日食絵葉書、解けた謎と残る謎2010年07月02日 21時31分47秒

いつの間にか7月ですね。
暑中お見舞い申し上げます。

ブログの本格再開は、1週間後を予定していますが、それまで間があるので、リハビリ代わりに、ぼつぼつ記事を書いてみます。

【7月3日付記】
暑中見舞いというのは、梅雨明けから立秋までに出すのがナラワシだそうで、ちょっとフライングでした。それと、本格再開云々とか、煮え切らないことを言わずに、今日から再開することにします。

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継続は力なり。下手なブログも続けてみるものです。
最近、4年越しに解けた謎があります。それは上の絵葉書の正体にまつわるもの。
問題の記事は以下。

記事の中で、自分は以下のように推測しています。

「最初は地元のカレッジ関係の品かな…と思いました。いかにも同地の
女子カレッジで天文学を学ぶ女性が投函するのに相応しい品だからです。

しかし、ブリッジトンというのは小さな町なんですが、いくら調べても
それらしい学校が見つかりません。ムムム???と思いつつ、さらに
調べてみると、1932年8月31日にメーン州で皆既日食が見られたことが
分かり、どうやらこれは日食を当て込んだ記念絵葉書らしい、と見当が
付きました(真ん中の「メーン州ブリッジトン」という部分に、他の地名を
入れた別バージョンも作られたのではないでしょうか)。」

そして、今回見つけたのは下の絵葉書。


全く同じデザイン(裏面も同一)でありながら、「ブリッジトン」のところが「デトロイト」に差し替わっています。となると、上の推理はどうやら当りで、我ながら冴えてるなあ…と自画自賛したのでした。

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ここまではお目出度い話。
しかし、すべての謎が解けたわけではありません。というのも、20世紀前半に北米で見られた日食地図がNASAのサイトにあるのですが、それによると1932年の日食はデトロイトでは観測できず、同地で日食が見られたのは、もっと前の1925年1月24日のことらしいのです。

となると、この必ずしも秀逸とは言いかねるデザインが、7年間―あるいはそれ以上―も使い回されていたわけで、それも何となく解せない話。でも、モノがある以上、事実は多分そうなのでしょう。

いつの日か、第3第4の類例が見つかれば、その辺の事情も明らかになることでしょうが、それまで「天文古玩」が続いているかどうかは、神のみぞ知る、です。

「骸骨 (がいこつ)」 が窓から外をのぞいています!2010年07月03日 07時44分54秒

理科準備室に人目を避けて置いてあった人体の骨格模型(骸骨の模型)が、
ある日突然理科準備室の窓から外をのぞいていました。


骨格模型を動かした犯人は、いったいだれでしょう。
理科準備室には子どもだけでは入れないので、
子どもたちが動かせるはずはなく、また、教職員に聞いても知らぬ、存ぜぬ。
骨格模型が自ら動くわけもなく、犯人捜しは今も続いています。 (2009年9月22日)

  ■   □   ■

京都市東山区にある新道小学校のサイトより。
リンク先には別テイクの画像もあります。

何とも素敵な学校ですね。そして素敵な記事です。
「骸骨」が窓から外をのぞいています!
…と声に出して読むと、いっそう良い感じです。

それにしても気がかりなのは、捜査の行方。
(私の推理では○○○○○○の仕業だと思うんですが…)


近くて遠い甲殻類…ふたたび驚異の部屋のはなし2010年07月06日 06時59分20秒

またか!と思われるかもしれませんが、またぞろ部屋の片付けをしていました。
今回の目玉は、ふだん手を付けられなかった、戸棚の奥に手を伸ばしたことです。


で、エビやらカニやらが入った箱を開けて、久しぶりに(たぶん3年ぶりぐらい)に中身と対面したのでした。箱の中をざっと掃除して、防虫剤を入れて、次に対面するのは、また3年後ぐらいでしょう。

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日ごろ話題にすることのない、こういう標本が何故あるかといえば、もちろん甲殻類自体のフォルムの魅力もありますが、もっと直接的には、東大総合研究博物館(小石川分館)に、古い甲殻類の標本が陳列されているから…という、単純極まりない、ある意味バカバカしい理由が大きなウェイトを占めているのです。

