メアリー・ウォード著 『望遠鏡』(6)2006年04月01日 08時30分04秒

繊細な美しさをたたえた流星の図。
牛飼い座からかんむり座に向けて飛んだようです。

ピクチャレスクな構図に加え、空の色の微妙な濃淡や、巧みな遠景のぼかし、そして樹木のシルエット表現など、独立した版画作品として見ても、その技巧には端倪すべからざるものがあります。

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ところで、この本の巻末には新刊書の広告が載っているんですが、そこにビクトリア時代の科学趣味がうかがえるとともに、ウォード夫人のこの本が、どんな文脈で読まれたかも分かってたいへん興味深く思います。

たとえば、こんな本たちです。

●シャーリー・ハイバード著 『庭のお気に入りたち-その歴史、性質、栽培、繁殖、そして四季の手入れ』

●同著 『アクアリウムの本-淡水と海水の生物コレクション、その構成と入手法、四季の管理についての実践的な教え』

●ウォード夫人著 『顕微鏡が明かす驚異の世界-若い生徒たちのための本』

●H・G・アダムズ編 「青年博物学徒文庫 Young Naturalist's Library」
 第1巻 「身近な鳥の巣と卵」
 第2巻 「続・巣と卵」
 第3巻 「美しい蝶」
 第4巻 「美しい貝類」
 第5巻 「ハチドリ」

●スペンサー・トムソン著 『眼球の構造と機能-神の力、智恵、徳の例証』

上の4つぐらいは、今でも探せばありそうですが、最後の本は如実に時代相を表しています。

そのタイトルからして、この本は当時一世を風靡した「デザイン論」-自然界に存在する複雑な構造物こそ、偶然ならぬ神の意思による産物であり、神の存在証明に他ならない-を説く本だと思われます。

当時の科学趣味はキリスト教との相克の中で、複雑な色合い(ときにそれを擁護し、ときに反駁した)を帯びていましたが、天文趣味もその例外ではありませんでした。当時のアマチュア天文家には、聖職者が有意に多かったことは、天体観測がときに神の栄光を称える行いとして営まれたことを示しています。

チェット・レイモ著 『夜の魂 - 天文学逍遙』2006年04月02日 06時24分18秒


★原題 The Soul of the Night: An Astronomical Pilgrimage (1985)
 邦訳(山下知夫訳、工作舎)は、1988年の出版。
 同社の「プラネタリー・クラシクス」シリーズの1冊。
 (出版社HP http://www.kousakusha.co.jp/BOOK/ISBN4-87502-142-9.html

昨日、19世紀の天文趣味とキリスト教との親和性ということを言ったのですが、考えてみると趣味としての天文学には、今でもそうした側面が濃厚にありますね(中には、ない人もいるかもしれませんが)。

深夜、肉眼であれ、望遠鏡を通してであれ、宇宙と向き合うときの感覚には、何か曰く言い難いものが常にまつわりついています。

今ではそれはキリスト教的な意味での「神」ではなく、「スピリチュアリティ」と言えばいいのか、超越的なものに対する畏怖の念と言えばいいのか、そんなものの気配がひたひたとします。

このチェット・レイモの本は、天文趣味における観想的側面を、滋味豊かな文章で綴った名著。この本も既に出てから20年にもなるんですね。しかし、今でも読むたびに新鮮な感じ、心がスッと澄む感じがします。

天文学の本なのに、ここには宇宙の写真は1枚もなく、挿絵はすべて鳥、虫、樹木、山並み etc を描いた漆黒の木版画。挿絵と文章の調和から、「静かな本」という形容が、私にはいちばんしっくり来ます。

こうした本がいまだに版を重ねているのは真に頼もしいことで、僭越ながら、この本を手にする人には「同志よ」とつい呼びかけたくなります。

チェット・レイモ著 『夜の魂 - 天文学逍遙』(2)2006年04月03日 06時13分52秒


この本を崇拝するあまり、手に入れた原著。
著者献辞入りのユニーク・コピーであるというのが、ささやかな自慢であり、宝物たるゆえんなのです。

この本はいわば「ソロー主義」の末流に位置するので、「物に執してはいけない」という主張が背後にあるんでしょうが、こうした清玩の類は許されて大いに然るべきでしょう。

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 Eugene,

 "During their migrations one may clearly
  hear those sweet notes from birds traveling
  beyond the limits of human vision."

