雪の元旦…ベントレー著 『 SNOW CRYSTALS 』2008年01月02日 09時49分07秒


明けましておめでとうございます。
昨日は遅い年賀状を書いたり、初詣に行ったりして一日が終わりました。

当地では午後から雪。初雪がちょうど元旦というのは、個人的に初めての経験のような気がします。

風もあって、本当に寒かったのですが、霏々と白いものが舞い飛ぶ中、遠くまで見通しのきく高台を歩くのは、実にすがすがしく、気持ちの良いものでした。身も心もシャキッとしました。

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毎年、雪のシーズンが来ると本棚から引っ張り出すのが、上の本。
雪の写真家、ウィルソン・A. ベントレー(1865-1931)の代表作、“SNOW CRYSTALS”。

初版は1931年に McGraw-Hill 社から出て、私の持ってるペーパーバックは、初版の内容をそのままに Dover 社がリプリントしたものです。

ベントレーと雪の結晶写真については↓を参照。上の本に収められた写真のオリジナル(ガラス原板)も閲覧できます。

★ベントレー雪の結晶コレクション(バッファロー科学館)
 http://www.bentley.sciencebuff.org/

日本の雪博士・中谷宇吉郎氏は、

「ベントレーは前記の如く余り科学的素養をもたず、最初はただ自分の楽しみとして、後には新しい写真の数を増すこと、そのまた美しい写真や幻燈板を売ることを仕事としていた程度であるから、倍率や降った時期の記載が全然ないのが惜しまれる」(岩波文庫『雪』、45頁)

と、ベントレーの仕事に一定の留保をつけていますが、上のサイトを見ると、ベントレーはなかなかどうして、詳細なデータを取りながら、撮影を続けていたことが分ります。この辺は、改めて評価されて良いのかもしれません。

 *  *  *

ベントレーは SNOW CRYSTALS が出た年、吹雪の中を歩いていて肺炎にかかり亡くなりました。雪と共に、雪のようにあっけなく消えた、まさに雪の化身のごとき人物であり、そうした事実が、この本をいっそう興味深いものにしているようです。

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それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

スチームパンクと古玩趣味2008年01月03日 10時03分59秒

(↑スチームパンクな味わいのオーラリー。ジェームズ・ファーガソン作。1780年ごろ。出典:Bruce Stephenson et al., THE UNIVERSE UNVEILED, Cambridge University Press, 2000)

《新春2連投。前の記事の続きです》

‘steampunk’、‘clockpunk’ というのが、例のブログのカテゴリーにも挙げられていて、以前の記事では、「蒸気仕掛け」 「時計仕掛け」 と、いい加減に訳しましたが、完全に誤訳なので訂正しておきます。

こういう辞書に載ってない単語は、その筋の人には自明なのでしょうが、門外漢にはさっぱりで、私もネットで検索して初めて(おぼろげながら)意味が分りました。

「スチームパンク」、「クロックパンク」 というのは、いずれもSFファンタジーの1ジャンルで、「サイバーパンク」から派生したものだそうです。「サイバーパンク」 が、人体と機械、脳とコンピュータの融合した世界を舞台に、その中で展開する作品群であるのと同様、スチームパンクとクロックパンクも、一種の独自の世界 ― 現実世界とは異なる進化を遂げた 「ありえたかもしれないもう一つの世界」 におけるストーリーを描くのが特徴です。

スチームパンクの方は、ヴェルヌの 『海底二万マイル』 がその先蹤とされることからも分るように、蒸気機関に代表される19世紀的なテクノロジーが過剰に発展した世界を舞台にした作品群で、宮崎駿監督の 「天空の城ラピュタ」 なんかもその系譜に位置づけられます。

他方、クロックパンクの方は、ルネッサンス風の機械テクノロジーが進化した世界が舞台だそうですが、私にはちょっと具体的な作品イメージが湧きません。(ご教示いただければ幸いです。)

で、そういう言葉を知ってみれば、ストンと腹に落ちることがあります。
フープ博士も明らかにスチームパンクですね。「銀河鉄道の夜」 や、長野まゆみ作品の一部にも、その気(け)がありそうです。私なりに敷衍すれば、要するにスチームパンクとは 「真鍮と鋳鉄製の科学機器が似合う世界ないし物語」 だと思います。

してみると、この 「天文古玩」 が目指す“リリカルな、郷愁の天文趣味”というのも、実は、現実の19世紀天文学に、スチームパンクなスパイスをまぶしたものではないか…ということに、ハタと気づきました。

