スズメバチとともに二十余年2009年06月03日 07時09分03秒


相変わらずモノは届きません。
ああいう風にぼやくと、案外次の日にポッと届いたりするんじゃないかと、呪術的な効果を期待したのですが、なかなか妄想と現実の境は強固なものです。

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ちょっとゲン直しに、今日は目先を変えて昆虫です。
世界最大の蜂、オオスズメバチ。

ラベルに「1988 SENDAI」とあって、当時の記憶がまざまざと蘇ります。
これは同期のY君が、大学の研究室に飛び込んできた相手に勇敢に立ち向かい、ついに仕留めたものを貰い受けたのでした。
あり合わせの道具で展翅したのですが(針も昆虫針ではなくて、縫い針です)、わりと上手に仕上がって、保存状態も良好です。

あれからもう20年以上が経つのですね。
標本の方はいまだにシャキッとしていますが、それを見ている主の心身には、歳月の移ろいが歴然としていて、私より彼(彼女)の方が長くこの世に形をとどめることは、ほぼ確実です。

半ズボンで颯爽と…三角ケース2009年06月04日 19時49分49秒


チョウやトンボなど、羽の大きな昆虫を採集する人は、虫体をいためないよう、三角紙というのにはさんで持ち帰ります。その三角紙を収める道具が三角ケース。

写真は緑のペイントで塗られたブリキ製。たぶん1960~70年代の品でしょう。肩紐が付いていますが、ベルトに通して腰から下げることもできるよう工夫されています。側面には毒瓶付き。

こういう品はわりとコケおどしというか、ヘビーなマニアほど、あまりこういうチンマリした品は使わないと思いますが、子供は兎角こういう物に憧れやすく、私も幼いころ各種の採集用具で完全装備した自分をよく夢想したものです。

もちろん、現実の子供時代は、こんな品は遠い憧れでしかありませんでした。
今はこうして「憧れ」を自由に満たせるようになったわけですが、今度は昆虫そのものと縁が薄くなってしまいました。笑う可し。どうにかして、これを昔の自分に届ける術があるといいのですが。。。

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今日6月4日は虫の日だそうです。

想念の採集記2009年06月06日 14時22分32秒


前回に続き、昆虫の採集標本用具。

今後これを使うことは多分ないと思います。
使わないものを買い、持ち続けるというのは、たしかに自分でも愚かな気はします。
でも、これらの道具を見ていると、私は何だかどこか別の時間と場所で、虫を追い、息をひそめてその胸にピンを刺しているような気がします。

となると、私はやはりこれらの道具を使っているのです。
普通の使い方とはちょっと違いますが。

革命前夜、ロシア某天文台にて2009年06月08日 21時31分35秒


これまでオークションで落札した品のデータは、わりと小まめに保存していたんですが、先日のHDD破損のあおりを受け、すべて消失しました。で、いったんデータが消えると、モノによっては記事を書くのに大いに難渋します。

例えば写真の絵葉書。
1910年のロシアのどこかの天文台なんですが、今となってはどこなのかさっぱり分かりません。裏面の画像も上げておくので、何か手掛かりがあればご教示ください。

園児の帽子のようなドームをかぶった、素朴な小天文台。
それでもわざわざ被写体になったのは、何か理由があるのでしょうか?
手前はロシア軍の兵士?

手書きの星も何か曰くありげですが、共産革命のシンボルとしての赤い星は、ウィキペディアによると、1918~22年頃、つまり第1次大戦後~ロシア内戦期から使用されるようになったらしいので、この絵葉書とは時代が合いません。でも、何か関係があるような…。まあ、単純に天文台だから星なのかもしれませんが。

絵葉書の裏面2009年06月08日 21時33分09秒



(前の記事参照)

天文学者の、天文学者による、天文学者のためのイメージ戦略2009年06月09日 22時23分05秒

(↑フェルメールの描いた天文学者)

ちょっと前に、天文学者のステレオタイプなイメージについて取り上げました。
ああいう異様に古めかしい、魔法使い然とした姿はどのように生まれたのか?というのが疑問の中心だったのですが、最近、関連する論文を人に教えられました。

Michael J. West氏の「天文学者の公共知覚-崇拝、罵倒、そして嘲笑」(Public Perception of Astronomers: Revered, Reviled and Ridiculed)という論文で、以下のページから全文ダウンロードできます。
http://arxiv.org/abs/0905.3956(画面右上の「PDF」をクリック)

