理科室と理科準備室2011年06月02日 20時37分54秒

前の記事で、理科室(理科教室)と理科準備室のことを書きました。
下は両者を並べた珍しい絵葉書です(そもそも理科準備室の絵葉書自体が珍しい)。
奈良県立五條高等女学校(この校名になったのは大正12年。現・五條高校)の光景。


理科室の方は、教室なので当り前ですが、机があって、黒板があって…。ただ、グループ実験に対応して、4人で1卓になっている点に、理科室らしさが表れています。機能的な机や丸椅子も、いかにも理科室らしい。

ただ、端的に部屋として見た場合、ここに格別の「理科的佳趣」があるとも言い難く、それを感じるには、ここで実験や観察が厳粛に(あるいはワイワイと)行われている場面を想像する必要があります。

いっぽう理科準備室の方は、そこにあふれるモノ自体が「理科的佳趣」の源泉であり、またモノの稠密さがヴンダーな味わいを高めています。


標本の入ったガラスケースもあるし、捕虫網もあるし、当然、人体模型もあります。
棚の上に立っているのは何でしょう?恐竜の模型?カンガルーの剥製?

窓からは明るい光が斜めに差し込み、手前の定位置に腰かけた理科の先生は、思わずコックリコックリ…。そんな生活が、何だか無性に羨ましく感じられます。

魅惑の理科準備室 (付・理科室の昭和30年代)2011年06月03日 18時32分44秒

コメント欄でS.Uさんから質問のあった、理科準備室とは何ぞや?」という件について。

最近の様子はよく分からず、また戦前の状況も資料がなくて詳細不明ですが、昭和30年代について言えば、その役割は、以下のように規定されていました。
(※出典:近畿教育研究所連盟(編)、『理科教育における施設・設備・自作教具・校外指導の手引』、六月社、昭和39)。

●教師の教材研究や予備実験をするための研究室であり、かつ、児童、生徒に自由研究やクラブ活動で直接指導する相談室である。
●器具、薬品、機械、標本、掛図、資料等の学習材料が必要に応じて迅速に活用できる合理的、能率的な保管室であること。
●標本、資料の体系的な分類、機械、器具類の効果的な展示を施した科学センターであること。
●児童、生徒の自由研究やクラブ活動をもりたてるような環境を構成すること。
●実験器具の製作、修理などが手がるにできる簡易工作室であること。
●フィルム、テープなどの視聴覚教材、図書、各種の資料、子どもの実験きろくや報告書などを分類、整理した小型の科学図書館であること。

理科準備室とは、研究室であり、保管室であり、科学センターであり、工作室であり、科学図書館である! ああ…こうして文字を打っているだけでも万感胸に迫ります。
こういう部屋がぜひ我が家にも欲しいものです。

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その具体的な姿を、上掲書に掲載された平面図で見てみましょう。


向って右側が理科教室、左側が準備室です。
準備室に居並ぶモノたちに注目して下さい。人体模型と骨格模型、鉱物標本ケース、標本戸棚、薬品戸棚、器械戸棚、電気工作台、飼育・栽培実験観察台…。これで図書戸棚がもっと充実していたら(あるいは図書室と隣接して、自由に行き来できるのであれば)、理科室風書斎の理想形として、まさに言うことなしですね。

下は、もう少し大規模校の設計例。
ここでは理科教室と準備室に加えて、左端に「生徒研究室」のスペースが設けられています。また準備室には暗室が付属します。


実際にこんな理科室が当時あったかどうかは分かりません。あるいは、当時の教育者が夢想した理想像に過ぎないのかもしれませんが、それにしてもこれを見ると、当時の理科教育にかける熱意が伝わってくるようです。

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ちなみに昭和30年代というのは、理科教育振興に国を挙げて注力していた時期に当たります。

理科室好きの方には、理振法」という名が親しく感じられることでしょう。
これは昭和28年に公布された「理科教育振興法」の略であり、戦後の理科室備品の大枠はこれによって決まりました。より詳しく言うと、理振法には「施行規則」という省令が付随し、そのまた別表に「理科教育設備基準」というのがあって、理科室が備えて然るべきモノは、ここに書かれているのです。そして、理科室の備品に麗々しく貼られている「理振法準拠品」のラベルは、この「設備基準」に合致する品であることを示すものです。

