必ずしも賢治ファンとは言えないかもしれない一般読者が読む「銀河鉄道の夜」2009年12月01日 06時49分33秒

(新潮文庫版・『銀河鉄道の夜』。↓の朝日の企画では、これを元にしているようです。)

さて、ジョバンニの話を進めようと思うのですが、その前にまた新聞ネタです。

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朝日新聞の読書欄(日曜日)では、毎月1冊課題図書を決めて、読者が感想文を投稿する 「重松清さんと読む/百年読書会」 という企画があります。で、12月の課題図書は『銀河鉄道の夜』。その第1回は、すでにこの前の日曜日に掲載され、これから全4回に渡って続く予定です。

投稿者の方は、もちろん皆さん相応に読書家なのでしょうが、それでも賢治作品とどうしてもソリの合わない人もいます(どんな作家でもそうでしょう)。こういう「名作」は、何となく表立って批判することを憚かる雰囲気もあるわけですが、この企画は、その趣旨からして、ズバリ「この話はちっとも分からん!」と言い切っても全然構わないので、そこに一種の爽快味があります。

<三度読み返したが、なにが書いてあったのかさっぱりわからないし、イメージを結ぶことがまったくできなかった>(東京都・宮地真美子さん・77)

<何度も読んだが、ヒントどころかとりつく島もないというのが正直なところである>(東京都・木元寛明さん・64)

まさにおっしゃる通り。
何を隠そう、私自身も「銀河鉄道の夜」については、よく分からなく感じている1人なので、こうした意見には大いに共感を覚えます。もちろん、あの作品は未完成稿なので、賢治も現状に満足しているとは限りませんし、おそらくプロットも、文章も、もっと練りたかったんではないかなあ…と思います。

これは恐る恐る言うのですが、あの作品はかなりの「悪文」―と言うと語弊がありますが、少なくとも「名文」とは言えないように思います。作品テーマも「捨身と利他行のススメ」という風に圧縮すると、通俗道徳以外の何物でもなくなってしまうので、結局「銀河鉄道の夜」で最も成功しているのは、「銀河鉄道の夜」という詩的タイトルそのものであり、次いで<2人の少年が銀河鉄道に乗って旅をする>という美しい場面設定ではあるまいか…と思うのですが(←以前も書いたかも)、他の方がどんな感想を持たれるのか、これからの連載が楽しみです。

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皆さんはどんな風に思われますか?

ジョバンニが見た世界…銀河の雑誌と大きな本(3)2009年12月03日 20時00分24秒

この「ジョバンニが見た世界」という続きものは、作中のアイテムについて、作者である賢治が念頭に置いたであろうものと、一読者である私が作品から勝手に思い浮かべたものとがゴッチャになっているので、何だか分かりにくいのですが、基本は後者です。

賢治の生きた時代や、その生活圏から来る制約を考慮しつつも、「たぶんあの作品世界が現実とオーバーラップしていれば、こんな風なモノではないかな…」と思えるもの、あるいは賢治に見せたら、最初はちょっと意外な顔をするかもしれませんが、「これはいいスナ…」と笑って頷いてもらえそうなものを挙げていこうと思います。

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さて、銀河の雑誌と大きな本の話。雑誌の方はその正体が少し難しいので、先に本の方を考えてみます。

「カムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さ
んの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがという
ところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々の
ある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。」

この文のポイントは何と言っても「写真」でしょう。
11/28の記事で、この作品の時代背景を「20世紀の初めごろ」と決めつけましたが、19世紀の天文学書には、写真がまだほとんど使われていなかったので、これはほぼ必然的に20世紀の印刷物ということになります。

ただ、「20世紀の初めごろ」というのは、ちょっと留保が必要かもしれません。文中には「巨きな本」とありますが、文字通り「大きなサイズの天文学入門書」の出版が相次いだ時期があって、教養人であるカンパネルラのお父さんの書斎にも、きっとそんな本があったと思うのです(もちろんフィクションなので、「真相」は闇の中ですが)。

その時期とは、1920年代です。
上の画像はそうした本の例です。英独仏語圏から1冊ずつ選んでみました。

上から、

■カミーユ・フラマリオン(著)『万人の天文学』
 Camille Flammarion,
 Himmelskunde fur das Volks.
 N. Zahn, Neuenburg, 1920年ころ(刊年なし)
 (フランス語原著Astronomie Populaireに独自の挿絵を増補したドイツ語版)

■T.E.R.フィリップス・W.H.スティーブンソン(編)『宇宙の偉観』
 T.E.R.Phillips and W.H.Steavenson (Eds.),
 Splendour of the Heavens.
 Hutchinson, London, 1923

