史上最大の天球儀(たぶん)2008年09月02日 22時17分09秒


20世紀初頭のステレオ写真より。

エッフェル塔に伍してそびえる大天球儀。1900年に行なわれたパリ万博の光景です。
結構有名な建物のようなんですが、中はどうなっていたのか、正確にはどれぐらいの大きさがあったのか、ちょっと情報が少なくて不明です。

ウィキペディアの記事(http://en.wikipedia.org/wiki/Globe_C%C3%A9leste)によれば、内部は椅子席になっており、観客の眼前で太陽系の運行を表す大パノラマが展開したようです。一種のプラネタリウムのような出し物だったのでしょう。

この年は19世紀最後の年というわけで、過ぎ去った世紀を回顧し、来るべき世紀を展望しようという趣旨の博覧会だったようですが、この途方もない大きさの天球儀はいったい何を訴えたかったんでしょうか。外側に描かれている伝統的な星座絵は、ちょっとアナクロな感じもします。まあ何にせよ奇想の建築であることは間違いありません。

ちなみにエッフェル塔の方は、前回、1889年のパリ万博でお目見えしています。

パリの巨大天球儀(その2)2008年09月03日 20時44分48秒


昨日の<天球儀>の大写し。
ステレオ写真の大手、アンダーウッド社が、博覧会開催の年(1900年)に売り出したもの。

こちらはまだ建設中の様子を捉えた写真です。球体のまわりに足場が組まれ、経度・緯度(赤経・赤緯)の線も書きかけです。

それにしても大きい。まるで巨大なガスタンクのようです。

球のてっぺんには、風に吹かれながら佇む3人の男たち。
彼らはいったい何を語らっているのか。


【付記】
ステレオ写真については、以前コメントをいただいた、さかなちゃんさんのブログに、詳細な記事が複数掲載されています。以下はその一例。その他、「ステレオ写真」「ステレオカメラ」のカテゴリーをご覧下さい。

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2008/01/post_6c76.html

物欲の黄昏2008年09月04日 22時06分16秒

部屋にもう物は置けない。だから物も買えない。
しばらく前にそう書きましたが、昨日また大きな箱が届いて、中身は性懲りもなく古い理科模型の詰め合わせ。確かにもうディスプレイは不可能なので、そのまましまいこむしかないんですが、収納スペース自体すでに限界に達しているので、そこでまた大変な苦しみを…。

買っては片付け、買っては片付け、もう何をやっているんだか、自分が望んでいるのは、本当にこんな暮らしなんだろうかと、大いに怪しんでいます。確かに「買ったぞ!」という満足感はあるんですが(そのために買うんですから当り前ですが)、同時に「また買ってしまった…」という後悔の念もあって、最近は後者の方がまさることがあります。

根本的解決は、より広いスペースに引っ越すことですが、荷造りを考えると、越すも地獄、越さぬも地獄。

ひょっとして、このまま臨界点を超えると、一気にゴミ屋敷と化すんでしょうか。あるいは、スッキリ系の方から見ると、すでに立派なゴミ屋敷なのか?物欲系の方は、いったい日々どう過ごされているのか。何か妙策や達観する術はあるんだろうか…(ブツブツ)。

パルプの都市2008年09月06日 07時18分33秒


かすてんさんにコメントをいただき、そうもったいぶるほど、ご大層なものでもないし…と思い直して、部屋の一部を撮ってみました(左右別アングル)。それでも一寸した見栄はやっぱりあるので、これはちょっと演出された写真だと思ってください。

これだけ見ると、なんだか整理が行き届いているようにも見えますね。色味も赤を強調したので、一見豪奢な印象があります。現実はもうちょっと貧相な雰囲気です。

さて、この写真で注目すべきは、いかにスペースが有効に使われているかです。天井まで漫然と本を詰め込んだだけのように思われるかも知れませんが、実際には物理的フォーマットを考えて、寸分のすきもなく積み上げてあります。カミソリの刃も入らないほど高度な技術で石組みされた、古代マチュピチュの石造都市のようです。

天井まで隙間なくぎっちり詰まっているので、意外に耐震性があるかもしれません(…とでも思わないと、恐くてやってられません)。

そして、こんな風に本が並んだ隙間に、いろいろ理科室趣味の愛玩物が置かれているというのが、進化の袋小路に入りつつある「理科室風書斎」の今の姿なのです。

巨大球儀の胎内めぐり2008年09月07日 22時06分08秒


1900年のパリに登場した巨大天球儀について調べようと思って、H.C.キングの『Geared to the Stars』を見ていたら、肝心のことは分からずじまいでしたが、こんな図が載っていました(p.321)。