(↑以前の記事より。壜詰め標本の下に並んでいるのが甲殻類標本)

小石川で現在も行われている「驚異の部屋」展は、私が云うところの「理科室風書斎」のイメージ源の1つになっていて、私の部屋は、あの展示にかなり影響されています。“西施の顰みに倣う”という言葉がありますが、ちょうどそんな塩梅。半ば思考停止状態で、無暗矢鱈と有り難がっているわけですね。

とはいえ、本家「驚異の部屋」に居並ぶエビやカニは、子供が抱えて持つぐらいの大きさがありますが、我が家のそれはヒョイと指先でつまめるサイズ。全体のスケール感の違いが、こういう細部にもよく表れているなあ…と、つまらないことに感心します。
単純に床面積を比べても、「ひとり驚異の部屋」は、本家「驚異の部屋」の200分の1ぐらいしかないので、何となく「ドールハウスの驚異の部屋」っぽい光景になるのはやむを得ません。

いやいや、このドールハウス的な、いじましい驚異(というか執念)こそ、本家にも存在しない、この陋屋独自の驚異的要素かもしれんぞ…と思ったりもします。

夏のおすすめは <泡立つ天文学>2010年07月07日 07時14分10秒

昨夜ウトウトしていたら、突然はげしい雨が降り出し、びっくりして飛び起きました(窓を開けて寝ていたので、音が良く聞こえたのです)。まさに沛然といおうか、轟然といおうか、恐ろしさを感じるような雨でした。

せっかくの七夕ですが、今夜も大気が不安定だそうで、天の川よりも、地上の川に気を配る必要がありそうです。

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それにしても暑いですね。そして蒸します。
ヘビーな天文マニアの方も、星など見えない晩には、“ミルウォーキー流の天文学”を実践されてはいかがでしょうか。


じっくり「観測」すれば、雲底にジョッキと腸詰の星座が見えるかもしれませんよ。

なお、この絵葉書は私の所有ではなくて、eBayで見かけた画像を流用しています。
今日現在、まだ即落価格35ドルで売りに出ているので(→こちら)、拝酒・拝星教徒の方は、ぜひ座右にいかがでしょうか。
(値段が強気なので、私自身は購入を控えましたが、何にせよ絵柄は最高ですね。)


棚の奥から(1)…眼球構造模型2010年07月08日 22時21分21秒

この前の片付け談のつづき。

なぜ片付けの手が及ばない場所が生じるかといえば、理由は簡単。
これは多くの人がやりがちだと思いますが、既存の品の手前や上に、どんどん物を置いてしまうからです。面倒臭いので、ついそうしてしまうのですが、これは収納方法としては最悪で、たぶん「収納」の名に値しないと思います。

こういうのは最初の計画が肝心。最初にエリア設定や将来構想をしっかり立てておかないと、うまくないですね。この辺はより大規模な都市計画とまったく同じです。いわば、私の部屋では、今収納のスプロール化が生じているのです。今こそ、強力なリーダーシップで再開発が求められているのです!…とアジるほどのことでもありませんが、なにしろ困ったことです。

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さて、奥のものに到達するには、その手前や上に置かれた品を、いったん全て撤去する必要があり、この機会にいろいろ写真を撮ったので、そんなものを漫然と載せます。いわばエビ・カニに至る道程の記録です。

ドンと出たのは、言わずと知れた眼球模型。


メーカーは、今はなき老舗の前川。


マリスはそのブランド名だったらしいのですが、後に正式な社名となりました(前川科学機器製作所→東京前川科学→(株)マリス)。

(↑1955年の広告)

いちばん上の画像を見ると、誰でも目玉おやじを連想すると思いますが、横から見ると、付随する筋肉(外側直筋や上斜筋等)がスッとなびいて、結構細長い姿をしています。何だか流線型で、空を飛んだら速そうですね。


