満ちては欠ける月を眺めて2017年10月23日 08時30分23秒

プラハのオルロイのような壮麗な天文時計が手に入ればいいのですが、なかなかそんな訳にもいきません。でも、せめて「空気」だけでもと思い、プラハの業者からこんなものを送ってもらいました。


時計のオプショナルな機能として、その日の月の欠け具合を表示する「ムーンフェイズ機能」というのがありますね。たいていは、文字盤の隅っこに扇形の窓が開いていて、そこから月がどれぐらい顔を覗かせるかで、満ち欠けを表示するというものです。


ムーンフェイズ機能を備えた時計は、世の中にたくさんあるでしょうが、それをこんな風に文字盤のど真ん中に据えたものは、わりと少ないんじゃないでしょうか。この「お月様中心主義」は素敵だと思いました。

これは旧東ドイツの時計メーカー、ルーラ(ruhla)社の製品です。
ルーラ社は、東ドイツの崩壊とともに閉鎖されましたが、この懐中時計は、その終末期に近い1980年代のものと聞きました。


裏面の幾何学的なデザイン感覚にも、何となく旧共産圏の匂いがします。


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選挙が終わって、「うーむ…」と考えています。
もちろん、自民党政治を批判してきた私としては、少なからず面白からぬ気分であり、台風一過の爽やかな空さえ恨めしいですが、私のつまらない個人的感慨は脇に置いて、この間(かん)に1つ気づいたことがあります。

たぶん、自民党に票を投じた多くの善良な人々は、「この『今』が続いてほしい」、「この平穏な日常を守ってほしい」という気持ちで自民党を支持したと思います(これは身近な人と言葉を交わす中で、感じ取ったことです)。まあ、「保守」政党の看板を掲げてるんですから、当り前といえば当たり前です。

でも、私は「この『今』を壊されないように」、「この平穏な日常を守るために」、安倍氏への批判を強めていました。そこにどうも深い行き違いと、根本的に噛みあわないものがあったように思います。

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この先、保守政党による革新的な動きが次々起こることを憂えます。
そして『今』とは、およそ懸け離れた国の姿が現出することを恐れます。
(既に「ちょっと前」とは、ずいぶん違う国になっています。)

ストラスブールの天文時計(前編)2017年10月21日 14時20分35秒

ついでなので、さらに天文時計の話題です。
今日は、たぶんこれまで最も多くの絵葉書が作られ、天文時計としては、プラハのオルロイと並んで、史上最も有名なストラスブール大聖堂のそれです。

と言っても、この天文時計は以前も取り上げました(日付けを見ると、もう10年近く前ですから、本当に嫌になってしまいます)。

■天文時計の古絵葉書

(ほぼ10年ぶりに同じ絵葉書を撮り直しました。)

以前の記事に付け加えることは、ほとんどありませんが、その後、日本語版ウィキペディアにも、「ストラスブール大聖堂」の項目が出来て、天文時計の詳しい説明が簡単に読めるようになったのは喜ばしいです。

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さて、今回新たに取り上げるのは下の品。


天文時計に憧れながら、私はその実物を一度も見たことがありません。せめて臨場感だけでも味わおうと、19世紀後半のステレオ写真を手に入れました。

でも、勇んでステレオビュアーにセットしたものの、撮影の仕方に問題があるのか、あんまり立体感がなくて一寸ガッカリ。それでもこの臨場感は、現代のそれではなく、19世紀の人の目を借りた臨場感ですから、まさに天文古玩的じゃないでしょうか。

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このストラスブールでも、ちょっとした発見があったので、そのことをメモ書きします。

(この項つづく)


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ゆっくり近づく台風は、恐るべき事態が静かに迫っていることを警告しているかのようです。

それにしても、現政権を支持する人って、どんな人なんでしょう?
ちょっと怖い顔をして、「隣国に舐められてたまるか!」と腕まくりする人とか、国家に自己を投影して、「ニッポン万歳!安倍さん万歳!」と無意味に叫んでいる人とかでしょうか。確かに、ネットで見かけるのは主にそういう人たちです。でも、実際にコアな支持層というと、「株価はやっぱり高い方がいいよね」と、もっぱらそっち方面に関心の強い人とか、「北朝鮮はこわいねー」と漠たる不安を抱えた人たちなのかな…と想像します。