理振法準拠品を買い入れるときには、国の半額補助があったため、各学校はこぞってその購入に努め、その努力の甲斐あって、昭和29年度にはわずか15%だった「設備基準」の充足率が、昭和40年度には約70%に達しました(充足率は、備品の金額ベースによる)。

理科室趣味の徒として総括するなら、昭和30年代は、「理科室備品充実の時代」だったと言えるでしょう。逆に言うと、たとえ同じ学校の卒業生でも、昭和20年代から40年代にかけて、各世代の理科室体験は相当異なっているはずです。

(※この項は以下を参照しました。文部省初等中等教育局中等教育課(監修)、『改訂理科教育設備基準とその解説』、大日本図書、昭和41)

嵐のあと2011年06月05日 22時11分07秒

この土日でハーシェル協会の用務に一区切りつけたので、なんだかボーっとしています。
ちょっとノンビリしようと思います。

天使と悪魔2011年06月07日 21時24分23秒



昨日の夕刊に「反物質」の話題が載っていました。

東京大学や理化学研究所などの国際研究グループが、電気的性質が通常とは逆の「反物質」の一種、「反水素」原子を1千秒(約16分間)閉じこめることに成功した。〔…〕反物質は物質とぶつかると、大量の熱エネルギーを放出して消えてしまうため、磁気を利用した真空の装置の中で、壁などにつかないよう、宙に浮かせて閉じこめる必要があった。

…という内容。最近、地上波で放映された「天使と悪魔」(ダヴィンチ・コードの続編映画)をまざまざと思い出しますが、記事もその点に言及していました。

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ところで、「天使と悪魔」というタイトル。
これは、物質と反物質のメタファーなのでしょうか。
あるいは、さらに人間の心にひそむ光と影とか、“客観的事実”も、見る角度によって正反対に見えることもあるとか、いろいろな意味を含んでいるようにも感じます。

「人間の認識や概念は、常に相対的なものでしかない。」
「悪魔がいるからこそ天使もいるし、その逆もまた真である。」
こうした言い回しはあるいは陳腐かもしれませんが、でも確かに真理だと思います。

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仏家の説に曰く、認識の相対性を看破し、差別の念を滅却するとき、そこに悟りがあり、涅槃があるのだ、と。

「さすれば!」 と、熱病に浮かされたように、街頭で熱弁をふるう男の姿が、先日都内某所で目撃されました。「物質と反物質が対消滅するとき、存在は一種のニルヴァーナに達するのであります! 宇宙創成のとき、世界は大いなる光とニルヴァーナに満たされておりましたが、時空に生じたわずかな歪のために世界に迷妄が満ちあふれ、我々のあらゆる苦悩もここに出来(しゅったい)するのであります!! 人々に究極の救いをもたらすもの、それこそが反物質であります!!」

人々の嘲笑をよそに、男はさらに狂的な観念に取り付かれ、ついには某研究施設に侵入し…というような、「天使と悪魔」の東洋的バリエーションを考えてみたのですが、どうでしょうか(梅雨に入ったせいか、脳がだいぶカビてきたようですね)。

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さて、今日のモノは、M.C.エッシャー作の「天使と悪魔」(この作品には、いろいろなバリエーションがあります)を立体化した品。


作ったのはオランダのParastone(http://www.3d-mouseion.com/en/)というメーカー。同社の商品は、これら名画の3Dシリーズが大受けして、近頃あちこちのミュージアムショップで見かけるので、ご覧になった方も多いでしょう。

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「だまし絵」でくくられるエッシャーですが、
その作品は、数学的テーマを内包していることが少なくありません。
端的に、「絵画化された数式」を見るような思いがするときすらあります。
理知的であり、神秘的であるところが、まさに数学的だと感じられます。

(この記事のために、「数学」のカテゴリーを新設しました。)

空と水2011年06月09日 18時36分03秒



エッシャー物の第2弾は、空と水(Air and Water
一昨日の品と同じく、彼のオリジナル版画作品(1938年発表)を、Parastone社がレリーフに仕立てた品です。

今の季節にはぴったりのタイトルですね。
青と黒の対比もシャープで涼しげな感じです。

Down to the Water.

Up to the Air.