人は目で語る動物だからでしょうか、眼球を愛好する人は少なからずいるようです。目玉おやじの人気も明らかにその反映でしょうし、東大に残る最古の紙塑製人体模型が眼球模型(1863年フランス製)だという事実にも、偶然以上の理由があるんじゃないでしょうか。


棚の奥から(2)…ユカタンビワハゴロモ2010年07月10日 10時24分04秒

片付け道中記の2回目は、南米に住むユカタンビワハゴロモの標本です。
一見、蛾のようにも見えますが、セミやカメムシに近い仲間(半翅目)です。

擬態の例として有名な昆虫。
頭部の先がまるでワニの顔のように見えて、これと後翅の目玉模様とで外敵を驚かす…というのですが、実際のところ、どの程度効果があるんでしょうか。

…と思って、荒俣宏氏の『世界大博物図鑑』(第1巻、蟲類)を開いてみたら、さすがに遺漏がなく、同書はこの虫をヨーロッパに最初に紹介した女流博物学者、マリア・シビラ・メーリアン(1647-1717)筆の美麗な図を掲げつつ、彼女がこの虫の頭部が光ると報告したエピソードや、それに言及したロジェ・カイヨワのこと、そして「ワニの擬態」説は、どうもジュリアン・ハクスレー(1887‐1975)の発言に尾ひれがついたらしいことが書かれていました(荒俣氏自身はこれを「突飛な説」と述べています)。

結局のところ、この奇怪な頭部の正体は、今もって謎のようです。したがって、効果のほども不明。(たぶん、人間相手には効果がありそうですが、人間が新大陸に進出するはるか以前から、彼らはこんな出っ張りを鼻先にぶら下げていたはず。)

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この標本は昔、昆虫趣味の「西の聖地」、岐阜の名和昆虫博物館(http://www.nawakon.jp/)で買いました。同館は1919年(大正8)に開館し、建物も当時のまま。隣接する記念昆虫館の建物はさらに古く、1907年(明治40)の竣工です。

うん、この夏は久しぶりにまた訪問してみようか…と、記事を書きながら思いました。
こんもりした金華山の緑と、真っ白な入道雲をバックに、きっと素敵な景観が味わえることでしょう。

名和昆虫翁のこと2010年07月11日 20時00分47秒

今日は参院選の投票日。
私のところは小学校の体育館が投票所で、投票に行くたびに、草むす中に立つ百葉箱を眺めたり、理科室の中をチラリと覗いたりして、言葉にならない感興を催すのが常です。(もちろん投票も真剣にしました。)

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さて、昨日のおまけの話題。
写真は、名和昆虫研究所を写した戦前の絵葉書です。


向って左が、明治40年完成の特別昆虫標本室(現・記念昆虫館)で、右側が大正8年にできた昆虫博物館の建物です。標本室の手前、大樹の根元に立っているのは、同じく大正8年に建てられた昆虫供養のための「昆虫碑」。これらの建物と碑は、いずれも建築界の重鎮・武田五一(後に京都帝大建築学科教授)の設計になるもので、建築史的にも貴重な存在。

博物館の運営母体である 「財団法人・名和昆虫研究所」の創設は、明治29年(1896)ですから、すでに100年以上の歴史と伝統があります。

創設者の名和靖(1857-1926)については、とりあえずウィキペディアを参照してください。
ウィキペディア:名和靖 

彼の名前をいちばん有名にしたのが、明治16年(1883)にギフチョウを発見・命名した事績ですが、同研究所は別に優雅に蝶を追っていたわけではなく、害虫防除・益虫保護を目的とした「応用昆虫学」の振興をその目的としていました。

名和の肖像画は、口髭をたくわえ、クワッと虚空を睨む、いかめしい老人の相。名和その人も、「春の女神」と戯れる、夢みがちな人という雰囲気ではないですね。

(↑画像出典:岐阜県歴史資料館

ただし、こういうのは、本当に本当のところは、なかなか傍からは分かりません。
当時も今も、昆虫学を堂々と仕事にするためには応用昆虫学を標榜するほかはなく、内心は根っからの「虫屋」で、「昆虫ロマン派」だったとしても、対世間的には実学的ポーズをとる必要があったのかもしれません。

