おうちプラネタリウム(1)2009年11月01日 16時07分25秒

いよいよ11月。
今日は一日中、雨。そして終日PCで作業。

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さて、近頃よく聞く「家ごはん」とか「家カフェ」という言い方にならって、「家プラネタリウム」のはなし。
もちろんホームスター(左)でもいいんですが、今回の主役は右の本です。
表紙が何とも可愛らしい、その名も『ピンポイント・プラネタリウム』。

■Armand N. Spitz,
 The Pinpoint Planetarium.
 Henry Holt, NY, 1940
 86p + 24 star charts.

自分だけのプラネタリウムを手元に置くという、少年少女の夢を実現した好著。
年代からして、1930年代のプラネタリウム・ブームを受けて出版された本のようです。

(この項つづく)

おうちプラネタリウム(2)2009年11月02日 20時48分04秒


「自分だけのプラネタリウム」と聞いて、あるいは懐中電灯や電球を応用した工作を思い浮かべた方がいるかもしれませんね。

しかし、作者・スピッツの構想は、より単純かつ一層雄大です。
ちんまりした投影機を作るのではなしに、プラネタリウムのドームを丸ごと作ってしまおう、そして自分自身は小さな観客になって、そのドームを見上げようというのですから。―たとえ、それがペラペラの紙のドームだとしても。

この本には、写真のような星図が24枚付いていて、それぞれが12ヵ月ごとの北の空と南の空に対応しています。線に沿って図を切り抜いて糊付けすれば、半分に断ち割ったドームが現われ、星の位置に針でポツポツ穴を開ければ、プラネタリウムの完成です。

「あなたのピンポイント・プラネタリウムのドームを
しまっておく、大きめの帽子箱か靴箱を用意なさい。
そうすれば、あなたはいつでも好きな時に、その日の
プラネタリウムを取り出すことができます。そして
次の年も、また次の年も、馴染みの星が夜空に戻って
来るたびに、お友達にそれを教えてあげるのに、自分の
ピンポイント・プラネタリウムを役立てることができる
でしょう。」(本文より)

本を切り取るのはもったいないので、いったんコピーしてから、実際に作ってみました。

(この項つづく)

おうちプラネタリウム(3)2009年11月03日 17時27分06秒


大地を囲む地平線、その上に覆いかぶさる巨大な天蓋、そして星々。

「半ドーム」というには、ちょっと奥行きが足りませんし、縁がヨレヨレっとしていますが、そこを想像力で補えば、必ずや上のように見えてくる…はず。

幅20センチのこの星の劇場に入るには、お金は要りませんが、「IMAGINATION」と書かれたチケットを提示することが求められます。

おうちプラネタリウム(4)2009年11月03日 17時29分33秒


窓口でチケットを見せて中に入ると、すでに11月の北の空の演目が始まっています。

地平線上の大熊の姿は、中天にあるよりも一層大きく見えます。
その上方には小熊、竜、それにケフェウス王と王妃カシオペア。

古い神話の世界を物語る解説者の声は、あくまでも静かに響き、これまたチケットを持たぬ者の耳にはまったく聞こえないのでした…

囲繞する、何か(11)…レンズの向こう2009年11月05日 20時37分09秒

昨夜痛飲したせいで、今日は一日中身体がだるかったです。
肝(きも)が疲れているのが、何となく自分でも分かりました。
そんなわけで、今日は「身辺雑影」的な埋め草記事。

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覗きからくりめいた、木製の怪しげな光学機械。
別にどうということもない品ですが、古びた金属部品と木部の取り合わせに、一寸味があるように思いました。

卓上キネマハウス2009年11月06日 19時57分23秒

先日の「ピンポイント・プラネタリウム」から連想したものがあります。

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昭和4年、羽深音吉商会から発売された「卓上キネマハウス」。
卓上に乗る映画館を作りたいという、羽深音吉氏(自称・光学博士)の夢から生まれた玩具。

浅草にあった「電気館」を忠実に模した、この“世界一小さな映画館”は、発売当初、非常な売れ行きを見せましたが、そのうちに「音はするが、スクリーンには何も映し出されていないじゃないか」という抗議が殺到し、当局の摘発を受けた末に市場から姿を消しました。

羽深氏が言う、「私は映画そのものを売りたいわけではなく、映画館の空気をいつでも味わえるようにしたかっただけなのだ」という主張は、結局世間には受け入れられなかったのです。

「卓上に乗るほどの小さな映画館の中へ入れるのは、子供たちの夢だけだ」と考えていた羽深氏ですが、もはや「誰もが大きくなり過ぎた…」と感懐を漏らすほかありませんでした。

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“イマジネーションの力を借りて、その場の空気を味わう”という点に共感もし、またスピッツ作のプラネタリウムと共通するものを感じます。

私もこのキネマハウスがぜひ欲しいのですが、それは永遠に叶わぬ夢です。
何しろ、上のように詳細に作り込まれたストーリーを含め、この商品は(外箱を除けば)<クラフト・エヴィング商会>という稀有な創作家の脳髄の中にしか存在しないのですから。