結局、出口の見えない世の中で、みんな不安なのでしょう。
もっとも、近代以降、不安のない時代はこれまでありませんでした。バブルの頃は、「こんなアブクはいつか弾けるに違いない」という不安がありましたし、昭和戦前には、「こんな無謀な拡張路線が、いつまでも続くはずがない」という不安がありました。

でも、ここが歴史のパラドックスですが、不安の強い時代は、人々がその不安を打ち消そうとして、「こんなの屁でもない」とばかりに、むしろ不安の根っこにある行動や事態を、いっそう強化してしまうことがあります。いわゆる虚勢を張るというやつです。そして結果的に、「予言の自己成就」よろしく、当初の不安は的中してしまいます。

昔の不安は、<社会の右肩上がり>と<不確実な未来>を背景に醸し出された不安でした。今の不安は<右肩下がり>と<100%凋落が確実な未来>を背景にしている点が、以前とは違います。

今の日本の課題は多様ですが、すべての根っこにあるのは、人口ピラミッドの不自然な歪みです。その歪みは、10年単位で見たとき、日本という国が確実に苦境に陥ることを告げています。これは舵取りの上手い下手に関わらず必発であり、船頭が下手ならば、さらに国家経済の破綻、社会的セーフティーネットの消失、国家そのものの実質的崩壊が、かなりの確率で生じます。

ここで上記の教訓に学ぶならば、「少子高齢化なんて屁でもない」と強がるのは、最もよくないことです。この件は、不安に蓋をせず、正しく畏れなければなりません。

この件については、自民党はもちろん、私が推す立憲民主党も、十分論を展開しているようには見えないのですが、この掛け値なしの難局を前に、嘘とでたらめにまみれた人々に舵取りを任せるのは、まことに危険極まりないことだと思います。

<閑語> 虚実道をきわめる2017年10月14日 10時54分48秒

さて選挙です。選挙はルーレットで決めるわけにはいきません。
曇りなき目を養うために、今日はいつもの記事はお休みして、「嘘」について考えてみます。

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「人間とは嘘をつく生き物である。」
というフレーズがあって、ウソをつくのは人間の特権らしいです。
…と思ったら、それはどうもウソで、類人猿は仲間をだます能力があるとか、『自然も嘘をつく』という本があるとか聞くと、なるほど嘘というのは奥が深いなあと思います。

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昨日、嘘をめぐることばを集めた、こんなページに出会いました。

Lies Quotes, Lies Sayings, Lies Proverbs and Lies Thoughts to Make You Think


ヒト以外も嘘をつくかもしれませんが、ヒトの嘘はさすがに人間的で味があります。
今日は他人のふんどしを借りて、上記ページから、気に入ったフレーズを順不同で書き抜いてみます(訳は適当訳です)。

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●The end of an ox is beef, and the end of a lie is grief. ~African proverb
 牛の最期は牛肉だ。ウソの最期は悲しみだ。(アフリカのことわざ)

 単純ながら深いですね。ウソの最期が必ずしも悲しいとは限りませんが、たしかに「悲しい嘘」というのは存在します。

●We lie loudest when we lie to ourselves. ~Eric Hoffer
 最も声高に嘘をつくのは、自分自身に嘘をついているときだ。(エリック・ホッファー/アメリカの社会哲学者)

 上の言葉も人間心理をうがっています。そして、やっぱりちょっと悲しいです。しかし、嘘はすぐれて人間的であるがゆえに、そこに真実以上の真実が潜んでいる場合もあります。

●I am a lie who always speaks the truth. ~Jean Cocteau
 私という人間は、常に真実を語る一個の嘘だ。(ジャン・コクトー/フランスの芸術家)

 詩人の語る美しい嘘とは、即ち「文学」の謂いでしょう。芸術家ならずとも、人々は嘘が秘めている、ある種の力に昔から気づいていました。

●Even a lie can at times be necessary. ~Japanese proverb
 嘘も時には必要。(日本のことわざ。「嘘も方便」のこと?)