名和の昆虫への思いを知るために、その処女作 『昆虫世界 薔薇之一株』 (明治30年)を読んだところ、果たしてその真情がよく出ているようでした(この本は、国会図書館の近代デジタルライブラリーで読むことができます)。

本の内容は、名和がまだ岐阜県農学校に在学していた青年時代の経験が下敷きになっています。郷里で祖父が大事にしていた薔薇の木に、沢山アブラムシ(アリマキ)がつくので困る、何とか駆除できないか、そのためにはまず相手をじっくり観察しよう…ということで、名和青年の観察が始まりました。

アブラムシが無性生殖で増える様子、アリとアブラムシの共生関係、クサカゲロウやナナホシテントウ等の捕食者の暮らしぶり、小さなアブラムシのそのまた体内に寄生するヤドリバチの存在。一本のバラを舞台に展開する虫たちのドラマに、名和は深く打たれます。

「以上述ぶるが如く僅に薔薇の一株に於てすら、斯くの如き種々の事実を見出したり。尚能く注意して観察する時は、更に幾多の面白き事実の潜伏するものあらん。是等の研究より漸次広大なる区域に及び、愈々進んで一般生物界の関係をも詳察せば、如何に愉快に如何に有益なるべきやは、到底想像の及ぶべき事にあらず、予は祖父の培養せる庭前の薔薇を害する虫類を除かんと欲して、其種類並に性質を研究する傍、意外にも他に有益なる事実を発見して、生物界の大体をも想像することを得。始めて薔薇の害虫も一概に悪(にく)むべきものにあらず、却て植物をして、下界より上界に遷し、美花を開くに至らしめし大効あることをも知るに至れり。

爰(ここ)を以て仮令(たとへ)目下は有害虫なるにもせよ、直に之を補殺するの念慮を廃し、遂に其侭(まま)に為し置きて他日研究の材料に供したり。噫(ああ)覆載間の事は深遠幽渺にして容易に窺知すべからず。薔薇の一株は真に大洋の一滴のみ。吾等の耳目に触れ、吾等の脳髄に感ずる所のもの、何物か研究の材料たらざらん。観察の宇宙は広く、研究の余地は多し。豈に努めずして可ならんや。」

彼の態度は博物学的であり、そして生態学的でもあります。
生物の網の目が生みだす絶妙のバランスと、それを可能にした進化の神秘。彼は昆虫を切り口に、そうしたものに強く惹かれていったのでしょう。応用昆虫学を表看板に掲げながらも、その関心の的は、「害」も「益」もなく、昆虫の生き様そのものだったように思います。
その点で、彼は確かに「虫屋」には違いないにしても、単なる昆虫採集趣味の徒とは大きく隔たった、ファーブル気質の人でした。

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小西正泰氏の『昆虫の本棚』(八坂書房)によれば、名和靖については、戦時中に2冊の伝記(いずれも子供向けのもの)が出ているそうです。

○平野威馬雄『名和昆虫翁』(学習社、1943)
○木村小舟『昆虫翁・名和靖』(童話春秋社、1944)

彼はずいぶん昔から「昆虫翁」の尊称で、偉人化・伝説化されていたようですね。その点もファーブルっぽい。

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なんだか「おまけ」の方が本編より長くなりましたが、夏なので昆虫の話題に力を入れてみました。

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【余談1】
 かつてNHKが名和のドキュメンタリードラマを作ったことがあるそうです。奥田瑛二が名和を演じたようですが、これはちょっと見てみたいですね。

【余談2】
 ウィキペディアのリンクをたどったら、浅草の大衆演劇場 「木馬館」 の前身は、「通俗教育昆虫館」 という名の昆虫博物館で、その設立者が名和だと書いてありました(明治40年開館)。「えええ!」とビックリ。