■アルフォンス・ベルジェ(著)『天空』
 Alphonse Berget,
 Le Ciel.
 Larousse, Paris, 1923

いずれも大きいですね。一番下の『天空』は高さ32センチ。
そしてどれも重いです。試みに量ってみたら、3冊合わせて9.2キロありました。本の大きさもそうですが、写真を刷る関係なのでしょうが、紙がまた重いのです。カンパネルラが書棚から取り出すときには、十分注意しなければなりません。

この時期に、こういう写真図版を満載した巨大な本が登場した背景には、前世紀末から進展しつつあった、多くの複合的な要因が思い浮かびます。天体写真術の改良、巨大望遠鏡の建造ブーム、印刷術の進歩、そして大衆文化の爛熟…などなど。

天沢退二郎氏は「銀河鉄道の夜」の世界に、イタリアの少年小説『クオレ』の影響を見ており(※)、「銀河鉄道の夜」には、19世紀の文物も顔を出しているように思うのですが、この「巨きな本」については、賢治が「銀河鉄道の夜」を執筆していたのと同時期の、わりと新しいモノという気がします。

(※)「別冊太陽・宮沢賢治 銀河鉄道の夜」、平凡社、1985への寄稿(pp.8-9)。アミーチによる『クオレ』の原作は1886年に出ており、日本でも大正時代に複数の邦訳が出されました。

(この項つづく)

さようなら、学研の科学2009年12月04日 22時08分22秒

今朝の新聞で、学研の「科学」と「学習」が来年3月で休刊するというニュースが大きく報じられていました。要するに事実上の終刊でしょう。

朝日の記事によると、2誌の最盛期は1979(昭和54)年で、合計670万部を記録したそうです。「しかし、少子化や主婦層の在宅率の低下、子供たちの価値観の多様化などの影響で『最近は部数が最盛期の10分の1を大きく下回る状態』(同社)が続いていた。『学年別総合雑誌が時代のニーズに合わなくなった』と判断し、休刊を決めたという。」(朝日新聞、2009年12月4日)

「学研の科学」は、私自身はもちろん、息子たちも毎月購読していて、親子2代でお世話になりました。休刊と聞いて万感胸に迫ります。

上の写真は『不思議・たのしい実験室―学研のふろく30年』(INAX、1989)。
私が「懐かしいなあ…」と思って手にとったこのブックレット自体、すでに20年前の代物ですから、時代の移り変わりは、もはや如何ともし難いのでしょう。この際ですから、この本に拠って、「科学」誌の沿革を少し書きつけておきます(さっきアマゾンを見たら、この本は現在でも1996年刊の第3版が入手可能のようです)。

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上記の朝日の記事によれば、「科学」の方が後発誌で、「学習」は1946(昭和21)年、「科学」は1957(昭和32)年の創刊…とありますが、これは少し注釈が必要です。

57年に創刊されたのは「○年の科学」の前身である、「たのしい科学」誌で、これは後の「科学」とは違って、一般の書店で店頭販売され、教材(ふろく)もまだ付いていませんでした。売れ行きは今一つで、3ヶ月であえなく休刊。

その後、1960(昭和35)年に、同誌は「科学の教室」として復刊され、付録を定番化すると同時に、1963年(昭和38)年には「○年の科学」と改題されて現在に至る…というわけです。

「科学」の沿革といえば、「科学」をどこで買ったかで、その人の年齢が分かるという話があります。「科学」を学校の敷地内で売っていたのを覚えている人も多いと思いますが、あれは1971(昭和46)年までで、この年の4月に日本消費者連盟が「神聖な学校を商売の場にするとは!」と噛みついたために、以後は「校門の外」、「学校の近くの空き地」、「学校近くの文房具屋」…という風に追い立てられて、ついにパートの女性(教育コンパニオン)による宅配方式に切り替わったのだそうです。

ところで、昔の学校直販方式は、先行誌である「学習」が先に採用していたのですが、何故やすやすと私企業が学校の内部に入り込めたのでしょうか?

「『学習』が創刊された当時は、レッドパージで公職を追放されていた先生が全国にたくさんいましてね。この方たちを直配所長として組織し、決まった日に学校に出向いてもらって『学習』を販売していたわけですよ。『科学』の販売もこの組織に乗せて行っていたんですよ。」(元「5年の科学」編集長・渋谷一夫さん)

「科学」の陰に戦後秘史あり―。
戦後の理科振興ムーヴメントの申し子とも言える「科学」の誕生と発展。
今、その休刊とともに、一つの「戦後」が終わろうとしているのかもしれません。