件のブログの記事の標題、「スチームパンクの銀河」 というのも、オーラリーやテルリオンといった器械装置に、スチームパンクのイメージを重ねているのでしょう。

考えてみると、大方の歴史好きは、多かれ少なかれ 「パンク」 な要素があるのではないでしょうか。水戸黄門や暴れん坊将軍を通して江戸時代をイメージする、源氏物語や安倍清明を通して平安時代をイメージする、いずれもフィクションと知りつつ、現実の過去に重ねてしまうところに 「パンク」 の匂いを感じます。

■参考■

○ウィキペディア 「スチームパンク」 の項
 http://tinyurl.com/25rs3r

○Da Vinci Automata より‘Introducing Clockpunk’
 http://davinciautomata.wordpress.com/2007/03/03/introducing-clockpunk/

今年の抱負(的な文)2008年01月04日 23時32分05秒

あっという間に三が日も終わり、今日は仕事始めでした。この辺りで、今年の抱負でもと思い、しばし黙考…。あまりまとまりが付きませんが、思いつくままに書くと、

(1)このブログも3年目に入るので、とにかく無事3周年を迎えることが目標。継続は力なり。

(2)昨年末に告知した「銀河鉄道の夜」の具象化シリーズを、思い切ってスタートさせる。

(3)他にも、「そのうちやりますよ!」で終わっている課題が多いので、過去記事のフォローをこまめに行う。

(4)ブログは原則週休2日制に移行し、週末はハーシェル協会関係他、もろもろ仕事に専念する。メリハリのある生活を。

…といったところでしょうか。(1)と(3)は、まあ単なる掛け声なので、具体的に思い描いているのは(2)と(4)です。ちょっと地味めというか、特に新機軸はないんですが、当面は地道にやっていく予定です。

ヴァチカン天文台廃絶?2008年01月06日 14時44分17秒

(上空から見たヴァチカン天文台。出典:「週刊朝日百科・世界の歴史75-天文と解剖-」、1990、朝日新聞社)

去年、ヴァチカン天文台の話題を書きましたが(11月2日、4日)、昨日になって「ヴァチカン天文台廃絶か?」というニュースを耳にしました。

「え、じゃあ次はサザビーズの出番?」「まあまあ落ち着いて、記事をよく読んで。ヴァチカン天文台がなくなるとはどこにも書いてないでしょ。」…というようなML上のやりとりを読んで、私も改めて問題の記事に目を通してみました。

■「科学、神学に屈する。教皇、ヴァチカン天文台を解体」
 ザ・インデペンデント紙 1月4日付
 http://news.independent.co.uk/europe/article3307586.ece

(以下、かいつまんで適当に意訳)
 教皇が夏場を過ごす別荘地、カステル・ガンドルフォ(Castel Gandolfo)の一画に、75年以上の長きにわたって存続してきた天文台が、教皇の外交活動のため近々立ち退くことになった。外交団受け入れのために、教皇がより多くの部屋を必要としているためである。

 研究者と機材は、1マイル離れた元女子修道院に移転の予定だが、これは教皇と「僧衣をまとった天文学者たち」との1世紀以上にわたる蜜月関係の終わりを告げるもの、と現地紙は報じている。

 現天文台長Jose G Funes 神父は、「ヴァチカンで科学の地位が低下したわけではありません。この城館にとどまることには、せいぜい象徴的な意味合いしかありませんし、移転予定先のほうが我々にとってむしろ好都合なのです」と語っており、Funes 神父の前任者である George Coyne 神父もそれに同意している。

 しかし、ベネディクト16世に近い筋の見方では、この移転にはまさに象徴的意味合いがあり、現教皇が科学に不寛容であることを立証するものだとしている。現教皇は、前天文台長の意見に反対して、知的存在による進化創造説(intelligent design)に賛意を表したことなどは、その一例である。

 歴代教皇は、ガリレオの頃から天文学と愛憎劇を繰り広げてきた。彼らが興味を示したのは、例えば、2千年前に東方三賢者をベツレヘムに向かわせた惑星は何だったのか、それを確定しようとする天文学者たちの努力であり、また16世紀後半には、暦の改良という世俗的な問題も教皇の気を惹いた。最近まで続くような関係を築き上げたのはレオ13世であり、1891年のことだった。そして、1935年、天文台はローマの大気汚染を逃れて現在地に移転してきた。

 1978年、Coyne 神父がヴァチカン天文台長となり、ヨハネ・パウロ2世の長期にわたる在位期間中ずっとその職にあった。ヨハネ・パウロ2世は、神学的には保守の立場だったが、同時に科学上の発見を熱心に受け入れ、1996年のスピーチでは、ほとんど進化論を受け入れる寸前まで行った。