              Chet
              OCT 29, 1985

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献辞は、本文中にも引用されている鳥のガイドブックの一節。

「渡りの季節がくると、人間の眼にはとらえられないマキバシギの甘い旋律をはっきり聴き分けられるだろう」(邦訳88ページ)

マキバシギはここでは「神」の隠喩。
天体物理学者である著者は、青年のころ深くカトリック信仰に帰依しましたが、それを後に捨てました。しかし、今も「神的なるもの」と「啓示」が、著者の心のうちには一閃する瞬間があることを告げています。

CURIOUS SCIENCE 理工藥醫學骨董舗2006年04月04日 06時29分23秒



ロンドンにある、こんなお店を見つけました。

Curious Science (写真はショップ紹介より寸借)

理系アンティークの専門店です。
何とも居心地が良さそうな空間。

うーむむむ、痛恨…。
1ヶ月前に知っていたら、絶対行ったんですが。

店主のデイビッド・バーンズ氏は、1983年からこの道一筋だそうですから、なかなか歴史のある店。
それにしても商品情報がすべて「価格応談」になっているのはなぜ?
撮影用の小道具として商品の貸し出しもしているそうなので、浮世離れしているようで、意外に「はしっこい」店なのかもしれません。

J・G・ウッド著 『一般的な英国の甲虫類』2006年04月05日 05時20分28秒



■Common British Beetles
  Rev. J. G. Wood
  London, George Routledge & sons, no date (1871)
  175p, 16cm x 10cm

以前、こちらの画像の左端に写っていた本です。
表紙には3匹の甲虫が金彩で描かれています。彩色図版12葉入り。

挿絵本というと高価なものと思われる方がいるかもしれないので、あえて書きますが、例えばこの本だと大体4,5千円ぐらいから売りに出ているので、そう高くもないわけです。その雅趣と歴史性をそっくり手元に置けることを考えれば、むしろ大変リーズナブルな価格だとも言えます。(もちろん高い本は高いわけですが、そうした本には最初から縁がありません。。。)

英国ではとうに廃れた昆虫採集熱。日本では大人の趣味として復活の兆しもありますが、安楽椅子派の人は古書を片手に、あの遠い日の入道雲と草いきれを回顧するのも洒落てるかもしれませんね。


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来し方を振り返ると、私は天文少年になる以前、まず昆虫少年でした。
(まあ、それほど専門が特化していたわけでもなく、結局一応は何にでも手を出す「理科少年」という曖昧な存在で通したというのが実態ですが。)

昆虫の中では何と言っても甲虫類(鞘翅目)がお気に入りで、今でも庭に来るハナムグリや、地面を走るゴミムシの姿を見ると、子どもの頃の気分が一瞬よみがえることがあります。

J・G・ウッド著 『一般的な英国の甲虫類』(2)2006年04月06日 06時17分36秒


こういう本はつい挿絵に目が行きますが、本文の方もなかなかおもしろそうです(パラパラ見ただけなので偉そうなことは言えませんが)。

ぱっと見た感じ、記述がいかにも文学的というか、ギルバート・ホワイトの『セルボーンの博物誌』(1789)の伝統を受け継ぐような、博物誌的な記載が目につきます。以下はハネカクシの一種を記述した段落。

 ▼    ▼    ▼

図版4の第4図には、よく知られた-ただし嫌われ者としてだが-昆虫が描かれている。専門的にはオキプス・オレンスと呼ばれるが、一般には「悪魔の馬車馬 Devil's Coach-horse」という名で知られる。

これはごくありふれた種類で、屋内屋外を問わず、どんなところでも見つかる。そして常に恐怖と嫌悪の情を催させる(もっとも昆虫学者だけは例外だ)。

この虫の外見は決して心地よいものではない。体色はにぶい黒色をしており、ひとたび怒れば、どんな相手に対しても、頭をぐっと持ち上げ、鎌状の大あごを精一杯広げて、いやな臭いのする尻尾を、まるでサソリのように反り返らせる。すべての動きが獰猛な威嚇のそれである。その態度はまったくその性質を裏切らない。こいつは昆虫の中でも、もっとも勇敢で獰猛な種類のひとつで、相手の大きさなどお構い無しに、あらゆる敵に立ち向かって行く。

…(以下、さらに叙述がつづく)

 ▲    ▲    ▲

そういえば、著者ウッドも「Reverend (~師)」の肩書きを持つ聖職者で、地方の有閑牧師という役柄の点でも、1世紀前のホワイトをしのばせます。

岡崎常太郎著 『昆虫七百種』(1)2006年04月07日 06時18分27秒


ちょっと昆虫の話題が続きますが、日本の本からも1冊。

写真(部分)は、岡崎常太郎著 『天然色写真 昆虫七百種』(松邑三松堂、1930、菊版)。テントウムシのワンポイントが可愛らしい、戦前の昆虫図鑑です。

背表紙に「テンネンショクシャシン コンチュー700シュ」と書いてあるのが目を引きます。
著者の岡崎常太郎氏は、東京高等師範学校で博物学を修め、学習院初等科で教鞭をとった先生。いっぽう、カナモジ論者としても著名な人物だそうです。

