切り取られた大地…地学模型のはなし2012年05月03日 17時39分04秒

風薫る五月。庭のコデマリやノイバラにも愛らしい虫たちが訪れ、子どもの頃に味わった自然観察の興趣が、いっときよみがえります。

今年は突発事態続きで、連休中も心が休まりませんでしたが、ようやく昨日で一段落したので、連休の後半はゆっくり骨休めをしようと思います

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さて、前回のつづき。
地学模型の魅力というのは、一種の「神の視点」にあると思います。巨大なスケールの世界を、掌(たなごころ)に照らして見る快感といいますか。


まあ、たなごころに照らすには一寸かさばるので、普段はお蔵入りしているのが不憫ですけれど、こうして改めて眺めると不思議な美しさがあります。


これは成層火山模型で、モデルとなっているのはもちろん富士山とその周辺地形。
こういうのは、地理の時間にも習った記憶がありますが、ラベルを見るとやっぱり理科教材で、昭和44年の夏休み中に購入したものであることが分かります。お値段は4,270円也。


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「巨大なスケールの世界」と上で書きましたが、それは空間ばかりでなく、時間的スケールについても言えます。


たとえば、この模型は3段重ねになっていて、水理作用による大地の変化を、時間軸に沿って眺めることができます。上から幼年期、壮年期、その下はラベルがはがれていますが、おそらく「老年期」でしょう。


表面がボロボロなのは、素材が樹脂ではなく、木と紙塑(一種の紙粘土)製だからで、購入年代も昭和30年と、他のものよりも一層古い時代の品です。

(雄大な大地のドラマを愛でつつ、さらにこの項つづく)

書斎で大地のドラマを見る…さらに地学模型のはなし2012年05月05日 10時31分16秒

前回の3段重ね地学模型を見てみます。


幼年期の大地。平原を2本の川筋が走っています。


幾万年を経た頃か、壮年期の大地は水の作用によって、深い谷が刻まれています。


川下から見た峨々たる山容。
川の左右に支流ができて、山を削り、大地は複雑な起伏を見せています。


大地が川によって完全に削り取られた老年期。
人間の老年期と違って、大地の老年期は、再びベビーフェイスに戻ります。


うねうねと平らな大地を流れる河。三日月湖も形成されています。
そして、ここからまた新たな大地のドラマが始まるわけです。まさに輪廻ですね。
もちろん実際の大地は、おだやかな水の作用だけでなく、激しい火の作用(火山の噴火や大規模な造山活動)も加わって、いっそう複雑な様相を呈します。
最近は、それに人の手も加わってきました。

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地学模型は、まだ写真に撮っていないのがいくつかあって、文字通り「山積」しています。それにしても、かつての小学校は、どこもこんな風に地学模型があふれていたんでしょうか。どうも、自分の記憶では、せいぜい1つか2つだけだったような気もするんですが、これは日土小学校の先生の趣味なのでしょうか。

ある書斎風景…本の山の傍らで光るモノ2012年05月06日 09時52分33秒

こんな書斎はどうでしょうか。

(Photo by Underpuppy
 出典: http://www.flickr.com/photos/underpuppy/12252359/

本の量に圧倒されつつも、画面をよーく見てください。
画面右寄りに何か金色の筒が…。これは!アンティークの屈折望遠鏡!!
単なる書斎としても魅力的ですが、望遠鏡のおかげで好感度はさらに3割増しです。
「望遠鏡のある光景」として、これは深く印象に残ります(できれば、真鍮製の顕微鏡もどこかに鎮座していて欲しいところ)。

この写真は、米国ジョンズ・ホプキンス大学の人文学部教授、Richard A. Mackseyの書斎です。教授の家は全体がこんな有様で、蔵書数は7万冊だとか。うーむ…

上の画像に驚かれた方、そしてさらに、この書斎の中に分け入ってみたいと思われる方は、以下に動画がありますので、こちらもぜひ併せてご覧ください(別ウィンドウで開きます)。