※上の記事は、串間勉(著)『まぼろし小学校』(小学館、1996)も一部参考にしました。

ジョバンニが見た世界…銀河の雑誌と大きな本(4)2009年12月05日 21時29分23秒

きょうは朝から冷たい雨が降り続いていましたが、
夕暮れになって俄かに太陽が顔を出しました。
黒雲と白雲が重なり合う空を茜色の光が染め、
息をのむような黄金世界が、ほんの一瞬、この地上を覆い尽くしました。

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さて、ジョバンニとカンパネルラの住む町に話を戻して、
彼らはきっとこんな本↑を開いていたんではないでしょうか。

アルフォンス・ベルジェ『天空』(1923)の1ページ。
右ページのキャプションには、「天の川の縁の光景。たて座の恒星雲。ヤーキス天文台のE.E.バーナードによる撮影(露出時間5時間30分)」とあります。

この本には、他にもヤーキス天文台やウィルソン山天文台で撮影された、目を惹く銀河の写真が何枚も載っています。

ヤーキス天文台の主力は、1897年完成の102センチ屈折望遠鏡、ウィルソン山のそれは1917年完成の254センチ反射望遠鏡です。それぞれ屈折式、反射式として、当時世界最大を誇りました(驚くべきことに、ヤーキスは今でも世界一巨大な屈折望遠鏡です)。

アメリカの巨人望遠鏡は19世紀の末に至って、フランス人の愛国心と想像力をはるかに超えたレベルにまで進化を遂げ、フランスの天文学書でも、それらの望遠鏡で撮影された写真がなければ紙面構成ができなかった…のだと思います。

ジョバンニたちが、その名前から想像されるように、イタリアの地方都市に住んでいたとしても、事情は変わらなかったでしょう。

こうした新時代の天体写真が、20世紀の人々の<宇宙>イメージを形成する上で圧倒的な力を持っていたことは間違いなく、それは賢治の創作活動にも影響したことでしょう。

(この項つづく)

100年前、雪はあくまでも深く…ウィルソン山天文台2009年12月07日 17時54分53秒

おとといの記事からの連想で、今日はウィルソン山天文台について。
検索して分かったのですが(昔のことはだいぶ忘れています)、同天文台については、3年前に記事にしていました。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/06/07/395741
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/06/09/398830
この際ですので、同天文台の古絵葉書をもう1枚貼っておきます。

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全山の銀世界。
静かな山中に、ときどき梢から落ちる雪の音だけが響き、あとはまた静寂…
セピアの色調もいいですね。

この古絵葉書は、住所欄と通信欄の境界線がない ”Undivided Back” と呼ばれるタイプで、アメリカでは1901~1907年に限って発行されました。
ウィルソン山の100インチ望遠鏡は1917年の完成ですが、天文台自体は1904年にオープンしているので、これはオープン間もない頃の写真かな?と思います。(でも、写っているのは、後の100インチ望遠鏡用ドームなので、ちょっと年代は曖昧です。)

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季節柄、雪景色を見るとクリスマスを連想します。
街に出ても、クリスマスムード一色ですが、温暖なわが町には、当然白いものなど影も形もなく、その点はちょっと寂しいです。

ウィルソン山はどうかな?と思って、同天文台のサイトを見に行ったら、うまい具合に100インチドーム周辺のライブ映像が中継されていました。高さ150フィートの太陽塔望遠鏡からの眺めです。

■The 150-Foot Solar Tower Current Towercam Image
http://www.astro.ucla.edu/~obs/towercam.htm

この記事を書いている今(朝です)、向こうは昼下がりの時間帯。今日はとても霧が濃くて、最初カメラの故障かと思いましたが、しばらくしたら、木立の合間に立つ白いドームがぬっと現われて、ちょっと感動しました。

が、白いのはドームだけで、雪はゼロ。
周りの冬木立も、まだ晩秋の景のように見えます。温暖化の影響でしょうか?
でも、現在の気温は華氏41度(摂氏5度)と表示されているので、やっぱり結構寒そうです。クリスマスの頃にはきっと一面の銀世界、そして空には満天の星…だといいですね。

【付記】
ふとカレンダーを見たら、今日は二十四節季の「大雪」でした。暦の上では早くも雪見気分。この後は、冬至、小寒、大寒、立春…と続きます。

近況 (付)ハーシェルの望遠鏡座のことなど2009年12月09日 22時25分28秒

いつもながらの繰り言ですが、ここに来て、食べるための仕事と日本ハーシェル協会の用務が、またぞろ立て込んできて、記事の間隔が少し開いています。師走はやっぱり忙しいです。


ところで、天文関係の話題として、ハーシェル協会の掲示板(http://6615.teacup.com/hsj/bbs)に、先ほど「ハーシェルの望遠鏡座」(※)について記事を書き込んだので、興味のある方はご覧ください。さらに書き込みなどしていただければ、大いに有り難いです。どうぞ、よろしくお願いいたします。