 ヨハネ・パウロ2世の没後、2006年8月にCoyne 神父が台長職を解かれた際には、知的存在による進化創造説に反対したことが、彼の身を滅ぼしたと噂された。ベネディクト16世が、啓蒙主義とそれがもたらした科学的真理に反対していることは、最早明らかである。

 Coyne 神父の旧領は、今や解体目前である。ただし、2つの天文ドームはそのまま残され、博物館に改装される予定だとのこと。

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上の記事に対するB氏のコメント(ML投稿)

 「ヴァチカンから何かニュースが聞こえてくると、常に教皇をあざけるような論調に傾きがちだということをお忘れなく。ヴァチカン天文台は、すでにカステル・ガンドルフォではなく、アリゾナのグラハム山に事実上の観測拠点を置いていますし、また同天文台はこれまで何度も移転を経験しており、カステル・ガンドルフォとの結びつきは比較的最近のものに過ぎません。それに、これまでの例からすると、カステル・ガンドルフォに、教皇が外交団を迎えるというのも妙な話です。全てはまだ噂に過ぎません。教皇ベネディクトは、科学の敵であるどころか、科学と芸術を神から与えられた最高の贈り物であると述べていますし、科学と宗教の境界を定めるために、宗教者と科学者が対話することにも深い関心を示しています。」

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真相はまだ明らかではありませんが、いずれにしろ「廃絶」ではないですね。
それにしても、宗教と科学の対立がこれほど話題となること自体、問題の複雑さを感じさせます。いや、依然それが世界の大勢であって、日本の方が少数派なのかもしれませんが…。

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「カステル・ガンドルフォ」…いい名前ですね。ルパン3世に出てきそうです。

りりしい解剖図2008年01月07日 06時39分56秒


■大阪大学教授・高木耕三監修、大阪集画堂発行
 「人体解剖図」(約80×110センチ)

北陸の某高校旧蔵品。昭和35年購入のスタンプが押されています。
全部で7本からなるセット物で、「消化器系及呼吸器系」やら、「感覚器」やら、「骨格系」やら、いろいろな図が含まれています。写真は「内蔵浅部」の図で、シリーズ全体のいわば“表紙”を兼ねています。

肝臓だけ軽く腹腔からあふれさせたところに、動感と立体感を表現しようとした、画工のセンスを感じます。優しい眉と、涼しげな目元をした、よく見れば、なかなかの好青年。頬もピンク色で、全体につやつやしています。

以前の血色の悪い解剖図(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/05/22/374843)とはえらい違いですが、今見たら監修者は同じ人でした。その筋では有名な人なんでしょうか。

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ところで、昨日のヴァチカン天文台の写真は、昔のグラフ誌から採ったんですが、該当号のタイトルは、「天文と解剖-近代の芽生え」というものでした。

奇しくも同じ年 ― 1543年に、この2つの学問領域で革命的な本が出版され、それが近代科学の幕開けを告げた…というのが、編者の編集意図で、その本とは即ち、コペルニクス著 『天球の回転について』 と、ヴェサリウス著 『人体の構造について』 でした。(さらに同年、ラテン語訳 『アルキメデス全集』 が出たことも、技術史において画期的だったと書かれています。)

宇宙と人体をパラレルなものと見る考え方は、時間的にも空間的にも、ずいぶんと広がりのあるものでしょうが、上の事実もちょっと不思議な暗合です。

オークション哀話2008年01月08日 21時18分49秒


今日は7本セットの解剖図をズラズラ載せようかと思いましたが、寸前で思いとどまりました。ああいうものは、ちょっと載せ方が難しいですね。いかにヴェサリウスの威光を持ち出そうとも、「変態の森へWELCOME」(by のだめ)のような色彩がどうしても出てしまいます。

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さて、相変らずオークションに一喜一憂の日々ですが、今日はPayPal(オンライン決済サービス)不可の品をうっかり落札してしまい、だいぶ苦労しました。

まず国際郵便為替での支払を認めてもらうため、気を遣いながら先方とメールでやりとり。無事OKをもらって、勇んで郵便局に行ったものの、係の人が不慣れなため手続に1時間もかかり、しかも手数料が2000円。やっとできた為替を送るのに、「EMS(国際スピード郵便)が便利ですよ」と言われて、そこでまた1200円。

落札価格はまずまずだったんですが、結果的に全然リーズナブルでない買い物になってしまいました。それも全ては己の不注意からくるものなので、泣くに泣けず、怒るに怒れず…。