A Rare Collection (YouTube)
 http://www.youtube.com/watch?v=4rvXUHI331k

動画には教え子たちのインタビューが出てきますが、マクジー先生は学生から愛される名物教授のようですね。ただ、目を凝らしても動画には望遠鏡が出てこないので、教授の天文趣味は、残念ながら、それほどでもないのかもしれません。


(※この驚きの書斎写真は 「住宅デザイン.com」様 の記事を通じて知りました。付記してお礼申し上げます。)

前原寅吉、北の地で怪気炎を上げる(前編)2012年05月07日 22時21分35秒

最後の最後に大変な災厄を残して、今年の連休も終わりました。
ふと、今年もすでに3分の1以上が経過したのか…と気付き、愕然とします。

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以前、明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(1)~(9)」という長文の記事を書きました。

(↑青年期の前原寅吉と大理石製の太陽模型。この模型は、後に日本天文学会会長の寺尾寿に贈られた旨が、『前原寅吉天文論文集』の序文にあります。)

前原寅吉翁(1872-1950)は、八戸で時計店を営む傍ら天文趣味にのめりこんだ、明治時代にあっては稀有な存在で、上の記事はその実像をラフスケッチしたものです。

上の記事を書いた時は、ほとんど一次資料がなかったので、十分翁の実態に迫れませんでした。しかし、昭和7年(1932)に出た『前原寅吉 天文論文集 及身辺雑集』という小冊子のコピーを最近手に入れ、翁のことが少し詳しく分かったので、そのことを書こうと思います。(この冊子は国会図書館に所蔵されており、誰でもコピーを請求することができます。)

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これが表紙。「宇宙互愛研究所」という編者の名前からして、ちょっと微妙な雰囲気が漂います。

(マイクロからの複写なので一寸ピントが甘めです。)

奥付を見ると、「天文山 前原寅吉」の前に、「太陽観望眼鏡発明者、星座時計発明者、太陽光線療法器発明者、日本天文学会特別会員」という長々とした肩書きが付いています。

また冊子の巻末には、「来往文書集」と題して、いろいろな書状類が集められており、その内容は、「赤門出の秀才医学士大村光造先生〔…〕よりの書状」とか、「東洋皇漢医学の大家N氏よりの書翰」とか、はたまた「ユダヤ時代研究の一人者たるS氏よりの書翰」といった、必ずしも天文学とは関係ない人々による、寅吉翁を賛美する内容が続きます。極めつけは、「青森県庁 熊谷社会主事談」による「世界的の天文学者 前原寅吉氏」という一文。

どうも寅吉翁は、謙譲よりも自己賛美を旨とする性格だったように見受けられます。
こう言っては何ですが、こうした特徴は現代で言うところの「トンデモ系」の人を彷彿とさせます。

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肝心の「天文論文」の中身を見てみます。
まず「第一説、音声の昼夜によりて異なる理由」というのがあります。短文なので、その全文を引用させていただきます。(以下、〔 〕内は引用者)

 「音声の速度は物理学上にては一秒時間に三町三間〔=約333メートル〕は定説にして、昼間と夜間とに依り速度の異なる理も亦世人の認むる所なり。而して其の理由に就ては夜間の昼間に比し静粛なるに依るとは古来よりの定説なり。右は多少の差違あるべしと雖も余の愚考する所是太陽の光線の関係するにあらざるか。即ち夜間は昼間の三倍の速さの波動にして、電気の波動も亦同じ。諸動物の血液循環の異なる理も亦医学上に於て認むる所也而して太陽の水線下九十度なる時、即夜の十二時より二時頃までは音声の伝波力最も速し。又日蝕の皆既には夜間と異ならず。満月に於ても光線虚弱なれば音声の波動に及ぼす影響は暗夜の時と格別の違なきを認めたり。故に音声の波動の昼夜により異なる理は、太陽光線の高低の有無によるものと信ず。」