地理学者のジェイムズ・ワイルド(1812-87)が作った「モンスター地球儀」です(以下、同書の記述より抜粋)。

この巨大地球儀は、1851年のロンドン大博覧会でお目見えし、その後1861年まで存続しました。直径60フィート(約18メートル)といいますから、人間の大きさを基準にすると、この図はかなりリアルな描写のようです。

球の内部には、大洋と陸地が石膏によって立体的に―ただし裏返しに―造形され、リアルな彩色が施されていました。入口から入った観客は、4層になった見物台を順次上りながら、我が地球の驚異に目を見張るという仕掛けです。ただし、この構造には大きな欠点もありました。

「ワイルド氏の大発見。氏によれば、地球内部はアガシ説のようにガスで満たされているのではない。バーネット説のごとく火で満たされているわけでも、フーリエ説のように水で満たされているわけでもない。否、ワイルド氏は今やわれわれに、こう教えてくれている。地球内部は巨大な階段で満ちているのだと。」

同時代のパンチ誌が皮肉ったように、内部の構造物による死角が多すぎて、パノラミックな眺めが殺されてしまったのです。商策上できるだけ大勢の観客を入れようとして、しくじったのでしょう。

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さて、上掲書のページを繰ると、他にも類例が載っていて、そこから「巨大球儀の歴史」というテーマが自ずと浮上してきます。

で、それらを見ていると、なぜか人は球儀を外から見るだけでは飽きたらず、中に入りたがるんですね。これを安易に子宮願望と言っていいのかどうかは分かりませんが、何かしら人の心に深くアピールするものがあるのは確かでしょう。

(この項つづく)

巨大球儀の歴史2008年09月08日 23時29分33秒


(昨日の続き)

さらに四半世紀遡って1824年、パリ。上の図は、コロネル・ラングロワという人が作った直径10メートルの地球儀です。(キャプションでは“transparent Georama”とあります。地球表面の様子を内部から覗き見る、という意味で、こう名付けたのでしょう。)

昨日のワイルドの地球儀よりも小ぶりですが、はるかに見通しの利く設計で(文字通りtransparent)、こちらのほうが見ごたえがありそうです。

キングの本には、革命前のフランスには、さらに25.5メートルもの巨大球儀があったと書かれていて(1784年にヴェルジェンヌ伯がルイ16世に贈ったもの)、えっと驚きますが、これは直径ではなしに、周囲の長さじゃないでしょうか(本ではその点がはっきりしません)。それならば直径8メートルちょっとで、常識の範囲内です。以前載せた17世紀のゴットルプ球儀(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/02/19/2640801)が直径3メートルですから、時代とともに球体の巨大化していく様がうかがえます。

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巨大球儀の歴史。世の中にはやっぱり同じようなことを考える人がいるようで、ネット上には既に次のようなページがありました。

■A Minor History of Giant Spheres(by Joshua Foer)
 http://www.cabinetmagazine.org/issues/27/foer.php

ただし、Foer氏は天球儀や地球儀だけではなくて、人類が生み出した球体構造を広く採り上げています。

以下、気になった物のメモ。

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まず1784年の項。まったく言葉を失います。いったい直径何メートルあるんでしょうか。ロココ時代に、こんな超未来的なデザインが考えられていたとは!

フランスの建築家、エティエンヌ=ルイ・ブレーが考えた、ニュートン顕彰廟案。星に見立てて球体に多数の孔をうがち、天界の光景を現出しようというアイデアも素敵です。上で「超未来的」と書きましたが、発想の源は、球体はどこから見ても不変であり、球こそが最も完璧で崇高な形であるという、古くからの観念なので、ある意味では蒼古的かつ神話的なデザインとも言えそうです。いずれにしても、これを見て私の中にある18世紀のイメージはガラリと変わりました。

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次いで1922年の図。これも驚異です。気象学者のルイス・フライ・リチャードソンが提案した「気象予測工場」。世界地図を描いた超巨大な球体は、内部に64,000人の人間を収容し、1人1人が割り当てられた微分方程式を解くことで、大気の動きを計算し、気象予測をしようという壮大な夢。球体の中央に陣取った「指揮者」は、せわしなくビームで地図を照らし、「そこの担当、急いで!」「そこ、早すぎる!」と計算に遅速が生じないよう、全体を統御しています。現代の「地球シミュレーター」の先駆けのようなアイデアですが、ある意味ではそれ以上に先端的な、バイオコンピュータを予見したものかもしれません(64,000のヒトの脳をクロスバースイッチで接続したら、いったいどんなことが可能になるんでしょうか)。


巨大な球体は宇宙には無数にありますが、地上で重力に抗して作るのはなかなか大変なようです。だからこそ球は聖性を帯び、現代でも建築家にとって挑戦しがいのあるフォルムなのでしょう。