●Lies that build are better than truths that destroy. ~West African proverb
 建設的な嘘は、破壊的真実に勝る。(西アフリカのことわざ)

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 ただし、上のようなフレーズが万人に受けるのは、前提として「やっぱり嘘はダメで、真実こそ貴い」という観念が普遍的だからでしょう。西アフリカの人の智慧に逆らって、アメリカの女性はこう宣言します。

●The naked truth is always better than the best dressed lie. ~Ann Landers
 裸の真実は、着飾った嘘に勝る。(アン・ランダース/米紙の身の上相談回答者)

 そしてイタリアの伊達男は、こんな思わせぶりなことを言って、相手の気を惹くのです。

●I love you, and because I love you, I would sooner have you hate me for telling you the truth than adore me for telling you lies. ~Pietro Aretino
 僕は君を愛している。そして君を愛しているからこそ、嘘をついて君の称賛を得る前に、真実を語って君の憎しみを買うことになるだろう。(ピエトロ・アレティーノ/ルネサンス期イタリアの作家)

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 言葉に詩的な言葉と、世俗的な言葉があるように、嘘にも「詩的な嘘」と「世俗的な嘘」があります。そして、世俗的な嘘には十分用心しなければなりません。何せ、嘘のタネは浜の真砂よりも多く、世間には在ること無いこと吹聴する人間が尽きないのですから。

●If lies were Latin, there would be many learned men. ~Danish proverb
 もし嘘がラテン語だったら、辺りは教養ある人間でいっぱいだろう。(デンマークのことわざ。それぐらい世間には嘘が満ちあふれているということです。)

●One witness one liar; more witnesses, all liars. ~Greek proverb
 一人の証人は一人の嘘つきだ。多くの証人は全員嘘つきだ。(ギリシャのことわざ)

●One man lies, a hundred repeat it as true. ~Chinese proverb
 嘘も百回繰り返せば本当。(中国のことわざ。韓国のことわざという説もあり)

●Do not consider it proof just because it is written in books, for a liar who will deceive with his tongue will not hesitate to do the same with his pen. ~Maimonides
 本に書いてあることだからと言って、真実と思ってはならない。口先で嘘をつく者は、ペンで嘘をつくこともためらわないのだから。(ベン=マイモーン/中世スペインのユダヤ教ラビ)

 この「本とペン」を、「ネットとキーボード」に置き換えてもいいですね。ネット時代を生きる人には、以下の格言も有効でしょう。

●The biggest liar in the world is They Say. ~Douglas Malloch
 世界一の嘘つきは「~だそうだ」。(ダグラス・マロック/アメリカの詩人)

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 嘘に関してやっかいなのは、嘘と真実を交ぜて話す人間がいることです。人々はこれに昔から手を焼いてきました。これに対処できるようになれば、虚実道の有段者です。

●Beware: some lairs tell the truth! ~Arab proverb
 用心しろ、嘘つきの中には、本当のことを言う奴もいるぞ。(アラブのことわざ)

●A half-truth is a whole lie. ~Yiddish proverb
 半分の真実は全部嘘。(イディッシュ語のことわざ)

●It is twice as hard to crush a half-truth as a whole lie. ~Austin O’Malley
 半分の真実は、完全な嘘よりも打ち砕くのが倍難しい。(オースティン・オマリー/アメリカの医師・文学研究者)

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 以下、各論。
 敬愛する安倍氏に捧ぐ。

●Liars need good memories. ~French proverb
 嘘をつくには記憶力がよくなければならない。(フランスのことわざ)

●I’m not smart enough to lie ~Ronald Reagan
 私はウソをつくほど賢くない。(ロナルド・レーガン/米大統領)

●Great liars are also great magicians. ~Adolf Hitler
 偉大な嘘つきとは、偉大な手品師でもある。(アドルフ・ヒットラー/あの人)

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 憐れな籠池氏に捧ぐ。

●One who lies for you will also lie against you. ~Bosnian proverb
 あなたのために嘘をつく人は、あなたを裏切って嘘をつく人でもある。(ボスニアのことわざ)