「公共知覚」というのは一寸拙い訳ですが、要は、一般世間が天文学者に対してどのようなイメージを抱いているかということ。

ウェストさんは、チリの「ヨーロッパ南天文台ESO」に勤務する、れっきとした天文学者なので、私のような好事家的な興味ではなく、非常に切実な動機からこのテーマに取り組んでいます。すなわち、天文学者に対するイメージ次第で、天文学につく研究予算も、それを志す若者の数も、世間の天文学一般への理解度も大きく左右されるのだから、天文学者たるもの、ゆめゆめこの問題を軽んじてはならぬ…というわけです。

とはいえ、ウェストさんはあまり系統立てて論じてはいません。古今東西、各種のメディアに登場する天文学者が、どんな扱いを受けてきたかを順不同に列挙するにとどまっています。その内容から推測するに、天文学者のイメージの変遷には、一定の歴史的方向性があるわけではなく、いつの時代にも<崇拝>と<罵倒>と<嘲笑>のイメージが混在していた…というのが著者の論旨のようです。

例えば、古代社会においては天文学者が非常に重用され、人々から崇拝されたのは確かですが、その一方、イソップの寓話や4世紀のギリシャの笑話集Philogelosにおいて、すでに占星術師はあざけりの対象になっていました。

また、ホイットマンの詩やサンテグジュペリの『星の王子様』に出てくる天文学者は、ひたすら退屈で頑迷な存在として描かれる一方、最近の世論調査においても、天文学者は「名声のある職業(prestigious occupations)」ランキングの5位(!)に入っており、その威信はいまだ健在なように見えます。

思うに、昔も今も天文学者は世俗や日常の対極にある職業で、良くも悪くもいろいろなイメージを投影されやすいのでしょう。謎めいた相手に、過剰な憧れや不安・恐れを抱くのはごく自然な心理ですから。

つまり、ウェストさんが挙げた<崇拝>と<罵倒>と<嘲笑>は、実は根は1つで、天文学者は古代から現代まで一貫して「よく分からない人」であった…というのが、ここから引き出せる最終的結論ではないでしょうか。(…ウェストさんは、そうは述べていませんが。彼は「天文学者がどう見られるか、我々はそれを制御できないが、それに影響を与えることはできる。」「汝、天文学のよき広告塔たれ」…と厳かに結んでいます。)

月世界今昔2009年06月11日 22時05分17秒

本日未明、「かぐや」月面に落下。
大活躍、お疲れさま。

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さて、今年はアポロの月着陸40年ということで、いろいろ催しがあると思ったのですが、どうも世間はそんな気分ではないようで、一部を除いてほとんど話題にもならないようです。私も辛うじて当時の記憶を留めているぐらいなので、偉そうなことは言えませんが、でも当時の熱気を考えると、本当に嘘のようです。

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写真は「天文と気象」1964年10月号。
表紙を飾るのは「月に近づくアメリカの『アポロ宇宙船』の想像図」です。

地人書館の「天文と気象」誌は、1949(昭和24)年1月に創刊された、当時わが国では唯一の天文ファン向け商業誌。後の「月刊天文」誌の前身にあたります…と言っても、同誌もすでに休刊となって久しいので、まことに時の流れとは容赦のないものです。(ちなみに誠文堂新光社の「天文ガイド」誌は、この翌年、1965(昭和40)年の創刊です。)

一体に60年代の「天文と気象」誌は、東西冷戦を背景にした宇宙開発ブームに傾斜した誌面作りで、その手の特集が目立ちます。この号も、月面着陸までまだ5年もあるのに、「特集“月の科学”」を組んで、大いにブームをあおっています。

中でちょっと驚いたのは、「火星、金星への飛行は“竹トンボ型”宇宙船で」という記事(p.49)。

「米ロッキード社の科学者ベン・P・マーチン技師は、月世界を征服したあとの目標として、火星探検の可能性を早くも検討しはじめており…」「目下予定されている計画を進めてゆけば、1970年には人間が、火星、金星に向って飛び出せることはほぼ間違いないと云っています。」

記事は、NASAとロッキード社が目論んでいる計画の細部を自信満々に解説し、「1970年のクリスマスに地球を出発、翌71年11月10日火星を通過、72年6月7日に金星に達し、同年8月21日に帰還」というスケジュールを報じています。

後知恵でこういう記事を笑うのはよくないと思います。よくないとは思いますが、でも、やっぱり一寸おかしい気がします。まあ、これもささやかな「未来人」の特権でしょう。

ここでひとつ不思議なのは、「もし1960年代の人が2009年の社会を見たらどう思うか?」という問いで、一瞬自信を持って答えられそうな気がするんですが(何と言っても、自分自身がかつては1960年代の人だったわけですから)、でもちょっとあやふやです。誰も銀色の服を着てないし、空飛ぶ車もないし、月への修学旅行もないので、たぶん物足りなく思うんじゃないかと思いますが、でもやっぱり驚くような変化も一方にはあるんでしょうね。いったい何に驚くんでしょうか。