今後はせいぜい気を付けます。諸人は以て他山の石とされますように。
つまらない話題ですみません。

新生・グリフィス天文台2008年01月09日 21時43分44秒

(↑1940年代のリネンタイプ絵葉書)

ヴァチカン天文台の件が話題になっていた頃、アメリカのグリフィス天文台(ロサンゼルス)と、アドラープラネタリウム(シカゴ)のことも同じMLで話題になっていました。

グリフィス天文台は、プラネタリウムが売り物の観光天文台であり、アドラーと性格はよく似ています。ともに戦前から続く、オールド天文ファンにはおなじみの場所。その両者が最近模様替えをしたというのが、話題の中身でした。

グリフィスの方は、単にハリウッドの丘に建っているという理由から、個人的に何となく浮薄なイメージがありました。実際、上の絵葉書のように、いかにも星条旗が似合いそうなアメリカ的な場所なので、どうも深みに欠けると思いこんでいたのです。

そのグリフィスが、2002年来の拡張工事によって面積が倍以上になり、新装なった建物が、2008年建築協会賞を受けたというニュース。

http://www.aia.org/aiarchitect/thisweek08/0104/0104n_harch.cfm

リンク先の写真はなかなか素敵ですね。
透明な薄暮の空に浮かぶ三連ドームのシルエットと純白のファサード。

でも、いったいどこが変わったのかな…?と思いつつ記事を読むと、実は地下部分に大工事を施し、そこに新たな展示スペースやカフェを設けたのだそうです。天文ファンの目にしっかり焼き付いている、シンボリックなフォルムを守るため、あえて難工事に挑んだ関係者の努力に敬服します。

■グリフィス公式サイト http://www.griffithobservatory.org/

360度ぐりぐりのヴァーチャルツアーはこちら(http://www.griffithobservatory.org/obsvirtualtours.html)。矢印に従って進めば、館内をくまなく見て回ることができます。ただし画像は改築前のもの。改築後の様子は現在準備中だそうです。

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ところで、新しくできた地階のカフェは、「宇宙の果てのカフェ Café at the End of the Universe」というそうです。ちょっといい名前。

火星幻視2008年01月10日 06時35分09秒

最近、仕事帰りに空を見上げると、南東の空に一際明るく火星が見えます。
その一歩先にオリオンの勇姿も見えますが、さすがは「火の星」、オリオンの右肩に朱を点じた赤色超巨星ベテルギウスよりも、はるかに赤く大きく輝いています。

さて、写真は、19世紀の百科事典(詳しい出典を書いたメモが今見つかりません)の挿絵として刷られた火星の図。オリジナルはいずれも18世紀で、図36はカッシーニ、図37と38はマラルディ、図41~65はウィリアム・ハーシェルのスケッチを模写したものです。これらは当時繰り返し転写され、19世紀前半における火星のイメージを決定付けました。

火星の奇妙な模様といえば、19世紀末に沸騰した運河説が有名ですが、それ以前にもかなり奇妙な図像イメージの流布していたことが分ります。

ヴィジョンとイマジネーションは紙一重。まあ、火星に限りませんが…。

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仕事+私用で日曜日まで留守にします。とりあえず明日、明後日は記事をお休みします。

朋アリ遠方ヨリ来タル…2008年01月13日 21時55分58秒

(↑散策の道すがら買ったモノ。古本、たむらしげるさんのミニブックとピンバッジ。背景はYさんにいただいた黒田武志作品集-近刊-のチラシ)

昨日はネット上で知った方(複数)とお会いする機会がありました。
吉祥寺、西荻窪、高円寺、いわゆる「中央線文化圏」を散策しながら、ぶらりと店に入ったり、お茶を飲んだり。その多くは、こういう機会でもなければ、一生ドアをくぐることはなかったでしょう。

天文古玩趣味といい、理科室趣味といい、世間のものさしで言えば圧倒的マイノリティであることは間違いなく、少なくとも私の場合、ネットというツールがなければ趣味として成立し得なかったと思います。ネットがあればこそ、折々遠隔の地からコメントをいただいて、大いに励まされることが多いです。ただ、客観的に見れば、そこにあるのは黙々と画面に向かう姿であり、孤独といえば孤独です。

こうして直接顔を合わせて、肉声を交わすのはやっぱりいいものですね。そのことを改めて思いました。そぼ降る雨の中お付き合いいただいた方々、ありがとうございました。

今後も多くの方と交流する機会を持てるといいなと思っています。