●I’m not upset that you lied to me, I’m upset that from now on I can’t believe you. ~Friedrich Nietzsche
 僕がうろたえているのは、君が嘘をついたからじゃない。これから君のことを信じられなくなったことに、うろたえているんだ。(フリードリヒ・ニーチェ/ドイツの哲学者)

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 最近の報道に当惑している人に捧ぐ。

●The men the American people admire most extravagantly are the most daring liars; the men they detest most violently are those who try to tell them the truth. ~Henry Louis Mencken
 アメリカ人が最も大声でほめそやすのは、大胆な嘘つきだ。そして、彼らが最も嫌悪するのは、真実を伝えようとする人間だ。(ヘンリー・ルイス・メンケン/アメリカのジャーナリスト)

●People will pay more for lies than for the truth. ~Unknown
 人びとは真実よりも嘘のほうに喜んで金を出す。(出典不明)

●People do not believe lies because they have to, but because they want to. ~Malcolm Muggeridge
 人びとは必要に迫られて嘘を信じるわけじゃない。信じたいから信じるんだ。(マルコム・マゲリッジ/イギリスのジャーナリスト)

●Truth is a bitter medicine. That’s why many can’t take it. Many are adapted to sweet things especially the sweet poison of lies and compromises. ~Godwin Delali Adadzie
 真実は苦い薬だ。だから多くの人はそれを受け入れることができない。多くの人の口に合うのは甘いもの――特に嘘と妥協の甘い毒薬だ。(ゴドウィン・デラリ・アダズィー)

 この警句はなかなか秀逸です。でも、アダズィーさんて誰?と思ったら、上記ページの書き手自身だと気づいて、「やられた」と思いました。

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 すべての人に捧ぐ。

●People never lie so much as after a hunt, during a war or before an election. ~Otto von Bismarck
 人が最も嘘をつくのは、狩猟の後、戦争の最中、そして選挙の前。(オットー・フォン・ビスマルク/ドイツ帝国首相)

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我らが好漢・枝野氏も、こと嘘をつく能力にかけては、安倍氏に遠く及びません。
嘘つきも達人の域に達すると、まったく努力することなく、自在に嘘をつくことができて、さらに自分が嘘をついている自覚すらないそうですから、枝野氏が安倍氏の妙境に達することは、永遠に無理かもしれません。

政界の風は読み難し2017年09月27日 23時42分52秒

今回は閑語の拡大版。
清雅な気象趣味の話題は一服して、卑俗な政治の風向きの話です。
巷にはよく「政界地獄耳」みたいな記事がありますが、私もマネをして、無責任なことを書いてみます。

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今の混沌とした情勢を、どう捉えればいいのか?

心ある人の中には、安倍さんと小池さんの「二大極右政党制」の到来に恐々としている人もいるようです。でも、たぶんそうはならないでしょう。セクト主義とヘゲモニー(主導権)闘争は、何も左翼の専売特許ではなくて、今起こっていることは、まさ右派内部でのヘゲモニー闘争に他ならないからです。そして、本来狭いニッチに立脚している両雄(?)は並び立たないものです。

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以前、安倍さんの力の源泉は、日本会議、財界、アメリカだと書きました。
それで穏便に事が運んでいるうちは(安倍さん的には)何の問題もありませんが、今やそこに不協和音が生じています。その主な軋みは、安倍さんと日本会議の間の隙間風です。

日本会議とは、要は「生長の家原理主義者による極右カルト」ですから、根っから世俗的な安倍さんは、本来そんなものに義理立てしたくはないはずですが、その集票力には大いに魅力を感じて、これまで唯々諾々と従ってきました。

しかし、日本の財界にはそれを危ぶむ声がありました。
財界の最大公約数的意見は、現状を大きく変えることなく、アメリカとも、中国とも、そこそこ穏便にやってくれ…というものでしょう。それがいちばん儲かるからです。憲法だって、別にそんなに性急にいじってほしくないのです。安倍さんにしても、本音のところでは、己の権勢さえ保持できれば、「改憲」と心中する気はさらさらないでしょう。そこで、最近は公明党の顔を立てて、加憲案(9条はそのままに、自衛隊の存在を明記)に舵を切っています。

