謎の絵葉書~後編 ― 2007年11月04日 18時13分46秒
「何の解説もなく」と書きましたが、裏面には「ED. G. FELICI – ROMA VIA BABUINO 75」とあります。最初はこれが被写体を表すのかな?と思ったのですが、調べてみたら、これは天文台と直接の関係はなく、撮影者の名前、すなわち19世紀末から20世紀はじめにかけてローマで活躍した肖像写真家、ジュゼッペ・フェリーチと、そのスタジオの所在地を示す表示でした(以下参照)。
◆http://www.museodiroma.comune.roma.it/PalazzoBraschi/
StaticHtml/ritratto6_ing.htm
さらに画面を凝視すると、この望遠鏡にはたしか見覚えがあるぞ…そうだ!と思いついたのが、以前載せたパリ天文台の写真(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/10/30/579884)。
上の写真は上記絵葉書のアップです(クリックで画像拡大します)。架台も鏡筒も瓜二つ。場所はパリか!と思ったのもつかの間、さらによく見ると、室内の床や壁の様子が違います。
で、神父姿からハタと思いついたのが、ヴァチカン天文台。
調べてみると、果たしてそうで、この望遠鏡はパリ天文台が中心となって進めていた写真天図(Carte du Ciel)計画に参加するため、ヴァチカンが発注した、パリ天文台の兄弟機だったのです。
この辺の事情については、以下のページに詳しい説明がありました。
◆http://www1.cadc-ccda.hia-iha.nrc-cnrc.gc.ca/astrocat/acs/node38.html
それによると、ヴァチカン天文台の創設は1888年と、ヨーロッパの天文台としては後発で(※)、そのため早く一人前と認知されるようにと、時のローマ法王レオ13世のお声がかりで、写真天図計画への参加が決まったそうです。
(※)その前史は長く、16世紀に遡りますが、ヴァチカン天文台
(Specola Vaticana)といえば、直接にはこの19世紀に創設さ
れた天文台を指します。有名なセッキ神父による恒星のスペ
クトル分類は、厳密にいうとヴァチカン天文台ではなく、その前
身であるローマ大学天文台時代の業績です。
■ヴァチカン天文台公式サイト、”History” のページ参照
http://clavius.as.arizona.edu/vo/R1024/History_p1.html
望遠鏡はフランスのアンリ兄弟社が建造したもので、写真撮影用の主鏡は口径33センチ、またガイド用望遠鏡は口径20センチで、両者は薄い隔壁をはさんで1つの直方体の筒に格納されていました。望遠鏡の特殊な外形はそのためです。
写真天図計画は、各天文台が割り振られた空域を根気よく写真撮影していくのですが、ヴァチカンが担当したのは赤緯+55度~65度の範囲で、総計1046枚の乾板が撮影されました。
この作業を担当したのがライス(Lais)神父で、彼は25年以上の長きにわたり、ほぼ一人でこの仕事に当りました(撮影が完了したのは、彼が没した翌年の1922年のことです)。したがって、例の絵葉書に写っているのもライス神父に違いありません。
★ ★ ★
とまあ、こんな風に謎解きをしていると退屈しませんが、我ながら暇だな、こんなことで人生を消尽して良いのかな、と思うこともあります。昨夜はお世話になった方のお通夜に参列したので、いっそうその思いが深いです。一種の業なのかもしれません。
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