どうでしょうか。正直に言うと、私には最初から最後まで翁の言っている意味がまったく理解できません。私に理解できないから「トンデモ」だと言うのは不遜ですけれど、なんとなくそういう「匂い」を感じます。

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第三説、地球は果して楕円形なるか」というのも興味深い内容です。
地球の形は楕円形(回転楕円体)であるというのが通説ですが、「小生浅学を顧みず茲〔ここ〕に一二の実験を以てせる結果を挙げ、以て地球の楕円形にあらざるべきを論」じようというのです。通説への大胆な挑戦です。

翁は実験の前に、天文学上の「事実」を指摘します。
「太陽を始めとし〔…〕木星及び〔…〕火星も亦〔…〕月等も総べて楕円形なるを認めず」。
一瞬、「え?『楕円形なるを認む』の間違いでは?」と思いましたが、翁はこれらの天体は楕円形ではない、なんとなれば、「太陽、月、木星、火星、を撮影し之を計り見るに、少しも径に長短あることなし」。つまり、写真に撮ったものを物差しで測っても、長径・短径の区別がないから、これらは完全な球体なのだ…と、自信を持って主張します。

で、翁が言うところの「実験」とは何か。
まず直径3尺(=約90cm)の球と、それとほぼ同じ大きさで、南北の径が東西の径よりも4分(=約1.2cm)だけ短い、ひしゃげた「球」を作ります。これを500尺(=150メートル余)の距離に置き、肉眼や望遠鏡で観察したり、望遠撮影したりしてみます。すると肉眼で見ると両方同じに見えますが、写真上で計測すると、「明かに一つの球には径の長短なく、即円形にして一つの球には径の長短なく、即円形なるを認むべし」。
もちろん、これは誤植で、後半は「…一つの球には径の長短ありて、即楕円形なるを認むべし」の間違いでしょう(でなければ文意が不明です)。

要するに、翁は、「実際に、通説が述べる地球と同比率のひしゃげた球体を作って、それを写真に撮ると、写真上でそれが楕円であることは、はっきり計測できる。しかるに太陽等の諸天体の写真を計測しても、それらが楕円であるとは認められない。すなわち、太陽等は楕円ではなく真円であり、そこから翻って地球だけが楕円である道理がない」と言うわけです。

ちょっと論の展開が独特だという気がします。
それに、もちろん正しく写真を計測すれば、これらの天体が扁平であることは明らかなはずで、上の主張は、翁の天文学に関する基礎的理解の程度を示すものと言わざるを得ません。

(後編につづく)

前原寅吉、北の地で怪気炎を上げる(後編)2012年05月08日 22時07分25秒

(↑寅吉翁の号「天文山」を刻んだ印章。『前原寅吉天文論文集』のコピーよりスキャンして加工)

寅吉翁は、凶作克服のために天文学の知識を応用しようという、宮沢賢治ばりの志を持っていたと言われます。このことが、翁を偉人視する大きな理由でもあるようです。
しかし、これまでのことから予想されるように、その所説はかなり怪しげです。

第五説、天候は果して人為に依りて左右せらるゝか」の中で、翁は「人為を以て天候を随意に左右し得らるゝか、否か」、「換言すれば人為を以て、晴天続きに降雨を促し、又は霖雨を霽〔は〕らして晴天となす至極便利なる方法を講ぜん」ことを試みています。

その至極便利なる方法とは、焚火をたくことです。
いわゆる伝統的な日和乞いの習俗ですが、「是等は全く迷信的の遣り方の如しと雖も、其の理由を説明するに於ては全然科学的の方法にして、大に取るべき点あり」と翁は力説します。その理由はまことにシンプルで、「夫れ地上に篝火を焚くや附近の空気は温暖となりて上昇すると同時に、地の寒冷なる空気は其隙間に乗じて入り代り、空気に変動を来すの結果、或は風を起すこともあるべく、或は雨を呼ぶこともある」からだ、と翁は言います。

焚火の上に上昇気流が生じるのは事実としても、果たして、それだけで気候を変えうるものか?