しかし、これが日本会議にはカチンときました。
籠池さんの切り捨てや、稲田さんを最後まで守らなかったことも、日本会議にすれば面白くない話です。日本会議にとって、国民の人気に陰りの出た安倍さんは、既に御輿としての魅力が薄れているという事情も大きいです。いずれにしても、意のままにならない傀儡に、傀儡としての価値はありません。

   +

そこに小池さんの登場です。
小池さんこそ、新たな御輿として相応しいという判断が、少なくとも日本会議の一部にはあるはずで、安倍さんはそこに相当な危機感を抱いているようです。

先日、野田聖子氏のスキャンダルが週刊誌を賑わせましたが、あれは野田さんと小池さんの接近が囁かれた、その機先を制して、官邸周辺が流したものに違いありません。その証拠に、野田さんが白旗を掲げたとたん、第2報、第3報が出ることなく、ピタッと報道が止まりました(スキャンダル自体は、自民党にとっても不利な諸刃の剣ですから、できるだけ早く収束させたかったのでしょう)。

今、いちばん機敏に動いているのは、おそらく公明党です。
公明党が小池新党への対決姿勢と、安倍さん全面支持を打ち出した背景には、改憲を実質的に断念すること、そして安倍さんが日本会議と距離を取ることを条件として提示し、安倍さんもそれを呑んだことがあるのでしょう。小池さんが、皮肉な笑みを浮かべて「首班指名は公明党の山口代表に」と言ったのは、それを踏まえた、相当強烈な当てこすりです。

いっぽう財界は、雀の涙ほどの賃上げを受け入れる代わりに、法人税の大幅減税を呑ませることを条件に、安倍さん支持に回る気配が濃厚です。

安倍さんは、今やすっかり手負いですが、こうして公明党や財界の協力を取り付け、北朝鮮危機を奇貨として(あるいは積極的に煽りつつ)、起死回生の賭けに出た…というのが、今回の解散劇の基本構図でしょう。

   +

こんな風に、嘘八百をさも本当のように書き散らすのは、なかなか気分がいいものです(上に書いたことは、全て私の寝言です)。でも、こんな寝言で溜飲を下げているようでは、簡単にしてやられてしまいそうです。それぐらい現下の情勢は複雑怪奇です。

旧来の常識では、この先、安倍さんが辛勝すれば、それを花道に岸田さんあたりに禅譲して幕…といったシナリオが思い浮かぶんですが、今はちょっと予想が付かないです。既に第1幕「仁義なき戦い」は始まっており、続く第2幕、第3幕の開演も、もうじきのようです。

さて、リベラル勢力の反転攻勢の機はどこに。

風を読む幻想の宮殿2017年09月24日 07時00分43秒

今日も絵葉書の話題です。

これはわりと最近――といっても半年前――の記事ですが、西 秋生氏の『ハイカラ神戸幻視行―紀行篇』を取り上げた際、神戸の怪建築「二楽荘」にまつわる、著者・西氏の不思議な思い出話をご紹介しました。

■神戸の夢(2)
 
(画像再掲)

それは一種の桃源探訪記でもあり、神隠し体験のようでもありましたが、その際に載せた二楽荘の画像を見て、私自身チリチリと灼けるようなデジャヴを味わっていました。

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その正体は、しばらくしてから思い出しました。
以前に見た、これまた不思議な建物の絵葉書がそれです。


パリのモンスーリ公園に立つ、イスラム風宮殿建築。
私は二楽荘のことを、「西洋趣味とオリエント趣味を混ぜ込んで建てた、奇怪な建築」と書きましたが、神戸とパリの二つの建物は、いずれも「ムーア様式」と呼ぶのが適当です。すなわち、中東とはまた一味違う、北アフリカで発展した独特のイスラム様式。

(同じ建物を裏から見たところ)

以前、盛んに天文台の絵葉書を集めていた頃、この建物は「Observatoire」の名称ゆえ、頻繁に網にかかりました。でも、気にはなったものの、さすがにこれは天文台ではないだろう…と思いました。

