標本箱の美学(1) ― 2007年11月26日 20時57分27秒
先日せっせと作った箱のアップ。
中身はよくミュージアムショップで売っている、方解石とあられ石の結晶ですが、こうして箱に入れ、ラベルを添えると、とたんに生彩を帯びた標本の美が表れてくるようです。
「肝心なのは見た目よりも中身だ」という「内実至上主義」に立てば、外箱などどうでも良いわけですが、たぶんそれは“標本の美”を解さない人の意見でしょう。
標本好きの人間というのは、個々の標本やその集積によって、世界の縮図を手にしたいという密かな思いがあり、自分の築いたミクロコスモスを一層荘厳たらしめるために、箱一つゆるがせに出来ない思いを抱くのだと思います。
標本箱は、いわば仏堂建築における荘厳(しょうごん)に相当するものです。本尊=標本を尊崇するからこそ、一層その器が重要になるわけです。
(まあ、ボール紙を折って紙箱を作ったぐらいで、そんなに力む必要もないわけですが…)。
ときに、東大であの「驚異の部屋展」を企画した西野嘉章氏も、こうした標本箱の美を熱く語っていました。
(この項つづく)
■27日付記:
「ときに」ではなくて、上の文章は殆んど西野氏の受け売りでした。書いているときは自分の頭で考えているような気になってたのですが、今日氏の文章を書写しながら「こりゃ、まんまだな」と思いました。我ながら底が浅い。。。
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