昆虫学者の小西正康氏も、幼時この図鑑に親しんだ一人で、著書の中で「私にとっての1冊の本」に挙げています(『昆虫の本棚』、八坂書房)。


※小西氏の昆虫古書についての想い出は、こちらでも読むことができます。
 http://yushodo.co.jp/showroom/showcase/pryer/

岡崎常太郎著 『昆虫七百種』(2)2006年04月08日 07時09分28秒


著者の岡崎氏がカナモジ論者であることは昨日述べました。
この本も昆虫図鑑だというのに、巻頭いきなり「ユケ カナモジ!」という激烈な文章で始まります。

「オー、アイスル カナモジヨ. ジブンワ イマ ナンジオ ヨノナカエ オクリダス. イヤ、ヨノ アラナミノ ナカエ ホーリコムノダ. サダメテ ムジヒナ コトオ スルト オモウデ アロー. ダガ カンガエテ クレ. カワイー コニワ タビオ サセヨト ユーデワ ナイカ.」

どうみても、かなりの畸人という印象は否めません。

節足動物を「フシアシ=ドーブツ」、直翅類を「スグハネ=ルイ」というように、用語にも独特のものがあります。

本文の説明はこんな調子です。

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ミチオシエ〔ハンミョー〕

トンデ ニゲテワ クルリト アトオ ムキ、オイカケルト マタ トンデ ニゲテ クルリト アトオ ムク. チョード ミチオ オシエル ヨーデ アルカラ、ミチオシエ トモ ミチシルベ トモ イワレテ イル.

..........................

コ=マイマイカブリ

コガタノ マイマイカブリデ アル. ヨク マイマイニ アタマオ ツキコンデ クッテ イルノデ マイマイ=カブリト ユー ナマエガ ツイタ.

 ●   ●   ●

岡崎常太郎氏(1880-1977)は、この図鑑が出た昭和5年には、すでに50歳。…というと、完全に戦前の人のような気がするんですが、1977年に亡くなられたとなると、私はかなり長い時間を氏と共有していることになり、不思議な感慨があります。

銀河鉄道の地図2006年04月09日 06時55分37秒

CUSHKA(クシュカ;BIGIのアクセサリーブランド)のペーパーウェイト。
直径6.5cm。手のひらに乗る、小さな小さな星座早見盤です。

ドーム状のレンズを通して浮かび上がる漆黒の空、白い星座と天の川。
回転するシルバーメタリックの側。
目をこらさなければ分からないほど、小さな文字で星座名が書かれています。

人によってイメージするものは違うでしょうが、私はこの品を見たとき、すぐに『銀河鉄道の夜』の次のシーンを連想しました。

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六、銀河ステーション

そして、カムパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。

まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤の上に、一一の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。

ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。

「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」ジョバンニが云いました。
「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」
「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだろう。」

ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。

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●追記: 同じように感じる人は他にもいるようで、こちらのページでも紹介されていました。

世界の果ての図書館 http://homepage1.nifty.com/lostchild/fav/04_old.htm

「絵入りロンドン新聞」に描かれたグリニッジ天文台2006年04月10日 05時46分20秒


The Illustrated London News 1880年12月11日号より。

恒星の位置を精密に計測するため、マイクロメーターを余念なく操作する観測者。その頭上には細いスリットから満天の星が見えています。

「絵入りロンドン新聞」は1842年の創刊。豊富な挿絵を載せた誌面は、当時の大衆に大いに歓迎されました。

大量に発行されたため、現在もごく安値で流通しており、「手軽なアンティーク」として収集の対象となっています。A3サイズの紙面全体を使った大判の版画はなかなか迫力があります。

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さて、以下は細かいことながら。

絵の欄外には、「グリニッジ天文台における夜間業務:大型赤道儀望遠鏡」というキャプションがあります。

たまたま手元にあるのが図版のみで、関連記事がないので詳細不明ですが、どうも描かれているのは「赤道儀望遠鏡」ではなくて、「子午環」のように見えます。

確かにグリニッジには、‘The great equatorial’として知られる望遠鏡がありますが、それはイギリス式赤道儀に載っており、上図とは全く違った姿をしています。単なる書き手の勘違い?