フランス語の「オブセルヴァトワール」(あるいは英語の「オブザベイトリー」)には、「天文台/観測所」の意味のほか、「物見台」や「展望台」の意味もあるので、左右の塔屋を指してそう呼ぶのだと、常識的に解釈したわけです。

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しかし、実はその常識の方が間違っていて、これは本当に観測施設だと知って驚きました。ただし、観測対象は天体ではなく気象、すなわち測候所です。

すぐ上の絵葉書の説明文にもチラッと書かれていますが、元々この建物は、1867年のパリ万博のパビリオンとして建てられたもので、チュニジアの首都チュニスを治めた太守の宮殿をお手本に、それを縮小再現したものです。

そして、万博終了後はモンスーリ公園の高台に移され、1876年以降、気象観測施設となり、また1893年からは、大気の衛生状態を監視する施設としても使われるようになりました。

しかし、建物の老朽化は避けがたく、1974年に観測施設としての運用が終了。
さらに1991年、ついに火事で焼け落ちて、この世から永遠に姿を消したのです。

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神戸の二楽荘が失われたのも、やはり失火が原因でした。
焼失は1932年ですから、消滅に関してはパリよりも先輩です。

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かくして彼らの姿は、今やこうして絵葉書の中にとどまるのみ―。
でも、彼らの戸口の前に再び立ち、さらにその中に足を踏み入れることだって、場合によっては出来ないことではない…西氏の経験はそう教えてくれます。


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▼閑語(ブログ内ブログ)

ここ数日の報道に接するにつけ、安倍さんにしろ、麻生さんにしろ、何とも異常な政治家であり、異常な政体だなあ…と再三驚いています。

まあ異常というより、「悪の凡庸さ」というフレーズを裏書きするぐらい凡庸な人間なのかもしれませんが、その突き抜けた凡庸さにおいて、やはり彼らは異常と呼ぶ他ないのではありますまいか。

凡庸も過ぎれば邪悪です。

甲府の抱影(前編)2017年09月20日 13時21分53秒

この連休に、老いた両親を見舞ってきました。
その帰り途、いつもとコースを変えて、ちょっと甲府に足を延ばしました。

(昇仙峡から望む甲府盆地と富士)

昇仙峡見物や、信玄の館跡である武田神社詣でなど、普通の観光もしつつ、初めて訪れる甲府で楽しみにしていたのが、一時甲府で暮らした、野尻抱影(1885-1977)の面影を偲ぶことでした。

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抱影の甲府生活は、明治40年(1907)5月に始まりました。
前年に早稲田の英文科を卒業した青年英語教師として、旧制甲府中学校(現・甲府第一高校)に赴任するためです。その甲府生活は、明治45年(1912)に、東京の麻布中学校へ転任するまで、満5年間続きました。

(甲府中時代の抱影。石田五郎(著) 『野尻抱影 ― 聞書“星の文人”伝』 より)

前回の記事でも触れた、1899年のしし座流星群は、日本の新聞でも盛んに取り上げられ、それに触発されて、抱影少年は初めて天文趣味に目覚めた…ということが、石田五郎氏の『野尻抱影―聞書“星の文人”伝』(リブロポート、1989)には書かれています。

その天文趣味は、この山国の満天の星の下、さらに進歩を遂げ、都会育ちの彼が山岳や自然一切の魅力に開眼したのも、この甲府での生活があったればこそです。甲府暮しがなければ、おそらく後の抱影はなかったでしょう。

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抱影が赴任した甲府中学校は、今の山梨県庁のところにありました。

(甲府駅周辺地図)

上の地図だと、甲府駅のすぐ南が甲府城(舞鶴城)跡で、その西側に山梨県庁があります。今は甲府城の城地が大幅に狭まっていますが、旧幕時代は県庁一帯もお城の内で、二の丸の一部を構成していました。

(城の南側から甲府駅方面を見たところ。道路を挟んで左が山梨県庁、右が舞鶴城公園)

明治13年(1880)創設の甲府中学校が、この場所に新築・移転したのは、明治33年(1900)です。その後、昭和3年(1928)に、現在の甲府一高の地に移転し、その跡地に県庁が引っ越してきました。