斯く云はば人或は笑ふて言はん。此広き地上に於て或一小局部に篝火したりとて何の功あらんやと。然れども、怪む勿れ、大事小事より起ることを。鍼灸の一局部に施して巧験全身に及ぶと同じ理なり
故に余は断じて云はんとす。晴天を促し、或は降雨を望む際には、風なき時ことに危険なき処へ、朝夕毎日三十分位に篝火をなし以て人為的に天候を動かし得べしと

何だか落語を聞くようです。翁の説が正しいとすると、天候が温和な時には、天候不順になる恐れがあるので、うっかり火を焚くこともできません。翁の誠を疑うわけではありませんが、これはやはり怪説と言わざるを得ないのではないでしょうか。

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翁の天文学応用はおどろくほど広範囲にわたります。
曰く「第八説、星学上より見たる地球の内外を論じ併せて其変化変動を論ず」、曰く「第十説、天文学上より人生の運命を論ず、宇宙学より見れば世に不思議なし」、曰く「第十一説、天文学上より世人無情とする原因を論じ、併せて記憶速成法を論ず」…

(↑寅吉翁が描いた太陽系の図。往時の絵葉書より)

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寅吉翁は、高等教育を受けぬまま成長し、制約の大きい中で精進を重ねた人です。
そうした老翁を、後世の知識で嗤うことは厳に慎まねばなりませんが、しかし、翁の「奇説・怪説」の類もきちんと取り上げなければ、やはり公正さを欠くと思います。

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敬愛すべき寅吉翁に対して、いささか皮肉めいた調子になるのも厭わず、あえてその負の面を書き綴ったのは、寅吉翁を過剰に神格化する動きが最近も続いているからです。

例えば、昨年10月、青森県企画政策部は、『見つけよう!伝えよう!あおもりの人財』マンガ誌(vol.1)というのを発行しました(http://www.pref.aomori.lg.jp/kensei/seisaku/jinzai_manga02.html)。

これは青森ゆかりの著名人を、県内の中高生が取材してマンガ化したもので、そこで寅吉翁は、子供たちに慕われ、世の蒙を啓き、ハレー彗星の太陽面通過の観測に世界でただ一人成功した人として、理想化して描かれています。

取材者である生徒さんの純真は疑うべくもなく、またその取材の不備を責める気も毛頭ありません。何せ、世間にはそういうミスリードの情報があふれているのですから。

問題とすべきは、発行者・青森県の見識です。この事業は、「中高生の自主的取材とその成果を、県として応援しているだけ」なのかもしれませんが、しかし、発行者として青森県に最終的な責任があることは言うまでもありません。

繰り返しますが、寅吉翁については、上記のような、あきらかに「奇説」と言うほかない主張も含めて、もっときちんとその事績を紹介すべきです。現代の言い方では、寅吉翁は「トンデモ」系の要素が多分にある人なので、それを「天文学の大偉人」のように持ち上げるのは問題が大きいと考えます。そうした説が破たんするのは明らかなので、これは教育的にも、むしろよろしくないと思います。

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(日本天文学会発行の絵葉書。1910年)

さて、問題のハレー彗星の一件。
これは寅吉翁を語る上で、もっとも華やかなエピソードで、ウィキペディアも、1910年のハレー彗星の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AC%E3%83%BC%E5%BD%97%E6%98%9F#1910.E5.B9.B4)で麗々しく記述していますが、その出典がはっきりしないことを以前↓書きました。

■「明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(7)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/12/28/5613143