【6月12日追記】

考えてみたら、上の問いは答えられなくて当然ですね。
問いが意味するのは、「60年代の大人が今の社会を見たら…?」ということであり、自分は60年代の大人ではないのですから。「60年代の幼児が今の社会を見たら…?」ならば、自信を持って答えられます。たぶん、彼は次のように思うんじゃないでしょうか。「子供がいない!お年寄りばっかりだ!」

謎の世界星座計2009年06月13日 15時10分04秒


古い雑誌というのは、風俗史的興味もあって、記事以外のところがむしろ面白いものです。
上の写真は、一昨日の雑誌を読んでいて目にとまった広告。

世界星座計社の「世界星座計」(まんまですね)。

「地動説により星座を通して地球の原理を解明した世界各地の日の出、日の入、地平線、自転公転の法則を学び優しい使い方で実際の天文学が自然に解ります。新発売教育用大型¥9,600」

日本語がちょっと変。使い方もよく分かりませんが、でも何だか凄そうな器具です。これはちょっと欲しい気がします。

この60年代の少女は、小山社長の娘さんかお孫さんではないかと思いますが、如何。

【付記】
 改めてよくみると、この世界星座計は、南極を中心とした世界地図の上に、天の南極を中心とした透明の星座盤を重ねた構造になっています(たぶん北半球用の盤と適宜差し替え可能なのでしょう)。中央に見える時計の針のようなものは、単に盤を固定している割りピンのようです。盤の周囲の目盛りは日時を指定するもので、動きとしては星座早見盤と同じですね。これによって、特定の日時に、特定の地点の真上にくる星座が分かる仕組みですが、でも上の解説文のようなことが全て学べるのかどうかは…?三線分度器を併用すると、それが学べるんでしょうか?そもそも三線分度器とは?

横浜で鴨沢祐仁展2009年06月13日 15時11分36秒

(『クシー君の夜の散歩』の見返しに描かれた自筆イラスト。←本当は黄色い地紙なんですが、ちょっと画像をいじりました。)


子どものくせにシガレットをくわえて、グラスを傾けるクシー君。
イカシたボウタイ姿で夜の街を徘徊。
カッシーニ坂を上れば、聞こえてくるのはネオンとアルゴンの会話。
月のかけら、ペンシルロケット、鉱石ラジオ、真空管…。

そんな作品世界を作り上げた鴨沢祐仁さん(1952-2008)の回顧展のご案内を、duchshundさんからいただきました。下に転載します。

   ★  ☆

鴨沢祐仁さんの回顧展示が決まりましたので、お知らせします。

横浜開港150周年記念展示PART2
『現代作家 鴨沢祐仁展』
2009年6月20日(土)~7月12日(月)
am10:00~pm6:30
定休日 会期中無休(おとな 800円 こども 200円/小学生未満無料)
横浜人形の家 3階 企画展示室 http://www.museum.or.jp/yokohama-doll-museum/ (展覧会情報は6/10現在アップなし)

★追悼サイト http://www.geocities.jp/xiesclub

鉱石ラジオ2009年06月14日 16時55分27秒

クシー君をしのんで、普段あまり載せないようなものを載せます。

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写真は、1920年代頃の鉱石ラジオ(商品名 Supertone Crystal Set、米国フィルモア社製)。

エンジ色をした、愛らしくもカッコいいベークライト製のボディ(サイズはほぼ葉書大)。
左手前のつまみは同調用のバリコンです。
右側には、鈍く光る4つの端子(アンテナ、アース、ヘッドホン用×2)。
そして心臓部にあたる小さなガラスドーム入りの鉱石検波器。

電源もなしに、たったこれだけの装置で電波を受信できるのですから、本当に魔法のようです。

特にこのガラスドームの風情といったら!
透明な光に満たされた小部屋に据え付けられた不思議な結晶。
その表面を細いバネの先端で丹念に探っていると、ふと空中を飛び交う不思議な声が聞こえてくる…。

  ★  ☆  ★

電波というのは宇宙において普遍的なもののようですが、地球上の生物は、長いことそれとは無縁の進化を続けました(生物が利用した電磁波は、もっぱら可視光線とその近接領域ですね)。理屈としては、生身で電波の送受信ができるようになっていても、おかしくはないと思うのですが、あまりメリットがなかったんでしょうか。

ただ、小林健二さんの『ぼくらの鉱石ラジオ』を読んでいたら、19世紀のドイツの物理学者ハインリヒ・ヘルツは、初期の電波実験において、カエルの脚の筋肉を使った「生理検波器」を考案していたそうです(筋肉にアンテナをつなぐと、電波を受けてピクピクするらしい)。送信はともかく、受信の方は現状でも可能みたいですね。