棚の奥から(3)…太陽の鳥2010年07月12日 18時40分16秒

「消費税の前にまずやるべきことがあるだろう!」
まことにもっともです。もっとも過ぎて議論にもなりません。
「で、やるべきことをやった後で、どうするつもりか」を語って初めて議論になるのだと思いますが、あんまりその辺が選挙戦では伝わらなかったですね。
意図的に口をつぐんでいたのだとすれば、不誠実な人たちだと思います。

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さて、片付け道中記のつづき。
この旅路は、直線距離にしてわずか30センチぐらいの道のりですが、なかなか通うのは難儀です。ただ、たまに通ると思わずハッとすることもあります。


写真は6センチ角の台座に乗った小さな剥製。
種名がはっきりしませんが、アジアやアフリカに棲むタイヨウチョウ(スズメ目タイヨウチョウ科)の一種です。


頭と尾の碧瑠璃の金属光沢、小柄な体、スッと伸びた嘴。
南米に棲むハチドリとそっくりですが、実際タイヨウチョウには、「旧大陸のハチドリ」の異名があります。彼らもホバリングしながら花の蜜を吸うことがあり、科名のネクタリニーデー Nectariniidae は、花の蜜を神々の霊酒・ネクタルに喩えたものだとか。

日本語の「タイヨウチョウ(太陽鳥)」は英語の sunbird の直訳ですが、その鮮やかなカラーリングは、いかにも太陽の下を舞い飛ぶ熱帯の鳥という感じです。

極彩色の花、巨大な深緑の葉、その隙間からギラリと光る太陽。
小さな剥製を前に座れば、その瑠璃色の羽の向こうに、幻想の熱帯がどこまでも広がっています。

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そろそろ梅雨明けも近いですね。

理科室愛好倶楽部会報 (通巻第1号)2010年07月13日 19時54分16秒

嗚呼、永遠ノ理科室!
理科室ノあともすふぃあニ無限ノ憧憬ヲ抱ク人々ヨ。
共ニ考ヘヤウデハアリマセヌカ。現代ノ理科室事情ノ実相ヲ。

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愛知教育大学の牛田憲行先生による、以下の調査報告書をネット上で拝見しました。

■~小学校教科「理科」の充実と実験授業改善に向けて~
  小学校 理科教育アンケート調査
  http://www.step.aichi-edu.ac.jp/report001.pdf

これは、同大学で今年の2月に開催された「『理科離れ実相調査』ミニ・シンポジウム」の際の資料で、愛知県の小学校で理科を担当されている、現場の先生方を対象にしたアンケート結果をまとめたものです。

その中に以下の設問があります(報告書のp.4、PDFファイルでは9ページめ)。

「17. 教師の多忙化のため、理科室の管理が十分でないため、器具・ 薬品・消耗品の不足や装置の故障があったり、理科室のどこに、何があるのかよくわからない、という声がよく聞かれます。理科備品の管理、「理科準備室の体力」 について貴校の率直な現状、ご意見をお寄せください。」

自由記述式の回答を見て、とても複雑な思いを抱きました。
そして、「理科好き」と「理科室好き」は、やっぱり違うのかなあ…と思いました。

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以下順不同に抜粋。

◆整理棚(木製)が古く、新しいものにしたくても予算がないなど、難しい状況です。◆準備室が狭く、過去の古いものが多いことから、うまく必要なものを整理しておくことができないです。(過去のものは、かつて手作りされたものばかりでなかなか捨て切れない事情があります。)
◆備品がかなり古い。 備品は、なかなか思い切ってすてきれないので、何年も使っていない物がたくさんある
◆何年か前の備品で、現在の指導過程では使用しないものの処理に困っています
◆古い器具が多く使えるもの、現行の教科書に合ったものは半分程度。 整理するにも時間、人手が足りない。
◆理科の準備室がとてもせまい ・古い備品、消耗品がたくさん残っている
器具が古い(備品要望が通らないことが多く、30年前40年前に購入したものを使っている)。
◆夏季休業中に同僚教員2人くらいと3日間くらいで理科室と準備室の整とんをおこなった。しかし、授業で使われるたびに使ったクラスの担任が片づけず、どんどんぐちゃぐちゃになってしまう
◆器具、薬品、消耗品の維持管理を担当だけで行うのは大変であると感じている。備品の管理について、手続きに手間がかかり、なかなか処分ができず、たまっていき、そのことで理科室が混沌とした状態になっているので備品管理の手続きを、もう少し柔軟化してほしい。
◆理科室及び準備室に昭和よりずっと置き続けられているものが多数あり、使えない装置も多い。職務もあるし、部活もある為、時間もあまりなく、正直どこから手をつけていいかわからない。