しかし、この小冊子でそれがはっきりしたので、そのことを記しておきます。
結論から言うと、出典は「満州日日新聞」の明治43年(1910)5月下旬(日付未詳)の記事なのですが、文章自体は新聞記者ではなく、寅吉翁自身の手になるものでした。つまり、翁の投稿に基づく記事です。当然他紙にも書き送ったと思いますが、結果的に採用されたのが、外地の満州日日新聞だけだったのでしょう。同紙がこの投稿に敏感に反応した理由は、以前↓の記事で推測まじりに書きました。

■「明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(6)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/12/28/5613140

翁の『天文論文集』に再録された該当記事は以下の通りです。


注意を要するのは、寅吉翁がハレー彗星の観測に成功したのは、「太陽面直接観望用眼鏡」と称する独自の装置を使ったからだという説がありますが(連載(4)(8)を参照)、上の記事を読むと、「右三鏡〔=翁が所持した3種類の望遠鏡〕にて直接望見せんが為黒色硝子を製し観測せしに」とあるだけで、普通にサングラスを使って観望しただけのように読めることです。

当時、他の観測者もサングラス越しに彗星と太陽面を観測していたわけですが、色の変化(彗星が太陽面を通過する時、太陽が青く変じたと言います)を察知し得たのは、寅吉翁だけだったという事実。これは寅吉翁にとって「見る」という行為がどんなものであったかを示すエピソードです。

どうも寅吉翁には、容易に何かを「見て」しまう癖があったようです。
翁の天文論文の第十二説、「太陽のプロミネンスを容易に見る法なきか」には、プロミネンスを簡単に見る方法が説明されています。それは、たらいに水を入れて、そこに太陽を反射させて、白い幕か紙に投映するというもので、そうすると、「例へば間欠温泉の噴出するやうに或は火山の噴火するやうに、又海上ならば竜巻を見るやうに、陸上ならば旋風を見るやうに、或はポンプで空中に水をまくやうに昇るのが写るのです」。もちろん、これは水面の揺らぎや立ち昇る水蒸気によるものに違いありませんが、翁もその可能性を一応認めつつも、3分~5分毎に爆発的に映じる像は、やはりプロミネンスだろうと、自説に強くこだわっています。

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翁は、たしかに常識にとらわれず、ユニークな発見を追求した人です。
ハレー彗星の青い光にしても、水鏡によって捉えたプロミネンスにしても、そのユニークさを証するエピソードだとは思います。ただ、奇想の人であるだけに、その所説の解釈には十分な慎重さが求められると思います。

私が寅吉翁を評価するのは、何も翁が天文学の天才だからとか、学問的に価値のある業績を上げたから…というわけではありません。
そうではなしに、天文趣味がまったく普及していなかった明治時代の日本で ― しかも八戸という、中央から遠く離れた土地で ― 星への強烈な憧れを抱きつづけ、その夢を一生かけて追った天文趣味の大先輩として、深いを敬意を表したいと思うからなのです。

英国王立天文学会 図書室2012年05月10日 21時40分55秒

自分にとって理想の空間とは何だろう?
そんなことを考えながら、ネット上を日々徘徊しています。

本当は、それを自分の頭で考えて、オリジナルの空間づくりを目指すのがホンモノという気がしますが、私の場合は、手っ取り早く他人の真似をして済ませようという安易な心があって、基本的に他力本願です。先日のマクジー教授の書斎も、そんな徘徊の道筋で出会った素敵な空間の1つ。

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日本ハーシェル協会のイベントに参加し、以前(2005年)、ロンドンの王立天文学会(Royal Astronomical Society ; RAS)を一度だけ訪問したことがあります。


天文趣味を標榜する者として、RASの図書室はやはり別格。「理想の空間」を考える際の重要な指針であることは勿論です。


2階分の高さのある部屋は、その2階相当部分にぐるりと歩廊をめぐらし、そこには螺旋階段でアクセスします。当然のごとく四面はすべて本。

もちろん表に出ている本ばかりでなく、書庫に収められた資料も無数にあって、偉大な天文家の手になる天体スケッチ、手稿、書簡など、英国天文学の至宝とよぶべきものがぎっしりと詰まっています。