空想の映画館の、空想の模型の中で、空想の映画を愉しむ…何だか夢の中で夢を見るような、ものすごく遠い愉悦ですね。

■引用出典■
 クラフト・エヴィング商会(著)
 『どこかにいってしまったものたち』
 筑摩書房、1997

拝星教徒の間に兵火烈々として起き、コップの中に嵐轟々たり2009年11月07日 20時01分46秒

関心のない方には、まったくつまらない話だと思いますが…

今日、東亜天文学会(OAA)の機関誌「天界」が届きました。
「ん、最近発行のペースが早いな」と思いつつも、特に気にも留めずフムフムと目を通しましたが、読んでいくうちに「全会員の皆様へ」とか、「東亜天文学会混乱の一部始終について―OAA動乱の真実を語る」とか、何やら檄文調の記事が並んでいて、「???」。

で、「先月号」を引っぱり出してきたら、写真のような次第でした。
左の「10月号」は<滋賀県の東亜天文学会>が発行、右の「10・11月合併号」は<兵庫県の東亜天文学会>が発行。

どうも二大勢力の角逐が熾烈らしいのですが、もう何が何やら分かりません。
まさに一大奇観。

しかし、全然面白がる気にもなれず、このままでは厭気がさして辞める会員も増えるのではないかと心配です。

○参考関連記事
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/09/05/4564274

拝星教徒とは何か2009年11月08日 20時35分20秒

(↑砂漠の薔薇)

「大きな国が星のために滅んだ例は枚挙にいとまありません」
「星のために国が滅んだ例だと?」
 王は眉を寄せた。
                       (稲垣足穂 「黄漠奇聞」)

    ★

東亜天文学会に集う人々を、ちょっと異国情緒をまぶして「拝星教徒」と呼んでみました。でも、ひょっとしたら本当に「拝星教」というのがありはしないか…?
もちろん、日月星辰に対する信仰は世界中に遍在していて、日本でも仏教や道教系の星祭があちこちで行われています。七夕祭りなども、まさにそうでしょう。

でも、もうちょっとそれっぽい雰囲気の「拝星教徒」はいないかな…と検索したら、西アジアのサービー〔サービア〕教徒のことを、拝星教徒と呼んでいる例がありました。(→http://www.daito.ac.jp/gakubu/kokusai/asia21/bazaar/egypt.html

サービア教。これはウィキペディアでも項目立てされているので、それをご覧いただきたいのですが、自分の頭を整理するために、下に改めて記述してみます。

実は、サービア教徒には「本来のサービア教徒」と、それが衰滅した後に、サービア教とは無縁の人々が「自分たちはサービア教徒である」と自称したのに始まる「偽サービア教徒」がいるのだそうです。で、拝星教徒として知られるのは後者、「偽サービア教徒」の方。
「偽」とはいえ、偽の歴史も随分と古く、今では「サービア教徒」と言えば「偽サービア教徒」のことであり、sabeism(sabéisme)は普通名詞で「星辰崇拝」の意味になっています〔←東大出版会『宗教学辞典』参照〕。

何でそんなややこしいことになったか?

本来のサービア教は、一種の洗礼儀礼を有するキリスト教の一分派とも目されていますが、今となっては詳細不明の謎の宗教です。

その後、問題の「偽サービア教徒」が発生したのは9世紀。所はシリア北部(現・トルコ南東部)の街、ハッラーン。ここは古代メソポタミアに遡る、月神シンへの崇拝が長く続いた土地で、後にそこに神秘主義的なネオプラトニズムが習合して、独特の星辰信仰が行われるに至り、それがイスラムの時代になってからも続いていました。

西暦830年、アッバース朝第7代カリフ、マームーンは、そんなハッラーンの民にお触れを出します。「イスラム教に改宗するか、それともイスラム教が公許する他の宗教(キリスト教、ユダヤ教、サービア教)に改宗するか、さもなくばジハードだ!」
そこで、ハッラーンの民は止む無くイスラム教やキリスト教に改宗し、また古来の信仰を棄てたくなかった一部の人々は、サービア教徒を名乗ることになったのです。サービア教は、その頃すでに正体がはっきりしなくなっていたので、「これはサービア教の儀礼なのです」と言い逃れをするには好都合だったからです。

学問が花開き、一時はイスラム世界の文化の中心でもあったハッラーンですが、11世紀の前半、周辺の窮乏したイスラム教徒の民兵組織に襲われて、サービア教徒の神殿やコミュニティは徹底的に破壊されてしまいます。悠遠の歴史を持った拝星教徒が、この世から姿を消したのは、それが原因とも言われます。そして大都ハッラーンも、13世紀にはモンゴル軍に攻め滅ぼされて完全に廃墟と化し、今は城壁の一部が、乾いた大地に空しく立つのみ。

その上空を、月と星は千古の昔に変わらず、静かにめぐり続け…。


■参考
○ウィキペディア:サービア教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%A2%E6%95%99%E5%BE%92
○同:ハッラーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%B3

囲繞する、何か(12)…剥製の眼が光るとき2009年11月10日 21時34分32秒

食べるための仕事が、いわゆる小忙し状態。
というわけで、またもカプセル怪獣的な「囲繞」シリーズの登場です。

今日は天井近くで常に眼を光らすミミズク。
戦前の品ですが、眼光は依然として炯々として鋭いです。

ヴンダーな小部屋に剥製は欠かせぬ住人。なれども、しかし―。
私は、下の記事を読んで以来、ちょっと剥製には微妙な感情を抱いていることを告白しておきます。

■フランスアート界底辺日記:消えちゃったアート作品
 http://kanaparis.blog59.fc2.com/blog-entry-296.html