上の地図で、「山梨・近代人物館」と表示された建物が、昭和5年(1930)に竣工した県庁旧庁舎です。さらに、その北隣の建物が、旧庁舎と同時にできた県会議事堂で、このあたりが甲府中学校の跡地になります。

(山梨県庁旧庁舎(現・県庁別館))

抱影は、学校近くの下宿屋から、当時はまだあった内堀(今は埋め立てられて県庁西側の大通りになっています)にかかった太鼓橋を渡って、毎日学校に通いました。

(大正~昭和初期の甲府城跡。奥に見えるのが中学の校門。甲府市のサイト掲載の白黒写真を、試みにAIで着色してみました。)

(記事が長くなるので、ここで記事を割ります。以下次回につづく)


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▼閑語(ブログ内ブログ)

しばらく政治向きのことは静観していましたが、ここにきて、「大義なき解散」の話が持ち上がり、これについては大義どころか小義もないし、安倍晋三という人は、つくづく姑息な人だなあ…と改めて歎息しています。

で、歎息ついでに、ふと「姑息」というのは、なんで「しゅうとめの息」なんだろうと思いました。「姑の息」は、そんなに邪悪なものなんでしょうか?

調べてみると、「姑息」とは「一時しのぎ」の意味で、これを「卑怯」の意味に使うのは誤用である…と多くの人が指摘しています。これは、「(歌の)さわり」とか、「情けは人の為ならず」と同様、今や誤用の方が主流に転じた例でしょう。

何でも「姑」という字には、「しゅうとめ」の意味の他に、もともと「一時的」の意味があって(たぶん同音他字の意味を借りたのでしょう)、そこから「姑息」イコール「一時的に息(やす)むこと」、すなわち「一時しのぎ」の意味になったんだそうです。

でも、この「姑息」という字句は、一時的どころか、ずいぶん長い歴史のある言葉です。出典は四書五経のひとつ『礼記』で、孔子の弟子に当る曽子が、臨終の間際、曽子の身を気遣う息子を叱って、「お前の言い分は君子のそれではない」と言ったことに由来する(「君子の人を愛するや徳を以てす。細人の人を愛するや姑息を以てす。」 君子たる者は大義を損なわないように人を愛するが,度量の狭い者はその場をしのぐだけのやり方で人を愛するのだ。)…ということが、文化庁のサイトで解説されていました。

こうして、日本では「一時しのぎは卑怯なり」と受け止められて、「姑息」の意味が変容しましたが、一方現代中国語にも「姑息」という語は生きており、そちらはもっぱら「甘い態度をとること、無原則に許すこと」の意味に使われるそうです。文化の違いというのは、なかなか面白いものです。(ちなみに今の中国語だと、「姑」は主に「夫の姉妹」、すなわち「こじゅうと」の意味で使われることも、さっき辞書で知りました。)

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さて、話が一周して、安倍晋三という人がやることは、一時しのぎだし、卑怯だし、身内に大甘で、あらゆる意味において「姑息」だなあ…と改めて思います。かの宰相は、まこと君子に遠き細人なるかな。

八月尽2017年08月31日 18時03分40秒

八月尽(はちがつじん)。

8月の終わりを示す俳句の季語です。私がよく引く山本健吉氏(編)の歳時記には、「弥生尽、九月尽などに準じて、近ごろ詠まれることが多い。暑中休暇や避暑期が終るので、この語に特別の感慨があるのである」と解説されています。

まさに「特別の感慨」でこの日を迎えた少年少女も多いでしょう。
私も子供の頃の特別の感慨が、鮮やかに甦ります。

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山本氏は「八月尽」の例句として、以下の句を挙げています。

  八月尽の赤い夕日と白い月  中村草田男

8月最後の一日がまさに暮れようとするとき、作者の目に映った光景は、鮮やかな朱の太陽と、白光をまとった月でした。

ありふれた光景といえば、たしかにそのとおりです。
でも、ひとつの季節の区切りに際して、その至極ありふれた光景が、何か常以上の意味を持って作者の胸に迫ったのでしょう。

そして、その光景がありふれているのは、天体が常に変わらず空をめぐっているからに他ならず、ふと立ち止まって考えれば、そんな風に過去から未来にわたって、天体が永劫ぐるぐる空を回り続けているのは、やっぱり不思議なことです。