この図書室はその後改築があったそうで、今は少し違った雰囲気かもしれませんが、この「時の番人」のような落ち着いたムードは、私の内部にかなり深刻な影響を残しています。

もちろん、RASといえども、ここは<図書室>ですから、理科室っぽい雰囲気はあまりなくて、それは別途補わなければなりません。

「けいおん!」の理科室…豊郷小学校旧校舎・理科室(1)2012年05月12日 19時35分28秒

五月晴れ、というのは旧暦時代は「梅雨の晴れ間」を意味したそうですが、現代では、きっと今日のような日を指して言うのでしょう。
濃く青い空、明るい日差し、それでいて大気は清涼で、ちょっと肌寒いぐらいでした。

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さて、古書の部屋に加えて、私の理想空間には理科室テイストが必要なので、久しぶりに理科室の話題にシフトします。

かつて校舎の保存か取り壊しかで揉めた、滋賀県東部にある豊郷(とよさと)小学校。
今では、その校舎風景がアニメ「けいおん!」のモデルになったことで、いっそう有名だそうです(もちろん私は見ていませんが)。

↓の写真は、同小学校の理科準備室。

(出典:日経BPケンプラッツ 「ヴォーリズ設計の豊郷小学校が交流施設に」
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20090811/534677/

人体模型と各種の標本、剥製、実験器具…
私の脳裏にある理科準備室のイメージは、かなりこれに近いです。

結局、豊郷小旧校舎は、2009年に現状に配慮しつつ改修し、交流施設として保存されることになりました。この写真は改修直前に撮影されたもので、いくぶん荒廃の気味があるのはそのせいでしょう。2009年は、ちょうど「けいおん!」がTV放映された年に当たり、この旧校舎がアニメ版における背景画のモデルとなったことから、今ではアニメファンの聖地とされるに至ったという話。

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豊郷小とその設計者ヴォーリズ(1880-1964)をめぐる話題は、ネット上に事欠かないので、ここでは繰り返しませんが、ヴォーリズの佳作、豊郷小学校を素材に、戦前~戦後の「理科教育空間」を振り返ってみたいと思います。

(この項つづく)

Broken Globe, Broken Heart...2012年05月13日 18時11分01秒


突然ですが、理科室の話題はお休みです。

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古い天球儀を買いました。
子供のように毎日ワクワクしながら、届くのを待っていました。

オランダからはるばる届いた荷を開けたら…
木の架台がバラバラにこわれていました。

うまく言葉が出てきません。
しばらくこの衝撃から立ち直れないでしょう。

(傷心の中で補償交渉を進めねば。それもまたとても気が重いことです。)

天球儀騒動余話…国際小包と保険のはなし2012年05月15日 20時06分15秒

今日、改めて検品したら(というのは、モノは日曜日に郵便局にいったん引き取られ、今日2日ぶりに対面したので)、例の品は架台のみならず、天球儀本体にも大きな傷ができていました。
何とか補修して再生を…と思っていましたが、こうなると、もう処置なしです。
嗚呼、100年を生きながらえた汝の命運も、ここに尽きたるか。

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さて、その後の補償交渉の話。

この場合、日本郵便にクレームを申し立てるか、オランダ側に(売主から)申し立てるか、方法は2つあるのだそうです(この辺は相手国によっても違うらしい)。
そこで、言葉の障害のない日本郵便との交渉をまず先行させました。

天球儀には、全額保険をかけてありました。保険付き国際小包というやつです。
で、郵便局が作成してくれた「損害検査調書」には「内容品の損害の程度及び損害金額」の欄に「全損」と書いてあります。全損だから全額弁償してくれるのか…と思って安心していたら、さにあらず。