気圏と水圏の心地よい交感。

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エッシャーの名を聞くと、数学基礎論やら、システム論やら、認識論やらを詰め込んだ、ダグラス・ホフスタッターの大著、『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(白揚社、1985)を思い出します。この本のあちこちに登場するのが、エッシャーの美術作品とバッハの音楽作品で、読者はそれによって議論の本質を目の前にぬっと突き出されるという趣向でした。


…と知ったかぶりをして書いていますが、実はこの本、いまだに積ン読本の山に埋もれています(要するに未読です)。20年以上も塩漬けになっていて、本には申し訳ないと思いますが、でもこういう風に、読めそうで読めない本ってありますよね。(この場合、読めなさそうで、やっぱり読めない本と言うほうが適切かもしれませんが。)

私の場合は、どうも電車の中で読めない本は、結局読めないことが多いようです。

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ところで、皆さんは淡い青のことを、「空色」と呼びますか?
それとも「水色」?

ルリボシカミキリ2011年06月10日 20時48分12秒

昨日の記事からの連想。

「水色と黒」と聞いて思い出すのが、この洒落た甲虫です。
夏休みの早朝に見た、その濡れたように鮮やかなルリ色を今でもよく覚えています。

死後は無残に褪色してしまうので、この美しさは生命そのものの輝きのように思えます。したがって、写真に写っているのはもちろん本物ではなくて、チョコエッグ・シリーズの動物フィギュアです。

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背景は長野まゆみ氏の小説、『天然理科少年』(角川書店、1996)で、表紙イラストも同氏。長野氏にとっては、ルリボシカミキリこそが理科少年のシンボルなのでしょうか。

もうひとつの世界2011年06月12日 18時01分39秒

今日は明るい曇日で、涼しい風も吹いていたので、ゆっくり昼寝をしました。
体の奥にあった疲れが大分取れました。

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さて、エッシャー・シリーズが何となく続きますが、彼が1947年に発表した、「もうひとつの世界」という作品があります。
下は、前掲 『ゲーデル、エッシャー、バッハ』 に掲載の図。

(さらに大きなサイズの原画はこちら [link] )

本の中では、禅(とゲーデルとの関連)について考察する章に登場するのですが、前後を拾い読みしただけでは、著者ホフスタッターの真意も、エッシャーの創作意図も、まったく分かりません。ただ、次のような一節があって、ここだけは辛うじて分かりました。

「エッシャーはまた『もうひとつの世界』〔…〕のように、矛盾した画像を作り上げるのを楽しんでいた。これらの絵画は、禅が実在性と非実在性を弄ぶのと同じように、実在性と非実在性を弄んでいる。エッシャーをまじめに受け止めるべきだろうか? 禅をまじめに受け止めるべきだろうか?」

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上下左右のねじれた空間(あるいは併存する異空間)の中心で羽を休める人面鳥。「窓」の外には、月面のような光景と、漆黒の宇宙空間が、互に重なり合いながら無限に広がっています。
「では、この絵を見ているキミは、はたしてどこにいるのか?」
怪鳥は、謎めいた笑みを浮かべて、我々にそう問いかけているようです。

その答を知るために、この絵の「中」に我々を連れて行ってくれるのが、このステレオ・ビュアー。


Courtesy Graphics(http://www.courtesy.nl/)というオランダの会社が「The Amazing Card」 という商品名で売り出しているシリーズの1つで、これまたどこのミュージアム・ショップでも、最近では定番になっているので、ご覧になる機会は多いでしょう。
このエッシャー版もなかなかよく出来ていて、この矛盾した、あり得ない視角を臨場感たっぷりに見せてくれます。

この窓をそっと覗けば、

そこには、もうひとつの世界が!

(※怪鳥に対する私の答は、コメント欄に書いておきます。)

星の美と神秘2011年06月13日 21時31分53秒



気分も天候もウェットなので、何となく雨について記事を書きたいと思いました。
で、話題を求めて野尻抱影翁の 『星の美と神秘(昭和21、1946)という古めかしい本を手にとったところ、果して「雨霖鈴」という文章が載っていました。

梅雨連日、檐〔ひさし〕をめぐる点滴の音に、私は屡々〔しばしば〕雨霖鈴の故事を思ひ出す…」 という書き出しで始まる、漢詩文に取材したエッセイですが、内容は唐の玄宗皇帝をめぐる2つのエピソードをつなげたもので、あまり星とは関係がありません。

それよりも、他の文章にふと目を引き寄せられたので、当初の予定を変えて、そちらについて書こうと思います。

(前口上だけで次回につづく)