混沌たる古い理科室!
謎めいた器具であふれかえった理科室!!
先生方はもちろん「これは困ったことだ…」という趣旨で回答されているのですが、私には素晴らしいことのように思えます。「木製の棚」「手作りの教材」、いずれも大いに結構ではありませんか。こういった学校の児童がむしろ羨ましくもあります。

他方、上の流れからすれば当然ですが、以下のような回答もでてきます。

◆夏休みに備品の移動と消耗品の点検をしました。転勤して新しい職場にきたので自分が必要と思うものと以前の人と趣味が違うので過不足、移動がたいへんでした。 消耗品をすてるにせよ、ゴミもお金がかかるので、家に持ち帰ってすてていました
◆3年前、今の学校に来てから、使いやすい理科室に心がけてきました。古い器具を破棄したり、器具の整頓に配りょしてきました。
◆校舎が新しくなり、古い理科室と共に、使用していない古い器具を捨てることができた。 その結果、かなり使いやすくなった
◆今年度4月に赴任し、準備室がひどい状態だった。 夏休みにかなり整備することができた。 「古いものは捨てる」ことが大切だと思う

ああ!古い理科室の空気が失われていく!
捨てたらアカン!
(どうせ捨てるなら…とは敢えて言いませんが、こういう理由によって古い理科室備品が古物市場に出てくるわけですね。)

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現場の先生のご苦労は、たいへんよく分かります。そして、もちろん理科室は、古玩好きの子供ではなく、理科好きの子供を育てる場なのです。

サレド、嗚呼!サレド…
言葉ニナラヌ思ヒヲ、此ノ場デ皆サント共有デキマスレバ幸デス。

「スカイ・アンド・テレスコープ」誌、その70年の歩みを手中に…2010年07月15日 22時15分05秒

じゃんく王さんのコメントで、アメリカを代表する天文雑誌、Sky & Telescope (1941年創刊)の全バックナンバーを収めたDVDが、間もなく発売されるというニュースを知りました。


創刊以来の全818号を、40年代、50年代…と10年ごとに1枚のDVDに収録し、さらに検索機能付きの総索引が1枚付いた、全8枚のボックス入りセットです。

モノクロページも含めて、全頁をカラーで高解像度スキャン。
部分拡大や印刷も自由自在で、テキスト検索も思いのまま。
定価299ドルのところ、今ならなんと249ドルの特別価格!
しかも創刊号の復刻版をオマケにお付けします。
…という、購買欲を大いに煽る心憎い企画。
【7月17日付記 上の太字部分、値段を勘違いしていたので、訂正します。】

「スカテレ」といえば、天文界の流行や話題をことごとく網羅した、戦後アメリカのアマチュア天文史を知るための根本資料。お値段2万何がしというのは、明らかにリーズナブルな価格です。仮に古書で揃えようと思えば、ウン十万円はするでしょう。

雑誌というのは、単行本と違って「手触り」を愉しむよりは、純粋に「情報」として活用されることが多いでしょうし、ナンボ古玩好きの私でも、常に「手触り至上主義」を唱えているわけではないので、これは大いにそそられます。

ただ、私の第一の関心事が「スカテレ」よりももう一寸古い時代に偏っていることと、ひょっとしたら飽きっぽい人がいて、中古品を格安で入手できるかもしれない…というセコイ期待もあって、もうちょっと様子を見るつもりです。

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それにしても、こういう企画が今後あちこちで始まるのでしょうね。
それが更にオンラインで閲読可能になると―今でもそうなりつつありますが―、調べ物のスタイルは、ますます変わっていくのでしょう。