを目撃したのはあのノストラダムスだ…という事実を、コメント欄で「パリの暇人」さんにお教えいただきました。ここに訂正をしておきます。詳細はコメント欄をご覧ください。

   ★

月による火星の掩蔽(火星食)は、割と頻繁に起こっていて、国立天文台の惑星食のページ【LINK】から最近の火星食を抜き出すと、以下の通りです。

2019年07月04日 火星食 白昼の現象 関東以西で見える
2021年12月03日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2022年07月22日 火星食 日の入り後 本州の一部で見える
2024年05月05日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2025年02月10日 火星食 日の出の頃 北海道、日本海側の一部で見える
2030年06月01日 火星食 白昼の現象 南西諸島の一部を除く全国で見える

“頻繁”とはいえ、昼間だとそもそも火星は目に見えませんから、月がその前をよぎったことも分かりません。好条件で観測できるのはやっぱり相当稀な現象で、古人の目を引いたのでしょう。


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【閑語】

幕末の日本ではコレラが大流行して、大勢の人が亡くなりました。
庶人これを「コロリ」と称し、時代が明治となってからも、コロリはたびたび猛威を振るい、それらを「一コロリ」とか「三コロリ」と唱えたものだそうです。
今の世も一コロナ、二コロナ、三コロナと、新型コロナは三度の流行を繰り返し、人々の心に暗い影を落としています。

大地震があり、流行り病があり、攘夷を叫ぶ輩が横行し、士道退廃が極まり…本当に今は幕末の世を見る心地がします。これでスカイツリーのてっぺんから伊勢の御札が降ってきたら、ええじゃないかの狂騒が始まるのでは…と思ったりしますが、昔と今とで違うのは、暗い時代になっても宗教的なものが流行らないことです。その代わりに陰謀論が大流行りで、多分それが宗教の代替物になっているのでしょう。