身に添いし物2008年09月12日 08時40分37秒


今週に入って、大忙しというほどでもありませんが、「小忙し」ぐらいの状況で、記事の間隔が空いています。たぶん来週一杯こんな感じでしょう。

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さて、物があふれているという話の続き。
あらためて自分の周囲を見回して、いったいその淵源はどこにあるのだろうかと考えてみました。

単に古いものならば、身の回りにいろいろとあります。額に汗して買ったアンティーク的な品もあるし、子どもの頃の思い出の品を、大人になってから買い直したものもあります。でも、本当に我が身に添ったもの、つまり度重なる引越しにも耐えて、自分といっしょに齢を重ねてきた古馴染みというと、そう数は多くありません。

アルバムの類を除けば、いちばん古いのは多分この本です。
小学校の中学年ぐらいからずっと持ち歩いているので、思えば長い付き合いです。

■昆虫の採集法と標本の作り方
 松沢寛・近木英哉(著)、東洋館出版社、昭和46

中身は、まあセオリー通りというか、採集用具の解説から始まって、すくい網法・たたき網法等各種の採集技法、そして標本製作の実際まで、一通りの知識を与えてくれます。

内容的には、中学生か、せいぜい高校生向きの本だと思いますが、ハードカバーのかっちりした造本は、子どものころには立派な専門家向きの本に思えて、何か自分がいっぱしの学者になったような気分がしたものです。

この本を見ると、かつて昆虫少年だった自分の出自を感じます。
昆虫に対しては、天文とはまたちょっと違った思い入れがあって、このブログのカテゴリでも「動・植物」から「昆虫」が独立しているのは、そんな個人史が反映されています。

驚異の名月(上)2008年09月13日 19時45分07秒

明日はお月見ですね。

写真は1910年にヤーキス天文台が撮影した満月。約100年前の名月です。
月は別に100年前と変わりないはずですが、これはまたゴシック風というのか、妙にごつごつした、古怪な印象があります。黒々とした海(本当に海のようです)と、白く輝く光条の対比が印象的。

さて、この写真の驚異たるゆえんは、また明日。

(ご存知の方は例によって「口チャック」ですよ…)

驚異の名月(下)2008年09月14日 18時30分01秒

プレパラートの中央に、ポチッとしたものが見えますか?
大きさはほぼ1ミリ角。
昨日の写真は、このマイクロフォトグラフ、つまり極小の写真をプレパラートに封入したものを顕微鏡で見た映像なのでした。

マイクロフォトグラフというのは、19世紀半ばに発明されて以来、一時はかなりの人気を博したもののようです。ステレオ写真同様、一種の視覚玩具というか、ピープショウ的な興味を掻き立てたのでしょう。

メーカーとして最も有名なのは、創始者のJohn B. Dancer(1812-1887)という人で、彼とマイクロフォトグラフの背後には、いろいろ人間臭いドラマがあったらしいのですが、その辺を書くと長くなりそうなので、稿を改めます。

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さて十五夜。当地は雲で月は拝めそうにありません。でも、虫は盛んにいい声で鳴いています。薄も切ってきたし、お団子もそなえました。皆さんのところはいかがですか?

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ちなみに写真の背景は、アポロが撮影した月の写真集『フルムーン』(新潮社刊)。

長野まゆみ的理科室2008年09月15日 06時40分12秒

夕べは全国的に晴れのところが多かったようですね。当地も途中で雲が切れたらしいんですが、知らずに寝ていました。
さて、マイクロフォトグラフの話の途中ですが、以下忘れないうちにメモ。

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私が書くのも僭越ですが、長野まゆみという作家は、毀誉褒貶半ばする人で、初期作品に思い入れがある人ほど、現状に複雑な感慨を持たれるようです。

その長野氏が、昨年暮れからブログを書かれていることを、2日前偶然に知りました。ブログの方は例の「長野文体」ではなくて、ごく普通の日常が、ごく普通の筆致で淡々と描かれています。むしろ地味すぎるくらいです。これもまた一種の韜晦(とうかい)なのかもしれませんが…。

最近(8月28日)の記事では、「あの長野まゆみが、母校の夜の理科室を訪ねる」という、それだけ聞くと衝撃的な内容の文章が、やっぱり淡々と綴られていました。

■Kotorico コトリコ:理科室の岩石標本
 http://kotorico.exblog.jp/9565120/


ときに長野氏は、人生の処し方をタルホに倣っているんでしょうか。
デビュー時の硬質な叙情から、A感覚(?)を経て、さらにこの先もう一皮剥けて、最後は超俗の怪人化する…とか。