(※)18世紀に作られた新星座の1つで、今は消滅した過去の星座です。

ちょっと留守にします2009年12月10日 21時37分24秒

どうも身辺がバタバタしていて、記事を書けぬまま、明日からちょっと中国に出かけます。
ネットを使えない環境なので、SPAMコメント対策として、留守の間一時的にコメントを承認制に変更します。どうぞよろしくお願いします。
帰宅は来週火曜日の予定です。

ストーンヘンジがやってきた(1)2009年12月16日 21時30分50秒

昨夜、帰宅しました。
観光以上、仕事未満の旅で、ちょっと疲弊気味。

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それはさておき、町を歩けば、いよいよクリスマス一色ですね。
皆さん、クリスマスプレゼントはもう決めましたか?ちょっとひねりが欲しいという方は、テーブル上で楽しめる、可愛らしいストーンヘンジの模型なんかどうでしょう。

■Stonehenge: Build Your Own Ancient Wonder
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/0762430176/ref=ox_ya_oh_product

ストーンヘンジは、このブログの流れからすると一寸異質なアイテムですが、天文学史の本には欠かせない、古代の宇宙ロマンを掻き立てる存在。

上の画像は、撮影用にあわてて並べたので、実物と違ってしまった部分もありますが、モノ自体は結構リアルにできています。アマゾンだと1,300円弱ですから、メインのプレゼントに添えて、インパクト狙いで渡すのがいいかもしれませんね。

「ストーンヘンジは、春分や秋分、夏至や冬至を観測するために新石器時代人が作った施設で、古代ケルトの頃にはすでに謎めいた存在だったんだよ。」「そもそもクリスマスは、古代の冬至の祭がキリスト教に受容されて成立したものでね」云々…というような蘊蓄をたれながら、もったいぶって渡すのが吉かも。



【付記】旧石器→新石器に修正。ちょっと遡りすぎました。

ストーンヘンジがやってきた(2)2009年12月16日 21時36分06秒

まだストーンヘンジの実物を拝んだことはありませんが、こうして目線を低くして眺めると、何となくその場の空気が感じられるような…

ジョバンニが見た世界…銀河の雑誌と大きな本(5)2009年12月17日 23時17分35秒

(12月5日の記事のつづき)

ジョバンニとカンパネルラが見た「大きな本」のイメージとして、フィリップス&スティーブンソンが編んだ『宇宙の偉観』(1923)の1ページも挙げておきます。パッと見は、先日載せたベルジェの『天空』とほとんど同じですね。

日本でいえば大正末年あたりに、こうした体裁の本があちこちで出版されており、それが「銀河鉄道の夜」の一節と響き合っているように、私は感じます。

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さて、話が前後しましたが、2人の少年は「大きな本」を眺める前に、「雑誌」に見入っていたのでした。

「たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだ
のでしたが〔…〕それはいつかカムパネルラのお父さんの
博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌の
なかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、
その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本を
もってきて〔…〕」

ここに出てくる「雑誌」とは何でしょうか?
この雑誌を購読していたのが「お父さん」だったら、一般読者を対象としたポピュラーサイエンス誌、カンパネルラだったら、少年向け科学雑誌だろうと、なんとなく想像されます。いずれにしても、その天文に関する記事は、少年たちでも「読む」ことができたのですから、専門誌でないことは確かです。

上の画像には銀河の写真が2枚写っていますが、キャプションを読むと、左側の大きな写真(E.E.Barnard 撮影による、へびつかい座ρ星付近)は、「ナリッジ(Knowledge)」誌からの転載だとあります。

同誌は、有名な天文学者であり、天文啓発家でもあったR.A.Proctor(1837-1888)が編集人となって1881年に創刊され、1917年まで続いた雑誌です(Knowledge: an Illustrated Magazine of Scienceが正式名称)。

専門的なジャーナルではなしに、一般人を対象にしたサイエンス・マガジンが登場したのは、イギリスでは1860年代らしく、そうした流れを受けて、1869年にはあの「ネイチャー」誌も創刊されました。(今では“権威ある学術誌”の代表格である同誌ですが、出発時点ではあくまでも一般誌です。当時の出版界の事情は、同誌のサイト(※)に簡単な記述があります。ちなみにナリッジ誌と同じく、ネイチャーの初代編集者も、天文学者(=Norman Lockyer;1836-1920)だったのは興味深い点です。)
(※)http://www.nature.com/nature/history/timeline_1860s.html

イギリス以外の雑誌事情はよく分かりませんが、温厚博学の士であったカンパネルラのお父さんも、きっとそんな類の雑誌を購読し、居間や食堂に読みさしを置いていたのではないか…というのが、まず思い浮かぶ仮説です。

(この項つづく)