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何だか要領を得ませんが、この世界は不思議に満ちており、旅を続けるに値する場所だと、自分はおそらく言いたいのです。「あの赤い夕陽と白い月を見るだけでも、それは分かるじゃないか」と、見も知らぬ人に説いて回りたいのです。

毎年、9月1日に命を絶つ若者が、その前後に比べて有意に多いと聞き、そんなことを思いました。

医は仁術なりしか2017年08月14日 07時22分27秒

昨日のNHKスペシャルは、例の731部隊の特集でした。
まさに「鬼畜の所業」であり、これぞ「戦時下の狂気」であった…という定型的な表現も、たしかに半面の真実でしょうが、それだけでは語りえない闇も深く、放送終了後もしばし腕組みをして考えさせられました。

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担当者が熱のこもった取材をする中で、ぽっかり穴のように開いていたのが、この件への東大の関与です。

積極的に取材に協力姿勢を見せた京大に対し(実名入りで当時の医学部実力者の動きを報じるのですから、これは相当勇気が要ったことでしょう)、東大については、「組織的関与はなかった」とする大学側のコメントが読み上げられただけでした。
当時の文脈に照らして、大学側のコメントは不自然であり、そこに横たわる闇の大きさが改めて想像されて、なおさら不気味な感じでした。

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東大の総合研究博物館やインターメディアテク(IMT)は、アカデミズムと政治との緊張関係について、そして東大が負う「負の歴史」について、どう向き合うのか? 

IMTの一ファンとしては、今後同館を訪れる度に、そんなことも頭の隅で考えながら、展示を見て回ることになると思います。

この世の内と外を往還す2017年08月08日 18時14分21秒

一昨日の記事の結びは、「空想力さえ働かせれば、ここから世界の真実を、いかようにでも掴み出すことができる」とか何とか、一寸いい加減なことを書いてしまいました。

改めて考えると、そのときボンヤリ考えた「世界の真実」というのは、「大きいものは小さくて、小さいものは大きい」という認識の相対性とか、世界とそれを認識する人間の入れ子構造とか、世界が結像するフィルムとしての人間の意義とか、そんなようなことです。

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それと、顕微鏡を覗きながら考えたのですが、顕微鏡で微小な天体写真を覗くことが、「リアルな現実からは幾重にも隔てられた、人工的な経験」に過ぎないのは確かにしても、それを言ったら、いわゆる「リアルな経験」だって、感覚器官という極めて狭いチャンネルを通して受信したものを、言語という大雑把な記号体系を援用して固定したものに過ぎないので、そうリアル、リアルと口やかましく言わんでもいいじゃないか…とも思いました。

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さらにまた、「いったん縮小した像を拡大して眺める」というのは、普通の望遠鏡でもやっていることですから(つまり、直径20万光年のものを、対物レンズを使って、わずか数ミリの実像として結び、それを接眼レンズで大きくして見ているわけです)、その意味で、この「縮めて伸ばす可笑しさ」は、我々の光学的経験の奇妙さを、いささか戯画的に、分かりやすい形で提示してくれているようでもあります。

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お盆近し…というわけで、この世ならざる世界の気配を感じて、ボーっとすることが多いです。と同時に、「下手の考え休むに似たり」という古人の言葉の正しさを噛みしめています。

(ついでなので、例のマイクロフォトグラフのセットを、この機会に眺めておきます。以下つづく。)

しばし頭を垂れ、そして歩み出す2017年06月16日 21時34分57秒

「冬の時代」にも夏はやってきます。
夏至を前にして、なかなか暑いですね。

でも、暑さを顧みず、昨日は黒ネクタイを締めて出勤しました。国会の――「民主主義の」とは、敢えて言いますまい――死に対して、ささやかな弔意を表したいと思ったからです。まあ、単なる自己満足に過ぎないんですが、自己満足でも何でも、そうしなければならない気分の時があるものです。

さあ、国会の墓碑に一輪の白い花を手向けたあとは、再び「天文古玩」のルーチンワークに戻ることにしましょう。

蛙も首を長くして待っています。