星の美と神秘(2)2011年06月16日 22時31分18秒



本業の方で突発的な出来事があり、ちょっと間隔が空きましたが、話をつづけます。

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この本で「おや」と思ったのは、銀河についての話題です。より詳しく言うと、地上の川をさかのぼると銀河に至るという話。

抱影翁の引く例でいうと、『荊楚歳時記』〔6世紀の成立〕に、前漢の人・張騫(ちょうけん)が、いかだに乗って銀河まで遡ったという話が出ているらしい。

改めて『荊楚歳時記』を見ると、七月の条にこのエピソードは出てきます。
漢の武帝が張騫を中央アジアに派遣したのは歴史的事実ですが、700年も経つとすっかり伝説化して、いかだで黄河をさかのぼった張騫が、旅先で牽牛・織女と出会うという話に転化しています。しかも、同じ頃、地上からは二星のそばに客星の出現が観測された…という、もっともらしい潤色まで施されて。

『星の美と神秘』には、さらに『剪灯新話』〔明代の伝奇集〕に出てくる、次のようなエピソードも紹介されています。

成令言というのは元代・天暦年間の人といいますから、今からざっと700年前のこと。
初秋のある日、小舟を千秋観〔というのは道教寺院の1つでしょう〕の下に泊めた令言は、鮮やかな銀河を仰ぎ見て、宋之問の古詩「明河篇」を吟じているうちに、世を捨てて仙人になりたいという思いを抱きます。すると小舟がするすると動き出し、まるで何かに引っ張られるように、一瞬のうちに千里を進み、ついに見慣れぬ場所にたどり着きます。

抱影翁の訓みによって原文をあげれば、寒気人を襲ひ、清光目を奪ふ。玉田湛湛として、琪花(たまのはな)瑶草(たまのくさ)その中に生ずるが如く、銀海洋洋として異獣神魚その内に泳ぐが如し」。

令言はそこで織女と言葉を交わして…と話は続くのですが、翁の引用は途中で終っているので結末は不明です。

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いずれも、地上の川をさかのぼれば、人はいつか銀河に行くことができるという、切なくも美しいイメージが基本にあります。「銀河鉄道の夜」のように、突然、場面が転換するのではなく、地上と天上は切れ目なく連続しているのだ…という観念が、今の私には一層好ましく感じられます。

(この項つづく)

星の美と神秘(3)…「銀河の魚」のこと2011年06月18日 10時29分44秒

これら2つの話を読み、また「銀海洋洋として異獣神魚その内に泳ぐが如し」という銀河の描写を読めば、たむらしげる氏の名作「銀河の魚」を思い起こさないわけにはいきません。

「銀河の魚」は、最初コミック作品として発表され(初出は「マンガ少年」1980年9月号)、その後アニメーション化され、その一部はYouTubeでも見られたり、見られなかったりします。
 
(↑すみません、ネットから適当に引っ張ってきたイメージです。以下も同じ)

主人公は天文学者の祖父と暮らす少年、ユーリ。
ユーリは祖父を手伝って星空を観測しているうちに、1つの見慣れない星を見つけます。こぐま座の脇に出現したその星のために、愛らしい小熊の姿は、巨大な怪魚へと変形してしまいます。天上で異変が起きていることを察知した二人は、妖星を討つべく、ボートに乗って川をさかのぼり、やがて光り輝く「星魚」の群れ泳ぐ銀河の中へと…

(「ゆるやかな川の流れをどこまでもさかのぼってゆくと〔…〕ぼくらのボートの下を汽車が通り過ぎ…水の底にもうひとつの海があった」 ‐コミック版より‐)

このストーリーが、中国の故事と同じ構造を持っているのは明らかです。
たむら氏が中国文学から想を得たのかどうかは不明ですが、おそらくは偶然の一致なのでしょう。いや、単なる偶然の一致というよりも、人間のイマジネーションには、時と所を超えた共通性があることを示す例なのかもしれません。

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物語の方は、みごと銛(もり)で妖星を仕留めたユーリと老人が、また川を下って自宅に戻り、それを天上の小熊がやさしく見守るシーンで終ります。

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野尻抱影は1977年に没したので、「銀河の魚」を目にする機会はついにありませんでしたが、もしそれが叶えば、たむら作品にどんな感想を抱いたか、翁に伺ってみたい気がします。