最終的な補償額は、今後正式に調査をしてから決めるのだそうですが、郵便局の担当氏が内々で教えてくれた目安は、なんと購入価格の3分の1弱。えええ!!これでは何のために保険をかけたのか分からない。

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まあ、ここに悪意のコンビがいたとして、二束三文のガラクタを「100万円の品だ」と偽って、「輸送中に破損したから全額補償しろ」と因縁をつけるような詐欺事件もありうるので、いつでも申告額の通り、全部弁償されるとは限らない…という理屈は分かります。

しかし、考えてみるといろいろな疑問が浮かびます。
たとえば10万円(私の買ったものが10万円というわけではありません)払って買ったものが壊れて届いた、しかし下りる保険金は3万円だとなると、結局差額の7万円はどこに消えたことになるのか?

なんでも、担当氏の説明によると、破損して届いたモノは、保険金が支払われた後は、郵便局が引き取る(買主のところには返還されない)のだそうです。これもよく分からない話で、「破損してもなお、そのモノには7万円の価値が依然あると当社では算定しました。だから差額の3万円をお支払します」というなら分かります。しかし、結局モノは先方に差し押さえられて、3万円の涙金をもらって終わりというのは一体どういう理屈なのか?

その上さらに、補償金額がいったん3万円と決定したら、請求者(=私)が不服申し立てをする制度はないそうです。要するに、不服ならやめておけ、金が欲しければ3万円で我慢しておけという、完全に泣き寝入りの仕組み。

変だなあ…と思って、その場で担当氏に聞いてみました。
「そうすると、私の手元にはモノも何にもなしで、7万円の負債が残るだけですよね。10万円の品物がもし不着の場合は、10万円全額補償されるのに、何かおかしくないですか?私からすると、結果的に何も届かなかったのと同じだと思うんですが、いったいどこが違うんですか?」

担当氏曰く、
「不着の場合は、郵便の責任を果たしていないので、補償に応じる義務があるのです。しかし、途中で破損した場合は、ちゃんと相手のところまで届けたという仕事をしたので、そこに違いがあるのです。」という話。何だか分かったような、分からないような話で、もちろん納得はできません。

保険を掛けてなかったら、こういうのは、よくある「自己責任論」で済まされかねない状況ですが(しかし、それで郵便の責任がチャラになるわけでもないでしょう)、保険をかけていながらしかも大損というのは、どうにも納得できない。何かだまされているような気がする。

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日本郵便には「お客様サービスセンター」というのがあるので、上記のことを聞いてみたのですが「仮定の話にはお答えできません」の一点張り。つまり、まだ補償交渉の結果が出たわけではないのだから…という理屈です。

「別にクレームをねじ込もうというつもりはないのです。一般的な制度のこととしてお聞きしたいのです。そちらで分からなければ、どこに聞けばいいのですか?どこが担当部署なのですか?」と(言葉とは裏腹に、かなりクレームっぽいですが)聞いても、「まずは担当の支局にご相談ください」ということで埒が明かず。

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やむなく日本郵便との交渉はここでいったん中断して、オランダ側にバトンタッチです。
「全額補償だから任せておけ!」という売り手の力強い言葉に期待をかけつつも、名にし負うオランダ商人(保険屋)からどれほどの成果を挙げられるか、ハラハラしながら待ちたいと思います。

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今日は沖縄返還40周年という、非常に重要な日にも関わらず、我欲にとらわれた浅ましい話題になったことを残念に思います。もちろん、そういう大きな問題を等閑視しているわけではありません。諸事情ご賢察いただければ幸いです。

モノの死を悼む晩2012年05月17日 21時34分37秒

夜空に雷が一閃し、先ほどから激しい雨になりました。

補償交渉はオランダ側にボールを投げてあるので、今のところ進捗状況不明。
心を落ち着けて記事を再開するまで、もう少しかかりそうです。
(とりあえず今週いっぱいはお休みします。)

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「そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
 あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
 だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう。」


 されど、今日の風の冷たさよ…。